古ぼけた宿屋の向かいの古ぼけた酒場。
天井から吊るされた複数のランプの淡い光が店内を照らす。
賭博に興じる柄の悪い連中や商談、仕事終りの一杯を楽しむ者達が多数。
どこにでもある日常的な光景だ。
街中を探せば規模が大きくて小奇麗な店があるのだろうが、カリウス達が所持している全財産を考えればこの店程度でも十分だった。
「宿に帰って寝たい。速攻で、寝たい」
年季の入った木製テーブルへだるそうに頭を乗せたカリウスが独り言を呟く。
そのままの状態で、横に座るルイの様子をちらっと見ると、
「う~ん、ムニャムニャ。そこ、いいですよ~。もう少し右です」
幸せそうな顔で涎を垂らして眠っていた。
茹の汁で炊いた白米に揚げた鶏肉や白菜を乗せた料理と、ゆで卵や玉ねぎ等の具を小麦粉の皮で包み蒸した料理を平らげた後、見事な早さで夢の中に入ってしまった。
そしてエレナは、
「うぅ、酒、酒。一年前は飲むヒマがなかったお酒……もっともっとぉ~!」
酔っぱらっていた。顔を上気させて語気を荒げている。
席に着くやこの有り様。寂しげな瞳で虚空を眺めながら、何かから逃避するようにハイペースで酒を飲む彼女。話そうとしても訊く耳持たずである。
カリウスは天空からの使者の意外な趣向にめっぽう驚いた。
「っても呑み過ぎだ。夢の件もこんなんだから聞けず仕舞いだし、酔っ払いに話したところで意味ねぇし、ルイを運ぶのもだるいし……そろそろ切り上げねぇと」
呆気にとられていた他、聖遺物を盗まれないよう用心したり、万が一エレナへ気がつく者がいないかと目を光らせていたので余計に疲れた。
そこへ――
「いつになったらデューンと戦争をおっぱじめるのかねぇ。時間の猶予なんて与える必要ねぇだろ」
「でもよ、デューンの強さは本物らしい。小せぇ国の癖して聖人はたくさんいるからなぁ。しかもエレナを味方につけたとなりゃ、うかつに手は出せねぇだろ」
「しかし今回は女王様も本気みたいだぜ。総力をあげてデューンとエレナを潰すって」
近くのテーブルから物騒な会話が聞こえてきた。
カリウスは耳を傾ける。
「愛しのハルバーン様がエレナに殺されたんだもんなぁ。しかも百年以上生きてばばぁにもならない。ありゃ本物のバケモンだ」
「だな。アレまではいかずとも、聖遺物さえあればなぁ。俺も聖人だったらミルン女王陛下のお傍でお仕えできんのかねぇ。問答無用で優遇されるし尊敬されるし、いい女も好きなだけ抱ける。どっかに手つかずの神々の墓さえあれば、俺も第二のハルバーン王に成れるんだけどな」
軽薄そうな男二人組はそこで会話を終わりにして、会計へと向かった。
開戦ムードが日に日に強くなっているのであろう。
カリウスは絶対に最悪の展開にはさせまいといっそう強く誓った。
「う~ん、そうだった。カリウス!」
「はい?」
自分達も帰ろうと銭勘定をし始めたところだった。
「帰る前に少しお話ししましょ。わたしもあなたに聞きたいことがあるの」
美麗な黒髪を指に巻きつけてくるくるさせていたエレナが、唐突に話を振ってきた。
赤く上気した頬にはだけた胸元が、彼女の艶やかさにますます拍車をかける。
カリウスは気恥ずかしくなりつつも、そこから目を離せなかった。
急速に高まる彼女への想い。
この気持ちが神々の墓で感じたものとはまた違う種類のものではないのかと、考えが固まってきたのだ。
「え? ど、どうぞ」
「カリウスにルイは、いつユウと知り合ったのかなって思ってね」
見惚れていたカリウスはハッとさせられた。
情勢はともかく、ユウとの出会いは詳しく話していなかった。
決して良い思い出ではない。むしろ、黒色に塗り固められた辛い過去。
けれど、それはエレナも同様だ。
彼女傷を抉ってまでも語ってくれた。自分達も同じように明かすべきだとカリウスは決心した。
「話してませんでしたね。俺、七つの頃までガルナン領のある村に住んでたんです。比較的穏やかに暮らしていたんですが、長くは続きませんでした。野盗が夜に村へ襲撃してきたんです」
「なんですって?」
エレナの酔いが少し醒めたようだ。
「騎士兼農家の親父はその日畑に出てて、ストラトを家に置いてたんです。夜盗が入ってきた時、怖くてストラトを抱いたまま屋根裏で震えてました。幸いにも奴らは俺の家には入って来なかったので、事なきを得たんです」
「それで、その後は?」
「時間が経って静かになったから外の様子を窺おうと家を出たら、誰かが目の前に立ってた。逃げようとしたら抱きしめられた。それが奴らを討伐しに部隊を引き連れてきたユウさんでした。夜盗には逃げられた後ですよ。親父も皆も、やられてて」
「そうだったの」
目の前で息絶えていた父親の姿。
変わり果てた村に充満した、血の炎と煙の咽返るような匂い。
今も記憶の片隅にこびりつき離れてくれない。
だが、神に見放された幼き子を一筋の希望が救ってくれたのだ。
そして巡り会った妹分も何の因果か、同じ星の元に生まれていた。
「ルイも同じようなものです。俺よりも小っちゃい頃から孤児だったのを、山の近くに住んでる連中に拾われて育てられたんですって。それで義理の親父が聖人だったんですが、これが実弟と仲が悪くて。あいつのもう一つの聖遺物、カンナビを巡っての口論が絶えなかったそうなんです」
「わたし達の支給品を血のつながった人間同士が奪い合う。本当に愚かだわ」
眉根を寄せてエレナが言う。
カリウスは瞼を閉じて語り続けた。
「そいつが荒くれ共を雇って家に夜襲をかけて、ルイはカンナビを継承させられて命からがら里を後にして逃げたんです。その日に俺らは偶然会ったんですよ。それで、村に行ってみたら、兄弟喧嘩は共倒れに終わってました」
「……」
話に聞入るエレナ。
ベクトルは違うものの、明るく朗らかなルイがその裏に背負う重い悲しみを、十分過ぎるまでに共感できていた。
「エレナさん。世界管理者試験を終わらせて下さい。昼間も言ったけど光の勢力であるエレナさんを神様にしてあげたい。だってミルンが、エレナさんの言う闇の勢力が神様の権利を勝ち取ったら、今とも比べ物にならないくらい酷い世界になっちまう」
「カリウス……」
エリアル創世記に記述されている各勢力が目指す世界の理想とは――
光の勢力は自然に委ねる世界を、闇の勢力は破壊と暴力に溢れる混沌の世界を管理する。
決して重なりはしない二つの理想がそこにあった。
「聖人なんて望んでなったもんじゃない、親父と村の皆との別れの証みたいもんだ。でもこの力を使って少しでも平和に近づけるなら、俺は迷わずに使ってやる」
カリウスはルイの銀髪を癒すように撫でながら、鉄石よりも硬い決意をエレナだけに聞こえる音量で、改めて口にする。
ルアーズ大陸に住む人間達は、人智を超えた大いなる力に翻弄され続けてきたのだ。
「成程ね、だから昼間は昂ぶってたの。それにしてもわたし達は三人共、ユウに救われたってワケ。あの娘こそ救いの神ね」
エレナが心からの思いを言葉にして最後の一杯を口に入れた。
カリウスも強く同調する。
「それからユウさんに面倒をみてもらわなかったら……想像もつかない。いっぱい世話になったし頭が上がりませんよ。俺らとそう年も変わらないってのに、人としてすげぇ大人な感じだ」
「天才童顔剣士よね。けど、十年経ってもおっぱいは真っ平のまんまなのかしら?」
エレナが決して悪気もなく言い、カリウスも吹き出しそうになったその途端、
「ゴホッ、ゴホゴホグフゥッ」
どこからか女の人の盛大にむせる声が聞こえた。
しかしカリウスは特に気に留めることはなく、
「何言ってるんですかエレナさん、今の発言に俺は答えられ――」
上体を解しながらエレナに声を掛けると、
「ぐぅ……」
返答はない。
いつの間にか豪快に寝ていたのだ。
ユウの胸の下りを言い終わる頃には瞼を閉じていたのだろう。
「早い。そして二人に増えたし」
カリウスは肩をすくめ、かったるそうに「やれやれ」とぼやいた。
彼は誰かに観察されていたことには最後まで気がついていなかったのである。