2021/10/03(日)
13:32
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事務室を出ても私の頭の中は混乱で渦巻いている。
努めて冷静になろうとしても廊下にこだまする足音が邪魔をする。
一緒についてくる事務員のおばさんがいなければこの場で問いただしたいほどだ。
そうしないとこの胸に蠢く感覚がいつまでも、いつまでも続いてしまいそうな気がする。
私は一人で突っ走ることがあると思う。
いや、自覚している。
だからつーちゃんはいつもツンツンしているのに妙に私を気にかけてくれているのだろうし、事実甘えてしまっている。
つーちゃんというあだ名も勝手に付けて呼んでいるのがその現れだ。
でも彼女……いや彼を「つーちゃん」と呼ぶと本人は苦笑いをする。
隣を並んで進む少女は私とつーちゃんを昨日見て声をかけ、そして今日再び現れた。
平静を装って。
気にも留めていないかのように。
外の青々とした桜の葉を見て、見る振りをして私は彼女を横目で眺める。
一輪の花。
百合の花が咲き乱れそうな背景が似合う少女。
同じ部活ではないのに、妙に関わってきている気がしていた。
「なぁに?」
目が合って尋ねられてしまった。
咄嗟のことで、事務室内のこともあり声を出せない私に彼女は悪戯っぽく笑う。
その目もとに憂いをおびながら。
「その……シャンプーとか何使っているんデスカ?」
どもってしまうほど、悲しい程に挙動不審になってしまった。
それでもこれはチャンスだ。
相手から尋ねてきたんだからこちらから堂々と質問ができる。
そう思って口を開きかけた時、おばさんが私に声をかけてきた。
タイミングの悪いこと、でも聞き耳を立てられるよりも良かったかもしれないと内心ホッとしてしまうのは、どこかで言い訳を求めていたのかもしれない。
「今度のドローンレース楽しみにしているわね。
機械無線部ここにありって感じで頑張ってね」
「……ありがとうございます。
私の役割はほとんど無いんですけど、昨日一緒に事務室に来た男らしい子のつーちゃんは喜ぶと思います」
「えっ」という言葉が漏れたのは隣からだった。そして続けざまに「どういうこと?」と天使の輪を動かしながら尋ねてくる。
良い香りがするのはシャンプーのせいかしら?それとも香水?
気が逸れたが、聞かないでほしいことをと内心思いつつ、私はややぶっきらぼうな返答をする。
「だって、プロポ(プロポコントローラ)は一つしかありません。
担当はラジコンヘリに慣れているつーちゃんが適任です。
他の部員の役割を考えると私が出来るのは、コースの外で故障対応時の待機くらいです」
私は自分の役割を理解しているし地味な裏方になっていることに不満は無い。
大切な歯車、潤滑油になれるならそれでいいんだ。
そして部外者からの応援の対象はつーちゃんにあるべきだ。
つーちゃんはつーちゃんらしいことをする。
ただそれだけ。
だから私に応援の言葉をかけられても、どこか一歩引いた気分になる。
つーちゃんの彼女だったら、我がことのように喜ぶのかもしれない。
今時普通の、大学生を彼氏に持つ女子高校生のように。
いや、私も今時の女子高校生なんだけどね。
異性愛が普通、ノーマル、ナチュラルだと言われた昔と違って、移民が増えたことで国と国民の姿かたちが変わっていく現代では同性愛や様々な性癖もまた普通という圧力がある。
なのにつーちゃんは苦しんでいる。
『普通の定義』が変わっても、『普通の接し方』は人それぞれだから。
そしてこの学校という子供社会での『普通』とは関わらないことなんだ。
閉じ込められた学校、教室という箱庭で大人達が普通を押し付ける。
電車という大人社会の箱の中で痴漢被害を訴えれば、簡単に冤罪でも男性を破滅させられる。
では子供同士なら?
問題を起こしたくない『普通の子どもたち』はお互いの価値観が合う子供達のグループを形成する。
ほとんど年齢の同じ子供達の小さな社会が生まれ、そして弾かれる存在が現れる。
先生ですら腫れ物を扱うように接する多様性の体現者。
……もしかしたら、私が「つーちゃん」とちゃん付けして呼んでいるのはセクハラ行為なのかもしれない。
民主主義や国民の『民』の字が『目に針を刺す様子』から来ているようにかつての意味と今の意味は違うとしても、私が親愛を込めた意味で呼んでいても、つーちゃんが不快に感じていたらそれはアウトなんだ。
もしもあだ名が嫌だったのならちゃんと本名で呼ぶべきかもしれない。
いや、でも今は本名を隠すのが当たり前になりつつあり、DQN親や毒親によって付けられた泡姫ちゃんやピ〇チュウくん、悪魔くん、邪神〇ゃんなどは通名で生活しているらしいってテレビの番組でやってた。
小さい頃、「親が付けた立派な名前だから多様性の今は他人がとやかく言うもんじゃない。堂々と名乗るべき」とコメンテーターが言っていた。
今では、本名を名乗りたくない人の多様な価値観も認めるべきだと言っている。
私はつーちゃんをどう呼ぶべきなのだろうか?
そう自問自答している間に目的の場所へとどんどん近付いてきている。
「そろそろ、部外者の私は退散するわ。
今度一緒にシャンプー買いに、二人きりでデートしましょうね」
そう言って離れ始めた悪戯っぽい笑みを浮かべた少女を私は見送る。
碌に返事も出来ず、聞きたいことも聞けずただただ昇降口へと向かう後ろ姿を眺めるだけの私を残して。
おばさんが「てっきり部員だと思っていた」とちょっと驚いていたけれども、気を取り直して私に言ってきた。
「予算が付けば、電子ロックの工事ができるんだけどね。
それまで今まで通り私達事務員が鍵を管理する場所があるから、一緒に歩くと生徒の話を聞いてしまうことがあるの。
大人としてアドバイスができるとしたら、悩みを打ち明ける人がいるならば相談してみた方が良いわ」
何かを察せられたのか、そう小声で囁かれた。
「え?」
聞き耳を立てられたのか真意を問いただそうとして口を開きかけた時、間が悪いのか「おーい」という呼び声を投げかけられた。
振り向くと、やや右腕を挙げて振りながら「おせーぞ」と男口調の男装の生徒が近付いてきた。
「つーちゃ……」
私はそこで口を噤(つぐ)んでしまった。
「皆待ってるぞ。
早く行こうぜ」
どうやら左右二つある渡り廊下の反対側から私と合流するために事務室へ向かったらしい。
棟が複数あるためすれ違いになったのだ。
ドローン規制の影響で鍵の管理は厳しいから、入り口で待っていて欲しかった気もする。
でも、それでも、来てくれたことがつーちゃんらしくて嬉しかった。
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10月中予定