タリサとV.G.による熱烈な歓迎を受けたが、輸送機は無事滑走路に着陸することができた。
機長達に礼を伝えた一輝は荷物の確認のために機外にて搬出作業を行っていた。
「あーっと、これで運んできた荷物は最後だな」
ファイルにとじられた伝票と輸送ケースを確認していると、通信機を手にしたマサが走り寄って来た。
「一輝さんに篁中尉、警備からの報告ッス。お二人のお迎えが来たみたいッス。後は打ち合わせ通りやっておくんでお二人は司令部の方へ行ってほしいッス」
マサの指差す方向を見ると、警備班によって築かれた簡易バリケードの手前でジープが停止した。
助手席にいた女性は運転手に指示を出すとジープから降り、二人に敬礼をするのであった。
その姿を確認した一輝と篁はあらかじめ決められていた手順通り、運んできた機体の移動を技術班に任せると基地司令部ビルに向かうことにした。
二人が女性に近づくにつれ、女性の特徴が顕わになった。
プラチナブロンドとまばゆいばかりに輝く白い肌から北欧系の印象を与えてくる。
また可愛いというよりも綺麗と表現すべき面立ちは彫刻的な冷たい美しさを醸し出していた。
二人は迎えの女性の前まで来ると返礼をし、お互いに自己紹介した。
「初めまして。国連太平洋方面軍第3軍、ユーコン基地、アルゴス試験小隊に所属しておりますステラ・ブレーメル少尉であります」
「これから世話になる。国連太平洋方面第11軍、横浜基地から来た南武 一輝少佐だ。よろしく頼む」
「篁 唯依中尉だ。以前は帝国技術廠の開発局に所属していたが今回の計画に伴い国連軍へ一時的に転属している。以後よろしく頼む」
「司令部ビルはここから南に約20km下った位置にあります。移動用の車を用意してありますのでこちらにどうぞ」
ステラは二人を用意していたジープの二列目に乗せ、自分は助手席に座ると基地司令部ビルへと向かい走らせた。
初めての国外基地での勤務に緊張した篁はキョロキョロと周囲を見回してしまい、国外にも慣れている一輝は周囲の情報を得るために手元の地図と周囲の状況を交互に見回して情報収集に努めていた。
その様子を見たステラは移動時間を利用して簡単に基地内の説明をすることにした。
「当基地はアメリカ領と暫定ソ連領の境目をまたぐ形で建設されております。あちらに見えるユーコン川とボーキュバイン川が暫定国境となっております。ですが国連基地ということもあり互いの領土内の施設を融通し合うことも多々あります。さらに基地関係者であれば基本的にフリーパスで国境線を越えることができます。しかし一部施設の中にはソ連の機密ブロック等もあるそうなので深入りはしない方がよろしいかと思われます」
二人はステラの説明を聞いたことで基地の規模がおぼろげながら見えてきたのであった。
そして篁は想像以上の規模に
「渡された資料から想像していた以上の規模の基地だな」
と思わず日本語で呟いていた。
「あの、何か仰いましたでしょうか」
「ああ、すまない。日本語で想像以上の大きさだと言ったんだ」
「確かに、私もこの基地に来た時は驚きました。」
一輝と篁は手元の概略図と周囲の景色を照らし合わせながら説明を聞いていたのだが、概略図と実物は別物という印象を受けた。
それもそうだろう。
帝国内最大の国連軍基地である横浜基地も確かに広大な敷地を持っている。
実質的な敷地としては広いが、周囲は廃墟化した周囲の街に囲まれており見た目はあまり広くない。
帝都城は大きいと言えば大きいが、あくまで殿下の居城であり基地ではない。
しかしここ、ユーコン基地は実際に広大な敷地を有しており、さらには林や市街地演習場まで完備されているなど、最早見渡す限り基地と演習場と言っても過言ではない状況である。
移り行く景色の中、ある地点に入るとジープは速度を下げ、徐行程度の速度にまで落とした。
そして不思議に感じた篁と一輝は周囲の様子を眺め、二人の目つきが一瞬で変わった。
そう、戦術機の巨大格納庫だ。
それも一つ二つと言った規模ではなく、視界に広がる建物の大半が格納庫という錚々たる景観である。
格納庫の周辺では各国の戦術機が立ち並び、誘導員の指示に従って移動していく姿が見えていた。
ここから見えるだけでも様々な機種が列挙している。
新型機に改造機もあればF-4やF-5系列といった旧型機のバリエーション機もある。
それもそうだろう。
米国製だけでなく、欧州製、アジア製、さらには東側諸国製の戦術機が見本市の如く並んでいるのだ。
この光景は正に『世界各国が協力して外敵に対する刃を鍛える』というプロミネンス計画の本髄がこの場にあるようであった。
「こちらが戦術機の格納庫となります。ここでは常時人や戦術機の移動がありますので安全のために徐行運転が義務付けられておりますのでご了承ください。ここの格納庫は表側の収納スペース以外にも奥の部分に機密スペースも用意されております。また交渉しだいでは諸外国との技術交流や機密スペースの見学なども可能であります。さらにはプロミネンス計画の本懐である技術協力の一環として各国協同で研修会を行うこともあります」
ステラが説明を続ける中、一輝に篁は周囲を見回していた。
篁は始めてみる機体を含めて食い入るように観察し、一輝はどこか懐かしむような目で様々な機体を見ていた。
そして周囲を観察していた二人はある機体に気付いた。
「少佐、あれは」
「ああ、あの機体だな。すまない、2区画先の格納庫の横につけてもらえないだろうか」
一輝の指示通り運転手が停めた瞬間、一輝はジープから飛び降りていた。
後を追ってステラと篁が降りてきたが、一輝は気にせず格納庫に近付いた。
「おーい少年、一応格納庫内も機密区画に指定されている。これ以上は関係者以外立ち入り禁止だよ」
「おいおい、少年は勘弁してくれ。俺はこれでも24の立派な青年だよ。ついでに言うと俺はこれから関係者になる者だし、格納庫の外から少し見るだけだったらいいだろ?」
この区画を担当していた警備兵は一輝の返答から不審者の可能性を考えて銃に手を伸ばしていた。
しかし後からきたステラが『大丈夫、問題無し』という旨のハンドサインを送って来たため、警備兵は警戒態勢を和らげたようだ。
そして一輝が彼女と親しげに話す様子から関係者もしくはそれに順ずる者であるとして扱うことにした様だ。
「少佐、一人で先行されては困ります。まだユーコン基地での身分証明書が無い状態なのですよ。その状態でこの様な行為をされましてはスパイ容疑で逮捕されても文句を言えません」
ステラは困り顔で言うが、一輝は気にした風も無く中の様子を観察していた。
「すまんな、あの機体が見えたので衛士に会えるかと思ったのだが……」
一輝はそういいながら再び駐機状態の戦術機を見上げるが、管制ユニットは開け放たれており中に人影を見ることはできなかった。
その戦術機はF-15系列の面影を残しながらも全く異なったシルエットを描いていた。
肩部装甲と背部懸架ラックに増設されたスラスターユニット。
上腕部ハードポイントに付けられたセンサーらしきオプション。
頭部はセンサーを追加した影響か形が大幅に変わり、丸みを帯びた形状から頭頂部分が横に張り出した翼のようになっていた。
(ほお、矢張り間近で見ると良くわかる。俺の知る未来のACTVと微妙に違うのはこいつが試験機だからだろうか。ま、そこに関しては考えても答えは出ないか。それよりもこいつを操縦していた衛士は……)
一輝はこの機体の形状を観察しながら周囲を探ったが機体の管制ユニットは排出されており、整備士が中に入って作業をしていた。
格納庫の中を見渡しても外側から見える範囲の中には衛士強化装備を着ている者の姿を見つけることはできなかった。
(フム、機長の言った『タリサ』というのは矢張りチョビの事だよな。小柄な褐色少女の陰など見えんな。まあここで会わずともいずれ会うことは確実か)
一輝は考えながら覗いていると篁が横に並び肘で突いて来た。
彼女の珍しい対応に振り向くと時計を指さしていた。
つまりは時間が押しているということを言っているのだ。
「ああ、すまんな。あの機体の衛士に一目会ってみたいと思ったのだが、既に蛻の殻のようだ。まあ、あれだけの事をしたのだから部隊長かもっと上から呼び出しは確定だろうな」
「腕が良くても規律を乱して良いという免罪符にはなり得ませんからね」
そう言いながら篁やステラと共にジープに戻ると、何やら三列目の座席に人影が増えていた。
不審に思ったステラが小走りに近づき、相手がこちらに振り向いて車から飛び降りてきた瞬間に何か軽く脱力したように見えた。
不審に思った篁と一輝が走り寄ると、褐色の少女と挑発の男性が手を振って来たのであった。
そして一瞬手元の紙に目を走らせると二人声をそろえて話し出した。
「「ニホンノ、オキャクサン、コニチワー」」
なにやら怪しげなイントネーション、そして外国人特有のアクセントをつけた日本語だ。
どうやら二人はいろんな意味で一輝達を歓迎しているつもりのようだ。
「「カンゲーノ、アクロバット、ドデシタカー?」」
「そうか、君たちがあの戦術機の衛士か。熱烈な歓迎に続いて今度は日本語での歓迎に感謝する。あとはまあなんだ、アクロバットは楽しめたが、あれだけ派手なことをしたんだ。君たちも司令ビルに呼び出しを受けているんではないか?」
この対応に篁と一輝は思わず顔を見合わせていたが、一輝が礼を言うと褐色の少女に長髪の男は苦笑をしながら言葉を作っていた。
「いやー、実はその通りでして。今から司令ビルまで出頭するところです」
この言葉に対して長髪の男は笑いながら返し、その様子に一輝は苦笑しながら言葉を放っていた。
「どうせ上から長い説教を受けることは確実だ。目的地は一緒だから乗って行くか?」
この言葉に対して褐色の少女と長髪の男性が手を打って喜び、司令ビルまで同行するために車に乗り込んできた。
「そういえばまだ名前を聞いていなかったな。俺は南武 一輝少佐だ。俺の事は好きに呼んでくれて構わん。それで彼女は」
「南武少佐の副官を務めさせていただいている篁 唯依中尉だ。よろしく頼む」
「俺はイタリア軍から派遣されているヴァレリオ・ジアコーザ少尉であります。仲間からはV.G.と呼ばれております。お若い少佐殿、並びにお美しい中尉殿にお目見えできて光栄であります。あーっと、ヨロシクオネガイシマス」
「私はネパール軍のタリサ・マナンダル少尉であります。えーっと、オナシャス?」
二人は日本語のカンペでも持っているのか、手元を一瞬覗き込んでからどこかぎこちないながらも日本語の挨拶を披露してくれていた。
「ハハハハハ、二人ともそこまで日本語を勉強していたのか。これは嬉しい限りだ。ところで、あのF-15の改造機の衛士は君だな」
一輝はタリサを見ると、彼女はきょとんとした顔でこちらを見てきた。
「あ、ああ。まだ何も言ってないのに何でわかったんだ?……いや、わかったんですか」
いきなりの振りにタリサは慌て、敬語表現を忘れていたがV.G.に肘で突かれると慌てて訂正していた。
この事態に篁は顔をしかめたが、一輝は構わないというかのように笑顔でいた。
「機長の通信を聞いていなかったのか? タリサと名指しで抗議していたじゃないか。あと、俺に対する態度だが、規律を守れれば最低限の敬意で構わん。基地外での任務中は拙いが、それ以外では階級など特に気にするな」
一輝のこの言葉に篁は軽くため息を吐き、ステラにタリサ、そしてV.G.は思わず顔を見合わせてしまった。
日本人に対してタリサは『嫌味で遠回しなサディスト』というイメージを、ステラは『礼儀と言葉遣いに細かい』というイメージを、V.G.に至っては『黒髪で清楚な雰囲気を持ってる。男は知らんが何となくいろいろ細かい働き蜂』というイメージを抱いていたのだ。
だが、一輝の言動から三人の日本人に対するイメージが崩れたのである。
「あの少佐、宜しければ理由をお聞かせ願えないでしょうか」
ステラは今までにないタイプの上官に驚き、理由を聞いてしまっていた。
「簡単なことだ。開発衛士と責任者間で無駄に距離を作る意味が無い。俺の仕事は開発衛士からの要求を技術班と共に叶えることだ。そこに階級差による遠慮があっては真の仕事ができないからな」
一輝は己の持論を話すと、アルゴス小隊の三人は納得したのかしていないのか微妙な表情になっていたが、一輝の
「ああそうそう、いい忘れていたが先ほどのアクロバットの件だ。歓迎のレクリエーションとして楽しませてもらったし、君達の腕を見る良い機会ではあった。俺の方からは機長や君たちの部隊長にも話をつけて叱責は最低限で済ませてほしいと頼んでおいたよ」
という言葉を聞いてタリサはガッツポーズをとり、後ろから一輝に抱きついていた。
「ヒャッハー、あんた日本人だけどいい奴だな。見直したぞ」
「ふむ、後頭部に来る感触が柔らかさ2硬さ8ってのはどうよ」
「何だとー!? せっかく人がサービスで抱き着いてやってんのに何だよその言葉は!! てかその片目だけレンズの入ったサングラスはかなりダサいぞ」
「いやー、少佐。こいつの幼児体型に関しては勘弁しやってください」
「フ、このサングラスのセンスが解らんとは。見た目だけでなく、センスもまだまだ子供だな」
「あらあら、早速馴染んでいるのね」
篁はこの雰囲気に飲み込まれ、何も言うことができなかった。
今までに経験したことのない雰囲気に圧倒されていたのだ。
「少佐、やはりここでも技術廠の時と同様にするつもりですか」
この様子を見かねた篁は小声の日本語で話しかけてきた。
おそらく先ほどの事を指しているのであろう。
「そのつもりだよ。実際横浜からこのやり方できた。技術廠の人達ともこのやり方で付き合ってきたのは知っているだろ? 規律を考えれば宜しくは無いのだろうが、開発の現場では形式よりも合理性を優先させた方が良いというのが俺の持論だ。ま、お前さんの気に入らない部分はあるだろうが、ここは一つ俺のやり方に会わせてくれると嬉しいな」
一輝は己の心情を語ると、篁は少し考え込んでいた。
篁は、本来なら規律の崩壊を招きかねないやり方に反対するつもりであった。
しかし頭の中に出発前に巌谷中佐にからいただいた言葉の一つにより考えを少し変えつつあったのだ。
その言葉を要約すると
『何事も経験だ。今までの自分を脱ぎ捨てる事で新たな世界が見えてくる事もある』
というものであった。
この言葉を受け、篁は今までの自分にない様々な経験を積んでいく事を考えていたのだ。
そして篁は己の気持ちに整理をつけ、納得したのかそれ以上追及することは無かった。
そして5人を乗せたジープは司令ビルの前に到着すると、そこには中東風の風貌をした男が一人立ってこちらを出迎えていたのだ。
その姿は威圧感を放っているようにも感じられるのだが、一輝はその様な雰囲気を気にすることもなく前に立っていた。
「ようこそいらっしゃいました。フェニックス構想の開発衛士小隊の小隊長を務めておりますイブラヒム・ドゥール中尉であります。先ほどは我が隊の馬鹿共がご迷惑をおかけしまして誠に申し訳ありませんでした」
イブラヒムは『馬鹿』という言葉を言うと共にV.G.とジープの陰に隠れようとしていたタリサを睨んでいた。
「国連太平洋方面第11軍、横浜基地から来た南武 一輝少佐だ。彼女は副官を務めている」
「帝国技術廠から国連軍に移籍してきた篁 唯依中尉であります」
篁は先任中尉であるイブラヒムに敬礼をしていた。
「そういえばそこにいる部下たちの紹介をしていませんでしたね」
「先ほど車の中でお互いに自己紹介したところだ。それよりドゥール中尉、通信でも言ったように俺に対する敬意は……」
一輝はイブラヒムの話し方に釘を刺そうかと考えたのだが
「少佐殿の経歴にお人柄を信頼しているからこそのこの敬意ですよ。もしそれでも不審に思われるのでしたら信頼の先払いとでもお考えください」
と返されてしまった。
「これは手厳しい。信頼するに足る上官にならないわけにはいかなくなってしまった。これはすごいプレッシャーだな」
この毅然とした態度から、一輝はイブラヒムを階級に関係なく己の意志を貫ける信頼できる人物と判断し、この件に関してそれ以上言葉を紡ぐことを止めた。
「それでは南武少佐、プロミネンス計画総責任者であるハルトウィック大佐が執務室にてお待ちです。ブレーメル少尉、少佐を大佐の執務室へご案内して差し上げろ。続いて篁中尉、搬入手続きの最終確認をお願いしたい。ラワヌナンド軍曹、中尉を総務課まで案内してくれ。最後に、タリサ・マナンダル少尉!!」
「ふぇ、ふぁい!!」
イブラヒムからの叱責の様な呼びかけにタリサは慌てて飛び出し、ジープに体当たりをかましていた。
だがそんな様子を気に掛けるでもなくイブラヒムは
「お前には司令からの出頭命令だ。勿論ヴァレリオ・ジアコーザ少尉にも出ている。貴様らは俺と一緒に来い」
と言い放ったのだ。
「な、南武少佐が口をきいてくれたんじゃあ」
タリサはあんぐりと口を開けていたが、V.G.は何かに気付いたのかやれやれとばかりにため息を吐いていた。
この様子を見て一輝はニヤッと笑いながら
「マナンダル少尉、俺はドゥール中尉と機長達にあくまで『俺の方』、つまりは『日本側』から貴様らへの抗議は行わないと言っただけだ。あと一応言っておくが口をきいたとは言ったが、彼ら以外の人に口をきいたとは一切言っていないぞ」
と言い放ちこの場を去って行くのであった。
タリサにV.G.を置いてきたステラに一輝は司令ビル内のエレベーターに乗り、その後しばらく歩くとハルトウィック大佐の執務室に付いた。
「こちらがハルトウィック大佐の執務室になります」
「案内ありがとう。では下がってくれ」
一輝はステラが離れたことを確認すると、軽く深呼吸をしてから隣を見た。
インターホンで秘書官に来訪理由を告げたところ、ドアを開けられ中に入るように指示が出された。
室内に入った一輝は執務室の中を視線だけで見回すと、マカボニー製の執務机の向こう側に初老の上官が立っているのを見た。
また背後では秘書官と思しき女性がドアを閉めることで内部を密室としていた。
「初めまして。私は『帝国技術廠及び国連横浜基地合同戦術機研究改造計画』代表、南武 一輝少佐であります。なお私の個人情報ですが、機密指定を受けているため事前にお渡ししたファイルに消し炭が多くなっております。何卒ご了承ください」
一輝は敬礼と共に名乗り上げるとともに、事前に渡してあった人員ファイルの個人情報欄の墨入れ箇所に対して非礼を詫びていた。
だがこれは仕方のないことだ。
オルタネイティヴ計画という極秘計画に関する人員の為、機密レベルが異常に高くなっているのだ。
「遠い所からご苦労だったな。私は『プロミネンス計画』を預かるクラウス・ハルトウィック大佐であり、彼女はジェシカ・グレイス君だ。私の秘書官をしてもらっている。そして君の機密に関しては君に非はあるまい。とりあえず堅苦しい言葉使いも止めて楽にしたまえ」
そう言うとハルトウィックはにやりと笑って敬礼を解くと、一輝も敬礼を解き休めの体制になった。
「ここは地の果て、荒くれ者の開発衛士が寄せ集められた基地だ。君が礼儀正しい日本人であったとしても上官に対する敬意は最低限で構わん。それに不慣れな英語で何か聞き間違いでもあったらお互いに大問題だからな」
一輝はユーコン基地に来るまでに得た資料から大佐の方針について少し考えていた。
自分の持つ権限から集められた情報では、ハルトウィック大佐は元々戦術機開発初期における開発衛士から出世した人間らしい。
そういう意味では幹部達の中でも研究/開発現場の空気や流れという物を理解している者なのだろう。
そしてその彼が日頃の研究/開発生活の中で見つけ出した最良の方針が『敬意は最低限で済ます』というモノなのだろう。
そしてこのハルトウィック大佐の見つけ出した最良の方針は、皮肉にも仮初とはいえ平和の上で生活していた元の世界の自分が至った最良の方針と同じ方向性なのであった。
「そう言ってもらえると助かります」
また、一輝は元の世界での職種、確立分岐世界での経験からネイティヴ並みの英語力があるものの、万が一の事態が無いとは限らない。
そして英語は国際公用語に定められているとはいえ苦手な者もいれば、訛りが強くて聞き取りづらい発音の者もいる。
自動翻訳機もあるにはあるが、普段から頼りっぱなしでは緊急時に何かしらの事故につながりかねない。
そういった事故を防ぐという名目も含めて、この『礼儀は最低限』という基地内におけるローカルルールが成り立っているのだろう。
「ジェシカ君、南部君と私にコーヒーを淹れてくれんかね。そして南部君も立ち話は何だ、そこのソファーにでも腰掛けてくれ」
「それではお言葉に甘えさせていただきます。あ、コーヒーはブラックで結構ですのでお気遣いなく」
一輝は敬礼を解くと薦められるがままに執務机の前にある来客用ソファーに腰を落とし、コーヒーを注文していた。
そしてユーコン基地の副司令でもあるハルトウィック大佐は執務机の正面に置かれたソファーに座る一輝の姿を観察していてふと思い浮かんだ疑問を口にしていた。
「それにしても君が第四計画から送られてきた人員か。なかなか若いのだな。年はいくつだったかな?」
「いやー、若いって言われるのは嬉しいですね。これでも一応24才なんです」
「そうか、正直まだハイスクールに通っていると言われても驚かないつもりであったが……。ジャパニーズは童顔だというのは本当なのだな」
「う、羨ましい」
一輝の年齢を聞いたハルトウィックは目を丸くして驚き、ジェシカはついポツリと本音をこぼしていたが、一輝はこの返答に苦笑するしかなかった。
「いえ、国外では童顔に見られる所為で階級を申告しても疑われるのが厄介ですよ」
「そうであろうな。それにしても24才で左官階級に付くとは異例の出世頭ではないか。伊達に横浜の魔女の下で働いていないということかな?」
「時には魔女の使い魔として、時には魔女の同志として働いてきた結果ですね」
一輝はハルトウィックからの嫌味に苦笑しながらやや自嘲気味に答えていた。
ジェシカは『同志』という言葉の選択に疑問を抱き、ハルトウィックは面白い若者が来たとばかりに笑っていたが、ふと残念そうな表情に変わった。
「しかし第四計画とはな」
「おや、大佐は第四計画がお嫌いですか?」
一輝は他人事のように飄々とした態度でこの一言を言ったのだが、この態度が切欠となりジェシカが当初隠していた本音が一気に爆発してしまった。
「南武少佐!! あなたは現状を理解したうえでそのようなことを仰っているのですか!? あのような馬鹿げた計画!!」
そしてその爆発した感情はあろうことか上官である一輝に向けられていたのだ。
彼女はプロミネンス計画が世界を救う手段であると信じている。
未だ先が見えない状況でありながら人類同士での諍い、対立は後を絶えない。
人類は窮地に陥っていながらもなお資本主義と共産主義、人種差別、亡国の難民、宗教差別など様々な問題を抱えているのだ。
ジェシカはこの危機的状況を繋ぐ一筋の希望が『プロミネンス計画』だと考えているのだ。
各国が国という垣根を越えての技術協力。
世界一丸となっての研究。
本来なら様々な可能性を秘めた計画のはずであった。
だが計画に必要な予算はオルタネイティヴ計画に回されてしまい、本来申請した予算から大幅に削られた状態で運営されているのだ。
この状態に頭を抱えているのは誰もが知っていることだ。
「ジェシカ君、止めたまえ」
だが、ハルトウィック大佐は一輝の言葉に怒ることもなく、ただ静かに一輝を見据えていた。
その眼は先ほどまでの温かみは薄れ、冷たい色が宿っているかのような印象すら与えるものだ。
「大佐、すいませんでした。少佐に対して礼を失した発言についてお詫び申し上げます」
一輝の言葉に激高してしまったジェシカはハルトウィック大佐の仲裁によって落ち着きを取り戻し、少佐階級である一輝への暴言とも取れる発言を詫びていた。
「さて南部君、少々感情が入っていたようだがジェシカ君の言っていることは概ね正しいと私は考えている。例の予備計画を押し留めているという件に関して意味はあるのだろうが、かけている予算に対して得られた結果があまりにも少なすぎる。端的に言えばコストパフォーマンスが最悪だ」
「そうですね、色々反論したい面はありますが、こちらからは機密故に答えられません」
ハルトウィック大佐の詰め寄って来るかのような論理に一輝は怪しげな笑顔で返していた。
「そうだろうな。反論したくとも機密故に答えられんだろうな。まあ私が君を一方的に殴っているような状況だ。客観的に見てもアンフェアな状況ではあるのだが、ここはこちらの言い分のみを言わせて貰おう」
「それにしても覚悟はしていましたが、やはり大佐殿は例の計画に良い感情は持っていないのですね。あと意見に関しては一向に構いません。計画遂行者としては反対意見も計画遂行という目的の上では貴重な意見の一部ですので」
好意の消え去ったハルトウィック大佐は一輝に対する、延いては第四計画に対するプレッシャーを徐々に強めていた。
だがその状況においても一輝は余裕の表情を浮かべるのであった。
一輝は彼らにはないアドヴァンテージをいくつか持っている。
その中で最も大きいのは未来情報と経験だ。
この様な交渉において未来を知っているということは相手の考えを推論する際の重要な参考になる。
そして経験は何事にも代えがたい宝だ。
一輝はこの二つを有しているという自信から未だに表情を変える事は無かった。
「ならば率直に言おう。第四計画以前も予備計画も含めてあのような計画自体が人類史上最大の詐欺だ。Fairly-tale(御伽噺)のような子供騙しに天文学的な予算をつぎ込んでいる。このような与太話を採択する上層部は既に錯乱状態、もしくは何者かに操られているのではないかと考えたくなってしまう」
「ハハハハハ。Fairly-taleですか。これはこれは。ククク」
一輝はハルトウィック大佐の使用したfarly-taleという表現を聞いた瞬間から徐々に笑い出し、最終的にこらえきれなくなって笑ってしまった。
「何がおかしいのですか!? せめてそちらの計画の1/5でもこちらの予算に回れば…大佐の『プロミネンス計画』こそが唯一現実的で、実現性の高い人類救済策だというのに」
実際問題、プロミネンス計画に回される予算はオルタネイティヴ計画の煽りを喰らっている部分が大きい。
限られた予算で何とかやりくりしていると言ってもよいのだ。
このことを良く知るジェシカは再び立ち上がって声を大にしていた。
ジェシカは一輝の笑いを、プロミネンス計画、延いてはハルトウィック大佐を侮蔑していると捉えのだ。
だがその前に一輝が謝罪を述べていた。
「ああ、笑ってしまって申し訳無い。何、私が知っている第四計画の別名と一緒であったので驚いたのですよ」
(『あいとゆうきのおとぎばなし』か。例の単語帳に出てきた英訳表現の一部が本当に聞けるとはな。と、それは置いといて、まあ普通に考えりゃオルタネイティヴ計画なんてAL1から5のどれを見ても御伽噺以外のなんでもないわな)
ハルトウィックはそれ以上笑ったことに関する追求を行わなかったために、ジェシカも追求することはなかった。
「いずれにせよ貴官らの推し進める計画は人類を消耗させ、徒に人類滅亡を早めさせているような物だ」
「だがそれは結果が伴わない場合でありましょう?」
「ほう? その言い方ではやっと結果が出てきたのか。公式発表が楽しみだな」
一輝は挑発するように返すも、ハルトウィックは軽くあしらう程度に返事を返していた。
お互いに一歩も引かない状況のように見えたが、一輝は力を抜いて背もたれにもたれかかり両手を上げていた。
「公式発表までお待ちください。そして計画にある程度の推移があったからこそ我々はここに来たのですよ。人類救済の為のさらなる力を得るために、そして我々の力が人類救済の一助になると信じてね」
「そうか、君の言がブラフではないことを祈るよ。これでも私は例の計画には反対派の者だが、それで人類が救われるのであれば問題はないと考えているつもりだからな。さて、私個人の意見は以上だ」
そう言うとハルトウィック大佐は立ち上がり、一輝のほうへ歩み寄り右手を差し出してきた。
それに対し、一輝もソファーから立ち上がり右手を出し、お互いに堅く握った。
「先ほどは色々言ったが私も人類の救済を求める同士だ。意見も違えることもあるだろうがそこだけは理解してもらいたい」
「こちらこそ秘密主義で申し訳ありません。我らの申し出を断ることもせずに受け入れていただき真に感謝しております」
一輝は本心であることを示すかのように、この言葉だけは精一杯綺麗な英語で返していた。
「そうか。それでは貴官の着任を歓迎する。私も開発計画の成功を祈ろう」
「ありがとうございます」
一輝は敬礼と共に礼を言うとハルトウィック大佐の執務室から出て行くのであった。
一輝が出て行き、静かになった室内でハルトウィック大佐は己の椅子に戻ると窓の外を眺めながらぽつりと呟きはじめた。
「さてジェシカ君。君は彼を、南武 一輝をどう見るかね?」
ハルトウィック大佐の漠然とした問いかけにジェシカは暫し考えてから話し出していた。
一輝の取った非礼とも取れる言動。
その際の表情。
一輝の一挙手一投足から得た情報を頭の中で再構築しているのだ。
「こちらの感情を故意に逆撫でして本音を出そうとするなど、年齢のわりに面白い人材だと思います」
「君もそう思うかね。ま、それにわざと乗ってみる君も相当面白い人材ということだな。この資料では彼は例の計画の副責任者らしいぞ。あの横浜の魔女が自らの手駒とも言えるような人材を送り込んできたのだ。そうでなければおもしろくない」
ハルトウィック大佐は年甲斐もなく浮かれている自分を自覚しつつも抑えることが出来なかった。
「本当に面白い人材だ。わざとらしい演技でこちらの出方を窺うと共に反計画派に釘を刺しに来るか。まあいいだろう。魔女の手で踊るのは癪だが、受け入れたからには調整役も私の仕事の一つだ」
「それでは新しいお茶をご用意しますね」
ハルトウィック大佐は執務室の椅子に深々と座ると今後の計画について新たな構想を立てているようであった。
ジェシカはハルトウィック大佐が長考の姿勢をとったことから新たなコーヒーを入れるために踵を返していくのであった。