加速に伴うGが全身を襲ってくる。
そして、一瞬の浮遊感のあと、眼前には夏の陽光に照らされ、光り輝く大海原が広がっていた。
『中隊全機、傘壱型っ!!』
空中にて散開していた12機の機体は、隊長機を中心に整然とした隊列を組んでいく。
『トップは蒼木っ!! 反町はこれを援護し、第3小隊はこの2機を援護。私と風吹は、速水。斉御司と六星は、白木を援護せよっ!!』
「了解っ!!」
区隊長の月城大尉の支持に、慶一は応えると機体をさらに加速させ、中隊の先頭へと踊りでる。
それに、隆哉の機体が続き、昴と愛美の機体がその両側へと続く。その様子を確認した慶一は、さらに速度を上げるべく、ペダルを踏み込もうとしていた。しかし……。
『馬鹿野郎っ!! 高度を上げすぎだっ!! 光線級にやられるぞっ!!』
「うおっ!? すいませんっ!!」
耳をつんざく怒声。たしかに機体は、準照射高度へと達しかけている。
前進しながら高度を下げていく慶一の目には、光り輝く海面が近づいてくる様が見て取れた。
◇◆◇◆◇
エンジンの稼働音が収まり、投影画面に機体の摩耗状況が羅列されていく。
『……総員ご苦労だった。30分の休憩の後、第2,第3区隊と共にデブリーフィングを行う。1900までに第1講堂に集合せよ』
月城大尉からの通信が終わると、『実機演習プログラムⅩ 終了』の文字列が並んでいた。
「よっと」
機体の停止を確認すると、慶一は管制ブロックを開き、ガントリーへと飛び降りる。
「ふう…………疲れた」
着地の際、膝から身体が崩れそうになり、ここの筋肉が熱を持っているかのような感覚に襲われる。
ここ数日間、丸一日機体に乗り続けているためか、疲れは全身に溜まり続けているようであった。
「なんだ、蒼木? このくらいで根を上げているのか?」
「うるせえな。お前はどうなんだよ?」
タオルを渡してくれた整備兵に頭を下げた慶一は、挑発するような物言いで声をかけてきた貴人を睨み付ける。
「……………俺も疲れた」
「………………何しに来たんだよ」
汗を拭ってそう言った貴人の言に、慶一は軽くずっこけかけるが、仲良くもないこの男が話しかけてきた以上、某かの理由はある。
「例の件だ。貴様、兄から何か聞いていないのか?」
「例の件? 演習の話か?」
「ああ」
そして、口をついたのは、今月末に控える合同演習の話であった。
この演習では、現状の訓練区隊から班長などの立場に関係なく20人の中隊長が選出され、計20個中隊となって参加することになっている。
現状、実機演習にまで進んでいるのは250名であるから、成績不良の10名は演習には参加できない。
つまりは成績が大きく関係してくるわけであるが、貴人からすると同じく隊の面々の優秀さに焦りを感じているのかも知れなかった。
(はじめは斉御司しか眼中になかったみたいだが……、隆哉や斗真の指揮には一度も勝てていないんだよな。こいつ)
貴人は中央幼年学校にて主席。士官学校の合格順位は次席であり、一門は軍中枢に何人も席を置く門閥の出である。
もちろん、席次は本人の実力であるし、慶一としても貴人の指揮が悪いとは思えない。だが本人からすれば他者におくれをとっているという事実が、焦りを産んでいるのかも知れなかった。
「俺は何も聞いていないよ。そもそも、あん時以来会ってもいないし」
「そうか…………。ううむ…………」
「そんなに考えなくても、お前が20人に入っていないことなどあり得ないから安心しとけよ」
慶一の言に腕組みをしながら、顔を顰める貴人であったが、慶一とすれば余計な事のように思えた。
多少、高慢なところはあるが、プライドの高さが原因であるだろうし、指揮自体は問題ない。区隊のメンバーが個性的すぎるために反発を買っているが、それは今後の経験次第でどうにかなるものだとも思う。
「…………貴様、嫌みか?」
「はあ? 何でだよ」
そんな慶一の言に対して、貴人は眼光鋭く慶一を睨み付ける。
だが、彼のそんな態度を慶一は理解できず、先日のけんかのようにお互いに睨みあう形になってしまった。
「おらっ!! 小僧ども、くだらんことをやってないでさっさと着替えてこい」
しかし、ここは戦術機の格納庫。当然のように他区隊の候補生や整備兵、それに基地に駐留する衛士もいるのである。
当然のように、上官に当たる月城大尉の怒鳴り声が二人の耳に届いていた。
「………………まあ、いい。さっさと行くとしよう」
「? なんだよ…………」
「ふう…………、貴様らは本当にまわりが見えんな」
「申し訳ありません」
月城大尉の姿を認めると、貴人はさっさと踵を返してしまった。
豪快肌のこの区隊長は、一般組にはウケがいいが、幼年組にはあまり好かれていないようでもあった。
もっとも、慶一自身はなぜかよく絡まれるため、苦手意識を持つまでもなかったのであるが。
今日もお約束のように小言を言われる羽目になってしまっている。
「謝るくらいなら最初からやるんじゃないよ。第一……っっっ!?」
「うわっ!?」
さらに話を続けようとする月城と慶一であったが、格納庫を揺らす突然の震動と爆音に、目を見開く。
すると、ほどなく格納庫内部に警報が轟き始める。
「何事だっ!?」
「ゲートの方でしたけど」
「事故かっ!? 慶一、とりあえず、格納庫から出る。他の連中も呼んでこいっ!!」
「救出にはいかないんですか?」
「こういう時は、自身の身の安全を確保してからだ。それに、消火や救出はプロの仕事だ」
「な、なるほど」
「それより、区隊の連中をまとめろ。…………見たくないモノを見ることになるかも知れんがな」
そう言った月城大尉の声は、普段の力強いものではなく、ひどく沈んでいるように聞こえた。
◇◆◇
金属とは別の何かが焼ける匂いが周囲に漂っている。
基地内部への延焼はすでに防がれているが、第1ゲート付近に横たわる3機の機体は、未だに炎を包まれている。
「………………うっ」
「登坂、大丈夫か? 無理すんな」
ちょうど、慶一の傍らに立っていた、登坂杏が口元を抑えながらうずくまる。
金属と共に焼けているモノがなんなのか、想像するのは容易であり、それは現状でも消えそうもないのである。
「目を背けるな。これから嫌になるほど、目にしなければならない光景だ」
そんな様子に、月城大尉が表情を消したまま口を開く。
「BETAと戦うにしろ、こういう事故にしろ、いつ死ぬかもわからないのが、軍人であり我々衛士だ。もし、この光景を見て尻込みする者がいたら、名乗り出ろ。ここから去るも良し、戦えぬ者には用はない」
真剣な表情でそう言った月城大尉に対し、候補生達は誰一人として口を開くことは出来なかった。
事故を起こした3機のうち、もっとも破損の少ない機体の候補生は救出され、先ほど担架にて運ばれていったのだが、その身体は人のものとは思えないほど破壊されていた。
現在も燃えている機体から救助されていない2名がどうなっているのか、想像に難くない。
「あっ……!?」
何か変化があったのか、誰となく声が上がる。
視線を向けた先では、折り重なるように墜落していた機体がちょうど火のない方向へと崩れ落ちるところであった。
救助部隊がすぐさま機体へと向けて駆け寄っていく。
「………………」
その時、何を思ったのか、慶一はゆっくりと機体が折り重なる場所へと歩き始めていた。
「お、おいっ!! 蒼木」
「いい」
背後から誰かの声が聞こえ、それを止めたのは月城大尉であろう。そして、慶一の背後に、彼に続く足音が二つほど聞こえてきた。
「むっ!? 候補生か? 危険だから下がれ」
そんな慶一と他二人の姿に気付いたのか、救助部隊の兵士が声をかける。しかし、そんな慶一達に思わぬ助けが入ることとなった。
「あー、軍曹、今だけは許してやってくれ」
「兄者…………」
「ちゅ、中佐殿? しかし…………」
「悪いな。特別扱いはするもんじゃないとは思うんだけど、顔ぐらいは見せてやってくれ……」
兵士との間に割ってきたのは、蒼木柊一中佐。今回の事故で、現場へと駆け付けてきたのであろう。
「分かりました。君達、顔を見るだけだぞ。ついてこい」
そう言って、兵士は作業に当たっている仲間達の元へと走り、慶一達はその後へと続いた。
「慶一君、やっぱり…………」
「事故があったのは、第3区隊。だそうだ……」
背後からの聞き覚えのある声、一緒に来ていたのは予想通り、楓と隆哉であったようだ。
二人の言に何も答えずに歩みを進めた慶一が、機体の側にまで近づくと、途端に熱気が周囲を襲っていた。
救出部隊は全員防護服を着ているが、慶一達は衛士強化装備を着ているため、マスクのみを渡されただけである。
そして、切り離された管制ブロックから落下してくる衛士。
兵士達に支えられ、担架へと運ばれていくのは、成人男性のように大柄でありながら、女性独特の起伏に富んだスタイルと短く切りそろえられた黒髪が、周囲に活発そうな印象を与えるであろう、女性衛士であった。
「紅條…………」
「そんな…………」
担架に横たわる、まだ少女と呼んでいい衛士の姿に、慶一も楓もそう声を振り絞るしかなかった。
顔に傷があるだけで、まだ見れる状態であったのはせめてもの救いであったのだろうか?
「まだ、息はあるんだっ!! どけっ!!」
そして、その一瞬のの邂逅は、兵士達の怒声によって終わりを告げる。
3人の様子から事情は理解していたようであるが、助かる可能性のある命を感傷事で散らせていいはずもないのである。
「大丈夫だ……、きっと助かるさ」
そんな3人を慰めるような蒼木の言も、今は白々しくとしか聞こえなかった。
◇◆◇◆◇
事故から数日。
結果として、事故を起こした当人と重体であった候補生の計2名の死亡が確認され、紅條麗佳候補生は、未だにICUにて治療中という状況であった。
『訓練途上で死ぬ人間はどのみち生きることは出来ない。何より、諸君らは今後は部隊を預かる身である。自身の失敗が隊の全滅を導くと言うことをしっかり自覚していて欲しい』
事故翌日の小沢校長からの訓示である。
そして、事故を受けて数名の候補生が自主退校を申し出たため、士官学校全体が、どことなく動揺しているようにも感じられた。
そして、慶一自身も、幼少からの友人の負傷に冷静でいられるほど無情な人間でもなかった。
「蒼木、今日の訓練態度はなんだ?」
「申し訳ありません」
各区隊の教官の集まる執務室である。
室内では、他区隊の候補生達も数人おり、ほぼ全員が慶一と同じよう理由での呼び出しを受けていた。
「まったく…………、思っていたよりも打たれ弱い男だねぇ。そんなんで、部下達を危険な目に会わせる気かい?」
長い説教が終わり、ついでに頬に一発もらった慶一であったが、そう言った月城大尉の表情もまた、普段ほどの気骨がないように感じていた。
(大尉も……、なのか?)
「聞いているのか?」
「あ、はい。いいえ、危険な目にあわせるつもりはありません。それと、部下とは?」
「慌てすぎだ。馬鹿者……。それと、部下というのは、次の演習、そして、貴様が任官後の話だ」
「え、演習でありますか?」
「ああ。どういう人選だか分からんが、うちの区隊からは貴様と反町、風吹、栗原の4名が選ばれた。だが、そんな状態では、取り下げも考えんといかん」
月城大尉の言は、慶一にとっては青天の霹靂とでも言える話である。他の3人は、指揮に関しては納得もいくが、自分の可能性は低いだろうとも思っていた。
なにより、現状では、自分の指揮の失敗があのような結果を生む可能性もあることを植え付けられているのである。
取り下げが可能であれば、それはそれで僥倖であるのだ。
「か、可能な……がっ!?!?」
それを口にしかけた慶一であったが、言い終える前に頬に感じる焼けるような痛み。背中を壁にぶつけた後、殴り倒されたことをようやく理解した。
「甘えんじゃないよっ!! 今回の件だってなあ、どれだけの人間が自分を責めていると思ってんだいっ!! 区隊を率いる常磐も、班長である崋山院も、同隊だった黒木も、みんな自分を責めているんだよっ!! それでも、自身を見失わずに職務に臨んでいるんだぞっ。てめえはいったい何だっ!? ウジウジとしやがって。そんなことで、BETAに勝てると思っているのかっ!!」
「BETA…………」
「蒼木……、少なくとも、貴様は志願してここに来たんだろう? それはBETAを倒すためじゃないのかい?」
「…………その通りです」
「それじゃあ、あんたは、誰も犠牲にせずにBETAと戦う気かい?」
「可能であるならば」
「ほう。よく言った。それじゃあ、こんなところでウジウジしている場合か?」
「――――――っ!?」
「犠牲も無しに勝つ? 言うだけなら餓鬼でも出来る。貴様は、すでに軍人なんだ。自身の言動にも責任を持たなきゃならん。だったら、自分が今しなければならないことをしっかりと自覚しろ」
◇◆◇
「…………ふう」
慶一を見送った月城は、自身の鼓動を抑えながら席へと腰掛ける。
ああ言った手前、動揺を見せるわけにはいかなかったが、候補生の死に動揺しないほど冷酷な人間は少ない。
皆、感情を抑え、すべてを割り切っているだけなのである。
「お疲れ様です」
「あ、すいません」
「なに。大演説でしたな。月城大尉」
「師岡大尉。やめて下さいよ」
そんな月城の手元に置かれる一杯の珈琲。
それを用意した師岡幸策(もろおか こうさく)大尉は、候補生達の座学などを受け持っている年長の教官である。
分厚い眼鏡から放たれる眼光は鋭いが、外見のイメージは、軍人と言うよりも堅物の教師と言った印象を与える人物で、外見の通り、厳しく堅実な指導には定評がある。
元々、教員からの志願者という変わり種であるが、それゆえに教育畑は天職とも言える人材であった。
「しかし、蒼木候補生ですか……。第1区隊は逸材揃い。との印象でしたが……」
「やはり、感じますか?」
「ええ。誰も犠牲にせずですか……。誰もが最初は考えることではありますが……」
「真面目はヤツだけにね……」
「ええ、自身の命などを顧みない。ある意味、一番やっかいなタイプですな」
「そうですね。実機訓練では、教科書通りに割り切ることは割り切りますが……」
「なるほど。…………大尉、大事に至らぬようにしてやるのも、あなた方の役割ですよ。あなた方は、彼らだけなのですから」
「ええ…………」
同階級とは言え、相手はベテランの教導官である。そんな年長者の言には、歴戦の月城といえど、素直に頷くしなかなった。
◇◆◇◆◇◆◇
1990年7月30日 日本帝国領 扶桑諸島近海
艦隊からの砲撃が、機体を揺らしている。
上陸作戦における最初の砲火は、帝国の誇る帝国連合艦隊の艦砲射撃によって口火が切られる。
上陸地点に点在するBETA群を一掃し、そこを確保するためである。
『すごいものだな』
「ああ」
『おいおい、随分元気が無いじゃないか』
「うるせえな。緊張してんだよ」
『ふむ。まあ、俺を押しのけている以上は、勝ってもらわなければな』
そんな砲撃の様子を黙って見つめていた慶一は、同中隊に属すことになった貴人の言に素っ気なく応える。
あれから数日後、20名の中隊長が選出され、それに伴う形で各中隊が編成された。
慶一達第1区隊からは、月城の言の通り、慶一、隆哉、斗真の3人が選出され、名前の上がっていた楓と月奈、貴人の長二人は選出されることはなかった。
2人の落選には、随伴の斯衛達から反発の声もあったが、そう言った言は一切無視され、それでも反発を続けていた斯衛数人が今回の演習から外されることにもなった。
先日の事故に続く候補生の離脱は、結果として240名の20個中隊の定員通りに合同演習への傘下となったのは皮肉と言えるかも知れなかった。
そして、中隊長に選出された慶一の元には、第1区隊から六星貴人と神村香奈子の犬猿コンビが配属されている。
さっそく、頭を悩ませる要素が組み込まれており、月城の叱責によって吹っ切れたつもりになっていた慶一は、再び頭を抱える羽目になっていた。
『HQよりエコー揚陸部隊。上陸を開始せよ。繰り返す、上陸を開始せよ』
「っ!? よ、よしっ!! みんな行くぞっ!!」
『了解っ!!』
HQからの通信に、慶一は強引に緊張を押さえ込み、腹の底から声を張り上げると、スロットペダルと踏み込む。
部隊の先頭に立って機体を走らせる慶一の目には、陽の光を輝かせる海面と、豊かな自然の残る孤島の姿が映っていた。
一つの悲劇から数日。候補生達に与えた衝撃は決して小さなものではなかったが、世界中を覆う悲劇の歴史においては、ほんの一行の記述が加わったことに過ぎなかった。
そして、候補生達を待つ未来が、平穏であることもまた、かなわぬ事なのである。今回の悲劇は、その一端でしかなかった…………。