「落ち着いたか?」「……うん」ヒポスを討伐してから少し時間が経過した。自分はようやっと泣き止んだ白いプニム『ユキ』に穴の中から引っ張り出してもらったところ。「あ~こんなに目ぇ赤く腫らしちゃって」「う、ウルサイッ、 元はといえばみ~んなおまえがバカなのがいけないんだぞ。 このバカ、大バカッ!」「まあ、そうなんだけど。……でもバカバカ言われると自分だって結構傷つくんだぞ?」「バカにバカと言って何がいけないんだよ、このバカぁ!」そう言えば自分は現在、『バカ』という名前のバカなプニムである。……まあ、だからと言って『バカ』の意味は変わらず『バカ』と言われた回数が変わるわけでもない。「とりあえず、自分がバカなことは分かったからさ…」ユキに怒られてばかりでは一向に話が進まない。自分で言うのは自慢のようで少しためらいがあったのだが、話を切り替えるためにはしょうがない。「魔物を倒した事については何かないわけ?」「あ。うぅ、それは……その」ユキは顔を果実のように真っ赤にし、ついでにしばし右往左往させた後、か細くはあるが確かにその言葉を口にした。「……ありがとう」別に自分は、誰かに褒められるために戦ったわけではない。あくまでユキのため、自分のための行動だ。本来ならばこうやってお礼を言われる事も無かったし、そんなモノ期待すらしていなかった。けれど、実際にお礼されると嬉しい……が、反面むずがゆくもある。「やっぱり礼を言うのはこっちの方だ。ユキの一声が無かったら危なかったからな」「なんだよ。『何かないわけ?』とか自分で言っといて」「う、うるさいな恥ずかしいんだよ!」自分の頭に急激に血液が昇ってくるのと、それに伴い、暑くも無いのに顔が火照るのを感じる。恐らくさっきのユキに負けず劣らず真っ赤になっているだろう。「…ぷっ」「わ、笑うなあああぁぁぁぁぁ!!」ユキはその姿がえらくツボにはまったらしく、タガが外れたように笑い続けた。また話が進まなくなってしまったわけだが、今は別にこのままでいいと思う。なぜならユキは今まで、笑う余裕すらないような辛く悲しい日々をこの世界で過ごしてきたのだから。自分がヒポスを倒した事によって彼の当面の厄災は去った。…しかし、転生を果たすまで彼の苦難は終わる事は無い。ならば今だけでも笑っていてほしい。その後しばらくユキは笑い続けた。その姿が心に溜まっていた負の感情を洗い流しているように見えたのも、気のせいではないだろう。「……そろそろいいか?」「ごめんごめん」笑い終えたユキの顔は、真夏の青空のように澄みきっていた。「とにかくだ。ヒポスは自分が討伐したから、この森とプニム達の村は当分安全だ。これからは魔物におびえる事も無いし、前みたいに食料だって採れるだろ」「…うん、そうだね。全部キミのおかげだよ」憑き物の落ちたようなユキがハニカミながらそう言う。やはり恥ずかしい。「…ゴホン! それで、自分はもうこの森に用は無いから元いた村に戻るつもりだけど…ユキはこれからどうするんだ?」頭をかきながらそう問うと、少し意外な言葉が返ってきた。「それなんだけど……ちょっとついてきてくれるかな?」「ん? まあ、いいけど」そしてユキに誘われるまま、自分は再び森の奥へと進んで行くのであった。~~~~~「それじゃあ、ちょっとココで待っててね」「お、おう」そう言われたのは、見覚えのある断崖絶壁の前だった。件のプニムの村入口である。ユキはそそくさと秘密の入り口から村へと向かっていく。「村に用があるなら自分も行こうか?」と尋ねると「ぼくだけでいい!」と返されてしまった。別に減るものでもないだろうに…。結局自分は訳もわからず、村の入り口前で待ちぼうけをくらってしまったのである。「おまたせ」と彼が戻ってきたのは数分後。なにやら木の皮でできた荷物入れを背負っている。その中には色々なモノが乱雑に収納されているようだ。荷物入れの口から色々とはみ出している。「いちおう、キミの事と魔物のことはみんなに話してきたよ。『ありがとう』だって」「状況説明ならなおさら自分も行くべきだったんじゃ…」「それはいいの」釈然としない。「……ところで、その大層な荷物は?」「『旅の荷物』に決まってるじゃないか」ユキは胸を張ってはっきりと、確固たる意志をもって高らかに宣言した。「ぼくね…今度は、ううん、今度こそ転生の塔を目指そうと思うんだ」ユキの決意が宿った眼差し。そんなモノを見せられては、彼に「やめておけ」などと言えない。もっとも言うつもりもないが。「キミのおかげだよ」「え?」「キミがぼくに教えてくれたんだ。体が小さくても、力が弱くても、一生懸命がんばればあんな大きな魔物だってたおせるんだ、って」「まあ、ぼくはお前みたいなムチャするつもりはないけどな」と続けるユキに「もういいって」と返す自分。この調子なら、彼はもう大丈夫だろう。「ところで村の方はいいのか? 村の仲間とは浅からぬ仲だろ」「あ……う、うん」ユキの表情にわずかばかりの陰りが見えたのを自分は見逃さなかった。そして次の言葉で、察しの悪い自分もようやくその理由が理解できた。「みんなは…もう……」「そう、か。……悪い」自分は軽く頭を下げ会話を打ち切った。これ以上、ユキの口からその事を喋らせるのははばかられたからだ。彼の仲間……村のプニム達はもう、『定着せし者』になってしまっているのだろう。村にはこの世界での試練に挫折したプニム達が集まっている、とユキは言っていた。そんな彼らが、『理想』を絵に描いたようなあの村から離れることができるだろうか。…きっとみんな試練など放棄して、村に留まり続ける事を選んだんだろう。しかし、世界のルールはそんな彼らに残酷だ。先へと進む事を拒んだ彼らは除々に除々に世界に取り込まれ、やがて姿のみを残して魂は消滅してしまった……。そう言う事だろう。…あの理想的な村はある種の『トラップ』だったのかもしれない。理想的な環境という『エサ』をちらつかせ放浪者を惑わせる、この世界が造り出した天然のワナ。もちろん、いくつもの偶然が重なった結果生み出されたモノではあるだろう。しかし、残酷であると言わざるを得ない。そう言えば、ユキが頑なに自分を村に入れようとしなかったが、あれは彼なりに自分を気遣ってくれたのか。自分は定着せし者となって、同じ行動を繰り返すだけの人形になってしまった存在を未だ知らない。知らず知らずのうちに遭遇はしているだろうが、断定できる奴はいないし、行動を繰り返す様も見たことが無い。その点はユキに感謝しなければ。そんな奴らを好んで見たいはず無いし、もしあの村の中でそういうプニムに遭遇してしまったら、やり切れないイヤな気分になっていただろう。「……」「……」それはともかくとして、空気が重い。なんとかしなくては。「よし、それじゃあ出発するか!」「え、あ、うん!」せっかくの旅立ちの時だ、清々しい雰囲気で出発したい。自分は必要以上に声を張り上げた。「とりあえずは自分達が初めて出会った川へ向かうか。自分の目的地は川上にあるし、川伝いに行けば森の中でも迷わない」「そうだね、そこまでは一緒にいこう」「そこまでは?」「うん。きみと一緒にこの世界を旅をするのも楽しそうだけど、ぼくは自分の力でがんばろうと思ってるんだ」そうか。少し寂しいが彼がそう決意したのならしょうがない。「それに、『ニンゲン』の力を借りるのはズルイ気がするから」「あ……バレてた?」一体いつ、自分がニンゲンだとバレたのか? ユキが可笑しそうに笑いながら、その答え合わせをしてくれた。「まあ、最初に会った時から『変だなあ、おかしいなあ』とは思ってたんだけどさ、ケッテ~テキだったのはきみが穴を掘っていた時だね」あの時? あの時は夢中で穴を掘ってる所に急にユキが現れて「土遊び楽しいか?」みたいな事を聞かれたんだよなぁ。それで自分はそれに答えて……。「あ!」「ふふっ、気づいたみたいだね」しまった。生物に人並み以上に詳しいファーマーとしてはひどい失態を犯したものだ。「うう……意外となりきれてるんじゃないか、って思ってた自分が恥ずかしい」「いや、それを抜きにしてもかなりバカで変なプニムだったから」自分はドンヨリと肩を落としながら、ユキはケタケタと笑いながら、自分達は川へと向かった。~~~~~「もうお別れか。……寂しいな」「うん」川辺に辿り着いた自分は、そこらに落ちていた石を拾い上げ、川に放り込んだ。特に意味は無い(川を見るとなぜか石を投げたくなる)。石はポチャリと着水し、生じた波紋もすぐに消えた。「お前はこれからどこへ向かうんだ? 転生するにしても、『導き手』に会わないと色々と面倒らしいぞ」「アテがあるからだいじょうぶ。この森からかなり遠くにある山にライオンの導き手がいるっていうのを聞いたことがあるから、そこに行ってみようと思うんだ」「ニンゲン以外の導き手なんていたのか」「そうみたい。彼はもう導き手を引退したみたいだけど、同じメイトルパ出身だから助けになってくれくかな、って」「…………食べられないように注意しろよ」「ひどい!?」他愛無い会話をして茶を濁す。…が、いつまでもこうしているわけにはいかない。自分はいよいよ別れを切り出した。「短い間で、しかもろくな目には合わなかったが……、ユキに出会えて良かったって思うよ」「ぼくだって。……ていうかさ、『もう会えない』みたいな言い方やめてくれない?」「ん?」「消滅さえしなきゃいつかきっと、また会えるよ」「どうかなぁ…」自分はそういう楽観的な考えは好きじゃない。世界は時にはやさしいが、残酷でもある。この広大な世界で、ニンゲンとプニムという種族の違う者達が再び出会う確率はゼロに近いだろう。それに、転生してしまったらもう……。「あ~もう!」耳元で巻き起こった大音量に体がビクッ! と震えた。「なんでキミはそういうところでいきなりネガティブなのかな!?」「そんなこと言ったって…」きっと生前からこうなんだからしょうがないじゃないか。「それじゃあ約束!」「へ?」「『絶対消滅なんかしないでまた会う』ってぼくと約束して!」そう言いながら、ユキは手を差し出した。突然のことで呆然となる自分。「ヤク…ソク……か」なんだろう、心――魂に引っかかるモノを感じる。この世界に来てからたびたび巻き起こる、生前の自分が喚起される感覚。自分は誰かと、何かを約束していたのだろうか? ズキッ、と頭が痛くなった。―――今度お詫びにお前の好きな………。ああ、そうか。「…そうだったよな」「どうした?」自分の記憶の大部分は未だ失われたままで、頭の中では今も自分であって自分でない誰かがいるような奇妙な感覚がある。この世界にいる間、この違和感は消えることが無いだろう。「いや、何でも無い」だがしかし、最も大切な事を思い出した……今の自分にはそんな確信がある。「『約束』のために転生を目指す。……悪くないな」「…?」もう自分の中には転生への迷いは無い。自分は生前に交わした約束と、今交すべき約束を守らなければならないのだ。立ち止まってなどいられない。意を決し、こちらもユキに手を差し出す。自分の小さい手はこれまた小さいユキの手をギュッと握りしめ…………られなかった。「あ、あれ?」「え?」突然、自分の体が淡い発光に包まれた。…いや、それだけではない。自分の中にある異物が体外に放出されるような感覚。「ダイジョブか!?」ユキが声をかけるが返答はできそうもない。発光はさらに強くなっていき、あまりの眩さに自分は目を閉じた。「!?」それからすぐだった。自分が別のモノに変わっていくような、そんな不思議な感覚が全身を支配した。「…ううッ」瞼を襲う光が治まった時を見計らい、ゆっくり目を見開く。当然のことながら、周りは木々と植物がうっそうと茂る森なのだが……何かおかしい。木々はあんなに背丈が小さく幹が細くなかったし、巨大魚との死闘を繰り広げた川の幅はあんなに狭くは無かった。少し前この森に初めて来た時、天を突くほど巨大な木々が並び立つ様に受けた衝撃を、今はこれっぽっちも感じない。まるで世界が自分をとり残して小さくなってしまったようだ。「いや、待てよ………ひょっとして」ある可能性に行き当たり、自分は自身を両の手でまさぐった。体を撫でたり、こすったりつまんだり、叩いてみたりもした。するとどうだろう。先ほどまでのフカフカした毛に覆われていたプニプニボディの感触はこれっぽっちもしない。手の平に伝わる感触はボロっちい布の何とも言えない触り心地や、ゴツゴツとした武骨な感触ばかり。それも当然、自分の体は愛らしい小動物プニムの姿から、ボロい衣服を身に纏った20代前半のニンゲン(オス)の姿に変わっていたからだ。…いや、戻ったといった方が正しいか。「ようやくか」安堵の溜息を吐き、ヤレヤレ…と自分の頭を掻いた。ゴワゴワした、良く言えば『男らしい』、悪く言えば『手入れが行き届いていない』髪の毛の感じが懐かしい。どういう訳で元に戻ったのかは知らないが(魔力切れとかそこらへんだろう)、戻ったのは喜ばしい。旅帰りの『我が家が一番』というのと同じで、やはり自分自身の体が一番だ。…まあ、若干惜しいとは感じているが。「プニッ」「…お」喜びを噛みしめていると、ズボンのスソを引っ張られるのを感じた。足元を見やると、自分の膝まで届かないくらいの小動物がいた。もちろんプニムのユキだ。ユキと会話しようとしゃがみ込む。しかしそれでも自分はユキを見降ろすカタチになる。プニムとはこれほど小さいのか…と改めて思い知らされた。「よおユキ。これが自分の本当の姿だ。どうだ驚いただろ」実は自分が一番驚いたのだが。「プ二、プ二~ッ!」「……………へ?」今度は別の意味で驚いた。ユキは「プ二プ二」と鳴くばかりで、何を言っているのか解らなかったからだ。「ひょっとして」ズボンのポケットを漁り、3枚のカードを取り出す。『プ』『二』『ム』と記述されたそれは、今回の騒動の元凶なのであるが…。もしかしたら彼と会話できていたは、この召喚術のおかげなのかもしれない。召喚術は異世界の力を呼び出す術だ。何が起きても不思議では無い。特に今回のケースではなぜか自分がプニムになるという訳のわからない事態が発生したのだ。なら、自分が動物と会話できるということもなってもオカシクは無い。「プ二ィ~……」「まいったな」勝気であるが思いやりのあるユキと会話できなくなったのは、寂しい。もう少し、なんて事の無い言葉を交して笑い合っていたかったのだが…。「まあ、しょうがないな」本来、ニンゲンとプニムが会話をする事自体がおかしな事だったのだ。別れのタイミングが来たと思って諦める事にする。だけど、まだやり残した事がある。自分はプニムに向けて、大きくて武骨な手を差し出した。「今、自分はお前が何を言っているのかさっぱり分からない。ユキも、自分が何を言っているのか分からないかもしれない」……だけど、たとえお互いの言葉が分からなかったとしても、種族が違ったとしても伝わるモノがあると、自分は信じたい。「お前だけ約束事を決めるのは不公平だからな…。自分も1つ、ユキに約束を守ってもらいたい」自分はユキの瞳を見据えた。『届きますように』という祈りを込めて。「今度は死者としてじゃあ無く生者として、こんなしみったれた『死後の世界』でじゃあ無く『リィンバウム』で……また、会おう」ユキは目をパチクリさせている。伝わっただろうか。ギュッ。その時、ユキの小さくて可愛らしい手が自分の指を掴んだ。1人と1匹の間に言葉はない。だけどお互い考えている事は同じだと感じる。自分はもう一方の手でユキの手をやさしく握り込む。「約束だ」「プ二ッ」その後自分は川上へ、ユキは川下へと、それぞれの旅を再開するために歩きだした。結論から言うと、この世界でユキと出会う事は2度と無かった。……だけど、存在さえしていればまた会える。自分にはそんな予感がしていた。~~~~~「なんだか、ひさしぶりな気がするな」川沿いに歩いて1時間もしないくらいか。自分はようやく元いた村へと帰還する事ができた。現在、川へと向かったルートを逆に辿っているところだ。「はたしてレオンさん達はまだいるのだろうか…?」思えば、あの『小さな大冒険』は時間にしてみれば半日も経たない間に起こった出来事だ。実際に冒険していた自分には短く感じたが、待っている方にとってはあまりにも長い時間である。はたして彼らはまだこの村に滞在しているのか? 不安である。「まあ、いなかったらいなかったで何とかするしかないか」彼らの好意に甘えるばかりではいけない。例え1人になったとしても、約束のために前に進まねばならない。「いなかったとして、まずは何をすべきか? とりあえず装備を整えて…あと他の召喚術も使えるようになりたいなぁ……そんでもって」自分の頭の中に、1人用の冒険プログラムが着々と組み上げられていく。先ほどの経験で分かった事だが、自分には安易に希望にすがらず、今あるモノだけでなんとかしようとする気質があるようだ。「あ、いた~!」自分が物思いに耽っていると、少し遠くから聞き覚えのある女性の声が飛んできた。エイナさんだ。「も~、こんな時間までどこ行ってたの。レオンもノヴァも何かあったんじゃないかって心配してたんだよ!」「す、すいません」猛スピードで迫ってくるエイナさんに狼狽してしまう。問い詰める迫力がユキとは段違いだ。さすが、この世界で長い間放浪者をやっていただけの事はある。「見つかったか」「あ、レオン」この騒ぎに気付いたらしいレオンさんも合流した。彼は「何があったんだ」と自分に問うたが、簡単に話せるほど単純な話ではない。「まあ色々ありまして、ご心配お掛けしました。……あ、体の方に問題は無いので」詳しい話は追々にしよう。「無事ならいいが、お前はこの世界に来たばかりだ。あまり1人で行動しようとしない方がいい」「今回のことで骨身によ~く染みました」少なくても装備をきちんと整えなきゃな……と思う自分は少し間違っているだろうか。「行こう。向こうでノヴァが待ってる」「今度からは勝手にいなくなっちゃだめだよ?」やさしいお叱りが終わって、2人はノヴァさんがいるのであろう方向へと歩き出した。そしてそれについていく自分。「おい、魚釣り行こ~ぜ」「うん!」「アナタ、魔物にはくれぐれも気を付けて」「…わかった。行ってくる」途中ドコかで聞いたような村人の会話を耳にしたが、気付かないフリをした。