機動戦艦ナデシコ 最強AI グランマ!
『第2話 おばあちゃんといっしょ』:Bパート
「――で、どうだった?」
25時間と13分後。憔悴しきった顔でオフィスに現れたアキトに、ネルガル会長のアカツキ・ナガレは薄笑いを噛み殺しながらそう問いかけた。横には同じように心底愉快そうな顔をしたエリナもいる。
対するアキトは憮然とした表情で、「何の用だ」と呟く。その背からは、ほとんど殺気のようなオーラが立ち上っていた。
「98戦47勝48敗3引き分けなんて、よく飽きずにやってたもんだね。惜しかったじゃない」
「最後の一戦は不戦敗だ」
誰のせいだと思ってる、と呟くアキトの声は低い。
燃えに燃えていた戦いに水を差すように、急なお呼びがかかったのだ。コハルは無視して再戦することを望んだが、直属の上司であるアカツキの呼び出しを無碍にすることもできない。
結局哀しいサラリーマンのサガを背負いつつ、アキトは不戦敗を認め、こうして呼び出しに応じ出てきたのだ。
「そいつはよかった。もうすっかり仲良しさんだね」
「誰が!!」
思わず激昂しかけ、次いでそれは現在の自分のキャラじゃないと思いなおしたらしく、アキトはコホンと小さく咳払いする。
「いいからいいから。それよりテンカワ君、意外な人から通信だよ?」
「意外な人?」
見上げた先に、アカツキが拡大したウィンドウを表示する。
そこに映し出された人物に、アキトは思わず息を呑んだ。
「ルリちゃん……?」
『こんばんは、アキトさん。公式的には、ご無沙汰してます』
ぺこん、と頭を下げる。
アンティークドールのような冷たい美貌の両横で、銀糸を束ねたツインテールが優雅に揺れた。
その顔を見るたび、懐かしさが掻き立てられないと言えば嘘になる。
が、彼女はアキトのサレナにとんでもないAIを打ち込んでくれた、張本人でもある。笑顔の再会にはなりそうになかった。
「どういうことだ、アカツキ」
振り返り、低い声で聞く。アキトがアカツキの元に身を寄せていることは、一応秘密のはずだ。
「うーん、僕もしらばっくれようと思ったんだけどさ、ちょっと状況がそうもいかなくて」
「状況?」
「詳しくは、ルリ君に聞いてよ」
ぼそぼそと囁きかわす男二人の話が終わるのを、ルリは辛抱強く待っている。
やがてアキトはアカツキを締め上げる手を緩め、ルリに向き直った。
「何の用だ」
ぼそりと呟く。寄らば切るの鋭い雰囲気にルリは少しだけ眉を潜めたが、そのまま続けた。
『緊急事態です。無理に帰って来いとは言いませんから、協力してください』
声は淡々としていたが、その声にはそれなりの焦燥が滲んでもいた。いつ何時でも冷静さを失わないルリにしては、珍しく動揺を抱えているらしい。
「緊急事態?」
『はい。まずはこちらのビデオをご覧下さい』
ビデオ? と同じ室内にいた全員が怪訝そうな顔をする。
『状況をよりよく理解していただくため、突貫で撮影しました。こちらです』
言葉に続いてルリのウィンドウが縮小され、別窓が空間に浮かび上がる。
最初に派手なファンファーレが鳴り響き、「宇宙軍プライベートビデオ」のクレジットが現れる。次いで、「アキトさんへのお願い」というタイトルが表示され、画面は一旦ホワイトアウトした。
「なんか、無駄に凝ってるね」
『軍の設備を使いましたから。権利問題とか表記とか、いろいろ難しいんです』
「で、本編はここから?」
『ええ』
頷くルリに応えるようにして、画面は切り替わった。
『やっほー、アキト。ユリカだよー!』
アキトの目が、バイザーの奥で見開かれる。
画面に飛び込むようにして現れたのは、半年前に別れたきりの、彼の妻だった。長く豊かな髪がふわりと揺れ、変わらぬ屈託のない笑顔を縁取っている。
しかし、ひらひらと手を振るノーテンキな女の顔が大写しになったところで、不意に映像は途切れた。
―しばらくお待ちください―
という表示の裏で、なにやらぼそぼそとささやき合う声が聞こえる。
『ダメじゃないですか、艦長。あなたは重病人なんですから、そんな元気な挨拶はナシです』
『えーっ、だってこのビデオ、アキトが見るんでしょう? 元気なユリカを見てほしいなー』
『艦長、ビデオの目的を忘れたわけじゃないでしょう? いいですか、あなたは重病人なんです。それを忘れないでください』
そんな会話の後、しばらく無音の時間が過ぎた。やがて「しばらくお待ちください」の表示が消え、次の瞬間には場面は一転していた。
畳の上に敷かれた布団に、ユリカが弱々しく横たわっている。その枕元に正座するルリは、ハンカチをそっと目頭に当てた。
『聞こえる? アキト。ユリカだよ……』
儚げに囁くユリカ。枕元の花瓶に挿された藤の花房が、窓から吹き込む風にゆったりと揺れている。
透きとおるように白い顔に黒目がちの瞳と赤い唇だけが、やけにくっきりと浮かび上がって見える。透過光の効果も加えられた画面の中で、ユリカはサナトリウム文学のヒロインのごとく健気に微笑んでいた。
『アキトがいなくなって、もう半年も経っちゃうんだね。アキト、元気にしてる? ご飯食べてる? 浮気してない?』
矢継ぎ早な質問の後、ふとユリカは遠い目をして視線をカメラの外へと向けた。
『アキトに会いたいって毎日お祈りしてるんだけど……もしかしたら、もう会えないかもしれない』
ぴくり、とアキトの表情が強張る。
カメラはゆっくりユリカを離れ、その横にいるルリの顔をアップにした。
『アキトさん。ここだけの話ですが』
ハンカチを下ろし、膝の上できゅっと拳を握り締めたルリは生真面目な顔をして、真正面からカメラを見据えた。
『現在のユリカさんの体調は、非常に深刻な状態です。遺跡と融合させるために投与された大量のナノマシンが、ユリカさんを内側から蝕み、日に日にその体力を削り取り、衰弱させているのです。状況を改善するために、ドクター・イネスをはじめとする多くのお医者様が最善を尽くしていますが』
そこでルリは一度言葉を切り、すいと視線を逸らした。
再びカメラを見据えたルリの表情には、どこか痛みを堪えるような色が透けて見えた。
『データが不足しています。火星の後継者たちがユリカさんの体にどのような処置をしてきたのか、遺跡に融合していた際、ユリカさんの生命がどのように維持されてきたのか、詳細な資料が必要なのです』
「それはまあ、そうだろうねえ…」
アカツキが呟く。
仮死状態のまま超古代文明の遺跡に同化させられ、生きた演算ユニットとして利用されてきたユリカは、半年前にようやく助け出されたものの、いまだその後遺症から抜け出せずにいると聞いている。
当初こそ命に別状はないと診断されていたが、長期間にわたり非人道的な実験の被験体とされてきた彼女の体が負ったダメージは、計り知れない。
『火星の後継者たちの実験データについては、彼らのアジトを捜索し、残された資料の収集を急いでいます。こちらは何とかなりそうなんですが、問題は遺跡ユニットの方です』
「あ、納得」
先に頷いたのはエリナ。ルリは続けた。
『現在、火星の軍施設に収容された遺跡ユニット付近は宇宙軍によって完全に封鎖されており、きわめて限られた関係者しか立ち入れない状態です。ミスマル提督を始め、各方面から遺跡のデータを収集させてもらうよう働きかけてはいますが、国家間の利害調整が厳しく……状況は芳しくありません』
再び、ルリはカメラから視線を逸らした。緩く、唇を噛む素振り。悔しさを持て余すようなその表情は、かつてのルリならば決して見せなかったものだ。
顔を上げ、ルリはアキトを真正面から見つめる。金色の丸い瞳が、瞬きもせず彼女の義理の父親を捉えていた。
『アキトさん、無理を承知でお願いします。遺跡ユニットからユリカさんのデータを収集してください。私たち宇宙軍の関係者は動けません。あなただけが、頼りなんです』
アキトはビデオを写したウィンドウから目を離し、現在のルリ本人を映し出したウィンドウへと目を向けた。
「どうして、俺に?」
『言ったでしょう。宇宙軍の関係者として、私には身動きはとれません』
「ネルガルだって、表立って動けないのは同じだよ」
横からアカツキが口を挟む。
『でも、アキトさんとブラックサレナなら、いまだ公式的な扱いは所属不明の未登録機動兵器です。私やアカツキさんたちよりも、自由に動けるはずです』
「つまりテンカワ君に、本物のテロリストになれって言ってるわけね、君は」
アカツキの多少の悪意を含んだ締めくくりに、ルリは躊躇うように俯いた。
『都合のいいことを言ってるって、わかってます。でも……アキトさんしか、頼れる人はいないんです』
「……」
と、終わりかけていたビデオの中で、不意にささやくような声が響いた。
『ジュン君、ジュン君、こっちこっち』
「あら、カメラマンって、アオイ中佐だったの?」
エリナがどうでもいいことを呟く。
カメラは再びルリから離れ、布団の上に座ったユリカを映し出す。
アキトも顔を上げ、画面の中のユリカを見上げる。
『もっとこっち。ほら、近寄って』
カメラが大きく揺れて、ユリカをズームアップした。どうやらレンズのズームを使ったのではなく、実際にカメラを持ったジュンがユリカの間近まで行ったらしい。
ユリカはカメラを覗き込むようにして、にっこりと微笑んだ。
『あのね、アキト。ユリカは元気だから安心してね。ルリちゃんはああいうけど、ユリカは平気だから』
えへっ、と笑って見せる。
横で「艦長」と咎めるような声が聞こえるが、ユリカはそれを無視したらしい。
『アキトが帰って来ないのは、何か理由があるんだよね? ユリカはアキトのこと、なーんでもわかってるから。すべてが終わったらちゃーんと帰ってくるってことも、わかってるよ。だからアキト、ユリカのことは心配しないで、好きなようにやってね。あ、でも浮気はダメだぞ。ユリカは地球で、待ってるからね』
じゃあね、という声を最後に、ビデオは終了する。
「……」
ウィンドウが閉じられてしばらくたっても、一同は無言だった。
その、と、気まずそうな声が沈黙を破る。
「元気そうで、なによりだわ」
ようやく呟いたのはエリナ。横ではアカツキやウリバタケが、うんうんと頷いている。
ルリの言葉はともかく、あのユリカなら100回殺しても死なないんじゃないか。そんな気さえしてくる。
『とにかく』
ルリが、コホンと咳払いしつつ言った。
『ユリカさんはああいう方ですからいま一つ自覚が足りませんが、状況が深刻なのは確かです。アキトさん、先ほども言いましたが、あなただけが頼りです。無理にとは言いませんが、ユリカさんのことを少しでも思ってくれるなら』
「わかった」
「えっ?」
その場にいた全員の視線がアキトに集中した。
「サレナを使わせてもらうぞ、アカツキ。遺跡の演算ユニットから収拾したデータはネルガルにも回す。レンタル料はそれで十分だな?」
「う、うん、それは構わないけど」
「ちょっと、アキト君?」
そんな即答していいの? とエリナが聞き返すが、アキトは既に踵を返していた。
「ちょっと待ちなさいよ。あんな芝居にほだされたってわけじゃないんでしょうね?」
ビデオで見る限り、ユリカはルリが言うほど深刻な状況ではなさそうだ。
しかしアキトはぴたりと足を止めると、振り返らず、視線を落としたまま呟いた。
「あいつがああいう顔で平気って言うときは、いつだって、本当に平気だったためしがないんだ」
ぼそりとした声を残し、アキトは室外へと出ていく。
残された一同はぽかんとした顔を引き締めるのも忘れたまま、アキトの背を見送った。
「わりと……簡単でしたね」
ナデシコBのブリッジで、サブロウタが呆気に取られたように呟く。
「もっと難しいかとも思ったんですけどね。割と単純な奴なんですか? あのテンカワ・アキトって」
ルリはくすりと鼻を鳴らした。
「そうですね。単純さにかけては、アキトさんの右に出る人って、あんまりいませんから」
それはアキトが黄色い制服を身に着けていようと黒いマントを着ていようと変わらないに違いない。
「私、嘘はついてません。ホントにあなたしかいないんです、アキトさん。ユリカさんを救えるのは……」
呟いて、さすがにそんな自分に照れたのだろう。
何食わぬ顔を取り繕い、ルリはずずずっと番茶をすすった。