基地の通路で倉野少尉と相対したまま有藤は、1998年の日本帝国の状況を思い出す。
当時、日本帝国は世界有数の軍事大国であった。
どれほど軍が強大だったかというと、度重なる消耗戦と内乱で苦しんだ直後の大作戦である甲21号作戦(2001年)でさえ、千機以上の戦術機を第一線で動員できた。
しかもこれは、帝国軍の軍籍下の数であり……斯衛軍や、国連軍に供与名目で出した戦力を合算すれば、実質はさらに跳ね上がる。
これほどの軍隊が一朝で用意できたわけではない。
長年、軍備増強に励んできたゆえである。
冷戦期、東側の実力を過大なまでに評価していた西側にとって、日本帝国が(第二次大戦期の侵略を繰り返さない範囲において)軍備を整えるのは歓迎すべきことであった。
そしてBETA大戦が勃発すると、激戦地となった欧州や中東を支援するために極東アジア地域のアメリカ軍は次々と引き抜かれ、その空白を埋めるため帝国軍はさらに規模を拡大。
ソ連や中国、アメリカや欧州各国が軒並み戦力を低下させる中、急激な戦力拡張を成し遂げた。
にもかかわらず、本土防衛戦は無残な敗北の連続であった。
なぜ、このような結果が出たのか?
原因のひとつとしては、装備の質に問題があったことが挙げられる。
その一例を挙げれば、戦車砲の弱さ。
帝国軍の主力戦車である90式戦車の主砲は、西ドイツ製44口径120ミリ滑腔砲のライセンス生産品。
カタログ上は十分な威力があるはずであったが、実戦では力不足を露呈していた。
日本帝国の工業は、軍部はもとより政界や官界そして武家と長年癒着した財閥系企業が支配している。
労働者の立場は弱く、熟練した技術者が育ちにくい。
低賃金で工員を使い捨てにし、価格を下げることによって国際競争力を確保する――典型的な安かろう・悪かろうだ。
これは、第二次世界大戦以前から続く構造的なもの。お蔭で、生産される物品の質は一定せず劣悪なものも少なくなかった。
帝国の工業製品、特に兵器の公試データが2000年代現在でも、国際社会であまり信用されない理由のひとつだ。
WW2敗戦後の民主化改革によって、多少は改善されたものの産業界全体の体質を変えるまでには至っていない。
120ミリ砲もまた、オリジナルに比べて出来が悪いものばかりであった。
そのツケは、戦場の兵士達に来た。
帝国軍戦車隊は、何発も直撃させた砲弾が簡単にBETA(突撃級)に弾かれたために大混乱に陥ったのだ。
斯衛軍の身分別機体開発に象徴されるように、無駄遣いとしか思えないような部分にさえ潤沢な人的資源(希少な熟練技術者)と予算を戦術機関連に回しているのが帝国軍のいびつさ。
その分、他兵科に回る国家資源が少なくなっていたことも影響していた。
本土防衛戦で日本第一の盾となった西部方面軍(主力は北九州駐留)の戦車隊すら、カタログデータよりかなり落ちる砲を使い、BETAに蹂躙された。
「戦術機だけでいくさができると思っているのか」
という恨み節が前線部隊を中心に噴出したが、無い袖はどうやっても振れない。
機動力に劣る戦車が、主目標である中~大型BETAをまともに撃破できないというのは死活問題。
対人戦では火力と並ぶ戦車の利点であったはずの、防御力や生存性という面はBETA相手には通用しないケースが多いため、帝国戦車隊は戦力価値を大きく落としてしまっていた。
帝国の内情は、多くがこのレベルであった。
軍規模こそ世界有数であるが、質的には不安要素だらけ。
日本帝国が現行の日本帝国であろうとする限りメスを入れるのが難しい、社会構造や思想・慣習・伝統そのものに原因がある問題も少なくなかった……。
これらの膿が、まとめて噴出したのが京都防衛戦だ。
防衛戦の主力を務めたのは、日本帝国軍第1師団と斯衛軍第2連隊だが……すぐに半壊状態になった。
救援にかけつけた諸隊や、近畿各地で防衛に従事している部隊も急速にぼろぼろになっていった。
作戦においては、戦術機に横陣を組ませてBETAの集団に正面から近接戦を挑む、という戦術を多用したミスがあった。
これは見た目こそ勇壮ではあるが、損害の割に戦果が挙がらない戦い方。
突撃級の集団に、半ば棒立ち状態で効果の薄い砲撃を行った後、無残に突進を喰らってやられる――そんな帝国軍機が続出。
到底BETAと正面から殴りあう力を、帝国軍は持っていない。彼我の力の差を見誤った、ある意味当然の結果。
優遇されていた戦術機隊がこんな状態であるから、他の兵科の苦闘はそれ以上。
恐怖と絶望に押しつぶされそうになる兵士の多くは、安全規定を超えた薬物や催眠暗示漬けになり、辛うじて戦闘を続行していた。
実戦部隊の神経をさらに苛立たせたのが、交通規制の失態である。
一度後方へ避難したはずの民間人が、大勢戦闘区域に戻ってきたのだ。
皇帝陛下や帝都と運命を共にしたかった、というのが民間人らの主張だが……自決じみた行動を容認できるわけもなく、再度彼等を避難させるためにいらぬ労力を取られた。
……帝国首脳は、防衛戦開始当初から
『民間人を巻き込む恐れのある戦法は許容できない』
という主張を繰り返し、大量破壊兵器はおろか支援砲撃にすら制限を幾度もかけていた。
当然、共闘するアメリカ軍や国連軍は反発した。大陸で実戦経験を積んだ帝国軍人も。
BETAの急速侵攻に対して、民間人や友軍との混在を防ぐのはまず無理。
味方殺し・虐殺者の汚名を着る覚悟で、助かる確率の低い者達ごとBETAを吹き飛ばし、他の命を辛うじて救う……ユーラシア大陸各地で、繰り返された光景だ。
それでも頑として主張を変えなかったため、大勢の将兵と本来は助かるかもしれなかった民間人が死傷していた。
にもかかわらず戦地に戻った民間人(及び、それを止められなかった関係各署)へ兵士達が向けた視線に憎悪が篭っていても、誰が責められようか?
崩壊寸前の帝国軍を支えたのは、在日米軍や緊急展開した米海軍・太平洋艦隊だ。が、彼らもまた苦しんだ。
政治的外交的理由に縛られた、米軍本来の持ち味が出せない消耗戦により膨大な損害が発生しており……アメリカ本国では反日感情が跳ね上がった。
短期間で西日本を蹂躙され、京都を陥落寸前にまで追い込まれ。ようやく甘い人道性など発揮できる情勢ではない、と気づいた帝国首脳は面制圧砲撃と軌道爆撃を解禁。
(実際には、現場指揮官が味方の苦戦に耐えかねて独断砲撃したのを追認したものであった)
その効果は絶大であり、一時的に戦線を押し戻すことにも成功したのだが……それまでに蒙った損害が大きすぎた。
米軍とともに帝国を援護していた在日国連軍の指揮官が、
『BETAは別に日本の首都や要人を狙っているわけではない。
連中が反応しているのは、高度演算装置を使う有人兵器群――特に戦術機だ。
狭い京都に無理な戦力集中を繰り返す姿勢こそが波状攻撃を呼んでいるし、こちら側の作戦自由度にも悪影響が出ている』
と提言し、戦力を広域展開させ、陽動と海上からの支援砲撃によってBETAの突破衝力を分散させるべきだと勧めたが、帝都死守にこだわる帝国側は拒否。
BETAの再攻勢を受け、一ヶ月ほどの防戦の後に帝都防衛は誰の目にも不可能となる。
こうなると避難を勧める意見を蹴り、防衛戦当初から残留した皇帝とその全権代行である政威大将軍はじめとする上層部の要人達は、お荷物もいいところであった。
彼等を守るために、本来なら前線に投入されるべき兵力が拘束され、軍全体の作戦行動をも制約した。
膨大な犠牲にさすがに学習したのか、防衛戦末期に逃亡を決定した後の皇帝やその取り巻きが『有害な勇敢さ』を主張する事はなくなったが。
既に払った犠牲は還らず、護衛のため割いた戦力は事実上あてにできない。
皇帝らに遠慮して避難を遅らせていた政府及び軍の要人や武家、国会議員、官僚や民間の有力者らも一斉に退去したのだから、多数の護衛兵力が必要となってしまった。
これには、他国からしばしば『忠誠を通り越して、奴隷的』といわれるほど上層部に服従する帝国下級兵からさえ、公然と批判の声があがる。
貫徹もできない格好付けのために戦場に残った挙句なのだから、反発するなというほうが無理であった。
米軍、国連軍の激怒はいうまでもなく、外交ルートを通じて必死に宥めなければならなかった。
いかに負け戦の中とはいえ、国の上から下まで滅茶苦茶。独善と傍迷惑の見本市――
「くそっ……!」
有藤は、京都防衛戦を体験したわけではない。
当時は僻地にトバされていた。それでも、辛くも生き残った者達の体験談を耳にするだけ胸が悪くなるほど。
しかも後から思い返してみれば、有藤自身もまた『戦術機偏重』についてはろくな疑問ももたず、自分の考えのみに突っ走った事に違いはない。
当時の愚行に、まったく無関係とは言えないのだ。
「あの……?」
急に毒づいた有藤を見て、倉野の形のいい眉がひそめられた。
先ほどとは別の意味の困惑を向けられ、有藤ははっとなって呼吸を整えた。
「すまない。差し支えなければ、康永大尉に何があったのか教えてもらえないか?」
「い、いえ。ご存知なければそれでいいんです。
突然失礼な事を言って、申し訳ありませんでした」
ばつが悪そうに倉野は頭を下げ、それ以上の追及を拒絶する。
「…………そうか」
どうせ聞いても楽しくない、ろくでもない話なのだろう。
有藤はそう自分を納得させ、
(ま、こんな若くて可愛い娘に慕われているんだ。康永大尉だって、不幸一辺倒なわけじゃないさ)
という、やや下世話な思いとともに倉野が立ち去るのを見送る。
入れ替わりに、中津川憲兵中尉が厳しい顔つきで姿を見せた。
中津川は、一瞬だけ倉野に視線を向けたが、すぐに有藤の前に立つと、
「遅くなって申し訳ありません」
と、謝った。
「気にするな。それより、何かわかったのか?」
「――まだ確証はありませんが、やはり行方不明になった衛士三名は帝国に対して……含む物があっても不思議ではない状況でした」
「そうか……」
男二人が、難しい顔を並べる。
自分のチームだった者達の無実を信じたい、と思っている有藤さえ、ふと
『京都防衛戦の醜態を体験すれば、思い余っても不思議じゃないんじゃないか?』
という考えがちらつく。
しばし、何も言い出せぬ時間が流れていった。
アメリカ軍戦術機 F-22 ラプターは、他機種に演習や訓練で『落とされた』事がちょっとした軍事ニュースになった。ラプター側に不利な条件設定がされた結果であっても。
それほど撃墜判定を取るのが困難、ということだ。
ラプター側が百戦百勝しても(たとえ相手が同世代機であろうと)ニュース性がなく、当然と受け止められる。
今後しばらくは、アメリカ軍自身が開発するものを含めてラプターを総合性能で上回る戦術機は登場しないだろう、というのが世界の定評だ。
しかし兵器史ではしばしば見られる現象だが、高性能イコール戦場で優れた兵器とは限らない。
最新軍事技術の塊であるラプターは、機密保持が保証される基地以外での運用が制限されており……またコスト高騰のために調達そのものが難しい。
ラプターは存在する事自体が他国に対する優位になっているが、その他国が軒並みBETA大戦の影響で戦力を低下させている今、あまりに時勢にそぐわない。
軍事に一家言持つ(実戦経験ある軍人だった経歴を持つ者も少なくない)アメリカ議会の議員達が、ラプターに対して懐疑的であるのは当然といえた。
ラプターは、戦術機……いや、人類の兵器開発全体が引きずる『冷戦時代の発想の呪縛』の権化――そんな酷評さえある。
前線での米軍主力は、第三世代機が実用化された現在でもその圧倒的実績と信頼性から『実戦では最強』の名声は揺らがないF-15や、安価な割りに高性能で使い勝手もいいF-16・F-18系列。
これらの機体は、親米的な外国にも輸出あるいはライセンス生産許可が為されているから、多国籍の共同作戦が常態化している前線でも有利だ。
(他国の衛士や整備兵に米軍装備を割り当てたりといった、急場の柔軟な対処が可能)
現在も、世界中の主要な対BETA戦線のほとんどに援軍を出しているアメリカは、重い負担に常に喘いでおり……ただでさえ高価な戦術機が使いづらい、というのは死活問題だった。
日本帝国で起きたクーデター事件介入において、不知火によって多数の損害を出したこともミソをつけていた。
技術盗用されるのを泣く泣く黙認した産物である「F-15の模倣機」にやられた、というのは悪評が立つには十分。
そしてリベラル派のハリソン=リー政権に代わってからは、正式に調達削減と中止が決定。
戦術機としては少数生産に終わるのが確定となっていた。
その不運なラプターを装備する部隊に、太平洋マリアナ諸島・グアムに進出するよう緊急命令が下されたのは1月中旬。
日本帝国海軍の戦艦・紀伊がシージャックされた事件に対処するためだ。
日本帝国から協力を謝絶されている以上は手出しできないが、それでも警戒は怠れない。
無論、海空軍も艦艇や航空機を動員し、即応体制に入っている。
太陽が中天に輝く時間に飛び立ったラプター二機が、紀伊が航行する海面目指して飛翔する。
目的は情報収集――テロリストが、何か日本に向けて放送を行うらしいので、それを確実に傍受するのが役目だった。
ステルス機能を持つラプターを出したのは、テロリストに攻撃されるリスクを減らすためだ。
だが、単座のラプターによる海上長距離飛行は、搭乗者にとっては苦痛。
ラプターを操る衛士は、不満を顔から消すことができなかった。
どうせテロリストの放送など、理性も客観性も無い一方的わめきが相場と決まっている……。
「……ん?」
ほどなく、強力な電波が紀伊から発信された。時刻は、グリニッジ時間で午後1時丁度。
戦艦の通信設備を乗っ取ったテロリストの放送だ。
わざわざ戦術機を飛ばすまでもなく、グアムでも十分受信できる。日本本土にも、余裕をもって届いているだろう。
「なんだ、これは……!?」
網膜投影画面の正面に、紀伊から放送をポップアップさせた途端に、衛士は驚愕の呟きを漏らした。
放送されていたのは、アジ演説の類ではなく、監視カメラの記録映像らしきものだった。
画面の片隅には、『2001/12/05』という撮影日付をあらわす数字が。
「こいつは、日本でクーデターが起こった時の?」
それは、虐殺の記録だった。
軍刀や小銃はては機関銃で武装した帝国軍部隊が、邸宅らしい場所に乱入。
誰何する警備員や、驚く非武装の人々を殺傷する光景が、淡々と映し出されていく。
何が起きたか、もわからないうちに切り殺される寝巻姿の男。
命乞いをする仕草を無視し容赦なく相手に胸に銃剣を突き込む、血に酔った目をした帝国兵。
顔をこわばらせる老人(恐らく、日本帝国の当時の大臣の誰かだろう)を庇おうとした女(老人の家族だろうか?)が、もろとも銃弾で貫かれて倒れる。
勇敢な警備員が、警棒をふるって必死に兵達に抵抗するが……息が上がったところで、容赦なく首を斬られた。
たまに入る不明瞭な音声は、『天誅』や『成敗』といった殺戮者達の歓声と、被害者達の断末魔の悲鳴。
日本帝国において現在は『義挙』という二文字で済まされ肯定的評価されている行動が、実際はどんな非道の所業であるかを、映像はどんな言葉より雄弁に語っていた。
BETAに人間が殺されるのとはまた違った、ほとんど一方的な暴力への本能的忌避を呼び覚ますには十分。
テロリストが、なぜこんな記録を持ちそれを流しているのか? そんな疑問が働く余地もなく、痛烈な嫌悪が衛士の胸を突き上げる。
殺戮を映し出した映像は、実際にはほんの十分程度の時間であったが。
見ている者には、その何倍もの長さに感じられる衝撃的な内容であった。
画面が切り替わり、一昔前のパイロットスーツのようなものを着込んだ男が現れた。
どこかの艦内ハンガーらしく、背後には戦術機――F-5に近い機体が立っているのが確認できる。
「日本帝国政府の者達へ。
これはいわゆる犯行声明の類ではない。
あえていえば……そう、『果たし状』あるいは『仇討ち状』である」
ヘルメットに包まれた素顔も、声も不明瞭なその男の声には、不思議な落ち着きがあった。
「我々は、世界の不正義と欺瞞を糺すために人種や信条の違いを超えて集った。
そして同志の日本人には、今映像で見せたいわゆる12・5事件における『虐殺』の犠牲者の遺族……あるいは、殺されかけ運よく助かった者達が含まれている。
この世界を覆う虚偽の霧を晴らす第一歩として、日本帝国の犯罪者を断罪する!
だが、その手段は間違っても無抵抗のまま殺されろ、というのではない――」
『我々は、貴様らとは違うのだ』と言外に滲ませながら、言い放つ。
「12・5事件に参加した者達、特に『虐殺』に直接関わりながら今ものうのうと軍に居座り、我が世の春を謳歌している者達をこちらに寄越すこと。
丸腰で、とは言わない。戦術機を含んだ完全武装で来ることを望む。卑怯者共に、せめて闘死する名誉を与えてやろう。
そして我々は戦い、勝利する事で真の正義のありようを世に示す。
この挑戦を受けるのが確約されれば、戦艦紀伊及び乗員を解放する。
現在のBETA大戦の優勢を免罪符に、不法を合法化し、不正義を正義と誤魔化す者達への報復の手始めである」
放送は、そこであっさりと途切れた。
あまりに予想を外れた、インパクトがありながらも馬鹿馬鹿しいとさえ思える放送にラプターの衛士は絶句し、しばし本部への連絡を忘れるほどだった。
紀伊からの放送を受けた日本帝国の関係部署は、沸騰した。
おおよそ、まともではない。
帝都城奇襲爆撃から始まるやり口は滅茶苦茶。今行われた放送にも、おかしい点ばかりだ。
日本帝国がクーデターを事実上容認、正当化している事に異議がある――というだけで、ここまでやれるはずもない。
理論的にクーデターが悪であるとする説明さえなく、ただ映像の衝撃に頼った手口も拙劣である。
これまでの戦闘経過を見るに、テロリストが無能でないことは証明済みであるのに。
また、自分達を宣伝するのにまたとないタイミングなのに、組織名すら未だに明かさないというのは、どういうことか?
(通常、テロに走る人間というのは、自己顕示欲旺盛な傾向がある)
今こそ冷静になり、裏を分析する必要があるはず。
だが、理性的判断より感情論が何かにつけて優先されるのが、良くも悪くも現在の日本……特に軍部のありようであった。
放送を受けた帝国軍において、まず激昂したのは当然、クーデターに参加した『烈士』達だった。
うち一人は国防省の要職に出世していたのだが、緊急対策会議の席で顔を真っ赤にしつつ、
「テロリスト風情が、何をほざく!
我々の正義は、政威大将軍殿下が恐れおおくもお認めになられた事だ!
それに逆らうのは、日本帝国全体を敵にするも同じだぞ!
連中の妄言にかまうことはない、全軍で総攻撃をかけよ!」
と、わめき散らした。
だが、それを聞いていたクーデターに関わっていなかったある軍人は、小さくこう呟いた。
「連中をテロリストと決闘させればいい。
自浄したくてもできない我が国の癌とテロリストが相打ちになってくれれば、一番ありがたい――
できれば、あの情に流され続けた小娘も一緒に……」
世間に対してはともかく、軍内では情報統制などあっさりと有名無実となった。
驚愕のあまり、傍受した者達がつい口を滑らせたのである。
別の場所ではこうささやかれた。
「改めて考えてみれば、烈士連中は都合の悪い部分となると『アメリカの陰謀だった』などと主張するではないか。
だったら結果論的な正の面も、アメリカの功に帰さねばおかしいのではないか?
少なくとも、連中や連中の庇護者がのさばるのは理屈にあわない――」
中には、放送の内容にもろに感情で反応し、
「ともかく、戦って仇討ちしようという姿勢はテロリストながら立派ではないか。
戦う力を持たない文官を騙まし討ちにする陋劣さより、よほど日本精神――武士道にかなう。
堂々と受けて立って見せればいい。
――将軍殿下からああも褒め称えられた者達が、今更怖気づくわけもなし」
という言辞を吐く者も出た。
短期間で、劇的に帝国軍内の空気が変わっていった……。