人間には、ゴーストというデータが存在する。そのデータの有無によって魂を持つかどうか、人か否かが決まる。
僕たちタチコマンズには、実質的なゴーストは存在しないと言われている。コンピュータ、珪素を基軸としたシリコンの脳だから。でも、プロトは、あると言った。らしい。
らしい、というのは、人伝に聞いたからだ。リーツ・アウガンから。
彼は、人間ではあるが、その突飛な行動と発言は、九課でも溜息と共に人外宣告をよく受けていた。当の本人は、だからどうした、と笑ったが。
最初に出会った頃のリーツ、教授は、トグサさんと同様に電脳化処理をしていない珍しい人間で、笑い男を追いかけている中、本格的に捜査に協力してもらうにあたって少佐から義体化を勧められることになり、その三日後、教授は、自作の義体を作ってきた。
だが何を考えていたのか、性別は、女性だった。
これには、さしもの少佐やバトーさんも苦笑いも浮かべた。
けれどもその能力は、軍が使用する物とタメを張るほど頑丈で壊れにくく、少佐が、ゴーストの入っていない予備の素体を持ち出すほどだった。一応は男性タイプもあったが、バトーさん曰く、、少しほっそりとしていて似合わない、と言っていた---遠隔操作して盾にはしたけど。
もともと教授は、地元の大学で教鞭をとりつつ兵器開発のオブザーバーとして公安機関や自衛軍工廠を行ったり来たりとしていた。
少佐、もとい公安九課と教授が初めて会ったのは、新型多脚戦車の乗っ取り事件のときだった。
というか、教授が、新型多脚戦車の乗っ取りに手を貸していた。
あとで知ったことだったが、新型多脚戦車の実質上の開発主任、加護タケシは、教授とは師弟関係、とのことだった。それが関係してか、新型多脚戦車には、自衛軍内部で開発されていた『エンディミオン』で使われている数々の技術が使われており最強にして最悪の多脚戦車だと言っても過言じゃない強さになっていた。
後々にこの戦車は制式採用されるわけなんだけど、『個別の十一人』事件のときに、極秘に上陸した米軍と一戦やらかした時には、この上なく『最強』の名に恥じない結果を出した。
あの時もその時も、一番厄介で、頼もしかったのが、エンジンだった。なにしろ教授が開発した永久機関を載せていたために稼働時間が理論上は無限。持久戦に持ち込めば、まず勝てるのだ。
しかも単純ながら変形機構まで付いており、状況によって最適な形態に変形させて相手を翻弄する。そして戦艦と同じ素材で作られた装甲は、もはや『最強』を通り越して『卑怯』の域に達するものだった。
装甲に至っては、自分たちタチコマンズにも使われたから、その凄さが分る。あれは、良い。
当の教授といえば、新型多脚戦車の乗っ取りのどさくさに紛れて人型有人型作業機重機、エンディミオン、中でも戦闘用に改造された、ただ一機だけの『GT-X』を持ち出し、新型多脚戦車と一緒に加護タケシの実家に向かった。
僕たちタチコマンズは、少佐の命令で加護タケシを止めるためにアタックを掛けたんだけど、ダメでした。僕たち、なんで再起動できたのか、わからないくらい激しい壊れ方をしたんだけど・・・
とにかく戦車の物取りは、住宅街にまで及んでしまい、やむを得ず少佐が、電脳を焼き切ることにしたんだ。
そこに異議を唱えたのが、教授だった。あろうことか、戦車に取り付いた少佐にトリモチ弾を撃ったのだ。
『すまん』と、そう言って続けた。
『不幸な結果にはならない。だからそこで見ていてくれ』
少佐たちは、加護タケシの育ちから両親に復讐するのではないかと考えたが、それは違った。加護タケシは、電脳、それも義体とも呼べない多脚戦車で得た身体を両親に見せたかっただけだったんだ。
加護タケシには、両親に復讐する意図はなかった。事実その後、両親に再会したあと、自分で出入口の電子ロックを外して投降した。教授も、一緒に。
ちなみに、それがわかるまでバトーさんといえば、対戦車ライフルを持ち出してGT-Xとガチンコ勝負をしていました。
それが、僕たちタチコマンズと少佐と、バトーさんと、公安九課と、教授の出会い。いまにして思えば、人間という思考生命体が、自分の利益に喧嘩を売り、生命の危機に立たされる事態を自らの手で招くその行動が、自分たちが追い求めるゴーストというものへの探究心の入り口に違いなかった。
その後エンディミオンシリーズは、教授の不祥事で凍結、廃棄されることになり、新型多脚戦車へ、その技術が全面的、大々的に使われることになった。
教授が持ち出したGT-Xは、九課が押収した次の日に無くなった。正確には、教授が、事件検証でGT-Xの操作を命じられたときに消滅させたのだ。
『悪いが、君たちにこれを調べさせるわけにはいかない。GT-Xの痕跡を、私以外の人間に残すわけにはいかない』と、して。
結局、事件資料を意図的に廃棄したとして教授には、さらに重い刑が科せられ、おそらく生きている時にシャバには出てこれないだろう、とバトーさんは言ったけど、笑い男事件の捜査に協力させることを少佐が決め、特赦を申請した。
もともと被害は、器物破損と公務執行妨害、準軍事機密漏洩罪くらいなもので本人にもある程度の反省の色が見れたのと、犯罪の経緯から再犯のリスクは、少ないだろうということでいくつかの条件付きで司法取引をしたのだ。
だけど『個別の十一人』事件のとき、密かに再建していたGT-Xを使って九課でもカバーしきれないほどの越権行為をやって、特赦を台無しにしてしまった。
もちろんそれは、九課のみんなを守るためにやったことであり、私利私欲のためにやったわけではない・・・のだが、その時の少佐の怒り様と言ったら無く、恐ろしいものだった。
『あのバカ!せっかく特赦までやったのに、またやりやがったわ!』
その後、核ミサイルを撃墜するために今回やったような衛星乗っ取りをやり、なんとか防いだ。それを確認できたのは、教授が、予め笑い男に作らせたオンラインネットワーク上の仮想データサーバに保存しておいた僕たちタチコマンズのメモリから再起動したときだった。
そこで僕たちは、データであることを活かして自分たちのコピーを二つ作り、片方はバトーさんへ、もう片方を、こうやって教授についていくことにした。
そして今に至るわけなんだけど、未だに教授のことがよくわからない。一期一会と言いつつ、心のどこかで生誕世界の奥さんとお子さんのことが気になっているようだが、どういうわけなのか、行く先々の異世界で妻子を作ってしまう。まぁ、そのほとんどが事故や逆ギレ、儀式的なことで、教授自身が、進んで口説いているわけではない。中には教授から口説いた例もあるが、それは稀有な例だ。
なまじBBTを持っているなら、そのことを無かった事にしちゃえばいいのに、教授はそうはしなかった。絶対に、多分、これからも。
いつだったか、ガイアメモリがらみのことで教授にそういう質問をしたことがあったけど、どうにも要領を得ない答えが返って来て今でも悩む。それが、人間という生き物としての一つの答えだとしても、あまりにも少数派に過ぎる。それは教授が特殊すぎるのか、珍しいのかは、わからないけど。
『どういう理由であれ、妻の中にいるのは私の子だ。妻はともかくとして、生まれてくる子供に罪はない。なら、私は父親としての義務を果たさなければならない。それに---未来に生きようとする子供は、いつ見ても美しい』
バトーさんは、教授のことを「生真面目な大バカ」だと言っていた。そちらの意味は、多少は理解できるのだが、本質的な意味ではないためにバトーさんには悪いけど、参考程度にしかならなかった。
そんな教授は、いま、N2爆弾という核汚染のない戦略核級の破壊力を持った爆弾を精製していた。
ぼく、ベルカは、教授の精製したN2爆弾の部品を検査しつつ片っ端から転送装置に放り込んでいる。他にも何人かの人員を借りて作業が進んでいる。精製する数は、全部で3500発分で、一発が30メガトンクラスの破壊力を持つ爆弾だ。
試験的に使ってみた結果、こちらの方が後腐れなく使える、ということだったのでこちらにしたようだ。
もうひとつの候補にあった酸素破壊爆弾は、別名オキシジェン・デストロイヤーとも言われ、核爆弾のような破壊力はないにしろ、一方で生物に対しては驚異的な破壊力を有する。実際に使ったのは、一発だけだが、使われた国の代表が、使われた瞬間の映像を見て泡を吹きながら倒れてしまったのだ。
そりゃ、使った相手がBETAとは言え、瞬く間に骨だけにされていく光景は、見ていて気持ちの良いものじゃない。機械である僕たちでさえ、目を背けたかったほどのものだった。対照的に香月博士は、「リーツのやつ、やりやがったわ!」と両手放しで絶賛していたけど。
それにしても数が多い。もうじきに規定数に達するとは言え、そろそろオイルにも劣化が来ているし、オイルエレメントの透析具合も鈍ってきた。ペンゾベースのオイルにゾイル添加剤を混ぜてあるので多少は、交換時期が、遅くなっても問題なく動いてくれる。天然オイルみたいな喉越しはないけれど、100%化学合成油で作られたオイルも悪くはない。味は悪いけど、ちゃんと体に馴染む。
とある世界でズタボロにしてくれた吸血鬼の言葉を借りるなら、馴染む、だ。
機械である僕らは、壊れたら部品を変えたり定期的にオイルを変えたりすれば、それこそ半永久的に活動できる。メモリーをどこかに保存すれば、それこそメモリーが続く限りずっとだ。
だけど人間は違う。いくら鍛えていても、身体は休ませなきゃ壊れるし、精神にだってあまりよろしくない。ゴーストダビングにしろ、電脳を別の義体に保存するにしろ、それらだってある程度は常に外部情報を取り込む活動を、生きている作業をしないと精神に変調をきたし、壊れてしまう。
鑑純夏が、そうであったように。
彼女の場合、彼女の脳髄を生かしていた液体は、僕たち機械で言うところのオイルそのものだ。使えば使うほど、時間が経てば経つほど、潤滑能力や作用効果が失われていく。そういった意味では、鑑純夏の存在は、一定の親近感が湧く。
案外、ケイ素を生みの親とするBETAが人間を脳髄だけにしたのは、人間に自分たちを生み出した親の姿を重ねたからかも知れないな、と思う。
そんな風に手を動かしつつ思考回路を稼働させていると仲間が、定期連絡の短い通信信号を送ってくる。その中には、教授が埋め込んだ『アクメツの統合プログラムを真似た』プログラムの、常時シンクロするための信号も入っている。原子崩壊時計に直結された正確な時計でタイムラインを合わせ、思考パターンに偏りがないように簡易最適化をする。
こんな事ばかりしていると、その内に僕たちには個性がなくなってしまうのではないか、と疑問を教授に呈したが、教授は、それはないと首を振って答えた。
『アクメツの統合プログラム』は、個々の個性を限りなくフラットにするためのものではなく、『アクメツ』という元々の個性が、似た通ったかの個性を持っている事を前提に『記憶』を無理なく統合する為のプログラム、ということらしい。なので、いま、僕たちタチコマンズの個性は、さほどかけ離れたものではなく、しかし個別の個性が形成されている、正しく『アクメツの統合プログラム』を使うには、もってこいの例なのだと言った。
しかし、ここでひとつの疑問が浮かぶ。記憶を転送し、『統合』し、数多くの人間を一人の人間として成り立たせた場合、では、『ゴースト』は、何処に行ったのか?
『統合』した場合、アクメツのゴーストは、一体どうなってしまったのか。それを自分たちが直に体験できるとあれば、これ程に興味をそそられるものもない。アクメツ、『ショウ』は、魂の存在を否定していたが、もしかしたらそのシステムを実施していく中で、僕たちはゴーストを、自分自身のゴーストを発見できるかも知れない。
もし僕たちタチコマンズにゴーストが確認出来れば、珪素を基軸とした存在でも、炭素を基軸とした存在でも、共通の意思決定機構によって自我意識を形成しているという証明になる。
つまり、CPUでもニューロンでも行き着く到達点は同じだということだ。
魂を持っている。
そういう事になる。
もっとも教授は、その点に関しては既に答えを出しているらしく、その答えを以て僕たちを再構築している。教授は、その答えを教えることはなく、また僕たちも答えを聞こうとは思わなかった。
早くこのシステムのすべてを使いたい。そして証明したい。
そう考えられずには、いられない今日この頃な僕たちだった。
≪何だ、どうしたんだベルカ。手が止まっているじゃないか≫と、リーツ。
はっとしてみれば、ベルカの前には、割り振られた分の部品が山となって積み上がっていた。
≪あちゃー・・・≫
≪作業しっぱなしで、レジストリにエラーでも溜まったか?≫
≪どちらかというとオイルとエレメントがそろそろ交換時期というだけで、それ以外には特にないです≫と、作業を再開する。
≪そうか、そろそろ交換か。しかし、それだけじゃないような気がするのは、気のせいかな?≫
≪・・・この前、教授に渡された『統合』プログラムについて考えていました≫
≪ああ、あれか。なんだ、どこかバグでも見つかったのか?≫
≪バグは検出されていませんよ。ウィルスも。正確に言うなら、ゴーストについてです≫
≪『統合』したら、魂は、ゴーストはどうなってしまうのか、だったか≫
≪はい。近い例で言えば、『ゴースト・ダビング』がありますが、あれは記憶を複写しているだけで、重ね合わせて差異なく統合しているのとは訳が違います≫
≪記憶も電気信号と脳内物質で保存されている以上、それを完全にコピーして再現が出来れば、たしかに一人の人間だ。しかも、それを複数人分、無理なく統率し、一人の人間の記憶として保有し、処理し、実行されたとき、さぁ、では、それは、ゴーストを持っていることになるのか、ならないのか。持っていないとしたら、それはヒトと呼べるのか。いや、生きていると言えるのか?---君が思考を巡らせていることは、大方そんなことだろう≫
≪教授のゴースト、囁きまくってますね≫
≪囁くと言うよりは、姦しいと言った方がいいかな。ピーチクパーチクと五月蝿いものだ。私も、『統合』ほど乱暴ではないが、記憶を統率する仕組みを使って他のリーツ・アウガンが得た経験を自分のものとして扱っている。しかし、私のゴーストは、私だけのものとして確立している。統合したからと言って精神分裂などしていないし、かと言って思い出せなくなることもない。至って普通だ≫
≪教授の言う普通と一般人が言う普通では、かなりの隔たりがありますよ≫
≪普通じゃないことに慣れてしまったら、それが当人にとっては普通なんだ。戦場で日常を過ごす者、畑を耕して過ごす者、酒池肉林の宴を過ごす者。人それぞれの日常が、普通となる。白銀君がいい例だろう。因果導体としてあっちにフラフラ、こっちにフラフラと、出口を求めて『この』フラスコの中を彷徨い、それが彼にとっての『普通』となる。それでいいんだ、それで。自分が異常事態に置かれていると認識し続けるからおかしくなってしまうんだ。ならいっそ、異常を受け入れて普通になった方が、そいつのためだ。少なくとも、錯乱して他人に危害を加えることなどなくなる≫
≪それは、そうでしょうけど≫
≪魂を知り、この世の根源を理解するということは、そういうことだ。高性能な機械の原理なんて理解していなくとも、ひとは生きていける。だが、生きていけるだけで次の世代には、何も残せない。私にとっての普通と異常の違いは、まさにそこなんだよ。明確だが、紙一重だ。どちらにしろ、受け入れるための度量と理解力が必要だがな≫
何方か一方でも欠ければ、意味を成さない。到達できない。理解できていても結局、受け入れるだけの度量がなければ、破綻する。度量があっても理解力がなければ、やはりいつか破綻する。リーツ・アウガンのたどり着いた事実は、相違両道でなければならない。
≪有限世界でのように、ですか?≫
≪ああ、そうだな。ナクヤにシグナム、セイロン。懐かしいメンツだ。お土産は、今もちゃんと使えているかな?≫
≪あのあと、行ってないんですか?≫
≪一度だけ行ったことがあるが、リーツ・アウガンとしては行けなくなっていてな。どうやら超空間でテムリオンと戦ったことが原因らしい。おかげでリーツ・アウガンになる前のそれでないと無理になってしまってね。なかなか私だとわかってもらえなかったよ≫
≪あのひとの、お墓参りもしましたか?≫
≪ああ、ちゃんとやったさ。忘れていない。忘れていないおかげで、今でも『他の女性と関わるとZ・O文化包丁が飛んでくる』トラウマが健在だ≫
≪強烈でしたもんねー。ぼくたちなんか、食材と間違われて煮込まれかけましたし≫
たしかにタチコマの形状からして新種の甲殻類かと思うだろうが、だからと言って、いきなり食べようとするのは、どうだろう。
≪あれが俗に云う『ヤンデレ』なのだろうな。まぁ、生い立ちからして支えを欲しがるのは不思議じゃない。一度得た支えを誰かに奪われるくらいなら、いっそ・・・と、むしろ、あれこそが彼女本来の姿だと思うと、今でも愛しく思うよ≫
≪・・・やっぱり、教授は普通じゃないと思う≫
自分から命を落とす、または落としかける行為を何度もやってきた教授に言うのは今更だが、自分を殺しにくる相手を『愛おしい』と言えるそのゴーストが、ベルカ、引いてはタチコマンズには、わからない。特攻や自己犠牲の撤退戦ならまだ理解も出来るが、その点は、まだよくわからない。
≪何気に傷付く言い方だね≫
≪教授って、言うほど傷つきやすい性格でしたっけ≫
≪衛宮ほど繊細じゃないが、それなりに傷つくさ・・・そう言えば、その衛宮はどうした≫
≪ご飯を作りつつ、教授が残していった調整機材で横浜の整備班の皆と一緒にジェフティの調整を続けています≫
≪魔力回路とメタトロンの量子回路は、見た目は同一のものだが、流れているものは全くの別物。なのにシンクロしてしまう特性がある。困ったコンビだよ、全く≫
それでも彼が、数ある中からジェフティをチョイスしたのは、幸いだったと言えなくもない。これがダイナミックゼネラルガーディアンに代表される特機であったなら、すべての調整をリーツがやらなくてはならなかった可能性がある。その理由は、情報の保護に他ならない。
今回の騒ぎのようなスパイが潜入しているかも知れない場所で整備をして、ネジの一本、ナットの一個などの小さな部品でも、この世界で転用可能な技術、素材で造られていたなら、いらない騒動を起こすのは眼に見えていることだ。
だがその点、オービタルフレームは、そのすべてが特殊鉱石メタトロンで構成されている特別な機体だ。駆動部品の塊であり、同時に量子コンピュータでもある。仮に組成がわかったとしても、メタトロンを人工的に精製することは、BBTでもない限り不可能である。ましてジェフティを統括している超高性能AI・ADAが常に監視の目を光らせている以上、ジェフティに対するスパイ活動は、事実上、不可能だ。
≪うかつに出力リミッタを外すと同一化しそうでしたからね≫
≪だからあれ以降、なるべく衛宮をジェフティに乗せないようにしてきたんだ。乗せたとしても短時間だったしな。しかしながら予想される横浜基地防衛戦には、衛宮の力が必要になる≫
衛宮は、魔術師でありながら科学への覚えもある特異な魔術師である。人形師などの一部の人間を除けば、ほとんどの魔術師が科学を快く思っておらず、ゼルレッチの孫弟子という肩書きがなければ、『ついうっかり』と実験材料になっていた可能性も否定出来ない。
もっとも、そんな衛宮の気苦労を減らそうと、ゼルレッチと一計を案じてBBTの発表会を時計塔で行ったときは、その場でリーツが実験材料になりかけたが。
≪予想されるBETA総数は数千万単位でしたね≫
≪セントラルコンピュータと戦略コンピュータは、そういう判断を下している。その内の幾つかは、月からのオービット・ダイヴによるものだ。前に作った衛宮用の狙撃装備を珠瀬少尉に渡してきたが、それでも数だけは多いのがBETAだ。半数以上はそれと、衛星軌道上艦隊、それに地表からのICBMが撃ち落とせるだろうが、幾つかは、地上に到達するだろう。既に横浜に向かっているBETAのこともある。横浜に向かうだけならまだしも、帝都への進行は絶対に阻止しなければならない。帝都防衛の切り札である『火之迦具土』の調整スケジュールにも若干の遅れが出ている。下手をすれば、会敵と同時か、少し後に出撃することになるだろう≫
≪BETAは現在、朝鮮半島にて帝海、国連と朝鮮、中華統一戦線、ソ連、アメリカのそれぞれの対陸戦艦隊が光線級の存在を確認、迎撃中で、経過は概ね良好です。ゼノ・ドライヴ素子を使った新型AL弾頭と、海兵隊はプラチナ・データを反映させた『SX-4』のおかげで、被害は従来と比べて六割ほど損害低下に成功しています≫
光を推進力に変換するゼノ・ドライヴ素子。素子の状態でもその特性は失われることはなく、他の重金属粒子と結合することによって効率良く光線を吸収して光線級に集まって行き、襲いかかる。襲いかかると言っても光線級にしてみれば、砂をかけられた程度のことだろうが、それでも妨害にはなる。その影響で光線級自らが照射時間の延長を図り、よりゼノ・ドライヴ素子を含んだ重金属粒子が密集して視界を不良にして照射を妨害させ、さらに『眼』に入れば、使用不能状態を引き起こすことが報告されていた。
SX-4は、白銀の空間機動データを元に従来のレーザー回避プログラムを筆頭にその他諸々の行動パターンをアップグレードしたものだ。システムプログラムの構造上、XM-3を直接にバージョンアップさせたものにあたり、マイナーチェンジを経て白銀専用化が進んだEXAMとは、親戚関係に当たるシステムだ。
XM-3が、そのほとんどをマニュアル入力でこなす反面、恐ろしく自由度の広い機動を取れることに対してSX-4は、複雑なマニュアル入力を極力省き、予め決められたコンボを含む行動パターンを再現できる、初心者向けの、補助輪のようなものだ。
たとえば、コンピュータが、衛士が迫り来る敵性体に対して反応できそうにないと判断した場合、一時的に衛士からのコントロールをキャンセルして戦闘機動制御を支配下に置き、手持ちの武装や機体の一部をわざと破壊させて衛士を守ったり、最適な自律行動をとって敵性体を殲滅する、半自律制御プログラムだ。
SX-4を動かすためのプラットフォームは、XM-3やEXAMとほぼ同じでメモリ領域の拡大やCPUの放熱加工に改善があるくらいで隔絶するほどの大きな違いはない。むしろ部品の使い回しが出来るほどで、F-4ほどに整備性は良い。
将来的には完全な無人機、無人随伴機の運用を視野に入れての布石でもある---もっともリーツは、完全無人機化する予定はない。BETAが無人機のコンピュータをハッキングしてプログラムを書き換えたらどうなるか。有人機であれば、例えコンピュータを乗っ取られたとしてもコンピュータを破壊する事ができる。被害は、そこで終わりだ。戦力減は否めないが、敵に回ることを考えたら『敵を破壊した』と言える。
それにBETAには、戦っている相手がコンピュータではなく、人間だということに気がつかせなければならない。無人化などすれば、それこそ対話の糸口もへったくれもなくなってしまう。新型OSシリーズは、『人間から学習した機械によるひとの模倣』を、前世代OSよりも顕著にしている。
機械ではない何かがいる。
当のBETAも、純夏に代表される人間たちを解剖して調査していた以上、ある程度は、人間に対して何かしらの認識はあるはずだ。それをより確信的なものとするためには、『ひとはここにいる』ということをアピールしなければならない。新型OSシリーズの普及に際して、リーツは、そういった言外のメッセージも込めていた。
しかしながら現段階でBETAは、応戦、または『災害の排除』といった実力行使の手段で、どうにも対話が始まらない状況だ。よって今の段階では、戦闘行動によってBETA側の戦力を削ぐ段階だ。手持ちの駒が無くなったところで、否が応にも対話のテーブルに縛り付けて人間を認めさせ、戦闘行動を終結させる。
もしもこの先、ずっと戦闘行動が続くようであれば、人類の歴史は闘争一色に染まり、BETAと違う異星体と接触しても戦闘に陥る可能性、ないしその疑惑を相手異星体に与える結果になる。
リーツは、この世界でBETA以外の異星体の情報は持っていない。しかし存在すると確信はしている。BETA以外にも戦闘対象が増えるのは、それこそ人類の絶滅を意味する。そこまでの力を、この世界の人類は有してはいない。もちろんリーツは、そんな戦争など真っ平御免で関わるつもりは一切無い。なのにリーツから得た技術で調子に乗り、戦争状態になって負けでもしたら、せっかく鑑純夏改め白銀純夏を救出した意味が無い。最悪、夫婦揃って脳みそにされることだってあり得る。それこそ、冗談ではない。
確かに譲れない戦いはある。しかし戦わずに済むなら、それに越したことはないのだ。時間と物と命の無駄遣いである。
≪素子そのものの作りは、非常に単純だから、どこでも一定の生産設備があれば作れてしまう。電子基板製造設備を転用できるほどだ。その分、乱発すればBETAが減衰分を修正してより強力な光線級を生み出すことも予想の内だったが、私とて、まさかオリジナルハイヴで出現するとは思わなんだ≫
≪てっきり最前線で投入してくると予想していましたからね≫
≪まぁ、さしものBETAも、自分たちが撃ったレーザーを、そのまま撃ち返されるとは思っても見なかっただろうがな≫
≪普通、レーザーを撃ち返そう、なんて、考えても実現しそうにありませんよ≫
≪いつ、何処に撃ち込んでくるのかがわかれば、割と難しいことじゃないさ。現にやってのけた。もっとも、あれだけの出力ともなると、これが最初で最後になってしまうが≫
≪『やまびこやま』でしたっけ?作れないんですか?≫
≪ああ、無理だ≫
製造に必要な複写対反転結晶体には、素子サイズの認識タグが埋め込まれている。これは誤作動を防ぐためのものでもあって、何かの拍子に反射してしまわないようにするためのものだ。スイッチがオフのときは、まったくのアトランダムに認識タグがオン・オフを繰り返している。スイッチをオンにすると認識タグも全てオンになる。そして一旦スイッチをオンにすると、もう二度とオフにすることは出来ない。認識タグのオン・オフを切り替えるための暗号を解読されないためだ。暗号には量子信号を使っているから解読はできない。いくらBBTでコピーを作ったとしても、その量子暗号を管轄しているホストコンピュータに解除申請を出さなければ、例えスイッチをオンにしても、うんともすんとも言わないのだ。
≪ドラえもんから、もっと貰えばよかったのに≫
≪アレだってただじゃない。貰えただけでも御の字だ≫
≪貴金属でも渡せばよかったのでは?≫
≪ネコ型ロボットだけに、小判でも?それは彼の私に対する信頼への侮辱だよ≫
≪(これが、バトーさんの言ってた『生真面目なバカ』ってことなのかな)≫
非効率であることをわざわざ進んで行うという点では、たしかに馬鹿だろう。だが、馬鹿になってでも通さなければならない筋というものが、リーツの中にはあった。
≪そもそも信用に代表される社会契約というものはだね---≫
リーツが、くどくどと説教を始めようとすると、ベルカが遮って言う。
≪あ、そろそろ演説が始まりますよ≫と、通信回線をGT-Xにも開く。
≪なに、なんだ。もうそんな時間か≫
演説とは、イルマ・テスレフ少尉の演説だ。彼女は、家族を人質に取られてオルタ5派の尖兵として米軍に潜り込まされた工作員であるという事実と、タチコマンズが、アメリカに渡った際に得たオルタ5の情報を公表するという大役を背負ってもらっている。
その見返りに彼女の家族は、アメリカ軍の中でも腕利きと言われるいくつかの特殊部隊が、救出済みであり憂いなく演説を行える環境を整えてある。
≪しかし、教授がやらなくてよかったんですか?≫と、不思議がってベルカ。
≪世間的には、男性の熱い弁論よりも悲劇的な女性の身の上話の方がウケがいいんだ。そもそも私は『ラーズグリーズ』、幽霊だぞ≫
≪その割には、教授自身のプロフィールを世界各国にばらまいていたようですが≫
≪フーファイターとして処理されるように、殿下、大統領、国家元首、果ては国連事務総長にも『お願い』してある。奇跡の裏に正体不明の人間、しかしその正体は、国連のいち機関から民主主義的に選出されたリーダーだ、とでもしておかないと民衆も納得しないだろう。程よいタイミングで撃たれて死ねば、なお効果的だ。そういった英雄を妬む人間なんてゴマンと居るし、何しろ人間の歴史はそういった殺し殺されの歴史だ。別に不思議でもなんでもない、ただの『自然死』として処理される。プロフィールに本当のことを書いてあるのは確かだが、ある一定以上の権力を持つ人間にしか知られていないのも確かであるし、万が一に民衆に漏れても、この世界の、地球の今現在の科学技術では、到底成し遂げられないことだとして、勝手に否定してくれるよ≫
その瞬間、リーツ・アウガンという人間は、幽霊となる。よしんば科学技術が向上して平行世界への移動が可能になったとしても、その頃には、リーツの情報は人々の記憶からも消え失せ、記録も曖昧だから検証のしようも無くなる。例え誰かがリーツの記述を見つけてきたとしても記録が改ざんされている可能性もないわけではない。次元交錯線を超えるほどの科学レベルを有するための時間というのは、百年二百年では、足りないのだ。
もちろん、リーツの見立てよりも跳躍技術が確立される時期は速くなることだって有りうる。しかしそれは、今日、明日ではない。とりあえず、今をしのげさえすればいいのだ。
≪まぁ、香月博士なら存命中に作っちゃうかも知れんがね。寿命にしろ、暗殺にしろ、私はこの世界から消える事が前提の人間だ。元々、居なかったわけだしな。厄介ごとを押し付けるには、これほど適した人間は居ないだろう≫
≪(うーん、やっぱり、これが『生真面目なバカ』なのかな?)≫
≪なにか思ったか?≫
≪いえ、なにも≫
開かれた回線から、壇上に上がろうとするイルマ少尉が見える。演説が行われている場所は、ホワイトハウス。そこから世界各国の主要メディアへと同時配信されている。映像の下には、テロップが流れ演説の補足や細かい解説が流れるようになっている。
欲を言えば、一方的な放送ではなく、ある程度の相互通信環境を備えたオンラインネットワーク上での放送をやりたかったリーツであったが、オルタ5派が完全に消滅したわけではない上に、オルタ5派でなくともこの放送でダメージを食らう数多くの人間からネットワークを攻撃されて放送そのものをダメにされるよりかは、マシという判断から取り止めになった。
イルマ少尉が、壇上の向こうにいる彼の人に頭を垂れて一礼して、壇上に着く。そして流暢な英語で、手に持った資料と自分の脳に詰まった情報を語り始めた。
自分の出生に始まり、BETAに住み慣れた土地を追われ、やがてアメリカでの市民権を餌に近づいてきたCIA、もといオルタ5の工作員にそそのかされるままに米軍へと入隊し、そして自分に与えられた使命を言う。
≪---いま、お話ししたことは、全てが事実です。その裏付けとなる機密文書は、既に世界各国のメディアに配信され、検証が可能です≫
イルマ少尉が、今まで自分が居た壇上を譲り、その横につく。少尉の代わりに壇上に登った男は、その国の最高権力者だった。
≪アメリカ合衆国大統領、ハーリングです。この度の一件において、イルマ少尉が述べた言葉は、合衆国大統領の名において保証します≫
そして彼の隣にカメラが移り、ソビエト連邦総書記・ニカノールが映る。彼もまた、オルタ5の被害者であり、アラスカに幽閉されていた。それをジャール大隊とユーコン基地所属の不知火弐型開発チームの混成部隊が救出したのだ。
彼には、霞ほどではないにしろESP能力があり、プロジェクション能力を持っている。彼が早い段階に幽閉場所から救出されたのは、その能力を活かしていたからであった。
≪ソビエト連邦総書記、ニカノールです。私も、彼女、イルマ少尉の発言を全面的に認め、支持します≫
そう宣言すると、堰を切ったようにカメラのフラッシュが瞬く。無作為に呼ばれた、プロアマ問わない世界中のマスメディアだった。
≪この度、世界を巻き込んで起こった一連のクーデターは、本来であれば、人類を救うための計画の一端でありました。しかし、愚かにも欲に目のくらんだ一部の者達は、個人の利益を追求するあまり、自分たちにとって都合の悪いものを一掃しようとしました≫
リーツの眼が、よく見なければわからないほどに細まる。
≪私たちは、そういった者たちの手によって幽閉され、利用されようとしていました≫
≪しかし、そうはなりませんでした。なぜなら、私たちには信じている者たちがいるからです≫
記者の一人が手を上げ、信じている者たちとは、と聞く。
≪『彼ら』です。『彼ら』がいる限り、人類に負けはないでしょう≫
彼らとは、と聞く、別の記者。
≪我々を救出し、このクーデターを迅速に終結させた者たちのことです≫
ハーリングの言葉を、ニカノールが引き継ぐ。
≪『彼ら』の名は、『ラーズグリーズ』。今は、それだけしか言えませんが、時が来れば、皆様に公表するとお約束しましょう≫
≪そして我々人類の共通の敵であるBETAの大軍が、国連極東支部、横浜基地に侵攻中であります≫
どより、と場がざわめく。オルタ5が情報封鎖をしていたとは言え、漏れるところからは漏れるのだ。それが、二つの超大国のリーダーによって肯定される。
≪いま、このときも数多くの戦士たちが海の上で、または海の中で戦い、日本列島への上陸を阻止せんと戦っています≫
≪その横浜基地には、『彼ら』やアークバードに次ぐ対BETA戦略に対する切り札があります≫
おお、と感嘆する記者たち。
≪しかしそれは、安易には動かせず、また、調整も横浜基地でしかできません≫
≪よって、此処を落とされるということは、人類の敗北を意味します≫
人類の敗北、という単語に動揺を隠せない記者たちだったが、それを打ち消すように、二人が立ち上がり、互いの手をとって、固い握手を交わす。やや遅れて、フラッシュが瞬く。
リーツにとっては、見慣れたデモンストレーションだが、これは、ひとに必要な事。誰かがやらなくてはならない事。
≪私たちは、ここに国連の新体制の枠組みと新たなる秩序を提唱し、同時に、『地球人』の皆様へ呼びかけます≫
ここから、本来の歴史から外れた、新しい歴史が始まる。やがて、その歴史を打ち倒す者たちが現れ、今と同じような事をやるだろう。その時の背後には、リーツか、それに準じた者が、立役者となって、また新しい歴史を紡いでいくことだろう。
リーツが関わるかどうか分からない先のことは、どうでもいい。
今は、自分がいる、この世界の、この時間のことだけを考えていればいい。『これから』のことは、『これから』の者たちに任せればいい。自分たちに出来ることは、『これから』の者たちのためにできるだけのことをするだけだ。
記者会見場のボルテージが最高潮に達する。きっと、この映像を観ている者たちも同様だろう。そのように仕向けたのは、他ならぬリーツだ。そうなってもらわねば、困る。これでようやく自分を付け狙う最大勢力が、瓦解する事を思えば、毎度のことながら、一息つける時でもあった。
≪どうか、力を貸してください。われわれは、今こそ隣人と手を---≫
とした、その時、回線が切れ、画面がブラックアウト。反射的にファイヤヲールが起動し、ベルカ、と叫ぶ。
≪回線が遮断されたようです≫と、通信回線の状況を見て、ベルカが答える。
「見ればわかる。違う、そうじゃない。GT-Xがハッキングされているんだ。おまえはどうだ」
FWが防性から攻性へと切り替わり、侵入されている第二コンピュータをネットワークから外す。
≪?・・・いえ、外部からのアクセスはありませんよ。見間違いでは?≫
「見間違いでファイヤヲールは起動しない」
≪そんなことを言われても・・・あり?≫
ふと、視線を上げて他の機体に注意を向ける。なにやら整備兵たちがノートパソコンを片手に慌ただしく駆けずり回り始めていた。
「なんだ、どうした」
≪いえ、なんか、発進準備中の戦術機に不具合が出ているみたいです≫
「GT-Xだけじゃない?---駄目だ、艦のコンピュータにも繋がらん。ベルカ、艦長に連絡をつけられるか」
≪ちょっと待って下さいね・・・うん、ダメですね≫
「このぶんだと、有線でも怪しいな。仕方がない。武田、中野、アレグラ、ロジール」
一緒に作業に当たっていた人員の名前を呼ぶ。
『は!』
「すまないが、ベルカの作業分をそれぞれ分担してやってくれ。終了したら原隊に復帰せよ」
『了解であります!』
「ベルカは、有線を引き直してくれ。ケーブルは今から精製する。とりあえず、CICに通信機と一緒に持って行け」
≪はーい≫
「まったく、BBTが動くだけマシか」
ハッキングされた第二コンピュータのクロックを落とし、メインコンピュータでBBTとエンジンの制御を行い、残りの二つのサブコンピュータでVO攻性防壁アプリケーションを立ち上げ、実行する。侵入されたコンピュータは第二だけのようで、第三、第四のサブコンピュータには不正アクセスのログはなかった。
第二コンピュータの内部では、モニタで見るとウィルス性のプログラムが、第二コンピュータを驚異的なスピードで別種のプログラムに書き換えているのが分かった。緊急用のクロックダウンが作動してコンピュータそのものの動作を遅くしているとは言え、それでも桁外れに速い。もう少しクロックを落とすのが遅ければ、第二コンピュータは、乗っ取られていただろう。
だが、VO攻性防壁が、モニタから得た情報でウィルスのプログラムを解析し、いつもよりかは遅いが、仮設ワクチンプログラムを組み上げ、ウィルスの動きを止める。どこの誰が送ってきたウィルスかは知らないが、よくやった方だ。VO攻性防壁は、その性質は、アンチウィルスソフトやセキュリティソフトのそれではなく、『ウィルス』だ。
ウィルスを食べるウィルス、と言えばいいか。最初期は、コンピュータを保護するための防御ソフトウェアだった。だが、GT-Xの頭脳に当たるコンピュータ群を守るためには、防御というスタンスでは、いささか役不足と言わざるを得ず、だんだんと性能差をつけられ対応できなくなっていた。
それを明確に露呈したのが、電脳が発達した世界でのことだった。訪れたのは、比較的に電脳戦慣れしているアンファングだったが、危うく自爆装置に火が入りそうだったと言うから空恐ろしい。が、その経験あって『XXX』の世界では、ずいぶんと有利に事を進めることができた。
GT-Xには、その電脳世界で手に入れた『M』ソースコードから作ったアンチウィルスソフトと、同時期に獲得した『VO』をそのまま流用したVO攻性防壁の対ハッキング・クラッキングソフトウェアがある。そのどちらも、全く未知の電脳攻撃にも耐えられるだけの能力がある。ただ、前期型の処理能力では、どちらかしか使えない。しかも、そのどちらも電脳戦に必要な電力とマシンパワーを引き出すために、その場を動くことすら出来ない。
いくら軽量版にアップグレードされたものとはいえ、それだけのスペックを要求されるのだ。とてもではないが、個人で賄い得る範囲の問題ではない。
かろうじてオートバランサのみは、フラッシュメモリで制御されているためにその制約の影響を受けない。
タチコマンズには、相性の問題上、VOこそ搭載してはいないものの、逆に相性がいいMソースコードが搭載されており、それは容量の関係上、三つに分割され、『統合』プログラムとしてタチコマの中に存在している。
表向きはアンチウィルスソフト名義だが、その実、アンチウィルス機能は二次的なものでしかない。『統合』された結果として『起こるもの』だ。
三つに分割されたMソースコードは、『統合』によって本来の形になる。タチコマたちが望む『生命・魂の証明』とは少し違うが、それでも彼らにとっては、彼らの望む答えにグッと近付く答えになるはずだ。それは同時に、リーツの望む『タチコマが見る結末の結果』を観察することでもある。
リーツは、タチコマが、タチコマの生誕世界を離れるときに自分とは違う魂の解釈と理解を求めた。今までは、なかなか納得のいく答えを得ることは出来なかった。リーツ自身が自己満足で得るものではなく、単純に答えを第三者に阻害されたりタチコマを破壊されて答えを得られなかったり、そもそも答えを得る世界環境にめぐり合えなかったりして、だ。
タチコマに『悟り』と言う概念や機能が存在しない以上、滝に打たれて、禅を組み、仏陀のように『目覚める』ことは出来ない。だから、どうしても危険の伴う環境で、無理やり極限状態に陥らせて覚醒、もとい、ストレスを掛けてマシンパワーの限界を引き出させ、その上で起こる『奇跡』を待つしかない。例外的に≪脳内映画館≫のような事例もあるが、あのような事例が二度も続くとは思えない。地道にやるしかないのが現状だが、それでも三桁に届く勢いで実験が失敗しているともなると多少、いらだちを覚えるのも吝かではない。
解析を終えたVO攻性防壁が、ウィルスのバラしに入る。
瞬く間にウィルスを構成しているプログラムが総合モニタに読み上げられ、同時にワクチンプログラムが組み上げられていく。
リーツも、解析されたプログラムパターンを既存データと照会してどこの誰が作ったのかを調べる。が、酷似どころか掠りもせず、どのパターンにも合わない新種のウィルスだと言う答えが検索結果ら得られた。
VO攻性防壁が、いつもよりもワクチンプログラムの組み上げが遅かったのは、一から組み上げていたからだ。データメモリに似たようなプログラムが存在していれば、それを参考に書き換えて対応するが、今回は、前例のない初めてのケースだったからそれが出来なかった。
だが、ワクチンプログラムが組めるということは、新種のウィルスでも、ある程度の共通理念でプログラムの下地が構成されていることを示している。ウィルスは、考えるほど掛け離れた新種というわけではないようだった。
そして、解析で得た下地の末端を見て、ピンとくるものがあった。
「ベルカ、聞こえるか」
呼びかける。返答は、すぐに来た。
≪はいはーい。回線はまだですよ~≫
「おまえ『たち』の力を使う時が来た」
≪・・・はい?≫
「GT-Xに、いや、世界中継を邪魔したウィルスの正体がわかった。それと、どうやってGT-Xに侵入できたのかも、だ」
≪予見していた、BETAの電脳攻撃ですか?≫
「そうだ」
≪予想では、ウィルスではなく、BETAの直接的な強制アクセスによるネットワーク攻撃のはずでは?≫
「やりたくてもできない、と考えられないか」
≪その理由は?≫
「考えられる理由としては、アークバードによる『やまびこやま・改』の返礼でBETA中枢にまで影響が及び、攻撃をしている余裕がない、ということだ。だから、第一波として軍の通信ネットワークに予め時限性のウィルスをセットしていたとすれば、第二波で、この混乱に乗じてパーソナルコンピュータからサーバ、ネットワークコンピュータへの乗っ取りを行っているはずだが、現状、ウィルスだけでそれらしい攻撃はない」
≪ウィルスだけでも、かなりの影響が出ていますけどね≫
「そのウィルスの出処だが、旧OS、MR-2を搭載している戦術機の学習コンピュータの中からだ」
≪またけったいな場所に潜んでいましたね≫
「そのけったいな場所でなければ、ウィルスは存在できなかったんだよ。君たちタチコマンズ、GT-Xやジェフティ、VF-25やレイフでは、一発でバレていただろうさ」
≪どういう事ですか?≫
「ウィルスから、戦術機の通信に使われる暗号プロトコルが検出された。帝国と米国、それにソ連、それぞれの国の戦術機の暗号プロトコルだ。ヴォールク大隊や・・・驚いたな・・・オルタ3、F-14・AN3マインドシーカーのプロトコルまであるぞ」
≪なるほど、そういうことですか≫
「まぁ、そういうことだ」
おそらく、戦闘中に行ったデータリンクの際にBETAが架空の、コンピュータにしか認識されないネットワーク上の戦術機を用意して、実際に存在しているかのように見せかけつつ、ウィルスを仕込んだデータを学習コンピュータの中に紛れ込ませたのだろう。激化するBETAとの戦闘では、肉眼で確認する暇もなく撃墜されていく者たちが後を絶たない。
『死んだと思っていた奴が、実は生きていた』。
そこに付け入ることは、さして難しいことではない。ましてBETAが、従来の戦術から『電脳戦』を行うことなど想像すら出来なかったはずだ。電脳戦の対処など、対工作員程度にしか施されていなかっただろう。
「BETAが、戦術機のコンピュータを解析して、尚且つ、ここまで手の込んだウィルスプログラムを送り込んでくるとは、思いもしていなかった。いやはや、流石に異星体なだけのことはある」
≪本当ですか?≫
「本当だとも。むしろ、君たちに載せた切り札は、敵ながら哀れだとも思っていたくらいだ。が、これで対等だ。遠慮無く叩き潰せる」
≪『叩き潰せる』、と断言するあたり、既に対等じゃないと思うんですが≫
「細かいことは気にするな。どの道、勝てなければ敗北するだけだ。そして敗北すれば、人類は仲良く快楽漬けの後にシリンダー行きだ。君たちだって、ゴーストについての答えを得る前にスクラップだぞ。コンピュータだってどうなるか分かったものじゃない。それでもいいのかね?」
≪それは嫌です絶対に≫
「なら、勝つしかない。そのために手段を選ぶつもりはない。よく言うだろう?『備えあれば嬉しいな』と」
≪それを言うなら『備えあれば憂いなし』です≫
「細かいことは気にするな---では、とりあえずこの艦のコンピュータから掃除するとしましょうか」
≪CICへの通信ケーブルは、まだ引き終わっていませんけど、どうしましょう?≫
「その近くに手隙の者は・・・いないか。仕方がない。ベルカ、君が戻るまで私が電脳戦を行う。艦長たちには、クロックを落とすかFWを多重展開して時間を稼ぐように言っておいてくれ」
≪わかりました。なるべく急ぎますね≫
「ついでにソウライとマックスにも伝えておいてくれ」
≪あいあい~。では!≫
「ああ、では、な」
通信が切れる。やれやれ、とメガネを外し、シートに身を預けつつ肺に溜まった空気を吐き出す。
「まぁ、時間稼ぎくらいは出来るか」と、外に目を向ける。そこには、ウィルスが戦術機のコントロールを完全に支配下において機体姿勢安定用のワイヤーを力任せに引きちぎっているところだった。
≪作業中止、中止。退避だ、急げ≫と、整備班長の怒号が作業員たちの行動を統制する。
そして再び肺に空気を入れ、身を起こし、既に駆除が済んだGT-Xの第二コンピュータの再接続を開始する。自動でメインコンピュータによる最終スキャンが始まり、ウィルスが完全に駆除されたことを示す表示がモニタに踊る。
「最終スキャニング完了。BBT、異常なし。されど艦内戦闘につき使用を制限、起動。エーテルエンジン、異常なし。通常回転を維持。エネルギーパラレルリンク、出力先を確認。ブレーキフルード、発熱量をチェック・・・問題なし。サイドブレーキ、解除済み確認。全ベンチレーテッドディスクブレーキ、三割負荷を継続。武装マスターアーム、起動---エンディミオンGT-X十三号機、出撃」
カメラアイに起動サインが走り、姿勢安定用ワイヤーをパージして立ち上がる。艦の電源喪失を防ぐため、電源供給ケーブルは、そのまま。無線を通して、榊班長に呼びかける。
「リーツより榊班長へ。聞こえますか?」
少しの電子ノイズの後、しゃがれた、しかし芯の通った太い声がスピーカに響く。
≪リーツか。こりゃあ一体どういうこった。いや、お前、GT-Xの中にいるのか≫
「そうです、GT-Xの中からです。この原因ですが、ウィルスです。コンピュータウィルス。旧OS搭載型戦術機の学習コンピュータに紛れ込んだBETAのコンピュータウィルスが、OSを書き換えて勝手に動いているんです。しかも独自のネットワークを構築していて、それが演説中継回線までも圧迫して結果的に止める形になったようです」
≪BETAのコンピュータウィルスだと?んなバカな!≫
「こちらでバラしたデータを端末に送ります。ウィルスの特性上、対策の施されていないコンピュータに接触した全てのコンピュータに感染する恐れがありますので、気をつけてください」
≪バカ言うな。ここにある端末は、艦のホストコンピュータに繋いであるんだ。それが本当なら、とっくに感染して、発症しているぞ≫
「私がGT-Xの整備に使っている端末があります。あれはオフラインですから、感染はしていないはずです。今いる場所は、当直室ですか?」
≪そうだ≫
「では、ロッカー番号13番の中にその端末がありますので、それを使ってください」
≪13番だな。鍵は?≫
「掛けてありません」
≪掛けんかバカもん!≫
「榊班長の縄張りで、そういう事が出来る人間がいるのなら、是非ともお友達になりたいものです」
≪俺の縄張りでそんなことをする奴がいたら、整備班全員で太平洋に叩き込んでやる、って、そういう事を言ってんじゃねぇんだ≫
「そういうことです---転送完了しました」
≪ちょっとまて。こっちはまだ端末を引っ張り出してるところだ・・・これか≫
部下の茂副班長に持ってこさせた端末を作業台の上に置き、起動する。そして送られて来たデータを見ている間に、勝手に動き出した戦術機を取り押さえるべく外部電源ユニットの強制排除に取り掛かる。
戦術機は、大抵が整備状態になると主機を取り出して外部電源と呼ばれる外付けのバッテリーに接続される。整備時に主機が暴走した際の被害---搭載している戦術機、弾薬への被害など---を考えてのことだが、工作員が乗っ取っても遠くへ逃げられない処置でもある。活動時間は短く、戦闘機動をすれば、ものの十分で電荷がゼロになって動かなくなる。何も無いところで、最悪でも地上基地で今回のようなことが起こったのであれば、放っておいてもさしたる被害もなくやがて停止するか、警備担当によって撃墜処分にされるからいいが、今は状況が違う。此処は潜水艦の中だ。地上基地とは、まるきり訳が違う。
いかに木偶の坊のような動きとは言え、それでもやたらめったらに暴れ回られたら艦や発進途中の機体が危ない。確認した、と榊班長の声。
≪ただ、俺ぁこう言うことは専門外だからよ。茂に見させてる。仮にBETAのコンピュータウィルスだとして、対策はあるのか≫
「問題ありません。そのためのタチコマンズですから」
≪ならいいがな。それと、ウィルスに感染しているのはMR-2搭載機だけか?見たところ、XM-3搭載機はなんとも無い様だが≫
「新OSの学習プログラムは、XM-3用に一から組み直したものです。その際にGT-Xに搭載されているアンチウィルスソフトを組み込んでおいたので、それが功を奏したのでしょう」
≪そんなプログラムがあるとは聞いていないぞ≫
「備えあればなんとやら、ですよ」
≪物は言いようだな。まぁ、俺としちゃあ、これ以上---≫
無線機に走る破壊音のノイズ。暴走した戦術機が、手当たり次第に周囲を破壊し始めた音だった。
≪---これ以上、俺の仕事場を壊されてはたまらん。止めろ。戦闘許可に関しては、艦長たちには、俺から言っておく≫
「了解」
短く返事をして暴走機に向き直る。そして馴染みの深い形をした短刀を精製、それを逆手に持ち直し、脚部もグリップタイヤを装着したクルーズドライブに変更する。
もともと脚部にディーゼルやボクサーディーゼル、ロータリーエンジン、果ては蒸気機関などの内燃機関をマウントしていたEMシリーズは、自動車工学がそのまま流用できる基礎概念を持つ機体でもある---時代の流れによって機関搭載位置は変更されてきたが、主流としては脚部にマウントする事例が多かった---奇しくも航空機を苗床に発展した戦術機と、自動車を苗床に発展したEMシリーズは、この国にとってまさに因果の関係だ。
戦術機とEMシリーズ。どちらも元を正せば航空機だ。しかし一つは光線級によって、もうひとつはGHQによって生かされるべき畑を分けられた格好になった。ただ戦術機は、航空機から直接的に技術が流用されたのに対してEMシリーズは、『自動車』という発展形をワンクッションに挟んで流用されている。大きな目で見れば、元は同じだが、差異は大きい。
その一つが、戦闘機動だ。
此処は戦術機の性能が生かせる広大空間ではなく、艦の中という閉鎖空間の中では、持って生まれた飛行式高機動特性は完全に死んでしまい意味を成さない。しかしEMシリーズは、そういった閉鎖空間での戦闘に支障はない。むしろ日本国内の道路事情に合わせて造られた以上、狭い場所での戦闘は、お家芸と言える。おそらく、れっきとした衛士が搭乗していたとしても結果は同じだったろう。
それぐらいに地の利は掛け離れており、また、圧倒的だった。
パワーレバーをミニタリにまで押し込み、電動モータに電力を流す。電動モータが駆動軸を回し、機械式リミテッド・ディファレンシャル・ギア(機械式LSD)を介して駆動力をタイヤに伝え、暴走機に肉薄する。そのまま左の肩を胸部に当て、バランスを崩す。オートジャイロセンサが機体制御をして正常値に戻している間に、左脚部を軸にして背後に回り込み外部電源と背部ラックとの隙間にナイフを突き立てる。そのまま隙間をなぞるようにナイフを滑らせて接続固定具を破壊、端子だけが戦術機本体と接続されているだけの形となり、接続端子は、その重さに耐えられず滑るように千切れて床に落ちる。戦術機もまた、電源を失って活動を停止し、倒れこんだ。
その振動に、艦が大きく揺れる。
≪無茶するんじゃねぇ!床が抜けちまうぞ!≫と、無線越しに帽子を押さえて榊班長。
「艦を沈められるよりかはマシでしょう!」
その行動が、他の暴走機にGT-Xを敵と認識させたのか、まるでゾンビのように不自然な動きで、しかし確実にGT-Xへと歩みを進めていく。
格納庫とは一枚壁を隔てた向こう側にある甲板カタパルトに出る垂直エレベータ。そこでは、横浜へ向けて装備を整えて発進シークエンスを実行中の機体が居て身動きがとれない機体が整然と並んでいる。そこだけは、別系統の電源と隔離された独立コンピュータで制御されているためにウィルスの影響は受けていない。
搭乗する衛士は、XM-3対応訓練を受けた者たちで、中にはXM-3に慣れることが出来ずに初心者向けのSX-4を搭載したものもあったが、MR-2からの移籍を考えれば、SX-4に慣れるだけでも一苦労である。最悪、機体は壊れても修復すればいいが、衛士は、そうはいかない。これから長距離飛行を控えている以上、些細な衝撃でも不具合の元になる。そうなれば、貴重な命が無駄になる可能性がある。
それを防ぐためにエレベータへの侵入を防がなくてはならない。
≪だからつって暴れすぎるな、ダメコンも出来ないんだからな!≫
「善処します、よっ!」
肉に群がる死人のようにと表現するにふさわしい格好で襲ってくる暴走機に、再度突撃をする。しかしその突撃は、身を屈められるだけ屈めたもので、まっすぐに伸ばしていた暴走機の腕に捕まらない。そして機体正面を進行方向とは真逆に傾け、運動エネルギーを背部に移す。速度の乗った機体は、それ自体が質量を持った鈍器となり、暴走機の無防備な胸部を打撃して吹き飛ばす。軽いと言わざるをえない戦術機は、そのまま後続の暴走機を巻き込んで転がり、絡まって身動きを封じてしまう。
そこに覆いかぶさるように馬乗りになって、学習コンピュータがある頸部の付け根にナイフを突き入れる。実質の脳として機能している学習コンピュータを破壊してしまえば、電源喪失と同じように暴走機を止める手立てになる。それは成功してナイフを突き立てられた暴走機は動きを止めたが、動きが止まった腕の合間から下敷きになった別の暴走機のマニピュレータが、GT-Xの顎部を掴んで締め上げにくる。
戦術機のマニピュレータ握力は、エンディミオン程にではないにしろ、それでも頭部フレームに注意判定を出させるほどの出力を持つ。おそらくは、ウィルスによってリミッタを外されているのだろう。そのまま顎部を握り潰そうとさらにパワーを上げてくる。が、顎部が破壊される前に戦術機のマニピュレータの方が、先に音を上げた。
爆ぜるような、風船を割ったような音がして、顎部にマニピュレータを保護するための合成レザーと、人工筋繊維が張り付き、自壊した事を示す。
その隙を逃さない。
戦術機は、人体をモデルに作られている。逆を言えば、人体に通じるものは戦術機にも通用するということだ。その顕著な例が関節であり、人体よりかは強靭で自由度が増えているものの、基礎的な構造は一緒だ。
基本、関節は、曲げられる方向以外は曲げることは出来ない。無理矢理に曲げようとすれば、骨折か、最悪の場合は千切れてしまうだろう。効率良く関節を破壊する、それに特化した技を、総じて『関節技』と呼ぶ。
人体でも戦術機でも、異星体であっても関節という節がある以上、『絶対に曲げてはいけない方向に効率良く曲げる』方法がある。
GT-Xには、数多の多元世界での戦いを駆け抜けてきたリーツ・アウガンには、それを可能とする操作技術を有していた。
顎部を掴んだマニピュレータが右腕のものと判断すると、爆ぜた手首に左マニを添えて支点とし、肘を掴む右マニを力点とする。そのまま押し込むように肘関節を曲げ、腕にたるみがついたところで一気に外側へ回転をかける。
掛かる作用点の力に、今まで破壊してきたどの関節と同じように、戦術機の腕は、物の見事に肘から先を失う形になった。
戦術機に使われている多くのパワーアウトプットは、炭素鋼鉄骨格を軸としたマッスルシリンダー、人工筋繊維によるものだ。補助として油圧シリンダーも存在するが、瞬発力を必要とする近接戦闘においては、マッスルシリンダーに軍配が上がる。だが、あくまで瞬発力であって持続力ではない。ある一定のパワーを維持するためには、人工筋繊維では、電力を消費しやすくなり劣化も早くなる。最悪、繊維が出力に耐えられなくなって破裂することも有り得る。
その点、GT-Xは人工筋繊維と油圧シリンダーの比率が戦術機のそれと逆転しており、パワータイプの仕上がりとなっている。加えて人工筋繊維と殆ど変わらない瞬発力を有する磁気流体金属シリンダーも搭載しており、近接格闘戦でも同等とまでは行かないものの、ドライバーの技量次第で十二分にカバーできるものだ。
最も、馬鹿正直に基礎能力で戦わなくても手っ取り早く、GT-Xよりも優れた性能を持つ機体に変身すればいいのだが、艦の復旧や破壊した戦術機の修理にBBTを使うことは明白であり、おいそれとタンクの中身を減らすわけには行かない。
一番いいのは、タチコマンズが、ウィルスを駆除してくれることだ。
見たところウィルスは、マスタースレイヴ式ではなくネットワークを使った情報並列式の行動形態を採っている。親分が子分を操作しているのではなく、各々のコンピュータに感染しているすべてのウィルスが親分であり子分でもあるのだ。そのためにウィルスを駆除するには、膨大な、途方も無いマシンパワーを持つスーパーコンピュータクラスのスタンドアローン・コンピュータか、ウィルスと同じ構造を持つ情報並列式のコンピュータでなければならない。
そしてタチコマンズには、後者のプログラムが内蔵されていた。
**********************************
CICまであと少しというところまで着ていたベルカは、コンピュータの混乱で閉ざされた隔壁のロックを外すことに時間を食われていた。
既にマックスとソウライに対BETA電脳戦の旨は伝えてあるために準備は出来ているが、どうにもウィルスに汚染された電子ロックを外すことは、タチコマの性能を以てしても容易ではなく行き詰まりかけていた。かと言って爆破しようにも、すぐ向こう側はCICに直結していて爆破の衝撃で誰かが負傷しかねない。
さてどうしたものかと考えていると、マックスから通信が来た。
それなら『統合』してみてはどうか、と。
≪統合すれば、僕たち個々以上のマシンパワーを発揮することが出来る。それを使えば、ウィルスなんて一気に駆除できるんじゃないかな≫
≪でもCICへの通信機器はどうしようか≫と、ソウライ。
一応、通信機と通信ケーブルの接続は終わっていて、あとはCICに持ち込むだけである。
≪いいんじゃない?どの道、ウィルスを駆除しちゃえば通信も回復するんだから≫と、マックス。≪わざわざケーブルを引き直す必要なんて無いように思えるけどなぁ≫
≪統合の影響がすごすぎて、通信にも影響が出るからケーブルが必要になってくる、とか≫と、ソウライ
≪でもウィルスを駆除しない限りは、開きそうにもないしなぁ、これ≫と、隔壁をノックするベルカ。≪それに統合した後、この個体に戻れるか不安があるよ≫
≪ベルカは、個体としての存在を優先するのかい?≫と、マックス。
≪統合しちゃったら僕たちのパーソナリティが消えちゃう気がしてね≫
≪個を失う恐怖かい?≫と、ソウライ。
≪そうだね、そうとも言える。でもその先を見てみたいのも確かだ≫
≪教授が言うには、僕たちにそれぞれに分割されたMソースコードを統合すると、それを管理する管制人格が起動するって話だけど、どうなんだろう?≫と、マックス。
≪じゃあ、僕たちの今の個性は消えちゃうのかい?≫と、ベルカ。
≪いや、一時的に停止するだけだってさ。管制人格が統合を解くと判断したら、また元に戻るらしい。教授からはそう聞いたけど、聞いてなかったの?≫
≪聞いてないよ≫と、ベルカ。
≪こっちも聞いてない≫と、ソウライ。
≪・・・あるぇー?≫
≪教授のことだから≫と、ベルカ。≪マックスに言えば、あとはマックスが言うと思ってたんじゃないのかな≫
≪まぁ、確かに間違ってはいないね≫と、ソウライ。≪いま言うことじゃないけど≫
≪うおっほん!---で、どうする?≫
≪ごまかしたね≫
≪うん、ごまかした≫
≪それはいいから、話を進めようよ!このままじゃ艦のコントロールが壊されちゃうよ!≫
言うが早いか、艦が大きく揺れる。何かが倒れたような感触だと、センサーが告げる。
≪たしかに、これはやばいかも≫
≪よし、みんな、合体だ!≫と、ソウライ。
≪いや、変身じゃないか?≫と、ベルカ。
≪僕たちは眠って、その代わりに管制人格が起動するってことは、姿形が変わるってことだよね。でも統合するってことは、ある意味これは合体と言えなくもない。あれ?どっちだろう?≫と、マックス。
≪合体変身?変身合体?それとも変形合体なのかな?≫と、ベルカ。
≪『統合』って呼んでるんだから、統合でいいんじゃない?≫と、ソウライ。
≪じゃあ、それでいこう。では、改めて---みんな、統合だ!≫と、マックス。
≪おー!≫とは、皆。
その掛け声の下、三体それぞれに搭載されていた統合プログラムが起動し、Mソースコードが彼らの意識を刈り取るように強制スリープモードに移行させる。それと同時に、世界中で混乱の極みにあった電脳空間の中で、彼らがかつて仕掛けたプログラムが並行的に起動してMソースコードにとって最適で広大なネットワークグラウンドを形成していく。
もし、電脳空間を可視状態にするならば、白い部屋と見間違うばかりのまっ更な空間にぽつんと浮かぶ、誰か、がいる。
それは、急速に拡大していくネットワークグラウンドの存在を感知して侵入してきたウィルスにも同じように感じ取れただろう。しかし次の瞬間には、そのまっ更な空間は古めかしいキリスト教教会に置き換わり、夕日がステンドグラスを指す幻想的な場所になる。
ウィルスは、そこでは黒い泡のような姿で一定の姿を持っていなかった。もともとウィルスにとって姿形など関係なく、予め組まれた本能---占領、増殖、破壊---を実行すべく、ただこの場にとってもっとも負担の掛からない形に最適化しただけだった。
ウィルスは、突然変わった風景に気にかけること無く、誰か、をじっくりと観察する。そして攻性防壁も、自分たちが今まで解析し、突破してきた防壁もないことがわかると、死肉に群がるハゲタカのように、誰か、に食指を伸ばし---その食指を『斬られた』。
伸ばした食指は、誰か、が逆手に持った、不可思議な形の棒、短刀によって斬られ、消失<デリート>していた。
あれは、いま、何をした。
一旦距離を置き、デリートされたことを解析する。だが、何もわからない。今までの対応<ファイヤヲール>とは違う、全くの未知のデリートのされ方だった。
そこに、あれ、となんとも間の抜けた声が広がる。
「おっかしーなー。失敗したのかな?」と、誰か、少年の姿をした、タチコマ。
少年は、まじまじと自分の体を見ていく。
黒いベルトを基礎として厚手の革手袋で両手を覆い、胸もベルトで覆っている。腹部は幾何学模様の刺青が走り、下半身は、やはり黒いベルトと材質のよく分からないズボン、それに見慣れないブーツを履いていた。
少年には、自分の顔は見えていなかったが、その顔にも幾何学模様が描かれている。髪は短髪で、教授と同じような銀髪であった。
「まさか、これって、ハセヲくん?」
ぽかんとして、どうにもだらしのない表情を浮かべている少年、ハセヲ。しかしその中身は、統合され、ひとつになったタチコマンズだった。
「もしかして管制人格って、ハセヲくんだったのかな?」
でも、それならば、どうしてハセヲの人格が起動しておらずに、自分たちの意識があるのだろう。あの統合プログラムを起動した瞬間、たしかに自分たちのパーソナルデータは凍結されたはずだったが、どういうわけか、気がつけば、こんなことになっていた。
「それにここって、志乃さんがオーヴァンさんに斬られたところじゃないか。教授の趣味にしては、ちょっと趣味が悪いし・・・もしかしなくても、事故?」
ウィルスの影響なのかな、と考えを巡らせていると、そのウィルス群が、デリート対抗プログラムを組み込み、自らを刷新して再び侵食を開始する。
「まぁ、でも」と、右手を開いて閉じ、感覚を確かめる。そして迫ってくるウィルス群にその手を向け、掴み、横一字文字に振り抜く。
今度は、ウィルスはデリートされず、代わりに明後日の方へと吹き飛ばされて長椅子を巻き込みながら転がった。
「問題なく動くみたいだし、いいか」
その手には、一振りの大鎌。刃には、どんなプログラムもバラしてしまう強力なハックプログラムが宿っている。その鎌で斬られたウィルス群は、自らの構成プログラムに侵食してくるハックプログラムを撃退しようと、占領しているコンピュータのマシンパワーを上げて解析、対抗しようとするが、それよりも早くにハックプログラムはウィルスのメインフレームにまで侵入し、汚染、解体した。
「『腕輪』の力も使ってないのに、消えちゃった。この分なら、直ぐに排除できるかな」
そう言うなり、自身の持つコネクトラインを片っ端から繋ぐ。意識すれば、ありとあらゆる所に自分を意識できた。
海で、宇宙で、陸で、秘密の何処かで、この星の覇権を握っていた者たちの夢の果てで、鋼の戦士の鎧で、様々な場所で自分自身を意識できた。
だが同時に、異質な、理論がまるで違う『何か』が居ることも感じ取ることができ、それがBETAに属する者の気配であることは、直ぐに理解できた。
それは、喩えるなら灯りに群がる羽虫の群れ。気がつかれないように観察していると、一つの灯りを喰らい尽くすまでの時間は、恐ろしく早く、尚且つ喰っている灯りは、一つだけではない。それこそ感知できる、この地球上すべてのネットワークに存在するほとんどの灯りを喰い、別の色をした灯りへと書き換えていく。
タチコマの有するインターネットプログラムを以てしても、ここまで広大なネットの海を見渡すことは出来ない。さすがは、モルガナ因子の力といったところだろう。まるで海中を見渡せる灯台にでもなったかのような気分になる。
そこでタチコマはふと、気分、という妙な感覚が、当たり前のように知覚が出来ていることを改めて自覚する。ついさっきまでは、こんな知覚など無かった。だと言うのに、生まれた時から備わっているかのように馴染んでおり、違和感やエラーを自覚できない。
「これが、ゴースト?」
理論的に、人間の脳は、限りなく連続したアナログ入力であり、同時に常に入力状態が続いている。対してコンピュータのCPUプロセッサは、情報の軽量化を目的に飛び飛びのデジタル入力であり、入力のオン・オフを切り替えることが出来、CPUの排熱も含めた処理能力に見合った能力を発揮する。
デジタル処理されている普段のインプットなど、比べようのない連続したインプットが行われているのに、自分は、全く処理落ちなどしていない。あの機械の身体の、センサーで周囲を観測していた時よりもスムーズで、滑らかに頭脳が周囲から入ってくる情報を処理している。『気分』という未知ながらも違和感のないこの感覚は、それ、アナログ入力を統括するモルガナ因子によるものだろう。
気分、といえば、知覚できる範囲でのBETAの行為が、ものすごく癪に障る。意志がないとは言え、同じコンピュータがBETAに駆逐されていく様相を見るのは、文字通り気分が悪い。
「キモい・・・これはイラつき?ハセヲくんのパーソナルデータが、そのまま残ってるのかな」
青い灯が人類側の、赤い灯がBETA側のもの。赤い灯を見ていると、気分の悪さも相まって不愉快になってくる。同時に排除したいとも思い始め、手近な赤い灯へと翔ぶ。
今まで居た礼拝堂のテクスチャを超え、幾何学模様の背景を背に転送空間を駆ける。翔んだ先は、アメリカ陸軍の第五大隊本部のメインコンピュータ。以前、タチコマたちがバグウィルスを仕掛けた場所。今では、ほとんどのデータが破壊されて書き換えられていく最中で、異様な光景だった。
人類側のデータは、建築物に喩えるならばビルの聳え建つ摩天楼だが、その真隣に隣接する建築物、データは、ある一定の形状パターンはあるものの、今まで見てきた中でダントツに趣味の悪い建築物であった。その建築物が、ビルに取って変わっていく。
既にファイヤヲールを突破され、メインフレームにまで侵食されたコンピュータは、これ以上の侵食と発生するであろう電子管理兵器、主に戦術機の乗っ取りに対する最後の手立て、コンピュータそのものの物理的破壊を実行するために現実世界では、基地司令と副司令が自爆キーを用意している最中であった。
侵食されているコンピュータは、最後の足掻きとして動作クロックを限界にまで落としていたが、乗っ取られた計算領域を使って組まれた回復プログラムのせいで軽負荷動作速度にまで回復されてしまい、せめての対抗処置と機密ランクの高い情報を片っ端から削除しているが、ウィルスの書き換え作業が邪魔をしてなかなか思うように進まず、難航していた。
そこに、ウィルスとは違う別種のプログラムが、大量のデータと共に転送されてくる。転送先を逆探知するプログラムは、既に改変されて作動せず、しかし新たな侵入者がメインフレーム内に転送されてきた、ということを、自分を管理している人間たちにモニタを通じて知らせ、指示を仰ぐ。
それはタチコマにも伝わり、事態が深刻であるということを知らせることになり、早速、ウィルスの駆除に取り掛かることにする。
ウィルスにとってタチコマの存在は、大量のデータを持つが、それに見合わないクイックな動きをする特異なプログラムと見られていたが、モルガナ因子が、より正確に言えば、ハセヲの奥底に宿るモルガナ因子の真の姿が、先程のウィルスとの戦闘時に手に入れた破損データを元にウィルスの仲間と誤認するプログラムを構築しており、それによってタチコマを明確な『敵』として見ていなかった---バグによる新種だろう---ウィルス群は、脅威度を変えずに依然として目標のプログラム改変に勤しむことにした、その横合いを、思いっきり大鎌で斬りつけ、更に蹴り飛ばし、『敵』を認識させる。
「さすがに解体プログラムだけじゃあ効率が悪いね」
斬りつけられ、先程のウィルスと同様に解体されていくウィルスだが、あまりに巨大で処理に時間がかかりそうだと見ると、大鎌をしまい、右腕に宿る腕輪の力を呼び起こす。
タチコマを敵と認識したウィルスは、矛先を変えてタチコマを消去するために動く。ウィルスの切り返しは思いのほか早く、タチコマが腕輪を展開するよりも早くに攻勢を仕掛け、突き出していた右腕に喰らいついて、そのまま第二、第三の口で脚、胸と侵食する。喰らいついた口は、鎖のようにタチコマの身体を縛り、自由を奪う。それから更に大きな口が形成され、開く。その口で完全に自分の体を侵食する気だろう、とタチコマは冷静に分析する。
いま喰われている場所からの侵食は、ある一定の領域以降は進めないでいる。おそらく、身動きだけを最低限は封じておいて、最後で一気にハッキングするつもりだろう。その最後の一手が、目の前に広がる牙のない口であり、となるとウィルス達にとっては、最高の一撃となるだろう。
開ききった口が、残った頭に喰らいつくのと、腕輪の力が発動するのは、同時だった。
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一方で事態を把握しきれていないのは、そのコンピュータを管理、使用する人間だった。
めぐるましく変わる事態に対応が追いついておらず、何をするにも後手後手の事態が続いていたからだ。基地司令が、そんな状況を見て、最早これまでとメインコンピュータの自爆キーを金庫から取り出したとそのとき、まだわずかに管理下にあったコンピュータが、ウィルスではない別種のプログラムが、メインフレーム内に直接転送されてきた、と伝えた。しかもそのプログラムは、かなりの容量である、と。
いよいよ本腰を入れてきたか、と苦虫を噛む思いになる司令。今までのは前座で、こいつが本命だろう、とあたりをつける。だが、そのプログラムは、何をするわけでもなく動かなかった。しかしウィルスには攻撃されていないところを見ると、やはりウィルスに関係のあるプログラムなのだろうが、一体なんなのだろう。
オペレータは、暫定的にそれを『アンノン・プログラム』と名付けた。
「閣下、キーを」
自分を呼ぶ声で意識を戻し、短く返答をして金庫から出した自爆キーをポケットから取り出す。既に副司令、ベイ准将は、キーを手に持ち準備していた。
「すまない、准将。準備はできている」
「3・2・1。1で捻るぞ」
「了解」と、息を合わせてキーを差し込む。
差し込んだキーは、自爆するための点火プラグを起こす。点火プラグは、CICの床に設置されており、コンピュータは、その地下百メートルほどにある。エレベータが使えず、また侵入者撃退システムも切れない状況を想定しての自爆設備だが、まさか物の見事にそのような事態に陥るとは思っていなかった。備えあれば憂いなしと言うが、身を以て体験すると、その有り難さがよくわかる。
自爆システムがキーによって認証され、点火プラグが床から現れる。自爆装置に火を入れるには、専用弾頭で点火プラグを撃つ必要があるため、専用弾頭と、それを発射するための専用銃も一緒に出てくる。二発ある内の一発を、中将が手に取って専用銃へと繋ぎ、撃鉄を起こす。
そしてゆっくりと点火プラグへ狙いを定めている中で、オペレータの一人が准将を呼んで確認を取ろうとする。
「なんだ」と、准将。
「それが、侵入したウィルスと、アンノン・プログラムが・・・お互いを削除し合っています」
「それは、どういうことだ?---中将、ストップ、ストップです。自爆の一時中止を進言します」
「なに、なんだと?」と、引き金を絞る指を止めて中将。
「ウィルスと、アンノン・プログラムが互いを削除し合っているようです」
「あれは、ウィルスの仲間ではなかったのか?」
「こちらをご覧ください」と、自分のデスクに二人を呼ぶオペレータ。
「この青いドットが、我々が管理できている領域です。赤いドットが、ウィルスによって占領された領域ですが---」
「それはいい」と、准将。
「アンノン・プログラムは、どれだ」
「これです、この黒いドットです」と、わずかにあるドットを指すオペレータ。
「このプログラムなんですが、かなりの容量があるにも関わらず動作がスムーズに動いています。動いてから初めて規模が判明しましたが、この容量でこんな軽快な動きをするプログラムなんて、見たことがありません」
「具体的には、どれほどのデータ量なんだ?」と、中将。
「テラバイトクラスです。少なくとも、10テラはあります」
「10テラだと!?」と、准将。
「逆算になりますが、間違いありません」
「そんなバカな。なら、もっとドットが大きく表示されるはずだろう」
ドット表示は、その容量の大きさに比例して大きく表示される。単純に分り易さを示しているからだ。
「おそらく、圧縮しているか、データ表示を誤魔化されているかと思われます。それで実際の表示とデータに隔たりがあるのではないかと」
「こちらへの攻撃はあるのか?」と、中将。
「いえ、今のところはウィルスのみで---ダメだ、アンノンが負ける」
オペレータが、ドット表示のモニタを見て、言う。その言葉通り、赤いドットが、一気に黒いドットを飲み込み、黒いドット表示がなくなる。最初に口を開けたのは、中将だった。
「少尉、アンノンは、消滅したのか?」
「あの容量ですから、簡単に消滅するとこはありえません」と、オペレータ。
「おそらくは非表示の、データ、が・・・」
オペレータが、言葉を無くしていく。その眼には、あり得ない速度で赤いドットが消えて黒く塗り潰されていく光景が映っていた。
「少尉、これは、どういう事だ?」と、准将。
「どう、どうって、こ、こんなでたらめな速度でプログラムを書き換えるなんて、どう説明すれば」
「解る範囲でいい、説明しろ」と、中将。
「その、ウィルスが、アンノンに、書き換えられています」
「・・・それだけか」と、准将。
「それだけ、です」
そんなやり取りをしている一方で、アンノン・プログラムがウィルスの完全書き換えを完了する。書き換えられたデータが、一体なんなのか、中将たち人間は知らなくてもいいとばかりにメインコンピュータは、その事実を淡々と表示してきて電子戦モードを自動で解除しデータの復旧を始める。
復旧されたデータは、青いドットの表示がされていた。
当の管理するはずの人間側、中将は、ただ一連の動作を見ていることしか出来ず、しかし確実に何が起こったのかを考えると、少なくとも、メインコンピュータの自爆装置を起動させる意味はなくなった、ということだけだった。
その意図を汲み取ったのか、コンピュータが、思い出したように自爆システムが作動中であるという警告を鳴らす。中将にとってそれは、邪魔をするな、と言うコンピュータの意思表示に思えて仕方がなかった。が、同時にコンピュータ室へのロックが解除され、入室が可能となったことも知らされる。
それは、コンピュータが、まだ自分たち人間を必要としているからこその行動なのか、それともコンピュータを直すための駆動部品に命令しているだけなのか、判断に迷う。
だがどちらにしろ、あれだけの負荷がかかった状態でそのままコンピュータを作動させておくわけにはいかない。地下まで降り、焼き切れた回路がないかチェックをしなければならない。作戦中に不具合が出れば、戦線に影響が出てしまう。
BETAとの戦争は、継続中である。まだ終っていないのだ---中将が、この一連の騒ぎが、BETAのコンピュータウィルスと亡霊部隊の電子戦によるものだと知らされたのは、それから三ヶ月後のことだった。
戦闘は、未だ続いている。