第七話『呪縛』
土くれのフーケを捕まえてから一週間がたった。『フリッグの舞踏会』にスズネは顔を出さなかったし、それ以来、ほとんど口をきいてくれなくなってしまった。そもそも同じ部屋にいることがなくなってしまった。退屈な授業を終えて自室に戻ってきても、そこにスズネの姿はない。それでもベッドはわずかに乱れていて、どうやらルイズの授業中にスズネは部屋には戻ってきているようだ。朝は洗濯をしてくれているようだからシエスタにスズネの居場所を聞いてみたが、苦笑いするだけで答えてくれなかった。
「あーもう、いったいどうなっているのよ……」
夕方、食堂でルイズは項垂れていた。右隣にはキュルケ、左隣ではタバサが黙々と食事を頬張っている。ルイズもよく食べるほうだが、ルイズより小さいタバサがこれだけの食事を摂ってどう消費しているのかは永遠の謎である。
「なんかしちゃったんじゃないの?」
キュルケであった。彼女に対しては普段とあまり態度は変わらないというから、薄々感じていたことではあるが……。ルイズは考え込む。
「ほら、なんか心当たりあるんじゃない」
「そ、そんな……、洗濯とかはさせてるけど……」
それよ! キュルケはビシッとルイズに指を向けた。
「そういうのさせてるから嫌になっちゃったんじゃないの?」
ううううう、とルイズは唸る。
「私だってやめようかなって思ってたわよ……ただ言うタイミングがなかっただけで」
「そう思うわよね、タバサも」
同意を求められたタバサは、いつも通りの無表情で──だけれどもどこか苦々しい顔つきで頷いたのであった。
土くれのフーケを憲兵に引き渡した夜、鈴音は『フリッグの舞踏会』には参加せず寮の上から双月を眺めていた。屋根の上に座って天を仰ぐ。月光には魔力を帯びているのか、月光を浴びていると全身をめぐる魔力の脈動が強くなるような気がした。そして考えるは、ルイズのこと、フーケ……ロングビルのこと、殺したこと。ロングビルは、鈴音が昔『暗殺者』であることを知っていた。鈴音の立ち回りから? それとも鈴音の殺意から? それとも、鈴音が殺した少女が、鈴音と同じく誰かに、虚無の使い手に『召喚』されたから? 最悪の想定。逃げられないのはわかっていた。どんなに時間がたっても、どんなに惨い死に方をしても償えるはずはないとわかっていた。けれども、こんなに早く、過去の残影が自分の後ろ髪を引いてくるとは思ってはいなかった。ふとソウルジェムを見ても、少し濁ったが、やがてその濁りは消えていった。
背後に、人の気配。独特の気配。先ほどまでなかったはずなのに、急に存在感を示してくる。自分に似ていると鈴音は思った。振り返ると、そこにはやはりタバサが立っていた。
「舞踏会はどうしたの?」
「これから仕事だから」
タバサはそれだけ言うと、鈴音の横に、スカートを尻に巻き込んで座った。仄かに香る、同業者の臭い。鼻の奥を刺す鉄臭さと、タンパク質の焼ける匂いだ。
「どんな仕事?」
「殺しに行く」
彼女は短く答えた。鈴音は何も反応せず、ただ月を眺めている。そして、
「───私は人を殺した」
まるで当然のように告げたのだった。
食事の後何か知っているのではじゃないかとタバサを尋問すると、彼女は『私からは言えない』と答えてくれた。
「結局、自分でなんとかしなきゃいけないってわけね」
溜息をついて、授業をサボって、ルイズは自室の扉を開ける。授業だから会えないのなら、授業をすっぽかしてしまえばいいじゃない! 悪いルイズがそう囁いたのだから仕方がない。それよりも、原因不明で離婚寸前の夫婦のような気まずい空気が耐えられないのだ。
「ルイズ……」
扉を開けると、スズネは椅子に腰掛けて鈴のついた御守りを手に持って見つめていた。
「スズネ、話してちょうだい」
スズネの正面にどかっと座る。スズネは気まずそうに視線を逸らした。ルイズは椅子ごと移動してその視線をキャッチする。
「私、スズネのこと信じてるのよ。───スズネが私たちとは違う世界からきたことだって、私のこと、一人の貴族として認めてくれてることだって、フーケから守ってくれたことだって。……それなのにズルイじゃない。スズネは私に何も言わないでどこかに行っちゃおうっていうの? 一人で何か悩んでるっていうの? そんなの許さないわよ。私が何かしちゃったならちゃんと言いなさいよ」
ルイズは、自分ですら驚いてしまうほど饒舌になっていた。溜めていた感情が流れ出して行くような感覚だった。恐らく、涙さえ浮かんでいるのかもしれない。半ば息を切らしながらルイズが言い切っても、スズネは何も言おうとしない。
「私のこと、まだ信じてないの?」
純粋な疑問。その言葉に反応してか、俯きがちだったスズネの唇が僅かに震えた。
「人を殺したことがある」
───たくさんの少女を殺した。
スズネの独白は、ルイズにとって、まさに別世界としか思えなかった。
───たくさんの少女を殺した?
わからない。
───たくさんの少女を殺した? 数えきれないほどの少女たちを殺してきたと?
わからない。実感が湧かない。目の前にいる少女がヒト殺しだと? いや、確かに彼女の眼光にはナイフのような輝きもあるけれど、怒らせたらヤバイなとか、ギーシュが殺されるかもしれなかったとかそういう感覚はあるけれど、そういう話ではない。
ルイズには、何もわからない。彼女は人を殺したことはない。彼女は人の『死』を目の当たりにしたことがない。スズネは糾弾されるべきなのだろうか? 彼女自身は自分の行動だと言っていたが、偽物の正義を植え付けられて人を殺すに至った彼女は非難されるべきなのだろうか?
ああそうとも、通念で考えれば、スズネは非難されるべきだろう。だが、ルイズにとって、彼女のそれはあまりにも遠い話だった。
「わかんないわよ、そんなの……」
ルイズは、絞り出すように呟く。しかし、それは蚊の鳴くような細い声だ。
「意味わかんない。スズネが人を殺したとか! 全然意味わかんないわよ!」
それは次第に大きな声になっていく。
「そんなの関係ないじゃない! だって昔の話でしょう!? 今、スズネは私の使い魔なのよ! 私を助けてくれたじゃない!」
「……っ」
ルイズの息はついに完全に上がり、はぁはぁと肩で息をしている。それでも、ルイズの目はしっかりとスズネを見据えていた。
「スズネが昔どんな人だったかなんて関係ない。今、私の前にいるのは今のスズネなんだから」
暫しの沈黙。それを破ったのはスズネだった。
「……ありがとう」
伝えたいのはそれだけだと言わんばかりに、スズネは笑顔を浮かべた。