――何が、おこった?
目に飛び込んできた光景に自身の脳が総稼動して導き出した思考は、そんな単純で意味の無いものだった。
正面に立つ黒衣の青年――ユリウス――の殺気に身構えたのはほんの数瞬前。
ネコに指示を出そうと口を動かした瞬間、後頭部から温もりが消えた。
何事かと後ろを向いたその先に……
――大地に仰向けに倒れているネコの姿。
攻撃された?
ユリウスは動いていない。彼からはこの現状になるまで目を逸らしていない。
ならばサーヴァントか?
周りを見回しても俺とネコ、そしてユリウスの他には誰も居ない。
遠距離攻撃?
攻撃の音も気配も殺気も、予兆すら何一つ感じることができなかった。
目まぐるしく思考は廻るが何一つ有益な答えなど出ず、ただ意味の無い疑問だけが空回りしてゆく。
あまりに埒外の出来事に、己の認識がついていけない。
空回りする思考は役に立たず――体は倒れている己のサーヴァントの無事を確かめるべく駆け寄ることしかできなかった。
ネコ――!
呼びかけるが反応がない。
完全に白目を向き微動だにしない。
揺さぶってみても、されるがままで起き上がる気配など微塵もない。
なんだ、一体なにをされた――!?
『ふむ、なんとも面妖な手応えだが。仕留めたか』
――っ!?
なにも無い空間から声が聞こえた――!?
ユリウスではない男の声、その発生源に目を向けるが、そこには人の姿も気配ない。
ただ生い茂ったジャングルの草木が泰然とそこに存在するだけだった。
だが、確かにそこに『居る』のだろう。
ユリウスのサーヴァントが、居るのだ。
そのサーヴァントの見えない攻撃によりネコは倒された。
その事実だけが確固たるものとして認識できた。
ならば、この状況やるべきことなどただ一つ。
万が一のために購入していたリターンクリスタルを使用する――!
発動は一瞬。
使用したアイテムは望んだ効果を発揮し、アリーナから学園への移動処理を開始する。
歪み霞んでゆく景色の中。
――ユリウスの射殺すような殺意が俺を貫いた。
『ほう。迷い無く撤退とは中々良い判断よな。しかし、よかったのか?』
「何がだ、アサシン」
『いや、なに。指示通りサーヴァントを壊したが、いつもならマスターを殺れと言うだろう。どういう心境かと思ってな』
「ふん……奴には、暗殺など生ぬるい。サーヴァントが死ぬ様を見て、終末の恐怖にのた打ち回って死ねばいい」
『カ――呵呵呵呵呵!善哉善哉!なんだユリウス、おぬしそんな顔もできたのか!いやいや、中々よい殺意よ。いつもの仕事仕事といった義務ではなく生々しいその感情こそが本物よなぁ!呵呵呵呵呵!』
「……戯言はそこまでだ。行くぞ、アサシン」
『おうよ。しかし、ユリウス。そこまでの怒り、あの坊主に何を感じた?話してみんか、ん?』
「――黙れ」
『呵呵!失敬失敬!』
アリーナから脱出を果たし、向った先は保健室。
俺にはネコの状態が何一つわからなかった。
ただ理解できたのは、腕に抱く小さな体は段々と冷たくなり、呼吸一つしていないという最悪の状況だけ。
だが、保健室に居る遠坂とラニ、桜ならば、きっとネコの状態がわかるはず。
その希望に縋るように走り、保健室へと辿り着いた。
今、ネコはベッドへと寝かされ、遠坂、ラニ、桜がその傍でネコを診てくれている。
そこに俺が加わる余地など無く、足手まといにしかならない己の未熟さが腹立たしい。
せめて彼女等の邪魔にならないようにと無言で待つが、落ち着かない。
ネコは大丈夫なのか。
大丈夫だと信じたい。あいつの耐久力を信じたい。
だが、今までに無い、意識の無いネコという状態がどうしようもなく不安を掻き立てる。
「……なにこれ、呼吸系の異常?」
「いえ、異常というよりは……」
遠坂とラニが難しい顔で相談している。
状況は予断を許さない厳しいもののようだ。
「ナカオさん……」
いつの間にか傍にいた桜が、こちらを窺っていた。
「手を……」
そう言いながら桜の手が握り締められた俺の拳をそっと包み込む。
ゆっくりと優しく解かれた掌は、爪が食い込んでいたのか血が流れていた。
「すぐ治療しますね」
いや、俺のことはいい。
ネコを診てやってくれないか。頼む。
「でも……いえ、わかりました」
しばし逡巡したようだが、桜は頷き俺から離れてネコへと近づいていく。
今更ながら、桜の優しさを無碍にしたようで罪悪感が沸く。
向けられた気遣いすら受け取れないとは、なんと余裕のないことか。
そう自己分析できるのに、それでも、今の俺の心はネコの安否以上に大事なことなどなかった。
何か自分にできることはないか。
彼女等の邪魔になることは絶対に出来ないが、何もしないまま立ち尽くすこともまたできない。
だから、何でもいい、何かできることは無いかと、現状を注意深く観察する。
ネコがベットに横たわる姿。
遠坂がネコの傍に出現させたモニターを眺める姿。
ラニが遠坂と相談する姿。
桜が金槌を振り上げる姿。
注意深く観察するが、己がすべき事が浮かばない。
なんと無力で情けない。
このまま見続けることしかできないのか――!
――ちょっとまってストップ。
明らかに診察じゃない人が一人いる件。
あの、桜さん――?
「えいっ!」
「げふんっ!?」
可愛らしい掛け声と共に振り下ろされた金槌がネコの鳩尾を正確に穿ちネコの口から飛び出た何かはカランカランと床を転がり横たわるネコは釣り上げられた陸上のマグロの如くビクンビクン――!?
って、ちょっと待て――!
「ちょっ!?何してるの桜!」
「……斬新な治療行為ですね」
流石に桜の奇行に驚いたのか、遠坂は叫びラニは目を瞬かせている。
桜、一体なにをしているんだ――!
「え?治療ですけど?」
なにそれ怖い。
金槌で殴る治療があってたまるか。
それで治る怪我病気があったら怖い。
「え、でも、ほらこの通り」
「げふっげふっ!いきなりにゃにしやがるにゃパープル頭!一瞬前世が見えたぞこんにゃろう!」
「完治です」
なにそれこわい。
「なにそれこわい」
「……ざんしんな、ちりょうこういですね」
桜は仕事をしたとばかりに、えっへんと胸を張っているが、俺・遠坂・ラニは何が起こったのかついていけていない。
ただ唯一わかっていることは……
「にゃー!殺す気か紫ヘッドー!」
「あらあら。うふふ。………………しねばよかったのに」
「にゃにこいつまじこわい。白衣にくせにまっくろくろすけにゃーー!?」
ベットの上で桜に向って牙を剥くその姿が、ネコは無事であると証明していることだけだ。
で、一体どういうことなのだろうか。
「どう、と言われましても」
ネコがいたベットから移動し、机を挟んで桜と向かい合って座る。
遠坂、ラニも同様にそれぞれ空いている席に座り、桜に対する俺の質問の様子を窺っている。
桜は本当にわかっていないのか可愛らしく小首を傾げている。
「シャーッ!」
落ち着けネコ。桜を威嚇するな。
というか俺の後頭部に引っ付いて威嚇するな。爪が立ってるとても痛い。
……本当に完治したみたいだな。
「えぇ、もうナカオさんのサーヴァントは大丈夫ですよ」
それは十分に理解できたんだが……
「結局、このバケネコのどこが悪かったのよ?」
「私達の見立てでは呼吸系に何かが起こっていたようですが……」
遠坂もラニも、ネコの不調の原因を知りたいようだ。
もちろん俺も知りたい。
金槌で殴って治るなんて、いったい何が起こっていたのか。
「簡単なことですよ?ちょっと待ってください」
そう言いながら桜は座っていた椅子を立ち、さきほどまでネコが寝ていたベットへと歩み寄り、その傍の床に転がっていた何かを拾い上げる。
「これです」
拾い上げた『それ』を桜が指に摘んで俺達に見せる。
桜の指に摘まれる程度の球形のそれは――
ビー玉?
「ガラス玉?」
「ガラス玉ですね」
やだ、一人だけ名称が違ってて疎外感。
「にゃっふっふ。さすが少年どこまでも日本人。でも最近の若者はビー玉を知っているのかにゃ?」
俺が年寄りだと言いたいのかこの野郎。
「おはじきと言わなかっただけましだと思うにゃ」
そうだな。確かにその通り――待て、なんで慰められてるんだ。
「にゃっふっふ」
ちくしょうこの野郎。病み上がりじゃなかったらそのにやにや顔を止めてやるのに。物理で。
「もしかして今がイジリ時?いつやるの?今でしょ!」
「はいはい、話進まないからちょーっと黙っててくれる?」
オーケーわかった黙ってる。だから俺に向けて人差し指を向けないでお願い。
「ツインテの指先がうぃんうぃん唸ってやがるにゃー!?」
「はぁ……まったくこの馬鹿主従は……で、それが原因?そういえばさっき桜が叩いたときにバケネコの口から飛び出てたわね」
「呼吸器にガラス玉が詰まっていた、ということですか?」
わかってみれば何のことは無い。
ただビー玉が喉に詰まっていたというオチ。
まさか、敵サーヴァントがそんな攻撃をしてくるなんて……
「いえ、このビー玉は、この前のお茶会のときバケネコさんが誤って飲み込んだものですよ」
――敵の攻撃ですらなかった。
いや、待ってくれ桜。あの茶会にビー玉なんてあったか!?
記憶を辿るがそんなものがあったとは――
「あったわ、ね」
「ありました、ね」
あったの!?
遠坂とラニが、あーあれかー、みたいな呆れた顔で頷きあっている。
「ほら、思い出してナカオ君。そのバカネコ、一発芸とか言って飴玉一気飲みしてたじゃない」
「まるでガラス玉のように綺麗な飴玉でしたね」
そういえば、つい数時間前に行われた茶会で、ネコは用意された親指大の飴玉を数個、お手玉のように空中へ投げ出し口へ放り込んでいた。
確かにあった。そんな光景が。だがあれは飴玉だったはず――
「そういえばロシアンルーレットのつもりでビー玉一個いれてたにゃ!」
――自爆じゃねーか。
結局ネコが苦しんでいたのは、自業自得の呼吸困難というオチか。
じゃあ、先ほどのアリーナではサーヴァントに攻撃されたわけではなかったのか。
「んー。多分だけど、殴られたんだと思うにゃ。まったく気付かなかったし、見えなかったけど。んで、殴られた衝撃で胃の中身が逆流して溶けなかったビー玉が喉に詰まった、みたいにゃ?」
殴られたダメージは?
「そこそこ痛かった!」
倒れた原因はほぼ自業自得とかどういうことなの。
先ほどまでの緊急事態が嘘のようだ。
無事だったと喜ぶべきか、情けない現実に項垂れるべきか……
「笑えばいいと思うにゃ」
はっはっは。
――はっ。
「鼻で笑いやがった――!?」
……はぁ。まぁ無事でなによりだ。
それから、迷惑をかけてすまなかった、皆。
「……自爆で死に掛けるサーヴァントがいるなんてねぇ……」
「本当に興味が付きませんね、ナカオ(仮)のサーヴァントは」
「私はナカオさんが喜んでくれるならそれで……」
ネコを看病してくれた三人へ頭を下げる。
結局、しょうもない結末だったわけだが、彼女等は呆れはすれど怒ってはいないようで一安心だ。
さて、ネコも無事だったようだし――
――情報収集へ行くぞ。
「にゃ?訓練じゃにゃいの?」
アリーナはユリウス達とまた鉢合わせる可能性がある。
現状、敵サーヴァントの不可視の謎がある以上、一方的にやられるだけだ。
なるべく戦闘状態での接触を避けるべきだ。それに……病み上がり、だからな。
「そうね。ナカオ君から貰った戦闘データを見たけど、得体が知れなさ過ぎるわ。今はアリーナに行かないほうがいいでしょうね」
遠坂が俺の提案を肯定してくれる。
ラニもそう思っているようで頷いてくれた。
情報収集は遠坂とラニも手伝ってくれるが、俺達も訓練が出来ない以上、ただ暇を享受するぐらいならば、彼女等と共に情報収集すべきだろう。
「その方針がいいでしょう。私とリンは、この保健室から外出しないほうが良いので、ナカオ(仮)には外での情報収集をお願いします」
「それなら図書室を勧めるわ。あそこは図書室なんて平凡な名前だけど、実質ムーンセルが蓄積した情報の集積場なの。探すのは大変だけど、探せない情報は無いから有益なはずよ」
遠坂、ラニから助言を受け行動を開始する。
俺の未熟な能力ではできることは少ないが、そのできることを可能な限り突き詰めよう――
そんなこんなでやってきました図書室へ。
一見するとどこにでもある、学校の一施設のように見える。
蔵書数は大した物だが、決して常軌を逸したものではない。
だが、図書委員という役割を担うNPCに話を聞いたところ、この図書室にはムーンセルの観測した全情報が無差別に置かれているらしい。
ただし、その在り方は『本』という形に納められ、無造作かつ無作為に置かれているため検索は非常に難しい、という但し書きがつく。
あらゆる情報がある、つまりは英雄の情報もあるのだ。
この図書室を探索すれば、真名、スキル、宝具など、戦いに必要な情報を得ることが出来るだろう。
が、それを何の条件も無しに目的の物を探す行為は、砂漠の中から一粒の砂金を探すようなものだとNPCに言われた。
情報収集のための手段は用意した、それを探すのはマスターの手腕の見せ所、ということだな。
やるぞ、ネコ。
「にゃ!」
ネコは本棚に飛び掛り適当な本を読み出した。
手がかりが少ない以上、それも已む無しだろう。
とりあえず、『不可視』をキーワードに探してみるか。
「おや、図書室で会うとは奇遇ですね」
不可視、不可視……風王結界?
剣どころかサーヴァントそのものが見えなかったし、違うかな。
「貴方の次の対戦相手を聞きました。まさか貴方と兄さんが当たるとは」
不可視、不可視……アクトン・ベイビー?
まさか、既にスタンド攻撃を受けている……!?
「兄さん――ユリウスは僕の腹違いの兄弟なんです。もっともその事実と兄さんが聖杯戦争に参加していることは何の関係もありませんが」
不可視、不可視……石ころぼうし?
やだ、あの青い耳無しネコ科が敵だったら勝てる気がしない。
「貴方では彼に勝てない。ですので今のうちに別れの挨拶をしておきます」
いかん、不可視のスキルとか道具って意外と多い。
ここから特定することは難しい。
「……ふふ、いざ別れを言おうとすると感慨深い……いえ、侘しさを感じますね」
さて、どうしたものか。
「少年、少年。こんにゃの見つけたぜー」
別の本棚を探っていたネコから声がかかる。
何かを見つけたようだ。
「驚きました。僕は、貴方との別れを惜しいと感じています。失って初めて分かるとは、こういうことなのかもしれませんね」
「これにゃんかどうにゃー」
ネコが持ってきた本、そのタイトルに目線が釘着けになる。
【ここんとうざいえーゆーずかん】
あっていいのかこんなチートアイテム。
だが良くやった。
これさえあれば、ユリウスのサーヴァント、いやこれからの戦いの相手の情報を全て得たようなものだ。
だが、これほどの貴重なアイテム、他のマスターも狙ってくるかもしれない。
まずは安全なマイルームでこの本を開帳するぞ!
「ガッテン承知にゃ!」
誰かに見咎められないように、本を隠して図書室を抜け出る――!
「ですが、別れをも受け止めてこその王です。さようなら、ナカオさん。貴方との対談は僕にとって得難いものでした」
「……レオ」
「大丈夫です、ガウェイン。この別れもまた、僕の糧となりましょう」
「それでこそ我が主。貴方こそが王足りえる者」
「さて、行きますよ」
「はっ!」
急ぎ足でマイルームへ戻り、腰を落とす。
動悸が激しいのは走ったせいだけではない。
古今東西、ありとあらゆる英雄の知識、その結晶が俺の手元にあるのだ。
緊張しないほうがおかしい。
「さっそく読んでみるにゃ!」
急かすなネコ。
――ふぅ。
幾度か深呼吸を行い息を正す。
心臓が落ち着いたのを見計らって本へと視線を落とす。
――さぁ、開くぞ。
どこか古さを感じさせる、だがしっかりとした造りの本の淵へ指をかけゆっくりと開いていく。
その古き深き英知。
深淵の知識を今ここに――!
auの携帯カタログだった。
<あとがき>
レオ会長はこういう芸風でいいんじゃないかな(震え声)