遂にこの時が来た。大気に満ち溢れる魔力によって新たな体が構成されていき、指先から鼻孔の奥まで徐々に感覚を取り戻していく。
そして何よりも喜ぶべきは、今この瞬間に自分というものを認識できていることだ。それは今回与えられた役割がいつもと異なることを示す。
借り物の理想に溺れた挙句、都合のよい掃除屋になり果てた我が身。愚かな去りし日を呪うことが適うのは、いつも全てが片付いてからだった。故に今回の現界は、ようやく永遠の呪縛から解き放たれるチャンスに他ならない。
こんな知名度もないサーヴァントを喚び出した稀有なマスターは誰なのだろうか。やはり、かつての師でもあった彼女が一番可能性が高いだろう。返しきれない分の恩返しと、様々な趣向返しができることとなれば、胸が躍るという感覚を久々に思い出しそうだ。
それともう一つ考えられるのは、最悪で最高のパターン。そのときは後悔する間も与えず一刀の下に斬り伏せれば全てに決着が着く。己の身が解放されるにしろ、捉われたままにしろ、それなりの八つ当たりにはなるだろう。
思考に耽る暇は短い。いつでも投影が可能なように両手を構える。
晴れゆく白煙に映るシルエットは中肉中背のパーカーを羽織った男のもの。だが、どうにも彼とパスが直接的に繋がっている感覚はない。本命のマスターが居るはずだ。そう思った時、何かが腹部に触れた。
まさか、こんな少女がマスターなのか? その疑問を即座に打ち消したのは彼女から充分に供給される、滞りない魔力の流れ。
なんでさ? ――――かつての口癖を喉の奥にしまいこみ、とりあえず暫定マスターの少女に声をかけてみる。
「やれやれ、まさかこんな幼い子供に召喚されるとはな。予想外も良いところだ」
これは彼女に対する皮肉ではない。自分の背丈の半分ほどの、幼児と言っても良い年齢の少女が、サーヴァントを召喚し維持している。こんなマスターとの出会いを誰が予想できただろうか。
「念のためだが、確認しよう――――君が私のマスターか、お嬢さん?」
無言のまま腰にしがみ付いて離れない少女に対して、再度確認を取る。その言葉を受け、少女はゆっくりと面を上げた。艶やかな黒い前髪の先に、何故か雫が滴っていた。恐怖で震えている様子ではない。が、泣いている理由に全く見当がつかず、私は繕った鉄面皮の下でただただ混乱していた。
「ずっと、会いたかった……です。先輩」
満面の笑みで迎えてくれた彼女の言葉が理解できず、返す言葉を一瞬見失ってしまった。どうするべきか、自らの事を「先輩」と呼ぶ少女の頭を軽く撫でて場を繋ぐ。
言葉を表面通り受け取れば、彼女は「エミヤシロウ」という存在を知った上で召喚したということなのだろう。魔術師が儀を行うに相応しいとは到底言えない弓道場で召喚されたことからも、それは察することはできた。
「サーヴァント、セイヴァー。汝が声、聖杯のよるべに従い、今ここに馳せ参じた。その上でもう一度君たちに問う。何故、この無銘な存在をわざわざ召喚した? それに私は君のような幼い子に先輩と言われる覚えはないのだが――――君たちは何者なのだ?」
その問いに対して先に応えたのは魔法陣の外で棒立ちしたままの青年の方だった。
「はじめましてだ、衛宮士郎。俺は間桐雁夜、君たちの協力者であり、彼女の叔父でもある。そして――――」
「先輩、わたし、間桐桜です」
より強くしがみつく腕に力をこめながら彼女は名乗った。
あの陽だまりの下、笑顔に溢れた食卓――――靄がかかっていながらも、うっすらと瞼に浮かびあがる景色。英霊となったことでより一層摩耗してしき、ほとんど忘れかけていたはずの穏やかな日常。その象徴たる彼女のことを、名前を聞いてようやく思い出すことができた。
だがどういうことだ? 今の桜の姿はあまりにも幼い。どう考えても自らと出会う前の彼女のはずなのだ。ますます疑問は浮かび上がっていく。
「桜? その姿は一体……本当に君なのか?」
「そう、ですよね……今の姿はこんなですから。でもわたし本当に桜なんです。貴方の恋人の間桐桜です!!」
なんでさ――――再び情けない口癖が漏れそうになった。しかし、そして更に続く衝撃的な言葉が、喉元まで出かかった言葉を堰き止める。
「ここから十年後の未来から、先輩を助けるために戻ってきたんです!」
◆ ◆ ◆
「なるほど事情は把握した。要約するとするに桜。君は幼き日の私を助け出した上で、聖杯戦争そのものに終止符を打つ。それで相違ないな?」
「えぇ。正義の味方なんて、魔術師なんて……先輩には目指して欲しくないんです。ただ普通の幸せを手に入れるためにわたしは戦います」
十にも満たない少女が打ち据えた瞳を向け、ささやかな日常を得るために非日常に身を投じるのだと覚悟を語る。
それを聞いてしまった今、過去への八つ当たりとしか言いようのない愚かな願いなど、もう既にどうでもよくなってしまっていた。
「了解したマスター。たかが弓道場という薄い縁で良く私を喚べたものだと考えていたが、これは運命だったのかもしれないな。奇遇な事に、私の願いも君と同じなのだよ」
「何だって?」
「どういうことです?」
聞き返す二人に向けて、あるいは自らに向けた独白のように――――
「正義の味方、英霊などという者を……私は目指すべきではなかった」
憔悴した過去を想いながら、静かに瞼を閉じて言葉を紡ぎ出す。
「救いたい者を、救える者をこの手で選択し、そのために他の命を犠牲にしてきた。最初のうちはそれが正しいのだと、それが仕方ないことだと信じていたのだがな。しまいには救った命と奪った命、どちらが多いかわからなくなってしまっていたよ」
きっと今の私は男として、どうしようもなく情けない顔をしているのだろう。瞳を開けて、射場から覗く月を見上げる。一体何の皮肉か、義父へと誓ったあの月と同じ形に思えた。
夜空へと向けていた視線を二人に戻す。桜は眉を潜めて眼を細くしながら、一方で雁夜は固唾を飲みながら、自嘲を交えた話に耳を傾けてくれている。
「いつまでも続く時の呪縛の中、私は何度もその愚かな選択を後悔し続けた。故に聖杯戦争で過去に戻り、自分殺しという矛盾を持ってこの身を解放する僅かな可能性に賭けていた訳なのだが……君の話を聞いて気が変わったよ」
この世界の自らの幸せを願ってくれる彼女ならば、この剣と弓、持ちうる技量の全てを捧げるに値しよう。
「これより我が剣製は貴女と共にあり、貴女の運命は私と共にあることを誓おう。――――ここに、契約は完了した。よろしく頼む。桜」
「はい、先輩!」
このとき向けられた桜の涼やかな笑顔は、きっとこの世界の私を幸せにしてくれる。そんな確信めいた何かを私は胸に感じていた。
◆ ◆ ◆
「すごく……おいしいです」
完敗だ。やっぱり先輩にはまだまだ敵わない。御飯とお味噌汁、ほうれん草のお浸しと卵焼きという何の変哲もない朝御飯。調味料は家にあるものだからそこで差が付くことはないし、わたしの味付けも出汁の取り方も先輩と全く同じだ。
それでも自分で作った物よりおいしく感じるのは、あの頃の懐かしさと先輩の温かい真心が愛おしいからだろう。口の中で一段と香るお味噌汁が、昨夜の召喚と街中にある拠点の確認で疲れた体に深く染み入った。
「桜ちゃんの師匠ってだけあるなぁ。本当に美味しいよ士郎」
「そうか。気に入ってくれたようで何よりだ」
わたしとおじさんの言葉に対し、先輩は少し照れ臭そうに笑った。私の知っている先輩はこんな話し方をする人じゃなかったけれど、彼の纏う空気はやっぱり先輩のものだ。
「召喚したばっかりなのに、朝御飯まで用意して頂いてすみません」
「桜、私に気遣うことはない。マスターの体調管理もサーヴァントの務めだよ」
「ゴメンなさい、わたし興奮しすぎて寝不足だったみたいで」
昨夜は興奮して明け方近くまで全く眠れなかった。何故かなどとは言うまでもない。
一年ぶりなのだ。実に一年ぶりに先輩と同衾できたのだ。無理やり関係を迫るにはこの体は幼すぎて先輩に退かれそうなので、「怖くて眠れない」という実に単純な理由で枕を共にすることができた。
この体はこの体なりに使いようがあるということだ。唇の一つ二つを奪ったことなども寝像の悪さの一言で片付くだろう。
「でも次はわたしも一緒に作ります! 先輩、もっとわたしに色々教えて下さい!」」
「了解だ、マスター。私の持ちうる限りの全ての技を君に伝授しよう。付いて来れるか、桜?」
「もちろんです! 絶対に付いて行きますから!」
こんなやり取りを昔もしてたっけ。えぇ、絶対離しませんよ。
そして後片付けを済ませると、わたしの部屋で作戦会議を行うことになった。
「桜、雁夜、まずは我々の状況を確認しよう」
わたしは無言で頷き、おじさんは「続けてくれ」と促す。
「最初に言っておくが我々の陣営は非常に高度な立ち回りが求められる。何故だか分かるか、桜?」
「まず先輩が第四次聖杯戦争に参加することは本来だったらあり得なかったことです。だからわたしたちの持つ未来の情報を的確に使う必要があります」
「そうだ。だが我々の持つ情報はあくまでも未来の可能性の一部に過ぎん」
先輩が目配せをすると雁夜おじさんがその後に言葉を続けた。
「だからそれに頼り過ぎてはいけないし、全体の流れを掌握する必要がある――だね?」
「しかし情報というアドバンテージ以上に大きなデメリットもある。」
「わたしの今の体が幼すぎることですね。魔術は別にしても、身体能力的には戦いに全く向いていません」
先輩は無言で頷くと先を続けた。
「桜、はじめに言っておくが君は非常に有能なマスターだ。これまでの貯蔵魔力も十分。現在の魔力供給に滞りはないし、私の狙撃に最適な拠点をあらかじめ用意した判断も間違いない。これならば君が前線で戦う必要はないだろう。充分に力を奮って戦える環境を整えてくれたことに心から感謝しよう。ありがとう、桜」
先輩から私に向けられた感謝の言葉が、何度も頭に鳴り響く。地の利と情報力を生かして、一年間用意した甲斐があったというものだ。
「いえ、前の戦いのときに一番つらかったのが魔力不足でしたから。それに先輩を召喚することもずっと前から決めていましたので」
お腹が空いてどうしようもなかった日々はもう嫌だった。だからわたしは召喚後もお腹が空かないように、秘密をばらしてまでもお爺様と取引をした。
以前は影を表だって使い過ぎたせいで大事になってしまったが、お爺様に依頼して蟲で広く浅く愚かな不良などを襲わせ、魔力タンクとしての蟲を保存させてある。
あとはその蟲を私の使い魔で喰らわせれば補給は完了だ。この方法なら私が動くより隠蔽しやすく、用いる影もごく小さい物で済む。
姉さんの宝石魔術と違って戦闘中には補給できないが、蟲蔵に帰れば思う存分補給できる。お爺様も駒としてはかなり有用なのだ。
普段のわたしの言動から先輩さえいれば他に何もいらないと、多分お爺様も信じているのだろう。お爺様への殺意を知らず、聖杯は自分にくれるものだと信じ込んで、苗字もわからないこの世界の先輩を探してくれている。
もし本当に騙されているとしたら馬鹿だ。あの小汚い蟲がわたしに向ける笑顔が逆に愉快でたまらない。お爺様は何にも分かっていない。
―――― わたしは“二人とも”欲しいのに。
聖杯は先輩を受肉させるのに使おう。前例もあるのだから不可能なわけがない。そうだ、何の問題もない。
後は雁夜おじさんの幸せや、お父様の処遇、他のサーヴァントへの対抗案をしっかり練らなくてはいけない。結論を出すには今のわたしには知恵が足りないと判断したからこそ、ここは二人の大人に頼ることにして会議をしている。
「――桜?」
「――桜ちゃん?」
「はいっ!? 大丈夫です。お腹いっぱいで、ぼうっとしちゃいました。すみません続けて下さい」
いけない、思考にふけり過ぎて先輩の話を聞いていなかった。二人が心配そうに顔を覗き込んでいる。
「――――私のクラスがセイヴァーというイレギュラークラスであること。これはメリットでもあり、デメリットでもあることは分かっているな?」
「残り枠からクラスが露見しないことがメリットだろ? デメリットは本来のクラスのどこがなくなったのかが分からないこと」
「その通り。よって私に本来適正のあるアーチャ―やキャスターとして振る舞えば他の陣営の情報を撹乱できる。そして他陣営同士の戦闘を誘発させ、必要時には狙撃で漁夫の利を狙う。おそらくこれがベストな動きだ」
いつの間に雁夜おじさんと先輩が話を進めていたようだ。雁夜おじさんは結局一般人のままだけど、聖杯戦争の仕組みについては熟知している。有能とは決して言えない人だが、わたし以外の視点で考えられる味方が居るだけで本当にありがたい。
「おそらく神父さんがアーチャー、先輩のお父さんがセイバーと知っていますから、できるだけ早く残りの情報を埋めたいですね。その上で敵対させる陣営を考えていかないと」
「そうだな桜」
「それよりも士郎、二人で書いてもらったこの紙だけどさ、正直感想言っていいか?」
「――――確かにステータス面ではパッとはしないだろうな」
わたしが見たステータスを写した紙を読んだ雁夜おじさんに対して、籠った声で先輩が答えるのも無理はない。魔力供給に不足がないとはいえ、確かに先輩のステータスはお世辞にも高いと言える物ではないからだ。ただあの姉さんにアーチャーとして使われていた頃も、確かこの位だった気がする。
しかし、イレギュラークラスというのは予想外だった。アーチャーであれば神父様のサーヴァントを召喚の時点から排除できたかもしれず、遠距離攻撃重視の作戦を取らざるを得ないわたしたちにはアーチャークラスは魅力的だったのだ。
既にどうしようもないことだが、キャスターとしての陣地作成スキルがあれば都合が良かったのに友思う。とりあえず今のわたしたちにとって穴熊はあまり効果的でなさそうだ。
でもわたしはそういった思惑以上に先輩が救世主セイヴァーとしてわたしの声に応えてくれたのが嬉しかった。諦めない先輩の姿にこそまさに相応しい。“わたしの味方”にピッタリではないか。
しかし先輩と雁夜おじさんの話を聞いていると、やはり二人ともアーチャーか、キャスターの方が良かったとぼやいているようだった。
「だが雁夜よ。聖杯戦争はステータスの高さでは決まらない。私の本領はだな――――」
この後先輩は熱く投影魔術や固有結界について語ってくれた。魔術師としての知識が欠けているわたしやおじさんにとっても、先輩の異常さは驚きの連続だったが、先輩の秘密を知れて嬉しかった。
見込んだ通り、あらゆるサーヴァントに対しての切り札となりえる彼を召喚した判断に間違いはなかったと、わたしだけでなく雁夜おじさんもそう思っているように伺えた。
でも同時にふと思ったのだ。剣の世界にたった独りだなんて、先輩の世界のわたしたちは一体何をしていたのだろうか。
許せない。
先輩を正義の味方にした衛宮切嗣が許せない。
先輩を置き去りにしたセイバーが許せない。
先輩に魔術の道に引きこんだ姉さんが許せない。
先輩に覚悟をさせてしまった兄さんが許せない。
先輩を日常に留めてくれなかった藤村先生が許せない。
許せない。みんなを許せない。
そして何よりも、先輩の力になれなかったわたし自身が許せない。
だから改めて誓おう。わたしは絶対に先輩を幸せにする。だからわたしは――――
「――――の方がいいよな?」
「あぁそうだな。同盟相手が今の我々には必須だ」
いつの間にか、また二人の間だけで話が進んでいた。いけない、いけない。
「桜、以上を踏まえた上で君は誰と手を結ぼうと思う?」
同盟か。これは非常に難しい問題だ。だが未来の情報を考慮し、前々から考えていた最も確実な案を私は推してみる。
「わたしの知る第四次聖杯戦争で最期まで勝ち残ったアーチャー、そのマスターである神父様に協力するべきだと個人的には思います。でもお父様と師弟関係であるうちは手を組めません」
「言峰綺礼――――か。この写真を見ても十年後と顔が違うのだろうな。そういう奴がいたということ以外の記憶が戻って来ないが、このデータを見る限り凄まじい経歴の持ち主のようだな。衛宮切嗣という例外を除けば対魔術師戦に最も長けているとも言えよう。確かに優勝候補ではあるな。だが遠坂との繋がりもある。それにこの男と組むのは――――これはあくまで直観だが、私は止めた方が良いと思う」
顎に手をあてながら話す先輩は眉を潜め、凄く困惑した顔をしている。おそらく記憶を探っているのだろうが、大人な先輩はいつも冷静な顔だから珍しい。でも雁夜おじさんの反応は違った。
「士郎の言うこともわかる。でも実際に未来で最期まで残ったのはセイバーとアーチャーだ。アーチャーと残り二騎になるまで同盟して最期の一騎打ちは理想的じゃないのか? 士郎の能力はアーチャーの天敵なんだろう?」
「確かにそうなのだがな――」
そう、これが一番理想的な展開だ。
「おじさんの言う通りです。それにセイバーを倒せば先輩のお父さんは脱落します。この世界の先輩は“正義の味方”にならずにすみます」
「なるほど。君の言っていることは分かった。だが君の父上をどうにかしなければならないのでひとまず保留でよいか?」
「そうだな。まず時臣が邪魔だ」
「ですね。一度保留にしておきましょう」
とりあえず今の所、決定的な敵対関係さえ作らなければいい。居場所が分かっている神父様なら後でも同盟を申し込むチャンスはあるだろう。タイミング的にはお父様が倒れてからがベストだろうか。
「桜、雁夜、これは私個人の意見なのだがな。一時的な協力者はこの二人のどちらか良いと思うのだが、君たちはどう思う?」
そう言って先輩が渡した二束の資料を見比べる。御三家のわたしたちと違って情報も少なく、頼るあても碌にない外来の魔術師二人。わたしと雁夜おじさんは顔を見合わせて同時に指を差した。
「ロード・エルメロイか。私もそれは堅実な判断だと思うよ。後は接触方法だな」
彼を選んだのには大きな理由がある。先輩の目的のためにも、おじさんの幸せのためにも、彼女を排除するためにも、魔術師として未熟なわたし達には時計塔の知識がどうしても必要だった。
終盤に裏切るのも良いが、聖杯の起動の補助や聖杯戦争後の処理を考えると、恩を売っておいたときに役立ちそうだという目論見があったのだ。特にお父様から姉さんたちを奪い返し、お爺様から逃れようとする雁夜おじさんには後ろ盾が欲しくなるのも無理はない。
わたし達は絶対に幸せになってやるのだ。そのためになら何でもしよう。 そう考えていた時「ごちそうさま」と手を合わせて、雁夜おじさんが勢いよく席を立つ。
「よし、それじゃ早速行くぞ士郎」
「あぁ。この皿を洗い終えたら出向くとしよう」
先程長く考え事をしていた間にでも、二人は昼間から出掛けるという話になっていたのだろうか? わたしも慌てて席を立つ。
「ごちそうさまでした。先輩、わたしも洗い物手伝います!」
「その小さな体では大変だろう。私と雁夜に任せておけ」
「じゃあ、すみません。お言葉に甘えさせてもらいますね」
確かにこの小さな背丈とおぼつかない手先では逆に邪魔かもしれないと好意に甘えることにした。
「それで雁夜おじさん、これからどこに行く予定なんですか?」
「あぁ、教会だよ。俺が士郎のマスターとして登録に行く」
「これならば桜が直接狙われる機会は減るだろう。君自身の魔術があるとはいえ、他の魔術師……特に衛宮切嗣に襲われるのは避けたいからな」
つまり雁夜おじさんはわたしの身代わりだと。そんなことを二人は考えていたのか。
「そんな、それだと雁夜おじさんが……」
「何もできない一般人だけどね。これぐらいはカッコつけさせてくれ」
「いざというときは君の令呪があれば雁夜一人を抱えて離脱も容易だ。それに余程の事がない限り雁夜を巻き込む近接戦闘を行うつもりもない。大人を信じろ、桜」
二人がわたしのことを案じてくれている姿に、思わずわたしの心は打ち震えた。ここにはわたしの味方が確かに居るのだ。それがどれほど心強いことか。
ならば表で動くのは二人に任せよう。蟲の捕食で補給しているとはいえ、召喚と現界でそれなりに負担が大きいのだ。わたしが直接動くのはもしものときで良い。
先輩を、雁夜おじさんを救うためならば、わたしは闇に潜んでこの忌まわしい魔術の牙を敵の背中に突き立ててやろう。そう心に誓い、二人を笑顔で送り出した。
◆ ◆ ◆
先輩を召喚してからたった二日で事態は大きく動いた。
「お父様が召喚していたのがアーチャーで、神父さんのアサシンが敗退して教会に保護を求めた――――先輩はこの一件のことをどう思いますか?」
わたしたちは拠点の一つである見晴らしの良い高層ビルに向かう前に、屋敷の応接間で軽い会議を行う。
昨晩の出来事は衝撃的だった。使い魔からの映像によると、アサシンがお父様の下に単独で忍び込み暗殺を謀ったが、アーチャーに見つかって敗退。あまりにも予想外な聖杯戦争の初戦闘に対し、わたしたちは何もできないままだった。
触媒としてお父様が入荷したらしき最古の蛇の抜け殻は、弟子の神父様のためのものだと思っていたため、わたしたち三人ともサーヴァントの組み合わせが予想と違うことにあっけに取られていたのだ。
そのせいで迷いが出たわたし達は出だしが遅れてしまった。他の陣営は結局動かず、昨晩の戦闘は静かに終わり現在に至る。
昨夜の戦闘に刺激され今晩は本格的な戦闘が起こるだろうと踏んでいるのだが、時間が許す限り昨晩の出来事について整理をしなければならないと、先輩と雁夜おじさんへ提起した。
「そうだな。我々の知識では言峰のサーヴァントはギルガメッシュであったはずだ。もしかしたらわたしたちの知っている過去の情報があてにならない並行世界に来ている可能性を考慮するべきだろう」
「えぇ、それは最悪ですよね」
「そうだね。情報戦における俺たちの強みがなくなってしまう」
残念ながらそうだとしたら、結局わたしたちは過去の情報はあてにせずに戦っていくしかないのだ。だがあえて、わたしは二人に一つ提案をする。
「でもこれは好機です。神父様とお父様が敵対していたのなら何の遠慮もいりません。神父様を味方に引き入れましょう。サーヴァントを実際に倒した魔術師はわたしの知り得る限り先輩と神父様の二人だけです。時計塔の人よりずっと頼りになるはずだと思います」
わたしの見事な意見に驚かされたのか、二人が口を開けたまましばし黙り込む。
「桜ちゃん。少しは人を疑うことを覚えた方がいいと思うよ?」
「そうだ。倒されたのは気配遮断と単独行動を持つアサシンだぞ。死んだのはおそらくブラフの可能性が高い。何しろアサシンがいなければ他のマスターは暗殺される心配がなくなり油断するからな。アサシンの活用方法としては最高の手の一つだろう。流石代行者、奴は侮れん」
先輩の考察はすごかった。さすが英霊になっただけのことがある。一般人のわたしとは大違い。
確かにわたしたちみたいに自分の身を守れないマスターからしたらアサシンの存在が最も恐ろしい。これが策かもしれない以上、まだ神父様に協力するのは早計ということか。
「それにだよ、俺がアイツの立場で時臣を殺るならそれは最後の最後だ。アサシン単独じゃ他のサーヴァントに勝てない以上、アサシンのマスターの活路はそれしかない。だから士郎の言う可能性以外を上げるなら、時臣の強要だ。アーチャ―の強さを見せびらかして、他の陣営が迂闊に攻めれないようにしたかったとかいうのはどうだろう? あとアーチャーは桁外れに強いんだろ? いくらサーヴァントが強くてもアーチャーが戦っている間にアサシンに殺されるのが嫌だったから、師匠権限でわざとアサシンを召喚させて無駄死にさせたとか? 時臣の性格だったらあり得ると思うんだけど、どうかな士郎?」
なんか雁夜おじさんも思考が冴えているようだ。お父様のことが絡むと前が見えなくなる人だが、逆にその殺意と力の無さが「どうやってお父様を殺すか?」という命題に対し真剣に向き合わせているのだろう。
そんな二人を見ていると、わたしって本当に頭が足りないようだ。どうも自分に都合のいい方や、自分の立場からしか物事を捉えきれないようである。
冷静な二人が味方で本当に良かった。今のわたしは恵まれていることに感謝しなければならないようだ。
「ふむ、雁夜の言うことも興味深いな。遠坂時臣の性格を私は知らないが、見栄っ張り、あるいは臆病な魔術師が弟子を利用するならばそういった考えも悪くはない」
先輩はおじさんを褒めるとさらに考察を加え、新たな提案を色々くれた。今回の会議の結論としては、アサシンが生きている可能性を配慮して用心を欠かさないこと、神父様とお父様の協力関係が崩れていない可能性を考慮して、当初の予定通りロード・エルメロイと協力関係を得るチャンスを待つという方針になった。
そして夜、そのチャンスがすぐにやって来る。
「ふ――――うふふふふ。あなたはここで必ず殺すわ。セイバー」
それも私が望む、ほぼ最高の形でだ。