震雷の翼 ~国産戦術機開発物語~
第3話「イーグル回廊」
1992年 6月 帝国戦術機研究所 研究1部 第3会議室
夏の訪れを予感させるかの様に、徐々に気温を増していく外気に負けず劣らず。人でごった返す、その部屋は異様な熱気に包まれていた。
資料を挟んだバインダーに、ノートPC。それにコーヒーと煙草の匂いが室内に漂う。
そんな中、机の上に置かれた3種類の戦術機模型を囲み、大の大人が子供の様に目を輝かせる状況は、なんとも形容しがたいものがあった。
「1案は元がF‐16だし・・・。コスト的には、コイツが一番有利だろうね」
「2案と3案は、コスト的には割高だな。特に3案は厳しいね。大量導入は難しいのではないか?」
「それを云うのなら2案も同じだ。F‐15の改修だろう。全面改造を認めると云っても実質は共同開発だ。米に払う金は相当なもんだぜ」
並ぶ戦術機模型を舐める様に見ながら、部屋に詰める研究員達が思い思いの言葉を呟く。
「軍からの性能要求は相変わらず高性能機か・・・。F‐15以上の戦闘能力。2度の国内開発失敗で気を使ってくれるのは有難いがね」
「しかし、『嗜好』は変わりつつありますよ」
研究2部(外国機研究担当)から来た若い研究員が、F‐15Eの模型を見ながら言った。
今や帝国戦術機の代名詞とも為りつつあるF‐15戦術機は、その高性能で持って、国内外で高い評価と実績を積み上げていた。
大陸に派遣された戦術機部隊の中、F‐4戦術機が機動性の不足から高い損耗を強いられているのとは裏腹に、F‐15の損害は桁外れに低い。
これは、その性能差もさることながら近接格闘戦ではなく高速機動砲戦を得意とするF‐15が、敵中に孤立することなく、戦場を自ら選ぶことができたとことも大きかった。
F‐15には、それを可能とするだけの機動力と継続飛翔能力がある。
当初は、陸戦兵器の延長線上にあった戦術機のイメージは払拭され、今の軍内では『イーグルマフィア』と呼ばれる戦術機の航空運用を唱える一派さえ生まれていた。
敵中に取り残されるからこその格闘戦であり、BETAの包囲を破り、戦場を取捨択一できる機動力を持つF‐15に長刀は必要ない。
必要なのは推進剤と一発でも多い弾薬である。と言うのが彼らの言い分であった。
「近接格闘戦に対する要求も随分下がりましたし、それにF‐15で得た経験は、どの案になるにしろ決して不利にならないと考えます」
「チャンバラするとなると、どうしても機体重量がかさむからな」
「下半身は兎も角、腰回りは随分助かる」
彼の言葉に、機体フレーム設計を担当する者達から一斉に同意の声が上がった。
戦術機の戦い方は大きく分けて二種類ある。一つは銃を手に戦うか、もう一つは長刀などの直接打撃武器で戦うかだ。
最先端兵器である戦術機が古風な刀などで戦うというのも、ある種滑稽な状況ではあったが、これは戦術機が人型兵器であることと、BETA戦という特異性に起因していた。
「フレーム強度を現行機より下げれば重量面ではかなり軽量化できる」
弾薬より遙かに多い敵を前に、装弾数に影響されず、技量さえあれば長く戦える直接打撃武器は、支援が十分に得られない状況においては継戦能力などの点で有利。
それに付け加え、熟練者が使用すれば要塞級でさえ一撃で撃破可能な直接打撃武器は、騎士(武士)然とした戦術機のイメージとも一致しやすい。
「まあ、慣性のぶつかり合いだからな。格闘戦は。つばぜり合いの度に、いちいちフレームが歪んでちゃあ話にならん。関節部で砲の反動を殺すのは訳が違う」
「つばぜり合いだけなら重い1世代機の方が上だしな」
しかし、その考えは技術者にとっては異なる。戦術機は人型であっても、『人』ではなかった。
格闘戦を行うには、フレーム強度を十二分に取らなければならない。
機体を丈夫に作れば重量が増す。そして、重量を増せば当然の事ながら機動性は落ちる。
OS(機体管制用オペレーション・システム)、ソフト面でも同じことがいえた。
例えば、人なら不安定な足場などでも考えず自然と姿勢を整えることができるし、打ち合っても打撃角度などを調整し、力を受け流すこともできる。
しかし、そんな芸当は機械にはできない。いや、出来ないことはないが『全て』を解析する必要があった。
「格闘戦用プログラムなんざ蟻地獄みたいもんだ」
不確定要素が多すぎ、終わりが見えない蟻地獄。
何か嫌なことでも思い出したのか、SEの一人が額を抑えながら嘆息した。
データを積み重ね、予測値を設定し、プログラムを組む。勿論、複雑なソフトを動かすにはハードウェアもそれ相応の物を用意しなければならない。
制限される機体容積、そしてハード容量と処理速度も無限ではない。その中で機体を、各種電子兵器を動かし、システムバランスを取る。
「時代の潮流が機動戦に向かっているのは俺達にとって僥倖だ」
格闘戦は全ての面でおいて、開発陣にとって大きな負担であった。
「高速砲戦に特化し、ネットワーク戦闘に対応した機体を作る。我々の考えは間違ってはいないと思います」
研究1部の研究員の一人が言いながら、一機の模型を手に取る。
その戦術機の模型は、形こそF‐15に良く似たシルエットを持っていたが、それまでの戦術機と決定的に異なる点があった。
小さいのだ。他の2機と並べてみると良く分かるが頭二つ分は小さい。フォルム自体も足回りは兎も角、胴体部などは一回りは細い。
F‐15の頭頂部までの高さが約18mということを考えれば、その戦術機の大きさは15mを確実に割り込んでいる。
「地上戦はあくまでも付加的なものとして扱い、浮いたリソース分を軽量化にあてる。目指すは高速匍匐飛行による機動砲撃戦」
「陸戦ユニットではなく、あくまでも『飛行機』としての戦術機か?」
彼の言葉に、研究員に混じり、模型を弄繰り回していた研究1部長、土井孝明は顔を上げながら言った。
実質的には国内開発陣の長として君臨する土井は、それまで会議が始まってから禄に言葉を発していなかった。
F‐15の模型を手に取った彼は、それを手で弄びながら、発言した研究員の一人に目を向ける。
「はい。陸上戦闘可能な飛行機です」
「小型化は機体全体重量の軽量化?」
「はい。製品の小型化は帝国製造業界にとってはお家芸。機体サイズからの見直しによる徹底した軽量化を図り、その上でハード、ソフト両面から飛行性能を重視します」
勿論、この研究室に詰めかける全研究員の頭には、今日議題に上がっている戦術機の全てデータが入っている。
それまで喧騒に流されるままだった土井の発言、騒がしかった室内が急に静かになった。
空調機の静かな呻り声だけ部屋の中を流れていく。部屋に詰める誰もが二人のやり取りに注目していた。
「これでは大人と子供の喧嘩だね。近接格闘戦は絶対に勝てないよ」
「軍の思想は変わりつつあります。それにフレーム自体は細いですが、強度的にはF‐15Cと同等かそれ以上です」
F‐15Cの初飛行から10年近い年月が経っていた。その間も技術革新は続いている。
「この分野での技術レベルは米国に劣るものではありません」
研究員の言葉に、土井は口元を小さく歪めた。
物質工学や製造技術の進歩も例外ではない。そして、この分野での技術レベルは、電子部品と並び、日本帝国の得意分野の一つであった。
小さく精密に。戦術機全体で見れば、帝国の技術力は米国に劣るが、分野ごとを見れば優位に立てるものもある。
「跳躍ユニットの出力不足を軽量化で補う形となりますが、XF‐7の燃費特性は良好ですし・・・空陸共にやれると思います」
「F‐15の小型化。メリットは被弾面積の減少と軽量化による航空性能の向上。まあ、実験機としては面白いよね。でも、実用機としてはどうだろう?」
土井の言葉に、緩みかけていた室内の空気が凍り付く。
戦術機の模型は3機。その内、完全な国産機は、その小さな戦術機ただ1機のみ。
彼と直接言葉を交わしていた若い研究員に至っては、目に見えて顔色が悪くなっていた。
「目に見えぬくいセールスポイントじゃあF‐15に勝てない。光菱も富嶽も・・・軍人でさえF‐15に心奪われている」
国産戦術機開発に沸いていた頃とは少し状況が異なる。土井は言葉を続けた。
「光線級からの攻撃に対し有利っていうのは分かるけど、それは計算上の見通し距離でしょう。18mが15m、3m減りましたっていってもねー」
直線攻撃であるレーザーは、見通し線下への攻撃はできない。3mの高低差があれば、光線級からの被攻撃距離は5キロほど小さくなる。しかし、
「戦場の中、突っ立てる状況なんてほとんどない。運用で何とかなる。それにコイツ(国産機)の売りは空を飛ぶことだろう」
F‐15の浸透は、戦術レベルのみならず、軍の根幹をも変えつつあった。
西側標準。いや、米軍標準ともいえる状況が、戦場から後方兵站に至るまで全体に渡って産まれつつある。
「僕らの最大の理解者は一体誰だ?企業、軍、その双方にさえ国内開発に否定的な意見が出始めている」
光菱も、あれほど国内開発と息巻いていた富嶽でさえ・・・F‐15のライセンス生産で十二分の収益を得ている。
現在、国内開発の主導的企業となっているのは河崎一社のみ。国防とはいえ企業である以上、利益を追い求めなくてはならない。
新たな生産ラインを準備するより、既存の利益を守る方が有利。F‐15系列から国産機への切り替えは、光菱、富嶽ともに『必要』のないことだった。
「別に2部のことを悪く言っている訳じゃない。君らの仕事は完璧だった。日本に合せた機体改修を行い、早期に生産体制を確立した。これを非難できる奴なんていないよ」
土井は気拙そうにしている2部研究員達の方に顔を向け、自虐的な笑いを見せた。
「まあ、文句があるとしたら、コイツ(F‐15)が少し優秀過ぎた。僕ら(1部)の求められるハードルは上がる一方だ」
そして、軍は軍で、コストが高く性能に不安のある機体に衛士を乗せるつもりはなかった。
紙一枚で兵士を徴用できていた時代とは違い、軍予算内において人件費の占める割合は上がり続けていた。
コストで負け、性能に不安の機体を買うつもりはない。戦時に産業保護だけを目的とした開発は難しい。
「ラインを替え、補給体制に負担を掛けてまで新型機を導入する意義を作らなければF‐15には勝てないよ」
―――また、米国機の改造になるのか・・・。2度ならず3度までも。
世界最強の第2世代機の名は伊達ではない。部屋には、何処か諦めの空気さえ流れ始めていた。
「巡航速度で500キロ以上。飛行戦闘半径も500キロ以上。前者はともかく後者は絶対に達成して欲しい」
飛行戦闘半径が500キロ以上あれば、本土(北九州)から朝鮮半島中部までの渡洋強襲が可能となる。
釜山からであれば、現在の主戦場である中朝国境線をも攻撃可能範囲に収めることも可能。だが、戦闘半径500キロ以上となると航続距離は、その3倍は必要だった。
「それが出来ればコイツは実戦機になれる。どうだろう?F‐15と同等程度では軍は動かない。僕もそれでは押せない」
土井は室内を見渡しながら言った。
「F‐15は本当にバランスの取れた戦術機だ。将来の発展余裕も十二分にある。その中で、新型を押す理由が必要なのだ」
現在の戦術機の標準航続距離500キロ内外、この数字は概ね戦闘ヘリと同等とされる。
「航続距離450NM(約800キロ)では不十分だよ」
国産機に賭ける想い自体は、研究員も土井も変わらない。だが、彼は開発責任者であり、その上、飛びきりの現実主義者でもあった。
現在の帝国軍の状況を考えれば、F‐15の系譜を守り、発展させていくことが、最もコスト管理に優れている。
逆を言えば、F‐15(改修機含む)で性能実現可能な機体は、実験機としても実用機としても必要なかった。
「諸君、今は戦時だ。平時じゃない。帝国の戦術機産業の将来を考えるならコイツで十分だ。今の性能(計画値)でも、もしかしたら輸出さえ可能かもしれない」
現有機を上回る性能を持つ(予想値)新型国産戦術機。スペックだけを見ればF‐15Cと十分に渡り合える。
しかし、現在の帝国には、そのF‐15が大量に存在し、今も数を増やし続けていた。渡り合えるだけでは現状を打破することは出来ない。
「だが、真に国を想うならコイツを敢えて開発生産することは国防には利しない」
―――それでも、それでも、まだ足りないのだ。
土井は、自分のことを注視する研究員達の視線を真正面から受け止めながら言葉を続ける。
「後方兵站まで全てを加味して考えた上での僕の考えは、『今のコイツ』ではF‐15に勝てない。だから・・・」
喋る彼の顔には、何時しか悪戯っ子の様な笑みが浮かんでいた。
「仕様を一部変更する。その上で、諸君のさらなる努力を要求する!」
土井が喋り終えた瞬間、会議室は沸騰した。
1994年 8月 京畿道平沢市 鳥山空軍基地
目指すは、2700メートルの主滑走路脇に設けられた戦術機離陸用のスキージャンプ台。
誘導路を、ドスドスと音立てて進む愛機の管制ユニットの中、日本帝国陸軍所属田村彩加中尉は欠伸をかみ殺した。
野戦陣地に毛の生えた前線基地とは違う、ソウルの南、40キロに位置する鳥山空軍基地には後方基地独特の何処か長閑な空気が漂っていた。
内地から来た頃は、引っ切り無しに離着陸する戦術機や輸送機、時には光線級の攻撃を受けたのであろう損傷機の緊急着陸など大変緊張したものだったが、最近では慣れっこ。
慣れは、人を鈍感にさせる。非日常が、いつの間にか日常へと変わり、何も感じなくなるのだ。
「平和だねー」
光線級が睨みを利かせる空の下、BETAの中に突っこむ。師団直轄の戦術偵察部隊に身を置く彩加の日常は、生死の境を行ったり来たりする毎日。
それを考えれば、前線から300キロ近く離れた基地での出来事などモノクロの絵を見ているのに等しい。
「平和は嫌い?」
「い、いえ。そんなことは無いですけど・・・」
連れがいることを忘れていた。恥ずかしさで顔が熱くなる。
後席に座るNIO(Navigation Intelligence Officer)、大山はるか大尉の問いかけに彩加は、少しどもりながら答えた。
大山大尉の任務は、情報解析とナビゲーション。F‐4を偵察任務用に改修したRF‐4では、衛士である彩加より重要な人物であると云える。
(・・・これだけは慣れないんだよなー)
彩加は、大山大尉に気づかれない様、小さく溜息を吐いた。
複座に変わってから、少なくない時間が過ぎているというのに、自分の背後に他人が乗っているという状況が、どうも落ち着かない。
誤魔化す様に首をグキグキ回す。意味もなくコントロールスティックを握り直したりしながら、彩加はそっと後ろの様子を窺った。
「どうしたの?機体に何かトラブル?」
自分の方を見下ろす大山大尉の黒い瞳。後席は、前席に比べ着座位置が高くなっているから、前席からではどうしても見上げる形となる。
「い、いえ。何でもありません」
(駄目だー。やっぱり、この人慣れないよー)
上品に小首を傾げながら微笑む大尉の姿に、彩加は慌てて前を向いた。
戦術機搭乗資格も持ち、情報士官として高度な教育も受けている。大山大尉のナビゲーション指示に間違いがあったことは一度も無かった。
才媛とは、大尉の人みたいなことを云うのだ。彩加は顔を顰めた。イーグルライダーに選ばれなかった自分とは違う。
人当りも良く、下の者にも優しい。公私共に非の打ち所無し。完璧超人の様な大山大尉を見ていると、どうして自分が矮小な人間に思えてしまうのだ。
(みんな元気にしてるかな・・・)
口は悪いが腹を割って話し合えた仲間達。北海道にいた頃が懐かしい。
訓練校からの腐れ縁で、同じ小隊を組んでいた同期達の顔が、彩加の脳裏を過ぎる。
(・・・まさか、私だけ偵察機乗りになるなんてなー)
帝国戦術機甲師団の中でも最精鋭の声高き第7戦術機甲師団に配属となり、そのまま第1線の戦術機乗りになるとばかり思っていたが、どうも適正は別にあったらしい。
部隊が、F‐4からF‐15へと急速に機種改編していく進む中、自分もすぐにイーグルに乗れると思っていたら、回ってきたのはRF‐4だった。
同期4人の中で、RF‐4に進んだのは彩加だけだった。美也子も恭子も楓も、みんなイーグルへと機種転換していった。
(インテリって云うのかな・・・。上品過ぎるのよ)
彩加は意味もなく戦域情報図を視界にホップアップさせながら、心の中で呟いた。
同じ部隊でも職種によって気風が異なる。単純明快、さっぱりしていた戦術機甲部隊と違い戦術偵察部隊はどうも重い。
感覚的なものなので、彩加自身も上手く言い表す言葉を持っていなかったが何か重苦しい物を感じる。
感覚より知識というか、手より頭というか、とにかく戦術偵察部隊の気風が合わない。
「ブリーフィングで言っていた友軍機が遅れてるみたい。離陸位置で少し待機。中尉?」
「はい。了解です」
そんな彩加の気も知らず、いつも通り、冷静な声で大山大尉が指示してくる。
「釜山からという話だったけど・・・本当に給油の必要はないのかしら。もし、降りるとなると・・・帰りは暗くなるかも」
大山大尉の言葉に、彩加は反射的に視線を空へと向けた。
時刻は1335時。雲量3、天候は晴れ。レーザーの閃光も重金属雲の淀みもない平凡な空。
そこには平和以外どの言葉も当てはまらないであろうブルーの空間が広がっていた。
「夜間行動は出来れば避けたいわね」
朝鮮半島は北部に上がれば、上がるほど山岳地帯が多くなる。平地をただ飛ぶならともかく、山岳部はただでさえ高度管理が難しい。
対地高度は低くとも、実高度が高まってしまう。光線級のリスクを抑える為には、おのずと谷など飛行に不向きな場所を選んで飛ぶことになるからだ。
「前線まで巡航速度で2時間、1500までに離陸できれば、日のある内に危険地帯は抜けられます。それに例え、夜になったとしても、この子も私も問題ありません」
(―――あッ、少し声が固かったかな・・・)
彩加が、不機嫌さが声に出たかと、気にした時には遅かった。
「御免なさい。別に貴女の腕を疑っている訳ではないのよ。ただ夜は不確定要素が増えるから・・・」
他人の心情に機敏な大山大尉。案の定、頭を下げられ謝られる。
(・・・あ~あ)
いかに装備が発展しようとも夜間匍匐飛行は難しいものだ。山間部なら尚更。大尉が不安になるのも分かる。
心の中で溜息を吐きつつ、彩加は後席の方に顔を向けた。そこには細く綺麗な眉を八の字に歪め、困った表情を浮かべる大山大尉の姿があった。
(―――だけどさ・・・)
気を使ってくれるのは嬉しい。だが、それ以前に自分の腕を少しは信用して欲しい。
本当、気遣いの人。だけど・・・なんか方向が違うんだよねと、大山大尉の顔を見ながら、彩加はフッと息を吐いた。
戦術機部隊なら、お前の腕で大丈夫なのかと、一発冗談げに笑われて、それに軽口で返して・・・決して、こんな『重い』感じにはならない。
「本当に気にしてませんよ」
顔に笑顔(上手く笑えたよね?)を浮かべながら、彩加は言った。
「シンボルマークも出てないし・・・本当に、そいつ来るんですかねー?」
誤魔化すように言葉を続けた。
「釜山から前線まで1000キロはありますよ。F‐15でも無理だし・・・そんな大航続距離の戦術機なんて聞いたことないですよ」
「そ、そうよね。本当にどうするつもりなのかしら」
管制ユニットの中に漂う微妙な空気を入れ替えるかの様に、彩加の助け舟に、大山大尉は飛び付いた。
「戦域情報図には・・・駄目ね。やっぱりシンボルが表示されないわ。でも、CPからは待機命令が出ているから、来るとは思うのだけど」
朝鮮半島南部の釜山から鳥山まで約250キロ。そこから本日の進出位置である中朝国境地帯までは、さらに250キロの行程となる。
仮に釜山から中朝国境地帯を往復するならば、航続距離は1000キロ以上必要となる計算だった。
「無人偵察機じゃなくて戦術機ですよね。まさか片道って冗談ではないだろうし」
任務で飛ぶ以上、直線飛行で行って帰るだけではない。考えれば、考えるほど現実味が薄れていく。
「タンカー(空中給油機)とか?」
「それは無いと思うわ」
彩加の言葉を、大山大尉が即座に否定する。
戦闘地域である朝鮮半島では、よほどのことが無い限り、空中給油が行われることはなかった。
これは光線級、特に重光線級の対空戦闘能力を考えての処置であった。
様々な手段で偵察を行っているとはいえ、地中突破を行うBETAの動きを完全に掴むことは難しい。
人類の制圧地域とはいえ『もしも』がないとは限らないからだ。補給はもっぱら地上にばら撒かれたコンテナを使って行う。
軍の上ならまだ幸い。都市部の上になんて落ちたら最悪だ。機動性の低い可燃物を悠長に空に浮かべる訳にはいかない。
「なら、手持ちで燃料タンクぶら下げているんですかね?まあ、我々に知らされていないだけで、何処かの基地に降りるつもりかもしれませんね」
彩加は、幾つかの前線基地の姿を思い浮かべながら答えた。
背部兵装ラックに落下増倉は勿論のこと、改造過程で脚部燃料タンクの増量などが図られているRF‐4でも航続距離は750キロ程度。
コースを吟味し、徹底的に無駄を省いたとしても、任務飛行では往復600キロが精一杯の進出距離だった。
現実的に考え、ここ鳥山に降りないのであれば前線地帯で一度給油するしかない。
「そうね・・・あ、ちょっと待って」
大山大尉の声と、CPからのコールはほとんど同時だった。
『タイガーネストよりフェアリー07、お客さんのご到着だ。待たせたな。離陸を許可する』
『こちらフェアリー07、離陸許可。了解しました』
『コース220、高度15、お客さんのコールサインはシルフィード01、ふん『疾風』にしちゃあ随分な遅れだがな』
『そうですね。しっかり追加料金ふんだくってきますよ』
背後で笑う大山大尉の声を聞きながら、彩加はRF‐4に滑走姿勢を取らせた。
「中尉?」
「準備よし。何時でも行けます」
『了解。タイガーネスト、こちらフェアリー07、ミッションナンバー835、離陸します』
コツンと軽く背もたれが蹴られる。行け、の合図。彩加はグッとスロットルを押し込んだ。
轟音と震動。心地よい加速Gが体を締め付ける。視線の横を格納庫などの地上施設が流れていった。
『フェアリー07、テイクオフ!』
近づく滑走台。視界が、青に染まる。突き抜ける様なブルー。
『了解。タイガーネストよりフェアリー07、優雅な旅を!』
CPからの激励を受けつつ、RF‐4は昼下がりの空へと舞いあがった。
1994年 8月 平安南道上空
高度15メートルを空の上というのは少し不満があった。
はるか頭上に見える雲。足元からは大地が迫る。
これじゃあ空を飛ぶというより、大地の上を滑っているかのようだ。
時速300キロのスピードで大地をなぞる。起伏や障害物の上、高度15メートルの間隔を保ち、正確に。
『シルフィード01、こちらフェアリー07です。まもなく『Eagle Alley』に入ります。高度10メートル、我に追従せよ』
『シルフィード01、了解。言った通り、こちらは半島に慣れていない。よろしく頼む』
通信と共に、眼前を飛ぶRF‐4が軽く機体を揺らす。
「イーグル回廊ね・・・。では、F‐15に乗らない俺らは招かれざる客って訳かい」
機体を操りながら、日本帝国陸軍広瀬正明少佐は呟いた。
対BETA戦の理想郷として、全世界に名を轟かせる『Eagle Alley』の名を知らぬ軍人はいない。
日米両軍合わせて、600機以上のF‐15戦術機が投入されている中朝国境域は、世界で一番苛烈で、また同時に、世界で一番恵まれた戦場だった。
高性能でありながら、そのコスト高から開発元である米軍でさえ大量配備を諦めたF‐15戦術機。そのF‐15が、数の上で主力となる戦場など、この場所以外どこにもない。
大量に投入される最強の第2世代戦術機と十二分に訓練を積んだ衛士の組み合わせは、BETAの圧倒的とも云える物量さえ押し止めることに成功していた。
「荒鷲の狩場か・・・」
高度を下げたRF‐4の航跡を正確にトレースしながら広瀬は考えを巡らせる。
(・・・F‐15の早期導入が無ければ、半島を支えきれなかったかもしれんな)
あの時、軍上層部の決断が無ければ、今もまだ帝国軍の主力戦術機はF‐4のままだっただろう。
―――はたして、F‐15の存在無しに今の膠着状態を作り出せただろうか?
何だかんだといって半島陥落は防げているかもしれない。だが、性能に劣るF‐4では戦う度に、今以上の損害を負っていたのは間違いないだろう。
そうなれば戦力のローテーションどころか補充さえ追い付かず、定期的な間引き作戦の実行が難しくなる。一度崩れた戦況のシーソーは容易には覆らない。
(BETAの侵攻に怯え、明日を案じて歯噛みする毎日だったかもしれないな)
救国の英雄が、自分達にとって最大の敵となる。なんたる皮肉かと、広瀬は苦笑いを浮かべた。
ユーラシア大陸を席巻したBETAの侵攻を食い止め、勝利し続ける戦場。何時しか荒鷲が支配する中朝国境線は『Eagle Alley』と称されるようになっていた。
効率的な間引き作戦。戦力の補充。それを支える後方兵站。全てが、一つのシステムとして完成されている。
「・・・んッ?」
警報音に広瀬は我に返った。ほんの少しだけRF‐4が高度を上げていた。
『フェアリー07よりシルフィード01、進行方向に陸上部隊。回避します』
『シルフィード01、了解』
ホップアップする拡大画像。捜索システムが、眼前を進む戦術機の集団を捉える。
最前線『イーグル回廊』までは、まだ少し距離がある。
『ピヨピヨ隊ですよ。シルフィード』
『ピヨピヨ隊?』
ピヨピヨ隊という聞きなれない言葉に、広瀬は首を傾げた。
数は12機。中隊規模・・・距離が近づくにつれ、詳細な姿が見えてくる。
『余った戦術機(F‐4)を機動砲兵代わりに使ってるんです。前には出ませんし、まあ・・・最近では、少し練度に問題がある者も多いので』
『だからピヨピヨ隊か』
背部の統合マスト、その上部に装備されたETOS(電子光学目標捕捉システム)が、鮮明な画像を広瀬の目に届ける。
地上を進む、その集団は背部兵装懸架に大量のロケットコンテナを背負ったF‐4の群れだった。
『そうです。雛っ子だからピヨピヨ』
笑い声と共に、フェアリー07が言葉を続ける。
『自走砲では、もしもの時にBETAを振りきれないんですよ。だけど戦術機なら逃げ切れる。F‐4は余っていますし、新人の度胸付と実地訓練には丁度なんですよ』
『おいおい、他所行きゃあアイツでも立派な現役機なんだぜ』
フェアリー07の言葉に、広瀬は口元を歪めた。
第2世代級の機体が珍しくなくなってきたとはいえ、多くの戦場では未だF‐4は現役である。
それどころか場所によっては、主力戦力だ。というか、世界標準でいえば数の上では未だ第1世代機が主力である。
『適材適所って奴ですよ。シルフィード。前はF‐15で十分間に合ってます』
そういう私達の機体もF‐4なんですけどね、とフェアりー07は再び笑った。
『それに部隊のローテーションに併せて、機種転換はどんどん進んでいますから、遠くない時期に半島からF‐4の姿は消えると思いますよ』
F‐4が補助機扱いになっていることは知っていたが・・・ここまでとは。広瀬は軽く頭を振った。
戦場から遠ざかり、開発畑に長かったことの弊害だった。話に聞くのと、実際に自分の目で見るとは大きく違う。
―――逆にいうと、それだけ戦況に余裕があるということか・・・)
主力兵器である戦術機をえり好みできる状況にある朝鮮戦域。
F‐4の機動力が低いといっても、一応は腐っても戦術機。従来の機甲車両とは段違いの機動性を持つ。
いくらBETAの足が速いと云っても、戦術機が本気で逃げれば捕捉されることはない。そこには一つのBETA戦の理想があった。
(・・・そういえば2部の人間が言っていたな。コイツのテストで一杯一杯だったから、しっかりと聞いてなかったぜ)
戦術機はF‐15(第2世代機)で充足し、今まで戦車や自走砲が行っていた任務をF‐4(旧式機)が行う。
別に考え自体は目新しいことではない。欧州などでは、兵科の全戦術機化は早くから提唱はされていた。
(これは思わぬ所でライバル出現だな)
単純に戦線を維持するだけなら、高価な戦術機を使用するより、従来部隊でもって当る方がコスト的には有利だ。
しかし、戦車や自走砲、歩兵部隊などの従来型部隊では一度破れると、『全滅』に直結する。
先に失う(投資)か、後に失う(全滅のリスク)か。主にコスト面の問題から全兵科の戦術機化は賛否両論の声が上がっていた。
だが、そのコスト問題を解決することができれば・・・。その手段があれば全戦術機ドクトリンは大きな可能性に満ちていた。
(損耗分を含めたってF‐4の在庫は500機以上はあるだろう。補助としてのコイツの役割を何所に見出すかだな・・・)
F‐15の早期導入により、言葉悪く言うなれば、予想以上に多くのF‐4が『生き残って』しまった。
フェアリー07の言う通り、機種改編し、そのままスクラップになってくれれば良いが、絶対にそうはならないだろう。
帝国がいくら経済大国だからと云って、無限の予算を持つ訳では無いし、軍上層部も間抜け揃いではない。
「これは・・・相当、腹を決めて掛らないとヤバいな。チッ!いっそのこと(F‐4を)第3国に売り払ってくれれば良いのに」
広瀬は小さく呟いた。
今、自分の乗る試作戦術機も位置づけは、F‐15の支援(補助)となる可能性が高い。それほどまでにF‐15の配備機数は多すぎた。
予算や後方支援体制のことなどを考えると、この新型機が、全てのF‐15を置き換えることは叶わないだろう。
(F‐15が退役する頃には、コイツも旧式化は間逃れん。はあー・・・参ったぜ)
「フェアリー07よりシルフィード01、まもなく『Eagle Alley』です。ようこそ!最前線へ」
考える広瀬の耳に、フェアリー07からの通信が入る。
「了解。フェアリー07、たっぷり堪能させてもらうよ。ガイドを頼む」
答えながら、広瀬は考えを一時中断した。腕に自信が無い訳がない。だが、油断は禁物だ。
今は最前線を、この『XTF‐01』と呼ばれる試作戦術機で飛ぶことだけに集中する。
「フェアリー07、了解」
笑いの混じる声。前を飛ぶRF‐4が速度を上げる。
鋼鉄の荒鷲達が支配する場所『Eagle Alley』は、もう目と鼻の先へと迫っていた。