自分の故郷がある日、あっけなく壊滅した。それがいつ起こったのかはよく憶えていない。遠い昔か、高々数年前だった気もする。自然災害でも起こったか? それともパンデミック? 軍隊の侵略とかだったかもしれないが、やっぱり思い出せない。ま、いつとか原因だとかは大した問題じゃない。「自分の愛する故郷が、帰るべき場所が永遠に失われた」それだけで自分にとっては人生最大に最悪で最低な出来事だった。その報せを、故郷から遥か遠い土地で知った。「故郷にいなくて幸運だった」と言うヒトもいたが……たぶん自分にとっては不運だったんだろう。報せの後、自分は精神に致命的な変調をきたした。どのくらいかというと、末期には崩壊寸前の所まで追い込まれるほどだ。『誰か親しい奴』の叱咤激励がないと、まともに生活できないほどに。そして時間にゆとりができると、いつも故郷のことを考えるようになった。思考のほとんどはネガティブなものさ。自分は何で、故郷の窮地にその場にいなかったのだろう、と言う後悔が胸を締め付けた。故郷を滅ぼした元凶に、燃え盛る怒りを覚えた。もう二度と帰ることができない故郷を回想すると、心がノスタルジアでいっぱいになって、他の事などどうでもよくなった。故郷の家族・隣人・仕事仲間……彼ら彼女らの無念を思うと、涙が止まらなかった。「自分は何で生きているんだろう」とさえ思った。そんな思考の渦の中で、特に嫌悪するモノがあった。それは「自分の故郷がヒトビトの記憶から、世界から消えてなくなってしまうこと」。自分は、本当に故郷が大好きだった。小魚やカメを採取したキレイな小川、泥んこになるまで遊んだ田んぼ。煩わしい昆虫の鳴き声が響く林に、燦々と照りつける真っ赤な太陽。秋には山々が紅と黄のコントラストで美しくてな、果物もうまい。冬は除雪だなんだと煩わしかったが、天空からひらりひらりと舞い落ちる雪はやっぱりキレイでなあ……。え、ジジ臭いからやめろ? ……わかったよ。まあとにかく、他者に勧めても全く恥ずかしくないほど、自分は故郷を愛していたんだ。もちろん嫌な思い出もあるが……それを差し引いても「愛してる」と胸を張って言える。骨を埋めるのは故郷だと決めていたし、いづれ故郷に恩返しもしたいと思っていた。だけどそれが叶わなくなってしまった。それどころか亡き故郷の痕跡さえ、時が経てば風化して、物体も記憶も消えてしまう。生き残りの自分だって100歳にもなれば死ぬ。そうなれば、世界ですら故郷のことなんて覚えてはくれまい。自分にはそれがどうしても許せなかった。「この世に永遠に残り続けるモノなんて存在しない」そんな事は分かっている。ただでさえ小さな集落だしさ。だけどこのままじゃあ『あっけなさすぎる』じゃないか! 遠い昔から受け継がれてきた集落が、田畑達があっという間に消えた。ヒトビトの命も思い出も全部だ! 故郷にあった良い所全部、誰にも知られぬまま消えていく。残酷すぎるじゃないか、未開の地を必死の思いで開墾してくれたご先祖様に合わせる顔がないじゃないか!……こんな感情さえ、このままではすぐ世界から消えてなくなってしまう。だからせめてほんのちょっぴりだけ、「なごり」だけでもいいから、だれかに故郷を憶えていてほしかった。その痕跡だけでも世界に遺しておきたかった。そう思い立った自分は、故郷を遺す方法を色々と考えた。だけど、自分のおつむでは良いアイデアが浮かばないのもしょうがないよな。思考するほど自分のチカラの無さを痛感したよ。財力とか影響力があれば故郷の再建もできただろうが、いかんせん自分はそんなのと無縁だし。「宣教師ばりに故郷の昔話をして回る」とか考えたけど、四方山話としてあっという間に忘れ去られるのがオチってね。そもそも自分が遺そうと思ってるのは「口では伝わらない良さ」だし。何と言うか、あったかさとか、やさしさとか……そんな感じ。でだ。頭が良い具合になり始めた頃、ふと疑問に思ったんだ。「故郷の痕跡は何も残っていないのか?」って。(理由は忘れたが)故郷には立ち入れなくなっていたし、生存者はいなかったらしい。やっぱり何も無いのか……そう思いそうになったけど、気が付いたんだ。「自分自身が、故郷の存在していた証明なんだ」って。故郷が存在するから、自分は誕生することができた。生前の自分は、故郷の仲間と自然によって育まれた。故郷があるから、今の自分がいる……考えたら当たり前なことなんだけどさ。そう思った時、現実で故郷は滅んだけど、自分と滅んだ故郷とは見えない糸でまだ繋がっているような気がした。いや、繋がっているんだ。偉い学者様風に言うと『因果律』かな?自分と故郷との繋がりがあるのなら「自分を誰かが記憶に留めていれば、自分と繋がっている故郷も世界から消えない」。何時からか、そう考えるようになった。それからの自分は、とにかく誰かを助けたいと思うようになった。自分が誰かを助ければ、助けられた誰かは自分を憶えていてくれるだろう、と思ったから。「善良な者達の悲劇が見過ごせない」というのもあるんだけどさ。逆に、ヒトに頼ったり、迷惑をかける行動をしづらくなった。自分の評価は故郷の評価だ。ヒトに頼ればそれは自分の評価ではなくなるし、自分の悪さで故郷にケチをつけたくなかったから。それに結局は自分のわがままなんだ、他者を巻きこみたくはない。そんなライフスタイルでしばらく生きていたら、ポックリ死んでしまった。その直前に、誰かを助けたような気がするが……いまいち思い出せない。ただ「本当に救いを求めている者は、弱っちい自分では命を代価にしないと助けられない」なんて言葉が頭に残っている。***「というのが、思い出せるだけの生前の思考だ。……『故郷を遺すために誰かを助ける』か。聞こえはいいけど、死にたがっていただけ、なんだろうなあ」長話を終えた青年『バカ』あるいは『チャーハン』は鬼岩洞の奥、炎の祭壇前で盛大な溜息を吐いた。なお青年の頭には2つのこぶができている模様。「『故郷を遺したい』というのは真実なんだろう。だけど生前の自分は結局、故郷を失った悲しみにいつも押しつぶされそうだったんだ。死にたい、けど自殺はしたくない。自殺は命や家族に対する侮辱だから。でも生きるためには目標が必要だ。『ヒトを助ければ故郷のなごりを遺せる』という思考は好都合だった。弱っちい自分が誰かを救助するには全力でなければならなく、誰かを助けて死ねば全ての目標を果たして安らかな眠りにつける。そう、生前の自分は『誰かを助けたかった』んじゃあない。『誰かを助けて死にたかった』んだ」青年は生前の自分をそう分析し、「死後も自分はこうして存在しているけども」と付け加えた。「今の自分が自身を軽視する要因はコレだな。どうにも生前その考えにあまりにも固執していたせいで、死んで楽になった今でも生前の悪癖が抜け切れていないらしい。……そして厄介な事に、今でさえ生前の悪癖を否定できない自分がいる」今の青年は、生きていた頃の――特筆すれば故郷壊滅から死ぬ直前までの青年、とは別の性質を持っている。今の青年はどちらかと言うと、故郷壊滅以前のそれに酷似した性質だ。その相違点が記憶喪失により発生しているのは明白。だが生前の頃の因子が、今の青年の魂に残っているのもまた事実である。もし、ふとした拍子に青年の暗黒時代の記憶がよみがえってしまったら? 死ぬ直前と完全に同一のメンタルを発現してしまったら? そりゃあもう面倒臭い事態になること請け合いである。転生の輪から零れた魂の集うこの世界で、負の記憶を完全に消去する方法を青年は知らない。そのため上記の問題を解決するためには、青年の精神に根本的な変化が起こるしかないのだ。とはいえ青年は「そううまく解決できるはずもない」と知っている。とりわけ内面の問題は、完治まで時間がかかるのが通例だ。「……(ゆっくりと向き合っていこうかねえ)」心の中でそうごちた青年は、自分の昔話に付き合ってくれた女性の悪魔『氷魔コバルディア』に意識を向けた。空中に浮かんでいる彼女は、目を閉じ腕を組みながら、何やら思案している。「コバルディアさん。感想をどうぞ」「ん、そうねぇ。ヒトコトで言うなら……」彼女は視線を宙に泳がせながら唸ったが、そう時間もかからずに最適な言葉を見つけた。「『くっだらない』」「なあ!?」「よくもまぁ、長々と退屈な話を口から垂れ流してくれたわねぇ。ヒマすぎて私まで死にそうよ」「おま、お前なあ。一応にも1人の人生譚をくだらないで済ますか!?」「くだらないと思ったモノをくだらないと言って何が悪いの? 『故郷を遺すために誰かを助けて死ぬ』? ハッ、ちゃんちゃらおかしいってもんよ」「…………おい」彼女の言葉を聞いて、青年の理性のタガが1つ外れた。そしてそれは青年の言葉含まれた『怒り』となって如実に現れる。視線も鋭く、すぐにでも殴りかかっていきそうな気配が体外へと滲みだしていた。「まぁ、アンタのダメな部分が理解できたって所だけは有意義だったわ」しかし百戦錬磨の悪魔を怯ませるには至らない。コバルディアは青年の新たな一面に内心嬉々としながら、冷静に語る。「アンタの一番の悪癖は、アレコレとど~でもいい思考を延々と巡らせること、これに尽きる。思考に思考を重ねるから行動を迷うし、好機も逃す。先の先まで夢想するから余計でネガティブな気持ちも呼び込んで泥沼にハマる。そうやってただでさえなけなしの幸運も飛ばしちゃってるのねぇ、カワイソウに」「どうでも、いい? 故郷を思う事がどうでもいいってのか!?」「落ち着きなさい」「イデッ!?」そう言いながらコバルディアは、動作不良の機械にそうするように、青年の頭頂部をどついた。「別にアンタが故郷を愛そうが恨もうが勝手だけど、そうじゃあなくて。身の丈に合わない責任感と、勘違いも甚だしい使命なんて捨てちまえってことよ」コバルディアは涙目の青年にビシッと人差し指を突き付け、青年の何がダメなのか語り始める。さながら説教だ。「生前のアンタはがやりたかった事って、要するに『故郷をヒトの心に良い感じで遺すため、善行――主に人助けに自分の命を賭す』ってことよねぇ。『故郷を遺すために善行をする』……これはおかしくない。悪魔社会でも悪魔王の眷属たる悪魔の功績は、そのまま悪魔王の評判アップに繋がる。ニンゲンにしても1人のポカのせいで、リィンバウム人が総スカンを喰らったって昔話もある。アンタの行動が、アンタのバックグラウンドの評価に影響を与えるのは然りよ」ここまで滔々と述べた彼女は、今度は大きく息を吸い込んで、言葉の爆撃で青年をまくしたてる。「だけど前提として、アンタみたいなバァカにそんな器用なマネできるはず無いでしょうが! ニンゲンなんて目的1個を成せるかも怪しいくらい脆弱なのよ? なのにあんたは弱っちい癖に『故郷の好評価』に『ヒトの命を助ける』なんて2つも高望みしちゃってさぁ。何様のつもりだったのアンタは!?」「何様はこっちのセリフだ」と青年は思わず叫びそうになったが、現実への反映はされなかった。殴られた頭がズキンと痛んだからというのもあったが、彼女の話に引かれるモノを感じたからだ。どういうわけか。「あと、そのための手段が『命を賭けた善行』ってのも気にくわない。別に『善行』がくだらないってんじゃあないわよ。悪魔の趣味嗜好をニンゲンのアンタに押しつける気はないもの。で、どう気にくわないかっていうとぉ、『善行に命を賭けるなんてのはくだらなくて愚か』だから。言いたい事わかる?」青年は素直に首を横に振る。「例えば、悪漢に襲われているニンゲンがいたとする。その時、生前のアンタがその場にいたらどうする?」「当然助ける」「なるほど、とりあえずアンタは悪漢を撃退できたと仮定しましょう。助けられたニンゲンはアンタに大いに感謝するでしょう。さて、このケースでアンタは善行したと言えるでしょうか?」「なんとなく嫌な予感がするが……イエスだと、と思う」「ざぁんねん。正解は『この時点では分からない』でしたぁ」コバルディアは満面の笑みで言ってのけた。「まぁ、『アンタが助けたニンゲンは実はシリアルキラーだった。なのでたくさんのニンゲンが死んだ。そのためアンタの行動は悪行』とした方が私の好みではあるんだけど」「何が言いたいんだお前は」「要するに、良かれと思った善行も悪行になり得るし、逆もまた然りってこと。誰かを助けたからといって、それが世のためニンゲンのためになるかなんてのは、助けた瞬間にはわからない。後になって、かえって状況を悪化させることもあるし、思ったよりも大きな変化をもたらす時も無いわけではない」「……シルターンで言うところの『塞翁が馬』ってやつか? 落馬して足を怪我したから、後の戦に行かなくて済んだとかいう」「そぅ。だからぁ、命を賭けて善行・人助けする奴ってのは愚かだと、私は思うわけ。命を賭けて命を救っても、救った命が新たな厄災を招くことがある。亡くした命が思わぬところで誰かを傷つけることもある。特にニンゲンは弱くて儚いからねぇ、恩人の死を眼前で見せつけられ、心と魂を負の感情で満たして、凶行に走ることだってある。それなのに恩人サマはやり切った顔をして現世を去ってしらんぷり。 自分勝手で自己満足だと思わない?善行でも何でも、誰かがやりたいと言うならば勝手にすればいい。私には関係ないし。だけどそんな風にうそぶくんだったら、行動の結末を最低10年間は生きて観察してから死ねって感じ」「ぐうぅッ」コバルディアの言葉は、青年の精神にグサリ、と突き刺さった。青年は自分の死んだ時の状況を完全に覚えてはいないが、彼女の言う『愚か』の定義に当てはまっている確信があったからだ。「……(なんで、小さな女の子の泣き顔が頭に浮かぶんだ?)」そして青年の脳内にフラッシュバックされるヴィジョン。それはきっと現世に遺してきてしまった、大事な存在の姿なのだろう。そう直感したが、女の子の仔細を青年は思い出せない。それが腹立たしくあったし、何より悲しかった。「……どうすれば、よかったんだ」「ん?」「なら一体、自分はどうすればよかったんだよ!? 寝ても覚めても故郷を亡くした日の事ばっかりフラッシュバックする! 辛くて苦しく後悔して、忘れたくても忘れられなくて。それでも生きて行かなくちゃあいけなかったんだ! 目的の1つでもないと自分を奮い立たてさせられなかったんだよ!……どうやって、どうすれば、幸福に生きられたっていうんだ、答えてみろよ!」涙を浮かべ、感情をあらわにした青年が、叫ぶようにまくし立てた。青年の怒号は洞窟の中で少し反響したが、すぐに聞こえなる。しばしの沈黙。コバルディアはそんな青年を一瞥すると、深い深い、奈落より深い溜息を吐いた。そしておもむろに青年との距離を近づけると……。「し・る・かッ!」「ぶげら!?」魔力を付加して強化した右のコブシで、青年の顎の下を的確に撃ち抜いた。俗に言うアッパーカットである。青年は涙と共に、見事に吹っ飛んだ。魔力にモノをいわせた、型も技術もあったもんじゃない一撃だったので、幸いにも致命傷ではなかった。「アンタねぇ、頭脳がマヌケなの!? 私が最初に『アンタの悪癖は考えすぎる所』だって言ったのに、辛いだの苦しいだの愚痴愚痴グチグチ……まるで悪びれてないじゃない! そもそもアンタもう死んでるんだから、生前の後悔を引っ張り出すことがもうバカ!」「……!……!?……」地面に倒れ込んだ青年に今度はコバルディアがまくし立てる。しかし青年はというと、視界のあちこちに星やら光やらが散らばった錯乱状態であり、意識が朦朧としていた。「いい? 『生きる目的』なんてのはシンプルに『欲望の赴くまま、やりたいようにやる』……これでOK。 なんでニンゲンってのは、そんな事も分かんないのかしらねぇ。数多の因果の糸で紡がれ、複雑怪奇で摩訶不思議なのが『界の意思(エルゴ)』の創造した世界ってやつなのよ?。アレコレ策を弄したとしても、色んなモノに邪魔されて結末をねじ曲げられる。チカラの無いアンタみたいなニンゲンは特にね。ならいっそのことやりたい事だけやってれば、成功確率も上がってストレスも軽減、両得なのに。後は自身の行動の結果をしかと受け止める心構えさえあれば、言う事無し。悪魔はそんな風に生きてるのにさぁ……」「……(ああ、村の僕ん家が見える)」話に熱中するコバルディアをおいてけぼりにし、青年にはついに幻覚まで見え始めていた。ぐわんぐわんと揺れる頭には割れるような痛みが走り、目の前の氷魔の姿すら霞んでいく。意識とカラダとの感覚が乖離し、指もまともに動かせなくなっていく。しかし、なぜだかコバルディアの発言はしっかりと聴こえていた。彼女の言葉が耳を通して頭を通り過ぎ、どこにあるかもわからない魂の奥の奥を刺激していく。「……(マズイ、幻聴まで聞こえてきた)」だが実際には幻聴ではなかった。***それは『チャーハン』という変な名前の少年の、軍学校出発前夜。木造の実家で少年が名残惜しい夜空を眺めていると、少年の父が声をかけた。「荷造りは済んだのか?」「とっくの昔、3日前にはもう終わってるよ」「なんだ、その辛気臭いツラは。軍学校へは行きたくないのか? ここいらでは一番良い学校だぞ。治安もしっかりしとるし……」「あたりまえさ! 『キツイ』『汚い』『キナ臭い』の三拍子そろった軍人さんになんて、ぜったいなりたくなかったのに……僕はファーマーを継いで、おとーさんたちの田畑を耕すのが夢だって、いつも言ってたじゃあないか!」「ふん、農作業はともかく、経理の『ケ』の字もままならんお前に、ウチの畑は任せられんわ!」「うぐぐ……さ、3ケタのたし算ならできるようになったんだぞ」「家畜のトリ肉が食卓に並んだくらいで泣きだすのもいかんなあ」「あれは僕のかわいがってたピィ助を、おとーさんが勝手に絞めてソテーにしてたからだよ! しかも食べ終わってから『今の肉はあのピィナントカだからな』なんて言いやがって」少年の悔しそうな表情を見た父は、豪快に笑った。「ま……お前を跡継ぎにしてもよかったんだがな。お前は長兄のように何事もそつなくこなすのは無理だが、農具を持てばピカイチだった」「なら!」「だが、だ。ファーマーだけが人生とはかぎらん」「?」「お前を高い授業料払って軍学校に入れるのには、キチンと理由があるのだ」「え、軍人さんになって仕送りしろってやつでしょ?」「うむ、それが半分。あとは種まきのシーズンが来ているのに長々と会議する村の連中が鬱陶しかったのが……少し」「ホントに少し?」父親は咳払いを1つして、少年の2の手を封殺した。「きっかけは、お前が連れて来たあの珍妙な召喚獣だった」「『召喚獣』じゃなくて『ポワソししょー』」「ああ、そうだったな。そのポワソなにがしを連れて来た時、お前は楽しそうに笑って……いや、ポワソと一緒に笑い合っていた。あの時のお前は、どんな時よりも生き生きと輝いて見えた。家畜の世話をする時や農作業の時、山で弓矢の使い方を教えた時よりも、な」「そうかな?」「ああそうだ。私は、お前にはファーマー以外の未来があると直感した。だからお前に世界を見せることにした。軍学校へやるのもそのためだ」「……ふ~ん」良くわからない、と言った感じの少年の頭に、父のぶこつな手が覆いかぶさる。「お前には私がイジワルしているように思うかも知れんが、ちゃんと心配もしているぞ。なにせペットが死んだだけで3日塞ぎ込むような泣き虫だからなあ」「もうそんな子供じゃない」「どうかな? ……ファーマーたるもの『命』を尊重するのはもちろんだ。その点お前は合格だが、いかんせん繊細すぎて余計なモノまでしょいこんでしまう。図太く、ある意味鈍感でなければ、大自然を相手取る農業はやり辛い。そういうところも、お前を跡継ぎにしない理由なんだがな」「う……」何とも言えない表情をみせる少年の頭を、父親は乱雑に撫でる。「いいか、バカ息子」「なにさ」「お前は村の外で、お前がやりたい事を見つけ出せ。お前が決めた道だったら、異界の存在と生きる道だろうが、帝国軍人になる道だろうが、私達は応援する。世界を見てなおファーマーになりたいのならば、それもよかろう。ああ、家の事は心配いらん。お前がいなくとも回るようになっているからな」「だが、これだけは言っておこう。『1つの道に全力投球』……それが、我が家の息子の生き様としてふさわしい。お前は器用ではないし、一所懸命にやりたい事やって生きた方が、人生楽しいぞ。まあ時にはふらふら寄り道する時もあるだろう。いつか後ろを振り返ってみてもいいだろう。だが歩みを止めたり、道を踏み外すことだけはするなよ」それが少年と父との、最期の会話らしい会話だった。****「くっくっくっ……、あッはははは!」「な、何いきなり。 殴りすぎてついに頭イッちゃった!?」青年は笑っていた。腹を抱えて、カラダから悪いモノを全て吐き出すように笑った。「……(なんだ。答えははじめっから自分の中にあったんじゃあないか)」死んでからではなく、生きている時から忘却していた父からの言葉。それを、青年は死後になってようやく思い出せたのだ。「……(なんで忘れてたんだろう? やっぱり親父にとにかく反抗したかったから、かな)」しかし数多くの挫折と失敗を繰り返し、若くして命を散らせてしまった今、父親が青年の事を誰より理解していたのだと思い知らされた。それは青年にとってちょっとムカつく事実だが、優れた助言でもある。「いや、悪い悪い。自分のバカさ加減をようやく理解しちゃってさ。自分で自分が滑稽でしかたないっていうか……くくく」「へ、へぇ」「うん、コバルディアさん――あ、もう呼び捨てでいい? 全部コバルディアの言うとおり。どうもヒトの本質ってのは、自身よりも他者の方が容易に見抜けるらしい。『即断即決、目標に一直線』が自分の性に合ってるみたいだと、ようやっと理解できたよ」ひとしきり笑い転げ、目元の涙をぬぐった青年は、ふらつく頭を支えながらゆっくりと立ち上がった。「……(生前の自分がやった事なんて、結局は要らぬお節介だったのかもしれない。故郷の壊滅は、すごく辛かったし悲しかったし、怒りもした。けど、だからといって自分がやりたい事をやっちゃいけない理由になんてならない……いや、しちゃいけなかったんだな。家族が望むならなおさら。でも故郷への思いはどうすればよかったいいんだろう? ……ああ、胸に留めておくだけでよかったんだ。自分でさっき言ってたじゃあないか、『因果律』。自分が行動するだけで、それはそのまま故郷の足跡となるんだから。どうしてこんな簡単なことわからなかったかなあ)」揺れる頭を掻きながらそう結論づけた青年にはもう、迷いも強迫観念もありはしなかった。「……(随分と遠回りになって、もう生きてすらいないけれど。今度こそ、次の人生ではきっとやりたい事を見つけてみせるよ、親父)」あの世に一番近いであろう界の狭間で、青年はそう誓うのであった。「なあ、コバルディア」「ん?」「ありがとう。貴女のおかげで、大事な事を思い出せた」「げぇ!? やめてよ感謝なんてキモチワルイ」青年としては精いっぱいの感謝を伝えたつもりなのだが、悪魔の彼女には逆効果だったようだ。「はあ、わかったよ。それじゃとっとと本題に行こう」そう言うや否や、青年はコバルディアに向き直った。そして彼女に右手を差し出しだして、決然とした意思を彼女に伝えた。「『氷魔コバルディア』、どうかこの自分と『契約』をしてほしい」真の名をの口にしたのは、決意と渇望の証である。「ふぅん、どういう心境の変化かしら? 私なんて信頼に値しないんじゃあなかったっけ?」「う、根に持ってるのか。悪かったよ。貴女は悪魔だけど、分別があるいい悪魔だってさっきの説教で理解したんだ。だから信頼することにした」「いい悪魔って、ムジュンしてるんだけど」「細かい事は置いといて。そうだな、契約してもいいと思うようになったのは……コバルディアの言う『悪魔の生き方』に興味があるってのもあるけど、『貴女に魅かれた』ってのが一番の理由かな」「何ソレ」「うまく言えないけど……。貴女と一緒なら、このしみったれた世界でも笑って歩ける、と思ったんだ。直感だけど」「ダメか?」と小首をかしげる青年の魂には、ひとかけらの淀みも無かった。ただ純粋に、眼前の悪魔を欲しているというのが、コバルディアにも手に取るようにわかっていた。青年と悪魔、両者が初めて互いを必要とした瞬間であった。コバルディアはあえて青年を試すように問う。「私、高いわよ?この私と契約を結ぶ代償として、アンタは何を献上するのかしら」「う~ん……とりあえずは『コバルディアが満足する程度の魔力』と、貴女の欲する『自分の負の感情、および自分の魂の負の輝きを全部』ってトコロかな。これらを貴女に献上すると誓おう」「思い切ったこと言うじゃない。そういうの好みよ」「貴女のチカラを借りるんだ、これくらいは当然さ。それに負の感情とか魂の輝きを喰われても、感情が無くなる訳じゃあないし」あっけらかんと言い放つ青年だったが、悪魔相手にそう言えるのは相当な度胸が必要であるという事に、気付いていない。「献上品はそれで結構。じゃあアンタは、私にどのような見返りを欲する?」「気が向いた時にチカラを貸してくれればいいよ」「はぁ? そんなのでいいわけ?」「欲の無い奴ねぇ」と、コバルディアが呆れたように言う。「だから、無理強いはしたくない性分なんだよ。罪の無い命に強制労働させるほど、自分は腐ったニンゲンじゃあないよ。それにその内容でも、自分にとって有利な取引だと思ってるからな。……極端な話、助力を賜れなくても、傍らにいてさえくれれば満足だ。言っただろ? 氷魔コバルディアという悪魔に魅かれたから、契約する事にしたって。もちろん、チカラを貸してくれるんならそれに越した事はないけど」告白にもとれる発言を平気でかます青年に、コバルディアもさすがに目を丸くした。だが青年の魂の機微を読み取れる彼女には、その言葉が浮ついた感情を元にしたものではないと、容易に理解できた。一方が一方を従えるのではなく対等な『相棒』としての関係を、青年はコバルディアに求めているのだ。世界を乱す存在である悪魔の彼女にだ。「ニンゲンごときが」とコバルディアは少し苛立った。しかしどういうわけかそれ以上の興味が、青年に対して芽生えはじめていたのは、彼女だけの秘密。「安心しなさい。最低限、アンタがやられそうな時には助けてあげる。私もアンタにやられちゃったら困るし。後はそうねぇ、アンタの今後次第では、来世も同条件でチカラを貸してあげましょう」「来世でまた会えたらな」冗談混じりに青年と悪魔が笑い合い、やがて自然と2つの右手が握手を交わした。――契約完了。~~~~~契約を果たし、改めて眼前に鎮座する炎の祭壇に向きあった青年とコバルディアは、たわいもない会話をかわしていた。「なんというか、全く契約したって実感が湧かないんだが」「ニンゲンには分かんないかもねぇ」自分とコバルディアとが見えない糸で繋がっているような気がするような、しないような……その程度の違和感とも言えない感覚しか青年にはわからなかった。「大丈夫よぉ。アンタの負の感情は大小問わず常に私に流れ込んでるし。魔力も私がアンタに触れれば、欲しい分だけ絞り取れるようになってるから」「うわあい、清々しいほどコバルディア主導なんだね」「自分で望んだことじゃない、何を今更。そうだ、これは契約記念のサービスってことにしてあげる」そう言うとコバルディアは、パチンと指を鳴らした。すると彼女の魔力の一部が凍てつく吹雪へと変じ、炎の祭壇を包み込んだ。青年の目の前で、冷気の猛獣は1つまた1つと炎の揺らめきを喰っていく。やがて観念したかのように炎の勢いが衰え、そして消えた。それに伴い役目を終えた冷気も霧散し、最後のなごりが暑苦しかった洞窟内を適温程度まで涼しくしていった。「おおっ」「ふふん」否応無しに彼女のチカラを思い知った青年は、感嘆の拍手をす彼女に贈る。そして得意げになるコバルディアだったが、穏やかな時間はすぐに終わった。急にガゴッ、っと仕掛けが動作する音がしたと思ったら、鎮火済みの祭壇が地面に沈み込んでいくではないか。そしてこれまたどういう仕組みか、祭壇が完全に埋没すると、祭壇向こうの扉がゆっくりと開いた。扉の奥は暗くてよく見えない。「さて、この先は鬼が出るか蛇がでるか。ま、進むしかないか」即決した青年は、迷うことなく歩き出した。「……(生前も死後も色々とあったが、自分はこの一歩から、また最初からやり直すんだ。傍らの悪魔と共に)」決意を新たに、青年は前へと進む。例え進んだ先が茨の道であっても、『堕ちたる理想郷』であったとしても、きっと立ち止まらないで。だが、青年は全く気が付いていなかった。「く、くくっ。ダメよ私、ガマンガマン……」全幅の信頼を寄せる悪魔が、口を押さえ笑いをこらえている、という事実に。~~~~~「再スタートをしたと思ったらこれだよ!」扉を潜った向こう……そこに待っていたのは、岩の巨躯を持つ鬼の魔物『岩鬼』だった。簡単に言えば、鬼岩洞の主である。めっちゃ凶暴である。「ヒャハハハハハ! いやぁ、やっぱりアンタの不運は蜜の味! 契約したかいがあったってものだわぁ」そして空中で満足そうに笑い転げるコバルディア。「お前知ってたな!? 知ってたんだな、祭壇の向こうに何がいるのか!」「知ってたもなにも、そこらに点在してた石碑に書いてあったんだもの。『凶悪な魔物を封印した』って」「じゃあ何で自分に言わない!?」「だって訊かれなかったしぃ、石碑を見なかったアンタのミスだしぃ。……それになにより言わない方が愉快な展開になって、面白くなるじゃない(私が)」さも当然といった風に言うコバルディアに、青年は諦めにも似た溜息を洩らす。そうこういっている間にも、岩鬼は炎の祭壇による封印を解かれた喜びからか、巨躯を震わせ唸り声をあげる。「やばいよアイツ完全にヤル気マンマンだよ、勘弁してくれ」青年は大型魔物討伐の準備はしていないし、何より長期間の洞窟探索により疲れが溜まっていた。どう考えても戦えるコンディションではない。「よし、逃げよう」「まぁまぁ、ちょっと待ちなさいな」踵を返した青年の肩を、コバルディアがむんずと掴む。「何のために私がいるとおもってるのよ。ココは私に任せなさいっての」「……どうするつもりだ? コバルディアが代わりに戦ってくれるのか?」怪訝な顔をする青年に、コバルディアは明朗に突拍子の無い事を言い始めた。「せっかくだから『憑依』ってやつを試してみるわ」「おい、最後の方に実戦で出ちゃいけない単語が出てるんだが?」サプレスの精神生命体やメイトルパの精霊などは、肉体を持たないが故に他者に憑依することができる。憑依された者は、憑依した存在に応じたチカラを得る。また憑依した者も憑依された者のカラダを仮の器とする事で、存在を維持するための魔力を節約する事ができる。召喚師達の間では、対象に召喚獣を憑依させる、あるいは召喚獣のチカラの一部を譲渡させる術を『憑依召喚術』と呼んでいる。「なぁに、ちょっと私がアンタのカラダを使って暴れ回るだけだから」「カラダの主導権まで乗っ取る気かお前は!?」「ニンゲンに憑依するのは初めてだけど……今のアンタは魂が生前の姿を模倣している状態。言わば私達精神生命体と近しい存在だし、肉体が無い分普通より憑依し易いはずよ。たぶん」「おいちょっと待てやめろイヤホントやめて恐いから」青年が懸命に頭を横に振り回している内に、コバルディアの腕は青年の体内にめり込んででいた。「い、痛くはない、痛くはないがなんか……気持ち悪……」 カラダの中を異物が這い回る不快感。それがしばし続いた後ついに憑依が完了したようで、青年のカラダのコントロールがコバルディアに譲渡されてしまった。青年はもう、自身のカラダを指先1つ動かす事もかなわない。それからコバルディアは、青年のカラダなどを遠慮なしに酷使した。彼女自身の魔力によって青年の肉体は強化されていたが、無茶な動きをすればその分だけカラダは痛む。しかも彼女、痛覚は肩代わりしてくれなかった。なのでコバルディアがカラダを主導して戦う約10分、青年は節々に走る痛みや疲労感と格闘するはめになった。「ヒャハッ! 魔力を気にせず戦うってのも悪くない!」「グウオオオッ!!」「……(コバルディアの奴、ヒトのカラダで好き勝手やりやがって)」青年は心の中でヒトリ、そうごちる。しかし内心「まあでも、楽しそうだからいいか」とも思っているあたり、青年も大した奴である。~~~~~「あ~スッキリした。やっぱり戦いは良いわねぇ」「う、うおおおっ、ヤバイ吐きそうだ……」コバルディアの晴れ晴れとした笑顔とは対称に、青年の表情は蒼白だ。全く動かない身体の中、ロデオもかくやと言う感じに視覚を振り回されたあげく、戦闘後の疲労とダメージをおっかぶせられれば、こうもなる。「しかも憑依を解く直前に、魔力をしこたま持っていきやがって……」「ニンゲンで言うところの必要経費、ってやつよ」「ウソつけ! 初対面の時より明らかに元気だろうが! 肌もなんかツヤツヤしてるし」魔力の消費は肉体よりも精神にクる。苦悶の表情を浮かべる青年だったが、危機を回避できたと考えれば安いモノ……と、自分に強く言い聞かせた。「しっかし、悪魔ってのはすごいんだなあ」青年の目の前には、青年の3~4倍近くはありそうな氷塊があった。そしてその氷塊に中心部に、岩鬼の巨躯が封じられているのである。「ん?」青年が氷塊の中を眺めていると、岩鬼の眼がギョロリとこちらを睨み返してきた。「なあコバルディア、こいつまだ生きてんの?」「あぁ、途中でメンド……アンタのカラダを使ってじゃあ、氷で封印するのが限界だったのよ」「……そう」精神衛生上の問題を考慮して、青年は華麗にスルー。「いいさ。後で『白夜』とかいう仕事斡旋所に討伐依頼を出しておこう」荷物から取り出した『ポーション吟醸』を飲んで体力を回復させると、青年は意気揚々と立ち上がる。「さて、出探索の再開だ。あのくそ忌々しい岩鬼の向こうにある道が、どうか出口に繋がっていますように」しかし道の先へ行っても、探索済みのスペースへと繋がるワープゲートがあるだけだったりする。~~~~~結末としては、青年とコバルディアは辛くも鬼岩洞からの脱出に成功した。青年のカラダを乗っ取ったコバルディアと岩鬼とが洞窟内で暴れた結果、落盤していた入口がさらに落盤し、ヒトが通れる穴が開いたのだ。「脱出できたのは素直に嬉しいんだけど、なんか納得いかねえ」「別にどうでもいいじゃない。苛立つだけムダ。で、この後の予定は?」「知り合いの放浪者御一行と待ち合わせ。待ち合わせ時刻は確か洞窟突入時の24時間後だったが……洞窟にどのくらいいたかわかんねえや。この世界はずっと明るいから時間間隔が鈍って困る。まあとりあえず、待ち合わせ場所のツェーゼ村へ出発だ」鬼岩洞からツェーゼ村へ行くには、間にある森を抜けねばならない。森の魔物の妨害も考慮して、早急に進まねば約束の時間に遅れるのは必須。特に、魔物遭遇率が群を抜いている青年ならば、特急で移動しても安心はできないのである。「あ、そうだコバルディア。移動の前に疑問が1つ。自分はお前を『コバルディア』って呼んでるけど、『真の名』以外の呼び名ってあるのか? どうもコバルディアってのは呼びづらいんだよ」「何、私の名にケチつけようっていうの?」「違うって、言葉にするのがちょびっと難しいってだけさ。6文字もあるし。それに『真の名呼び』に抵抗があってさ」「ふ~ん。……二つ名は色々あるけど、愛称とか通り名っていうの? 考えたこともなかったのよねぇ、メンドウだから。そうだ、この際だからアンタがつくりなさいよ」「いいのか?」「えぇ、もちろん。アンタは私の『マスター(笑)』ですもの」そう言っておどけて見せるコバルディアだったが、言葉の奥には「変な名にしたらタダじゃあおかない」というニュアンスが露骨に含まれていた。「村に着くまでには考えとくよ」彼女のうっすらとした殺気に、青年は盛大に溜息を吐くのであった。~~~~~~~~~~簡単に言うと、青年が悪魔の説教で更生する話。過去話とか内面描写に手間がかかったのが、時間があいた一因。幕間を挟んで第3章へ続きます。