異形の死骸と鋼鉄の残骸が累々と積みあがる、旧横浜市街。
かつて戦場であった名残が延々と続く大地に、戦術歩行戦闘機が起立した。外装は00式戦術歩行戦闘機「武御雷」のそれであるが、全身に施された塗装は、斯衛機が纏うべき五色――濃紫・青藍・山吹・純白・漆黒――そのいずれでもなかった。
その武御雷は、全身を薄桃で染め抜かれていた。
頭部ユニットと跳躍ユニットには、薄黄の線が流れる。
それが、まるで、リボンのように、見える。
七星重工製、新型戦術歩行戦闘機「純武号(じゅんぶごう)」――。
事情を知る者が居れば、悪趣味な名前だと思うであろう。
実際にこの新型戦術歩行戦闘機の開発に携わった者は、上司の発想――生体管制装置に採用された脳髄が生前持っていた名前、すなわち鑑「純」夏と、彼女の幼馴染であり想い人である少年の名、白銀「武」から、それぞれ一字ずつを取っての命名――に吐き気さえ覚えた。「純武号」の名付け親である岩田は、少女と少年の想いをわざわざ踏みにじる為に、この外道染みた命名をしたという訳である。
『純武号、起動試験開始します』
純武号の随伴機、F-15SEPに搭乗する七星重工関係者が、試験開始を告げた。
武御雷特有の所謂「睨み眼」に、光が点る。どこか禍々しささえ感じ取れる赤光が、センサーアイを埋める。怨嗟の声さえ上げることを許されない、純武号の絶望と憎悪が、そこに現れた。
BETAへの殺意に燃える少女の脳が、純武号の内燃機関に火を入れる。瞬間、1秒と掛からず、純武号周辺に転がっていた、BETAや戦術機の残骸が全て圧壊して弾け飛んだ。試験成功――この現象、純武号が自機の周辺へ、ラザフォード場の展開させることに成功した証拠であった。竜たる少女の脳と、それを補佐する少女達の脳には、膨大に過ぎる演算負荷が掛かったが、彼女達はそれを容易にやってのけた。
『純武号、ラザフォード場展開成功――ML機関出力安定』
「いーひっひっひひゃはあああああああ!」
試験成功を告げるオペレーターの言葉に、純武号開発責任者の岩田は狂喜した。ML機関小型化、ラザフォード場安定展開――このふたつは、セプテントリオンの科学力を以てしても、そう簡単に実現出来るものではなかった。だが今日、ようやく全ての努力が報われたという訳だ。
純武号の開発コンセプトは、単純明快――「最強の人型機動兵器」。
管制装置に生体脳を用いることで、その挙動を実戦に堪え得る水準とした人型戦車士魂号を範として、純武号は、竜たる鑑純夏と適性のある少女達の脳髄を生体管制装置に据えることで、従来の戦術機・人型機動兵器ではあり得ない、自然な挙動と高度な格闘能力を有するに至った。
また小型化したML機関を搭載、演算機能を前述の生体管制装置に担わせることで、最強の防御機能を付与する。ラザフォード場による重力偏向は、あらゆる通常兵器による攻撃を無効化することが出来、またこれは攻撃に転用することも可能だ。ラザフォード場の展開域を拡大・限定することで、目標を圧壊させるといった使い方が考えられる。
また特筆すべきは、純武号の機動性能であろう。
戦術歩行戦闘機の大気圏内における機動性は、セプテントリオンにとっても注目するに値した。腰部跳躍ユニットは当然採用、更にML機関を活用した重力干渉により、純武号は常識では考えられない高機動性を獲得するに至った。おそらく単機での大気圏外への、離脱も可能であろう。戦術歩行戦闘機の空力特性と、第6世界の人型機動兵器(ラウンドバックラー)の海中潜航能力を併せもつ純武号は、事実上、地上・空中・海中・宇宙全ての戦域への投入が可能となった。
青の厚志が駆る希望号を、撃破する。
セプテントリオンの事業の悉くを邪魔する、世界移動存在を叩き潰す。
ただそれだけの為に、純武号は生み出された。
純武号が生み出される過程で、あらゆる外道が行われた。
「……く……ふっ……ぁ……」
純武号胸部装甲の奥に収まる、操縦席。複座式操縦席の後部には、純武号に戦闘命令を下す無人機が置かれている。そして前部には、ひとりの少女が搭乗していた。……正確には、拘束されていた。
オルタネイティヴ3計画が生み出した最高傑作、オルタネイティヴ4計画に継承された大成果――兎の耳を連想させるヘッドセットを装着した少女は、自身がもつ異能を無理矢理引き出されていた。いまや彼女、社霞のESP能力が可能とする、思考読解といった超知覚の範囲は、純武号周囲数キロにまで拡大させられていた。当然社霞の身体に掛かる負荷は、大きい。普通ならば絶命してもおかしくはないし、能力拡張の過程では、幾度か心肺機能を失うこともあった。
「あっ……やめ――」
だがセプテントリオンと純武号による調教は、社霞に不可能を可能とさせた。
それでもしかし、その能力は社霞の精神を大いに苦しめる。敵機搭乗者の思考を読み取り戦闘行動に活かす、あるいはその精神に干渉する攻撃を可能とするまでに至った社霞の異能は、遠くにある目標の思考を読み取るよりもまず先に、最寄に居合わせた少女の思考を読み取ってしまう。
「やめてえええええええええ! やめてッ! やめて、やめてくださいっ! いやだ! いやだ……おかしくなる! ひゃあっ……おかしくなるゅッ! たすゅけてっ! たすけて、くださいいぃいぃいいいっ――かあああ! だれかあっ! もってかないでえええええもどしてッ! もどしてよおおおおおっもどしてくださいッ! ひゃあああああああ」
掠れた喉を震わせて、社霞は、叫ぶ。
「……ぁめです! だめぇええええっだれかたすけてえええええ! ……だれ? たけ……? たけるうううぅうううぅううたすけてえええええ! なんでぇええええいやだあああああはああああうああああ! いっいいはああああいやだっいやなのにいいいいいあああぁっ」
彼女はそのESP能力を最大限発揮する度に、生体管制装置に採用されている鑑純夏の記憶を、追体験する。それはつまり横浜ハイヴ内で行われた、徹底的かつ執拗な凌辱の記憶。脳髄に電気信号を流され、延々と快楽を与えられ、不要な器官を排除させられてゆく――鑑純夏の地獄を、社霞は追体験させられる。
「べえええええたああぁああぁころすうぅう! ころしてやる! なんでえぇええええふぁああああぁああああ! ころしゅぅうううぅううううあぁあ……ぁあ……っ……いやぁあああああ! ゆるしてえっゆるしてください! おねがいしますぅうううぅうううう! ぁああああああべええたああぁあ」
触手がそのちいさな体中を這いずり回り、何の遠慮もなしに体内に侵入し、暴虐の限りを尽くす。四肢を捥ぎ取られ、肉が剥ぎ取られてゆく――だがしかし、社霞が激痛を感じることは出来ない。常時脳内を駆け回る電気信号が、それを許さない。圧倒的なまでの快楽が延々と与えられ、思考が押し潰され、自身の身体の状態を正確に判断することが出来なくなる。
その地獄の最中で、社霞は一縷の思考を読み取った。
(これより純武号の実戦試験を開始する)
純武号の初実戦。
不幸にも最悪最強を誇る兵器の最初の標的とされたのは、青の厚志でも、希望号でも、神々の軍勢でも、世界移動存在でもなかった。日本帝国でも、国連軍でもない。純武号はただひとりの男を殺害する為に、これから戦闘行動を開始する。
「2001年10月22日だ。白銀武(イレギュラー)を抹殺する」
第7世界の我々が、世界移動組織が発売したゲームによって、この世界における全ての出来事を熟知しているように、セプテントリオンもこの世界において発生すべき事象を全て押さえている、という訳だ。
横浜ハイヴ直上でG弾が炸裂しなかった以上、白銀武がこの世界に喚ばれる可能性は低い。だがしかし、皆無だとは言い切れない。地球の反対側では、大海崩を発生させるだけのG弾が運用されたし、また生体管制装置と化した鑑純夏の傍にはML機関が存在している――白銀武が現れることが出来るだけの、時空が歪められた余地は、あるように思える。
セプテントリオンにとって、白銀武は大した脅威にはなり得ない。仮に二週目以降の彼が呼ばれたとしても、もはやこの世界ではその未来知識は役に立たない。だが念には念を入れるべきだ。彼が香月夕呼と結びつくことがあれば、こちらが手こずることもあるかもしれない。白銀武は殺す必要がある――現時点で鑑純夏はこちらの管理下にある以上、白銀武を殺害することで、白銀武が10月22日に戻る、別世界に転移する、あるいは世界が再構築される可能性は、ない。
白銀武の物語は、始まりと同時に終わらせるべきだ。
それが、セプテントリオンの選択だった。
白銀武の殺害に純武号を向かわせるのは、岩田の趣味が半分。また世界移動組織も、おそらくセプテントリオンが白銀武を殺害に動くことを読んでいるに違いなかった。白銀武の防衛に、彼らが動くことは間違いなく、それを排除するには純武号の戦闘力が絶対に必要であったのだ。
純武号が――否、鑑純夏が、歩み出す。
白銀武を、殺す為に。
【真愛編】「衝撃、または絶望」
白銀武は、自分自身を奮う。
携帯ゲーム機を初めとした「別世界の証明」が詰められた鞄のみを手にして、彼は自宅玄関に立っていた。目の前には見慣れた――そして懐かしいドアがある。それを前にして、白銀は動けない。白銀武は以前「元の世界」で、なんとかの猫なる例え話を聞いたことがあった。簡単に言えば、結果は箱を開けてみなければ分からない――それと同じだ。
(元の世界に戻ってる――)
人類がBETAなる異種敵性勢力と戦争を繰り広げる世界を、白銀武は記憶している。人類敗北の結末まで。香月先生が指導していた計画が失敗し、その後少尉に任官した自分自身がどうなったかは覚えていない。
……だがおそらくは、最後は自分も、BETAに殺されてしまったに違いなかった。
(――そんな都合のいいことがあるわけ、ないよな)
だが隣家は人型兵器に押し潰され、馴染みの街並みは廃墟と化し、学園は軍事基地となっている世界へ、「元の世界」から迷い込んだ際も、兆候めいたものは何もなかった……気がする。つまり、何が原因で「元の世界」からBETA大戦世界に迷い込んだか分からない以上、また大した理由もなく、BETA大戦世界から「元の世界」へ戻る、そんなこともあるかもしれない。
「いや」
戻りたいのは、確かだ。
だがBETA大戦に臨む、友人や先生――それが「元の世界」の人々に酷似した、まったくの別人だとしても、そこに生きる人々を助けられることならば、助けたい、という思いもある。
幸いにも白銀武は、いうなれば「1週目」を経験している。最初に迷い込んだ2001年10月22日に、自身がまた戻ってきているのであれば、自分の「1週目」の知識を活用出来るのではないか――そう彼は考えているのである。自然災害やBETA侵攻といった、今後発生する出来事を香月先生に教えることで、少しでも先生の計画がうまくいけば、とそう考えている。……白銀武はこの世界で、香月夕呼をいちばん頼りになる大人として認識していた。勿論、油断ならないところもあるが。
仮に、この世界が、またBETA大戦世界であれば――人類を救える、とまでは思わない。だがしかし、もっと「マシ」な結末を迎えることが、出来るのかもしれない。やってみる、価値はある。まずは、横浜基地に向かおう。今度はもっとうまくやれるはずだ、うまく――。
深呼吸した白銀武は、ドアノブに触れると、間髪いれずに開け放った。
そして広がる視界――。
「なんだよ……これ……」
一面の白世界。
崩壊した街並みすら、みえない。ただただBETAの死骸と人類兵器の残骸の山に、白いものが降り積もった光景。BETAのけばけばしい体色は、雪を思わせる何かに覆われて、ほとんど隠れてしまっている。そのくせ、気温は暑い――11月とは到底思えない、真夏が如き日射が白銀武に襲い掛かった。
白銀武は、玄関から一歩踏み出し、二歩踏み出し、そこで足を止めてしまう。
「どこだよ……ここ」
想像していた光景とは、あまりにかけ離れ、過ぎている――。
眩暈を感じた白銀武は、うずくまった。何が起きているか、わからない。
(前に迷い込んだ時は、こんなんじゃなかったはずだ。たしか純夏の家が撃震の上半身に押し潰されていて――でも道路や建物もボロボロだった、でもオレが元いた町だと理解出来る程度には、物が残っていたはずだ――! オレは、また別の世界に――「元の世界」でも「前の世界」でもない、別の世界に迷い込んじまったのか!)
なんとか立ち上がろうとして、白銀武は、地面を覆う白い物体が何か見当をつけた。
指で触ってみる――塩。塩が、まるで雪のように、全てに降り注いでいる。
(そんなバカなことって――)
あってたまるか、と思った瞬間、白銀武はどこかでこの光景を見た憶えがあるような気がした。分からない。分からないが、どこか懐かしい。
「こういうのなんだったか――既視感(デジャヴ)だっけか」
無音。風が時折吹く音以外は、まったく無音の世界で、白銀武はひとりごとを呟いた。
そうして、冷静さを、取り戻してゆく。想定外の事態にいつまでも恐慌状態に陥るほど、白銀武は弱くはなかった。強固なる意志が、彼には宿っている。「前の世界」では「元の世界」と同じく、学園のみんなが居た。
(つまり「この世界」にも、まりもちゃんや冥夜達はいるかもしれない――もしかしたら純夏もいるかもしれない! 「前の世界」では先生に、そんな人間はいないって話されたけど、「この世界」にはいるかも――どこかで困っているかもしれない!)
未来の知識は使えない。
だがそれは大したことではないように、いまの白銀武には思えた。
自力でも何とか出来るはずだ、そういう種の自信が白銀武には、ついていた。
白銀武は、歩み出そうとしていた。
まずは学園、あるいは横浜基地だ。全ての始まりは、そこにある。この荒涼とした世界で、学園や基地が機能しているとは思えないが、だがしかし純夏や冥夜達の手掛かりを得られる可能性は十分ある。そう、白銀武は考えた。
塩が降りしきる荒野、何の目印もないが、毎日通い詰めた学園の方向は、たとえ忘れたくとも忘れられないものだ。
一歩、歩み出す。
(――!)
瞬間、空間が発光した。
何が起こったかも分からず、だが爆発やそういった類を連想した白銀武の身体は、自然と地に伏せ、うずくまる防御姿勢をとっていた。端的に言えば、それは不正解だった。もっとも何か致命的なミスを、犯した訳でもなかったが。衝撃波も何も伝わらないことを不思議に思って、顔を上げた白銀武の目の前には――。
「なんなんだよ……これ……!」
94式戦術歩行戦闘機不知火が、いた。
尤も、白銀武の周囲に突如として出現した存在は、それだけではなかった。
戦術歩行戦闘機、人型機動兵器(ラウンドバックラー)、主力戦車、装甲車輌、ウォードレス兵、機械化装甲歩兵――あらゆる種類の人類兵器が、そこにいた。戦術機の残骸やBETAの死骸を押し潰し、その上に突如として実体化した人類兵器。
その全てが、ひとつの方向を――白陵柊学園・横浜基地の方向を向いている。彼らの合間に流れる空気は、戦場のそれに近かった。
「白銀君……だね?」
戦闘行動を今にも開始しようとする兵器の合間から、ひとりの男が現れる。「元の世界」ならば、どこにでもいそうなスーツ姿の男だ。表情は、非常に柔らかい。だがしかし彼は白銀武に走り寄ると、有無を言わさぬ勢いで喋り始めた。
「いいか、時間がない。よく聞いてくれ。横浜基地があった場所は危険だ。絶対に近寄っちゃ駄目だ。逃げてくれ。いま日本帝国の首都は、仙台だ。仙台に逃げるんだ――そこに香月先生もいる、まりもちゃんもだ。暫く行けば、我々の仲間が君を拾ってくれるはずだから……」
「何を――ちょっと待ってください――何が何だか――!」
「申し訳ないが、全部説明をしている時間はない――いいか。この世界はまさしく、BETAと人類が戦争を繰り広げている、君が繰り返している世界だ。でも手違いが起こった。端的に言えば、98年以降の戦いで日本帝国は大敗し、君が知っているよりも日本帝国の勢力は落ちている、という――」
『こちらホークアイ! 反応ありッ――来る!』
「戦闘行動開始しろッ! なんとしても白銀が逃げる時間を稼げッ!」
『エースプレイヤーが頭を押さえるッ! 撃ちまくれ!』
白銀武は、唐突に与えられた情報と、何か事態が急激に動き始めたことに困惑した。
目の前の男が信用出来るかと言われれば、一切信用出来ない。
だが彼は何と言ったか。
(香月「先生」、まりも「ちゃん」と言った、オレが別の世界から来たことも知っている――?)
敵か味方か、分からない。
だがしかし、自身の事情を理解している者であることは間違いなかった。
「いいか、君が元の世界からこの世界に渡ったことに、気づいている者がいるんだ。簡単に言えば、彼らは世界を渡り、そして繰り返す君を排除しようとしている。いまからそいつらが攻撃を仕掛けてくる――正直、退けられるとは思えない。でも時間は稼ぐ、逃げてくれ!」
戦術歩行戦闘機が飛び立ち、人型機動兵器が駆け出し、戦闘車輌が始動する轟音に掻き消されないように、スーツの男は怒鳴った。その真摯な態度は、白銀の眼から見て、人を騙している演技だとは思えなかった。
遠くで、爆発音が立て続いた。
邀撃を敢行した戦術歩行戦闘機が、純武号に鎧袖一触撃破されてゆく。
純武号は、火器さえ使用せず――防御用の重力場さえ展開せずに、戦術歩行戦闘機をその接近戦用長刀で叩き斬ってゆく。敵機を駆る人間の思考を読むことで、全ての戦闘行動を先読みして回避する純武号を、有志一同の戦術機が放つ射線は全く捉えることが出来ない。そして重力操作を利用して急接近した純武号が放つ斬撃に、彼らは次々と戦闘不能に追い込まれてゆく。鑑純夏を補佐する副生体管制装置が、生前に修めた「古流剣術」は、対戦術機戦でも酷く有効であった。
『ゆっこん、ケルベロス、511号、被撃破ッ!』
『何故当たらない――命中判定に失敗し続ける!』
『移動阻止しろ! 弾幕を展開して移動阻止ッ! しるか、ヴィルベル、ガンタンク、前に出ろ――対空火網強化!』
戦術歩行戦闘機と対空自走砲が、通常の機動では到底回避出来ないだけの射弾を空中にばら撒く。
だがしかし薄桃の武御雷に襲い掛かった各種機関砲弾と対空榴弾は、目標手前でその軌道を捻じ曲げられ、あるいは圧壊して運動エネルギーを喪失した。通常兵器による攻撃を無効化する、ラザフォード場――純武号の周囲に展開された力場の正体に気づいた戦術機の主は、気づいた時には既に実体を失っていた。
『ラザフォード場だ――ちくしょおおおおお!』
『落ち着けッ! 全火力を集中しろ――内部演算ユニットに負荷を掛ければ、ラザフォード場は破れる!』
『駄目だ、ベイルアウ』
スーツの男が身に着ける無線からは、絶叫が聞こえてくる。
事情をいまいち飲み込めていない白銀からしても、「何か」と戦う彼らが不利な状況にあることは、簡単に分かった。
「わかり、ました――」
「走れッ!」
「あんた――いやあなたの名前は」
「キー……いやKだ。――行け! 走れ!」
踵を返して、白銀武は走り始めた。
爆発音と、そしてKと名乗った男の怒声を背にして。
「白銀武、これだけは忘れるなッ! 別の世界には、世界中には、お前と純夏がハッピーエンドを迎えることを望んでいる人々がいっぱいいるんだッ! 俺たちがそうだッ――君たちがハッピーエンドを迎えることを望んでるッ――いつだって助けてやる! だから絶対に、諦めるな――!」
こうして絶望的な戦いが、始まった。
第7世界の情報網を通して、「白銀武を防衛する」為だけに集まった有志達の士気は高かったが、だがしかし純武号を足止めするには実力が足りなさ過ぎた。数は力であると考えた芝村一味は、媒体を問わずに有志を掻き集めてここに投入した。名前も、年齢も、職業も分からない、ただ「白銀武を救いたい」、その一念で参加した彼らであったが、強さが伴っているとは言えなかったのである。
別世界への干渉を可能とする儀式魔術に参加したプレイヤー達と、セプテントリオンが放った刺客「純武号」との戦闘は、ほとんど一方的な展開に終始した。
……つまりは、単なる殺戮が続いた。
某メーカーブランド関係のコミュニティに属する者、アルファ・システム関係のコミュニティに属する者、匿名掲示板をはじめとする別口から集まった者――鑑純夏の前に立ち塞がった世界移動存在達は、みな等しくこの世界との繋がりを絶たれた。
擦れ違いざまに、某メーカーブランドファンクラブのプレイヤー達が駆るSu-27が、殲撃10型が叩き潰され、彼らの近接戦闘が隙を生むことを期待して、長距離砲撃戦を挑もうとしていたF-22先行量産型は、一瞬で彼我の距離を零に詰められた上で、破壊された。
純武号に対する命中判定は勿論のこと、回避判定にさえ失敗し、次々と彼らはこれ以上の干渉が不可能な状況にまで追い込まれてゆく。
『TEのイーニァと同じだ――この武御雷ッ――こっちの動きを先読みしてやがる!』
『駄目だ、足止めも出』
『いつからマブラヴは、スーパーロボット路線になったんだよッ!』
ラザフォード場による圧倒的な攻防力で捻じ伏せるしか、純武号に能がないのであれば、幾らでも対処の仕方はあったであろう。N・E・Pにより四肢や跳躍ユニットを狙撃することで、敵機を擱座、機動不可能な状況に追い込む――そうすれば、少なくとも白銀武が、BETAと戦術機の骸の中に隠れ潜み、逃げ切る為の時間は確実に稼げた。
だが、社霞と鑑純夏をはじめとする少女たち純武号(そのもの)には、いっさい攻撃を命中させることが出来ない。プレイヤー達が放ったあらゆる攻撃手段は、社霞のESP能力によって、あるいは鑑純夏が操るラザフォード場によって、あるいは他の少女の脳髄がもつ「野性的感」によって、無効化され続ける。
対要塞砲やスペシウムレーザーバズーカ、N・E・P――ほとんど装甲厚・防御無視の大火力投射に対し、純武号は軽々とその範囲から脱却し、接近戦用長刀、あるいはその身に隠した固定武装で以て、敵機を切り刻む。四方から躍り掛かった小隊単位の89式戦術歩行戦闘機陽炎は、彼我距離にして400mも詰めることも出来ないままに、強力な重力偏差に巻き込まれ、紙細工が如く引きちぎられる。
頼みの綱の絶技――精霊手や絶対物理防壁といった魔法を発動しようとした者は、リューンを加速させ絶技を完成させることさえ出来なかった。思考する限り、純武号の掌の上で踊っているに過ぎない。
戦術歩行戦闘機と、人型機動兵器(ラウンドバックラー)から成る機動部隊による抵抗線は、3分と経たず瓦解した。
『作戦失敗か――?』
『今更撤退判定など成功しない――やるしかない!』
『最後まで撃ち続けろ――!』
そして足が遅く、機動部隊の迎撃戦に追随出来なかった戦闘車輌と、歩兵による戦闘団だけが後に残された。希望号改や戦術機が立て続けに撃破される様子を見せ付けられ、彼ら自身、勝てないとは気づいていたが、それでも敵を前にして逃走する者は誰も出なかった。
ここはBETAと人類兵器の墓場、ウォードレス兵や機械化装甲歩兵にとってみれば、かなりプラスに働く戦場だ――もしかすると、一矢報いることが出来るかもしれない――彼らはまだ、諦めていなかった。ここで諦めるということは、白銀武の死を認めるということであり、白銀武を死を認めるということは、ハッピーエンドなどあり得ないと、この世界におけるハッピーエンドなど、あり得ないと認めることであった。
言葉もなく、彼らの戦術は完成した。
『俺たちが惹き付ける――!』
74式戦車改清子さん、レオパルト戦車清子さん2が行進間射撃を実施しながら、楔形陣形で疾走する。もはや命中を期してはいない――機関砲の掃射まで回避してみせる怪物に、戦車砲弾など当たるはずがない。実際に桃色の敵影は、三次元機動を以てこれを回避し、清子さんをはじめとする戦闘車輌一輌一輌に、その凶刃を突き立てに掛かる。
(後は頼んだぞ――!)
戦車兵を演じるプレイヤー達の思念を、社霞が捉えた瞬間――純武号の周囲、BETAと戦術機の骸の隙間から、膨大な数の火線がほとばしり、幾つもの影が飛び出した。出来得る限り思考を殺し、またESP能力者がもつであろう思考読解の範囲から逃れるように、遠巻きにその身を隠していた歩兵達による、乾坤一擲、最後の総攻撃であった。
パンツァーファウスト3、99式熱線砲、40mm高射機関砲、12,7mm重機関銃、7,62mm機関銃――あらゆる種別の携行火器が、主脚や跳躍ユニット目掛けて撃ち出される。そして隠密性に優れた「ハウリングフォックス」や、高機動型ウォードレス「ライトニングフォックス」を纏ったプレイヤーが、駆ける。
すべてが、純武号一点に集束する――。
僅差で、ラザフォード場の展開速度が勝った。
巻き起こった重力偏差は、殺到する弾丸を全て無効化し、格闘戦を挑んできたウォードレス達を無力化する。遠距離狙撃の為に離れた距離にいた歩兵達は、この時点では全滅を免れたが、結局は早いか遅いかの違いでしかなかった。狙撃失敗を悟った彼らは、移動を開始するも、すぐさま虱潰しに撃破されてしまう。
……異世界より集った有志達は、全滅した。
彼らが稼ぎ出した時間は、10分にも満たない。
鑑純夏と、白銀武の合間を遮るものは、もう何もなかった。
衛士としての経験を記憶している白銀武の全力疾走も、むなしい。僅かな時間では、社霞のESP能力範囲圏外へと逃れることも出来ず、また身を隠すどころの話ではなかった。純武号のアイカメラは、一歩でも自身から遠ざかろうとする男の背中を捉える。管制装置となった少女達の脳髄は、淡々と純武号の機能処理を実施するだけで、そこに何の感情ももたなかった。
何が起こっているのか、全く分からないままに逃げる白銀武の頭上を追い越して、彼の数十メートル先に、純武号は降り立った。
「――!」
目の前に現れた戦術機に息を呑んだ白銀武は、Kの言葉を忘れず、最後まで諦めずに逃げ切ろうと思ったが、同時にそれが無駄なあがきで終わることを直感していた。戦術機を乗りこなしていた衛士としての、直感。生身の人間が、本気で殺しに掛かって来る戦術機から逃げられるはずがなかった。
「ここまでかよ――!」
純武号が、接近戦用長刀を構える――白銀武は、その姿をどこかで見たような気がした。無限鬼道流を修めたという少女の構え、おそらくあの構えからは、下段目掛けての横薙ぎが放たれるに違いなかった。
(冥夜――純夏――!)
走馬灯の喩えとは、よく言ったものだ。
白銀武の頭脳は平時ではあり得ない速度で、自身の学園生活を軸とした思い出を反芻し、自身が絶命する最期の最期まで、情報を引き出し続ける。全てが掛け値なし、かけがえのない思い出であった。……おそらくもう二度と、同じような体験は出来ないであろう、いま思えば奇跡的な、平穏なる日常であった。
【真愛編】1話、「衝撃、または絶望」終
【真愛編】2話、「ふたりの出会いに、意味があるのなら――」につづく