レルムの村での惨劇から一転、今の俺たちは表面上とても平和な日々を送っている。
マグナの気持ちも安定したようで、ネスティがホッと胸をなでおろしていたのはもう10日も前のことだ。
成り行きで共に旅をすることになった少女とは、まだ一度も直接話したことが無い。
一番の理由は、俺がそんな気分になれなかったことだった。
「フォルテ、どこへ、行くんだ?」
毎日毎日飽きもせず街へ繰り出しているフォルテは、今日もまた朝から出かけていくところだった。
昨日まではあまり気にも留めていなかったのだが、なんとなく気になって聞いてみる。
「ちょっと見回りにな」
「金袋、持って?」
なんだよ。睨むんじゃねえよ。
ソボクな疑問ってヤツじゃねえか。
「お前、結構目ざといのな。見回りがてらちょっとした買い物でもしようかと思ってよ」
買い物か。
考えてみると、俺はこの世界に来て以来、一度として個人的な買い物をしたことがない。
ほんの少しだけフォルテが羨ましいような気がしたが、それはあえて気にしないことにした。
それ以上に重要なことがあるからだ。
「なら、俺も、連れて行って、欲しい。この邸、あまり、居たくない」
俺にはどうしても、世話になっているこの邸に馴染めない理由があるのだ。
「あーら、なんなら君だけ出て行ってもいいのよー? 寝袋くらいなら貸してあげるわ」
そう、この女のせいで。
「おっといけね。おれ急ぐんだよ。じゃあな、タクマ!」
待てコラ、自分だけ逃げるつもりかよ!
「今度はどんな悪巧みをするつもりだったのかしら? 言っておくけどマグナやネスティには近づけさせないわよ」
予想通り、彼女の俺に対する態度は、初対面から一貫して変わることがない。
いつもなら夕方まで部屋で惰眠を貪っている俺が、今日になってようやく朝から起き出してきている原因が、これだ。
「うるさい、メガネ女。ヒマなら、ネスティに、伝言、伝えろ」
余計なことは言わず、聞かず、俺に関わらないでくれ!
この女の名はミモザと言って、ネスティたちの先輩にあたるのだと聞かされたのは、レルムの村から命からがら逃げ出してきた時のことだった。
今の俺たちはミモザの同僚だというギブソンの邸に世話になっている。
ネスティはこのギブソンという男を心の底から尊敬しているらしく、そのときの、
「困っているならうちの邸に来るといい」
という言葉に二つ返事で頷いていた。
そこまでなら俺にとっても文句なんてあるはずがないのだが、予定外の出来事が起こったのはその後だ。
居たんだよ。そのギブソンの邸に。
かつて俺の人としての尊厳を、あわや地の底に沈めるかとも思われた大事件を起こしてくれやがった女が。
俺は反対した。
断固として反対した。
皆が邸で世話になるのなら、俺一人だけ放り出されたとしてもここには住まないと、小さな子供のようにゴネてやった。
だが、その時ネスティが言ったのだ。
せめてマグナの気持ちが落ち着くまでは、共に過ごしてやるように、と。
その言葉は、何故か俺の心に重く圧し掛かってきた。
それはあるいは、いつになく落ち込んだ様子のマグナに対する同情のようなものでもあったかもしれないし、どんな形であれ、異世界のこの地でも俺を必要としてくれる人が居るのかもしれないという、ちっぽけな自尊心であったのかもしれない。
なんにせよ、俺はネスティの願いを無碍に断ることなどできはしない。
だからこうして俺は、致命的に相性の悪いこの女とも、ひとつ屋根の下で暮らさざるを得ない状況に陥っている。
ギブソンは悪いヤツではない。
だが決して、俺にとって良いヤツでもない。
ミモザからも俺の話は聞いているようだが、フォルテやネスティのフォローのおかげで、決定的な誤解は受けていないらしい。
しかしながら、ミモザの勘違いを正すとか、俺のためにフォローをしてくれるとか、そういう気持ちを全く持ってはいない男なのだ。
彼からのフォローを期待するためには、既に常連客になっているとかいうケーキ屋で賄賂を買い込まなくてはならない。
俺の今日の用事というのは、これだ。
今までは小遣いがないからケーキなんて買えるはずがない、と諦めていたのだが、昨夜になって、俺でもケーキを入手できる方法を知った。
何でも、そのケーキ屋は今、深刻な人手不足に悩んでいるらしく、文字通り猫の手も借りたい、という惨状なのだという。
つまり、アルバイトとして1日働き、バイト代の代わりにケーキを根こそぎ頂いてこようと思っているわけだ。
これでギブソンは俺の味方。
ドサクサ紛れにフォルテにタカってやろうと思っていたのも邪魔されてしまったし、これはもうなんとしても丸1日働きまくってやろうと思う。
見てろ、メガネ女。今に目にもの見せてくれる。
「俺、今日、1日、出てくる。夜には、帰る。ネスティと、ギブソンに、伝えろ」
「……私に命令するつもりなのかしら?」
「命令、違う。オネガイ、だ」
それまでの眠そうな表情から、突き刺すような鋭い目つきに変わるミモザ。
今更どう思われたって構うもんか。俺はいつまでもお前と語り合っている時間はねえんだよ。
ミモザの返事を待つことなく玄関口を後にする。
後ろからなにやら不穏な爆音が聞こえてきたことは、意図的に忘れてやった。
「で、これが私へのお土産かい?」
丸1日働く予定だったのが、今日はあまり注文が多くないとの事で、半日しか働かせてもらえなかった俺は、結局たった1つのケーキを片手に、ギブソンの部屋へと押しかけていた。
「ギブソン、には、感謝して、いる。ささやかな、礼、だ」
「そんなことを気にしなくても良かったのに。でも、ありがたく頂かせてもらうよ!」
口では遠慮するようなことを言っているが、彼はとっくにケーキに食らいついていて、もうそろそろ食べ終わろうかという具合だ。
よくもまあ、あんなに豪快に食うもんだと思う。
俺はムリだ。あんまり甘いものは好きではないし。
しばらくご機嫌にケーキを貪っていたギブソンは、やがて食べ終わるのと同時に口を開いた。
「それで? 本当は何かお願い事でもあるんじゃないのかな?」
さすがによく分かっている。
もちろん、このケーキは頼みごとの前フリでもある。
「ミモザの、ことだ」
いい加減になんとかならないものだろうか。
事あるごとに俺への言いがかりをつけ、レルムの聖女やケイナにあることないこと吹き込んでいるというのはバルレルから聞かされて知っている。
おかげで聖女とは気まずすぎて話すらしたことがない。
俺は今の思いを切実に訴えた。
そして、いつの間にか男の幼児にしか性的興味がないとまで言われてしまった俺の名誉を回復するため、とにかく口利きをしてもらいたいのだ。
ギブソンは始終、ニヤニヤしたまま俺の話を聞いていた。
最終的に、ケーキをあと3つ差し入れることを条件にはされたものの、ミモザの吹聴に関してだけは注意しておくという確約ももらった。
ついでにと言ってはなんだが、聖女と会話をする機会も設けてくれるとのことだったので、ありがたく言葉に甘えることにする。
今日の夕食は、皆と一緒にダイニングでとることに決め、俺はひと時の休息を得るため、与えられた自室へ向かった。
その日の夕食は、久しぶりに人との会話を楽しんだ。
マグナは純粋に俺がいることを喜んでくれたし、ネスティもホッとした顔をしている。
自分のことで頭がいっぱいだったから気づかなかったが、周りに随分と心配をかけていたらしい。
「あたし、ずっと心配だったんです。皆さんは関係ないはずなのに、あたしのせいで迷惑かけちゃって」
レルムの聖女がアメルという名だということを初めて知った俺だったが、今日のところはかなり和やかに会話をすることができている。
ギブソンがミモザを連れて外食に行ってくれているのが一番の理由なのだろう。
そんな俺の安心感を知ってか知らずか、アメルはポツリポツリと本音を漏らし始めていた。
考えてみれば、不幸な子供だと思う。
妙な能力に目覚めたばかりに、唯一の肉親だという爺さんとも引き離された生活を送ることになり、挙句、村を滅ぼされて仲の良い少年たちとも離れ離れになってしまった。
心を許せる人間なんてこの街にはまだ少ないのだろうし、気が張り詰めるのも分かる気がする。
少しだけ、ほんの少しだけだが、彼女の境遇が俺と似ているような気がした。
帰るべき場所へは戻れず、肉親からも引き離され、誰一人知り合いもいないまま見知らぬ街へ来ることになったアメル。
それは、召喚されてきたばかりの頃の俺と、さほど変わらない心細さなのではないだろうか。
きっと今、本当に必要だったのは、彼女の弱音をひたすら聞き入れて、受け止めてやる人間なのだろう。
そしてそれは、決して俺の役目などではないはずだ。
俺個人としては、相談相手にはネスティあたりをオススメしたい。
言葉が一々辛らつだが、彼は他人のために真剣に悩んでやれる性格だ。
実際、俺がこの世界に来たときにも、誰より親身になってくれたのは幼いネスティだった。
物は試し、という心境で、ネスティに相談してみてはどうか、と尋ねてみた。
しかし、彼女の返答は頑なだった。
「ただでさえ迷惑をかけているのに、これ以上負担を増やさせるわけにはいかないですよ。あたしは大丈夫なので、そんなに気にしないでください!」
アメルはとても明るい表情で笑う。まるで本当に何一つ悩みなんて無いかのようだ。
俺はあえて、その笑顔に騙されてやることにした。
深入りしていいことではないような気がしたから。
気にはなった。
明らかにムリをしている少女の健気さは、人の同情心を集めるには十分すぎる悲痛さが漂っていたからだ。
だが、それでも、俺は彼女にこれ以上何かを言うことはできなかった。
だから翌日、彼女の幼馴染が満身創痍ながらもこの邸にやってきたとき、俺は心底ホッとしたんだ。
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8話投稿です。
7話でもコメントくださった皆様、ありがとうございました!
サモナイト石に青はない! と愛あるツッコミ頂きました。
申し訳ありません。その通りです。
ですが、やっぱり赤、黒、緑、と分かりやすい色がそろっている中で紫と表記するより青の方がいいかな、という小さなこだわりがありまして、このまま青表記で通したいと思います。
今後もこのような気になる部分がありましたら、どんどん教えていただけると嬉しいです。ありがとうございました!
エルゴの王に関しては、ちょっとだけ話に上ることはあるかもしれないです。
恋愛フラグですが、当分は保留で行きたいと思います。
アドバイスを元に公式カップルについて考えてみたのですが、そこに自分論を追加して、ケイナ(フォルテがいる)、ミモザ(きっとギブソンがいる)、アメル(マグナの嫁)、パッフェルさん(ヘイゼルはレックスの嫁)、あたりはナシで行きます。
でもそうすると女キャラってあんまりいない気が……。
横恋慕とかアリかも、と思い始めました。
全体としてのプロットは考えたものの、細部が確定していないのがモロバレです。すみません。
ここまで読んでくださった方、ありがとうございました!
また次回も頑張ります!