平賀才人は、至って健康で普通な少年である。
使い魔として召喚された際に手に入れた特別な力はあれど、その本質は変わらない。
異世界ハルケギニアに呼び出されるまでは、日本でどこにでもいる若者の一人として有り触れた平穏な日々を生きてきた。
――そんな彼にとって、現状はとても刺激的すぎた。
「……ん、サイト……くぅ、すぅ……」
朝目覚めたら、隣に友人の少女が寝ていたのである。
才人の右腕を抱き枕にして、穏やかな寝息を立てている。
彼女は、主人でありこの部屋の主であるルイズではなく……別の部屋に寝泊りしているはずのリースだった。
窓から差し込む朝日に照らされて、宝石のように綺麗に煌く金色の髪。
小柄ながらに魅力的な曲線を描く身体。その、年頃の娘らしい柔らかな感触が、触れた箇所から伝わってくる。
夜中に蒸し暑かったのだろうか、彼女の寝巻きは胸元のボタンがひとつ外されている。
うっかりすると、年頃の男の子にはとても目の毒なものが見えてしまいそうで、才人は慌てて視線を逸らせた。
リースは、大切な友人であるが恋仲ではない。
今こんなことになっているのは、彼女が誤って飲んでしまった惚れ薬のせいだった。
何でも、飲んでから最初に見た相手に恋心を抱かせて夢中にさせてしまう、魔法の薬だったらしい。
平賀才人は魔法に関して深い知識を持ち合わせていない。
だが、日本で読みふけったラブコメなどの架空の物語では惚れ薬とそれに関わる騒動はよくあるパターンであった。
なので「やっぱここってファンタジーな世界だよなあ」と魔法の薬の存在についてはすんなりと納得している。
そして納得して理解できるからこそ、現状がとても悩ましいのである。
「……好き。サイト……むにゃ……」
幸せそうな笑顔で寝言を呟くリース。
そんな彼女の様子を見て、才人は複雑な思いであった。
健全で年頃な少年である彼にとって、魅力的な異性から好意を寄せられるのは、とても嬉しいことだ。
しかし現在のリースは魔法の薬のせいで、正気を失っている。
なので今、どれほど彼女に好きだと言われても手を出す訳には行かない。
かといって距離を離そうとすると、すごく寂しそうな様子でしゅんと項垂れてしまうのだ。
離れる訳にも近づきすぎる訳にもいかない。そんな日々をもう数日間も耐えながら過ごしている。
ちなみにこの部屋の主であり、才人の主人である少女、ルイズは。
「サイト……リースに手を出したら、鞭打ちだからねえ……」
とっても物騒な寝言を呟きながら、才人の左腕に抱きついて眠っている。
ルイズは別に惚れ薬を飲んだわけではない。
彼女曰く「毎日いつの間にかベットに忍び込むリースに、サイトが手を出さないように見張ってるだけなんだから!」とのことだった。
事情はどうあれ、両手に美少女を侍らせて眠れるとかなんて役得? ……なんて思えたのは最初だけ。
ここ数日、緊張と興奮で夜中も目が冴えてしまい、まともに眠れていない。
片や魔法でおかしくなった友人。片やおっかないご主人様。そんな二人に身体を密着させられたまま快眠できる程、才人の神経は図太くなかったのだ。
「……ルイズも、好きー。えへへ……」
リースがまたも幸せそうに微笑みながら、呟いている。
とても良い夢を見ているのかもしれない。
惚れ薬の効果対象は、服用後に最初に見た人物だけらしいのだが、リースはルイズにも「好きー!」と無垢な笑みを見せていた。
飲んだのが少量だったからなのか、他に原因があるのかは不明だが、妙な効果が現れているらしいとは、薬の作成者であるモンモランシーの談だ。
本来、モンモランシーが作成した惚れ薬には相手に好意を芽生えさせるだけでなく、その恋心を素直に相手に示させるような効力が含まれていたらしい。
その後者の効能が何やらかの形で作用して、普段から好意を抱いている相手への想いも増幅されて、それを隠すことなく表している状態らしい。
若干幼児退行しているような言動も、自分のありのままの感情を素直に示させる効果がそのような形で発揮されているから、だそうだ。
そうだ、らしい、とはっきりとしないのは、惚れ薬は無許可での作成及び所持が国法で禁じられている品物であるため、一学生でしかないモンモランシーが独力で分析するしかなかったからだ。
先生に相談なんてすれば、とってもやばいことになるらしい。
そのため才人達は、周囲に隠れてなんとかリースを元に戻さなければならなかった。
惚れ薬の解除薬については、現在モンモランシーが必死に作成しているため、いずれはなんとかなると信じたい。
だが。
「サイト、ルイズ……ずっと、いっしょ……」
(……元の世界のお父さん、お母さん。貴方達の息子は、そろそろ、やばいとです)
とっても元気な男の子として、我慢の限界を超えた先の限界の壁も、そろそろぶっ壊れてしまいそうだった。
〇
「作れないってどういうこっちゃねん!」
頼みの綱であるモンモランシーの報告を聞いて、才人は思わず机を叩いて抗議の声を叫んでいた。
冗談ではない。もう今日明日にも解除薬を完成してもらわなければと思っていたのに、まさか完成の目処が立たないだなんて言われたら困ってしまう。
「最後の素材がどうしても足りないのよ! ただでさえ貴重な品なのに、素材屋も入手不可だって言うし」
「いったい何が必要なんだよ? 竜の逆鱗か? 今の俺なら乱獲して素材取って来いと言われたら全力でやっちまうぞ?」
「そ、そんな物騒な話じゃないわよ……その素材は通称、精霊の涙と呼ばれてるわ。ラグドリアン湖に棲む水の精霊の一部なのよ」
「そのドリアン湖とやらを干上がれせば手に入るのか? デルフ、お前なら魔法の剣なんだし湖の水くらいちゃっちゃと飲み干せるよな?」
『無茶言うなよ相棒。そんなことできねえし、やれたとしても錆びちまうぜ』
かちゃかちゃ、と才人の背負う剣が動いて声を発する。
インテリジェンスソードと呼ばれる、意識が宿る魔法の剣デルフリンガーだ。
その刀身に宿る不思議な力と長年蓄えた知識で、才人を教え導く頼れる武器であり相棒である。
とはいえさすがに今回のような無茶振りされてしまっては、伝説の魔剣を自称するデルフといえどお手上げだった。
「あのね、言っとくけど妙なことしたら水の精霊の怒りを買って、とんでもないことになるんだからね?」
「なんか詳しいな。っていうか精霊の怒りって、なんか意思とか持ってるのかそいつ」
「ええ。ラグドリアン湖は元々モンモランシ家の領地で、我が家は水の精霊との交渉役だったもの」
「じゃあ交渉して涙もらえば万事解決だな、おし行こうさあ行こう」
才人がモンモランシーに詰め寄ると、彼女は引き気味になりながら反論する。
「ちょ、ちょっと。授業をさぼるわけにはいかないわよ。せめて虚無の日まで待って……」
「このままだと俺、学園の中で大変なことになっちゃうとですよ? もう授業どころではない騒ぎになるとですよ?
そうなったら事情聴取されるだろうから、モンモンがいけない秘薬作ったこともばらしちまいますよこの野郎」
「う、うう……分かったわよ。行けばいいんでしょう、行けば!」
そうして『友人の快諾を得て』才人達はラグドリアン湖を目指すことになった。
リースを元に戻すために。……それと才人の理性のために。
〇
「サイト、お話は終わった?」
「ああ。なんか最後の材料が足りなくて、ラグビドルン湖とやらに取りにいくことになったぜ」
旅支度を整えるために部屋に戻ると、入室するなりルイズに話しかけられる。
ベットに腰掛けた彼女は、リースに膝枕をして頭を撫でていた。
モンモランシーと相談している間はルイズが様子を見ていたのだ。
今は微笑んで寝息を立てているリース。しかし彼女達二人の着衣やら髪の毛やらが乱れまくっている。
どうやらつい先程までとても激しく交流を深めていたらしいことが伺えたが、才人はそっとしておくことにした
くすぐりあったりしてどたばた騒ぐのはこの数日間ですっかりお馴染みの事態だったこともあり、ルイズも気にした様子もなく落ち着いて過ごしている。
むしろ着衣のことより、才人の言った湖の名称の乱れっぷりに呆れている様子であった。
「……ラグドリアン湖、かしら。どんな間違いしてんのよあんた」
「そうそう、それだ。なんかそこの水の精霊の涙が必要なんだとよ」
「んー……あそこなら準備に時間かかっても馬車で行った方がいいわね。手配してくるから、あんたその間リースのことお願いね」
ルイズはそう言うと、リースをベットにそっと寝かせて身支度を整えた。
最初は積極的に抱きついてくるリースに慌てふためいていたルイズだったが、今では随分と慣れた様子である。
「お、おう。なるべく早く帰ってきてくれよ」
「言われなくてもそのつもりよ。もし私がいない間に何かしてたら……削ぎ落としちゃうんだからね!」
「しねえよ! てか怖いよ! 何を削ぎ落とすつもりだよ!?」
才人の訴えを無視してルイズはさっさと部屋を出て行った。
バタン、と扉が閉まる音と、才人達の騒ぐ声を聞いたのか、リースが目を覚ます。
寝ぼけ眼で目元をこすりながら、才人を見ると子供のように無垢であどけない笑顔を浮かべた。
「サイト、おはよー」
「あ、ああ。おはよう」
才人が挨拶を返すと、さらに顔を綻ばせるリース。
そのまま彼女は、才人の胸に飛び込むように抱きつく。
普段のリースからは考えられないような、積極的に甘える姿だった。
これが魔法の薬のせいでなければ、もっと素直に喜べたのに……と才人は少し残念に思う。
最も薬の効力がなければ、リースがこんな風に子供みたいに感情を露にすることはなかったかもしれないが。
「ええとな、リース。ちょいと皆でお出掛けしないか?」
「お出掛け? ピクニック?」
「あー……まあ、そんな感じ?」
騙すようで少し心苦しいが、リースの治療のためであることをはっきり言ってしまうと『私のせいで皆に苦労かけちゃう』なんて、リースが落ち込むかもしれない。
そのため才人は本来の目的をぼかして、皆で出掛ける旨を伝えた。
軽く聞いた話では、ラグドリアン湖は観光地としても有名らしいので、精霊の涙を手に入れた後は本当にピクニックをするのもいいかもしれない。
だから決して嘘はついていないのだと才人は自分に言い聞かせながら、リースの顔色を伺った。
「皆でピクニック! すっごく楽しみ!」
リースは満面の笑みを浮かべていた。
どうやら彼女は頭の中で、皆と何をして遊ぶのかあれこれ考えているらしく、「まずはあれしてー、それからこうしてー。えへへ、わくわくする!」なんて、楽しそうに呟いている。
もしかしたら、今の屈託のない笑顔を浮かべる姿こそがリースという少女の本来の姿なのかもしれない、と才人は思った。
超常の力を生まれ持ったことで、周囲に並々ならぬ魔法の力を隠そうと必死になって感情を抑え込んでばかりだった少女の、ありのままの姿なのかも、と。
ルイズから伝え聞いた話では、リースは幼い頃に強すぎる魔法の力が原因で両親に怯えられたらしい。
大切な家族に怯えられながら日々を過ごすなんて、きっとすごく辛かったと思う。
その辛さが分かる、なんて口が裂けてもいえない。才人は両親にしっかり愛されて生きていたから。
もしもリースが普通に生きていれば、今みたいにいつも微笑むような少女になっていたのかもしれない。
今、自分の傍で心のままに笑顔を浮かべる少女は、とても幸せそうだ。
だからといって、このままで良いとは思えない。
今の彼女は、強すぎる魔法の力のせいで閉ざされていた感情を、魔法の薬の力で無理矢理に解き放たれているだけなのだ。
それは超常の力に感情を歪められていることから、逃れられてはいない。
リースの笑顔は素敵だと思う。純粋で無垢な微笑みは見ているだけでこちらまで笑顔になれる、魔法みたいな笑顔だ。
だからこそそれは、魔法の薬で無理矢理引き出すのではなく、彼女の本心で導き出してほしいと思う。
きっと、魔法なんかに縛られないで笑顔を浮かべられることが、彼女が追い求めているという『普通に生きる』ということだと思うから。
「リース……きっと、元に戻してやるからな」
「サイト、何か言った?」
呟いた才人の声に、きょとんとした顔で尋ねるリース。
そんな彼女の頭を撫でながら、才人は首を横に振った。
「……何でもねえよ。それより、ピクニック楽しもうな」
「うん! 皆でたくさん遊ぼうね!」
小春日和のようにあたたかい笑顔を浮かべる少女を見て、才人は思う。
いつか彼女が、何にも縛られずに心の底から笑えるようになってほしい、と。
その時、大切な友人として傍に寄り添えるような自分でありたい、と。