「──おい! どこの誰だか知らないけど話を聞いてくれ!」
「──!? 何だ?」
その声を耳にしたロミウスは、鳩に豆鉄砲を喰らったかのような表情を浮かべた。
ここは如何なる罠が仕掛けれらているやも知れない敵陣。先行を許したが以上、そう決めてかかり、しかし、標的を仕留めんがために細心の注意を払って彼はこの林へと足を踏み入れたのである。
素性の知れぬ魔術師。そう認識を改めた敵対するマスター。
少なくとも“肉体強化”を行使した上で、正確無比で強力な“投擲”を見せたその魔術師は、身を潜め、この陣地(はやし)へと潜入した標的を狙撃するという攻撃手段を有効な戦術の一つとして採用しているであろうはずだったのだ──。
だが、その呼びかけとは狙撃手が狙撃地点を明らかにするものである。
「──聞こえてるんだろ!?」
「……アーチャーのマスター。君は何を考えている? 音響による目標地点への誘導……それとも潜伏地点の誤認を誘うための罠? 僕を試しているとでも言うのか?」
自身の優位性を放棄する行為──。
そんな悪手を自ら打つ愚か者など、居ようはずもない。
これは“聖杯戦争”。掛け値なしに命を賭した闘争なのだ。
だとすれば、青年魔術師の言うように罠であると考えるのが、至極、真っ当な思考が導く解答である。
だからこそ、再び聞こえた声に直接返答することはなく、ロミウスは声のする方へと懐疑的な言葉を零した。
「──日本語、通じないか?」
「……いいや、通じているとも」
故にそれとて呼びかけに応じたものではなく、単に独り言に過ぎない。自身を事態に対して冷静に対処させ続けるべくの、彼なりのテクニックでしかない。
「……日本語(ジャパニーズ)には当然のように精通しているよ、アーチャーのマスター」
彼が日本語を流暢に操るのも至極もっともな話なのだ。
世界的にも名高い、奥ゆかしく麗しい女性──“ヤマトナデシコ”。
そんな彼女たちが住まうのは、国際的にも非常に多くの国との間に国交を結びながらも、世界の標準言語とも言うべき英語にすら理解に乏しい国民が大半を占める、開放的だか閉鎖的だか理解に苦しむ物珍しい国家なのだ。
つまり日本人女性(ヤマトナデシコ)を口説き落とすためには、日本語というその国固有の言語が習得必須である言語(もの)であったということだ。
そのような自身のライフワークに関わる必要不可欠で非常に重大で重要な言語の習得を、彼が行わないはずがないのである。
「──話し合わないか? 話せば分かるだろ?」
……モットも類似した理由で、この青年は世界中のありとあらゆる言語を日常会話レベルならば支障なく意思疎通できる程度にはマスターしているワケだが……。
「話し合い? ──そのお誘いは断らせていただこう。君は男だ。僕は男の誘いには乗れないから、君の話を聞く気はない。悪いとは微塵にも思わないしね──」
だが、彼が友好的な関係を築こうとする相手とは女性限定でしかない。
「──反撃したことは謝る。でも先に仕掛けたのはそっちだろ? それでお互にチャラにしないか?」
聞こえる叫び声は標的の教え続ける。それも5度目である。
「……停戦の呼びかけ、だと? 呆れるほどの腰抜けだな、アーチャーのマスターは。魔術師が聖杯戦争に参加しておきながら……。まだソノヤの方が見込みがあったんじゃないのか?」
苛立ちさえ感じながら。自身を前に逃亡した魔術師を引き合いに出して、名門魔術師一族の青年は標的をそう評する。
進行方向右手に自生した、界隈で一番立派な幹をした杉の樹。
ロミウスは既に敵対する魔術師の居る場所を特定していた。
彼はそこで声を上げていたことに間違いはないようだ。
罠などではなく、アーチャーのマスターはどうやら本気でそのような馬鹿げた考えを実行に移そうとしているらしい。
「手札に在る大アルカナはⅩ、ⅩⅢ、ⅩⅤⅡ、ⅩⅩⅠ……ヤツには度が過ぎるほど十分な札だ。確実に仕留めてみせよう──」
先の展開を見越し、敵の一手、二手、三手先を予測し、ロミウスは手早く戦略を練る──。
「──I use a card.《カード使用》
Reverse card,set.《リバースカード設置》」
大アルカナ。
タロット1組72枚──それはその中で寓意画が描かれた22枚のカードのことである。一般的にタロットカードと言えば、この大アルカナが連想されることだろう。
その『22』という数字はヘブライ文字の文字数、セフィロトの経路数と同数であることから、それらと関連付けて解釈が為され、その絵札に対する神秘性と特別性をより高めているのである。
オーウェン家の魔術にとっても、それは必然的に非常に重要な意味を持ち──大アルカナのカードとは、より強力な魔力を、可能性を秘めているカードとして彼ら一族にも取り扱われるのである。
その切り札というべき大アルカナの内の1つを、決闘者は伏せ札として魔術礼装へとセットする。
『ろみうす──、セイバーが現れました』
「……ようやくお出ましか」
そこで聞こえた自身のサーヴァントの声に、この戦いが終盤へと差し掛かったことを青年魔術師は理解した。
『──そうか。了解した。ライダー、宝具の開放を許可する。セイバーとアーチャー、その両陣営のサーヴァントとマスターをここで確実に聖杯戦争から取り除こう──』
『──承知いたしました』
「同時にチェックという事か……いいタイミングだ。さあ。こちらも決めにかかろうか──」
ぽつりと。しかし自信を持って宣言するとロミウス・ウインストン・オーフェンは、その体内に魔力を巡らせる。
「I use a card from a hand《手札からカード使用》
──Effect motion《効果発動》
────、
「──させません!」
勝負を決するチェック・メイトへと──。
そして、正にそこに向けての第一手を打とうとした直前に、その闖入者は現れた。
◇
「──今宵が貴様が月へと帰還する夜となるぞ?」
「……いいえ、セイバー。確かに時は進みましょう──ですが、今宵は私が還る夜ではなく──」
魔力の高まりが乙女を美しく変貌させる──。
「──セイバー。貴方とアーチャーが聖杯戦争から排される夜です──」
「ほう──」
そうとだけ。その彼女の最も美しく育った姿を愛でる様にセイバーは口元を緩めた。
自身の放った言葉を否定し、それどころか“排除する”とさえ宣言されておきながらも、セイバーが怒りに支配されないのは、その輝くようにあまりに美しいライダーの言葉故か────。
僅か3ヶ月で成人したというこの世ならざる美貌を有した姫君。人を魅了するという呪いに似た力だけで、それだけの期間で成人したというのならば、それ以外の力を全力で行使すれば、その急激な成長は当たり前の結果だと言えようか──。
「本来ならば戦う力を持たない私が、貴方たちに抗う術はもとより一つ────」
マスターからの許可は下りていた。
彼女がその宝具(ちから)を開放できるのは、せいぜい2度。3度目は彼女もその力に流され、地表より消え去ろう────。
「──セイバー、アーチャー。お見せいたしましょう。赦される私の貴方たちを斃し得る術を────」
美しく育った姫は物憂げに言葉を紡ぐ────。
「────いまはとて天の羽衣着る折ぞ君をあはれと思ひ出ける」
牛車が光を放ち、世界を塗り替える────。
「────月光挿す離別の庭」
それがライダーの発した宝具の真名──。
セイバーとアーチャーの呑み込み、ライダーの宝具──彼女の心象風景が現実世界を侵食する────。
「──固有結界」
零したのは鬼姫。気がつけば、アーチャーとセイバーは寝殿造りと“思われる”立派な木造の屋敷に在った。足元に広がる庭には白砂が敷き詰められ、簡素ながらも奥深い美しさを感じさせる“だろう”。
「……成る程。人に知られすぎるとは、こういう混乱を産むものか」
寝殿造りが何たるかを知る鬼姫は、その不可思議などうとも取れぬ屋敷の構造に妙に納得した。
屋敷の建造様式が明確に特定できないのは、「かぐや姫」の物語の竹取の翁の屋敷のイメージが人々によって差異がある故。おおよそ平安時代の屋敷と思われるモノが概念化しているためだろう──。
そして、庭の美しさの全容を解せないのは、二騎のサーヴァントの周囲が、武装をした兵士たちによって所狭しと埋め尽くされていたからだった──。
──その数は優に千にも及ぼうか?
その上、彼らは庭に配されているだけではない。屋敷の屋根の上にも同数と思われるほど多くの兵士が構えているのだ。
だが、彼らは一様に空を仰ぎ、微動だにしない────。
否。
微動だに出来ない────。
そうだ。それは彼女の物語に在る通りの事象ではないか────。
そして。
身動き一つできない彼らを前に、悠々と望月から向かい来るのは月帝の使者────。
「セイバー。アーチャー。これが私の持つ、貴方たちを斃し得る事象──。
何者も動くことの赦されぬ世界──“月光挿す離別の庭”です────」
彼女たちだけが行動を許された世界。
行動を可能とした側の何者もが攻撃の意思を持たなかった故に、物語は“彼女が帰るだけ”で終わりを迎える────。
「セイバー。アーチャー。御覚悟を────」
しかし、ライダーはセイバーとアーチャーを討つという確かな意思を持つ。そして、二千にも及ぶ皇軍同様に一切の行動を封じられた二騎に対し、自らを迎えに降臨して来た数多の月帝の臣下に討伐の命を下した────。
◇
ロミウスに対して強襲してきた者──近くの茂みから突如躍りかかってきた者とは、昨夜と同じ赤いコートに身を包んだツインテールの少女──セイバーのマスターである魔術師に他ならない。
だが、急襲を受けたはずの決闘者たる青年には焦りも驚きもなかった。セイバーが現れたのだ。そのマスターである魔術師が現れない道理はないのである。むしろ、その一手こそ彼女を討つためにライダーのマスターが用意した一手──。
「解ってたよ、少し遅かったね」
──そうとでも言うように彼は微笑み、まるで待ち合わせに遅れた相手に気軽に語りかけるように余裕さえ浮かべて詠唱を継続している。
両者の距離はそうは離れていない。直接的な接触を要する肉弾戦ではなく、敵を撃つ魔術戦を展開するのであれば、それは極近距離だと言えるだろう。
自身の慕う少年から意識をこちらに向けるべく。声を発したのは牽制のため。だが、牽制と少女の先制攻撃は同時──。
「──無力化できる!」
一撃をもって。そういう確信を抱いて相対した標的へと、セイバーのマスターは不可視の氣弾をありったけの力を込めて射出していた。そして、その初速とは決して愚鈍なものではない。両者の距離を考えるに、常識的に考えて、おおよそ人という生物であるのならば、例え魔力で肉体を強化させようにも不可視の攻撃であることも手伝って、その一撃は回避不可能であるように思われた。
下手をすれば自身が現れたことと、その魔道技術により負わされることになるであろう肉体ダメージを脳が処理することは、ライダーのマスターには時を同じくして行われるであろうはずだ──。
里子の予想に違わず、ロミウスに回避する動きはない────。
──Turn-around point,Start《転換点、起動》
──Fortune/Mirror Force《運命のバリア -フォーチュン・フォース-》」
──そして。両マスターの狙い、思惑の結果を決定付けたのは、ロミウス・ウインストン・オーウェンの発動させた魔術だった。
決闘者のその手にある、顕にされたカードとは大アルカナ“Ⅹ.運命の輪(ホイール・オブ・フォーチュン)”。“運命の転換”を暗示するカードである。
それは瞬間的な事象でさえも、即座に流転──変わり行くものとして世界に処理をさせる。
有栖川宮里子の放った氣弾は、瞬く間に標的であるロミウス・ウインストン・オーウェンに直撃するはずであった。
「きゃあぁっっ────!」
しかし、その次の瞬間。少女こそが悲鳴を上げて背面方向へと吹き飛ぶ。里子は自身が放出した高密度の氣の塊をその腹部で受け止めていた。直撃。そのあまりの衝撃に、彼女の華奢な身体では到底耐え切れるはずもない。当たり前の結果として、猛烈な勢いで少女は後方へと弾け行く。
「────!? ──里子!?」
状況を理解できない。だが、少女の姿を捉えたアーチャーのマスターが声を荒げる。
「──ちっ! 絶好のチャンスだろ!? 何故、一撃必殺でこない!?」
自身が直前に放った氣弾を、何故に自身が受けているのか?
その身体を樹の幹に幾度となく強烈に叩きつけられたセイバーのマスターに、だが、現状を紐解く思考は働いてはいない。その予測不能であった事態に抗う意思が機能しようはずもなく、標的であった青年に成り代わって、自身こそが自らの一撃によって無力化されている。
一人状況を理解している、優位に立ったはずのライダーのマスターは、しかし、忌々しげに舌打ちをする。
大アルカナは切り札とも言うべきモノ。使用に際する彼の消耗とは決して安価な代償ではない──。
その言葉通りに、必殺を以って放たれたであろう魔術を、必殺として反射することを彼は狙いとしたのだ。聖杯戦争のマスター一人を無力化することではなく、それは殺害することこそを目的としたカード使用であったのである。
目視する限り、セイバーのマスターは死亡してないない。意識を失っているのが関の山だろう。
冷静にそれを知るも、ロミウスは次なる一手へと動く。
「I use a card from a hand《手札からカード使用》
──Effect motion《効果発動》
──Battle continuation《戦闘継続》
──Star/Double or Nothing!《ダブル・アップ・チャンス》」
続けざまに使用された次なる切り札は“ⅤⅡ.星(スター)”。
“希望”、そして“閃き”を暗示した大アルカナの一枚。
里子の身を案じた祐樹は、その声を上げた直後──、
──自身を見下ろした青年の姿を、地面を背にして虚ろに見ていた。
「──ぐっ!? ──がっ!」
疑問を呟こうとした声が生じない。鉄臭い赤が言葉の代わりに口からは零れる。
「……こいつは消耗が激しいんだが……肉体強化の優れた君にも、どうにも捉えられなかっただろ?」
祐樹を見下したロミウスは肩で息をしながらも、余裕を見せて笑みを浮かべた。
かつて「魔術師殺し」の異名を持ったフリーランスの魔術使いが使用したという“固有時制御”。
青年の使用した魔術とは、起動の方法や根底の原理に差異は有れど、世界に再現された効果とはその魔術と同様のものである。青年魔術師は自身体内の時間経過速度のみを操作し、恐るべき超速度で行動して見せたのだ。
基礎身体能力も非常に優れている上、肉体の強化を魔術によって行った伊達祐樹という魔術師が、本来の精神状況であったのならば、ロミウス・ウインストン・オーウェンの通常の倍速の動きを捕捉し得たのかも知れない。しかし、少年は少女の身を案じ、気を取られてしまったのだ。突如と有り得ぬスピードを持って攻撃に移行した青年を捉えきれるはずもなかった。
その代償というには、あまりの大きな被害──少年の胸部には、深々と一本の短剣が突き立てられている。
「……悪いな、アーチャーのマスター。本当ならもっと苦しまずに死ねる場所を刺してやりたかったんだが……どうにもここは足場が悪い」
君のせいだぞ。と付け加えるように、ロミウスは足元の樹の根をこつんこつんと靴の踵で踏んで見せた。
「まあ、すぐにラクにしてやるよ──」
呟き、少年へと屈んで自らが突き刺した凶器を引き抜く。
「ぐあっ────!」
少年の激痛を聞くも、その表情は変わらない。
死は常に隣に在る。名門の魔術師としての心構えと立ち振る舞いは、こういった状況にあっても揺るがない。青年はそういうものを疾うに身につけている。
「恨むなら聖杯を恨んでくれ──」
そして、躊躇することなく、祐樹のその首筋にロミウスは血塗られた刃を向けた。