「ふぁ……おはよ…って、どうしたのその左目!」
台所から漂ういい匂いにつられて目を覚まし、朝ごはんを食べに行くと、お母さんの左目に包帯が巻いてあった。
何かあったのか。まさか、失明とか。心配になり、机に身を乗り出して尋ねる。
「怪我でもしたの!大変だわ。すぐお医者さんのとこへ行かないと!」
「あぁ。これ?玉ねぎ切ってたら汁が目に入っちゃって。最悪よ、もう」
「は?」
ただのあほだった。
「なぁんだ…心配して損した。包帯なんて巻いてるから、大事だと思っちゃった」
「この包帯は医療忍者のお友達からもらったものでね、痛みを和らげる効果があるのよ」
「聞いてないわよ…」
まったく。気が抜けたらお腹が減ってきちゃった。朝からドタバタだわ。
席に着くと、いただきます!と元気よく言って、朝食をとる。
包帯事件の犯人を箸でつかむと、口へと運んだ。
…うん。甘くておいしい。
ごちそうさまをしてお皿を台所まで運んでいると、外からサスケの呼ぶ声が聞こえた。
いつもの時間だ。
「いいわねえ、サクヤは。あんなにイケメンの幼馴染がいて。将来はサスケくんのお嫁さんね」
「もー、お母さんったら。サスケはそんなのじゃないって。同い年の兄弟みたいなものじゃない」
「あら。わからないわよ?今はただの兄弟かもしれないけど、大人になったら異性として意識する時が来るわよ」
「ないなーい」
サスケと結婚をしている私の姿を想像してみる。花束を持ったサスケの姿。
…うん。ないな!あいつはただの幼馴染。
さっさと準備を済ますと、玄関口へ向かう。
靴を履いていると、珍しくお母さんが見送りに来た。どういう風の吹きまわしだろうか。
「…どうしたの?お母さん」
そのまま私の方へと近づくと、私の頬へチュッ、と優しくキスをした。
そして、まだ小さい私の体をぎゅっと抱き締める。まるで壊れたものを丁重に扱うように、そっと。
久しぶりに感じる母の温もり。あったかい。
生き物の子供にとっては、母親の近くが一番安心できる場所。
やはりこの人は私のお母さんなんだ。そう改めて感じられた。
そのまま少しの間母の腕へ包まれていたが、気恥ずかしくなって抜け出す。
「…もう、何よ急に。何だか今日のお母さんおかしいわ、どうしたのよ」
「ふふっ。何でもない。愛してるわ、サクヤ」
「変なの…」
急な愛情表現をされると、照れ隠しにぶっきらぼうになってしまった。
何だか負けた気がする。こっちも言い返しておこう。
「まったく。私もよ、お母さん。愛してるよ。じゃ、行ってきます!」
捨て台詞のような言い方になってしまった。感情表現って難しいね。
まぁいいか、帰ってきたらちゃんと伝えよう。
行ってらっしゃい、という声を聞くと、玄関のドアを開ける。
おなじみの不機嫌な顔が目に映った。
「おっそいよ……って、サクヤ。朝からなにニヤニヤしてるの」
「なんでもなーい!!」
足に力を込めると、勢いよく駆け出す。
「ほら、さっさと行こ!置いてくわよ、サスケーーー!」
「もー、なんなんだよ……」
アカデミーの帰り道。サスケと二人で歩いていると、うちはの村に近づくにつれてなんだか空気が重々しく感じる。
最近はずっとこうだ。気のせいだと思っていたが、明らかにみんなの様子がおかしい。
何か、嫌なことでも始まるのか。そんな前兆のような気がした。
「ねぇ、サスケ。ちょっと寄り道していかない?」
重い雰囲気に当てられたのか、俯いていたサスケにそう問いかける。
「別にいいけど…どこ行くんだよ」
「ちょっとそこまで。行きましょ」
そう言うと、あの場所へ向けて走り出した。少し遅れて、サスケも走り出す。
まるで、嫌なものから逃げ出すかのように。
「うん、やっぱりここの眺めは綺麗ね……」
「…そうだな」
場所は変わって、この前イタチ兄さんとシスイさんがいた滝の前の広場。
沈みかけた夕日が辺りを橙色に照らす。まるで、あの時見たイタチ兄さんの鳳仙花の術のように。
その夕日が滝に反射して宝石のように輝く。…絶景だ。
その場に座り込むと、しばらく辺りを眺めていた。
時間が経つごとに少しずつ変化していく景色。橙から赤へ、赤から紫へ。
風景が黒へと変化し始めた頃、何も言わずにただそれを見ていたサスケが口を開いた。
「なあ、サクヤ」
「なに?」
「最近、なんか里の様子がおかしくないか」
「………うん。私もそれを言おうと思ってた」
やはり、サスケも感じていたのか。あの暗く重苦しい雰囲気を。
ずっとそこにいたら押しつぶされてしまいそうな、そんな感覚を。
「何だか、兄さんの様子もおかしいんだ。変なことを言ったりしてさ。写輪眼の感じもなんか変だった」
「写輪眼が?」
「ああ。模様が何だか違ってた」
模様が違う写輪眼。…わからない。何だろう、ただのサスケの見間違いじゃないのか。
それにしても、イタチ兄さんまでおかしいだなんて…。
「何か、大変なことでも起きるのかしら…。」
「なんだよ、大変なことって」
「わからない。何か、私たちではどうにもならない何か」
「意味わかんないよ。縁起でもないこというなよな」
今まで里がこんな空気になったことなんて一度たりともなかった。
大人たちも子供たちも、火影様もみんな笑っている明るい火の国。
その里から、今は笑顔が消えている。
何かが起こるのだろうか…私には想像もつかないことが。
子供である私たちは完全に蚊帳の外。里で何があるかなんて、さっぱりわからない。
でも、それがいいことでは決してないということだけは、私たちにもはっきりとわかった。
「…ねぇ。サスケ」
「…ん?」
「もしも、もしもの話よ」
なぜか、これだけはサスケに伝えておかなければならない気がした。
「もしあんたに大変なことが起きたら。その時は、私がなんとしても助けるわ。だから」
すくっと立ち上がる。周りは、すっかり闇に閉ざされて、月だけが白く暗い輝きを放っていた。
「もし私に何かあったら––––––––––その時は」
月明かりが私とサスケの二人だけを照らす。私は今、どんな顔をしているんだろう。
「あんたが私を助けてね」
あぁ。そう短く答えたサスケの横顔は、何だかいつもより大人びている気がした。
村に戻ると、すっかり遅い時間になってしまっていた。
やばいやばい、お母さんに叱られる。そう思うと、自然と足が速まる。
小走りで村を進んでいくと、誰かが道の真ん中に寝そべっている。
何やってるのかしら、こんな時間に…。
「おーい、おじさん。こんなとこで寝てたら風邪ひくわよ。おじさーん」
体を揺すったり、叩いたりしてみるが、起きる気配がない。
ペチペチと頬をはたいたりしても反応が返ってこない。随分深く眠りこけてるようだ。
もー、どうすんのよこの人…と途方に暮れてサスケの方へ振り返ると。
なんだかサスケの様子がおかしい。震えている…?
「サスケ……?どうしたの……?」
「…サ、サ、サク、ヤ………それ…」
震えながら男へ向けて指をさしている。
指す方向へ視線を辿ってみると……。
お腹に深い切り傷が。
「何よ、これ………!?」
「その人、寝てるんじゃない…死んでるんだよ……!!」
そう言われて体に触れてみれば、確かに生きている人間とは思えないほど冷たい。
頭がぐるぐるする。なぜ。こんなところで人が。
明らかに誰かにやられたものだろう。なら、誰が。
なぜ。何の目的で。
なぜ。うちはの村の中で。
なぜ。
思考がうまくまとまらないまま、それらを考えていると。
(–––玉ねぎ切ったら目に入っちゃって。最悪よ、もう)
目に包帯を巻いた女性が、頭に浮かんだ。
「お母さん!!!!!!」
「あっ、おい!サクヤ!!」
暗くて何も見えない。でもただひたすら走る。
家へ向かって。
頭をよぎるのは、最悪の光景。それを頭を振って無理やり掻き消す。
大丈夫、大丈夫。
家に帰れば、きっといつも通り。
あら、おかえりなさい。そう言って、お母さんが美味しいご飯を作って待っているのだ。
いつも美味しいご飯ありがとう、そうお礼を言って。
あったかいお風呂に入って、いつも通り寝るのだ。
そう、いつも通り。
身体中のエネルギーの総てを足に込めて、ひたすらに走る。
心臓がばくばくとしているのは、きっと走っているからではないだろう。
見えない何かにつまづいて、盛大に転んでしまう。
擦りむいたらしく、膝と手のひらがヒリヒリする。でも、今はそんなことどうでもいい。
こんな傷、家に帰ってお母さんに消毒でもして貰えばいい。
そう考えると、また走り出す。家へ向かって、ただ走る。
大丈夫。そう自分に言い聞かせていないと、不安でどうにかなってしまう気がした。
……大丈夫。
「ただいま!!!!!」
家についてドアをこじ開ける。
おかしい。おかえりの声が聞こえてこない。
部屋で寝てるだけだろう、起こしに行こう。
お母さんの寝室のドアを開ける。ベッドの上には…ああ、いた。お母さんだ。
「お母さん、ただいま。起きてよ」
そう言うと、私と比べて大きな体を揺らし動かす。
私にはない、大きな胸が揺れる。
私にはない、長い黒髪がサラサラとなびく。
起きない。
体に触れてみると………
冷たい。さっきの男の人みたい。これでは、まるで……。
嫌な想像を振り払う。そんなわけない。ありえない。
「ねえ!お母さん!いつまで寝てるの!……起きてよ!!」
ひたすら体を揺さぶる。力の限り揺さぶる。
さっき怪我した右の手のひらから出たであろう血が、お母さんについた。
いや違う。この血は、私の手から出ているものではない。これはお母さんの…。
「いや……いやよ……ねぇ!!起きて!!起きてってば…ねえ!!お…お母…さ……」
視界がグニャグニャと何かで歪んでよく見えない。泣いているのか。
誰が?私が。
私って?
考えがまとまらない。意識がだんだんと薄くなっていく。
なぜだか、離れたところから自分で自分を見ているような錯覚を覚える。
「いや!嘘よ!!ねぇ!お母さん!!嘘だと言ってよ!!!ねえ!!!!」
短髪の女の子がお母さんの体を揺らし続けている。
その目は真っ赤に染まっていた。
あれは誰…?あれは私……?
じゃあ、今私を見ている私は誰……?
「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああああああああああああああああああ!!!!!!!!」
その少女が悲痛な叫びをあげたところで、私の意識は暗い海の底へ沈んでいった。