「セイバーは、桜の花は好きか?」
春の陽だまりの中、快晴の空によく映える桃色の葉が時折吹く風に乗り飛んで行く。
それを見上げながら、俺たち二人は長く続く坂道を歩いていた。
道の両脇には所狭しと並ぶ桜の木。見ていて気持ち良いほど綺麗に咲くこの冬木の桜は昨日満開を迎えたらしい。
「桜、ですか。そうですね、月並みな表現ですがとても美しいと思います。私の国にはこのような花は無かった。花をよく知らぬ私でも分かる、この花はこの国の人たちにとって大切な花なのですね」
手をつないでセイバーの体温を感じながら歩く。つなぎ初めはお互いに緊張したが、今ではこの感触を心地いいと感じている。
こうして手をつなぎながら並んで歩くのはセイバーと出会って初めてかもしれない。手をつなぐといってもどちらかがひっぱて行くようなことばかりだったから、新鮮で少し恥ずかしさもあった。
「それと桜と聞くと、彼女のことを思い出してしまいます」
ひらり、と落ちてきた桜の葉を手のひらで受け止めて、それを眺めながらセイバーは言う。
「彼女には本当に世話になった。シロウ、どうか桜を大切にしてください。彼女はとても繊細だ。普段どんなに強がっても何かの拍子で簡単に壊れてしまうこともあるでしょう。でも、あなたがそばにいて支えてあげられるのなら、彼女はきっと幸せな人生を歩めると思う、そんな気がするのです」
こんなときにまで誰かの心配をするあたりが本当にセイバーらしいと思う。思えばいつもそうだった。自分のことよりも誰かを優先して、いつだって誰かのために生きていた。出会った当初はそれが自分と似ていることに気付かなかったが、彼女と同じ空間で生活していくうちに彼女が持つ信念と自分が持つ信念がほとんど変わらないということ知った。
だからこそ、彼女との出会いには運命的なものを感じていた。
出会ってしまった、というよりもやっと出会えたというような感覚。
いつか遠坂が言っていた。『あなたたちは普通の他人同士じゃなくていわゆるソウルメイトなの』と。
セイバーに出会うまではそんなものは存在しないと思っていた。だが、そういわれる人に出会ってみると確かにそれはあったのだと確信した。
きっと、俺がどんな人生を歩もうと彼女とは出会う運命にあったのだろう。その出会いが聖杯戦争というおかしな出来事を通してだったのも、ただの通過儀礼でしかなかったんだ。
時を越え、出会い、そして別れる。これが彼女と俺の運命。あの夜からこの道を通ることが決まっていた。
正直なところ、今まで俺はずっと不安だった。朝起きたらセイバーが居なくなっていて、誰もそれに気づかずにセイバーなんて女の子はこの世界に存在しないものだった、なんてことになることを恐れていた。彼女があまりにも夢のような存在だったから、そうなったとしても俺が見ていた夢なのではないか思ってしまいそうで。
だけどセイバーは今まで残り続けてくれた。聖杯など、もう存在しないのにただ意味も無く俺たちと一緒に居てくれた。
それがたまらなく嬉しかった。聖杯に告げる願いがあったとしたら、それはもう、叶っていたんだ。
だからもうこれ以上は望まない。願いを叶えたのなら、それを返さなければいけない。他の誰でもなく、セイバー自身に。
「――――そうだな。桜のことはずっと大切にするよ。いつか離れ離れになっても、あいつは家族だからさ、絶対に守るよ」
その意思を伝えるように左手に力を込めた。そう答えると――――ああ、と安心したような声が隣から聞こえた。
「シロウなら、そう答えてくれると思った。そうすればきっと桜は幸せになれる」
返答と同時に右手で握り返される。どこまでも優しい彼女は、最後まで自分を貫いていた。
しばらくして道は緩い坂道になる。その頂上には冬木で最も大きい桜の木がある。俺たちはそこに向かって歩いていた。
何かを伝えようかと考えてみるものの、こんなときに限って何も浮かんでこない。いや、違うか。伝えることなんて、もう無いのかもしれない。
言いたいことも、言わなくちゃいけないことも、俺たちは互いに全てを知っている。だからさっきの桜の話も、本当は分かり切ったことなのだ。言いたいことはもうないから確認事項を読み上げただけにすぎない。例えるなら、学校に行く前に忘れ物がないかを確認する親子のような会話。
分かり切ったことばかりで会話に意味なんてなかった。だから、俺はあえて”分からない”ことを訊く。
「セイバー、もし、生まれ変わりがあるのだとしたら次はどんな人生を送りたい?」
そう、答えのない質問。それならば俺も彼女の答えを知らない。それは彼女自身が作る幻想だから。この世界には過去にも未来にも存在しない、彼女自身の中にしかない答えだから。
セイバーはすぐ答えない。唐突な質問で困っているのかと思いきや、その答えを考える表情はどうしてか幸せそうな顔に見える。
「シロウ、それはどんな世界でもかまいませんか? 私だけでなく、私の知る人がその世界に居てもよろしいですか?」
「ああ、かまわないよ。だってそれはセイバーが考える世界なんだから」
どんなことだってあり得る世界。セイバーが一生懸命考えているうちに俺も一緒に考えてみた。
数分の時を置いてセイバーは一度息を吐き、少しだけ顔を紅潮させ決心するように俺の顔を見上げてくる。
「……か、考えてはみましたが、これを口にするのは恥ずかしいです、シロウ」
「大丈夫だよ。どんな考えでも笑ったりしないから」
「本当ですね? ぜ、絶対に笑わないでくださいね!」
「分かった分かった。で、どんな考えなのさ」
話しやすいように会話のボールを渡してやる。セイバーは心底恥ずかしそうに時間をかけて口を開いた。
「も、もし生まれ変わったら、私は、その……し、シロウと同じ学校に通ってみたぃ」
そう言ってセイバーはうつむいてしまう。語尾はほとんど聞き取れなかったがなんとなくは分かった。
「そうか。セイバーは俺と同じ学校に通う生徒になりたいと。で、それからは?」
意地悪をするように続きを問いかけてみる。まさかあれだけ考えて答えがそれだけだとは思えなかったからだ。
「え、ええっと、私のクラスにはシロウとリンがいて、後輩にはサクラがいて、その、お昼休みには屋上でシロウとサクラが作ったお弁当をみんなで食べたり」
「それからそれから?」
「そ、それからシロウとサクラは弓道部に、私は剣道部に入っていて、リンは科学部。そして部活が終わった後はタイガを入れてみんなで帰宅する」
「あとは?」
「私とシロウの家はすぐ隣にあり、度々シロウの作る料理を私とタイガが食べに行きます。そのあとにシロウに家まで送ってもらい、別れ際に―――――――――」
「セ、セイバーもういいから、少し落ち着いて」
そこまで行ったところでセイバーの頭から煙が出てきた。さすがに無理をさせすぎたようだ。
「ご、ごめんなさいシロウ。少し考えすぎたようです」
考えすぎただけじゃ頭からは湯気は出ないはずなんだけどな。それにしても、
「予想外だったよ、まさかセイバーがそこまで考えてくれるなんて」
途中から調子に乗って乗せてしまったが、ここまで深く考えてくれるとは思いもしなかった。
だけど、それが心から嬉しい。彼女自身が、本当にこの世界を愛してくれていることを表現してくれた、それだけで満ち足りた気持ちになる。
過去の英雄だとか、一つの国の王様だとか、そんなものを後回しにして俺たちが生きている世界に生まれたいと言ってくれた。
それ以上の喜びが、どこにあるのだろう。
「セイバー」
立ち止まって彼女の顔を見つめる。本音を言ってしまったことを恥じるようにしている姿が全ての言葉に嘘がないと告げている。
だからこそ、この言葉を言いたかった。それ以外は必要ない、と俺の中に居る俺自身がそう語ってくれた。
「ありがとう」
たったそれだけの言葉で伝えることが出来たかは分からない。自分でもこの言葉にどれほどの感謝を込めたかも分からない。込めた感謝の何百分の一がセイバーに伝わったのかも分からない。
それでも、それだけでも、嬉しくて嬉しくて、幸せというものが物体として見れるものなのだとしたらきっと今それが俺の中に確かに存在している。
「――――はい。どういたしまして、シロウ」
万弁の笑みでそう言うセイバー。彼女がこうして笑ってくれる瞬間は、確実に同じように俺も笑っているんだ。
失った笑顔、失ってしまった幸せ、そして、間もなく失ってしまうであろう幸せの象徴。
それでも、いい。俺は彼女の願いを忘れない。いつか時が経ち、この時間、過ごしてきた日々、与えられた幸せ、少なくとも与えることが出来た笑顔。
その全てを忘れるときが来たとしても、俺はそれに縋りついてでも離そうとはしないだろう。
忘れたのなら、思い出せばいいのだから。こぼれおちたのなら、振り返って取りに戻ってもいいんだから。
俺はきっと止まることなくこの生き方を貫く。その先に、いつか消えていった未来の自分の姿が重なるとしても、俺は絶対に自分を曲げることはしない。
そうすることで、同じ道を走ることが出来る。道がまっすぐならば、後ろに向かって走っていけばいつかこの記憶を辿ったことを思い出せる。
セイバー。アルトリア、という少女を愛した。その記憶を握りしめているだけで俺は後悔はしない。
例えば、他の誰かを好きになる未来が来るとする。その人とは違う人を愛する時がくるとする。それでも彼女のことを忘れることなんてしない。
「セイバー、もし、俺が違う誰かを好きになったとしても怒らないでいてくれるか?」
それを言葉にするのは自惚れでしかない。分かってる。それでも彼女の言葉で、その想いを聞きたかった。
彼女がこの場所から居なくなってしまったとしても、太陽は昇り沈み、それを繰り返すだろう。
この桜が枯れて、そしてまた咲いたときに彼女が居なかったとしても、変わらずに俺は生きているだろうから。
「もちろん。シロウが好きになる人がどんな人だとしても、私は幸せを願っています。だから、一つだけ約束してください」
つないでいない片方の手を自らの胸において、何かに祈りを捧げるようにセイバーは目を閉じる。
「ああ、どんな?」
坂道の上から春風が吹き、彼女の滑らかな金色の髪を靡かせる。その風に言葉を乗せるようにセイバーは目を開き、俺に約束を告げる。
「――――あなたが誰かを好きになるたびに、大切な人が出来るたびに、どうかそのたびに私という存在が居たことを思い出してほしい。私は、あなたが私を思い出す回数が一度でも多くなることだけを願っています」
春風はその想いをどこに運んで行くのだろう。
そんなの俺に分かるわけがない。だから、それがまだ見ぬ未来へと飛んで行くことを信じていよう。
「分かった。約束する。でもさ、俺が一生誰かを好きになることが無かったらセイバーを思い出すことができなくなるよな」
少しからかうように言ってみる。すると困ったように眉毛を曲げて唇を尖らせるセイバー。
「それは困ります。では、これは私の命令です。シロウ、あなたは誰よりもたくさん大切な人を作ってください。出し惜しむことなんてありません。出会う人々全員を愛してください」
そんな出来るかどうか分からない命令。多分そんなことは出来るわけがない。それでも、そのお願いが彼女らしくて笑ってしまった。
「な、わ、笑うことはないではないですかシロウ。私は本気で命令しているのですよっ?」
「い、いやごめんごめん。あんまりにもセイバーらしい命令で思わず笑っちまった」
さすがは騎士王といったところか。出会う人すべてを愛するなんて、普通の人間にはできない。
でも、それは普通の人間には出来ないだけ。俺が普通ではなく壊れている人間ならば、出来ないことはないんじゃないか。
この世界を救う正義の味方になるのならば、それくらいできて当然なのではないか。
一度、空を仰いで思考を止める。大切な人が出来るたびにセイバーを思い出す。それは彼女の願いで、聞いてやらなくてはいけない約束。
分かっている。それが出来ないのだとしても俺は諦めてはいけないのだ。正義の味方になることも同じで、最後まで貫かなくてはいけない夢。
諦めることを諦める。その感覚を俺は一度だけ感じたことがある。あの感覚を何回も繰り返さなくてはいけないということ。
それは、思っているより難しいのだろう。だけど、それを実現した奴が居ることを俺は知っているから、俺に出来ないわけがないんだ。
未来の自分に出来て、今の自分に出来ないなんてことはあり得ない。だからどんなに苦しくても、折れそうになってもこの生き方を貫いた先にその夢の形があるということを信じて進むしかない。
「大丈夫、俺はきっと思い出し続けるから。セイバーのことを思い出しすぎて好きになった誰かに嫌われてしまうくらい思い出すよ」
「それは、ありえません。あなたはきっと愛した人を最後まで愛し続けるでしょう。その結果、私という存在が無くなっていくのなら私にも意味があったことになる。だからこそ、人を愛してください。あなたが誰かを愛するということ、それが私の存在した象徴になるのですから」
その言葉は、とてもつらくさみしい言葉だった。けれど、笑顔で語るセイバーはそうなってほしいと願っている。忘れていくことで自分の存在理由を作ることが出来る、そう言っているのだ。
誰かを愛し自分を忘れてほしい、けれど、誰かを愛するたびに自分を思い出してほしいという矛盾した願い。
それはきっと、本当の願いだからこそねじれてしまっただけなんだろう。いまなら理解できる。そのねじれに疑問を抱きながら生きていくのも悪くはない。
だって、誰かを好きになってセイバーのことを忘れそうになる度に思い出すことが出来るんだから。
メビウスの輪のような循環だ。だから、俺は彼女を忘れることは無いのだろう。忘れるたびに思い出すんだから、思い出すたびに消えていくけれどそれでもずっとこの記憶はここにあり続ける。
「じゃあ俺も約束してほしい。セイバー、いつかもう一度会ったときにはさ『おかえりなさい』って言ってくれよ」
それはこの世界で聞くことはできるのかどうか分からないけれど、俺は前に進み続けるからいつかは会えるはずなんだ。だから、居なくなってしまうのはセイバーではなく、他でもない俺が消えていくことなんだと思っていてほしい。
「いつか必ず帰るから、待っていてくれよ」
そんな、どこの世界で起きるかも分からない出来事をイメージしながら、俺は願いを彼女に告げた。
「はい。あなたがいつ帰ってきてもいいように私は私のままで待っていますから」
その太陽によく似た笑顔がもう一度見れるなら、この先にどんな地獄が待っていようとも俺は越えて行けるだろう。
帰る場所があるのなら、どんなに傷ついたとしても関係ない。
在るべき場所に帰れるのなら、どんなに変わったとしても俺は前に進める。だから、
「なあ、セイバー。俺は生まれ変われるのならさ、もう一度セイバーを好きになるよ。どんなに遅い出会いだとしても、俺はお前のことを探し続ける」
これは、おそらく意味のない約束だ。だって、生まれ変わった俺は俺ではないのだから。
次に生まれる俺が俺の生まれ変わりだとしても、そいつは今の俺ではない。俺の記憶を持って生まれることなどなく、俺とは違う人生を歩むだろうから。
それでも信じていたい。生まれ変わったとしても、俺はセイバーに会いたい。セイバーが俺のことを知らないとしても、俺がセイバーを知らないとしても、もう一度何億分の一の確率で出会えたなら、その俺はきっと幸せになれるだろうから。
「シロウ。私も、きっとあなたを愛します。あなたがどんな人になっていようとも、私はあなたを愛する。そうできるのなら、終わることなど怖くない」
セイバーも同じことを言ってくれる。それは俺の約束と同じ、意味のない約束。これは好きという感情を違う言葉で表現しているということに気づいた。
会えるはずもないのに、会えたとしても愛せるかどうかなんて分からないのに、ただ今愛しているから次も愛せるだろうという思い込み。
たとえそうだとしても、この有り余った想いを伝えるためにそんな言葉を伝えたのだ。
今好きだから、今愛しているから、次に生まれ変わったとしても出会って愛したいと願う。
これはきっと、当たり前のことなんだ。本当に人を好きになってみなければ分からなかった。どこかのドラマのような話だ。でも、本当にあったんだ。
「行こう、セイバー。もう少しだ」
手を引いて頂上を目指す。一番高い所にある一番大きな桜の木。
そこを目指して俺たちは歩いていたんだ。手をつなぎながら、お互いのぬくもりを感じながら。
頂上まではもう少しだけ距離がある。普通のスピードで歩いていればあっという間に着くような距離だが、この歩みの速度ではまだまだ辿りつくことはできない。
「シロウ。あなたはもし生まれ変わったら、どんな人生を送りたいのですか?」
隣を歩くセイバーが問いかけてくる。そうか、セイバーが答えたのに俺はまだ答えていなかったな。
さっきセイバーが悩んでいる間に考えたものがある。いや、考えなくても大体の答えは最初から決まっていた。
「俺は、セイバーと同じ人生を送ろうって考えてた。さっきセイバーが言ってくれたみたいに、セイバーと出会って同じ学校に通って、遠坂や桜と仲良くなって、みんなで普通の生活を送りたいなってさ。あ、でももしセイバーが日本人に生まれたらどんな名前になるんだろ」
そうだ、このまま生まれ変わることばかり考えていてそんな簡単なことに気がつかなかった。外国人であるセイバーが日本人として生まれ変わるのだとしたら、きっと見た目も変わるんだろう。それを考えるとさらに想像が膨らんだ。
「どうでしょうか。私にシロウやリンのような画数の多い名前が付くなど、考えたこともありませんでした」
「だろうな。うーん、でもセイバーのことだからきっと勇ましい名前なんだろうな。武田とか伊達とかそんな戦国武将みたいな感じで」
うん、それならなんとなく想像がつくぞ。あれだ、きっと小さなころから剣を教え込まれて文武両道、男の子勝りの天才剣士、って感じで有名な少女になりそうだ。
「むぅ、シロウ。何やらおかしな想像をしていませんか」
さすがセイバー。直感の良さは健在なんだな。綺麗に考えを読まれてしまった。
「ははは、だってセイバーが日本人になったらってのを考えたらすごい気の強そうな女の子になりそうだったからさ。きっといじめっ子を片っ端からやっつける正義の味方になりそうだ」
あれ、なんかデジャヴを感じたがまあ気のせいだろう。っといけないいけない話を脱線してしまっていた。
「ま、そんなセイバーと出会って、二人で一緒に街の平和を守る正義の味方になってさ。学校が終わったらいじめられてる子を助けて周るんだ。そしたらある日、すごいガキ大将の女の子と気の弱い女の子の姉妹に出会うんだよ。俺は何で対決してもコテンパンにやられてさ、セイバーと二人で力を合わせてやっとの思いで勝つんだ。でもその子は諦めなくてさ、来る日も来る日も俺たちに勝負を挑んでくる。そうしていつしか仲良くなるんだ。なんていうか、戦友のような感じで。それが遠坂凛とその妹の桜だ」
そんな世界を容易に想像できる理由がちょっと分からないが、それが既に起こったような幻覚に囚われるくらいにリアルなイメージだった。ガキ大将の遠坂とかもうイメージしないでも浮かんでくる。そんな遠坂の後ろに隠れて桜が仲良くなりたそうにこっちを見ている絵面がハマりすぎておかしい。
俺の話を聞いてセイバーは俯きぷるぷると体を震わせながら笑いをこらえていた。セイバーもそんな面白可笑しい想像をしてしまったのだろう。なんだってあいつの子供時代は想像しやすいのだろうか。なんとなく子供のころからあんな感じの性格をしていたのだろうと確信に近いイメージがある。今度本人に訊いてみよう。
「そうして俺たちは同じ高校に進学するんだ。藤ねえとはみんな知りあいでさ、毎日バカ騒ぎして楽しすぎる生活で退屈しない日々を過ごして。そうだな――――二年生の冬くらいに俺がセイバーをデートに誘うんだ。学校で一番に可愛いセイバーだからモテモテなんだけどさ、俺は勇気を振り絞って告白するんだ。場所は、あの歩道橋で一緒に夕陽を見ながら。俺が好きだから付き合ってくれって言うんだけどセイバーはそこから逃げ出してしまう」
「そ、そんなことはしません! 私がシロウの告白を断るなんて」
首を振って否定をするセイバー。その口に人差し指を当ててその先の言葉を遮る。
「まあまあ聞けって、セイバーが居なくなった後、俺はショックでその場から動けなくなって日が沈んでも歩道橋の真ん中で海を眺めているんだ。帰っても居場所がないって勘違いしてさ、帰る場所がないって思いながらこれからどうするかをそこで考え続けるんだ。けど、何時間も経った後、セイバーが迎えに来てくれるんだ。そこで俺はもう一度ダメもとで告白する、そしたらセイバーはなんて答えると思う?」
この答えを俺は考えていない。これはセイバー自身に答えてほしかったからこそ、セイバーにその想いを尋ねた。
俺の問いかけに一瞬驚いた様子を見せたセイバーだが、数秒考えると笑顔になって俺の顔を見つめ返してきた。
「そうですね――――その私がシロウをどう想っているのかは分かりませんが、きっとこう答えると思います。『あなたの帰る場所は私と同じで私の帰る場所もあなたと同じ。だから、これ以上は言わない。――――シロウ、私はあなたを愛している』と」
それがセイバーの答え。これ以上の答えが求められるわけがない。その言葉こそが、今の俺と生まれ変わった俺にとって一番欲しかった言葉なんだと分かる。
そこから先を言うべきか迷った。恋人になった二人は、それからどうなっていくのか。それを伝えてしまえば、今の現状を変えてしまいたくなってしまう。そうなるのが目に見えて分かる。
言ってしまえばそれは生まれ変わりのたとえ話ではなく、この世界の俺たちがどうしたいかという話になってしまうから。
「…………シロウ?」
黙っている俺の顔をいぶかしむように覗き込んで来るセイバー。
目線を上げてみれば、いつの間にかそこは坂道の頂上で目の前には大きな桜の木が黙って俺たちを見降ろしていた。
頂上には遮蔽物が無く、絶え間なく弱い風が吹いている。そよ風に揺られる桜の枝を見つめながら、その先の想いを言うべきかを悩んでみる。答えなんて出てくるはずないのに、そうすれば決心がつくかもしれないと神様に祈りをささげるように。
不意に強い風が吹く。その風は枝から桜の葉を散らしてどこか分からない場所へと運んで行く。この場所からなら、届くだろうか。
まだ形の無い、生まれ変わった俺たちがいる世界まで。
「それからさ、俺たちは大人になっても一緒に居続けるんだ。そうして――――」
つないでいる手を強く握りしめる。少し痛いかもしれないけれど、我慢してくれ。そうしないと、この次の言葉が言えなそうだったから。
桜の木から目を反らして足元を見つめる。遠くに飛んで行くこと無く、すぐ下に落ちてしまった花びらたちが一か所に集まって寄り添いながら眠っている。
飛んで行った花びらたちを羨むことなく、自分の命に満足してこのまま枯れて消えてしまう。
それがどれほどつらいことなのか、今なら理解できた。けれどこの花たちは、咲いたことに後悔なんて感じていない。
遠くに飛んで行くことが使命ではなく、咲いたことこそが自分たちの誇りなのだというように眠りについている。
そう、そんな未来が来ないことは分かっている。言うだけ無駄なのは分かっている。それでも、俺の心に生まれた想いには後悔をするなんていう感情は最初から与えられていない。
答えが決まっていたとしても、遠くに飛んで行くことが出来ないとしても、咲いてしまったのならば、いつかは終わっていくものなのだから。
「そうして、俺たちは結婚するんだ。結婚して、本当の家族になる。そしていつか、子供もできるだろう。
きっと毎日が幸せでさ、涙が出ちゃうくらい楽しくてさ、笑って二人で眠りについて、朝はセイバーが俺を起こしてくれるんだ。
セイバーも、頑張って料理を覚えてさ、俺なんかよりもずっと上手くなっちゃって、年に一回は遠坂や桜たちを呼んでパーティを開いて年々上手くなっていくのを二人が見て驚くんだ。
何十年も一緒に居て、いつかセイバーが俺と過ごした日々を忘れちゃっても俺はずっとそばにいて、変わっていってしまうセイバーを支え続けて、そうやって幸せなまま最後を迎えるんだ」
そんな世界があれば、本当に幸せだろう。どんなに嘘で作られた世界でもそんな世界に生きることが出来たのなら、俺はその次の人生なんていらない。
言ってしまった。俺の思っている願望を言葉にしてしまった。言ってはならない、伝えてはならない言葉を一番伝えてはいけない大切な人に、聞かせてしまった。
――――気づけば手を離し、セイバーの身体を抱きしめていた。
何も言ってほしくない、これ以上彼女の言葉を聞いてしまえば、本当に全てを後悔してしまう。
何も言わせないように、ただ強く、強引に抱きしめ続ける。
セイバーは、今どんな顔をしているのだろう。多分、困っているだろう。今伝えた言葉は、生まれ変わりの話ではなく、今ここに居る俺自身の願いなのだから。
「シロウ」
胸の中でセイバーが俺の名前を呼ぶ。なんの感情も含まない、いつも通りの事務的な呼び方。
それが愛しくて、離したくなくて、何も言わずに彼女の体温だけを感じている。
「――――ああ、そんな世界があるならば、私はもう一度生まれたい。
大好きなあなたと共に生きて、新しい愛を生んで、最後の瞬間まで一緒に居ることが出来るのなら、
それ以上の喜びは、この世界には無いでしょう。
ありがとうシロウ。これで私は夢を見ることが出来た。
最初で最後の、ささやかな夢を、あなたという大切な人と共有することができた
これで、十分です」
そういった途端、セイバーの身体から光が溢れる。
そうか、これが本当の終わり。こんなにも簡単に訪れる別れ。
何も言えない。瞳からは自然と温かい涙が零れていた。
泣くつもりなんて無かったのに、涙なんてセイバーには見せたくなかったのに、最後の最後で我慢が出来なかった。
「セイ、バー、嫌だ、まだ……いかないで、くれ」
涙とともに溢れだす隠していた想い。ダメだった。抑えられるわけがなかった。
そんな願いを無かったことにするように無情にも薄れていくセイバーの姿。
彼女はただ首を振り、両手で俺の頬を優しく包み込んでくれた。
「シロウ。私は、永い眠りにつきます。そして、あなたと見た夢を見るでしょう。
私がその眠りから覚めたとき、あなたがそばに居てくれると、信じています。
だから―――――――――」
それが彼女が願う世界の始まり。
彼女の夢が覚めるとき、先に俺が起きていなくてはならないということ。
それを思った途端、無意識に笑うことが出来た。
これが、失っていたもの。悲しいのに笑うことが出来る。人間らしい矛盾した感情の中で、俺は大切な何かを思い出した気がした。
「――――ああ。じゃあ俺は早起きをしないとな。しばらくは起こさないでセイバーの寝顔を見てるよ。
そんで、飽きたら起こしてやるからさ。その時は、眠いからって怒らないでくれよ」
冗談混じりの最後の言葉。直感で分かった。これが、俺がセイバーに伝える最後の言葉ということを。
「はい、シロウが優しく起こしてくれるのなら、私は穏やかに目覚めることが出来ます。
ではシロウ。少しの間だけ、おやすみなさい――――――――――」
腕の中にあった感触と体温が消える。
光になったそれは、空に向かって風船のように浮かんで行く。
その途中、柔らかい風が吹いた。
光は桜の花びらと共に遥か彼方へ飛ばされた。
行先は、きっと――――――――――。
END