アルビオンの侵攻は、
特に平民にとって、青天の霹靂であった。
ラ・ロシェールに召集された貴族たちの中には、
この時点で、まだ戦闘の開始を知らぬものすら居たが、
そこから500メイルも離れていないタルブ草原は、正に地獄と化していた。
シエスタは弟の手を握り、燃え盛るブドウ畑の脇道を走っていた。
怒りも悲しみもなかった。ただ、背に迫る恐怖だけが彼女を突き動かしていた。
「こっちだシエスタ!!急げ!!」
森へ切り込む獣道から、村人が叫んだ。
数分前、駆けつけた銃士隊から村に告げられた伝令は、
森を抜け、ラ・ロシェールに駐留するトリステイン本陣の後方に避難せよという旨だった。
戦いの雄たけびや、爆音が聞こえる。
もう少しすれば、うめき声も届くかもしれない。
だがそんな極限状態であるにも関わらず、
シエスタが森の入り口に辿りついた時、村の人々は、呆然と彼方の空を見上げていた。
「なんだあれは?鳥か?」
足を止めたままの皆をいぶかしみながら、
シエスタもそちらを見やり、そして息を飲む。
彼女は、それが何かを知っていた。
純白の細い雲を後にひき、戦場へと真っ直ぐに飛んでゆくそれを、シエスタは知っていた。
幼いあの日、母に抱かれ、安らぎの中で心躍らせたおとぎ話。
かつて少女の中で輝いていた、強く、優しく、正しい、そんな英雄譚。
「本当だったんだ……」
「お姉ちゃんはあれを知ってるの?あれは何なの?」
腕の中、自分にあどけない双眸を向ける弟に、
シエスタはかつての自分を重ね、思い出した。
無垢な希望と、その尊さを。
「あれはね……」
伝説が――――
タルブの空に降臨した――――――
第十一話 メカ沢くん
アルビオンの旗艦レキシントン号に通信が入った。
「チョウザメ座より本部へ。所属不明の謎の飛行体から攻撃を受けている」との内容だった。
連絡を受けたジョンストンはまず、裏切りの可能性を考えた。
ゲルマニアが援軍を寄越す可能性は低く、仮にそうであったとしても、
距離と時間に矛盾が多すぎる。
ロマンチストの造反でなければ、
せいぜい、トリステインの"忘れられた没落貴族"だろう。
祖国に殉じるつもりなら、そうさせてやればいい。
負け戦になることも読めず、下手な算盤を弾くような者だったなら、
似合いそうな汚名を与えれば、あとあと便利に使える。
その程度に考えていた。
彼が先行部隊壊滅の連絡を受けるのは、それからわずか10分後のことだった。
~~~~
「ボーウッド様!!あれを!!」
レキシントン号の進路前方、下士官が指差すほうに目をやると、
艦首から300メイル先を行く竜騎士隊の上空に、巨大な異変が起こった。
全天の空を覆う灰色の雲に、波紋のように、青い風穴が開き、
そこから、何かが降下してくる。
それが竜騎士隊と接触すると、程なくして小さな炎が、赤く細かく明滅した。
交戦していると認識するが早いか、ポロポロと火竜が墜落してゆく。
それから放電される紫光が、地上のオーク傭兵部隊を洗い流してゆく。
悪夢などという生易しいものではなかった。
正しく、出鱈目な光景だった。
ナメクジの群れが、白ヘビに襲われているかのようだった。
アリの群れをもてあそぶ、こどもの指先のようだった。
世界が意思を持ち、己に張り付いた異物をこすり、ねじり、かきむしり、
どうにか排除しようとイラだっているかのようだった。
現実を引き裂くその理不尽を目にしたものは、皆違わずこう思った。
「神よ……」
~~~~
クロムウェルは、困惑の極みにあった。
巡礼者への冷笑をひた隠しにすることが、彼の処世術だった。
世に崇拝されているものをどう換金するかが、彼の職業だった。
そんな彼の人生観を、粉々に打ち砕く出来事だったのだ。
「嘘だ……。現実にあんなものが……在りえない……」
ブリミル、サーシャ、ヴァリヤーグの叙事詩に遥かに先立つ、
遠く悠久に秘めて語り継がれし太古の神々。
六千年前、既に伝説として謳われていた、いにしえの猛き英雄。
遠見の鏡に映し出された戦慄の光景は、
クロムウェルにそれを思い起こさせていた。
けたたましい音を立て、艦長室の扉が開かれる。
「閣下!!」
クロムウェルは、現れた武官に取りすがり叫んだ。
「おお、ボーウッドよ!!アレはなんだ?!何が起こっているのだ?!」
「分かりません。何も分かりませんが……、一つだけ、確信を持って言える事があります。
これはもはや、後に神話と呼ばれるであろう領域です」
「そんな……」
「いずれにせよ、あれは間違いなくトリステインに与しています。どうか降伏のご英断を」
「い、いやだ!!これは何かの間違いだ!!
そもそも私は、あんなものに逆らうつもりはかったのだ!!」
「皆殺しにされますぞ!!」
クロムウェルがすがるような目でボーウッドを睨むと、
ドオンというにぶい音と激震が響き、吹き飛ばされた黒檀の机が、彼の体を壁に挟み込んだ。
「ぐふぁ…!!」
あれが、このフネを攻撃している――――――
「うぅ……。わかった、早く降伏を……」
しかし、その命に答えるものは居なかった。
顔を上げたクロムウェルが見たものは、
倒れ付す猛将ボーウッドと、それを足蹴にする、あの化け物だった。
「おめぇさんかい……?この戦争をおっぱじめたバカヤローは……」
「ひぃぃぃ!!しゃしゃしゃ、しゃべった……」
「ああ?!人間がしゃべって何がおかしい?!」
「に、人間……?」
「チッ!!まったく失礼なヤローだぜ……。アタイは烈風のカリンってんだ。覚えときな……」
~~~~
その頃トリステイン学園では。
「だから!!メカ沢くんは生き物なんだって!!」
「しつこいぞサイト!!これのどこが生き物だ!!」