File_1939-07-006D_hmos.
陽が落ちました。砲声が止みました。
しかし、敵も味方も、眠れるわけではないのです。
ソ連軍は、走行不能となった戦車の回収を始めました。
歩兵と装甲車で周辺を最大限に警戒しつつ、照明弾を打ち上げ、牽引車で引っ張っていきます。
戦車は、ソ連でも一台一台が貴重でしょうし、何より敵に奪われ性能を調べられることは国家の命運を握る死活問題。
我軍は、安岡戦車隊は、同じことをやってるのかしら?
ホルステン河北辺でも、今日は大いなる戦車戦が繰り広げられていたはずです。
渡河点まで敵軍が来ていないところをみると、安岡隊、全滅はしていないと思いますけど。
どれだけの被害が出てるだろうと、考えただけで泣けてくる。
一方、負けるわけないことが大前提の日本陸軍に、戦車の回収部隊がどれだけ準備されているだろうなんて。
考えるだけ野暮ってものじゃないでしょうか。ねえ?
須見連隊から、有志の兵が、安達大隊の捜索に出発します。
私も、混ぜてもらいました。何かの、お役に、立てるなら。
途中、撤退する23師の兵と、何度も行き交いました。
誰も彼もが、音も立てず、散開しながら、前方の影は敵か味方かと、疑心暗鬼になってます。
でも次第に、ソ連兵は単独行動はしないみたいだということがわかってきます。
かれらはガッチリしたフォーメーションを組んで、今夜は戦場の清掃と、損害状況を分析することに徹しているようだ。そう判断しました。
極めて統制の行き届いた組織力。
完成度の高さを思い知りますね。
しからば、我々は我々の目的をすみやかに達しましょう。安達大隊を、連れ帰る。猿には、それが、精一杯。
しかし、です。広すぎる。
地面は砲撃の穴だらけ。
時折、異臭が鼻をつきます。
ここでも、遺体にはすぐ虫が這い回る。
蝿は夜中でも我々を追い回します。
絶望的な気持になります。
コマツ台へ近づくにつれ、銃声が聞こえます。
ソ連兵は単独行動はしないといっても、集団で偵察なり地雷敷設とかはするでしょう。
そこで日本兵を見つけたら、撃ちますよね。逆も然りです。
そんなわけで、盛大な砲撃はありませんけど、戦闘音は、時折、あちらこちらから、聞こえてきます。
実は、この音が、手掛かりなのです。
歩26に配備されている機関銃は、九六式ですが、ソ連のはカン高い音がするので、区別がつくんです。
とくに周囲が静かな今、我々は音を頼りに進みます。
0230頃、一人の伝令を発見。第一大隊の准尉でした。
安達大隊長は戦死。近藤大尉が代理をつとめ、前線でなおも奮戦中。補充と補給を求む。
負傷しています。誰か同行した方がよさそうです。
私は限界を感じてたので、つきそって一緒に戻らせてもらう許可を得ました。
あとは捜索隊の皆さんへお任せして。ひと足先に、西岸端の、須見指揮所へとUターン。
この准尉さん。
伝令として後方へ向かう途中、ソ連戦車一輛を見つけ、這い上がってハッチを開け、手榴弾を放りこんで破壊。
そのときに足を挫いたんだそうです。
おめでとう。でも、あまり無茶しなさんな。
指揮所で須見大佐は、彼の生還と、大隊との連絡がついたことを喜び、それと共に、安達少佐の死を悼みました。
私もこれで一安心。みなさんが戻ってくるまで、ちょっと横にならせていただきます。
起きたらすぐ橋を渡って帰るんだ。
これ以上、一秒だっていてやるか。