オプテュス戦の翌日、そろそろ昼食が恋しくなる頃。ニッポンの高校生『ハヤト』は、サイジェント北西を流れる川を目指していた。彼はリプレが仕立てたリィンバウム衣服を纏い、手にはカゴを持っている。なぜハヤトが川へ向かうのか、それはスラムチーム・フラットの屋台骨『リプレ』にお使いを頼まれたからである。***時はわずかに遡る。「なあ、タベルナは?」アジトの台所にいたリプレに、ハヤトは問う。彼は午前中ずっとアジトをウロウロしたが、昨夜ここに泊まったはずの旅人(自己申告)『タベルナ』だけは見つけらなかった。「タベルナならアルク川に行くって、朝一番に出かけたよ。倉庫にあった釣竿も一緒に」「そうなのか……リプレって、タベルナには敬語で『さん』付けじゃなかったっけ?」「『同い年くらいだからフランクに』らしいよ」「へえ」ちなみにリプレは17歳、ハヤトとも同い年である。「そうだ1つ頼まれてくれない?」「ん?」「タベルナにお昼ごはんを持ってって欲しいの。『昼はサカナを釣って鉄板焼きにでもするさ』とは言ってたけど、お魚だけだとさびしいでしょ」「いいぜ、俺も出かけようと思ってたから。俺の分も頼むよ、一緒に食べる」「はーい」リプレはエプロンの帯をきゅっと背中で締めなおし、作業に取り掛かる。取り出されたのは一斤のパン(自家製)と、野菜やらビン詰めジャム。メニューはサンドイッチだろう。「ケッ、あんなよくわからん奴のメシなんか心配するなっての」パンを端っこから切り分けていくリプレに、たまたま通りすがったフラットリーダー『ガゼル』がぼやく。ただでさえ貧しいフラットに、他人の食に回す金なんてないのだ、と言っている。「ガゼルぅ、そんな言い方失礼でしょ? これからしばらく、タベルナとも一緒に暮らすんだから」「はあ!? 聴いてねえぞ!」「そうなんだ。私とレイド、エドスには話してたけど……アンタ起きるのが遅かったから、」「後回しにされたって? なんだそりゃ」「……(ガゼルに話すと十中八九こじれるから、外堀からうめにかかったのかな)」「私達のせいでタベルナもオプテュスと敵対しちゃったし、『宿泊費です』ってお金も貰っちゃったんだから。文句言わない!」「へーへー」そうこう言っている間に、リプレは美味しそうなサンドイッチを4つ完成させていた。そしてサンドイッチはキレイな紙でクルクル包装、カゴに入れられハヤトに託された。「ついでにお魚を釣ってきてくれると嬉しいな」「じゃあいってきます」なにげなく「いってきます」と言える仲間がいるっていいな、とハヤトは思った。***移動していたら困ったが、タベルナはちゃんとアルク川にいた。例によって土色の作業服、たくさんポーチが付いたベルトを腰に巻き、黒い石のぶら下がったネックレスをしている。タベルナは川辺に座って釣り糸を垂れていたが、ややあってハヤトに気付き手を振る。左手首にはめた腕輪が、日光を反射して鈍く光った。「やあハヤト……襟にファーのついたコート、リプレが仕立ててた服か。これでキミもリィンバウム人の仲間入りだ」「ありがと。そっちの釣果は?」「全然」タベルナは視線を川に戻しながら、隣に置いた金属バケツ(魚を入れる用だろう)を指差した。にゃーん。馴染み深い鳴き声がして、バケツから小動物が顔をだす。縦に割れた瞳孔を持った大きな目が、ハヤトをじいっと見つめる。「……(ネコだ。おこぼれにあずかろうと寄ってきたのか? でもバケツの中で遊んでるくらいだから、1匹もつれてないんだな)」ハヤトはネコ好きだった。別にイヌやトリとかも嫌いじゃないが……撫でがいのある毛並みにピョインと跳ねたヒゲ、そしてツンとすました態度が大好きだった。『ネコのしぐさをレポートする』なんてバイトがあったら、真っ先に応募して一日中没頭する自信があった。「よーし」ハヤトはサンドイッチのカゴを置いて、ゆっくりバケツに接近していく。温厚なネコのようでハヤトが近づいても逃げず、むしろ「かまって」と言うかのように、肉球のカワイイ前足を突き出してくる。「よしよし、イイ仔だ」バケツの傍まで来たハヤトは、両手をネコの前足の下に差し込んで抱えあげる。ざばあ。「!?」「にゃあ」水を滴らせてたネコの下半身は……魚だった。ネコにあるべき後足も尻尾も無く、かわりに立派な尾ひれがピチピチしている。「3時間粘ってニャン魚1匹なんて、あんまりだ」「ニャン魚!?」「ああ、ニッポンには生息してないのか」「そもそも俺の世界に存在しないよ!?」「ならば説明しよう……生態は、ネコとサカナをごちゃ混ぜにした感じ。特徴は生命としてのタフさ、かな。水中・陸地で呼吸可能、淡水・海水を問わず生きていける。半獣半魚という種がなぜ誕生したのか? 有力な説によると、メイトルパの古き妖精の誕生にも見られる『魂の共鳴』によって、ネコとサカナの間に生まれた仔だとかなんとか。でも僕としては『ニャン魚』という種がはじめにあって、より陸地に適応するよう進化したのが『ネコ』、より水中に適応するよう進化したのが『サカナ』じゃないかと思うんだ。そこのところ、ハヤトはどう思う?」「う、うん。(どうでも)いいんじゃないかな」ニッポンの常識からすれば「奇抜」なリィンバウムの生態系に、ハヤトは狼狽ぜざるをえない。「せっかくの異世界の珍味、どうだ1口?」「食えるのか!? というか食うのか!?」「強要はしないよ。無理やり食わされる者の痛ましさは、辛いほど知っている。まあどっちにしろ僕は食う。まさか『食べるな』なんて下らんこと言わんよね」「いや、でも」「食べるために釣りをして、食える魚が釣れたんだ。そりゃあ食うさ」あっけらかんとタベルナは言う。「その通り、だけど」「に゛ゃ~……」「~~~~~っ!」大きな目を潤わせて、悲しげに鳴くニャン魚。「ぼく、たべられちゃうの?」と語っている……ように見えるのは、ネコ好きハヤトの罪悪感ゆえか。ハヤトの脳裏に浮かぶのは、これから起こる惨劇のイメージ。まな板の上のニャン魚と、その傍らに立つタベルナ。ニャアニャア鳴く声もタベルナは気にせず、むしろ嬉々とした様子で、手に持つ包丁をニャン魚の首に……。「ああっ!」「はっ!?」我に返ったハヤトは、ニャン魚が空を泳ぐ姿を目撃した。いや、ハヤトがニャン魚を川へと投げ込んだのだ。やがてポチャンと着水。それでニャン魚は、2度と姿を現さない。「僕の昼飯が……鉄板焼きが」「お願いだから、後生だからアイツだけは食べないでやってくれ!」「後生なんて知ったこっちゃない……今の空腹の方が大事だよ……」2人は泣いた。互いに全く違う理由だが、涙がとめどなく溢れた。腹の虫も鳴いた。「ホントごめん! 昼ごはんならリプレのサンドイッチ持って来たし、なんなら俺の分も全部食べていい! 魚もリリースした分俺が釣るから!」「ニャン魚がダメで、他の魚は食べていい……そんなのおかしいよ」「う」恨めしい眼差しのタベルナに、痛い所をつかれてしまった。それから釣竿を手にしたハヤトは、意外な才能を発揮する。ものの数分で、1匹目を釣りあげたのである。しかも体長がニャン魚の倍近くある大物だ。それからも入れ食い状態。タベルナがサンドイッチ2個を食べるより、魚のエサが切れる方が先だった。「僕の3時間はなんだったんだろう」「はは……運が良かっただけだよ」「あるいはニャン魚の加護、かな。どっちみち僕に勝ち目はなかった」金属バケツに収まらない釣果を見ながら、タベルナはため息をついた。~~~~~「買い取りならやってるよ。鮮魚は手に入りにくいからな」ハヤトとタベルナは、街のとある魚屋へやってきた。釣れすぎた魚の処理について「食う分と保存する分を持ち帰り、残りは売って金に換えよう。サカナの保存にも労力がいるし、金は必要だ」と進言したのは、他でもないタベルナだ。「で、売りてえのは?」タベルナは、金属バケツを店主の男に見せた。バケツの中には、魚が10匹ほど詰まっている。これだけでも釣果の半分くらいで、1番の大物やその他の魚は風呂敷に包んで、ハヤトが持っている。「商品にならねえモンはタダでも引き取らんぞ。……ちょいと準備があるから、裏口で待ってろ」「はい!」タベルナの明朗な声を聞くと、店主は店内へ引っ込む。「ホントに大丈夫なのか?」いぶかしむ様子で、ハヤトはたずねた。「ちゃあんと活き締め処理までしたんだから、売れないと困る」「……アレはすごかったな」「昔ちょっと魚屋でアルバイトしていてな。その時に教わったんだ」「いやそうじゃなくて」活き締めというのは、魚を即死(あるいは脳死)させた上で血抜きして、魚の鮮度を保つ手法。つまり血がドバドバ出るのである。釣果がありすぎたので、作業中タベルナの手元とその周囲は大量の血で染まった。嬉々として作業をこなすタベルナとあいまって、「血祭り」と呼んでも遜色ないほど凄惨な光景だった。「……(あの中にニャン魚がいなくて、ホントに良かった! その上目の前で鉄板焼きになんてされたら俺はもう……って、あれ?)」疑問が1つ。「……(鉄板焼きをするには、鉄板が必要だよな)」しかし鉄板なぞ川にはなかった。当然、鉄板をタベルナが携帯しているわけない(そもそもクソ重い鉄の板を持ち歩く奴はまずいない)。もちろん、彼の腰に巻かれたポーチ群に入ってるわけはない。魚を包んだ風呂敷や、活け締めに使ったナイフくらいの小物しか入らない大きさだもの。「なあ、ところで鉄板焼きをどうやって」「ホラ」「え」流れをぶった切るように、タベルナは金属バケツを渡した。「こっからの交渉はハヤトに任せた」「ええっ!? 無理だよ、やったことない」「これくらいできなきゃあ、ココじゃあ生きていけないぞ」そう言われるとハヤトは弱い。ニッポンの常識が通じないリィンバウムで暮らすのだ、未体験に慣れておく必要はある。いいように使われている気もするが。それに「フラットのためになる仕事をしたい」とハヤトは思っていた。余分に釣った魚を換金できるようになれば、家計のたしになる。モットーが「悩むよりもまず行動」だし、ハヤトは決意を固めた。ちょうどその時。「おっとっとと……」タベルナの背後を、ヒトリの少女が通り過ぎようとしていた。それがただの少女なら、ハヤトも気に留めなかったのだが。少女は大きな荷物を抱えつつも、急いでいるのか小走りしているのだ。大荷物が少女の視界を塞いでいるし、足元も少しおぼつかない様子だったので、ハヤトは見ていてとても危なっかしく思った。「うわっ、わわわっ!?」案の定小石にでも躓いたのか、あるいは体の支え方をミスったのか。少女はグラリと体勢を崩す。持っていた大荷物は放りだされ、彼女そのものは前のめりに倒れこむ。「あ」飛んでいく大荷物と、倒れる少女が向かう先には……タベルナが立っている。どっちかは外れそうなものだけど、吸い込まれるかのごとく、両方がタベルナに襲いかかる。「どいてどいて!」「……?」タベルナが振り返るがもう遅い。「ぶッ!?」まず顔面に、大荷物がクリーンヒット。ゴチンッ、と硬くて痛そうな音もする。「きゃあ!」「お゛う゛ぅッ!?」そしてトドメとばかりに、少女のタックルめいた一撃が脇腹に突き刺さる! タベルナが踏ん張れるはずもなく。2人はもつれ合うように地面に衝突、そのまま倒れ伏す。大荷物は2人の足元に落ちた。「……」「……」「……」一瞬の静寂。ハヤトが声をかけるべきだろうが、突然の悲劇に呆ける他なかった。「いった~……」沈黙を破り、起きたのは少女。長そうな赤毛をかんざしでまとめていて、首に長いマフラーをはためかせている。「あ、荷物!?」彼女はタベルナをまるで無視して、放りとばした大荷物に跳び付いた。「よかったぁ無事だ。……いそがないとお師匠にしっかられる!」少女はピョコンと立ち上がろうとするが、直後「ぐえッ」と呻いて尻もちをつく。そうなった理由は、ハヤトの視点から容易にわかった。うつ伏せたタベルナの手が、少女のムダに長いマフラーの先を掴んで引っ張っていた。「おい」ゆらり起きるタベルナは、少女のマフラーを握りしめつつ呟いた。「ネエチャンのほうから激突しといてさ。シカトは酷いな、オカシイなあ」「ぐぐぅ……ごめん謝るからマフラー離して! なんか生臭いしっ!」「……(やばい)」ハヤトが思い返すのは、タベルナとの初遭遇。タベルナにちょっかいをかけたゴロツキは、哀れオムレツを受け付けない体になった。 そう、激昂したタベルナからは「容赦」の2文字が抜け落ちるのだ。少なくともハヤトはそう認識している。「イッテテテ……タックルされた脇腹スッゲエ痛いわ~、こりゃあ肋骨にヒビ入ってるわ。腕利きのストラ使いか、召喚師に治療してもらわんと」「何、言ってんの?」「慰謝料30000バームな」「はあ!? それって聖王都でしばらく暮らしてける額じゃん!」タベルナの言動が当たり屋めいてきた。過失があるのは少女だが、これ以上はハヤトも容認できない。「さすがにやりすぎだ!」「言うがなあハヤト、落とし前は大事さ」そうやってハヤトとタベルナが、ちょっとだけ視線をそらした途端……「あ!?」少女が消えた。さっきまで確かにいたのに、今はもう影もかたちもない。彼女の荷物もなくなっている。タベルナの手に残ったマフラーの切れ端がなかったら、「狐か狸にでも化かされたんだろ」と言われれば納得したかもしれない。「マフラー切断しやがったな」言うようにマフラーの切り口は、それが鋭利な刃物の仕業であることを物語っていた。つまり少女は、あの一瞬の内に刃物を取り出しマフラーを切断、大荷物を抱えてこの場から去ったということになる。しかも己の行動を悟らせないよう音を立てず、気配を殺しながら。「只者じゃあない、が、あの大荷物だ遠くへは……」「タベルナどこに行く!?」「あのアマに報復せねば気がすまん! 執念深さで生きてるからな僕は」「魚の交渉は!?」「任せる。なあに、さっきの僕を交渉の手本にすればいい」「『無慈悲に強気で』がコツだ」と言い残しつつ、タベルナは走り去った。「いたな、待てゴラアッ!」「ひいっ!? シツコイなもう!」「恐喝の手本だよ、あれは」遠のく少年少女の喧騒を耳にしながら、苦い表情でハヤトはこぼした。「タベルナも悪い奴じゃない……と思う……思いたいけどなあ」「ありがとうございました~。今後もぜひ当店をごひいきに」交渉は終わった。キレイな女性店員の手引きもあって、素人のハヤトもなんとかかんとか できた。「どうだった?」意気揚々と裏口から出たハヤトを、タベルナが出迎えた。いつの間に戻ったのだろう。「なんとかなったよ……1人で心細かったけど」「う、ごめんなさい反省します」「そっちは?」「屋根へ飛び乗られちゃあ、さすがに打つ手なし」「はは、冗談だよな」2人は雑談を交わしながら帰路につく。早くしないと、おみやげ用の魚が悪くなってしまう。「あ、タベルナに伝えることがあったんだ」「?」「朝方ガゼルに言われたんだ。街外れの荒野へ、俺が召喚された場所を探しに行こうって」「元の世界に還る手がかりが見つかるかも、か?」「うん。それで明日、みんなで出かけるんだけど」「おお!」「留守を任せていいかな?」「………………おお」露骨にガッカリ声を出すタベルナ。こうして留守番をするハメになったタベルナは、幸運にもトラブルを回避するであった。第5話『その銘を知る者』 ―完―なんて、旨い話があるはずもない。~~~~~~~~~~正直すまんかった