吹き上がる風。形を成すチャクラ。実に体内保有量の半分近いチャクラを使い、下忍、春野サクラはそこに一つの影を作る。流れる頭髪は桜色。整ったその容姿は、女と見れば流麗の一言に尽き、華奢な体躯がその儚さに拍車をかける。唯一その双眸だけが、血を求めるようにして嗜虐の色が強く、自身は脆弱とは違うと見るものに認識させる。サクラ本人を模した分身体、時間を多大にかけて具現化させた、それは実体をもつ“影分身”。この一手こそ、春野サクラが最強・日向ヒナタに勝つために必要とした、勝利への布石。この瞬間において、サクラは敵へと反撃の狼煙をあげる。「――行け!」「!!」オリジナルの声に反応し、弾かれたようにして影分身は走り出す。向かう先には唯一人、打倒すべき最強、日向ヒナタ。「正面からだと……? 舐められたものだ!!」構えるヒナタ。眼前の分身体の突撃に対し、腰を落として迎撃の姿勢をとる。縮まる距離。分身体が手に持つクナイを振り上げ、今まさに対峙する相手へとその刃をたてんとした刹那。ヒナタが動いた。「柔拳法――破山撃!!」紫電一閃。掌撃の軌道が閃光となり、神速の打撃は過たず眼前の敵を討ち滅ぼす。山をも砕く破壊の一撃。体術最強・日向流の打撃を分身体は受けて……しかし、次に目を見張ったのは打撃を見舞った方、ヒナタの側だった。「ぬ……!?」突き出した掌。それは確かに相手を捉えていながら、事実としてヒナタには“その手応えがない”。これではまるで、真綿を殴っているかのような感触だった。「“散華”……!」不意の合図。サクラ本体が発した言葉によって、瞬間、分身体の体がはぜる。次にヒナタや観客が見たのは、会場を舞う無数の桜の花弁だった。「これは……」呟くヒナタ。目の前の光景は優美であり、しかしてそれが全てチャクラによる具現化、影分身の派生だと、隻眼の白眼は看破する。影分身。実体をもち、それ自らが意思をもつ、多目的遠隔忍術。そのことを正確に把握していたヒナタは、直後、巻き起こった桜の怒濤にも冷静に対処していた。「標的包囲……切り刻め、“桜吹雪”!」瞬間、巻き起こる怒濤。数多の花弁が刃となり、渦巻く桜は標的を切り刻む斬撃の嵐となる。回転する包囲、“桜吹雪”。だが、これもまた悉く最強には通用しない。回転現象において、一日の長があったのは日向の方だったのである。「回天……!」再び螺旋を描くヒナタのチャクラ。その豪壮にして繊細なる回転を見せつける日向流奥義に、花弁の包囲は悉く吹き飛ばされていた。「鬱陶しいわッ!!」散り散りに吹き飛ぶ桜の花弁。四方に飛び散った影分身は、その身が軽いことを吹き散らす者にこれでもかと示し続ける。だが。「かかった……!」故にこその“秘術”。サクラは既に知っていて、ヒナタは未だに知ることのない術。吹き散らされてこそ、桜の花弁はその真価を発揮していた。「影分身・桜――“一斉変化”!!」ボボボボボボゥンッ!「!?」突如、地面に積もる四方の花弁が、白煙と共にその姿を変える。それらの光景は、相対するヒナタに一つの感慨を抱かせていた。(ああ、なるほど……こういうことか)影分身とは実体をもつ忍びの分身、人の形を保つチャクラの在り様。ならばその存在は、正しく“影分身”であることをヒナタへと理解させたのだ。「――にしても……………………“小さい”な」現れた影分身の新しい姿。身の丈五寸(15cm)、体は二頭身、体重は子猫程もない軽量。そこには誕生していた……無数の花弁が無数のヒトガタへと変化した存在、通称“チビサクラ”が。「ふにゃーっ……ようやくの出番だじぇ!」「あたちたちが出たからには、勝負はもう終わってゃもどうじぇん(同然)だ!」「かきゅご(覚悟)しろよ、このあばじゅれ(アバズレ)!」「ふりゅぼっこ(フルボッコ)にしてやんよ、ぼけなしゅ(ボケナス)!」「………」見回す。周りを見回す。隻眼の白眼の“広範囲”視覚でヒナタは、無数のチビサクラを遠方の本体と見分けながら(白眼でなくとも見分けられるが)、自身の周囲を見回す。どの方位を見ようと目に入るのは、チビサクラであり、チビサクラであって、チビサクラであった……。つまり、彼女は無数の分身体によって完全に包囲されていた。それは、桜の花弁が吹き荒れていた時から、ヒナタがずっと敵の包囲網の中に捕らわれていることを意味する。この意味においてのみ、春野サクラは日向ヒナタを支配しているともいえた。実際にそれがヒナタにとって脅威たり得るかどうかはともかく、だ。ヒナタがその顔を呆れの色に染める。「……馬鹿馬鹿しい……」溜め息混じりに呟く最強。その眼は相手を見ているようでいて、しかし、相手を見てはいなかった。油断はしないと誓った。躊躇など以ての外だと断言した。故に彼女は侮らない。敵を見抜き、力量をはかり、その全力をもって対峙する敵を叩き潰す。冷静なる観察眼。その眼の血継限界は過たず相手と相手の技を、その力量を看破する。最強の名を支えたのは何も腕っ節だけではない。卓越した戦術眼、それもまたヒナタを最強の存在へと押し上げていたのだ。彼女の眼が捉える事実には、真実、僅かばかりの狂いもない……。「――故に、私の勝ちってねぇ……!」ズドンッ!「がッ……!?」刹那、放たれた一発の“弾丸”が、ヒナタの胴を穿つ……。ヒナタが捉えた事実に、間違いなどはなかった。“あの分身体は日向ヒナタにとって脅威ではない”。彼女の読みに誤りなど皆無。そのことは、影分身がヒナタに勝てない現実は、厳然たる事実として確かにあった。……ただ、分身それ自体の強さではなく、それらが複数であることの特性までを、ヒナタが単純に知らなかっただけのこと……。単体ではなく、集団であることの優位。皮肉にも、常に唯一人で最強をほこり続けた彼女では、下忍同士のスリーマンセル以外、それを知ることは出来なかったのだ。そのスリーマンセルの経験でさえ、この大量の影分身の妙技には遠く及ばない。ヒナタは気が付かなかった。否、気が付けなかった。無数の分身が作り出す、絶妙ともいえる唯一つの存在感の誤魔化しを。寄り合うことで白眼の認識すらも欺く、ただ一体のみではある、その分身体を。無数の分身体の中で捕捉を逃れたその唯一のチビサクラが、たった一秒だけ使った“存在遮断”の発動を。完全に認識不可能となったチビサクラが、得た一秒間の間で断行した、自爆の突撃を……。(く、そッ……! “右”の感知網の穴を抜けられた……! 片目の被害、ここで使われるか……!!)至近距離で自爆した影分身からのダメージに耐えつつ、ヒナタは周囲への警戒に注意を注ぐ。その視界では、しかし、“所々の箇所が見えていなかった”。余談ではあるが、全方位視界をほこる白眼といえど、そこに死角が存在することはあまり知られていない事実だ。たとえ両の白眼が揃っていたとしても、その一角には埋めようのない不可視領域が出来上がる。いかな血継限界といえ、完全なる全方位可視は不可能だったのである。まして、今のヒナタは片目を塞がれている。死角は意志に反して無数。これまでの試合内容でその事実を暴露させなかったことが、既に奇跡、最強たる日向ヒナタの力量である。だが、そんな神業ともいえる奇跡も、先の影分身の突撃で崩される。片目の白眼では捕捉仕切れない全方位。そこにあるのは隠密を得意とする忍の無数の影分身。そして不幸にも、突撃した影分身がいたのは隻眼が生み出した白眼の死角の最中。様々な要素が重なり、ヒナタは遂にサクラの攻撃に当たる。片目が万全だったならば。無数の影分身にもっと注意を割いておけば。ヒナタは後悔するが、しかし、そんな仮定に意味はない。それらの事象を捻り出したのは他ならぬ怨敵、春野サクラ自身。今の状況はあらゆる手段をもってサクラが作り上げた、サクラ自身の“暗殺者”としての戦場、それに他ならなかったのである。結局のところ、限りなく無意識のレベルにおいてヒナタはサクラのことを、たとえほんの僅かとはいえど、見くびることをやめられないでいたのだ。その慢心は、しかし、間違いではない。実際のところサクラでは、たとえ天地がひっくり返ろうとも、“まともにやって”ヒナタには勝てない。この状況はただ、“まともにやらずに”最強に勝つ、そういったための最弱の戦場なのだから。四方のチビサクラ達は、ニヤニヤと歪な笑いを続ける。「ばーかばーか! こっちはおんみちゅ(隠密)のプロだぞぅ!?」「こんだけ一杯いれば、ごまかちゅ(誤魔化す)のは簡単なんだよー!」「暗殺者舐めんにゃよ、このしゅっとこどっこい(スットコドッコイ)!」かくして試合は意外な方向へと進む。認識不可能の魔弾と化した影分身による特攻。これこそ春野サクラが狙った、試合の流れ、すなわち勝機を掴むための乾坤一擲の一撃。両目の白眼相手では通用しなかったこれも、今のヒナタならば打倒し得る手段となる。桜色の髪の下忍は、その顔に凶悪な笑みを浮かべていた。「――アハハハハハハハハハハハハ!! ショータイムの始まりだァッ!! Let's party!!」