第43話 たった一つの想い─────第一節 貫く難しさの中で────炎が走る。雨降る灰色の世界は、アーチャーの詠唱によって塗り替えられていく。陽炎に揺れていく世界。その中で、しかし士郎は決してアーチャーから目を逸らさない。境界線の如く走った炎は視界を奪い、目に映すのは赤い荒野。どこまでも続く地平線の先には巨大な歯車が廻り、そのどこまでもに無数の剣が突き刺さる。まるで製鉄場、或いは錬鉄場。ならばその中心に立つ赤い騎士は製鉄者、或いは錬鉄者と言ったところだろうか。燃え盛る炎は剣となる鉄を造りだし、廻る歯車が剣を造る動力となり、作り出された剣は担い手がいないまま廃棄処分場に放置されるが如く地面に突き刺さる。その剣、大地に連なる凶器群は全てが名剣。干将莫邪も、元はこの世界より編み出されたモノ。「これが俺の世界………英霊エミヤが持つ固有結界だ、衛宮士郎」アーチャーの言葉を聞いて、ゆっくりと瞼を閉じる。時折吹く風は熱く、ここがただ剣だけがあるべき世界だと伝えてくる。この世界に一体何を祈り、何を求めたのか。その光景はかつて士郎が見た光景と何一つ変わらず、その果てに至った結果を見る。「正義の味方を目指し、何度も何度も絶望を見てきた。そこにいる人間の切望も、死に顔も、救われぬ者を殺す時の彼の者の顔もだ」どう足掻いても救えない者。救おうとしても零れ落ちてしまう者。その度に赤い騎士はただ現実に疑問を投げかける。答えを求めても答えは見つからず、同じ事を繰り返す。「………けど、それでも前に進んだんだろ、アーチャー」ゆっくりと瞼を開け、目の前にいるアーチャーへ問いかける。対するアーチャーは言葉こそ発しなかったが、それは肯定だった。突如変貌した世界に驚きを隠せない二人だったが、目の前にいる二人から感じる雰囲気で驚きは消え失せた。この世界が一体何なのかという疑問こそあったが、同時にこれが衛宮士郎の持つ世界だという事が理解できた。理解できたが故に、言葉は出なかった。「────ここまで来た以上、退くことはない」アーチャーの左腕があがる。赤い騎士の背後に刺さる無数の剣が次々と浮遊していく。その光景は次に何が起きるかを容易に想像させる。「お前はその結果に至った。けど、俺はその難しさの中でも────」ギン、と士郎の両手に干将莫邪が握られる。対する浮遊する剣群は、その切っ先を士郎へと向けた。「────俺は守り抜く。かけがえのない人達の為に、果たしたい約束の為に。………俺は走り続けるぞ、アーチャー!!」号令が下った。同時に士郎がアーチャーの元へ駆ける。放たれる無数の剣。強化した脚が赤い荒野を駆け抜ける。「………っ!衛宮!!」その光景を見て鐘が叫ぶ。けれどその背中は大丈夫だと、そう伝えてくる。ギギギギギン! という音と共に降り注ぐ剣を干将莫邪が弾き飛ばす。直撃する剣だけを的確に叩き飛ばし、確実に前へ進んでくる。それでも防ぎきれずに脚や腕に剣が掠る。その度に血が吹き出し、血流していく。だがそれでも倒れない。真っ直ぐ、士郎はアーチャーだけを見て前へと進んでくる。敵う筈がない。相手はすでに死に体。攻撃を受け止める度に体勢が少しずつ崩れ、一撃を放つ度に息があがり、倒れそうになる。「────────」それを見て、アーチャーは確信する。敵に力など残っていない。目の前の男は見た通りの死に体であり、保って数秒だろう。士郎自身ももはや意識などない。筋肉は酸素を求めて悲鳴をあげ、足りな過ぎる血液は運動停止を命じ続けてくる。その悉くを力づくで押し殺せば、次は剣が体を侵食してくる。その度にまたも体が悲鳴を上げ、停止命令を出してくるがそれをも押し殺した。止まるわけにはいかない。正義の味方を目指していれば、士郎は目の前の男と同じ末路を辿るかもしれない。それでも。そう生きられたのなら、どんなにいいだろうと憧れた。「こいつ────」赤い騎士は目の前の光景に疑問を抱くしかなかった。かなりの数が降り注いだ。あの死に体には十分すぎるほどの剣の量だ。だがあの男はかすり傷こそ受けど、致命傷となる攻撃は一撃も受けていない。それを受ける前に全てを弾き飛ばしている。その異常。死に体でありながら、なぜそこまで力が出せるのか。動くたびに体の剣が少しずつ広がっているのがアーチャーからでもわかる。それは目の前の男が誰よりも何よりも判っている筈だろう。それはそれだけ死に近づいているということだ。死にかければ死にかけるほどに死を加速させるように彼の固有結界は暴走する。故にその痛みは激痛なんてものではすまない。それこそ脳に異常をきたし、記憶の一部が崩れ落ちていくだろう。見れば剣を握る両手は、とうに柄と一体化している。剣を固定する為だろうが、アレでは直接体に衝撃が響く。血にまみれ、大きな一撃を受けるだけで貫かれて倒れ込み、死体となる。そんな少年にとって、振るう一撃は地獄の苦しみと同意の筈だ。それを苛立たしくすら受け止める。死に損ないの敵も癇に障るが、その敵を圧倒的有利状況でありながら倒せない自分にも苛立った。「────チ」数が少なくなった拳銃に剣を詰める。気がつけばあれだけ浮いていた剣群が残り十を割っていた。目の前には降り注いだ剣が突き刺さり、直撃する筈の剣だけは破片となって潰されている。「…………………!」聞き取れない声。瀕死のソレは、一心に前へと進んでくる。助けられなかった人たちと、助けられなかった自分がいる。いわれもなく無意味に消えていく思い出達を見て、二度とこんな事は繰り返させないと誓った。「俺は────」動く度に、それに呼応するかのように体に見える銀色の物体が疼く。ギチリ、ギチリと音を立てて体を侵食してくる。今後自分がどうなってしまうのかもわからない。だが、それでも進み続けると決めた。それからどれほどの月日が流れたか。失くしていた物があって、落としていた物がある。拾いきれず、忘れてしまう物は出てくるだろう。けれど、それでも思い出した。取り戻した。拾い取った。その自分がいる。過去を思い出させてくれた人がいる。そこで誓った約束を取り戻した己がいる。落としかけたモノを拾い取らせた人がいる。そうして前に進む己がいる。だから。この誓いは二度と忘れないように、零れ落とさないようにと。前を向いて進む。叶わないと。衛宮になった頃、自分を救ってくれた人が寂しげに遺して逝った。その言葉に籠められた願いを信じて、前を向いて進む。「俺は、負けない!おまえが、正義の味方を目指したことを後悔してるっていうなら────」そうして、アーチャーは気づいた。この敵は止まらない、と。決して自分からは止まらない。敵はまっすぐ此方を見ているが、敵意を感じない。ただ、自分が守りたいものを守るという意思だけが、彼の歩を進ませる。それこそが、赤い騎士が憎んだ過ちだというのに。「っ………!そこまでだ、消えろ────!」降り注ぐ剣の雨をしのぎ切った姿を見て、忌々しげに舌打ちする。現れるのは、二メートルはあろうかという九本の剣。それらが寸分たがわず、士郎の上空より降り注いでくる。一本でも受けたら終了の大剣を、高速で殺到させる。今の衛宮士郎では弾くことはできない。否、例え一本を防いだとしても多角方向から迫りくる同様の攻撃八本を凌ぐことは不可能。“────投影、開始トレース・オン”迫りくる九つの剣。どれもが自身の身長よりも高い大剣。半端なモノでは迎撃もできない。頭痛は未だに続き、剣は確実に体を蝕んでいる。死に近づけば近づくほど、それを示すかのように体に見える剣が疼いてくる。けれど、思考は冴えていた。自身の戦力は把握して、何を成すべきかもはっきりとしている。創造理念、基本骨子、構成材質、製作技術、憑依経験、蓄積年月の再現による物質投影、魔術理論・世界卵による心象世界の具現、魂に刻まれた『世界図』をめくり返す固有結界。弓兵が蓄えてきた知識と経験。そこまで得ながら、決して自分は弓兵にはならないと。確固とした自分を持ち、それでいながら彼を受け入れて自分として前へ進む。ただ真っ直ぐに。目の前にいるアーチャーだけを見て。投影するのはこの大剣群に対抗できる剣。右手を広げ、まだ現れぬ架空の柄を握りしめる。これは弓兵の中のモノではない。自分が、衛宮士郎が、経験しそこより引き出すモノ。そこに込められたあの者の意志までもを確実に再現する。足りない知識は補おう。足りない魔力は追加しよう。足りない力は強化しよう。桁外れの巨重。扱えきれないのであれば────扱えるまでに自分を強化しよう。そうして彼の意識によって現れたのは一度見た者ならば、決して忘れる事など無い武器。「あれは………!」その光景を鐘は見る。掲げられた右手に握られているのは、衛宮士郎の体には不釣り合いなほどに巨大な斧。かつてイリヤが従えていた巨人が持っていた、圧倒的な剣。己の主を頼むと言って、散っていった戦士の剣。守る為には生きなければならない。果たすためには戦わなければならない。「────────」士郎は何も言わずに、ただ降り注ぐ大剣だけを睨めつけた。幼き頃の自身に誓ったモノ。自分の父親と誓った約束。帰り道で襲われた同級生を守ると約束したこと。灰色の少女との思い出を思い出して、かつての少女と約束したこと。主を頼むと言って消えた巨人との約束。その主である幼い少女の願い。ここに来るまでに様々なことがあった。死にかけた事は一度では済まなかったし、怪我なんてもっといっぱいあった。ここまで来る間の出来事は、決して楽しいことばかりではなかった。失ったモノ、忘れてしまったモノ、それはこれからも出てくるかもしれない。けれどその時になって、後悔だけはしないように今まで走り続けてきた。そして、今もまだ走れる。途中止まりかけた足を、進めてくれた人が後ろにいる。失くしかけた夢を思い出させてくれた人が後ろにいる。まだ走ることができる。確かにアーチャーの言う部分もあるだろう。けれど、こんな世界だけれど、守りたい人がいる。それは目の前にいる弓兵だって同じだった筈だ。だから、何もそんな悲劇的な結末じゃなくてもいいはずだ。その彼が、もう変わることができない場所にいると言うなら。彼が後悔してしまった夢を実現させるために走り続けたっていいはずだ。そのために。「────おまえだって救ってやる!おまえが……、俺が!進んだ道は決して、間違いなんかじゃないんだから…………!!!」その瞬間。衛宮士郎という存在は、英霊エミヤの背中を突破した。“────投影、装填トリガー・オフ”体内に眠る二十七の魔術回路をその全てを総動員させる。一つでも打ち損じればもはや生きられない。けれど、もはやその不安は皆無だった。なぜなら。「全工程投影完了セット────────是、射殺す百頭ナインライブズブレイドワークス………!」例え叶わぬ夢であったとしても、そこへ走り続けることは決して間違いではなかったと。後ろにいる灰色の少女が、らしくない声援で後押ししてくれたのだから。─────第二節 決着─────そうして決着はついた。迫りくる九の大剣を打ち払った士郎は、即座にアーチャーの元へと駆け、その喉元にぴったりと得物を突き付けていた。互いに言葉は無く、それを見ていた二人にも言葉はなかった。赤い騎士は、今起きた光景にただ十重二十重の驚きを抱いていた。一つは突進してくる少年の、容易に捌ける筈の攻撃を捌けなかった驚き。もう一つはその敵が、攻撃が当たる直前で、その攻撃を停止させたこと。そして、彼の言葉が胸に突き刺さった事だった。「…………」固有結界が消え、元の灰色の世界へと戻る。雨はいつの間にか止んでおり、雲の隙間から日の光が見え隠れする。「………俺の勝ちだ、アーチャー」ぴったりと喉元に突き付けられた大剣。その気になればこの状況からでも反撃はできるだろう。だが、アーチャーの腕は上がらない。それが何よりの宣言だった。「─────お前の勝ちというならば、なぜ攻撃を止めた。………敵は斬り伏せるものだろう」彼が攻撃を直前で中止した理由。それは。「まだ聖杯戦争は終わっちゃいない。桜の事も間桐臓硯の事も。セイバー以外のサーヴァントだっている。……それに今の俺一人で何でもできるって傲慢になるつもりはない」一人で戦えって言われれば戦うけどな、と吐いた。一度瞼を閉じたアーチャーは、士郎を見据え────「─────つまり、協力しろと?」「ああ。けど、一番の理由はさっきも言っただろ。…………“おまえも救ってやる”……って─────さ………」投影した大剣も僅かに引いた途端、元からそうであると言うようにザラザラと散っていく。同時に緊張の糸は解け、自分の体の悲鳴を受け入れた。斬られたところは当然だが血が流れており、腕は小刻みに震えている。意識は朦朧として、立つためのバランス感覚がおかしくなっていることに気が付いた。まるで脳を直接揺すられているかのように視界が動き、視線がまとまらない。体に見える銀色の物体は体への侵食を止めていたが、傷があった部分は完全に剣になっており、最初に見た時よりもわずかにその範囲が広がっている。ふらりと視界がアーチャーから灰色の空へと移り変わった。立つ事すらできないで、背中から倒れるように傾いたのだ。思考もどんどん停止していく。ああ、このまま倒れるんだろうなあ なんて他人事のように考えたときだった。「衛宮」聞きなれた声が背後から聞こえて、支えられながらゆっくりと。自分よりも少し小さい少女に凭れかかった。「──────────ぁ」ぼやける視界の中に確かに士郎は見た。いつの日かと同じように覗き込む一人の少女の姿を。その姿を眼に焼き付けて、士郎は瞼を閉じた。「くく、はははは!私を救う? 貴様を否定しようとしたこの私を? そのために剣を止めたと?」意識を失った士郎にしゃべりかけるが、当然士郎からの返答はない。だが、その顔を見たアーチャーは笑いを止め、次はため息を吐いていた。「…………まったく、つくづく甘い。お前がかつての私とここまで違わなかったら、こうもならなかっただろうに」そう呟いたあと、アーチャーは一歩、退場するように踵を返した。「その理想。その甘さ。……一体どこまで通じることができるか、見物だな。だが私に勝ったのだ。─────そして、ほざいたのだ。ならば見せてみろ。その理想、その果てを」じゃり、と雨でぬかるんだ庭を歩いていく。その後ろ姿を。「な……なあ、えみや……?」何て呼べばいいのか判らない、といった面持ちで綾子が話しかけてきた。だがアーチャーは振り返ることなく、綾子に、そして鐘に伝えた。「……勝敗は決した。イリヤスフィールを連れて来よう。凛には渋っていたが、その男の治療なら進んでするだろう。君たちも風邪を拗らせる前に家の中に戻るのだな」ザッ、と足音を立てて塀の向こうへと消えていった。その後ろ姿を見えなくなるまで見届けて、ため息をついた。二人の間に言葉はない。思い返すことは山ほどある。言いたい事や聞きたい事も掘り下げれば出てくるだろう。ただ、今は。今この瞬間だけは。「………おつかれ、衛宮」鐘の膝上で眠る士郎に労いの言葉をかけるだけだった。衛宮士郎の理想の果て。究極の自己否定。未来の自分との対立。それらを受け入れ、打ち勝った士郎に、ただただ賞賛の言葉を贈るだけだった。─────第三節 動き出す者達─────「光……希望の光、ですか」闇夜の街に佇むのはライダー。「……なぜサクラがエミヤシロウに拘るのか、不思議でしたが。………今ならば何となくですが判ったような気がします、サクラ」ヒュ、と飛躍し、空を跳ぶ。ぽつりぽつりと人がまばらになる時間帯。「ならば……サクラ。私も、貴女が信じたエミヤシロウを信じてみます。……だから、その為にも」アサシンと間桐臓硯は倒す。桜の位置は令呪のラインから判別が可能。その桜を苦しめている張本人を見つけ次第抹殺する。だが、その過程で桜に危害が加えられるかもしれないと、そう思って今までは何もしなかった。ならば。「桜の居場所の確認と、彼の者の存在の抹消。………やるべきことはこれだけです」優先すべきは己が主の救出。その為ならば、私は街を駆け抜ける疾風となろう。◆「デハ、どウするノだ?」「放っておいても聖杯は完成する。こうしている間にも大聖杯から流れてくる魔力はアインツベルンの取り分よりも多いのだからな。 ……だが、聖杯完成の為にはアインツベルンの確保か、或いは桜自身がサーヴァントを呑むのが早い」暗闇。まるで光が存在しないかのような深い深い森の中。そこに間桐臓硯とアサシンがいた。「………ソノ為に、唆シタというコトカ」「然様。これで桜の希望となっている衛宮の子倅が殺すという手法を取ったのであれば何もいう事はあるまい。桜の希望は絶望へと変わり、今度こそ反転するであろう。 ……仮にそれでも変わらぬとなった場合は、もう少し桜には痛い思いをしてもらうほかあるまい」阿々と暗闇の中で嗤う。聖杯の入手。それだけが間桐臓硯とアサシンの目的である。黒い影が如何なるものかというものは二人とも重々承知している。故に例え如何なるサーヴァントが襲いかかってこようが、絡ませることさえできれば、聖杯そのものである桜に勝てる道理もないだろう。故に己が目的達成を揺るがすのは桜自身に変化を及ぼす可能性がある因子のみ。「…………ツマリ、その時コソ。ワタシの出番だと言うことダナ」「然り。注意しつつ、隠密に動けよ、アサシン」「………御意」スゥ、と姿が消える。とりあえずは様子見である。桜の容体、衛宮の監視。また言峰 綺礼がどう動いてくるかも注意を払っておいて損はないだろう。「………全てが順風満帆に進むのも面白くはあるまいて。行き過ぎれば不安すら感じてしまうからの。多少の困難は大望の成就には必要なものよ。後は、この盤上にいる駒共ををどう活かすかよ」蟲が哭く。キィキィと耳障りな音を奏で、闇の中に不協和音を響かせていた。◆「……なるほど。報告、ご苦労」「では………」すぅ、と姿を消したのは聖杯戦争の監視役のうちの一人の魔術師。ソファーに座ってその報告を聞いていた言峰 綺礼はゆっくりと息を吐いた。「凛は間桐臓硯に敗北したか………。いや、臓硯には恐らく勝ったのだろうな。でなければ間桐の家が崩壊するなどはありえん」となれば「やはり間桐桜が関連しているか。しかし臓硯を庇う様に現れたと言うのも………何らかの方法を使っている、と?」果たしてそれはありえるのか、と考えたがどうもその手法が思いつかない。偶然、と言い切ってしまえばそれで終わりだが、仮にある程度の操作が可能だとするならば厄介この上ないだろう。「…………だとしても、凛が動いた以上は衛宮士郎も動く。ならば私自らが間桐臓硯を討つ手間は不要か」黒い影は恐らく今晩も魔力を求めてやってくるだろう。より多くの魔力を求めて。対して、現在生き残っているサーヴァントの数は、ギルガメッシュを含めると六名。否、あの状態を生き残っているとするならばキャスターを含め七名。「………聖杯戦争開始よりすでに一週間をすぎている。にも関わらずこの人数。……より円滑な聖杯起動のためにも、そろそろ動かした方がいい頃合いか」この戦いの場に不要な役者を斬り捨てていく。その第一目標は。「いるか、ランサー?」「ンだよ。てめぇがこの教会に待機してろって言ったんだろうがよ。おかげで退屈で仕方がねぇよ」心底鬱陶しそうに綺礼の前に現れるのは紅い槍を持つ男、ランサー。その男を見て、しかし何一つ態度を崩さずに告げた。「それは悪かったな。その詫び……と言っては何だが朗報をくれてやろう」「悪いと思ってるなら微塵でもいいから態度に出せってんだ。……で、その朗報とやらは何だ」「なに、お前の退屈を排除してやろうと思ってな」その言葉を聞いたランサーがピクリ、と顔つきを変えた。「……つまりそれは」「………ターゲットはライダー。殺して構わん。全力で倒してこい」簡潔に告げた後、神父は礼拝堂へと消えていった。その後ろ姿を見えなくなるまで見ていた後に、ランサーは盛大にため息をついた。「ハ。あの金ピカ野郎を見張ってろって言ったと思えば次はライダーを討伐しろ、か。相変わらず何考えてんのか読めねぇ奴だが……」一息で跳びあがったランサーは、教会の屋根より眼下に広がる街を見下ろした。その顔は先ほど神父に見せた顔とは別の。戦いに赴く者の顔になっていた。「ようやく何の制約もないまま戦える。……なら、いいぜ。てめぇの命令、聞いてやろうじゃねぇか」馬鹿げた命令に従ったランサーに、ようやく訪れた“何の縛りもない戦い”。相手が三騎士ではない、という点では未だ不満は残るが、かといって油断するつもりは毛頭ない。全身全霊。その言葉通り、相手を捻じ伏せる。そこに何の思惑があろうと、それは二の次。今まで不本意な戦いばかりを強いられてきたランサーにとって、この戦いは待ち望んだものだった。◆「ア────ア、ア────ア────」黒い炎が辛うじて無事な部分を残したアインツベルン城に立ち込める。贅を尽くして造られた空間は、黄金の王によって無慈悲に、壊されている。そこに追撃をかけるかのように、意味も無く、目的も定まらない喘ぎによって崩壊していく。本来実像を持たない影は、影を落とす主人の苦悶にそって床という床、壁という壁を切り崩していく。旋律に乗って乱舞する闇陽炎。空間の中央に立ち、背を丸め、苦しげに喉を掻き毟る度に古城は崩壊していく。だが、それを見届ける者はいない。今や半壊した城。今更どのように破壊されようとも大差はない。「ぁ………ぅぁ………ぁ………ぁぁぁ、ぁ…………」体内に蝕む刻印虫が魔力を欲しがり、周囲の木々から根こそぎ魔力を奪う。奪われた草木は黒く変色し、その度に自分が影と一体化していく。実像を持たない力と一体化していく彼女にとって、この世界に肉を持って存在すること自体が拷問。体の痛み、破壊衝動のみに塗り替えられていく思考回路。息はすでにできない。影は本来異界のモノ。故にこの世界の大気は猛毒でもあった。だからこそ彼女は意味もなく破壊し続ける。自己を忘れ、正気を失い、目に付く全てに怒りをぶつけていく。苦しい、と。自らの不遇を、無関心な世界、無理解な世界に訴え続ける。否、一度だけ。たった一度だけ。彼女は訴えた、つい先ほど。助けて、と。だが、今ではその言葉すらもあやふやになってしまっている。誰もいない空間でたった一人この苦しみに耐え続けている。勿論周囲に誰かいたら、その瞬間見境なしに呑み込んでしまうだろう。「先………輩…………」塗りつぶされていく思考回路の中で、ただ漠然と。彼の顔だけが浮かんだ。◆「………魔力は大体4割、か。ふん、思いの外回復に時間がかかるな」寝室。教会のどこかに用意された、英雄王のみが使う部屋。そこにはとても教会の一室とは思えないような豪華絢爛なモノが部屋中に散らばっている。高級ワインは勿論、今まで現界していた中でそこそこ目についたものから、宝物庫の中より取りだしたモノなど。その寝室にいる黄金の王は自身の状態を確認している。今の今までこれほどまで魔力が枯渇してしまうということはなかっただけに、魔力の回復速度の遅さに舌打ちしていた。とはいえ、彼の元のクラスは「アーチャー」。単独行動なら今のアーチャーよりも更に得意な分野だ。これだけでも十二分に英霊の一体を潰せるという自信はある。が、それがあの黒い影ともなれば話は別。あの刹那の時間で根こそぎ奪い取っていった以上、油断するわけにはいかない。もとより、もう油断はないと言ったのだ。あの不届き者を完膚なきまでに殺し尽くす。その為には自分自身でも4割か、と目安をつける様な状態ではいけない。それはギルガメッシュ本人の許容量が尋常ではないが故のモノなのだが。前回の聖杯戦争に置いて、泥は彼の魂を汚染しきることは不可能だった。それだけの許容量。故に彼は英雄の王。また、それとは別に妨害もあるだろう。キャスター。魔術師如き取るに足らない存在だが、あの影と繋がっているとなれば話はそう簡単に行かない可能性がある。くっ、と笑い飛ばし赤い目が見えぬ敵を威嚇する。「せいぜい足掻けよ、紛い物。貴様を殺すのは、この我だ」英雄王。世界の王たる者が、ただの食欲の為だけに殺されかけたなど、全くもって笑止千万。そのような事は間違っても許す訳にはいかないのである。◆「ぅ────ぁ」微睡の中からゆっくりと意識が浮上してくる。体はやけに熱い。視界に飛び込んできたのは暗闇だった。夜になったのだろう。自分が布団の上で寝かされているのが判る。未だに頭痛が治っていない。そして起き上ろうにも体がそれを拒否するかのように力が入らない。当然か、と考えた。あれほどの戦闘をしてぴんしゃんしていられるほうがおかしいのだから。「衛宮……? 起きたのか?」耳元で声がして、首を僅かに傾けた先に鐘が布団の中に入っていた。もちろん同じ布団ではなく、別途の布団なのであしからず。が、それでも自分の寝ている隣に女の子が寝ているという状態はアレなのだ。通常ならば驚いて跳び退こうとするが、生憎とそこまでの思考回路が回復していない。ただ、そこに鐘がいる、という事実しか受け止められなかった。「ひ……む────」氷室、と口に出そうとして動かない事に気付いた。「ゆっくり休め、衛宮。傷の手当はイリヤ嬢がしてくれた。……が、それでも今日一日は絶対安静なんだ。眠ってくれていいぞ?」鐘の声が聞こえてくる。それがまるで催眠術かのように、またも意識が定まらなくなってきた。だから、意識が落ちる前に一言だけ。「………ありがとう」そう呟いて、眠りについた。◆「ありがとう」その言葉を言ったきり、彼はまた眠ってしまった。ここは彼がいつも寝ている寝室ではない。少し大きめの和室にセイバーさん、イリヤ嬢、衛宮、私、そして美綴嬢というかたちで布団を並べて眠っている。ちなみにセラさんとリズさんは隣の寝室。なぜこんな状態になったのか、というとイリヤ嬢が(起こさないように静かに)騒いだり、前々から同室で休むべきだと言っていたセイバーさんが決行したりといろいろあった。で、気がつけば布団の配置がこうなっていた、というわけである。何とも不可思議な話ではあるが、私は別にここに布団を敷きたいと主張したわけではない。というより、私と美綴嬢は夕食の準備(主に私が教えてもらいながら)取り掛かっている最中に決定していたので、意見を挟む余地はなかった。気がつけば布団は少し広い部屋へと移動しており、布団が5つ並べられてその中央に彼が眠っていたのだから、もはやどうしようもなかった。部屋を移動させようかとも一瞬考えたが、盛大にイリヤ嬢が布団にダイビング(ただし衛宮を起こさないように)しながら言った科白を聞いて、何かもうどうでもよくなってしまった。つまりは一人で眠るよりみんなで寝たほうが面白いでしょ? ということらしい。今から眠るのに面白いとは何だ、とも思ったが修学旅行などでクラスメイトと同室で眠るような感覚を思い出して、否定もできなかった。で、現在に至る。この布団の配置には何か意図的なモノを感じなくもなかったが、今は少しだけこれでよかったかな、と思っている自分がいた。……訂正。少しじゃなくてそれなりに、で。お礼の言葉を言われて、最初は聞き間違いかと思ったけれど。「………おやすみ、衛宮」気がつけば私は、彼の手を握って温かな中で眠りに落ちていた。―an Afterword―ここまでのご愛読ありがとうございました。43話を以って中盤戦終了をお知らせします。いよいよ次話より終盤戦。皆様のご指摘、意見、感想はしっかりと読ませていただいております。声援を糧にしてこれからも精進してまいりたいと思います。これからも「Fate/Unlimited World―Re」をよろしくお願いします。