昼休み、である。本来なら一人で居られる場所を探し、校内をうろつく時間だ。だというのに私は、教室の一角に出来た人だかりを、やや離れた位置から観察しつつ頭痛に耐えていた。
人だかりの中心にいるのはあいつ、私のサーヴァント。何処かから借りてきた偽名を使う、小さな少女だ。
「ちゆりさん、何処から来たの?」
「ねえねえ、この辺りはどれくらい知ってる?」
「学食に案内しようか」
珍しい物好きの同級生達に囲まれて、彼女は質問攻めに遭っている。私のこの頭痛には気付いていないだろう。
クラスでも最も低い身長で、椅子に座って脚を揺らしながら、彼女は何とも楽しそうだ。
携帯電話とは非常に便利なもので、連絡先さえ知っていれば、固定電話無しでも相手を問い詰められる。昨晩世話になったばかりの風祝に、これはどういう事なのかと電話を掛けてみると、
『魔理沙さんが学校に行きたいというので、急いで手配しました』
などと、簡潔かつ何の役にも立たない答えを貰えた。人を殴りたくなったのは初めてだ。
この短い時間で偽の身分証明を作り、更に転校を済ませた処理能力には恐れ入るのだが。
「……何なのよ、もう……」
別に、現界し続けられると魔力の消費が大きいとか、そういう問題はない。
アーチャーは単独行動に向いたクラスで、しかも彼女は魔法使いだ。自分自身で魔力を生成する力が強い為、戦闘さえしなければ、消費魔力は極めて小さい。
事実こうしている今も、私が彼女に供給している魔力は、スプーンを持つ労力と大差ないかも知れない。マスターが供給する魔力は、サーヴァントの魔力生成機能をオンにするキー、そういう物なのだ。
私が問題視しているのは、彼女の隠しきれないサーヴァントとしての気配を、他のサーヴァントに察知されないかという事だ。
霧雨 魔理沙、魔法を魔術に引き下げた最後の魔法使いにして、異変解決の立役者。知名度で言うならば、おそらく呼びだされる英霊の中では最高クラスだろう。名前も、外見も、だ。私でさえが、あの黒白二色構成の姿を見れば、それが誰なのかを推測出来ていた。同じ時代に生きた者達は、もしかしたら体の輪郭だけで気付いてしまうのかも知れない。
もしも彼女が、対策を練らずとも全てを打ち倒せるクラス――最優と称されるセイバーなら、そう気苦労も無かっただろう。
だが、彼女はアーチャーだ。遠距離を主戦場とし、宝具の強さを売りとするクラス。三騎士の一角とされながら他の二者には、近接戦闘の技量や単純なステータスで後れを取る。だからこそ、敵に情報を渡さずして自分だけが情報を握り、策を練って堅実に戦う必要が有るのだ。
仮に私が、敵が彼女であると知ったのなら。
まず第一には、遠距離からの魔術による狙撃に対し、防御か回避の手段を探るだろう。それが魔術だと知っているのなら、きっと手段はある。怖いのは、魔術か物理的攻撃か分からない時だけだ。
そして、一撃さえ防ぐ事が出来たのなら、私は身を隠し、サーヴァントに攻撃を任せるもよし。彼女は、英霊とはなったが元は人間で、ただの少女だ。妖怪変化に近づかれれば、無力に引き裂かれてしまうのではないか?
今日、何回目かの溜息を吐く。どうしてこのサーヴァントは持つ知恵を出し惜しみするのだろうか。
椅子から立ち上がり、廊下へ出ようとする。どうせ、本を読んでも内容が頭に入らない。戸に手を掛けた所で、後方から声が飛んでくる。
「待てよアリスー、置いてくなよー!」
不満げな、しかもそれを隠そうとしていない事がはっきり伝わる、アーチャーの声。彼女と私の関係は、誰かに明かそうと思ってはいなかっただけに、私は思わず凍りついた。
「あれ、ちゆりさんとアリスさんって、知り合い?」
「ああ、私が住んでるのって魔法の森の方だからさ、越してきて直ぐに知り合ったんだ」
質問好きの同級生に対し、何処かで聞いた様な嘘をあっさりと返すアーチャー。椅子から降りて、狭い歩幅に早足で、私の後ろを追ってくる。
「そーいう訳だから、じゃ! 話の続きは明日だぜ」
これまで和気あいあいと話していた彼女達にあっさり別れを告げて、こちらの後ろをカルガモのヒナの様に歩く。
きっと、悪目立ちするだろう。これまであまり人と係わりを持たなかった私と、転校生の少女との取り合わせ。同級生達からしてもそうなのに、私は手に包帯を巻き、そしてアーチャーは分かりやすくサーヴァントなのだ。他のマスターからしてみれば、今の私は全く良い獲物ではなかろうか。
「……何でこうなったのよ、もう」
「日ごろの行いが悪いんじゃないか?」
「あんたのせいでしょうが!」
「私を怨むのはお門違いだぜ、烏と聖杯に文句を言ってくれ。……それより、ちょっと屋上良いか? 鍵とか有るか?」
「十分あんたは怨んで良い存在だと思――待った、屋上?」
思わず、口も悪くなる。霊夢がうつったのかも知れないと自分でも感じた。が、寧ろ耳が引っ張られたのは、それに続いた彼女の言葉だった。
「そう、屋上。嫌な気配がぷんぷんするぜ、ここは命連寺の縁故だった筈だろ? だとしたらなんだこりゃ」
「経営の母体は同じらしいわね……鍵は開いてるわ、行くわよ」
昨日の昼、私が感じ取った違和感を、アーチャーもまた察知していたらしい。横をすり抜け私を追い越し、屋上へ向かう階段を、一足抜かしに駆けあがって行く。そこに何が有るのか。言うまでもない、昨日撤去出来なかった魔法陣だ。
「……やる事はやるのね、あんた」
「ん? やる事やらないなら何をやるんだよ」
一番小さいサイズの学生服に身を包んで、それでも余った袖を捲ったアーチャー。意図せずしてロングサイズになってしまったスカートは、彼女本来の衣服と同様、翻って尚膝の下にあった。
屋上の扉は、鍵が掛かっていなかった。先客がいたからだ。
姿が見えるのは1人、だがきっと2人そこにいる筈。足音かアーチャーの気配か、そのどちらかでこちらに気付いていたらしい。
「あら、あんたも気付いてたんだ?」
「昨日の昼にね。……そっちはどうなのよ、霊夢さん」
「昨日の朝。セイバーが、屋上だって言ってた。当たってたわ、この通り」
先客は博麗霊夢と、おそらくそのサーヴァント、セイバー。霊体化しているのだろうか、私には気配が察知出来ないし、姿は当然の様に見えない。自然と視線は霊夢の所で止まり、
「……それ、解除できるの?」
彼女が踏みつけている、魔法陣へと下ろされた。
昨日と変わらずそこに有る、不可視の魔力によって形成された魔方陣。誰が設置したかは分からないものの、この学校全体を覆い、内側の人間に害を為すもの。
私では、一切の手の着けようがない代物だったが、
「出来るわよ。結界をこれの上に張って、魔力の収拾を妨害する。暫く待てば自然に枯れるわ、花に水をやらないでほっとく様なものよ」
成程、術を破壊するというよりも、維持が出来ない様にしてしまうのか。それならば、大きな力を必要とはしないだろうし、博麗の巫女なら結界術はお手の物だろう。ならば自分は邪魔にならない様に、一歩引いて見ていようかと思うと、
「待った、霊夢。そいつを消すのは少し待ってくれ、私が見てみたい」
小さな体を、しゃがみ込む事で更に縮めたアーチャーが、私達の誰の方をも見ずに静止した。
「何でよ? こんなもの、さっさと潰しちゃうのがいいじゃないの」
「そりゃそうだな、でも直ぐに潰せる。だから待て、ステイ、いいな?」
「あ、こら、ちょ、押すな押すな押すな!」
犬にでも言う様な口ぶりで、アーチャーは不可視の魔方陣に近づく。上に立っている霊夢の脚をぐいぐいと押して、その場から無理に退かしてしまった。そして、両手を屋上のコンクリに触れさせ、瞬きもせず押し黙る。
僅かに、本当に僅かにだが、周囲の魔力の流れに乱れが有った。アーチャーを起点とし、幾重か大気が渦を巻き、広がっていく。
おそらくは広範囲に魔力の目や耳を伸ばし、何らかの情報を探っているのだろう。魔術を行使する彼女は、静かで穏やかで、それでいながら冷たさを感じる表情をしていた。
私は――きっと霊夢もそうだったのだろう、声を掛ける事も、身じろぎする事も憚られる様な気持ちになっていた筈だ。
「ねえ魔理沙、見立てはどう? 私だって専門外なんだけど」
「……んー、あー……まず、お前と霊夢がどう認識してるか、聞きたいかな」
沈黙を破ったのはセイバー。実体化し、しゃがみ込むアーチャーを見降ろしている。それでもアーチャーはやはり立ち上がる事はなく、自分の足元に視線を固定するばかり。
問いを向けて逆に問いを投げられたセイバーは、霊夢の方に何か訴える様な顔を向けた。
「私はよく分からなかったわ、セイバーに聞いて。わかんなくても解除出来れば良いんでしょ? さっさと解除しましょう、1秒だって長く置いておくのは嫌よ」
「霊夢はそりゃそういう考えよね……そうね、『魔力・魂の融解・吸収』じゃないかしら。
魔力という防壁を喰い尽して、守るものが無くなった魂を最終的に引きずり出して喰う。術式自体も、その過程で吸収する魔力を消費して維持されてるみたいね……
ここだけじゃなく、何か所か設置されてる。でも、メインのスイッチはここだと思う」
へえ、と思わず感心した。
早苗が言うには、セイバーは剣士のクラスだという。なのに彼女は、魔術に関する知識も持っていて、設置された術式を解釈する事が出来るというのだ。
最良と称されるだけは有って、多芸なものだ。少しばかり自分の、この勢い任せな魔法使いと比べてしまった。
……そもそも、魔術師の自分と魔法使いの彼女では、あまり相性が良くない気もするのだが。
「ん、良い見立てだと思うぜ、セイバー。それじゃあアリス、お前の方は? 昨日の昼に見たんだろ、お前はどういう風に感じた?」
「え、私? そうねえ……」
が、セイバーの万能ぶりに感歎しつつ、私には疑問が一つ生まれていた。
私が昨日、この術に探知を仕掛けてみた所では、彼女と少し違う答えに辿り着いた。この場合、どちらが間違えているのだろう。
「……『魔力の吸収、並びに監視』が用途だと思うわ。
校舎内に設置された魔方陣は8か所、それぞれが吸収した魔力をやりとりしてる。何処か一か所でも無効化されれば、他の7か所が察知して……多分、術者に警報でも送るんでしょうね。
魔力吸収に関しては、セイバーと同じ見方。余所から魔力を集めて、術を維持してるんだと思う。出来るだけ長い間吸収する為に、一回に吸い上げる量は少ない。卵を産む鶏は絞められない、って事かしら」
セイバーの見解では、監視という機能がごっそり抜けおちていた。彼女は寧ろ、魔力の吸収という面に於いて、この術式は恐ろしく凶悪な効果を生むものと見ているらしい。
だが私は、この術はエコノミックである事を良しとし、リサイクルに励む穏便な術に見えていた。だから、2つの見解を並べてみれば、どうにも食い違いが生まれる。
それぞれの異なる見解を聞いて、漸くアーチャーは顔を上げ、立つ。立ち上がっても、この場では最も背が低い。顔立ちも声も、子供そのものだ。
ただ、声の重々しさ、目の光の強さは、彼女が決して与しやすい存在では無いと語る。
「ん、良い感じじゃないか、さすが私のマスター。50点だ。100点満点で。
セイバーも50点。良い機会だ、魔理沙様の魔法教室を始めるぞ、よーく聞いとけ」
黒板もホワイトボードも無い、空中にジェスチャーで8つの円を描く。指が辿った軌跡は、それが当たり前の様に、暗く発光する線として空中に留まった。
「……まず、こいつの第1の目的はアリスの言う通り、監視だ。監視範囲はこの校舎全体。数はここのを含めて8つ、それぞれは等間隔に設置されていて、魔力をそれぞれにやりとりしてる。1つが7つに魔力を渡して、7つから魔力を受け取る訳だから……28の魔力ラインで構成された網って事だな」
アーチャーが空中で指を動かすと、描かれた円と円が、細いラインで繋がれる。視覚的に魔力のやりとりを表す為か、小さな星のマークが行ったり来たりを繰り返す。
1つの星に目を向けていると分かるが、基本的に1度通過した円は、他の7つ全て通るまで、また訪れる事はない。
「仮に、この魔力ラインが1本でも断ち切られたり、ラインの起点である魔法陣が破壊された場合、魔力の流れが乱れて、他の7つの魔法陣がそれを察知する。魔法陣の近くで魔力を使用しても同じだ、張った糸の近くで声を出したら糸は震えるだろ? こいつは映像も音も送らないが、魔法が使われた場合はとにかく敏感に察知する様に出来てるらしい。……と、こいつが1つ目の用途。正直に言うと、監視装置としちゃ出来が悪いな、うん」
円の1つがアーチャーの指に指で弾かれると、それはシャボン玉のように弾けて割れる。
途端、他の7つの円が、ミラーボールの様に多色の光を放ちながら回転を始めた。
ここまでの認識は、少々細に入っているが、大まかな部分では私と同じという所だろうか。
「その2、術自体の維持。こいつは、その3の副産物みたいなもんだが……先に話しとく。
と言っても簡単なもんさ、かき集めた余剰魔力を維持に使ってるだけで、何の不思議もない。
意思の無い式神みたいなもんかも知れないな。あいつらは自分で魔力を作れるから、食事で十分だが」
「……ワンクッション、置いた訳?」
「ああ、そうだ。私やお前なら良いだろうけど、霊夢やアリスにはちょっと覚悟を決める時間を取らせたかった。
先に言っておくが、結構えげつないぞ。でも耳を塞ぐのは駄目だ、逃げるのは許す。5秒以内だ」
もう1つの用途、魔力の吸収について話すのだろう、そうは思った。逃げるとはどういう事だろうか、主語は私と霊夢でいいのか?
霊夢の方に視線を向けた。彼女もまた表情を強張らせ、小さく頷く。何故頷かれたのか、正直には理解が出来なかった。
私と霊夢の、失敗した意思疎通に、潜められたアーチャーの声が割り込む。
「……よし、5秒だ。目的その3、魔力と魂の吸収。
と言っても、こいつは根性が無いしねじ曲がった術式でな、一度に大量に吸えないんだ。魔力だって細々と吸い上げるだけだし、魂なんて頑丈なものには歯が立たない。
だから、『歯を立てなくても良い様にする』んだよ、こいつは。この術は、まだまだ〝発動していない〟って事を忘れるな。
この術が発動すると、8つの魔法陣が簡単な結界を張り巡らせる。外から侵入は簡単だが、中から出るのは難しい。落とし穴みたいなもんだな。
で、魔力を吸い上げる。大量に、兎に角大量に、だ。本人が持ってる最大量を越えて吸い上げる。……当然、出来る筈もないな。無い袖は振れない、じゃあどうするか?
こいつはな、中の生き物の『内臓を溶かして』『直接飲める様にして』放置するんだよ。その上で、魔力も魂も、ドロドロに溶けた肉の中に、肉団子みたいに混ぜちまう。 魔力を吸い取るのは、抵抗されない為もあるんだ。臓腑を溶かす呪いを防がれない為にな。
脳から心臓から溶かされたら、当たり前だが死ぬ。腹がぺしゃんこにつぶれた死体の山が出来る。そうなってから術者は悠々と出てきて、死体の腹でもかっさばいて、中身を啜るんだろうさ。ああ、えげつないと思うだろ? まだまだだぜ、まだ話は終わってない。猶予はもう1度、5秒だけだ」
――死体の山。そんな言葉を、現実に繋がる文脈で、誰かが吐く日が来ようとは思わなかった。
死体とはフィクションの中に存在するか、ニュースの文面に現れる程度のもの。私自身も死体になりかけたとは聞くが、実際に私は生きていて、死にかけた私を私が見た訳ではない。実感が無いとは言えないが、その実感を重く受け止められない。
だが、この術が仕掛けられたのは、他でもないこの校舎だ。狙われているのは、網にかかっているのは、この学校の生徒だ。つまり、それには自分も含まれている。今この瞬間まで、命の危機に在った事を知らなかったのだ。
「5秒。人間の内臓を融解する様な強力な術だ。しかも、発動しなくとも外へ効果を及ぼすタイプ。アリスや霊夢くらいの魔力が有れば今は別に何も感じないだろうけどな……全員が全員そういう訳じゃあない。
どう抑えても――いや、抑える気も無いのか。この校舎には少しずつ影響が出てるよ。体調不良を訴える奴、昨日から増えてないか? なあアリス、今朝は病欠してるの居なかったか?」
「病欠、は……居たわよ、何人か」
「だな、席に空きが有った。私に話しかけてきた奴も、顔色がやたら悪いの居たぜ」
そうだ、確かクラスで2人、病欠が居た。急な発熱と体調不良で、大事を取って休むという事だったらしい。
隣のクラスでも1人か2人、だが冬という事もあり、風邪の可能性もあるとは思っていたのだ。
「もう影響が出てきてるんだよ。溶けはしなくとも、内臓にダメージが少しずつ蓄積し始めてる。抵抗力を失って、魔力は簡単に奪われる様になるだろう。この学校は餌場として最適化されていく。
本格的に発動されればその瞬間に。発動されなくても……1週間以内にアウトだ。 その頃には対抗手段を知らない奴ら全員、病院のベッドの上に移動する事になるぜ。
……以上、これが私の解析結果だ。98%くらいの自信が有る」
「防ぐ手段は!?」
淡々と語り終えたアーチャーに、掴みかからんばかりに訊ねたのは霊夢だった。私が口を挟む間も無い。常に校内を飄々と流れている、彼女の面影が見えない。彼女が大声を出すのだという事すら、私は今日、初めて知ったのかも知れなかった。
「有るが、その前に確認するぜ。こいつを壊せば、仕掛けた奴に伝わるだろう。ここにマスターとサーヴァントがいるのを知らせる事になる。平日の日中、学校に居られる立場、と特定してな。ここは餌の集まりじゃなく、敵が隠れる場所かも知れない、と思われるんだ。
先に言うが、木を隠すなら森の理論は嫌いだ。巻き添えが出るからな」
「……つまり、マスターである事を隠すのは諦めろって事?」
「そう言う事だ、アリス。危ないかも知れないが、それが一番良いんだよ」
激している霊夢を制し、アーチャーの言葉を引き継ぐ。
この学校の生徒か教師の誰かが、サーヴァントの術を見破って解除できる、と知れた場合を想定する。その様な事が出来るのは、同じサーヴァントかそのマスターである可能性が高いだろう。もしもそれが誰なのか分かれば、ピンポイントで攻撃するのが良い。労力は抑えるべし、だ。
だが、誰なのか分からない場合は? 簡単な話である、全員殺してしまえば良い。サーヴァントの前に、人間の命など紙屑より軽い。少しでも抵抗出来る者がいたら当たりだ。
「寧ろ、名乗り出ちまおうぜ。私がマスターですよーって、名札着けて堂々とさ。 どれが肝心の得物だか分かれば、向こうだってピンポイントに狙ってくるだろう。巻き添えにしちゃいけない理由は無いが、目立たないに越した事も無いんだから。
……それに、多分向こうは、今夜動く。今夜この学校に居れば、一組くらいとは遭遇出来るんじゃないかな」
「トラップが解除された、きっと相手はサーヴァントだろう。向こうはそう判断する、という事かしら?
だったら早く始めるべきよ魔理沙、今も魔力は吸い上げられている。僅かな一滴も、与える事を惜しむべきだわ。昼休みの時間内には終わらずとも、放課後までに8か所全部……」
「大丈夫だ、もう始めてるさ」
実行に移すべしと提案したのはセイバー。8か所の術式の解除は、移動時間も含めて考えれば、おそらく数十分から1時間は必要だ。昼休みの残り十数分では、2つか3つを片付けるのが関の山だろう。
だが、アーチャーは急ぐ様子もない。セイバーの言葉に割り込んで、足下の陣に指先を向けた。仄かに、夜の星の様に淡く光るアーチャーの手。彼女の持つ星の属性を、小さく収束させたものだろうか。
「教えておくぜ、魔法使いは面倒を嫌え。楽な方法をどんな時でも探すんだ。1つ1つ潰すんじゃなく、纏めて一気に叩き壊す―――『My fingers down the stars〝Cold Inferno〟.』」
一小節の短詠唱。私の耳には、たった一言で終わった様に聞こえていた。
私達に説明をしていた時の、倍かそれ以上の速さでアーチャーの唇が動き、早送りの音声を再生する。
詠唱が終了した瞬間には、彼女の足元の魔法陣が、瞬間的に凍結、崩れ落ち始める。
「え、今……」
咄嗟に探知術を発動、探知網を校舎の全域にまで広げる。
昨日位置を確認した、屋上以外の7か所全てに、魔力探知に特化させた手を伸ばす――
「――無い、どこにも……!」
魔力の流れが滞り、砕けている。1つ2つではなく、存在した魔法陣全てが、だ。全てが此処の1つと同様、凍結し、その用途を完全に失って崩壊していた。
アーチャーはこの場を決して離れていない。魔法陣1つ1つに、接触した筈はない。それどころか、今朝からアーチャーが私と離れて行動していたのは、早朝の短い時間だけ。しかもその時間は、彼女は職員室で転校手続きを終了させる為、自由に動けはしなかった筈だ。
「コールドインフェルノ、『凍結の概念武装』ってとこか? 氷精を真似―――参考にした。
8つの魔法陣全部に魔力を循環させてる術式なんだ、私が流しこんだ魔力も隅々まで行きわたる。で、全ての陣に同時に、〝凍結した〟って概念を張り付けた後、力任せにぶっ叩いて壊した。ちょっと細かい芸だったから、思ったより時間掛かったけどな」
時間が掛かる? 冗談ではない、アーチャーが詠唱を行ったのは数秒の出来事ではないか。それ以前に魔力の注入を開始していたとしても、それには発声も詠唱も伴わっていない。
ならばこのサーヴァントは、一工程でこの大規模魔術に干渉し、細工を終了したというのか?
指を向けるだけのガンド撃ちと同程度の労力で、校舎1つ覆う規模の術式に、爆弾を仕掛けたと?
「……ちょっと、無茶苦茶すぎるわよ……?」
私の、魔術師としての狭い常識で測る。この様な事が、可能なのか?
時間を掛ければ出来ない事は無いだろう、理論は単純だ。私でも思い付くだけなら思い付く。が、実行に移そうとは決してするまい。複数の魔法陣からなる巨大な術式に、単一個人の魔力で干渉しよう、などとは。
1つのシステムとして完成し活動している術式は、そう容易く外部から書きかえられるものではない。縫物の糸を一本一本解して縫い直す様な、気が長く細かい作業が必要とされる分野の筈だ。こんな力任せに、一撃で一瞬で消し飛ばしてしまえる様なものではない。
「……アリス、あんたのサーヴァントってキャスターだっけ」
「本人はアーチャーだって主張してるわ……あんまり信じてないけど」
霊夢も、どうやら状況の把握が完了した様で、いぶかしげな目を私に向けてくる。無理もない、私自身が疑っているのだから。
仮にもサーヴァントが仕掛けただろう術を、こうもあっさりと消し去って平然としている、小柄な少女。
「私はアーチャーだ、間違いないぜ? それよりもこの先だ、もう招待状を出しちゃったんだからな。気が早けりゃ今夜にでも、お客様がやってくるかも知れないんだ。授業の合間に昼寝をしとけよ?
……えーと、次の授業ってなんだっけ。座学も良いけど実験したいなー、キノコの胞子の採取とか」
霧雨魔理沙は事も無げに、階段を降りて教室へと戻っていく。 彼女も、やはり一時代に名を馳せた英霊なのだ。現代の常識では理解の遠く及ばない存在だ。
だからだろうか。私は、彼女の思う事が分からなかった。
彼女は何を望み、この時代に召喚され、戦うのだろうか。望みは無いと彼女は言った、それは、そのままに受け取って良い言葉なのだろうか。
昼休みの終了まで、まだ十分ほどは有るだろう。少しゆっくりと、私は階段を降りていった。何秒か遅れて、霊夢達も屋上を後にした様だった。
日が完全に落ちて、校舎内の灯りも全て消されてしまった。
懐中電灯無しではとても歩けず、吐き出す息は明らかに白い。外履きで廊下を歩いている為に、足音がやたらと喧しく響く。
「……セイバー、監視装置の方は済んだの?」
「仕組みとか良く分からなかったから、元の電源から壊してきちゃった。修理業者も、流石に今夜の内には来ないでしょ?」
「そうね、だと良いけど……あーあ、本当に出てくるのかしら?」
霊夢の隣には、実体化して既に刀を抜いたセイバー。
校舎に侵入する前に、アーチャーの提案で、警備会社が設置した装置の電源を破壊させた。
夜に余計なものを交えたくない。聖杯戦争は、昼の世界から切り離されていなければならない。霊夢の考え方は、非常に保守的だ。
二階から階段を降り、踊り場で立ち止まる。昨日、アリスが潰されていた場所だ。
「来るさ、少なくとも近くには来る。そうすりゃ私の探知範囲に入る。私より広範囲の索敵をするには、使い魔を飛ばすくらいしか手はないぜ」
「霊夢、貴女のサーヴァントは? 何か見つけたとか……」
「セイバーの方はまだだと思うわ、何か見つけたら言え、とは言ってあるもの」
数m離れてアリス、その後ろにアーチャー――後ろ歩きで、時々アリスにぶつかっている。
射手のクラスである彼女は、遠くの獲物を発見する事にも長けているらしい。その彼女の索敵範囲でも正しく捉えきれていない以上、少なくとも自分達を察知している敵はいるまい――そう、霊夢もアリスも考えていた。
十分に暗くなってからかれこれ数十分、彼女達は校舎を彷徨い歩いていた。数分ばかりの滞在では入れ違いになりかねない、教室に隠れ潜むのは危険だ。一か所に留まっているというのは、外からの狙撃などが有り得るという事で、セイバー・アーチャー両名に却下された。
昇降口から校庭を覗く。積雪を街灯が照らして、夏の夜よりもむしろ煌々と明るい。昨日夜、セイバーと黒衣のサーヴァントが戦った古戦場だ。
100mや200mの距離を、距離自身が消えたかのように瞬間的に埋める爆発的加速。その速度から生まれる弾丸の様な一撃を、セイバーは凌ぎ切り、反撃に転じる事も出来そうだった――宝具を抜いて考えれば。
「あの黒いの、速かったよね。最後にも何か凄いの出そうとしてたし……宝具?」
「だと思うわ、見た限りだとあれは……Aランクにプラスが幾つか付いておかしくなさそうだった」
宝具が特に強力なクラスと言えば、やはりアーチャーかライダーが挙げられるだろうか。
アーチャーはそこのアリスのサーヴァント。ならば、あの黒衣の死神は、ライダーである可能性は高い。ライダーとして現界できるだけの逸話を持った人妖、そう人数は多くは、――?
霊夢は、思考に走ったノイズに首を傾げた。
「ねえ、そう言えばさ」
「ん、何よ?」
「だからさ、そこに居るお姉ちゃんもサーヴァントなのよね? 刀を持ってるから……やっぱりセイバー? 良いなー、最良のクラスじゃない。でも良いんだ、他の人の持ってる物を羨ましがったらいけないって、お姉ちゃんは言ってたもん」
逸話といえば、霊夢自身のサーヴァントも未だに正体は不明だ。
剣士のクラスに該当する、過去の幻想に存在した人妖。果たして誰がいるだろう? ふと考え始め――何かがおかしいと、ようやく気付く。
「……アリス、セイバー、アーチャー。この中で、今、私と話してた人?」
「私じゃないぜ」
「セイバーじゃないの?」
「違うわよ。霊夢、そいつを捉まえちゃって。サーヴァントじゃないわ、マスターよ」
違和感を抱くことすら出来ず、霊夢は〝そいつ〟と話していた。声の出所はどこだっただろう、おそらくは霊夢の胸程度の高さだっただろうか。
距離は? すぐ近くだ、抱きしめた胸の中で喋っている様な距離。
咄嗟に霊夢は、捉えるのではなく殴り倒す勢いで、右手で作った拳を横薙ぎに振るい。
「あはは、危なーい! もう、帽子が落ちちゃうじゃない。無くしちゃ駄目なのよ? せっかく作ってもらったんだもん、これは私の、誰にもあげないよ」
50cmも離れていない距離にいた〝そいつ〟は、毬のように跳ねながら、霊夢の腕の下を潜って、近くの教室の前に立った。
考え事に耽っていたとしても、霊夢は目を閉じていなかったし、耳も済ませていた。彼女以外にも、この場には6つの目が有り、その内の4つは特別製、サーヴァントの目だ。
完全な透明人間でもなければこうは――いや、透明人間でも足音や呼吸音は残る。それらの要素を持ち、そして隠しもしない。彼女は姿を見せたままで、誰にも気付かれずに其処に居たのだ。
「えーと、いちにいさんよん。半分半分かしら? 困っちゃったわ、こんなにたくさん殺せないもん。あ、でもねでもね、大丈夫なのよ。並ばなくてもいいように、私がちゃあんと頑張りました!」
小さな体、並べばきっとアーチャーより更に背が低いだろう。それに比例する小さな頭に、鍔の大きな帽子が乗り、だが顔が隠れている訳ではない。
色の白さは人種によるものか、それとも生活環境によるものか。可愛らしさはあるが、その白さは人形というよりも寧ろ―――燭台から零れ落ちた蝋、だった。
火はとうの昔に消えて、熱も引け、素手で触れる事はできるだろう。然して指先に伝わるのは整形された滑らかさではなく、重力に従った末の歪な形状。
燃え尽きた芯の灰が、白を穢す唯一の色。灰は彼女の無邪気な声であり、言葉だ。口を開かなければ彼女は、不健康的なだけの少女で居られるのかも知れない。
「初めまして、お姉ちゃん達。私は古明地こいしです」
ぺこり、行儀よく両手を膝の前に揃え、頭を下げる少女。落ちた帽子を慌てて拾い上げると、頭の上に被せ直して、彼女は微笑んだ。
古明地こいしは、目を細めずに笑う癖のある少女だった。