平穏な池に投げ入れられた一つの石ころ。 それが起こす波紋が私たちに迫ってきた。 しかし、その時、私は思っても見なかった。 その池には既に石が投げ入れられていたことを。 波紋と波紋がぶつかり、その池の平穏はひたすらに乱れてゆく。 「土くれ」の二つ名で呼ばれる怪盗、その名をフーケという。 トリステインで、お宝と呼ばれるものを所有する貴族の中にフーケの名を知らぬ者はおらず、皆が一様にフーケを恐れていた。 その盗みは時に繊細で、時に大胆。 お宝がある屋敷の者に一切気づかれることなく盗みを完遂することもあれば、三十メイルはあろう大きな土のゴーレムで強引に力押しで盗むときもある。 この様に盗みの手口は様々であるが、全てに共通することは、盗みの現場に目的の物を盗んだ報告と、土くれのフーケというサインを残していくことだった。 無論貴族たちはメイジであるから、おとなしく盗まれようなどとは思っていない。 お宝のある場所を固定化の魔法で強化はしているが、フーケのほうが実力が上らしく、錬金の魔法で強化された壁などはあっさりと土くれへと姿を変えてしまう。それゆえにフーケは土くれという二つ名で呼ばれるようになった。 そして並みのメイジの固定化はあっさりと敗れてしまうことから、少なくともフーケはトライアングルクラスの土メイジで、特に錬金を得意としていると判断されている。 神出鬼没で、性別も年齢も不明な怪盗。 それが土くれのフーケだった。 そんなフーケだが、今狙っているものはトリステイン魔法学院の宝物庫で眠っている「破壊の杖」と呼ばれているマジックアイテムだ。 マジックアイテムが専門と呼ばれるほどマジックアイテムをよく狙うフーケが、魔法学院にあるお宝を見逃すはずもない。 そして、そのフーケは日もとうの昔に沈み、薄い雲に覆われた双月の下、学院の本塔の五階、宝物庫の外壁を垂直に立って歩いていた。 フードつきの長いローブに身を包んだフーケは、足の裏から伝わってくる感触で壁の厚みを図っていた。 土メイジのフーケにとってそれは朝飯前のことであったが、ややイラついたように、「くそっ……宝物庫の壁は物理攻撃が弱点って、さりげなくコルベールから聞き出せたまではよかったのに、こうも分厚かったら物理攻撃云々じゃないよ」 フードから除く長い髪を風になびかせながらフーケは腕を組んだ。「固定化の魔法もかなり強力で私の錬金の魔法も通用しそうにないし……かといってここまで来て諦めるのもね……」 そう言ってフーケは憎々しげに足元の壁を睨みつけていた。 フーケが宝物庫の外壁で、あーでもない、こーでもないと頭を悩ませている頃、宝物庫から離れ、互いに死角になる場所にルイズ、才人、ミルア、キュルケ、タバサの五人はいた。 イクスは用事があるらしくこの場にはいない。 五人の視線の先には壁がある。 その壁には「双頭の片割れ」がロープに結ばれぶら下がっていた。 ちょうど地面から十メイルほどの高さだ。 何故こんなことになっているのか。 簡単に言えば、ロープを魔法で切って「双頭の片割れ」を地面に落とす。 これがルイズとキュルケの勝負内容だった。 しかし、この勝負内容、最初は才人がぶら下がるはずだった。 それをミルアが、いくらなんでも危なすぎる、断固として反対、という立場でなんとか才人の安全は守った。 そして、次に白羽の矢が立ったのがデルフ。 もう、こいつら誰かの悲鳴が聞きたいだけじゃねぇのか? と才人は思った。 剣とはいえ、意思がある以上、かわいそう過ぎるとデルフを腕に抱き、必死に首を横に振るミルア。 こうしてデルフも守られ、代わりにとミルアが差し出したのが、才人が持つのとは別の、もう一振りの「双頭の片割れ」 意思のない「双頭の片割れ」は当然おとなしくロープに結ばれ、壁からぶら下がることとなった。「さて生贄、じゃなかった、標的も決まったことだし」 ルイズのその言葉に思わず突っ込みそうになる才人とミルア。 生贄は無論おかしいが、この勝負のルール上、標的もおかしい。 ロープを切って落とすのであって、当てたら駄目だろ、と才人とミルアの思いは見事にシンクロしていた。「かわいらしい冗談よ。本気にしないでよ」 二人の視線に気がついてルイズは笑いながら弁明するが、何処までが冗談なのか心底胡散臭かった。「先行は譲るわ。これくらいはハンデよ、ハンデ」 そう言い、既に勝ち誇ったかのような笑みを浮かべるキュルケ。 この余裕も無理はない。 ゼロなどと揶揄されるルイズとは違い、キュルケは火のトライアングル。 「微熱」の二つ名を持つキュルケは、ルイズに負ける気など毛頭なかった。「ふ、ふんっ! そんなハンデを与えたこと、心底後悔させてあげるわ」 負けじと笑みを浮かべ言い返すルイズ。 そして杖を抜き、標的のロープをまっすぐ見据えた。 ロープはタバサが魔法で起こす風によって右へ左へとゆらゆら揺れている。 どの魔法を使おうか。 ルイズは迷っていた。 普通ならこういう場面は自分の得意とする魔法を選択する。 キュルケなら間違いなく火系統の魔法を使うだろう。 しかし未だ得意とする系統がわからないままのルイズは使用する魔法を決められずにいた。 土や水は駄目だ。他の系統に比べ遠距離の的を射るような攻撃魔法が多くない。風は、それ自体目に見えないためコントロールする自信がない。ならば火しかない。キュルケも火だが今はそんなことはもうどうでもいい。ルイズはそう思い、小さな火球を目標に打ち込む火系統のファイヤーボールを使用することに決めた。 呼吸を整え姿勢を正し杖を構える。 その姿はキュルケですら美しいと評価できた。無論口には絶対しないが。 ツェルプストーの仇敵であるヴァリエールはこうでないと困る。 キュルケの顔に先ほどとは違う笑みが浮かぶ。「――――っ!」 ルイズがルーンを唱え気合を入れて杖をふった。 しかし杖先から火球が打ち出されることなく、代わりに「双頭の片割れ」の中央付近で爆発がおき、ロープにつながられたままのそれは大きく暴れるように揺れた。「くっ……」 反動や爆風でロープが切れてくれないかと思ったルイズだったが、そう甘くはなかった。 その光景をみたキュルケはお腹を抱えながら笑う。 ルイズは悔しさを滲ませながらも、ぐっと堪えた。主に涙を。 タバサは相変わらず我関せずの状態。 才人、ミルア、そしてデルフはその内心がシンクロしていた。 あぶねー。ぶら下がってるのが自分(才人さんやデルフ)じゃなくて、よかったー。 キュルケは、ひとしきり笑うとルイズの横に立ちロープに向かってファイヤーボールを放った。 それは、それが当然のように見事にロープに命中し「双頭の片割れ」は地面に落ちる。 勝利し高らかに笑うキュルケ。 ルイズは無言でそっぽを向いて、足先で地面をいじくりだした。 そんな中、デルフを腕に抱いたままのミルアとタバサが地面に落ちた「双頭の片割れ」に近寄った。 地に横たわるそれを立ったまま見下ろしたミルアは固まる。「ひびが入ってる」「おぅ、ほんとだ。嬢ちゃんの得物、見事にひびが入ってるぜ」 タバサとデルフがそう言うと、ミルアは片手で「双頭の片割れ」を拾い上げた。 そして、それをまじまじと眺め、「まさか、あの爆発にこれほどの威力があるなんて……」「嬢ちゃんの得物、そんなに固いのか?」「えぇ、少なくとも、あなたが売られていた店のどの武具よりも」「そいつはすげぇ……ということは、あの娘っこの爆発って……」 ミルアが無言で頷き、タバサは軽く冷や汗をかく。 デルフもかちゃかちゃと震えながら、「なんか、あの娘っこ、どうやら魔法が得意じゃなくて馬鹿にされてるような雰囲気だがよ。それって火薬の詰まった袋やら何やらを突っつきまわしてるようなもんだぜ?」 デルフがそう言うと、タバサは軽く頷き、「キュルケにはほどほどにするように言っておく」「私も才人さんに言っておきます」 そう言いながら二人と一本は軽く冷や汗を流しながら未だ足先で地面をいじくるルイズを見つめた。 ゴゥンッ! と空気を震わせるような音と振動がルイズたちを襲った。 その音と振動に何事? と顔を見合わせた一行だったが、タバサとミルアが確認のためか音のするほうへ駆け出し、残されたルイズ、才人、キュルケの三人もあわてて後を追いかけた。「あれは何ですか? もしかして私の知らない斬新な施工方法ですか?」 現場に駆けつけたミルアはその光景を見ながらそう口にし、同じく現場に駆けつけたタバサは無言で首を横に振りミルアの問いを否定した。 二人の目の前では三十メイルはあろう巨大な土のゴーレムが宝物庫の壁をその拳でドッカンドッカン殴り続けていた。 そしてその右肩にはローブで身を包んだ人物がたっており、雲から顔をのぞかせた双月がその姿を照らしている。「おそらく、土くれのフーケ」 タバサがそう言うとミルアは「あぁ、あれが……」と頷いた。 すると後ろから駆けてきたルイズが肩で息をしながら、「ちょっと、あの殴りつけてる部分、宝物庫があるところじゃないのっ?」「フーケは泥棒なのでしょう? でしたら当然といえば当然ですよね」 ミルアがのん気にそう答えると、ルイズはミルアをぐいっと押しのけながら杖を抜いた。 それを見たミルアはあわててルイズを制止し、「待ってくださいルイズさんっ、どうするつもりですか?」「どうするって、決まってるでしょっ! フーケを捕まえるのよっ!」 そう言ってミルアを振りほどくとルーンを唱え杖をふる。 ミルアとしてはしばらく静観しておくつもりだった。 というのも土のゴーレムはドッカンドッカンと壁を殴りつけてはいるが、その壁には一切の損傷が見られなかったのだ。 だったら、捕まえるにしても相手が疲れるのを待てばいいや、と考えていた為、のん気にしていたのだ。 しかし、その目論見は血気盛んなルイズによって破られ、通称、ルイズの失敗魔法、もとい、爆発はゴーレムが殴りつけている壁付近で起こった。 そして、 宝物庫の外壁に大きなひびが入った。 その光景にルイズを除いた四人が声に出さずに「あ~あ……」と思った。 そして、これ幸い、とどめの一撃といわんばかりにゴーレムの繰り出した右の拳が宝物庫の壁を粉砕、その腕を伝いフーケが宝物庫へ滑り込む。「タバサさん、あのゴーレムを倒す魔法とかあります?」 ミルアがゴーレムから視線を外さずそう聞くと、タバサは首を横に振り、「アレだけの巨体を倒すだけの火力は有していない」「空とか飛べちゃったりしますか? あれは」「飛べない」 タバサの答えにミルアは満足したのか僅かに頷くと、ついっと空を指差し、「ではルイズさんや他の人も乗せてシルフィードで上空へ退避を」 ミルアのその言葉にタバサは「貴方は?」と聞こうとしたがそれよりも早くルイズがわって入り、「あんたはどうするのよっ!」 これまた随分とおっかない顔して、もしかして心配してくれてるのだろうか? と、そんなことを考えながらミルアは、「あのゴーレムの胸に風穴開ける程度のことなら今の私でも余裕でできます。私や才人さんと違って皆さんの足であのゴーレムと地上戦は危険だと思うのでシルフィードで上空へ退避してください。相手の対空手段がわからないので、できればおとなしくしていただけたら幸いです」 しれっと、そう言うミルアにルイズは思わず後ずさった。 ルイズは、今までミルアの無表情には、単に感情表現が下手なんだろうぐらいにしか思っていなかった。しかし今のミルアからは戦うことへの緊張感も何も感じられない。本当に何も感じられなかった。何を考えているのかわからない。それがかえって不気味に思えてしかたなかった。 ミルアは、僅かに後ずさり固まっているルイズにしびれを切らしたのか才人のほうへ目をやり、「才人さんルイズさんをお願いします」 ミルアの言葉に才人は頷き、ルイズの手を引きシルフィードの背に乗る。 空へと舞い上がるシルフィードを見届けたミルアは、ゴーレムへと視線を移した。 ちょうどその時、宝物庫からお目当ての物を手に入れたのか、何か長方形の箱のようなものを抱えたフーケが出てきた。 ローブと夜空に浮かぶ双月により顔の部分は影になっているが、ミルアはまっすぐに見つめる。 そして、逃亡しようと動き出したゴーレムへ、左手をまっすぐ向け手のひらを開く。 ゴーレムへ向けた左手のひらの正面に五芒星の魔法陣が展開された。 そこでふとミルアの動きが止まる。 これでいいのか? と僅かに自問する。 自分が使う魔法はこちらの世界の魔法と比べて明らかにおかしい。 杖は使わないし、派手すぎやしないか? この場で、自分がこの世界において異質であることを見せることは最善であるのか。 これから先、今までと同様に過ごせるのか?「あんたっ! なにやってんのよっ!」 頭上からルイズの怒声がとびミルアは思わず空を見上げた。 夜空の下をシルフィードが旋回している。 その影から腕をぶんぶんと振り回しているルイズが見えた。「私に偉そうなこと言っておいて何ぼーっとしてんのよっ! ご主人様の命令よっ! フーケをさっさと捕まえなさぁーいっ!」 その声に思考の渦に飲まれそうになっていたミルアは目を覚ました。 やめよう、と。考えるのはやめよう。 ぶんぶんと首を横に振り、マイナスな思考を追い払う。 「生きていればなんとかなる」「なるようにしかならない」「あたって砕けろ」 酷く前向きで、酷くいい加減な言葉が思わず頭に浮かんだ。 僅かに、ほんの僅かに口の端で笑う。 そして気を取り直し展開された魔法陣を、既に背を向け、学園から遠さかって行くゴーレムへと向ける。「シャインっバスターっ!」 ミルアの声と共に魔法陣から放たれる大樹の幹のような光の奔流。 それは空に輝く双月に負けないほどの輝きを放っていた。 閃光がゴーレムへと迫り、その巨大な胸に風穴をあける。 シルフィードの背に乗っていたルイズたちは、その光景に驚き、フーケも思わず振り返っていた。 そんな皆の驚きにかまうことなくミルアは駆け出す。 目的はあくまでフーケの捕縛。 ゴーレムを撃ったのはあくまで足止めと威嚇のため。 地を疾走し、ミルアはあっという間にゴーレムとの距離をつめ、フーケのいるゴーレムの肩まで跳躍しようとひざを曲げた。 その時、動きを止めていたゴーレムが振り返り、その拳で地面をえぐる様になぎ払う。 それをミルアはすんでのところで後ろへ飛んで回避した。 見れば既にゴーレムの胸にあいた風穴は既にふさがっている。「おい、自己再生できんのかよアレっ!」 シルフィードの背に乗る才人が思わず叫んだ。 その才人の言葉にキュルケが、「まぁ操ってるメイジの精神力が尽きない限りわね」 そう答え、地上のゴーレムを見つめながら、「でも、あそこまで一瞬で再生させるなんて、相当な腕の持ち主ねフーケは」 どこか悔しそうに言う。 一方、地上のミルアは繰り出されるゴーレムの拳をひらりひらりとかわしてゆく。 フーケは逃亡したくともミルアに背を向けることを躊躇っていた。 少なくともミルアの最初の砲撃は、足止めと威嚇の役目を果たしていた。 しかし、このままじゃ埒があかないと、ミルアは再びフーケへの接近を試みる。 ゴーレムの拳をかわし、ひざを曲げた。 一気に跳躍しフーケへの距離を縮める。 その動きをルイズは視認することができなかった。 少なくとも今まで平穏に暮らしてきたルイズにミルアの動きを視認できるほどの経験はない。 しかし、フーケは違った。 盗賊として少なからず実戦の経験はあり、勘も磨かれている。 そのフーケはほんの僅かにミルアが見えた。 そして考えるよりも早く、体が動く。 フーケへと迫ったミルアの目の前に、ゴーレムの体から伸びた土の壁が立ちふさがった。 それは本当に目の前で、回避することも何もできず、ミルアはその土の壁に突っ込んだ。「ぶっ!」 勢いよく土の壁へと突っ込んだミルアは、そのまま土の壁をぶち抜き、勢いを失い、重力にしたがって落ちてゆく。 目にかなりの土が入り、一時的に視界を失い落ちてゆくミルア。 シルフィードの背に乗るルイズたちが「危ない」と叫んだとき、落ちてゆくミルアをゴーレムの手がつかんだ。 そしてゴーレムはその手を大きく振りかぶり、ぶぉん、という大きな音と共にルイズたちがいる方向へとミルアを投げつける。 しかし、コントロールはよくないようで、その軌道はルイズたちがいる位置より僅かにずれていた。 このままではミルアはとんでもない所まで飛ばされてしまう。ルイズたちがそう思った時、「うおぉぉぉおっ!」 その左手に、キュルケからプレゼントされた大剣を手にした才人が、シルフィードの背から跳躍した。 そして空いた右腕で飛ばされてきたミルアの小さな体を受け止める。「タバサっ!」 ルイズの叫びにタバサは無言で頷き、シルフィードで落ちてゆく才人とミルアの二人を受け止めた。「才人よくやったわっ!」「さすがダーリンっ! かっこよかったわっ!」「見事見事」 ルイズ、キュルケ、タバサが三者三様に才人を称賛する。 その後、地上に降りると才人は、「おい、ミルア大丈夫か?」 その問いにミルアは目をごしごしとこすりながら、「少々土が目に入りましたが、それだけです。大したことはありません」 その答えにルイズは僅かに「よかった」ともらした。 ミルアはしぱしぱと瞬きを繰り返しながら、「ゴーレムは? フーケは?」 そう言いながらゴーレムとフーケがいた方を見る。 ミルアの視線の先には先ほどまでゴーレムだった土の山ができていた。「逃げられた」 タバサがそう言うとミルアは無言で自らの拳を地面に叩きつける。 そしてすぐさま走り出した。 それがフーケを追うためだと気がついたルイズはすぐさまミルアを止めようとするが、そんなルイズのマントをタバサが掴み引っ張った。 ルイズは振り返り、「なにすんのよっ!」「貴方は教師たちに状況を説明して、あの子は私が追う」 ルイズの怒声にタバサはそう答える。 そして自らの杖を走り去ったミルアの方へ向け、「あの子に追いつけるのはシルフィードだけ。適材適所」 タバサのその言葉にルイズはミルアの方を見た。 すでにその姿はなく、確かに自分の足では追いつけそうにはない。そう思いタバサの提案にルイズはしぶしぶ頷いた。