バッ、と素早く大刀を引き抜く再不斬。
そのまま足で木を蹴り空中を舞ったと思えば、一瞬にしてその姿が消える。
…速い!目で全く捉えきれない。
男は透明にでもなったかのように掻き消えたかと思えば、今度は少し離れた水面へ姿を現した。
大刀を肩に担ぎ、左手を高く掲げて印を結んでいる。
「あそこだ!」
少し遅れて気づいたナルトが大声をあげた。
あの男……何をする気だ。あんな形の印は今まで見た事が無い。
「忍法…霧隠れの術」
ボソリと呟いた男の声と同時に奴の体を濃霧が覆っていく。
男の姿が真っ白になって見えなくなったと思えば、再び水の上から姿を消した。
何処からともなく舞い落ちて来た木の葉が水面に波紋を象っていく。ゆらゆらと揺れ動くその波はまるで男が最初から其処に存在しなかったかの様だ。
……霧に紛れて奇襲するつもりか。
「消えた!?」
「…まずはオレを消しに来るだろうが…、桃地再不斬……こいつは霧隠れの暗部で、無音殺人術の達人として知られた男だ。気が付いたらあの世だったなんてことになりかねない。オレも写輪眼を全てうまく使いこなせるわけじゃない……お前たちも気を抜くな!」
カカシのその声に全員に緊張が走った。
音の無い世界に一人だけ取り残された様な錯覚に陥る。
ドクン…ドクン。心臓の鼓動だけが耳に入ってくる。
どんどんと濃くなっていく霧に周囲は全く見えなくなっていく。
真っ白な視界。すぐ近くにいるであろうサクヤとナルト、カカシの姿すらも白く映り込む。
一滴の汗が鼻から口にかけてゆっくりと滴り落ちていく感覚がハッキリと判った。
『––––––––––––––八か所』
「なっ……何!?」
少女の高い声がすぐ隣から聞こえて来た事に心の底から安堵した。
この濃い霧の中で奇襲をかけられたら悲鳴すら出す暇も無く死んでしまうかもしれない。
冗談じゃねえ…無音殺人術、だと…?
サクヤは絶対に殺させはしない。勿論ナルトもだ。
絶対に殺させはしねェ………!
決意を固め瞼をゆっくりと閉じると、チャクラを両目に集め写輪眼を形成する。
こんなもの…この霧の中じゃ全く役には立たないが、目に見えなくとも反射神経の向上には使える。
奴が奇襲をかけるにしろ、絶対に音は発てる筈。全て無音で完結させる事など出来はしないだろう。
やってやる。
…音だけを頼りに反撃してやる。
出来る出来ないではない。やらなければまた大切なものを失うだけだ。
『咽頭・脊柱・肺・肝臓・頸静脈に鎖骨下動脈……腎臓、心臓……さて、どの急所がいい?クク………』
何処からともなく響いてくる再不斬の低い声と共に、体を圧し潰すかのような殺気が漂う。
全身から汗が吹き出て体温が急激に冷えていくのが感じ取れる。
スゲェ殺気だ…眼球の動き一つでさえ気取られ殺される、そんな空気だ。
小一時間もこんなとこにいたら気がどうにかなっちまう…。
自分の命を握られているかのような感覚にいっそ死んで楽になりたいと現実逃避気味な考えが頭に浮かぶが、首を大きく振り無理やり掻き消す。
…ダメだ。オレがこんな事じゃ、また掛け替えの無いモノを失う。
あの日誓った筈だ…何があろうと彼女を護ると。此処でオレが死ねばそれも不可能になる。
「………ヘッ。まるで臓器博士だな」
体の震えを無理矢理押さえつけると、強がりにしか聞こえないだろう声を絞り出す。
「サスケ…安心しろ。お前たちはオレが死んでも守ってやる」
「…!」
カカシの声に少し驚き体がビクッと跳ねる。
この霧の中で臆病になってしまっているのだろうか、その後ろ姿が何時もよりも数段逞しく見えた。
カカシはゆっくりとこちらを振り向くと、こんな状況下にも関わらずニコッと笑って見せる。
「オレの仲間は絶対、殺させやしなーいよ!」
何時もと変わらずふざけた口調だが、この時だけはカカシのその姿にとてつもない安心感と信頼を覚えた。
こいつなら本当にオレたちを守ってくれる、そう確信出来る表情だった。
フン…。カカシ…こいつらを護るのはこのオレだ。アンタだけに良い格好はさせねェよ…!
『それはどうかな…?』
刹那、男の声が背後から聞こえて来る。
音が出るだろうと決めてかかっていたが、まさか本当に全ての動作が無音なのか…!?
後ろか…!と、そう考えた時には既に片手に持ったクナイを背後に向けて振りかざしていた。
自分でも意識していない反射的なその動きに、自分で驚いてしまう。
これも写輪眼の、うちはの血継限界の力なのか…?
左手から伝わってくるのは肉を貫く確かな手応え。
直ぐ真横で同じ様にクナイで再不斬を突き刺していたカカシも、オレのその姿を見て驚愕に目を大きく開いた。
オレのクナイは右肩を、カカシのクナイは肩から心臓部にかけてを深く突き刺している。
…流石は上忍。先ほど言った言葉は嘘じゃ無かったんだな…。
再不斬から大きく離れて尻餅をついているサクヤ達を見て安堵する。
恐らくコイツを突き刺す寸前、一瞬の刹那に二人を安全な所まで吹き飛ばしたのだろう。
無意識に攻撃を行っただけのオレとは違う、明確な目的を持った動き。流石と言わざるを得ないな…。
「…驚いたな。三人纏めて避難させるつもりだったんだが。まさかお前が此処まで動けるとはな……」
「………うちはを舐めるなよ、カカシ」
「サスケェ!!先生!後ろッ!!!」
背後から響くナルトの金切り声と共に、突き刺した男の体が突然に水へと変化する。
パシャ…と地面へと落下していく透明な水を見て、想定していなかった出来事に頭が混乱する。
…分身?変化?後ろ…?何なんだ……!
ナルトの発言すらも理解することが出来ずにただ立ち尽くす。
完全に停止して動かないオレの体。
マズイ…と頭が理解した瞬間…突然、大きく体が後ろへと吹き飛ばされた。
衝撃と痛みが右肩付近を襲う。
その痛みで完全に我に帰ると、空中で体を反らし原因であろうカカシの方へ視線を送る。
その背後には既に大刀を大きく振りかざしている再不斬の姿があった。
あまりにも大きな得物は、聞いたことの無い音量の風切り音を響かせながらカカシへと真っ直ぐに向かっていく。
オレとしたことが、情けねえ…!完全に殺ったと思って油断していた!
ホルスターから手裏剣を取り出すが、もう間に合わない。ポーチから数枚の手裏剣が金属音を響かせながら重力に従い落下していった。
避けろ…避けてくれ、カカシ!
「きゃあぁぁぁっ!!」
無情にも、再不斬の一閃はカカシの胴体を真っ二つに切り裂いた。
再び無残な姿へとなってしまったカカシ。サクヤの悲鳴だけが静かな霧の中へ虚しく反響する。
だが、二つに分かれた胴体と下半身から吹き出したのは真っ赤な血では無かった。
ブシャアアア!!と音が聞こえてくるかの様に勢いよく噴き出す液体。
その色は赤ではなく、透き通った透明。さっきの再不斬と同じだ…。
「水……!」
コピー忍者の異名は伊達では無い様だ。
あの一瞬で、しかもこの真っ白な視界の中で男の術をコピーしたってのか…?
なんて洞察力と判断力だ。
もし敵があの男では無くカカシだったらと無意味にも考えてしまい、ゾッと背筋が凍った。
こいつ…化け物か。
「動くな……」
「……ッ!!」
驚愕に目を見開く再不斬。首に突き付けられたクナイが鈍く黒い光を放つ。
男の背後に立つカカシは、左目を真っ赤に光らせながら再不斬の後ろ姿を睨みつけていた。
「–––––––––––––––––終わりだ」
裏の裏、さらにその裏を掻いていく死闘に目を見張る。
…これが、忍者同士の戦い。当たり前の様に繰り広げられる音も無き戦闘。
こんな奴が…あのクソッタレ遅刻魔だってのか…?
能ある鷹は爪を隠す。まさにその言葉を地で行っている様な忍者だ。
「ス……スッゲーーーーーー!!」
「これが……これが本当にあのカカシ先生…?偽物…?」
いつの間にやら薄くなっていた霧の中で、サクヤとナルトの姿が見えた。
驚嘆とともに満面の笑みを浮かべるナルトと、笑みを浮かべながらも微妙に失礼な事を呟くサクヤ。
だがその気持ちは痛いほど良く判った。オレの目にも正直偽物に見えてきてしまう。
カカシが首に向けたクナイを男の脊髄目掛けて振り下ろそうと、トドメを刺そうとしたその時。
クク………と、小さく笑い声をあげ始める男。
…コイツ、自分の置かれた状況が判ってねぇのか…?それとも、土壇場で頭が可笑しくなっちまったのか?
「ククク……終わりだと…分かってねェーな。…サルマネごときじゃあ…このオレ様は倒せない…絶対にな」