シルフィードが夜通し飛び続けてくれたおかげで、私達は翌日の早朝にアルビオン大陸周辺の空域へ辿り着いた。
並みの風竜なら途中で体力が尽きていてもおかしくない、無茶な道程。
だがシルフィードに疲弊した様子はなく、力強い羽ばたきは健在だった。
(……お願い、間に合って)
ギーシュの使い魔、ジャイアントモールのヴェルダンディに地下を掘り進んでもらい侵入する、という作戦が間に合うのなら、それに越したことはない。
だけど、イメージの中ではルイズ達の危機に間に合わなかった。
もし作戦を実行するなら、私も魔法で援護して、掘り進むスピードを可能な限り加速させるべきだろう。
それで間に合って、ルイズ達を救出できるなら、その方がいい。
(戦わずにすんで、みんなも安全で、ルイズ達も助かるなら……それが最高だ)
身体はだいぶ回復した、と思う。
全快とまではいかなくても、少しぐらいなら魔法も唱えられるはずだ。
正面から貴族派の軍勢に突っ込むなんて無茶は無理かもしれないけど、土を掘る手伝いぐらいなら問題はなさそうだ。
「……戦場、近づいているようね」
キュルケが、砲撃のものと思われる轟音が響いてくる方角に視線を向けて、呟く。
戦場の音が私達のところまで届き、直接見えなくても、激しい戦闘が行われていることが分かる。
私達は戦場を避けて、アルビオン大陸の下側に漂う雲の中を進んでいる。
そんな場所にまで聞こえてくる程、戦場の奏でる死の音は凄まじく、空気を揺さぶっていた。
イメージで見えた未来の通りになるのなら、優勢なのは貴族派で、王党派はやがて全滅するのだろう。
自分なら、王党派に助太刀してその未来を変えられるのか―― 一瞬、そんなことを考えて、自分の思い上がりに反吐が出そうになった。
(ワルド卿にあっさり殺されて、我を失ったまま暴れてた自分が、戦況を覆す?
思い上がるなリース・ド・リロワーズ。絵本に出てくるような、救国の英雄にでもなったつもりか?
私は、英雄なんかじゃない。ただの化け物だろう)
もし仮に戦場へ飛び込んだとしたらどうなるのか、少し考えてみる。
人を殺すことをためらっている私は、敵を倒せず、味方を助けられず、そのうち貴族派の誰かから致命傷を受けて、また我を失う。
そして化け物として暴れまわって……敵も味方もみんなまとめて殺すかもしれない。そんな最悪の結末しか、思いつかない。
普通に人として死ねる方がまだマシな末路になんて、飛び込みたくはない。
(普通に、作戦通りにいくべきだ。
地下を掘り進んで忍び込み、ルイズ達を連れて逃げ帰る。
それで、充分じゃないか……それ以上のことが、できるなんて思っちゃいけない)
普通ではない力があれば、何でもできる。みんなを騙したままでも、戦える。誰かを助けられる。敵も殺さずにすむ。
そんな甘い考えは、現実には通用しなかった。
友達を助けることも難しくて、それが本当に可能なのかも分からない。
寄り道なんて、している余裕はない。するべきではない。
そう自分に言い聞かせた。
その言い訳を蹴散らすように。
脳内に流れ込んでくるイメージ、イメージ、イメージ……!
「……リース!? あなたやっぱり、まだ身体の調子が――」
激しい頭痛に呻いている私にキュルケが心配そうに声をかけてくれるが、返答することもできない。
耐えるしかできない私の脳内に、次々とイメージは流れ込んできた。
凶刃に倒れたルイズに涙し、憤怒するサイト。
その感情の爆発に応えるように彼のルーンが輝き、サイトは傷ついた身体を今までよりさらに速く動かして、ワルド卿に突撃する。
目にも留まらぬ速さで駆け抜け、剣を振るうサイト。その勢いは凄まじく、ワルド卿を驚愕させる程のものだった。
そして、サイトはワルド卿の片腕を切り落とすことに成功する――だが、そこまでだった。
限界を超えた反動か、倒れこむサイト。ワルド卿はその隙を見て、“フライ”で浮かび上がり、礼拝堂から逃走する。
そして、ワルド卿が言い残したことを証明するように、礼拝堂の外からは貴族派の軍勢と思われる足音が鳴り響き――。
その窮地に至っても、ウェルダンディは彼らの元へ辿り着けていなかった。
(……だめだ。このままじゃ、間に合わない)
杖を握り締める。歯を食いしばる。
勇気と無謀は違う――どこかで聞いたような言葉が思い浮かぶ。
たしかに、それは明らかに違うものだ。
玉砕覚悟で突撃することは、勇気ではなく自殺行為だ。
『救国の英雄にでもなったつもりか?』
自分自身の言葉を、思い返す。
私が英雄のはずがない。
私は……世間知らずで、夢見がちで、嘘つきな、化け物だ。
だけど。
それでも。
無茶でも、無謀でも、自殺行為でも。
ここで行かなきゃ、きっと、永遠に後悔することになる。
「ごめん、みんな! 私は先に行く!」
私はシルフィードから飛び降りて、“フライ”を唱える。
浮力を得た身体を、魔法の力で強引に加速させて、雲の中へ向かって、飛翔する。
「……リース!? 戻りなさい、リース!!」
キュルケの必死な叫び声が、一瞬だけ聞こえた。
けど、すぐに彼女達との距離が離れて、届かなくなる。
(……ごめん、キュルケ。それでも私、行かないと)
“フライ”の浮力で身体はどんどん上昇していき、やがてアルビオン大陸の真下へと辿り着いた。
迂回していては間に合わない――そう考え、“フライ”を維持したまま魔法を唱える。
子供の頃からの趣味である“魔法製作”で考えた、オリジナルの呪文のひとつ。
「“エア・ドリル”!」
その詠唱を唱えきり、魔法の名前を言い放つと、掲げた杖を中心にして風の魔力が集う。
集まった風は、思い描いた通りの形となった。
杖ごと片手を覆うように展開する、円錐螺旋状の風。
“エア・ドリル”を岩盤に突き刺すと、高速で回転する風が大地に穴を穿ち、掘り進んでいく。
“フライ”の上昇力と“エア・ドリル”の掘削力。
二つの力を合わせて、ひたすら全速力で突き進む。
回り道をしている時間は、もうなさそうだ。
今すぐにでも、ルイズ達の元へ駆け付けなければ――。
ずきり、と。身体に激しい痛みが走る。
休息を取り回復したと思っていた昨日の激痛が上乗せされたような、身を砕かれそうになる激痛が襲ってくる。
それでも魔法の維持だけは解くまいと、残る歯を全部噛み砕くぐらいに噛み締めて、痛みに抗う。
私の無茶を責め立てるように、痛みは重く、激しく、全身を覆っていく。
それでも。
それでも私は、ルイズ達の元へ、行くんだ――!
そんな私の無謀さを嘲笑うかのように。
痛覚が狂いそうになる程の痛烈な痛みが頭蓋に駆け抜ける。
そこで、意識が塗り潰された。
○
貴族派の兵士達は、既に攻城を開始していた。
戦闘に立つ集団が城内を蹂躙する中、後方部隊である兵士達は、城外に逃げ出した王党派の生き残りがいないのか捜索しながら、怪我人の応急処置などを行っていた。
その後方部隊員の誰かが、「地面が微かに揺れている」と呟いた。
「地震? おいおい、ここは浮遊大陸だぜ?」
「……いや、待て。確かに俺も揺れてるような気がする」
兵士達が笑い飛ばしたり、逆に賛同するものがいる中、揺れは徐々に大きくなっていく。
だんだん、後方部隊のほぼ全ての兵士達が揺れを感じ始めた時。
突然、地面が下側から突き破られた。
貫かれた地面に立っていた兵士の身体は、高速で回転する螺旋状の風で細切れの肉塊に分解される。
その不運な数人の兵士達は、自分が殺されたことも理解できぬまま、この世を去った。
「て、敵襲!? 地中からだと!?」
その光景を見ていた別の兵士が叫ぶ。
彼の叫びに、他の者達も襲撃者の存在を確認したが、そのほとんどが次の瞬間には魔法の餌食となっていた。
ある者は風の刃に切り刻まれた。
ある者は炎の膜に包まれ焼かれた。
ある者は土の壁に押し潰された。
ある者は体内の水を操られ、内側から爆ぜた。
それは、たった一人の襲撃者に成せる光景ではなかった。
どんなに優れたメイジであろうと、扱える魔法には限りがある。
たった一人で4つの属性全てを自在に操れる者など、いるはずがない。
ましてそれが、20にも満たぬ少女であるなどと、誰が信じられるだろうか。
「ま、まさか、エルフ……!?」
「ば、化け物……!」
その場で僅かに生き残った兵士達が、襲撃者の姿を見て、恐怖に顔を歪めて叫んだ。
『化け物』。己の嫌う言葉を浴びせられて、襲撃者の少女は。
「――ぶっこおすぞ」
感情のない声で呟いて、その兵士達に風の魔法“エア・ハンマー”を叩き込んだ。
彼女……リース・ド・リロワーズの宣言した通りに兵士達は絶命した。
死者の贓物と返り血を浴びても怯むことなく、リースは貴族派の兵士達が攻城しているニューカッスル城へと突撃する。
城門は既に、貴族派の手で破壊されていた。そこから城内へと飛び込む。
リースは、既にニューカッスル城内にまで入り込んだ貴族派の軍勢へと、存分に力を振るった。
道中に群れを為す貴族派の兵士を次々と魔法で蹴散らしながら、突き進む。
目的の人物達がどこにいるのか分かりきっているかのように、その進撃に迷いはなかった。
リースに反撃したメイジ達もいた。アルビオン王家に牙を向いた反逆者とはいえ、彼らにも貴族としての誇りがあった。
自分達の魔法が、年端のいかぬ少女に劣るなど、認められない――その意地を込められた彼らの放つ魔法のいくつかは、目にも留まらぬ速さで突き進んでくる襲撃者を捉えた。
だが彼らの魔法は、少女が纏う半透明の魔力の膜に阻まれて、その肉体に届くことはなかった。
「な……ば、馬鹿な、そんな理不尽――!?」
そう叫んだメイジは、“錬金”で作られ弾丸のように射出されたいくつもの剣に突き刺され、壁に磔にされた。
怯え竦む貴族派の兵士達に、床に降り立った少女は。
「……ばるす」
やはり感情のない言葉を紡ぎ、魔力を解放する。
彼女を包んでいた魔力の膜は緑色の光となり――爆発するように、彼女の周囲をまとめて吹き飛ばした。
彼女を中心として、城内の通路の一角が吹き飛ばされ、その爆発に呑まれた者達はバラバラに砕け散る。
爆心地に立つ――いや、床が爆発により消し飛んだため今は浮遊している――少女は、何事もなかったかのように無傷で存在している。
自分が生み出した地獄を見ても、彼女は眉一つ動かさない。
見た目だけは普通の少女。なのに、単身でたやすく地獄を作り出した、常識の外側に生きる存在。
悪魔のようなその姿は、見るもの全てを恐怖させるのに充分過ぎる程、化け物じみていた。
生き残った兵士達の多くが、我先にと逃げ出そうとした。
だが、狭く入り組んだ城内の通路を後ろから強襲されたのだ。逃げ道など限られている。
先程の爆発で壁に開いた穴から、仲間を押しのけながら逃げ出そうとする兵士達。
だがリースは、彼らの脱出を待たなかった。進路を塞ぐ兵士達に魔法を放ち、吹き飛ばしていく。
逆に、進路の妨げにならないのであればどうでもいいと無視した。
王党派の兵士達は既に、貴族派によって殲滅された後だったらしい。
だから貴族派の兵士達の多くが死亡して、残る者達が逃走を始めた今、リースを邪魔する者は誰もいなくなった。
「……きゃは」
そこで初めて、少女は笑みを浮かべた。
だがその笑みには、普段の少女の愛くるしさなど欠片もなかった。
口端が吊り上り、瞳孔が開き切った、悪魔の如く不気味な笑み。
その瞳は、普段の碧色ではなく、鮮血のような真紅に染まっていた。
「きゃっははははは!!」
少女は、目的地である礼拝堂に向かって飛ぶ。
礼儀よく扉を開く気など微塵もなく、その豪華に飾られた扉を魔法で吹き飛ばして、礼拝堂内に飛び込んだ。
○
平賀才人は、窮地に立たされていた。
ウェールズ王子は殺されて、主人であるルイズは……生きてはいるものの、早く治療しなければ命に関わりそうだと素人でも分かるぐらい、深い傷を負わされていた。
「くくっ……満身創痍だな、ガンダールヴ。伝説の力を以ってしてもこの程度か」
裏切り者のワルドが、少年を嘲るように言う。
味方だと信じられていたワルドは、少年達を裏切って、牙を抜いた。
風のスクウェアクラスであるワルドの実力は凄まじく、伝説の使い魔“ガンダールヴ”の力を与えられた才人の力でも、なんとか喰らいつくのがやっとだった。
ぼろぼろにされて、共に戦える味方のいない状況まで追い込まれて、ようやくワルドの魔法が生み出す分身を全て倒しただけ。
実力差は、考えるまでもなく圧倒的だった。
しかも、ガンダールヴの力にも限界があったようだ。
才人を支え続けたルーンの光は目に見えて衰えており、彼の身体は累積した疲労に押し潰されそうになっている。
「ち、くしょお……力が、でねえ……」
よろめく身体を剣で支えて、ようやく立っているような状態だ。
そんな才人をつまらなそうに見て、ワルドは。
「……ふん。主人共々、もう限界のようだな。
では冥土の土産に教えてやろう。
――貴様達が行方を案じていたリース・ド・リロワーズは、私が殺した」
少年達にとって致命傷となる事実を、言い放った。
「な、んだと……!?」
「くはは、まだ睨む力程度は残っていたか?
証拠を持ってこなかったのはまずかったかな。
ラ・ロシェールの森に捨て置いてきたから、今頃は狼の餌にでもなっているだろうよ」
ワルドは楽しいことを友人に告げるかのように、言葉を並べる。
その事実が本当なら――それを考えるだけで、少年の心は、折れた。
「う、そ……うそよ、そんなの……」
床に伏しているルイズが、呆然と呟く。
彼女は身体を無理矢理起こそうとして、体勢を崩して転び、彼女の胸から溢れる血が床に広がった。
「うそよ。だって、そんなの、ひどすぎる――」
「残念ながら現実なのだよ、ルイズ! よほど大事なお友達だったのかな?
……そんなに大事なら、良いことを教えてあげよう。
レコン・キスタの総司令官は、死者を蘇らせる“虚無”の担い手だ。
君がどうしてもと望むのなら、そのお友達を蘇らせてやってもいいぞ?
……死体が残っていればの話だがな」
ぴくり、と。ルイズが反応したところを見たワルドが、彼女に近づく。
うつ伏せに倒れているルイズの顎を指で持ち上げて、悪魔のように囁く。
「僕のものになれ、ルイズ。我が野望のために。
そうすれば、大事なお友達が戻ってくるかもしれないぞ?」
「――ざけんじゃねえええ!!」
激昂した才人が、弾け飛ぶような勢いでワルドに飛び掛る。
たが、ただまっすぐに飛んでくる物は、見えていれば避けるのはたやすい。
あっさりと飛び退いたワルドが、才人を無視して再びルイズに語りかける。
「さあ、どうするルイズ!
僅かな望みにかけて自ら我が傀儡となるか! 誇りのためにここで死んで、友を永遠に失うか!
好きな方を選びたまえ! どちらにしても、君にとっては地獄だろうがな!」
「くっ……ふぇぇ……!」
悔しさと痛みに、ルイズが嗚咽を漏らす。
それにまた才人の怒りが膨れ上がるが、彼にはもう立ち向かうだけの力は残されていない。
「私はいつまで待ってもいいのだが、もうすぐここにはレコン・キスタの軍勢が押し寄せるぞ?
どちらにしろ君達はもう終わりなのだよ、哀れなものだな伝説の担い手と使い魔! くは、くははは!!」
高らかに哄笑するワルド。
その背後。
反乱軍が乗り込んでくるという扉が、外側から粉々に粉砕された。
そして、その穴から飛び込んできた人影が、咆哮する。
「ワァァァァルゥドくゥゥゥゥン!!」
ぎらり、と。獣じみた眼光と、悪魔の笑みを浮かべて。
リース・ド・リロワーズは、自分を殺した男の前に、現れた。
「リース! 無事だったんだな!」
驚愕するワルドの頭上を飛び越えて、ルイズの傍に降り立つリーズ。
彼女が杖を一振りすると、ルイズ達の身体を魔法の光が包み込み、その身体の傷を一瞬で癒した。
回復した身体と、友の無事に喜ぶ主従。
……だが、リースの姿を見ると、2人の顔は疑問と困惑の色に染まった。
「リ、リース……? おまえ、ほんとにリース、だよな?」
「あなた……ち、血だらけじゃないの。どうした、の?」
ルイズが指摘したように、リースの身体は血で濡れて、服は赤黒く変色している。
さらには、ルイズ達は気付かなかった――或いは彼らの心が理解することを拒んでいたのかもしれない――人間の臓器の欠片であると思われる肉片がこびり付いている箇所さえあった。
それなのにリースは、嬉しそうに微笑みすらしている。
その双眸は真紅に染まり、光が消えた瞳からは、抑えきれぬ狂気が溢れ出しているように感じられた。
ルイズ達の問いかけに、リースは答えず、背を向ける。
未だ困惑しているワルドに2歩、3歩と歩み寄り、服の端をつまんで、礼をした。
まるで、ダンスにでも誘うかのように。
「……馬鹿な! 確かにこの手で殺したはずだ! 生きているはずが――!」
「うん。とっても、いたかった。
つっこまれて、ぐちゃぐちゃにされて。
とーっても、いたかった。だから――」
無邪気な子供のような明るい声で、少女――の姿をした何かが、言う。
「わたしをころしたせきにん、とってよね?」
その姿が消えた。そう周囲の者が感じた瞬間、ワルドは蹴り飛ばされていた。
まるでボールのように吹き飛んで、壁に叩きつけられるワルド。
あまりに突然の衝撃に、何が起きたのか理解できないまま、床へ落下するワルド。
追撃の好機のはずだが、リースは何もしなかった。
むしろワルドが体勢を立て直すのを待ちわびているかのように、微笑みながら彼を見つめている。
「くっ……レコン・キスタの軍勢はどうしたというのだ!
計画では、既にここへ踏み込んでいてもおかしくはないはずだ」
「ころした」
喚くワルドに、自分の行ったことを平然とした様子で告げるリース。
その発言にルイズとサイトが息を呑んだが、リースは構わず続けた。
「たくさんころしたら、みんなにげた。
あなたは、かんたんにしなない?」
「……はっ。撤退させた、だと? あれだけの大軍を、たった一人で?」
ワルドは告げられた言葉に……とても楽しそうに、狂った笑い声をあげた。
「それが本当だとしたら、君はとても強いということになるな!
では……真実か虚言か、この『閃光』が試させてもらおう!」
ワルドがレイピアを構えて、詠唱する。
長年の鍛錬により『閃光』と謳われるまでに至った高速の詠唱で、魔法は瞬く間に完成する――はずだった。
リースは詠唱もせず、ただ杖を振った。それだけで、魔法の力が空中に編まれていく。
『閃光』の早業よりも尚早く、少女の魔法が具現する。
「われははなつ、ひかりのはくじん」
ただその一言。それだけで放たれた光の閃光そのものが、ワルドに襲い掛かる。
並々ならぬ経験と修練の賜物か。ワルドは詠唱を中止して、ほとんど勘で身体を動かして、それを回避する。
ワルドの背後で、閃光を受けた壁が爆発と共に吹き飛んだ。
「ははは! 『閃光』の風に、本物の閃光で挑むとは! 粋なことをする!」
絶対的有利を一瞬で覆されたというのに、ワルドは心底嬉しそうに笑っていた。
リースも、普段からは想像もできないような獰猛な笑みを浮かべて、今度は接近戦を挑む。
互いに唱えた“ブレイド”をぶつけ合い、殺し合いの舞踏を繰り広げる。
しばらく斬りあった後、リースは魔法の刃を維持したまま空を舞った。
二つの魔法を同時に行使することはできないというハルケギニアの常識を嘲笑うかのように、軽々と。
リースはそのまま、空中を駆けながら“ブレイド”を振るう。
ワルドはそれを捌きながら、やはり嬉しそうに笑った。まるで、自分のことのように。
「素晴らしい、実に素晴らしい! この私がまるで、赤子のように弄ばれているではないか!」
ワルドは、少女が全力を出していないことを確信していた。
こちらを仕留めるチャンスはいくらでもあったというのに、全て見過ごした。
彼女は完全にこちらを手玉に取り、遊んでいる――そのことに、ワルドは歓喜すらした。
「ああ、惜しいな……まったく惜しい!
君という存在にもっと早く巡りあえていたなら、まだ祖国を見限らずに済んだというのに!」
ワルドが求めるものを、少女は余すことなく持っていた。
圧倒的な力。常識に囚われない力。たった一人で世界を変えられるかもしれないと期待できる、別格の力。
目の前の少女こそがワルドにとって、長年仕えてきた祖国を捨ててまで求めた、理想の姿だった。
リースが距離を開いたかと思うと、ワルドの周囲の空間が歪んだ。
その歪みから現れるのは、幾重にも連なる無数の鎖の群れ。
虚空に現れた鎖は一瞬でワルドを捕え、その身動きを封じた。
もう遊びは終わったとでもいうのか。リースは、身動きの取れないワルドに照準を合わせるように、杖の先端を向ける。
その先端に、淡いピンク色の魔力光が収束していく。
「だいじょーぶ。ひさっしょうだから、いたいだけ」
ただ、と。少女は微笑みながら、発言を付け足す。
「しぬほどいたいぞ」と。
「かんたんになんてころさない。ころしてあげない。
きがくるって、しにたくなるほどくるしくても、しねないくるしみ……。
あなたがわたしにあたえたくるしみを、なんばいにもして、たっぷりあじわわせてあげる」
何重にも何重にも、念入りに練られていく魔力は、明らかに人間の扱える限界を超越している。
だが、ワルドはまったく臆する様子もなく、凄まじい執念でもがき、片手だけを鎖から抜き出して、少女へと伸ばそうとする。
届くわけがないことは分かりきっていても、それでも、伸ばして、自らの内に生じた願望を叫んだ。
「リース・ド・リロワーズ――貴様が、欲しい!!」
返答は、砲撃だった。
解き放たれた光の奔流が、ワルドを捕えていた鎖を引き千切って彼を飲み込み、礼拝堂の壁をぶちぬき、それでも尚勢いが衰えるどころかむしろ加速して、力に狂った青年を遙か彼方まで吹き飛ばしていく。
アルビオンの空を、ピンク色の光が掻っ切った。やがて、空の彼方へ消えて、見えなくなる。
その光に飲み込まれたワルドの姿を視認できる者は、どこにもいなかった。
彼の生死など、確かめられるはずもない。
○
「……なんなのよ、これ」
キュルケは呆然と呟く。
本来ならウェルダンディに掘らせるはずだったトンネルは、リースが1人で掘り進んだことで必要なくなった。
飛び出していった友達を追いかけて、トンネルを潜り抜けた先で見た光景は、明らかに常軌を逸していた。
リースが、とんでもない力を持っていることは、知っていた。
それでも中身は、ただ人付き合いが苦手なだけの、普通の少女なのだということも、知っている。
だが……リース・ド・リロワーズが進撃したと思われる城内には、兵士達の死体や肉体の破片が幾千も散乱している。
とても、普通の少女がたった1人で戦った光景とは、思えなかった。
「強い」
タバサは、呟いた。
あまりにも圧倒的な力。戦場の常識を打ち破る、別次元の力。
共に戦った時に見せたのは、氷山の一角でしかなかったのだと思い知らされた。
「……2人共、貴族派の連中が混乱している今のうちに、僕達も礼拝堂へ!
先の話が本当なら、彼女達はそこにいるはずだ!」
ギーシュは、呆然とする2人に呼びかける。
リース達を迎えにいこう――そう迷い無く言い切るギーシュに、キュルケは思わず尋ねた。
「あ、あなた、この光景を見て、なんとも思わないの……?」
「――正直怖い! ちびりそうだ!」
だが! と。ギーシュは堂々と胸を張り、断言する。
「窮地の友を助けにいけずに、何が貴族だ! 何が薔薇だ!
僕は――女性を守るためなら、地獄の底までだって駆けつけるさ!」
「……女性限定? あなた、ダーリンはどうなってもいいのかしら」
「へ? い、いや、そんなことは……」
「けど……そんなつっこみは、野暮ってものね。
今のあなた、格好いいわよ。馬鹿でも、熱い男は好きだわ」
キュルケはギーシュに微笑み、それからタバサを見る。
「さあ、タバサ! お友達を迎えに行きましょう!
リースには、無茶したことをきつく叱ってあげないとね!」
「ん。行こう」
タバサも頷いて、キュルケ達と共に城内へ踏み込む。
リースが向かったと思われる礼拝堂を目指しながら、タバサは。
「――強い」
リースがいるだろう場所をじっと見つめて、また呟いた。
○
「あっはははは! あっーはははっは!!
ぜんりょく、ぜんかーい!!」
腹を抱えて笑う、リース。
とても、とても楽しそうだけど、その歓喜は、とても歪んでいた。
「……あ、なた。ほんとに、リース……なの?」
命を懸けてまで助けようとしたルイズの呼びかけにも、リースは答えない。
ただ、急に笑い声が収まったかと思うと、彼女はそのままばたりと倒れた。
慌てて駆け寄るサイトとルイズ。
リースは、人形のような無表情で瞳を閉じて、気絶していた。
静かに寝息を立てている。だが、安らいでいる様子も魘されている様子も、何もない。
本当にただ、眠っているだけ。そんな雰囲気だった。
「……リース」
才人は、拳を握り締める。
自分は友達を、リースを守りたいと思った。守ると誓った。
けど、彼女の危機に何もできなかった。
行方を眩ました少女の安否を気遣いながらも、彼女を傷つけた張本人が間近にいることにも気付かず、旅路を進んでいた。
「俺は、おまえのために、何もできないのか……?」
リースは、とんでもなく強かった。
ルイズと自分の傷を癒して、自分達ではまったく敵わなかったワルドを軽々と倒した。たった1人で。
明らかに普通の様子ではなかったが、それでも彼女は、自分達の危機に駆けつけて、再び命を救ってくれた。
彼女が無事だったことは、とても嬉しい。
だけど、リースの力になれなかったことが悔しくて。
自分達を救うために彼女が人を殺したということが、心に深く突き刺さり、耐え難い傷を刻んだ。
ちくしょお。
強く、なりてえよ……。
○
ルイズもまた、己の無力を恨んでいた。
以前のフーケとの戦いの後、ゼロままでも守ってみせる、と誓った自分を思い出す。
だけど、力がなければ、何もできなかった。
ウェールズ殿下は救えなかった。自分達を裏切ったワルドに一矢報いることもできなかった。
しかも、リースの危機に気付くこともできずに、彼女を置いたままアルビオンへ来た。
もちろん、リースのことは心配だった。
けど宿で別れる時、自分達が探すと言ったギーシュ達に頼って、姫様の依頼を最優先にした。
その結果、リースを……2度も命を救ってくれた友達を、永遠に失うところだった。
「つよく、なりたい」
思わず呟いた。
本気で願えば、きっと強くなれると思っていた。
信念を込めた努力はきっと報われると、信じていた。
甘かった。現実は、そんな御伽噺のように都合よくできていなかった。
力がなければ、戦えない。
賢くなければ、何が正解なのか分からない。
想いだけでは、何も、守れない――。
「つよく、なりたいよぉ……」
ルイズは、今度こそ離すまいと、リースの身体を思い切り抱きしめる。
リースに付着した返り血や肉片がルイズの服を汚す。
友達の身体に染み付いた血の臭いに、ルイズは怖くなって――恐怖した自分を内心で叱り付けて、抱きしめる力を強めた。
タバサ達が駆けつけるまで、ずっと、離さなかった。