「1990年代の当時、俺達技官は在日国連軍にあてがわれた基地に、頻繁に通っていた。
大陸のナマの実戦を体験した衛士、整備兵……そういった連中に話を聞くためだ。
正直、正規ルートで国防省あたりから降りてくる情報は、精度が低かったからな」
東京・市ヶ谷にある憲兵隊司令部。
その一室に招かれた有藤は、出された合成コーヒーで時折唇を湿らせながら、言葉を続ける。
尋問ではなく、自発的協力者という扱いのため、広い部屋で聴取が行われていた。
ソファーに座る有藤の背後には、中津川憲兵中尉が直立していた。
有藤の前にある机の向こう側で、今回の事件の調査に当たって集められたという士官や現役技官が耳を傾けている。
「で、大陸戦線の惨状を聞くに、帝国の戦術機開発はこのままじゃ駄目だという結論に達した」
「……具体的に、どこが駄目だと判断したのかね?」
陸軍中佐の階級をつけた男が、代表して質問を発する。
「簡単にいえばだな、当時の帝国軍は短期決戦主義だった。斯衛軍も同じだ。
技術陣の体制も、これに応じたものだった。
だが、対BETA戦は例外なく長期の消耗・持久戦になる……実際に戦う将兵にとって大問題だが、技術屋にとっても無視できない事態だ。
新型戦術機や、既存戦術機改修に必要なリソースが、どんどん先細りしていくってわけだからな。
兵器を扱う兵士の質もまず下がるから、その対策も考えなきゃならない」
中佐は、苦いものを含んだ顔でうなずいた。
1998年の本土防衛戦から、戦況が一応の安定を見る2002年の数年間ですら、日本帝国は甚大な被害を蒙っていた。
もし、本土での戦いがあと1年続いていたら……日本が受けたダメージは、現在の比ではなかっただろう。
いや……日本という国自体が消失していた可能性すら、十分あったのだ。
「その前提に立って設計した試98式は、第三世代機全盛期やさらにその次に備えての、新技術試験も視野に入れた機体だ」
機体各部をオプション化し、あるいは追加装備を接続するためのハードポイントを設置。
新技術試験のために、いちいち別の試作機を仕立てなくても済むようにして、将来のリソース減に備える意味があった。
元来、戦術機自体が『マニュピレーター』というハードポイントの一種に様々な装備を持たせることを長所とする兵器だ。
それを全身に活用しよう、というアイデアが出たのは有藤にしてみれば必然だった。
「オプション装備をつけない、素体のまま戦術機としても使えるようにしたのは……いざとなったら、実験向け機能をオミットした上で量産機に横滑りさせる事も考えていたからだ。
とにかくあの時期は、時間との勝負だった。やれることはやれるうちに、一秒でも速く! が現場の合言葉って具合さ」
「00式・武御雷の原型機とは、技術的に兄弟機になるとか?」
「ああ……兄弟といっても設計概念は赤の他人ほどに違うが。
武御雷原型機のほうは、オレのチームじゃない連中が、お馬鹿武家の注文通りになるよう辻褄合わせたモンだ」
悪意と敵意に満ちた有藤の発言に、何人かの傍聴者が眉をひそめた。
「過剰性能っていう言葉を知っているか?
紙の上の数字じゃご立派だが、実用面では不要か、あるいはかけるコストに比して価値が低い性能の事だ。
これに固執するのは、生産から整備・操縦全面に渡って悪影響になる。
武御雷の原型機は、その塊さ……もっとも、武家の時代錯誤加減は、オレの予想の最悪さえ上回ってくれたがな」
武御雷原型機のネガティヴな部分を潰した量産試作機が、斯衛軍に引き渡されたのは、1998年。
朝鮮半島が陥落確定となる前後であり、前線部隊は一機でも多くの優秀な戦術機を必要としていた。
ところが斯衛軍は、そのまま量産ベースに載せず、
『搭乗予定衛士の身分に合わせて、機体の性能及び仕様に差をつけよ』
と、改めて命じてきた。
そして、そのために必要な人員を、有藤のチームからも引き抜こうとしたのだ。
これに有藤はぶち切れた。
いや、それまでも切れた事は何度もあったが、これは極めつけだった。
過剰性能を求めることは、敵に歯が立たない低性能よりはまだマシであるから、我慢を重ねれば理解できない話ではない。
だが、斯衛のさらなる要求は軍事的に無益有害であった。
時間が黄金や宝石の山よりも貴重だったタイミングでのこの注文には、武家への絶対服従が叩き込まれていたほかの技官達も反発。
九州あたりに配備された国防の一線部隊すら、旧式の撃震を未だ主力から外せない状況なのに、何を無駄な……! というのが偽らざる怒りであった。
――激しい技術側の抗議の結果は、誰もが知る通り。
有藤は『見せしめ』にトバされ、武御雷の合計六種のバリエーション機熟成のために二年の時間と、他の戦術機の開発・改良に使うべき予算・機材・人員を取られた。
「対して試98式の素体は、整備性や操縦性を含めたトータルバランス重視の『軍馬』を志向した。
何か突出した性能が必要な場合は、オプション追加で対応する――まあ、当時の技術レベルの問題もあって、多くの追加装備はペーパープランだったが」
話が本筋に戻った所で、士官の一人が情報端末を取り出した。
戦術機の記録から抜き出したらしい、荒い静止画を画面に表示させて有藤に見せる。
「……その追加装備の中に、こういう物はあったのかね?」
「――似たような物はあった。打撃力より移動力や機動性が重要な場合に兵装担架を撤去して取り付ける、大型の可動式スラスターだ。
ただ、記憶にあるものと違うのは大型の翼がついている部分だな……」
有藤は小首を傾げた。
そして記憶を探りつづけ……不意に顔色を青く変えた。
「戦闘記録そのものの閲覧は、できないのか?」
もどかしそうに貧乏ゆすりを始めた有藤に、陸軍中佐は首を横に振って見せる。
「残念ながら、高度機密に指定されている。静止画を見せるのさえ、本来は破格の事だと理解して欲しい」
有藤は、口元を歪める。
「……大型スラスターを装備し、全身のパーツも長距離侵攻用に変えた仕様は、開発チーム内じゃ『タイプS』と呼ばれていた。
いいか、Sは『S-11』からとったものだ!」
「なっ……!?」
S-11――核兵器に匹敵する破壊力を持った、高性能爆弾。
独自の核運用能力を持たない日本にとっては、単純な破壊力において最高の兵器といっていい。
飛び出したその名に、部屋の温度が一気に下がる。
「ハイヴに侵入し、運動性を生かして敵をかわして反応炉に到達……S-11で攻撃をかけた後、安全圏に離脱する――そういう機能を持つ予定だった。
無論、1998年当時は『実現可能性かどうかを、調べ始める』という程度しか開発が進捗してなかったが。
もしそれが実現して対人戦用に転用していたとしたら……強襲型のテロ攻撃には、最適の戦術機になっているはずだ!
仮に今回の事件の犯人がS-11を保有していなかったとしても、毒ガス弾でももっていれば――」
有藤の唇が、続く言葉を飲み込んだ。
傍若無人な技術肌であっても、自分の設計した機体が大量虐殺に使われる想像図を口にしたくはなかったのだ。
「弱点は?」
「脚部や腰部の装甲部分をもサブ・スラスター内蔵パーツと燃料タンクに変えたタイプSなら、防御能力はかなり低下しているだろう。
まともな対装甲火器を直撃させれば、撃破は十分可能だ。
一見して分かるとおり、武装のペイロードは撃震にも劣る。最低限の突撃砲と、後はS-11をもてればいいからな。
……別のプランを実現させていて、装備を変えてきたら違う機体を相手にしていると考えたほうがいいがな」
それまで傍聴に徹していた現役の技術士官が、たまらないといった様子で声を荒げる。
「厄介な……!」
「仕方ないだろう!
敵に回して厄介じゃない兵器なんぞ、味方が使ってもろくな役に立つか!
全タイプに共通する弱点といえば、使われない拡張機能がデッドウェイトになる……あとは、オプション装備の換装に専門施設がいるあたりか。
しかもこれらの弱点は、1998年時点から改善されていない、という前提においてだ!
最初から高機動型として完結した量産型構造になっているのなら、他タイプへの換装は無視していい代わりに、単体での完成度は上がっていると考えられる!」
有藤への聴取は、一旦休憩となった。
陸軍中佐らは、上層部に聴取内容を報告するとともに、さらなる調査権限拡大を掛け合うために姿を消している。
「……酷いもんだ。オレのいた頃より、企業を含む帝国技術陣はもっとタチが悪くなっている」
「何がです?」
「自分達が出来ない事を素直に出来ない、と言わず……責任を転嫁して誤魔化すやり口だけは上手くなってるって事さ。
これじゃ技術者じゃなくて、官僚だ」
中津川が持ち込んだ端末で有藤が閲覧しているのは、不知火改修計画にまつわる記録だった。
「不知火の改修ができないって話を、新型国産機を開発しているから手が足りない、とかコストの問題に摩り替えている。
1998年に壱型丙開発が事実上失敗した例……そして口実にした新型国産が今になっても出てこない現実を見れば、真相は明白さ。
技術革新ができたわけでもなく、何より開発環境が劇的に悪化している以上、再度の改修の失敗は確定的。だから、話を進めて欲しくない――本音はそれだ。
事前に手を回したんだろう」
相変わらず背後の位置をキープしている中津川は、少し黙り込んだ。
現在の帝国最新鋭機である不知火弐型開発に繋がるXFJ計画については、政治家と軍人・企業の癒着や裏工作のキナ臭い噂に事欠かなかった。
噂の大半は、XFJ反対派が流した中傷だったが、残りは……。
当時を思い出しながら、憲兵中尉は何食わぬ顔で話を続ける。
「……予備役技術大尉がやれば、何とかできた、と?」
「そこまでうぬぼれちゃいない。アメリカへの改修丸投げは、不知火を使い続けるって前提が外せないなら恐らく唯一の正解だろう。
1990年代の開発時に、拡張性に問題がある仕様を強要しながら何を今更! と怒鳴るぐらいさ。
不知火の開発現場からは、途中で外されたんだから責任は持てん」
「はあ」
「オレは、最初の国産機は支援攻撃や拠点防衛を用途とする、補助任務機で出したかったんだ。
主力クラス開発は、それでさらにノウハウを蓄積した後のほうが良いって考えたからな。
トータルで見て、F-15 イーグル……陽炎を超えた機体が出来るって自信がなかった……」
有藤の意見では、当面の主力を務めるのは『第三世代技術で近代化改修したF-15J 陽炎』が最適、としていた。
が、帝国軍の決定は逆に陽炎の調達削減、というものだから話が合うわけがなかった。
「そうだったのですか」
ここでさらに水を向ければ、恨み言を含めた昔話が始まる、とそろそろ学習した中津川は、適当に相槌を打つだけに留めた。
そして、話を変える。
「1998年というのはやはり大きな節目でしたな……我が国にとって」
端末に伸びていた有藤の指が、動きを止める。
「ああ……光州作戦の失敗から、本土防衛戦の大敗、日米安保破棄。悪い話ばかりだった。
今でも行方がわからん知り合いは多い」
しみじみとした言葉に押しかぶせるように、中津川が語気を僅かに強める。
「――そんな混乱期だからこそ、何者かが試98式をどこかへ持ち出す事ができた」
む、と有藤が唸った。
憲兵隊がデータ閲覧をさせているのは、何も接待ではない。
今回のテロ事件の解決に、協力してもらうためだ。
出来る限り、1998年当時の情報を集める必要がある。
そして、現在の技術レベルで改修されているらしい試98式の予測データも出して貰わねばならない。
「試98式は、貴方が主導した戦術機、ということで軍主流からは干されていた。
断片的な記録を見た限りでは、その分だけ管理も甘かった様子。
心当たりはおありでしょう?」
「……まあ、な。馬鹿な口出しをされないのはありがたかったが、予算と機材……何より人員の手当てには苦労したもんだ。
普段はあまり戦術機開発に絡まない海軍に、交渉上手な部下を送って実験名目で予算をねだったり……。
特に戦術機用OSや操縦システムの専門家は、問題児でも我慢して使わなきゃならなかった覚えがある。
開発につまると、上から真っ先に後回しにするよう命じられた部門だからな。
優秀な奴は、まずなりたがらなかった」
軍からすれば最大の問題児はあなたでしょう、という言葉を飲み込み、中津川は相槌を打ってみせる。
「衛士の技量と経験でカバーできる話なら、先送りでいい。我が帝国軍将兵の質は世界一である! みたいな台詞を、れっきとした将官が真顔でいうんだ。
操縦の負担が重ければ、ベテランだってミスしたり体力を消耗してあっさりやられちまう実情を知らないか、知ってても幻想を優先させているのさ。
そこを少しでも何とかしようって血反吐吐いてる連中が、あんな台詞を言われちゃ……。
ソフトウェア関係者がでかい顔できてたのは、ハード側を弄る余地がない不知火の、バージョンアップ担当部署ぐらい――」
肩を竦めて言葉を並べていた有藤の頬が、不意に引きつった。
勢い良く中津川に向き直る。
「……おい、待て! 今回の京都爆撃に、オレのチームの構成員だった奴の関与を疑っているんじゃないだろうな!?」
「疑っています。テロで使われた試98式は、本土防衛戦のどさくさで盗まれた物だ。最低でも、ベースになっていると見るほかありません。
いかに混乱していたとはいえ、機材の持ち出しは内部の手引き無しでは不可能だ。奪取後の改良も――」
「ふざけるな! アホな上層部に不満を持つことと、自分の国を攻撃するって話の間にある落差を考えろ!
BETAの目の前でクーデターを起こした、殉国者気取りのクソどもじゃあるまいし……!」
怒鳴りつけられても、憲兵は小揺るぎもしない。
「自発的意思でやった、とまでは言ってはおりません。
脅迫、懐柔、誘導、洗脳……つけこむ隙があれば、『転ばせる』事を専門にする連中は、いつの時代もいる。
火種のない所を火事にするのは不可能でも、火種を煽り別の方向へ風を送るのは可能です」
歯噛みする有藤の目から、ふっと力が抜けた。
憲兵の言い分が正しい事を認めたのだ。
しばらく苦悶するように目を閉じてから、有藤はしぶしぶといった風情で口を開く。
「――人員の中で、オレが一番保証できないのは、開発衛士陣だ。
試98式はその特性上、素体はともかくオプション装備試験では、多種多様な状況に対する能力が求められたからな。
が、上は当然出し渋って……。
仕方ないから、札付きの人員を受け入れた」
「札付き?」
詳しい事情はわからんが、と前置きして
「命令違反クラスの重罪で、軍法会議にかけられていた衛士達だった。
容疑事実となる前提が消滅した、とかで放免にはなったんだが、そんな連中だから宙に浮いていてな。
ともかく有罪にはならなかったし、大陸帰りで実戦経験があり腕が確かなら、と引っこ抜いた……」
と、渋い表情で有藤は言った。そして、大きな溜息をついた。
憲兵隊本部で、技術者と憲兵が会話を交わしているのと、同時期――
昼下がりの海に大きな航跡を描きながら、一隻の艦艇が進む。
浮かべる城という古典的な形容が似合うそれは、日本帝国海軍所属の戦艦・紀伊だった。
排水量十万トンを超える世界最大級の戦闘艦は、孤影だけを供に日本に舳先を向けていた。
対BETA戦線の押上げが世界レベルで成功し、戦いが沿岸部から離れつつある現在、金食い虫の割りに使い道がほとんどなくなった戦艦部隊は肩身の狭い扱いを受けている。
戦艦をこのまま現役で残す、という意見は海軍軍人の間ですら少数派。
未だ戦艦を必要とする国連軍ないし友邦に貸与か譲渡となる、そうでなければ順次廃艦――というのがもっぱらの噂だ。
海軍は、戦艦の廃止と引き換えに悲願である固有の戦術機部隊設立(現時点で保有するのは攻撃機・A-6J 海神のみ)を、と要求しているがどうなるかは不透明。
いくらBETAの脅威が及ばない中部太平洋の安全海域とはいえ、単艦航行を行っていることが、現在の扱いの一つの象徴でもある。
より正確には、二隻の護衛艦がついていたのだが、彼らは日本で起こったテロ事件を受けて、本土近海の警戒に参加すべく先行していた。
紀伊の艦上には、多数の防水梱包されたコンテナが並べられ固定されている。
本来なら、哨戒ヘリが格納されているスペースにも、荷物がぎっしりだ。
コンテナの中身は、海外に移転して未だ日本への帰還がかなわない工場で作られた物資。
第二次大戦の負けが込んだ時期には、戦艦が輸送艦代わりにされた事例があったそうだが、
『戦艦は、勝っていてもこの扱いか』
と、乗組員達を腐らせている。
日本の安全化と、全人類の優勢は喜ばしいことだが、それとは別の次元で、自分達が不用品扱いされてうれしい兵士はいない。
紀伊の対空・対水上監視は規定どおり行われているものの、ルーチンワーク化が著しい。
そんな紀伊を、じっと見つめる『目』があった。
『目』の持ち主は、単純な航路を進む紀伊の未来位置を予測し、先回りするように動いた。ゆっくり、密やかに。
「……ん?」
紀伊のCIC(中央戦闘指揮所)で、退屈そうに各種情報画面を眺めていた当直士官が小さく声を上げた。
戦艦、という艦種は基本的に対水中戦闘は考慮しておらず、攻撃手段も持っていない。
対潜水艦任務、あるいは水中移動するBETA対策は、駆逐艦以下の小艦艇の仕事だ。
が、全く無防備というわけにもいかず、申し訳程度には水中索敵システムが積まれている。
そのシステムが、自然の物ではない音響の接近を捉えたのだ。
スクリュー音――人工の、潜水物体が音源と思われた。
「おいおい、勘弁してくれよ」
士官は、愚痴をこぼした。
地理的に考えれば、まず間違いなくアメリカの潜水艦だ。
1998年の日米安保破棄以来、微妙な関係が続く超大国の事を思い浮かべ、士官はさらにうんざりした気分になる。
公海上では、潜水艦は浮上航行の義務はない。
が、水上艦艇からすると気分のいい話ではなく、事故への備えもいる。
規定に従い、艦内に警戒体制への移行を促す作業を行いながら考えを巡らせていると、音源は紀伊に接近しつつも浮上を始めた。
「……なんだ、挨拶でもしてくるつもりか」
魚雷の必中圏内に侵入し、しれっと浮上してみせるのは潜水艦乗りにとっては最高の『礼』だ。
まだ東西融和が鈍かった時代に、東側の潜水艦がアメリカ空母にこれをやって、技量と性能を誇示した事例がある。
(もちろん、やられた側の対潜部隊にとっては最高の屈辱)
単艦航行の戦艦相手に、無意味な示威をするとは暇な――舌打ちしつつ士官は、海上を映すカメラ画面に視線を流した。
波を割って現れたのは、潜水艦の流線型をした艦首……では、なかった。
『手』。
五指を備えた、人間の手に酷似した物体だった。
「…………!?」
『手』に続いて腕、そして体が海面にのし上がってくる。
人型の上半身を海面に晒した『そいつ』は、爆発的な加速で海水を蹴り立て、紀伊の右舷側に突っ込んで来た!
ハイドロジェット、という単語が士官の頭の中に咄嗟に浮かび上がる。
次いで、今自分が目にしているのは人型の兵器だ、と認識する。
「敵襲!」
ようやくうわずった声を上げた士官をあざ笑うかのように、『そいつ』は紀伊の艦体にしがみついてきた。
ここまで密着されては、近接防御火器でも狙えなかった。
いかに紀伊が巨体であろうと、全長二十メートル級の物体に取り付かれれば、衝撃は馬鹿にならない。
紀伊艦内が、動揺した。
日本帝国は、海洋国家だ。
周囲を海に囲まれ、シーレーンの維持なしにはまともな経済も回せない。
対BETA戦という見地から見ても、光線属種に対する安全ゾーンとして使用可能な水中の積極活用は、検討されてしかるべきだった。
が、世界的に見ても『水中行動可能な戦術機』というのは皆無であり、攻撃機を含めてもA-6系列がある程度だ。
戦術機の形式番号や命名規則が、今は消えた航空機の規則に則っているのに象徴されるように、まず飛行可能であることが戦術機のスタンダード。
水中活動に必要な能力は、それと相反するのだ。
通常型戦術機の構造を流用してコストカットを図った上で、水中工作・作業もしくは戦闘力をもたせた機体――
そんな可能性を検討したのは、日本帝国においては試98式開発チームのみであった。
何者かがペーパープランを現実の物に仕上げた試98式『タイプM』は、甲板上のコンテナを押し潰しながら、紀伊の艦上へと身を押し上げた。
素体を『人体』に見立て、その上に『潜水服』となるオプションをつけた形状は、人型というよりは過去の特撮映画に出てきた海棲モンスターめいている。
そのコクピット席に座る人物が、呟く。
「海軍に直接の恨みはないが……我等のメッセンジャーになって貰うぞ」