2001年2月13日 帝国第二次防衛戦
この日はいつも以上の緊張感が漂っていた。
日本海側沿岸部周辺には歩兵、戦闘車両、戦艦、戦術機など多数の戦力が配備され、上空からは衛星が周囲に目を光らせていた。
いつも以上に厳重な警戒体制であり、日本海側の防衛の要とはいえ明らかに過剰な警戒であるようにすら感じられた。
だがこれはある意味当然の事態。
一種の名誉職に成り果てて久しいとはいえ時の政威大将軍『煌武院 悠陽』殿下が前線の視察に来ているのだ。
国の代表であり国民の精神的支えでもある殿下の前線視察と言うことで帝国軍及び斯衛軍により厳重な警戒態勢が敷かれているのだ。
そんな中、ある場所では爆音を響かせて多数の鉄巨人が激突をしていた。
「ほお、斯衛の、しかも赤の00式を相手にあそこまで立ち回れるとは。不知火を限界近くまで改造したというのは嘘ではなかったのだな」
「後方の基地から来た腰抜けと思いきや、中々の腕だ」
新潟防衛線の指揮官達は指揮所のモニターに移される映像を見て感嘆の声を上げていた。
「今回の特別演習には殿下がおられる。斯衛の面々も殿下の前で負けるわけにはいかんと張り切っていたが……」
「それは国連軍の日本人とて同じでしょう。殿下のお姿があるからこそ我々日本人はBETAに屈することは無かったのですから」
副指令は司令の言葉に相槌を打ちつつも、国連軍の動きに注目していた。
当初の予想として国連軍から派遣されてきた部隊は後方部隊と言うこともあり練度が低いと考えられていたのだ。
だが実際に演習のプログラムが進むにつれてその評価が誤りであることが明らかになってきた。
「国連軍の予想以上の実力や斯衛の存在に気圧されるかと思いましたが我々帝国軍も善戦しておりますね」
副官の視線の先には国連軍選抜小隊と第19独立警備小隊、そして新潟防衛部隊中隊と斯衛軍中隊、新潟防衛部隊選抜小隊と帝都守備隊選抜小隊との演習が映っていた。
その光景を視界に入れた司令は今回の善戦、そして各員の士気の高さの理由を考えた。
「それもこれも殿下の御言葉の力か。まだ若い身ながらあの求心力、末恐ろしいとはこの事か」
「私ですら年甲斐もなく心が躍り、いかなる戦況になろうとも殿下がいらっしゃれば日本はまだまだ戦えると感じたほどです」
司令と副官は一昨日に悠陽がこの司令部に訪れて来た時のことを思い出していた。
「各戦線や基地を巡り、兵たちを慰撫し、さらには鼓舞してくださる。殿下が今回の演習の際に下さった言葉を覚えているか?」
「つい一昨日の事、ましてや殿下の御口から直接聞いたこと。故に一生忘れるわけがありません。司令が我等の代表として歓迎の辞を述べた際の返答として『私は将軍として当然の務めを果たしているのみに御座います。皆様方の尽忠報国の志があってこそこの国は守られているのです。力のない私は私にできることをするまでです』と仰っておりました」
副官は悠陽の言葉を一言一句間違えることなく言葉にすると司令は頷いていた。
「ああ、殿下はその一言で我らの心を掴んだ。我等のみならずこの演習に参加している将兵全ての心を掴んだと言っても過言ではない。今の殿下を見ているとこれからの日本は何かが変わる、そんな気がするのだよ」
司令の言葉に司令部のメンバーは深く頷き同位の意思を示していた。
司令部の一員が歴史の胎動を感じている一方で、演習場では斯衛と国連軍の演習が佳境を迎えていた。
小隊同士での演習であったがお互いに一歩も引かず小隊各機は小破から中破判定を受け、戦闘の継続は困難でありほぼ無傷で継戦可能であったのは互いの隊長機同士のみであった。
その第19独立警備小隊の隊長機である紅い武御雷は上段の構えから一気に踏み込み長刀を振り落してきた。
この動きに対して国連側の隊長機である不知火EYは後ろに下がると共に限界の位置で切っ先を避け、後ろに出した足を支えに踏み込んで行った。
だがその動きを予見していた武御雷の衛士はすぐさま刃を外側に向けながら刀を引き、武の進路上に刃を置きに行ったのだ。
「クソ、これでも駄目なのか!?」
武は悪態をつくと共に相手の長刀に己の刃を重ねていた。
二機は先程からお互いに一進一退の攻防を繰り広げているのだ。
お互いの突撃砲の残弾は無くなり、デッドウェイトになるとして既に投棄された。
リロードをする猶予が無いと判断したためだ。
同様に追加装甲も投棄され、二機は互いの背にある長刀を持って対峙しているのだ。
「不知火EYと紅の武御雷か……。流石に性能差がありすぎるか……いや、性能差なんて言い訳だ。これが斯衛の、紅を纏うことを許された人の実力」
武は不知火を縦横無尽に動かし相手を翻弄しているのだが、それでも武御雷の体制を大きく崩すことはできずにいたのだ。
すると再び距離を取った武に対し、紅の武御雷を操る衛士『月詠 真那中尉』からオープン回線で通信が送られてきた。
『大尉の剣の型、無限鬼道流に多数の流派、謂わば我流の剣法を混合させたものとお見受けいたします。ならばこれにはどう対応しますか?』
そして再び刃同士がぶつかった瞬間、武御雷は踏み込みながら己の長刀で円の軌道を描くことで不知火EYの長刀を払い、胴をがら空きにさせてきた。
さらに武御雷の動きはそれだけで終わりではなかった。
左腕で武の長刀を抑えながら一気に踏み込みがら空きになった不知火EYの胴にショルダータックルを仕掛けてきたのだ。
肩部装甲は盾代わりに機能するように堅牢に作られている。
さらに武御雷の場合は突端部にスーパーカーボン製ブレードエッジ装甲まである。
まともに受ければ戦術機の装甲とはいえただではすまないだろう。
故にこの瞬間、武は長刀の即時放棄を行い、牽制として頭部バルカンを発射しながら一気に後退していた。
しかし武御雷はバルカンに怯むことなく瞬時に跳躍ユニットに火を入れることで追いついてきた。
その軌道を確認した武は急停止から着地動作のタメを利用して一気に前に踏み込みカウンターの一撃を放とうとしていた。
しかし、相手の衛士は武の行動を予測していたかのように更なる返しとして最小限の動きで長刀を突き出してきたのだ。
『甘い!!』
「それが狙いだったんだよ!!」
急停止からのカウンターすら予想の範囲内とでも言うかのように紅の武御雷は長刀を振るうが、武はその長刀に蹴撃を加えることで長刀の軌道を下に弾き飛ばし、踵で峯を抑え込むことで地面に長刀を縫い付けた。
その後すぐさま展開した短刀でコクピットブロックを狙うも武御雷はギリギリのところで展開した00式短刀によって受け流していた。
接近、激突、牽制を不規則に繰り返し、螺旋を描くかの様に機動を続ける。
お互いに止まることなく連続した二機の動きはまるで相手の手を取り合うダンスのようであり、他の小隊員が援護に入る余地すら無かった。
その均衡を破ったのは一瞬。
「どうです? そちらはもう燃料が無いんじゃないですか?」
『敵に情報を与えるほど愚かではないつもりです。ですが、大尉の仰りたいことはよくわかります』
二人は再び距離を取るとブレードマウントを展開。
ノッカーによって打ち出された長刀を手に取った。
さらに少しでもデッドウェイトを失くし、素早く打ち込むとでも言うかのように空になったブレードマウントをパージした。
『武様、巌流島の決闘において鞘を捨てた佐々木小次郎に宮本武蔵が言った言葉をご存知ですか?』
「鞘を捨てることは帰り、即ち勝利を捨てるも同然でしたか……。でも俺は勝利を捨てたつもりはないですよ。むしろ勝ちに行くために余分なものを捨てたんです」
互いにとった構えは八相と脇構え。
互いに手の内は見終わった。
互いの実力も理解した。
互いに残存する推進剤は僅か。
故に互いに言わなくてもわかる。
次が最後の決め手となるのは必然という状況だ。
月詠中尉はこの一撃に全てを賭けることにしたようだ。
この瞬間、武は勝利を確信した。
(中尉はこのEYの動きに慣れて来たな。本当なら使いたくなかったけど、ここで勝ちを譲る気は毛頭ない。一輝から使用制限が設けられていないってことは使用許可が出ているも同然だろうしな)
武はそう考えると管制ユニット内で幾つかのパネルを操作し、音声入力にる最後の認証コードを解除した。
「ステータスチェック完了。リミッターリリース!! コード、ファーストブリット!!」
月詠中尉は武の構えを見て驚いていた。
脇構えの本来の用途は刀を己の体で隠し、相手への心理的圧迫を賭けること。
刀の長さは間合いに繋がり、この間合いの見極めが勝敗の決定打となるのは自明の理。
言い換えるのであれば真剣勝負という極限状態における一種の情報戦や心理戦の構えだ。
しかし戦術機用の長刀は基本的に規格品であり長さは統一されている。
誤差があったとしてもそれこそほんのわずかな差でしかない。
さらに戦術機のセンサーを用いれば相手の刃の厚さ、刃渡りなどもある程度予測可能である。
その点からも戦術機という鋼鉄の鎧の前では脇構えの利点は全くと言っていいほど活かせないのだ。
(白銀大尉は剣術の心得を持っておられる。ならば脇構えの意味も、この場において脇構えが死に手であることも理解しているはず。だが五行の型の中からあえて脇構えを選択してきた。この場合では何らかの策を持ってくるのか、それとも単なるブラフなのか……)
疑念が頭の片隅を過った瞬間、彼女は不知火EYの動きに反応が遅れていた。
彼女は武が先ほどまでと同様のリズムで来ると考え、機先を取るために踏み込むタイミングを計っていたのだがその寸前で不知火EYが一気に飛び込んできたのだ。
有り得ない速度での踏み込み。
踏み込みと振り抜きに跳躍ユニットの推力まで使っての斬撃。
それ自体は接近戦を得意とする衛士が用いるテクニックの一つであり彼女自身も行っている。
だが機体性能の勝る武御雷以上の速さで振るわれる打ち込みなど信じられるものではない。
さらに問題なのは彼我の距離である。
基本的に得物の長さとその得物に適した間合いは比例関係にある。
だが武は長刀に適した間合いからさらに踏み込んできたのだ。
(この距離では長刀を振るうにも相手が邪魔で振り切れない。何を考えている!?)
そして次の瞬間、彼女は信じられない物を見ていた。
なんと不知火EYが長刀を手放したのだ。
(長刀を手放すだと!? だが不知火EYは空手のはずだ。改修を加えられているとはいえ流石にスーパーカーボンブレードの類は着けていないはず。ならば一撃程度ではこちらの装甲は抜けまい)
そう考えるとこちらも長刀を離し、00式近接短刀の展開を選択しようとした。
だが次の瞬間、彼女の網膜には『管制ユニットに直撃:機体大破』の文字が浮かび上がっていた。
「な、何!? い、一体何が……」
この瞬間に第19独立警備小隊との戦闘に終止符が打たれたのであった。
そして己のオペレーターからの通信と送られてきた映像データにより、最後の一撃の内容を知る事となった。
「フィストショットだと!?」
そう、武は右腕に装備していた小型追加装甲の裏に隠してあった120 mm滑空砲をコクピットブロックに向けてゼロ距離で発射したのだ。
そう、脇構えもリミッターを切っての踏み込みも全てこの一撃に繋げるための布石であったのだ。
(戦術機のものとはいえ暗器を見逃すとは警備小隊長として言い訳できないな。私もまだまだ精進しなくては……)
斯衛と国連軍の模擬戦が終了した瞬間、モニターを見ていた者達は言葉を発することができなかった。
全員が斯衛の圧勝であると予想していたのだ。
だが現実はどうだ。
国連基地の衛士たちは一騎当千、勇猛果敢などと様々な言葉で形容される斯衛軍を相手に一歩も引くことなく戦い、あまつさえ勝利を手にしたのだ。
しかも斯衛の乗機は武御雷、国連軍は帝国と共同改造を行った不知火EY。
カタログスペックでは劣る機体を用いて格上の相手に辛勝ながらも勝利を収めたのだ。
それも最後の決め手は武御雷に分があると考えられていた近接戦闘だ。
このジャイアントキリングとでも言うべき場面を目にした者達は己の目を疑った。
この光景を見てある者は目をこすってモニターを見直し、またある者は網膜投影装置を再起動させていた。
しかしどのような作業を行っても目の前に広がる光景は現実のものであり、視覚・聴覚から己の脳に入ってくる情報に変化は無かったのであった。
斯衛軍本営にて武が率いる横浜選抜小隊と第19特別警備小隊の模擬戦を見ていた煌武院 悠陽は複雑そうな表情をしていた。
「殿下、何やら難しそうなお顔をされておられますな」
悠陽の隣、警備と解説を兼ねて控えていた斑鳩 信人大佐は悠陽の表情の変化に何かを察したのか話し出していた。
その様子に悠陽は本心を気付かれたのかと慌てたが、なんとか心を落ち着けることに成功した。
「……信人殿、そんなに私の表情は変でしたでしょうか?」
「それはもう。おそらく武が勝って嬉しいが、斯衛の長の一人として部下が負けたことを悔しくお思いなのでしょう。そのお気持ち、一部とはいえ理解できます。しかし、ここは私心を殺し、組織の長としての立場を優先するべき場であることもまた事実」
信人の諫言とも取れる雑談に対し悠陽は目礼で返すも、心の中では全く別の事を考えていた。
(武様に南武殿が提示したBETAによる新潟侵攻は本当に起こるのでしょうか。昨年と今年のBETAの大侵攻を予測した南武殿の実績を鑑みればBETAの襲撃はほぼ確実と考えるべきなのでしょう。南武殿自身の過去の記憶による統計から予測した襲撃予想期間は13-16日の間。しかし今現在において佐渡島及び鉄源ハイヴに目立った動きは無しですか……)
悠陽は一輝の予言したBETAの新潟侵攻について思考を巡らせていたのだ。
もしBETAの襲撃があるのであればそろそろ佐渡島や鉄源ハイヴに何らかの動きが見えるはずである。
だがそのような報告が無いということは、今回はBETAの襲撃が無いと考えるのが妥当なのであろう。
だが、襲撃の日時がずれているだけであった場合はどうだ。
その場合では新潟戦線に存在する戦力は通常戦力のみであり、一輝らの情報を信じるのであればいくつかの防衛線が壊滅もしくは壊滅寸前の被害を受けるのだ。
帝国のこうむる被害を数字だけで見ればこの演習中に襲撃があった方が被害は少ないだろう。
ここまで考えた時、ある一つの問いが頭の中に浮かんでくる。
もしや自分はBETAの襲撃を望んでいるのではないだろうか。
一輝による襲撃予測を聞かされた日から何度も考え、そして答えを得ることのできなかった問いだ。
(これが一部とはいえ未来の情報に触れた結果。南武殿に武様は斯様なことをずっと続けてらしたのですね)
悠陽はなんとか普段の表情を保とうとしているのだが、昔なじみの信人には隠しきれる物ではなかったようだ。
(ああ、また何か考えているか。真面目なのはいいことだが、考えすぎると潰れることをまだ知らないわけか。こればかりは自分の経験で折り合いをつける場所を見つけるしかないからな)
信人はそう考えると、未だ表情の晴れぬ悠陽の気分を変えるために話題を変えていた。
「そういえば横浜からの派遣部隊、本来なら南武少佐が指揮を執るはずだったのが急遽変更があったとか」
「ええ。合同開発計画の予定が一部前倒しになり、帝国技術廠から派遣された副官と共にアラスカに飛んで行ったそうですね」
そう、フェニックス構想の予定が正式に決定され、責任者である一輝と篁が諸々の手続き等の為にアラスカに先行して向かったのだ。
この一輝の不在という状況が悠陽をさらに不安にさせる一因でもあった。
だが彼女は考える。
この演習を前に、たった一時とはいえ話をすることができた想い人の言葉を。
『あいつはできないと思ったことを他人に任せないさ。逆を言うなら、俺達、延いては帝国にはできると考えたからアラスカに行ったんだ。つまりあいつがこっちよりもアラスカを優先するってことは帝国に対する信頼の一つだよ』
南武 一輝という人物は未来の夫が信じている友人なのだ。
ならば未来の妻として未来の夫を、そして夫の友人を信じなくてどうするのか。
悠陽はそう決断すると、自然と表情を引き締めていた。
(先ほどまでの迷いが消えたか。何を迷っていたのか知らんが、解決したのなら良しとすよう。妹分の成長は嬉しいが、兄貴分として頼られぬというのは寂しい物だな)
悠陽が迷いを断ち切ったことに気づいた信人は内心苦笑するも、すぐさま己の職務に戻って行くのであった。
2001年 2月13日 アラスカユーコン基地
『おいおい、本当にやるのかよ?』
欧州系の顔立ちをした青年が呆れた表情で相方の顔を網膜投影越しに確認した。
そこに映る勝気な表情をした少女はまるで悪戯を思い付いたコモのような笑みを浮かべていたのだ。
『当たり前だろ? なんだよ、あれだけ盛り上がっていたのに今更になってブルって来たのか?』
(ハア、こりゃ始末書何枚ものになるかな。ま、おもしろそうだという点は同感だから良しとするか)
青年は少女の答えに呆れながらも己の内にある悪戯心がくすぐられていることを感じていた。
『んじゃ行こうぜV.G.。あー、こほん。こちらアルゴス3よりCP、応答願います。これより演習場からの帰投の前に日本からのお客様のお出迎えに向かいます』
その少女は青年のことなど構わんとばかりに行動に移していた。
『タリサ、念のため言っておくが、必要以上に輸送機に近づくんじゃないぞ』
『ハハハ、いやだなあ隊長。ちょっとアクロバット極めてくるだけじゃないですか』
タリサと呼ばれた褐色の少女は冷や汗を流しながら乾いた笑い声で誤魔化そうとしていた。
だがCPより正式な許可が下りたことは事実だ。
彼女は楽しそうに跳躍ユニットのステータスの最終チェックを始めた。
その様子に相棒のV.G.は軽くため息を吐きながら
(まあ、アクロバット極めてくるってのは強ち嘘じゃないからいいか)
などと考えていた。
「蒼い空……か」
篁はAn-225の窓から見える外の景色を見ながら呟いていた。
そこに広がるのは無限に広がる蒼の色。
忌まわしき光線から身を護る重金属雲に犯されたことのない無垢なる空が広がっているのだ。
BETAの本格的侵攻にさらされていない証拠の一つでもある。
日本から、いやこの地球から奪われて久しい光景だ。
しばらく外を眺めていると前から上司である南武 一輝が近づいて来た。
着陸態勢に入るとの放送があったのでコクピットから帰ってきたのだろう。
篁は急ぎ立ち上がって敬礼をしようとしたが、一輝は手で制止しながら篁の横に腰を下ろしていた。
「流石アメリカだ。いまだ穢れを知らない乙女の空の色は見ていて気持ちがいいな」
「南武少佐。まさか貴方の口からその様な詩的表現が出るとは……。年を考えてくださいと言っても宜しいでしょうか」
篁の言葉に周囲にいたスタッフは笑いを堪えることで精いっぱいであった。
一輝はそれを咎めることもなく苦笑しながら着陸に備えてベルトを着けようとした瞬間、機体の中に警報音が鳴り響いた。
『本日ご搭乗のお客様、左をご覧ください。ユーコン基地の誇る戦術機が我々のお出迎えに参りました』
警報音と共に流された機長のアナウンスの通り、左手側からF-15系列の機体を思わせる機体と第二世代機の中でも傑作と名高いF-15Eが近づいて来た。
その動きは非常になめらかであり、時折見せる空力制御を応用した機体コントロールには思わず目を見開いていた。
様々なアクロバットにコンビネーション飛行を短時間で披露した戦術機は手を振ってAn-225から離れたはずであった。
しかし次の瞬間、エンジン音と共に急激な加速を見せた。
その速度は一度失速していたにもかかわらず数瞬の内にAn-225に並び追い抜いていた。
そしてAn-225の進路を塞ぐかのように斜め前に出ると高度を合わせてきたのだ。
さらに減速による退避も許さないとばかりに後方からF-15-Eが近づいて来たのだ。
この緊急事態に再びAn-225には緊急警報が鳴り響き、一輝と篁はコクピットに走った。
そこはある種のパニックになっており機長は
『おいアルゴス3、この動きは打ち合わせに無かったはずだ。悪ふざけは止めろ!!』
などと叫んでいた。
(ACTVの跳躍ユニット、四肢の動き。まだ何かアクロバット飛行をするつもりか。……このエンジン音からしてF15Eが後方に少し距離を取ったか。ほう、そしてここにきてACTVがまた加速しただと? まさか!?)
この事態にパイロットは思わず機首を下げようとしたが、一輝は操縦桿を上から押さえ込んでいた。
「おいJAP!! 何をしやがる!?」
「下手に軌道を変えるな。説明している暇はない。あの衛士の腕と俺の勘を信じてこのまま突っ込め」
一輝が彼女らの意図に薄々感づいた瞬間、F-15 ACTVは一気に加速したかと思うと機体を起こして急激な減速を行った。
その直後、副機長が操縦の優先権の切り替えを行おうとしたが篁によって操縦桿を押さえられた。
「ええい、儘よ」
「神よ……」
操縦桿を押さえられ、一輝の意図を掴むことのできなかった機長たちにできることはただ祈る事だけであった。
タリサは後方カメラにてAn-225の挙動を見て感心していた。
(へえ、男の方は操縦桿を抑えた瞬間に笑いながらこっちを見てきやがった。日本人の割にノリがいいじゃないか。それに誘ってくれているのなら、こっちも答えるしかないね!!)
そう考えた瞬間、ACTVを起こし、急激な空気抵抗によって減速を行った。
それはコブラとも呼ばれる空戦起動に近い動きであった。
しかしこのまま減速を続ければAn-225に激突することになる。
その状況でありながら一輝は未だに操縦桿を押さえていた。
(あいつ、こっちの動きを読んでいるのか?)
急速な立ち上げの慣性と空気抵抗による減速から、機体と地面との角度が90度を超えそうになるが、補助スラスターの推力で態勢を維持。
さらに連続した動きで肩部スラスターに推力を逃がすことで横に滑らせていた。
その瞬間、タリサは強力なGに襲われるが機体側の欺瞞装置によって擬似的とはいえGが軽減される。
そして輸送機の横で足を背側に反らせ、慣性と空力を利用することで機体を捻り輸送機の後方に取りついた。
そのまま己の加速性能を主張するかのように再びAn-225に並び、コクピットに向けて手を振ると今度こそ離れていくのであった。
アクロバットが終わった瞬間、一輝は操縦桿から手を離してACTVに対して手を振りかえしていた。
「なあおい、あんたは何でタリサの動きがわかったんだ?」
先程までの緊張が一気に抜けたのか、はたまた怒りが抜けたのかぼんやりとした機長が唖然とした表情で聞いてきた。
「簡単なことだ。あの直前、何かを確認するかのようにフラップや四肢が動いていた。あれはドッグファイトにおけるフェイントの一種だ。おそらく癖になっているんだろうな。だからこそ、あいつの衛士が何かを狙っていることが分かったんだよ」
「じゃあ、操縦桿を固定したのも」
本来目の前に障害が来れば避けるのが常識だ。
だが一輝はその常識を覆すかのように操縦かんを動かさせなかったのだ。
「そうだ。流石にアクロバットの内容までは予想できなかったが、エンジン音から後ろにいたF-15Eが下がったことが分かった」
「だからそのスペースに入り込むと考えたのですね。その場合であれば必ず上下左右いずれかのコースを使って回り込む形になる。そしてその状況で一番安全な機動は何もせず直進することだと」
篁は一輝の言葉から同じ予想に至ったことを確信した。
「正解だ。上か下を抜けると思ったから操縦桿を押さえたけど、まさかコブラから横に抜けるとはね。あの衛士はこちらが上下のどちらかに避けることを見越して横を抜けるアクロバットを行ったんだろうな。仮にラダーを使って横に避けた場合でも、ラダーの効き具合から衝突の可能性はゼロだと確信してのアクロバットってところか。初めて見る機動で予想外だったがその分楽しめたな」
そして篁は厳しい表情で、一輝は楽しそうに笑いながらコクピットを後にし、キャビンへと戻って行くのであった。