春香が大泣きして、落ち着いたあと。 バルコニーには卓也とリルが二人で寄り添っていた。 「……怒ってるか?」 「怒ってないわよ」 リルは問いに対して、首を振った。 「ちゃんとあたしのことを考えてることだって知ってる。それでも、頭を撫でてあげたほうがいいと思ったのよね?」 「ああ」 「だったら、怒るに怒れないわよ」 卓也がわざわざ、頭を撫でた。 意味なくやる人じゃないし、無意識に出来る人でもない。 ちゃんと意識的に、必要があるからやったはずだ。 「でも、フィオナじゃないけど……あたしだって人並みに嫉妬はする」 羨ましいことは羨ましい。 嫌な感情が思い浮かばない、と言えば嘘になる。 だから卓也の首に手を回して、ぎゅっと抱きつく。 リルの背に手を回し、卓也も軽く抱きしめた。 「……悪いけど、めっちゃ嬉しいからな」 「あたしが嫉妬して?」 「そうだよ」 「だからって、定期的にああいうことするのはやめてよね」 「するか。お前の機嫌を損ねたくない」 卓也が断言する。 「……あと、あたしがいない場所でやるのもやめて」 「分かってる」 リルが一番だから。 彼女を不安にさせてまで、やるわけがない。 「でも、少し気になったわ。今回はどうして卓也だったの?」 一番多く話して、一番思いやったのは卓也。 けれど状況的には彼である必然性はない。 「たぶん、誰でも良かったはずよね?」 きっと同じ言葉を異世界組が掛けてやれば、それで良かったはず。 なのにどうして卓也がやったのだろうか。 「春香の気持ちは理解してやれるよ。オレも、修も、優斗も、和泉も」 言いたいことはちゃんと、頷いてあげることは出来る。 「けどな、僅かでも共感できるのはオレだけだ。だからオレがやった」 四人の中で誰よりも普通だから。 故に卓也が一番適任だった。 「春香はきっと、たくさんの失敗をするし、たくさん迷うと思う」 異世界人の勇者の中で一番の凡人。 彼らの中では才能もなく、チートもない。 「その姿は人にとって普通の姿で」 誰も理想としないだろうし、誰も空想しない。 「だからこそ、乗り越えていく様がみんなに“共感”という名の尊敬を持たせる」 誰よりも人に近い勇者。 それが春香だ。 「なんかユウトみたいよ、その言い方」 卓也の耳元でリルがくすくすと笑う。 「うわっ、勘弁してくれ。厨二モードの優斗みたいとか、むず痒くなる」 あんなのを素で言えるわけがない。 「けど勇者って真っ直ぐな人ばっかりよね。シュウにお兄様、それにハルカも」 邪念など持っていないだろうし、優斗みたいに時と場合によっては邪悪のように見えるわけでもない。 本当に正統派だ。 「あとオレが知ってる勇者だと、正樹さんも同じだな」 特に彼が一番そうだ。 真っ直ぐで、誰よりも“正統”という言葉が似合う。 「まあ、勇者っていう人種はそうなんだよ」 ◇ ◇ パーティーが終わり、宛がわれた王城の一室で優斗はフィオナと話す。 「僕らも甘くなったもんだね」 先程の出来事を思い返し、苦笑する。 「そうですか?」 「悪く言えば、あんなポッと出の女の子を気に掛けるなんて、昔はなかったから」 他人は他人。 それ以上でもそれ以下でもない。 関わることなんかしないし、関わろうとも思わない……思っていなかった。 「優斗さんは気付いてないかもしれませんが、今年からはそんな感じですよ」 「そう?」 「ええ、間違いなく」 少しは変わってきた、ということなのだろう。 特に異世界人関係はそうだ。 余裕が生まれたのかもしれないし、心に猶予が出来たのかもしれない。 だから間違いなく、この世界に来た時とは違う。 そして“それ”が優斗にとって一番顕著に出た人物がいる。 「あの方は大丈夫なのでしょうか?」 フィオナが訊いた。 「……どうだろうね」 誰を指しているのか、一目瞭然だった。 彼が今、どうなっているのか。 優斗は知らない。 「普通に考えれば、僕が手を出す状況にはならない。むしろ出してしまえば余計な世話にしかならない。だってそうでしょ? 仲間じゃないし、別にパーティを組んでるわけでもない。友達だからって何でもかんでも首を突っ込むとか馬鹿のやることだよ」 無理矢理に手を出して、勝手にやるというのも変な話だ。 「むしろ、もう終わってるはずなんだ」 あの問題が彼の物語であるならば。 優斗が出張る必要はないし、すでに解決していることだろう。 「でも、もし問題が解決してなくて……手を出さないといけない状況になるなら」 優斗も動き、手助けをしなければならないとしたら。 「たぶん、事の次第は想定以上の事柄まで発展するはずだよ」 ――クリスタニア―― 夜が微かに明けているはずなのに空は黒に覆われ、響くは怒号のような悲鳴と……唯一の笑い声。 「まだ50匹。これからもっと増え続けますわ。この程度で膝を着いてもらっては困ります」 少女が浮かべる艶美な笑みに対して、少年は睨み付ける。 「……どうしてだっ!! なんで、こんなこと……っ!」 魔物をまた一匹と斬り殺し、叫ぶ。 「こちらも状況が変わったのですわ。“あの男”の存在によって」 少女は、とある方角を睨む。 国一つすら滅ぼしかねない力を持つ人物。 伝説はあくまで伝説、というわけにはいかないらしい。 「ニアが連れてくるのでしょうが……はてさて、間に合うかどうか。如何に“あの男”とて、容易に突破は出来ないと思いたいですわね」 都市全体に結界を張り、一点の場所を開放して魔物が入ってくる量を調整した。 故に今、普通の方法で入って来る人間はいない。 同時に――出て行ける人間も。 「一定の間隔で入ってくる魔物は、ここを目指している。ですから分かるでしょう? 貴方様が倒さなければ、魔物は溢れ都市にいる人間が死にます。それは本意ではないはずですわ」 彼は勇者だから。 他を助け、救うことこそ彼の使命。 「だから残された術は一つ」 絶望としか言えない状況下において。 少年が出来ることはこれだけ。 「駆け上がるしかない」 強さの階段を。 昇るしか方法はない。 「誰も傷つけず、誰も死なせず、誰も泣かせず、誰も悲しまない。それが出来るところまで、己が立つ場所を高めるしかない」 その場所は彼方の彼方。 過去に辿り着けたのは一人しかいない。 「得るしかないのですわ。“幻”を」 「……まぼ……ろし?」 問いかける少年に対し、艶美な笑みを妖艶に変え彼女は紡ぐ。 「それは全ての発端であり、最初の一人」 今現在におけるシステムを担った人物。 「過去に一人だけが名乗り、今に至るまで唯一となった二つ名」 引き継がれたが故に忘れ去られ、“同等”がいる故に幻となった。 「辿り着きなさい」 最初の一人のところまで。 「そして呼ばせて下さいな」 零す笑みはそのままに。 少女――ジュリア=ウィグ=ノーレアルは、少年――竹内正樹に告げる。 「マサキ様を――」 唯一無二の絶対的存在。 「――『始まりの勇者』と」