ユーチャリスがネルガルの居城に居座ったのは、火星極冠遺跡に程近いネルガル所有の研究所である。偶然にも戦舟が研究所に身をおろした瞬間は過去における木蓮平和大使が月と火星の中間にあるコロニーの一つで会談が行われた時間であった。
意図したところはない。だが、ユーチャリスの移動と同時に一つのコロニーが廃棄命令を受けていた。コロニーの正式名称は型式であり、型遅れとなったコロニーは廃棄がいつでも可能であるが、軍事施設として正式稼動していた。
唐突に起こる警報と、コロニー外縁にある紫色の円柱を幾つかつなぎ合わせたような船は、コロニーの対空砲にて破壊された。
あるはずのない船は、あるはずのない命令に従ったコロニーに破壊された。
たった一つのこの出来事に、気づくことが出来たのはコロニーを管理していた宇宙連合軍とラピスラズリであった。
連綿と、齟齬を抱えながら運営するシステムの網の中で起こる異常。
何かの機械トラブル、人為的過失などの可能性もある。だが、見逃せないものが彼女が放った網に引っかかった。
「コロニーの不自然な防衛システム起動。観測カメラの記録映像を確保する。」
ラピスは牽引され、各部重力影響下のバランスシステムと構造強度計算の正常値を確認しながら指示をした。
ネルガルに到着して、船を万全からさらに改修させる必要があるわけではない。
だが、オーバーテクノロジーが管理下に置かれるのに、それ相応のスパイや探りは予想できた。
バッタを造船ドックに配置して自動警備させる。
アキトはエステバリスですでに、ネルガル会長たちと会話を行っている。
知っている、知らない人。
アキトのためにやってきた結果は、アキトが築いたものを彼女は破壊した。
そして、コロニー崩壊に彼女の作り上げた網に引っかかったものが一つ。
白の円柱を柱としたどこか石油掘削装置を思わせる無骨な宇宙船。木連に見られる一般的な艦船であり、たった一つしか存在しなかったはずのもの。
火星に居住を移した大使が乗っていた船だった。
あるはずのない事象と、存在したはずの事象が混在を始めていた。
エステバリス、自社が開発を行っている機体名称であり、彼の前に着陸したものの名称だ。自社が社運の一部を掛けているスキャパレリプロジェクトの派生技術。
そして、古代火星が作り上げたもの。
「ここまで洗練された機体が出来るようになるんだねえ。技術的に数段は上にある。」
黒髪の長髪を揺らして、着慣れたスーツ姿でアカツキナガレネルガル会長は見上げた。彼自身がパイロットとして機体のテストパイロットを行ったことがある。
機体のハードとソフト、両方ともが未熟な機体。それでも、地球に存在するデルフィニュウムのような人型兵器に比べると先進的で、実用性は低い。
もともとが人型機体などというのは利用価値が低い。
それでも開発が行われるのは宇宙空間での自由な挙動が大きな利点に挙げられるからだ。シャトルのアームや小型の整備艇に比べて、人型が得る利点は大きい。
「工業用運搬にも使えるとか、汎用を考えましたが。軍事用としても潜在価値はありそうですね。」
中年に指しかかろうとする男性は会長の挙動を見ながら、機体を見上げる。思い抱く感想はプロスペクターと自称し公認されている彼も同じだ。
たった二人の謁見者。ネルガルに許されたのはこの二人と一人の研究者だ。もっとも、研究者たるイネスフレサンジュのほうが二人よりも先方との付き合いは長い。
「始めましてだな。」
エステバリスのスピーカーより声が発せられる。開封されるアサルトピットらしき機構をみて、プロスペクターはそれが一体型、機体そのものにジョイントされたものだと認識した。
「ネルガル会長アカツキナガレと火星研究所元所長プロスペクター。あなたがたの名前と容姿、性格など調べさせてもらった。」
相手は自分たちを調査していた。
当然だ。買収した企業が健全でなくては、買収などする意味などない。だが、こちらは買収した相手のことをまったくわかっていなかった。
「知ってもらって嬉しいな。プレイボーイとして男にも興味を持ってもらえるのは行き過ぎだけどね。」
「お言葉も過ぎますな。」
「軽口もいいさ。俺の名前はアキト、アキト・ラズリだ。」
アキト・ラズリと名乗る男はパイロットスーツの上にかぶったヘルメットを脱ぎ去る。
押し付けられた髪は、撫でるようになってるが跳ねのあるダークブラウン。どこか年齢を伺わせない老練さがにじみ出ている。
プロスペクターは彼をみて、思い出す男が一人いた。
「テンカワ博士。」
かつて暗殺された一人の科学者の面影だった。
「ネルガルはこれから、木連の殖民活動と火星全域の自立活動に尽力してもらう。土壌と食品の改良。軍備などの武力増強、流通網の整備。宇宙進出。これらによって、火星の自活と自立を目指す活動に、俺たちは協力する。」
「火星のために仕事をするのは結構だ。でも、それで利益は出るかい。
ラズリくん、君の抑えた企業は人体実験すら辞さぬ研究や兵器開発もしている。君の目的が火星の自立だとしても、ネルガルは膿が多い会社だ。
君の理想には、もっと健全な企業がいいんじゃないかな。」
茶化すような、馬鹿にするようなアカツキの内心は探りを入れることに注力している。アキトラズリの求める目的物を確かめなくては、自分たちの地位も方針も決められない。
「いや、ネルガルの膿は火星に集める。俺の故郷である火星に隠すべき物事を隔離する。そのための買収で、そのための企業だよ。」
「アキト。」
不意に会話を途切れさせるウインドウが展開する。
画像に映し出された一人の少女が、ネルガルの二人を驚愕させた。
「木連の大使船と同じものを観測した。観測地点は月、火星間のコロニー。連合宇宙軍所有。緊急時脱出命令が不審発動して、不可解な現象が起こっている。」
金色の瞳と色素の薄い肌。そして、血流に乗って現れるナノマシンパターン。
「マシンチャイルド。」
「わかった。事件の詳細を逐次報告してくれ。」
「了解。」
ウインドウが消え去る。
エステバリスのハッチを降りる背後に、アキトは敵意を向けられるのを感じながら床に降り立った。
「抱えるものは抱えて、隠し通すつもりだ。利益も確保して人のためにもなる。」
アカツキと相対する。
身長は彼の方が高く見上げる形だ。それでも、アカツキナガレは目の前の男を大きいと、感じた。
「それが、ネルガルのこれからの基本方針だ。」