守矢克美は、ジャーナリストである。 業界では「ニュースランナーズ10時の守矢」は、かなり有名な男である。 10時の名物男といえば、守矢のことを指す。 もっとも、悪評も含めての話であるが。 一言でいってしまえば、守矢は現在めずらしいアウトローの事件記者であった。 一応は社会部に所属してはいるが、政治部担当の事件にも首を突っ込む。 しかも、とんでもない特ダネを、なにくわぬ顔をしてとってくるのだから、他の記者はたまらない。 ゴーサインもなく、取材を始める。 番組の反省会は、平気な顔をしてサボる。 取材のためならば、上司との約束を連絡もせずにすっぽかす。 番組の方針が気に入らないと言って、局長室に直訴するため怒鳴りこんだときのことを、社内で知らないものはない。 その程度ならば、まだマシなほうで、番組の大手スポンサーの不祥事をスッパ抜き、テレビ局上層部の頭を抱えさせたこともあった。 減給処分を食らっても素知らぬ顔で、始末書を書いた枚数など、本人は数えてすらいない。 正確な枚数を知っているのは、ことあるごとに小言をいってくる直属のデスクだけである。 出勤停止など命じた日には、嬉々としてどうしようもない事件を自分勝手に追いつづけることは目に見えている。 それでいて、なお、会社が頭を抱えながらも懲戒解雇という伝家の宝刀を突き付けないのは、直属のデスクがその身を呈してこの男を庇っているだけではない。 この男が、事件記者として替えが利かないほど優秀なためである。 冴えない外見とは裏腹に、動物的な直感を持っているのだ。 世界一優秀といわれる日本の警察に先んじて、凶悪事件の犯人を割り出したことも一度や二度ではない。「バケモノみたいに事件を探し当ててくる」 とは、一年下の後輩がいったセリフである。 守矢が、現在追っているのは『冬木市の悪魔』と呼ばれる連続殺人犯である。 否、そもそも、本当に連続殺人なのか、同一犯なのかも定かではない。凄惨な犯行と裏腹に、犯人につながる有力な物的証拠がなにひとつ無いのだ。 ただ、あわれな被害者が、無残な肉塊となって発見されるだけである。いや、その卓越した証拠隠滅と捜査攪乱の能力により、発見されていない被害者さえいるかもしれない。 この事件をきいて、守矢は、即座に下調べを開始した。 冬木市で起きた事件、公開されている統計などTV局にある資料を片っ端から調査したのである。 そうすると、無視できない事実に気がついた。 冬木市近隣の行方不明者が、他の都市と比較して異様に多いのである。 行方不明者は、通常、警察の家出人捜索願の受理数を指標とする。 その数の内、およそ90%の所在が確認されるといわれている。 しかし、冬木市での、家出人捜索願の内、所在が確認されたのは40%程度にとどまっている。 それも、例年である。 それに気づいた守矢は、上司の制止を振り切って、入社以来使用していない貯まりにたまった有給休暇を使用し単身で冬木市に入った。 守矢の直感が告げていた。――冬木市にはこの事件以上のナニカがある。 守矢は、人を待っていた。 これから会うのは、現地組織、地回り、いろいろ言い方はあるが、平たく言ってしまえばヤクザ、暴力団の構成員である。 行方不明者を調査する際、組織を疑うのは当然のことといえた。――人身売買 一介の地方組織が扱える行方不明者の数とは思えなかったが、どんな小さな可能性でも考慮はしておくべきだった。 守矢がこれから会うのは、地元では武闘派で知られる藤村組の構成員だ。 直接会うことに、幾ばくかの危険を感じない訳ではなかったが、今まで体験した修羅場を考えると、恐怖は感じなかった。 ただ、最低限の安全は確保すべきである。怖いもの知らずの事件記者とはいえ、行方不明者の仲間入りは避けたい。 会談場所に選んだのは、昼間のホテル、それも冬木ハイアットホテルの地下1Fのカフェレストランだ。守矢の宿泊先の安ホテルとは、値段、格式、サービス、全てが異なる。 それだけではない。圧倒的に違うのは客層である。その違いに、思わず苦笑する。 平日の昼間、それもケーキバイキングの開催中とあっては、女性しかいない。 カフェの中、手入れの行き届いていない髪と不精髭の三十五を回った男など、守矢ひとりである。 たしかに、荒事になることはないだろう。 絶対にない。しかし、――失敗したかな……。 そんな思いが、胸に去来する。 これからなされるであろう会談の内容のことを考えると、あまりに場違いであった。 せめて、これから来るであろう、その道の人とこの気まずさを共有しようと守矢は心に誓いつつ二本目の煙草に火をつけたとき、周囲の雰囲気が変化していることに気がついた。 周囲の客が、接客の心得を骨の髄まで叩き込まれたウェイターが、ひとりの女性を凝視しているのだ。 守矢のひとつ隣のテーブルで、黙々と淡々と九つ目のホワイトモンブランを嚥下する一人の女性がいた。 ほっそりとした肢体と化粧気のない風貌。短く切りそろえられた艶やかな黒髪、雪のように色白の肌と整った顔立ちは、どことなく見る者に刃物のような鋭い印象を与えている。 一際に目を引くのは氷のような、切れ長の眼差しである。見る者の心を凍えさせるような瞳は、美しくも人をよせつけない真冬の輝きにあふれている。 しかし、もしも仮に、彼女がほんの僅かでも、穏やかな春の微笑みを浮かべたとするならば、いかなる男性も恋に落ちてしまうだろう。 残念なことに、現在の彼女は凄まじいまでの仏頂面であった。 いや、彼女は、いつ、いかなるときでもこの顔である。 テーブル一面、皿の上に大盛りにされた、ザッハトルテ、桃のゼリー、アップルパイ、レアチーズケーキ、苺のムース、スイートポテト、ブラウニー、パンプキンパイ、ハニートースト、プリン、マロンタルトを、一人凄まじい速度で、しかも無表情のまま咀嚼しているのだ。 まるで親の仇を始末するかのように、消えていく洋菓子たち。 だとすると、なにがそんなに憎いというのだろうか。 甘味の苦手な人間ならば、見ただけで嘔吐してしまいそうな光景である。 とてもではないが、年頃の女性の振る舞いではない。 その異様な速度は、呆然と眺めている周囲の客の視線など、近所の八百屋に転がっているトマトか南瓜程度にしか感じていないといわんばかりである。 一応、チキン、ポークのグリルやパスタなどのメニューも存在するのだが、そんなものには眼中に入っていないようにひたすらに甘味を追い続ける。 その食べ方が下品な印象を与えないのは、機械のように正確な動きゆえか、はたまたその美貌ゆえか。いっそのことさわやかでさえある。 甘味を喰えば喰うほど仏頂面になっていく美女。 伝説のスナイパーが、獲物を仕留めるときにはこのような表情をするかもしれない。 冬木どころか日本中を探しても、こんな女は一人しかいない。――言わずと知れた久宇舞弥である。 守矢は、自分の直感に絶対の自信を持っていた。 過去、誰もがそんなことはありえないと主張しても、ただひとり、自分の直感を信じてきた。 それでも多くの功績をあげて、自分の正しさを証明してきた。 直感こそが、事件記者守矢の最大の武器であった。 その守矢の直感が告げていた。――眼の前の洋菓子喰い散らかしている美女は、冬木の事件に大きく関わっている。 守矢は事件記者になって以来、初めて自分の直感を信じることができなかった。「父、璃正より『霊器盤に反応有り、埋まった座はバーサーカー』とのことです」 言峰綺礼は、塵一つ、埃一片ない書斎で自身の師に報告した。完璧という言葉を体現したかのような男に。「ほう、君のアサシンに続いて二体目だな」 魔術師の玲瓏な声には幾分かの驚きがあった。 しかし、驚異の色は一切含まれていなかった。 この戦において、バーサーカーはある意味で鬼門である。戦闘能力こそ強力であるものの、過去三度の聖杯戦争で、バーサーカーを使役した者は例外なく自滅している。 狂化によるステータスアップは確かに魅力的ではあるが、そのために、マスターの魔力消費は他のクラスの数倍に上る。「わざわざ、好んでバーサーカーを召喚するマスターはいないだろう。不運なことだな、綺礼」 振り子の宝石がしたためた書面を見ながら、綺礼がなにか返答する前に魔術師は続けた。「私の手配している聖遺物は、到着までにもう少し時間がかかりそうだが……」 持前の優雅な仕草で振り返り、自身に満ちた声で言った。あたかも、未来の勝利を確信しているように。「二、三日中には届くだろう、私の英霊の触媒は」 まるで理想的な師弟が、来るべき戦いに備える会談のように見えた。 しかし、実際は理想的な師弟関係などではないことを綺礼は誰よりも理解していた。――この言峰綺礼という人間は、師弟の情など、ましてや信愛など感じることのできないニンゲンなのだから。「召喚されるクラスがなんであろうと私の召喚するサーヴァントは最強だよ。召喚の際には、君にも立ち会ってもらおう」 綺礼の沈黙を、未来への不安とでも受け取ったのだろう。魔術師の口調は、自身の弟子の不安を解きほぐすようだった。「……はい、導師」 そう答えた男の心中には不安などなかった。在ったのはただの失望であった。 なにひとつ愛することのできない空虚な自分と、そんな弟子の本質を究極的に誤解している自分の師匠に。