12月8日
部隊内での榊千鶴の葬儀は淡々と行われた。
爆発により榊千鶴の遺体や形見はいっぺんも残っておらず、唯一形見として残ったものは「UN 01」とマーキングされた吹雪の肩部装甲の一片だけだった。
それのみが彼女の死に現実味をもたせた。
「――敬礼!!」
まりもの号令が横浜基地正門前の坂に響き渡る。
その号令にその場にいない美琴を除いた残りの第207訓練小隊が桜の木に敬礼を捧げた。
桜の木の根元にはただ、焦げ付いた吹雪の装甲の一片が突き刺さている。
敬礼は無言の敬礼だった。
誰一人として何も言わず、誰一人として嗚咽を漏らしはしなかった。
ただ、早朝の冷たい風が濡れた頬を撫でた。
「――やめっ!!」
号令に一同が手を降ろす。
まりもはゆっくり歩きだし正面の桜に向かう第207小隊の前に立つとゆっくりと口を開いた。
「榊の戦死に伴い、改めて分隊長を選出する必要性がある。本来ならば副隊長である御剣を繰りあげ隊長に任命しただろうが……草薙勇人、貴官を第207小隊分隊長に任命する」
まりもの視線を受け止めた勇人が目を見開き一瞬、たじろいだ。
「俺……が…？」
「そうだ。これは誰の意志ではなく、戦士した榊自身の意志によるものだ」
「――榊の…？」
「先日、榊の部屋から見つかった遺書にしたがっての決定事項だ。異論は認めない。…朝食後、通常通り訓練を行う。全員、0800にシミュレーター室へ集合。…榊の死を無駄にするな、以上解散！」
それぞれが踵を返し基地へと向かう中、勇人はじっと千鶴の墓標を見つめていた。
「――勇人」
その傍らにそっと冥夜が寄り添う。
「勇人――」
「月詠さん、大丈夫だったか？」
勇人が冥夜の言葉を遮った。
「……機体の損傷は酷かったようだが、けがは軽い脳震盪と右上腕骨骨幹部骨折だけであった。昨夜、処置を受けて意識も戻ったそうだ。大事ない」
「…そうか」
冥夜の手がそっと勇人の手に触れると勇人が踵を返した。
「なぁ…冥夜……」
――言わなきゃ
「…俺さ」
――言うんだ！言わないと世界を救えない…自分のわがままを言ってる場合じゃないんだ
「俺さ!!」
冥夜を振り返る。
その先で、冥夜は少し心配している顔でこちらを見ていた。
その顔を見たとき、決意が揺らいだ。
「俺……分隊長…頑張るよ。榊に笑われないようにしないとな」
「勇人、体調が悪いのではないか？」
冥夜が両手で勇人の頬を挟んだ。
「ああ……少し………苦しいんだ」
優しく、冷たく、柔らかいその手に自分の手を重ねる。
彼女が堪らなく愛おしかった。
けれども、その大きな愛情が勇人を苦しめていた。
敵機接近。
赤い文字が視界の端で点滅し警報が耳にうるさく鳴り響いている。
前を見れば長刀を振りかざした吹雪が迫る。
「――くっ!!」
短頭を引き抜き、応戦。
一撃目を受け止め、バックステップで後退すると二撃目の横一線を交わす。
「――うおおっ!!」
三撃目の突きに短刀を滑らせ懐へ潜り込むと他方の突撃砲を突き立てる。
敵機の脚部が持ちあがり、その膝が突撃砲を持つ前腕部を蹴り上げた。
反動で銃口が空を向く。
「―――――」
突撃砲を破棄、素手となったその腕で敵機の首もとを掴むとフル加速。
跳躍ユニットが火を吹く。
敵機も跳躍ユニットへ火を入れるが火を入れるまでのわずかな差が勝敗を分けた。
勇人の駆る吹雪が敵機をねじ伏せ押し倒し、短刀をコックピットへ振り降ろした。
シミュレーションの電源が落ちてゆき、コックピット内が暗闇と静寂に包まれてゆく。
「はぁ…っ…はぁ…はぁ…」
自分の息遣いだけが聞こえる暗闇の中で背もたれにもたれかかり目を閉じる。
“やらなければ人類はBETAに勝てない。アンタもアンタの大好きな御剣も死ぬわ”
――そんなこと……わかってるんだよ!!
痛みに思わず身が撥ねた。
唇を拭うと手の甲には血がついていた。
いつの間にか唇を噛み切っていたらしい。
――いったい俺はどれくらい冥夜のことを……
“御剣のことを考えるのも禁止よ”
口元に浮かべた笑みはすぐに消え、座席から立つと勇人はシミュレーター機を後にした。
シミュレーターを降りるとすぐにタオルを持った冥夜が勇人を出迎えた。
「流石だな。まさか彩峰と二人掛かりで負けるとは思わなかったぞ」
「…ありがとう、冥夜」
タオルを受け取り冥夜と共にデッキへ登るとその先では笑顔の壬姫と頬を赤く染めた慧が立っていた。
「…草薙、お疲れ」
「勇人さん、お疲れ様です」
「お疲れ様。で、なんで彩峰は顔真っ赤にしてんだ？」
「…草薙に押し倒された。……えっち」
「誰がえっちだ。まぁ、近接戦闘は今のところ俺が一番強いってことだな」
「…草薙、近接戦闘上手だね」
「…………」
意味深長な言葉と共に頬を染める慧から視線を逸らし勇人はデッキへ登ってくるまりもを見た。
「207小隊、整列！」
勇人の号令にバラバラに立っていた四人が一列に整列する。
「午前の訓練はこれで終了だ。午後からは引き続きシミュレーターによる訓練を開始する。午前の訓練の反省は各員で行っておくように。――以上、解散！」
「――敬礼！」
短い敬礼を交わした後にまりもはシミュレーター室から姿を消した。
「勇人、この後なのだが一緒に――」
「…悪い。行くとこあるからさ」
そう言い勇人は足早にシミュレーター室を出て行った。
「勇人さん、なんだか元気ありませんね」
「…喧嘩でもした？」
「いや…そういうことはないのだが、昨日の夜から少し様子がおかしいのだ」
――勇人。
昼になると昼食をとらずに純夏のいる部屋へと向かった。
昨日中に純夏は部屋を移され、執務室の隣に位置する霞の部屋に純夏の姿はあった。
シリンダーが青白い光で照らす薄暗い部屋に頭を垂れた純夏が座り込んでいる。
「イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ」
ブツブツを呟く純夏の傍から霞がふらふらと立ち上がり入口に立つ勇人へおぼつかない足取りで歩み寄った。
「勇人……さん」
倒れ込む霞を慌てて抱え込む。
「大丈夫か、霞！……いったいどうして」
「社が一晩中読み取ったあんたの記憶を鑑に見せていたのよ」
振り返ると夕呼が立っていた。
「…………」
「あんたが決めかねてるみたいだから、あんたの代わりになろうとしたのよ。実際、だいぶ調整が進んだわ。けれど、これ以上は社が限界よ」
「…………」
「…何かを失って後悔してからじゃ遅いのよ。この世がどうなろうと時間は進んでいく。そして、決して過去には戻れやしないわ」
「俺は………」
勇人の拳が力強く握り込められた。
『冥夜、ちょっといいか』
『？ どうしたのだ、勇人』
『着替えたら茂みの先にある丘に来てほしい』
『…わかった。すぐに行く』
午後の訓練後、勇人は冥夜を呼び出した。
呼び出した先は茂みの先の丘。
太平洋と廃墟になった旧市街地が一望できる場所。
勇人が足を運んだ時には既に日は落ち、真っ暗な空には星と月が輝いていた。
12月の夜は寒く、息をするたびに吐き出された空気が白い煙となって消えて行く。
背後からの足音と揺れる木々の音に振り返ると冥夜が立っていた。
「いったいどうしたのだ。急に呼び出して」
「…………」
「ロマンチックではあるが、いささか肌寒いな」
そう言うと冥夜は勇人に抱き着き、恥ずかしそうに笑った。
「うむ。これで寒くないな」
「…………」
抱き着く冥夜を勇人は抱き返すことができなかった。
ただただ、もう既に察しているのだろう冥夜の気持ちを考えると何かが突き刺さったように胸が痛んだ。
――もういい。もう……やめてくれ。
「なぁ……俺たちさもう――」
「…嫌だ……嫌だ、勇人」
「…別れてくれ」
「往生際が悪いのもみっともないのも承知だ!だが…今もそなたが大好きなのだ。……愛してる」
――やめてくれ。
消え入りそうな冥夜の声に呼吸もできなくなりそうなほどに胸が苦しくなった。
力強く抱き着く冥夜の腕を外し、引き離す。
「遊びだったんだよ!!」
荒げた勇人の声に冥夜がわずかに身を撥ねあがらせた。
「もともと体目当てで近づいたんだよ!!けどこの前みたいなことはまっぴらごめんだ!!体目当ての奴のために命なんてかけられるわけ――」
再び前を向いたとき、冥夜の顔に出会った。
冥夜はこれ以上に無く悲しそうな顔で泣いていた。
その顔に思わず言葉を失う。
冥夜は何も言わず踵を返すと走ってその場を去って行った。
その後ろ姿が見えなくなったとき、全身から力が抜けた。
ふらふらと後退し後ろの木にもたれかかりやっとの思いで立ち続ける。
――これで……これでいいんだ。
「これで……」
勇人の頬に涙が流れた。
「――何故、貴様が泣く」
低く、体の奥に響くような冷め切った声が暗闇から聞こえた。
「――え」
気付いたときには何ものかのつま先が鳩尾に食い込んでいた。
その蹴りに呼吸が止まり、腹を抱えてその場にうずくまる。
――誰……だ…。
勇人が見上げると右腕にギプスを巻いた真那が立っていた。
真那はうずくまった勇人の頭髪を左手で掴むと持ち上げ、勇人を立ち上がらせる。
「冥夜様のお心を傷つけたのだ。…覚悟はできているだろうな」
真那が勇人の頭髪を放し、胸倉を掴むと勇人の腹に膝が食い込んだ。
「――がはッ!!」
何度も、何度も真那の膝が勇人の腹に食い込んだ。
そのたびに勇人は苦悶の表情を浮かべる。
かろうじて呼吸が続く中、膝が腹に食い込むたびに全身を駆け巡る痛みにどこか安堵していた。
ただただ、その痛みが許されているようで心地よかった。
しばらくすると真那は勇人の胸倉を放し、その場を去って行く。
勇人は崩れるようにその場に倒れ込むと目の前に落ちている小さな木の板を見つめた。
――ああ…そういやサンタウサギ作らないとな……サンタウサギ作って純夏に渡して…それで………。
「…………冥夜」
冥夜がPXへ向かった頃には時間は遅く、閑散としていて席についているのは慧と壬姫だけだった。
「御剣さん、遅いですよーって目が真っ赤ですよ!?どどど、どうしたんですか？」
「…………」
目の辺りを赤く腫らした冥夜の姿を見た壬姫が声をあげ、慧が神妙な顔つきで冥夜を見つめた。
「いや…ただ少し眠いだけ――」
「…草薙と何かあった？」
慧の言葉にわずかな間、PXに静寂が訪れた。
冥夜が口を開く。
「さすがにごまかし切れぬな。………勇人と別れたのだ」
「…………」
「…どうしてか聞いていい？」
「もともと本気ではなかったようだ」
「…草薙が本気でそう言ったと思う？」
「…わからぬ。けれど…勇人自身がそういったのだ」
「…草薙は御剣のことが好きだよ」
「彩峰が適当なことを言う者でないことはわかっている。だが……」
「…草薙はお馬鹿さんだから嘘をついたらすぐわかる」
慧が歩み始める。
「どこへ行くのだ？」
「確かめてくる。みんな二人を応援するって決めてた。榊も…こんな納得いかない終わり方じゃ満足しない……と思うよ」
それじゃ、と何食わぬ顔で彩峰はPXを後にした。
勇人の部屋の前まで来ると躊躇することなく慧はドアノブへ手をかけ扉を開いた。
勇人の部屋へと足を踏み入れ、部屋を見回すも勇人の姿はない。
シャワー室の扉を開き確認しても勇人の姿は見当たらなかった。
「…………」
脚を止めることなく、勇人のロッカーの前まで来ると扉を開き衣類を物色。
勇人のパンツが見つかったところで手を止めじっと自分好みのものを選りすぐる。
頷き決めたパンツを手に取ると、
「……何してんだ、彩峰」
後から声がした。
「…入ってるよ」
振り返りつつさりげなくパンツをポケットへ回収すると何食わぬ顔で挨拶をする。
「…入ってるよ、じゃねぇよ。そして、今なにをポケットの中に隠した？」
「…パンツ」
「…………」
「…草薙のパンツ」
「…変態じゃねぇか」
「…この前、あげたからそのお返しに」
「一方的に押し付けられたのに強引に持ってかれるとかそんな等価交換があってたまるかよ。…疲れてんだ。とっとと返せよ」
そう言いベッドへ腰掛ける勇人は土まみれで、片手には手のひらサイズの木の板が握られていた。
「…御剣に殴られた？」
「………そのことで来たならとっとと帰れ」
「…それとも斯衛の人？」
「帰れ!!」
睨む勇人に慧は一瞬驚いた表情を浮かべた。
「……じゃぁ、最後に質問」
「俺が言った言葉わかねぇのか？今すぐ帰れって言ったんだよ！」
「…これだけ聞いたら帰る。……草薙は御剣が好き？」
「………アイツのせいでこっちは散々な目にあったんだ。…………大っ嫌いだね」
顔を背ける勇人に慧は口の端を僅かに曲げると出入り口へ歩きだす。
「…草薙はお馬鹿さんだね」
その言葉を残して慧は勇人の部屋を出て行った。
「……わかってるよ、自分が馬鹿ってことぐらい。けど…俺にはこうするしかないんだ」
机の引き出しから小刀を取り出し、木の板を削り始める。
時計が12過ぎをまわり木の板が人形の形を作り出した時、木を消ずる勇人の手が止まった。
「あいつ……結局ぱんつ持ってってんじゃねーか」