「あー、もうヤダ! なんだって、こんな山道を──!」
『何、御安心召されよ、姫。もう暫くの辛抱にござるよ』
黒い鍔広の尖がり帽子に、黒いローブ。それに身を纏った如何にもな西洋の魔女スタイルの女性。そんな彼女が中世欧州で闊歩したのだとすれば、そのローブの下の全裸に近い黒革の紐水着姿も加味されて、裁判を待つことなく、即座に磔、火炙りの刑執行間違いなしである。
だが、それが彼女の最上位の戦闘服であり、魔術師としての正装──。
その姿こそ、いよいよ本格的に聖杯戦争に参戦するという彼女の意志の表れでもあったのである。
しかし、そんな決意を持ったはずの魔女の口からもたらされるものは文句ばかり。その度に霊体化している彼女のサーヴァントが宥なだめるべくの言葉を探し、または気を紛らわすような声をかけるのである。
「……アサシン。アンタさぁ、さっきからそれっぽいことしか言ってないじゃない。ねぇ、アンタの“しばらく”って、一体どんだけよ?」
『──ぬ。そ、そうでござるな……? 二、三十ふ──』
「──ハァ!? しばらくなんて、普通、ジョーシキ的に考えて2、3分程度のモンでしょ!? アンタ、ホント、適当なコトばっか言わないでよね! まったく、なんだって私が、こんなシンドイ思いを──!」
だが、結局のところ彼女──アサシンのマスター・中木洋子がそんなものを聞き受けるはずもない。
『ぐぬぬ……申し訳ござらぬ……』
そんな遣り取りは出発して果たして何度目のことだろうか?
決して彼が悪い訳ではない。しかし、またも謝罪の後に言葉に窮するだけのアサシン。謂れのない雑言罵倒に晒されたサンドバック──不可視であるものの、その弱り果てた達磨顔が目に浮かぶようである。
殺戮のドサ回りを実行するべく、寝静まった住宅街を徘徊する──のではなく、今宵、彼女たちの姿は山間にあった。
夏川大橋の手前。開発が未だ手付かずの斜面。そこに群生した原生の木々の合間を縫って道なき道を、彼女たちは目的地も知らず歩み行く。
その行き先案内人は、紅く揺らめく幻の如き小鳥。
それはまるで火が生命を有して形成されたモノのようにも見える。
洋子とアサシンは周囲を照らす光源をも兼ねた、そんな幻鳥を苦情と謝罪を交わしながら追うのだ。
「……あの女のせいよね……」
怒りと疲れとが混ざった溜息に続いて、恨みがましく呟いた洋子の脳裏に浮かんだのは、昨夜、教会から撤退をした二人の前に突如と現れた、どこか冷たい感じのするグラマラスな美女だった。
そして今夜。そのグラマラス美女が告げた時間と場所に現れたナビゲーターが、前方上空を飛ぶ不思議な鳥だったというわけである。
「……そういや聞いてなかったわね、アサシン。アンタ、あの女を知ってたみたいだけど、いったいどこの誰よ?」
とぼとぼと足を進めながら、腑に落ちていなかった事柄をようやく明瞭とした洋子が訊ねた。
物言わぬ前方の鳥が案内役であると判断したのはアサシンである。あの女が現れた際も、思えばアサシンは驚いた素振りはあったものの、その対応から知己の間柄ように思われたのだ。
──どこぞの家で殺し損ねた相手かしら?
連夜実行してきたサーヴァント強化のための殺戮儀式────その生き残り。
アサシンのマスターが出した彼女の正体に対する推論とは、そんなところである。
果たして、そんな相手が改めて自身たちの目の前に自ら現れて、一体、何の用事があるというのだろうか?
だが、そんな些細なことは、この後、アサシンにでも聞けば分かることだろう。などと、本質的にはより重要なはずの事柄を安直に捉え、彼女的には最も懸念する案件に怒りを込める。
──家族の復讐とか、しょーもない理由だったら絶対殺すから。絶対、楽には死なせないし。私の苦痛を倍返しだし。
選ばれし王女である貴い人間の貴重な時間と労力をここまで使わせたのだ。
だから洋子は、王女というよりは悪の魔女然たる格好に実に合致した、そんな物騒な思考を巡らせていた。
『ぬ? ……はて、昨夜の女とは?』
そんなマスターの邪悪な想いを他所に、このサーヴァントの口調は対照的に至って暢気な物である。
『──ああ。天后のことでござるか?』
そして、女と聞いて即座にアサシンが思い当たらなかったのは、彼女が何たるかを、この英霊が知っていた故──。
洋子の感じた通り、このサーヴァントはキャスターの自律宝具を確かに“知っていた”のである。
「──ぷ。テンコー? 何よ、その厚化粧塗りまくりの自称王女マジシャンみたいな名前。アメリカ仕様なの? 二代目なの? テンコー、マジウケるわ」
しかし、その“存在”の名を聞いて、洋子は笑い転げる寸前までに大笑いする。
果たしてどこに笑いの要素があったというのか?
それを理解できずにアサシンは「ぬ?」と、またも困惑するだけだ。だが、彼女の機嫌が良くなったという僥倖に、変にその理由を詮索せずにおくことにした。
「──で? もう一回聞くけど、その、テンコーだっけ? その女は何者なのよ?」
一頻り爆笑して落ち着いたところで、再度、洋子が件の天后という女について尋ねる。
実際のところ。前夜の洋子は彼女の事を聞き忘れていた、というわけではなかった。単に彼女と遭遇した際は身体的疲労が酷く、彼女が何者なのかなどと聞くどころではなかった、というのが正しい表現である。
今夜の行脚のスタート地点。つまりはその女性との邂逅地点とは自宅と教会、その丁度中間地点あたりだったろうか。朝比奈国光殺害後のことである。その際の洋子といえば意識はどうにか繋いでいたものの、疲労困憊、いつでも爆眠できる状態でアサシンに担がれていただけだったのである。
『ぬ? ……在れなるモノは、“向かい”に住んでた性悪偏屈頑固翁の式神(めしつかい)にござるよ』
「ハァ!? お向かい!? アンタ、何言ってんの!? 家のお向かいは、ずっとイトウさんって夫婦が二人で住んでて、小梨なのよ!? 小太りのおばさんはいるけど、あんな若い女なんかいないわよ!? 大体、いたらそもそもアンタに真っ先に殺らせてるでしょ!?」
お向かいさん同士。ご近所さんが揃って聖杯戦争に参戦する。ある意味それも衝撃発言ではあるものの、単に事実を告げただけのアサシンに洋子は猛烈な勢いで食って掛かった。そして「それとも私の知らぬ間に30万ダイエットでもヤッた!? アレが話題の30万ダイエットの成果とでもいうの!? 恐るべし、30万ダイエット! って、素材はアレよ!? 痩せただけであーはならないわー。顔面整形、豊胸手術、脂肪吸引etc、etc必要よ? ──どんだけ改造手術に金ばらまいてるってーのよ、イトウのババァ!」などと続くマスターの言葉は、アサシンには全く理解できない。
『──ぬ? ぬぬぬぬ?』
「って、待ちなさいよ? あんたさっき召使って言ったわね? ──メイド? メイドなの? メイドがいるっていうの? イトウ一家、メイドいるぐらいなら、あんなマンションなんかに住んでないってーの! そうよ! そんな金があるわけないじゃない! 改造手術なんかできやしないわよ!」
『ぬ? いや、改造手術とやらは解らぬでござるが、しかし、確かに拙者が生前、一条戻橋(いちじょうもどりばし)に居(きょ)を構えていた折には────』
「あー! あー! もういいわよ! アサシン! うッさい! 黙んなさい!」
『──ぬ?』
サーヴァントとは、自分の内部から発せられた魔術的エネルギーが作り出すパワーあるヴィジョンッ! ────洋子が続く言葉を嫌ったのは、その自己設定が虚言であるということを認識せざるを得なくなる事態を忌諱してか──。
『──ぬ!』
「……今度は何よ?」
しかし、都合よく二人のその遣り取りは、そこで途切れることとなる。
アサシンがそれに気が付いたためだ。
『……成る程。如何にもあの風流好きの好みそうな場所にござるな。道理で敢えてこんな辺鄙へんぴな場所を指定してくるわけでござる』
そのサーヴァントは視線の先に一本、見事に咲き誇った野生種の桜を見付けていた。
言葉通りにアサシンは、その桜こそが自宅の向かいに居を構えていた当代随一──否、史上最高の陰陽師が待ち合わせに指定しそうな、あからさまにそれらしい趣のある場所だと納得する。
人目を憚りたいというのならば、高層建造物の屋上など都心部でも如何様にも手配できよう。まして彼ほどの大陰陽師であるならば、その魔術によってどのような混雑した場所であっても人払いを施すなどと造作もない事案であるはずだ。それをわざわざこのような労力のかかる、郊外の僻地をわざわざ選択するなどと──、
『……しかし、実に見事にござるな。神代桜(しんだいさくら)や薄墨桜(うすずみさくら)と同種──姥彼岸(うばひがん)にござるな』
────しかし、それも悪くない。アサシンは素直にそう思う。
樹齢二千年を超えるとされる神代桜。樹齢千五百余年を迎えるとされる薄墨桜。
日本三大桜に数えられる二つ。生前に彼が愛でた時点で既に老木でありながらも、春をこれ以上なく彩る名木。それを想わせるに十分な美しさを見せている崖上の野生種の桜に、アサシンもまた強く心を奪われる。
ここまでの手間暇や苦労が、この桜を、この星夜の下で見上げる対価であったというのならば、驚くほど安価で幾らでも支払う価値があるものだと甚く感動してしまう────。
「──私が、何、って聞いてるんだけど? アサシン、私を無視するとはいい度胸ね──?」
『──ぬ!? これは失礼仕しつれいつかまつった! 申し訳ござらぬ、姫!』
趣に興じていたサーヴァントを現実に引き戻したのは、マスターのドスの利いた声。
「……で?」
苛立ちを前面に魔女が仁王立ちする。
『姫、お喜びくだされ。目的地はもう目と鼻の先でござる。すぐ前方、崖の上に桜が在るのは見えまするな?』
「……ええ。で? あそこがゴールだとして、あそこに何があるっていうの?」
『あの下に待ち人──キャスターが控えて居りましょう』
「キャスター?」
『ええ。あの翁がキャスター以外で召喚よばれるはずなどありえぬ故……』
「キャスター? 魔術師タイプのサーヴァントってこと?」
「左様で──」
そして、アサシンとして召喚された平安随一の退魔の武将がマスターの前に跪ひざまづいた状態で実体化する。
「──姫。キャスターなる翁は偏屈者故、如何に顔合わせの席と云えど、決して一筋縄では往かぬでしょう。気を引き締めて参りましょう」
続けて中木洋子に仕える忠実なるサーヴァントは、真剣な面持ちでそう進言した。
◇
田園地帯の外れに広がる雑木林──。
その戦場で生じた二つの大きな変化──。
二鬼の式神は、それぞれがそれぞれの変化を目の当たりにしていた。
「────ちィっ!」
「────な!?」
その事実に対して騰蛇は苛立ちを零し、天后は驚きを漏らす。
騰蛇の前方に生じた変化────。
その前方には、突如と騎乗兵の英霊──ライダーが現れたのだった。
「──んだとォ!? ソッコウで令呪かよ!」
彼の感覚に何の反応も許さずに、突如とマスターの傍らへと出現したサーヴァント。
セイバーとアーチャー。加えて、そもそも彼女は別の場所でそれらと戦闘を行っていたはずである。
それにも関わらず、眼前の事象を可能としたのは、聖杯戦争に参戦した魔術師に宿る奇跡の末端の力によるものであろうと結論付けることは実に容易なことだった。
先に放った炎の矢に対する反応と攻防を思うに、ライダーの魔術師と思しき相手との戦闘展開予測とは、防戦一方で撤退戦を行う魔術師相手に、弄ぶが如くに追い詰めて行く己という図式が騰蛇には想い描かれていたのである。
いずれは令呪によるライダーの召喚が為されるものと予想してはいたが、騰蛇にしてみれば自身に課せられた腑に落ちない任への憂さを晴らす絶好の機会を奪われたも同然だったのである。
「──ケッ! 根性ナシがぁッ────!」
ロミウスはただ冷静に自身の於かれた状況を鑑みて令呪の使用を決断しただけなのだが、その憤懣ふんまんとは、そういう類のものだった。
「祐樹────!?」
辺りに響いたのは美しい声音。
その直後には二鬼の式神を挟撃するかのように、弓兵の英霊──アーチャーまでもが現れる。
果たして駆けつけた彼女の目には、現状はどのように映ったのだろうか──?
「──ハ! こりゃまた、難儀なコトで────!」
昨夜、殺し合った相手なのだ。アーチャーが自分たちを友好的な相手であると判断することはないだろうと火行を司る式神は判断していた。
だが、そう愚痴りながらも、その痩身巨躯の男は何処か嬉々としている。まどろっこしく行動させられるよりは明確に殺し合う方が、この男の性に合っているのだ。
「──騰蛇、離脱するぞ」
そんな男の中で高まった戦いの気運に反して、保護対象を診ていた天后が静かに告げる。
「──ハァっ!? 天后、テメぇッ────!」
彼らがキャスターから受けていた命令とは、アーチャーのマスターを救助することである。例え、そのサーヴァントが現れたのだとしても、彼が瀕死の状態であることに変わりはないのだ。このタイミングでこの場を放棄することは、その尊命を棄却することに他ならない。
十把一絡げ、有象無象の術者に仕えているというのならば、彼らも自身の誇りや判断に従い、状況によってはその責務も反故にもしよう。しかし、彼らが仕えているのは絶対的な術者であり、彼らの思考を遥かに凌駕した視点を持つ達観者なのである。彼らの主は意味のないことを命じなどしない。如何に納得の行かないものであれども彼の陰陽師からの命令とは、仮初めの生命を捨てても全うすべきものなのである。
死合う悦楽の為だけに非ず。露骨に零していた不満に反して、だからこそ騰蛇は声を荒げる。
そんな式神同士の遣り取りなど、気にする暇なく────、
────倒れた己がマスター目掛け、迷いなく戦乙女は地を蹴る。所有する二振りの宝剣は、疾うに中空へと展開させていた。
「天后────!」
祐樹に触れていたキャスターの自律宝具を捉えた、その厳しい射抜くような視線が。彼女を叫んだ直後には、強く噛み締められた花唇が。彼女の心をまざまざと示す。
罠だとかそういった疑念など無効にし、アーチャーはマスターとの最短の直線距離を弾丸の如く詰める。
例え、そこに罠があると言うのならば、それを正面から踏破するだけ────。
その意思を体現するように。天女である彼女が、その柳眉を逆立る。豊満でありながらも少女らしい華奢な身体に、魔王の娘である鬼女のように荒々しい気迫を纏う。
いつもの彼女のように、しなやかでありながら。その動作は“彼女”のように激しく、力強い。
「────アーチャー!?」
至近で察した殺意。替えの利く使い棄ての肉体であれど、それを赦さずに、その存在自体を断ち切り虚無へと還すような。そんな感じるはずもない恐怖に似た感覚を天后はそこに感じた。
騰蛇へ方針を告げて。横たわった魔術師の身体から、その手を離した。
それはアーチャーが、この場に現れたのとほぼ同時の行動であったはずだ。昨夜のような幻術などの類ではなく。しかし、彼女は想定以上の速度で、そこに肉薄していたのだ。そして。そのことを天后が理解した瞬間には、彼女の身体は強烈な勢いで弾け飛んでいた。
「なんだぁっ────!?」
背後に迫った何か────。
それがアーチャーの急襲であったなどと騰蛇は理解できず。天后の気配が不意に離れた混乱を荒げた直後には、痛みを吐き散らしながら彼の巨躯もまた、もう一鬼の式神同様に夜を舞っている。
「祐樹!? 大丈夫ですか!?」
二鬼に変わり、他の誰よりも近くに位置したアーチャーは、血溜りに倒れた己がマスターに手を伸ばした。
月帝の牛車を牽引する雄牛を、宙を駆ける双閃が駆逐しようとした刹那────。
その屋形ごとライダーの姿は消え失せた。同時に、その宝具“月光挿す離別の庭”から開放された彼女が察したのは、伊達祐樹の生命に際する危機だったのである。
そう遠くない地点で。その感覚が教えるままに全力で移動した先で視認した惨状。
この場所まで、高速での移動を可能とした身体能力とは。そして、圧倒的なまでの戦闘能力を発揮することを可能としたものとは。単にマスターの窮地に際したサーヴァント故のものだったのか────?
「……祐樹。良かった……」
その胸には規則正しい呼吸を繰り返す少年。少女は深い安堵の息を零す。
アーチャーの見立てでは、辺りの出血量に反してマスターである少年の傷口は浅かった。
どうやら彼女の感じた危機感とは、幸いなことに誤認であったようだ。
戦線には戻らず、横たわった少年を抱きしめたアーチャーを遠目に式神たちは合流を果たす。
アーチャーの周囲には大小の太刀が周囲を威嚇するように飛び交うが、積極的に戦闘の口火を切るような動向は見受けられなかった。恐らくはマスターの安全確保を最優先としているためだろう。
対するライダー陣営にも動きは見受けられず。状況を静観するのみである。
姿の見えないセイバー陣営に対する注意は必要だが、取りあえず二鬼の周囲に彼らの姿は認められないようだった。
「──ッ! ……で、ありゃぁ、一体どういうこった?」
暫しの沈黙は、それらを認識するまでの警戒故。
そして、在らぬ方へと折れ曲がった腕を僅かばかり気にしながら、騰蛇はようやく開口した。
「……どうもこうもない。私が診たときには、既にアーチャーのマスターは手当てを施す必要がなかった」
「……ハァ!?」
納得できないと表情で訴える騰蛇に、酷く冷やかな眼差しで応えながら天后は身だしなみを整える。
「……とりあえず尊命は果たした。そういうことだ。だから退くよう貴様に告げたまでのこと」
彼女とて状況を理解できたわけではなかった。しかし、それをあれこれ考えたところで、裏付けが取れぬ以上、推測の域を出ようもない。だったら、我々は無駄なことに意識を遣る必要などはないと、彼女はその態度で男に告げている。
「……へいへい」
そういう天后の意識を察して、騰蛇は諦めたように明後日の方へと言葉を零した。
「我々は、為すべき事を忠実に遂行するまで──そうであろう?」
キャスターに仕えることこそが存在意義すべて。天后はそう断言しているのだ。
「……へいへい」
気だるげに答えるものの、無論、騰蛇にも異論はない。
いけ好かない魔術師が救助を指示した魔術師の身に何が起こったのか?
だから、この男もそういう興味を持ったことを忘れた。
御館様への経緯報告は天后がしっかりと行うことだろうし、この件に関する自らの出番はもはやないだろうと判断している。
そうして二鬼の式神は闇へと紛れる。
再び斥候としての任を全うするために──、キャスターの目となり、手足となるために。
「ろみうす?」
「……あ? ああ、すまないライダー。少し静かにして欲しい」
冷静に目の前の光景を見据えながら、青年魔術師は現状を解析しようとしていた。
確かにアーチャーのマスターには致命傷を与えたはずである。即死させることはできなかったが、傷の位置、深さ、角度、そして、あの出血量では、治療を施さねば、この時分で彼は死に至っているはずなのだ。
「……あのキャスターの自律宝具には驚くべき治癒能力付与の術──或いは瞬間再生能力とも言うべき力が備わっている、ということか?」
ロミウスは、ぽつりと推論を呟く。
「……異質な魔術、魔力を感じなかった以上、そう判断するべきだが……」
その考察に自信はない。だが、自身の言葉通りに治癒魔術を行使する様子は見受けられなかったのだ。そして、感じられたのが彼らの魔力──恐らくは鬼種的な存在のもの──のみだったのも確かなのである。
「……特定は難しい、か。しかし、どうやらキャスターの宝具一式には、警戒を強めておいた方がいいらしいな──」
脅威の回復力に頼った捨て身の戦法などと、目の前で行われようものならば対処に窮する。そんなことを考え、ロミウスは辟易とした笑みを浮かべる。
「やれやれ……しかし、飛んだ計算違いが続くものだ──」
キャスターの自律宝具の性能。アーチャー陣営とセイバー陣営の排除失敗。さらには、どちらかの陣営に存在したライダーの宝具に対するアンチスキル────。
しかし、青年魔術師の顔には、さして大きな絶望の色はない。
聖杯戦争を勝ち残るため、その実情を少しでもより正確に把握していこう。そのために新たな情報や状況を基に、幾度も幾重も考察を重ねてみせよう。
その先に、ライダーの能力があれば、必ず勝利への道筋は立つはずだ。
過信はしていない。だが、ロミウスは己の能力と、己がサーヴァントの能力を信じて疑わない。
「何、警戒し過ぎるくらいで丁度いいさ──」
そう青年魔術師は独りごつ。それもすべて愛しい女性のためだ。
「────あ」
ロミウスの傍らにあった絶世の美女の顔が、光に照らされる。
「……タイムアップ、か」
その光源。それは魔術回路なき常人には、不可視の鮮やかな光──。
その光の正体とは、夜空に上がった魔術による信号弾に他ならない。
停戦を知らせる一射目に続き、集合を呼びかける二射目。
二つの色が、夜に散り拡がる。
「……嫌に時間に正確だな」
懐中時計を確認して、ロミウスは呟いた。
今頃、夏川教会の正門前の広場では、あの光を新監督役と愛しい女性が見上げているのだろう。
光を見上げたアーチャーに、近づく二つの影があった。
「……魔力による信号弾、って、あれって……」
「──里子、無事でしたか」
腹部を押さえ、苦痛の汗を浮かべながら、どうにか足を運ぶ少女と。そして、その後ろを悠々と闊歩する剣の英霊である。
「それで里子。あれがどうかしたのですか?」
「一時停戦と聖杯戦争のマスターに対する集合の呼びかけ、みたいです……」
困惑を浮かべた、アーチャーたちと再び合流したセイバーのマスターは、その信号をそう解析していた。