ジルベール・ジルベルトは一流に足を掛けているシュミクラムユーザーだが、高レベルになんでもこなせる点が周囲から評価されてきたし、自身も自覚していた。自分の部隊内でも実力的には上から5番目くらいだろう。ただし、上二人は同世代という視点で考えれば世界トップクラスなのを置いておくんとして。しかし、総合評価という点から言えば、20代の人間としては彼以上の能力と経歴を持った人間は居ないだろうと言われている。知識と技能に偏りが無いので、全うな部隊運用から、ゲリラ戦、ハッキング、リアルでの暗殺、要人の護衛など本当になんでもできるが故に手段を選ぶことができる。訓練所を卒業し、世界を駆け巡った男は、自分の才能を遺憾無く発揮できる立ち位置を得た。「お膳立ては終わった。俺のモラトリアムを奪ってくれた諸悪の根源にカチコミに行くぞ」すなわち、金と政治力を使った包囲殲滅である。少しだけ過去を振り返ろう。退場した『門倉甲』にとって灰色のクリスマスとは全てを失った事件だった。多くの人間にとっても日常の崩壊を意味した。もちろんこの混乱を機にのし上がった人間が一握りいるだろう。だが二人の人間だけが、それを新生、あるいは再生の日だと位置づけた。一人は久利原直樹の中にいる存在であり、もう一人はジルベール・ジルベルトである。ジルベール・ジルベルトは、久利原直樹を憎む気持ちは全くなかった。精神が耐えられずに運命の奴隷に陥った程度に思っている。それでも「彼」は好い人間だった。あの時無理にでも止めることはできただろうか。あるいは運命に挑んで負けたのは久利原直樹ではなく、ジルベルトの方だったかもしれない。彼は人間の善性も悪性も信じていたが、奇跡を信じるよりは自分を信じる性だった。ジルベルトは知らない。結果的に「彼」は勝てない。救ったのは自分が良く知る「あの男」であることを知らない。物語を現代に戻そう。ドミニオンとの戦争は圧倒的優位に進んでいる。傭兵と軍が連携し、アークがバックアップするこの状況で、彼らができるのは信念に基づいて殉教することだけである。彼らは社会的に見て悪であるが、悪と悪がお互いに正義を掲げて争うことは有史以来何度も起きた。歴史書に乗っているのはごくわずかである。多分歴史書にはサイバーグノーシスを掲げていたテロ組織ドミニオンはこの日を大打撃を受け、後日壊滅したとでも記されるのであろう。無論政府側が勝利すればの話だが。ドミニオンは自分を捨てて戦える狂信者の集団だが、強者は居ない。門倉父と桐嶋父がかつて戦ったとされる神父はその特性上面倒そうだが、門倉、水無月両名プラス自分で何とでもなる。だが、目の前の機体を見てジルベルトは考えを変えた。雪あるいは天使を連想させる白いシュミクラム。ジルベルトはその可能性を無意識に排除していたが、考えれば彼女もまた関係者だ。「噂のドミニオンの巫女か。さてどうしたものか」『ジルベルト、あれはエースを当てないと無理よ。私か甲を残して先に行きなさい』うちの二大看板は、俺では勝てない。勝てるとしても時間が掛かると踏んだ。「そうしたいところだが・・・少尉、どれくらいなら通信遮断をできる」『それは味方も含めてですか』「そうだ」『120秒が限度です』「分かったでは頼む。聞こえるな水無月真。お前の実体は取り返した。今なら捕えられていたということで司法取引が認められる」『あんた何言ってるの。まこちゃんがあのドミニオンの巫女って』空が混乱するのも無理はない。電子体も実体も不明で、この作戦前に見つかったと目の前の人間から聞かされていたからだ。『あなたは誰です。いえこの世界は今までのどの世界とも違う』その言葉の意味を理解できるのはジルベルトと門倉甲、そしてノインツェーンの眷属である神父=久利原直樹だけだ。「さて俺が知っているのは多分枠外が理由であるがゆえに正直どうでもいいのだろう。俺も目的は何処までも八つ当たりでしかない。余談だが、君がどれくらい経験を積んでいるか知らないが、多分俺は一番君を知っている」あるいは『門倉甲』の方が上かもしれないが、癖を知っているわけではないだろう。何より。「あのシュミクラム、ネージュエールは変則的遠距離型だが、本質的には変化がない」ビット攻撃と多彩だが、待つより攻めるスタイル。『彼女』はおとなしそうに見えてその本質は攻撃的だ。機動力で向こうに勝てるはずがないが、対処法が無いわけではない。一番相性のいいのは同じロングレンジからビットより攻撃速度の速い空だが。所謂初見殺しが多いのだ。「どうする、俺なら勝率8割、お前なら確率半々だが」確かにジルベルトは水無月真に勝てないだろう。二度も戦えば確実に負ける。だが初見殺しはこっちも同じだ。『いいわ、あたしが残る。久利原先生の所にはあなたと甲が行きなさい。レイン、サポートをお願い』『はい、わかりました。大尉、中尉ご武運を』「では行くとしようか、行くぞ中尉」こうなることは想定していなかったが、むしろ都合がいい。ここから先は野郎オンリーで女子供は立ち入り禁止だ。『全てが想定外の世界か。真ちゃんの言葉は正しいが間違いだ。未来なんてみんな想定できているように見えて簡単に想定を超えていく』「そうかもしれないな。俺もお前も存在として超越しているかもしれないが肉の体に脳みそと心臓が詰まった、腹が減れば眠たくもなる、満たされれば盛る人間であることに変わりない。それこそ伝説に聞くネットワイヤードゴーストやら機械の体であるノインツェーンなら別だろうがな」翼の無い人間が機械を使って現実や仮想で飛ぶことはできても鳥のように思考しないように、人間の限界の本質はほぼ仮想に置くことで生理的に人間を止めている橘聖良でも変わらない。さて肉の体と己とは異なる思考を宿した久利原直樹は前者(ひと)か後者(ばけもの)か。久利原直樹は一人佇んでいた。「待っていた。おそらく最期の瞬間に立ち会うのは君か甲くんだろうと思っていた」「外見と中身が異なる人間のパーティに一般人に招くわけにはいかないだろう。今のあなたは久利原と呼ぶべきか、グレゴリーと呼ぶべきか」「今は久利原直樹だと言いたいところだが、君たちはアセンブラを止めに来たのだろう」「いや正直にいうとアセンブラの増殖式と制御式は此方で確保しているので、それはおまけだ。門倉はまた違うだろうが、俺はあの日の問いに答えてもらいたいだけだ。同志を犠牲にした結果は、何かプラスになったか」欲望は肯定されるべきだ。欲望と欲望がぶつかり合い闘争が起きるのは仕方がない。だが、それによって目標を誰も達成できないのであれば意味がない。久利原は答えない。当然だろう、自分が望んで破壊したならしもかく意志と体が乗っ取られて暴走したでは誰も救えない。「俺があの日失ったものは仲が冷めた両親と学校生活ぐらいだ。だからそれに関して俺がどうこういうつもりは毛頭ない。正直にいうとあの混乱の中で、金銭的に儲けた一握りだったからな。まあその儲けた金や傭兵としてちまちま稼いだ金も今回の作戦で全部掃いた。生きるために、維持するために金は必要だが、金の為にあくせくするのは大変気分が悪かったわけだが、それを捨ててみたらとても軽い。しがらみの多さから浄化して逃げたドミニオン諸君もそんな感じだったかもしれないな。まあいい。俺の中では聞きたいことは済んだ。後は門倉甲に任せよう」久利原直樹のピークがいつ頃かは知らないが、百戦錬磨の『門倉甲』と融合し、肉体的にもあと数年でピークに達する門倉甲に仮想で勝てるはずがない。自分なら真っ当に戦わない。仮想でダメなら現実で対処すればいいがまあいいだろう。俺がやりたいのはその後だ。何よりこの戦いが終われば俺は引退する。門倉は結局は困っている人間を見捨てられない男はどこかで戦うのだろう。さてどれくらいの時間が流れただろう。10分か15分か。久利原直樹は速度重視の攻撃型。対して門倉甲はオールラウンダーだ。正直遠距離攻撃こそ好みではないが、高機動で補える。もっとも高機動かつ空中戦も得意な水無月姉には劣るだろうが。アセンブラ発動までの時間勝負ならともかく、万全ではない久利原直樹など恐れるものではない。やがて彼の機体は動かなくなり。彼の電子体は放り出された。「遺言は聞かない。ただ覚えておこう、贖罪かもしれないが、優秀な生徒を育てた先生がいたことを」「生徒でなかった君がそう言ってくれるのであれば私の人生もそう悪くない。ああ遺言ではないが、亜季君とモホーク、真くんにはすまなかったと」久利原直樹の電子体が爆ぜる。そして俺が待ち望んでいた相手が来た。「バルドルの中で静かに寝ていれば良かったものを」俺に平穏は無かったが、取るに足らない日常はあった。久利原直樹の中にいたグレゴリー神父はそれを破壊した。ならば俺とて彼の信仰を破壊しても良いだろう。「政府はバルドルの破棄を決定した。どんなに中に眠っているお宝(じょうほう)が貴重でも、開けられない扉と関わる度に失われる人材に諦めたらしい」この作戦と同時進行でバルドルは停止作業に入る。トランキライザーも停止する。まあ嫌がらせとしては上々だろう。「お前たちはアセンブラを使うことでこっちの行動をコントロールできると思ったのだろうが、前提が違う、眠り姫は妖精の魔法で死なないようになっているが、最悪の眠り姫の生殺与奪はこっちが握っている。いかに凶悪であろうとも弱者であるテロリストができるのは所詮一局集中だ。その一極集中は想像できないから怖いのであって、予想できるのであれば怖くない。おっとしゃべり過ぎたか」「そんなの聞いていないぞ」「こっちにいる人間で知っているのは、お前の親父さんとレインの親父さんだけだよ。この大規模作戦こそが最大の陽動作戦だったわけだ。世界の破滅の危機に対してバルドルなんて些末な問題と誰もが考える。しかし、アセンブラをどうにかするのは対処療法であって、根本的な原因を切除しなければ意味がないだろう?」ジルベール・ジルベルトはどうあるべきは知らないが、伝えに聞く限りではサディストの嫌なやつである。翻ってあの男はどうか。勝ち負けに興味はないが思考の誘導が好きだったと思える。さて自分はというと、勝つことが好きだが、ルールを付けたがった。それ以外では寛容であってもいいだろう。贅沢は大して好きではない。女を侍らす趣味もない。まあそれは物好きな桐嶋レインの目をだましつつ適当に遊んでいたが。「仮想の世界で事足りると思っている存在は、現実に足を掬われる。お前の負けだよグレゴリー神父」人の力とは何かと問われれば、数である。烏合の衆と言われることはあっても、少数が多数に対して対処するのは難しい。それを覆すには超人的な力がなければならないが、ノインツェーンはともかく、グレゴリー神父は神出鬼没が取柄の宗教的指導者でしかない。そしてその程度であるなら俺でも事足りる。過去に神父と戦った門倉父から聞いている、門倉甲からも傾向を聞いた。そして理解したがおそらくだが、戦い方は進歩していない。「つまらん」想定から一歩も踏み出さない、ああお前は強いのだろう。だが、結局は強いだけだ。その妄執に新しい色は加わらない。初志は貫徹するだろう。変化がないから。だから俺は普通に勝てる。「俺は久利原直樹から一つだけ学んだことがある」身に付けた技術と感覚で相手の装甲を切り裂く。「俺は門倉甲から未来を聞かないまでも、久利原の弟子たちから何度も聞いていた」三段蹴りからの裏打ちを叩きこむ。「備えよ常に、俺は天才ではないからな。状況を予測して、予測に近づけるために考えていた」人間だろうがAIだろうが動きに対して反応はする。だから相手がいるなら試行を繰り返せばいつか当たる。「さらだば神父。俺だけは感謝しよう。面白い思考の日々をありがとう」電子体に戻った神父に対して、俺もまた電子体に戻り手にした銃の銃口を向ける。この時のために用意した解放の銘を持つ銃。実用性は皆無だが、電子アイテムなら別に問題ない。「あなたの僕をあなたの元へ送りましょう。キリエ・エレイソン」リベレーターを片手に捨てた信仰相手に対する祈りを口ずさむ俺はかなり皮肉が効いているだろう。「終わったな」門倉甲は感慨深く呟く。ところで、彼の本体は今何をしているのか気になるところである。「終わった。さしずめ物語が終わり、現実が始まるというところだろう。お前は大変だな。空を嫁に迎えると思うが、あいつの料理音痴は多分バグだ。お前の母親は料理がうまかったなら、水無月真は母親似だ。かわいそうに」「そういうお前はレインをどうするんだ」「さてどうしたものか、捨て犬を連れて帰る責任というものを今一番実感している」「ああ責任は重要だ。しかし、お前はひねくれ者だからそれはできない」「なるほど、門倉甲は苦労人のようだ。ベースはお前だが、よくも悪くも影響が出ている。まあ、空との新婚生活の上では、疑われないように。まあ真の方にはあらかじめ伝えておいた方がいい。彼女は鋭いからな」現実の地獄を破壊した男が人生の墓場に足を突っ込むのは勝手だが、どうやら花嫁の方も終わったようだ。『桐島長官、アセンブラは何も起きないようですね。後処理は任せますので離脱していいですか。』『ああ、ここからは面倒だが大人の時間だ。若いのはつかみ取った勝利を謳えばいい。後処理の件でまた会うこともあるだろうがそれまでは自由にしてほしい』『ではお言葉に甘えて。ところで長官、あなたの宝物の扱いですが』『宝箱に入れておく類ではないが、扱いは考えたい。何ならもう少し君に預けておこうか』娘は大事だが、やはりこの人も政治家か。『それには及びません。私もこのところ仕事が続いたので、家に戻って部屋を整理しないとなりませんから』『そのことについても折を見て話そうではないか』面倒なことだ。まあ金の流れを追えば概ねわかるか。『そうですね。まあ突然捨ててしまうのも問題なので使い道は考えましょう』通信を切った俺を見た甲は呆れたような、尊敬したようなまなざしで俺を見る。「知っているつもりだったが、やっぱり俺だったらこんなにうまくいかないな」「適材適所といえばそれまでだ。俺はお前や空というカードを十全仕えた。そして目的を達した。懸案だった水無月真は奪還したのだしそれでいいんだよ」多分俺は非常にすっきりした顔をしていただろう。「当初の予定通り今回の作戦をもって部隊を解散する。特にお前にはいろいろな面で世話になった。退職金には色を付けておくから新婚生活の足しにしてくれ」「再就職の斡旋はないよな」「親父さんの会社に入るか、叔母さんの会社に入るかのどっちかだろ。軍なら紹介できるぞ。幸いツテはあるからな。ただお前の技能ならアグレッサー部隊も務められるが、空は無理だぞ。一緒に働くつもりなら親戚頼っておけ」「それでお前はどうするんだ」「とりあえずは放浪だな。まあ本当に連絡が必要ならドクターノイにつなげてくれれば対応しよう。空や桐島からのは拒否するからな」しばらく余計なことはゴメンだとジルベルトは両手を掲げる。こうして灰色のクリスマスから駆け抜けていた灼熱の数年間は終わりを迎えた。タイトルはクロノクロスあれバルドシリーズのヒロインENDの最終タイトルは人名というルールに基づき、当然最終話のタイトルはあれとなります。