人には嗜好がある。その方向に向かってしまう、自分が苦れることのできぬ快悦。
テンカワアキトは料理をしたいと思っていて、食材に、食器に、調理器具に触れる仕事を好んで行った。
孤児や学歴といった来歴は、火星では大きすぎる格差を生み出さない。
この惑星そのものが、貧富があまり生まれない土壌として存在したからだ。
唯一地球より着た一部の市民が、ちょっとした優越と利権を持っていた。
そういった一部が御用達とするレストラン、テンカワアキトが皿洗いとして雇われた店。今までが火星の食材を扱っていたというのに、今扱っている食材の新鮮なこと。白く磨かれた皿や食器は、優越感を増徴させるようにも見える扱いだ。
そんななか作られる料理に感嘆し、アキトはシェフの腕が確かなものであると知っていた。
「おいしい料理っていうのは、やっぱいいよな。」
足腰の疲労や、手荒れなどは苦ではない。
客層が一部にはなるが、人の笑い顔を見るのは悪いことではない。
そんななか、一人の客が調理場に入り込んできた。
金髪の釣り目の女性だ。
「あなたよ。探したの。」
「へ?」
指を指される自分。
「着て頂戴。」
文句をいうシェフへと彼女はチップを渡して宣言する。
「彼とわたしに料理を。お勧めで構わないわ。」
イネスフレサンジュ、ネルガルの研究員として穴暮らしになっていた彼女。
穴倉での生活に持ち込まれた好奇心をそそられる題材と、現象。
幼い少女が持ち込んだ研究課題。その献体の彼が、”おにいちゃん”が彼女の捕まえた彼だった。
「あの、なんのごようでしょうか。」
コック服で居心地悪そうだ。その面影は、少女に見せられた人物にも通じる。
「用事は簡単。あなた、ちょっとした仕事をしてくれない?」