第六話『土くれのフーケ』
───それは、突然であった。
とてもではないが、落ち着けなかった。虚無の曜日にスズネと王都に行ってから、ルイズはスズネと同じベッドで寝ることにしているのだが、つまりスズネを自分のベッドに上げているのだが、それがまた落ち着けない。ここで誤解を解いておくと、決してスズネの寝相が悪いわけではない。むしろ、良い部類に入る。ルイズの邪魔をしないようにとなるべく端っこで横になっているし、寝返りを頻繁にして腕でバシバシ殴ってくることもない。端的に言うと、そんな訳の分からないことを考えてしまうほどルイズは寝不足だったわけである。ちいねえさまと一緒に寝た時はぐっすり寝付けたが、やはりこうなっているのは、やはりスズネの異質感であろうか。同じ土地で育っていないという、縁の遠さゆえだろうか。ちゅんちゅん、小鳥が木の上でさえずっている。
「もう朝なのね……」
スズネはシエスタと共に洗濯にいっている。そろそろ洗濯もシエスタにやってもらおうか。隔週でやってもらうのもいいかもしれない。スズネの負担を減らしてやりたいと、ルイズは似つかないことを思った。寝ぼけ眼のまま着替え、歯を磨き、シエスタに用意させた温水を染み込ませたタオルで眼の疲れを取る。
「あぁ〜、効くわ〜」
おっさんか。ルイズは一人で虚しいツッコミを入れて、頬を叩いて授業に向かったのであった。
つまるところ、ご主人様は寝不足だった。自分がいるとどうにも落ち着けないようで、夜通し、夢と現の間でと頑張っていたことは鈴音も知っていた。鈴音はベッドの上でルイズに背中を向けながら、その様子を把握していたわけである。だから、鈴音は夜中にデルフリンガーに教えてもらった『ガンダールヴ』について調べていた。もちろん鈴音がハルケギニアの文字を解読できるわけではないので、タバサに横についてもらって翻訳してもらっている。かわりに今度『ハシバミ草』とやらをご馳走することになったが、その苦味や如何に……。
「結局、大体の話がおとぎ話にすぎないってことね……」
「そう。なんで伝説について調べてるの?」
小さく項垂れる鈴音、タバサは無表情で見つめる。
「ただ、興味があるだけよ」
嘘である。だが、嘘を見破られない自信はあった。相変わらず見つめ続けるタバサの視線を躱して、鈴音は考える。大抵の話はおとぎ話にすぎず、記述もバラバラで、当てにはならない。ただ、確かなのは───そのご主人様が『虚無』と言われる魔法の使い手であること。以前爆発で気絶してしまった先生の授業では一ミリたりとも触れられなかった伝説の属性である。それなら、ルイズの爆発も納得がいくのではあるが……。魔法を使えないのではなく、土のメイジが水の魔法を使えないように、四元素の魔法を使えないだけなのである。この話をしても、信じてはもらえないだろう。ルイズにとっては、鈴音が異世界から来たことと同じぐらい荒唐無稽な話なのだから。未だに異世界から来たことを信じていないのだから。
タバサは浮遊の魔法で本を棚の上に戻してくれる。ありがとう、鈴音がそう言うと同時に、ずんずんと地面が揺れた。タバサの手元が少し狂って本がなかなか差し込まれない。二回ほど作業を繰り返して───その間にも揺れは続いて、なぜか爆発の音も混じってきて───ようやく収納される。
どんどん。ばんばん。
「外がうるさい」
相変わらずの無表情で、タバサはそう呟いた。
───『それ』は突然だった。
突如、三十メイルほどの巨大なゴーレムが立ち上がり、宝物庫の壁をぶっ壊したのである。その場に偶然居合わせた人間で何とか対処しようとしたのだが、何せそこに居たのは、今度はスズネがいないと落ち着けないといって夜風に当たりにきたルイズとキュルケだけであった。ルイズの爆発があまり当たらないし、当たったとしても、ゴーレムの表面を削るだけ。キュルケの炎も強力だったのだが、ゴーレムの小指ほどの土を削るばかりで、効果があるようには思えなかった。
「メイジがもっといてくれたらっ」
「今は私たちしかいないんだから、やるしかないのよっ」
ゴーレムの剛腕が迫る。ルイズとキュルケは慌てて後退する。その隙に、ゴーレムは踵を返して走っていった。
────スズネやタバサ、騒ぎで目が覚めた教員たちが到着したとき、すでにその後ろ姿は豆粒ほどになっていた。そして、宝物庫には、
『秘蔵の破壊の杖、確かに領収いたしました。土くれのフーケ』
という挑発じみたメッセージだけが残されていた。
疲れ切ったルイズは、ゴーレム───『土くれのフーケ』という盗賊のものらしい───が去った後、気絶するように眠りに落ちてしまい、鈴音が彼女をベッドまで運んだ。翌日の十時過ぎになってようやく目覚めたので、着替えをさせて二人は教員とキュルケ、タバサと共にオスマンの話をきいていた。当直の教員がサボっていたが、それが常態化していたこと。王国への報告は控え、学園の内部だけで解決すること。そして、
「──────誰か、志願する者はおらんかね?」
先ほどまで騒々しかった部屋が、すんと一気に静まる。杖を挙げる者は誰一人としていない。命のやり取りを行おうというのだから、当たり前といえば当たり前といえる。オスマンが見廻すと、
「……ほう」
一本だけ、杖が掲げられる。俯いたまま、ルイズは杖を天井に向けたのだ。水面に小石を投げ込んだときのように、騒めきがルイズを中心に広がる。そして、
「『ヴァリエール』にいいとこ取られちゃったわね」
キュルケは軽く笑って、杖を掲げた。続いて、この部屋で最も小さいタバサも杖を挙げた。俯いて震えているようにも見えるルイズの瞳には、決意の眼光が宿っていた。これが、
「『貴族様』、さすがね」
ルイズに聞こえるように、ルイズだけに聞こえるように、鈴音は呟いた。鈴音には、人を殺してまで貫きたかった正義があった。それと同様に、ルイズは、己を擲ってでも貫きたい『誇り』があるのだろう。そんな彼女を馬鹿野郎と罵る気にはならなかった。ルイズと自分が重なって、鈴音の心臓が一回だけ大きく拍動した。驚いてこちらを見たルイズと目があって、鈴音はゆるりとオスマンに目線を向けた。
途中で入ってきたオスマンの秘書───ミス・ロングビルの操縦で、ルイズ、鈴音、キュルケ、タバサの五人は森の中にある小屋とやらに馬車に乗って向かっていた。最初は開けていた明るい道だったが、次第に鬱蒼と茂る森に入っていく。
「きゅっ、怖いわ、スズネ〜」
棒演技か。キュルケがスズネの腕に自分の腕を絡めると、即座に、ルイズが顔を真っ赤にして叫んだ。
「だからやめなさいよ! 人の使い魔になにするの!?」
ご主人さまは変わらないようだ。先ほどの眼光は一体どこへやら。鈴音がため息を吐くと、ミス・ロングビルが到着を知らせてくれた。そもそも、彼女も怪しいものである。一体いつ調査する暇があったと言うのか。背中のデルフリンガーの感触を確かめる。皆で馬車を降りて少し進むと、大きく開けた土地に出た。およそ、魔法学院の中庭ぐらいの広さだ。真ん中に、確かに廃屋があった。元は木こり小屋だったのだろうか。朽ち果てた炭焼き用らしき窯と、壁板が外れた物置が隣に並んでいる。五人は小屋の中から見えないように、森の茂みに身を隠したまま廃屋を見つめた。
「わたくしの聞いた情報だと、あの中にいるという話です」
ロングビルが廃屋を指差して言った。人が住んでいる気配はまったくない。作戦会議をした結果、鈴音がまず小屋を覗き、誰もいなければ皆を呼び寄せて突入する流れとなった。
「では、お願いします」
無音で、鈴音は小屋に近づく。気配を消すことには慣れている。汚れた窓から内部を観るも、誰もいない様子。鈴音は後ろを向いて腕でバツ印を作る。隠れていた全員が、状況を把握し、おそるおそる近寄ってきた。
「誰もいないわ」
鈴音は窓を指差して言った。タバサが、ドアに向けて杖を振った。
「ワナはないみたい」
そう呟いて、ドアをあけ、中に入っていく。キュルケと鈴音は後に続く。ルイズは外で見張りをすると言って、後に残った。ロングビルは辺りを偵察してきますと言って、森の中に消えていった。小屋に入ったタバサたちは、フーケが残した手がかりがないかを調べ始めた。そして、タバサが棚の中から、『破壊の杖』を見つけ出した。
「破壊の杖」
タバサは無造作にそれを持ちあげると、皆に見せた。
「あっけないわね!」
キュルケが叫んだ。鈴音は、その『破壊の杖』を見た途端、眉間にしわを寄せた。
「それ、本当に『破壊の杖』なの?」
「そうよ。あたし、見たことあるもん。宝物庫を見学したとき」
キュルケが頷いた。鈴音は近寄って、『破壊の杖』を観察する。
「これは……」
そのとき、外で見張りをしていたルイズの悲鳴が聞こえた。瞬間、小屋の屋根が吹っ飛んだ。屋根がなくなったおかげで、四角く切り取られた空がよく映えていた。そして青空をバックに、巨大な土ゴーレムの姿があった。
「ゴーレム!」
キュルケが叫んだ。タバサが真っ先に反応する。自分の身長より大きな杖を振り、呪文を唱えた。巨大な竜巻が舞い上がり、ゴーレムにぶつかっていく。しかし、ゴーレムはびくともしない。キュルケが胸にさした杖を引き抜き、呪文を唱えた。杖から炎が伸び、ゴーレムを火炎に包んだ。しかし、炎に包まれようが、ゴーレムはまったく意に介す様子がない。
「無理よこんなの!」
キュルケが叫んだ。
「退却」
タバサが呟く。キュルケとタバサは一目散に逃げ出し始めた。鈴音はルイズの姿を探した。ルイズを外に立たせたのが間違いだった。自分の判断ミスを叱責する。だって、おおよそ見当はついていたことではないか。ルイズはゴーレムの背後に立っている。ルイズはルーンを呟き、ゴーレムに杖を振りかざした。巨大な土ゴーレムの表面で、何かが弾けた。小規模の爆発は、ゴーレムの表面を薄く削る。ルイズに気づいてゴーレムが振り向く。小屋の入り口に立った鈴音は二十メイルほど離れたルイズに向かって叫んだ。
「逃げて!」
しかし、全く退こうとしない。ルイズは唇を噛み締めた。
「いやよ! 私は貴族なのよ! こんなところで退いてられないわ!」
───これも、見当がついていたことではないか。ルイズは、鈴音とギーシュの決闘の際も命をかけて彼を救おうとした。それは鈴音のためでもあったかもしれないが、今はあまり関係ないか。鈴音は詳しくは知らないが、彼女は『貴族』なのだ。己を擲ってでも『誇り』を守ろうとする、仲間を守ろうとする。そういうもの。ならば。鈴音がやるべきことは、彼女を怒鳴りつけることではないだろう。
「───椿」
ずっと前に、セーラー服のポケットに入れた御守り。夢の中で椿にもらった鈴のついた御守り。鈴音は変身する。ぎゅっと、潰れそうなほど御守りを握りしめる。鈴音が呼ばれたのは、何の為か?
「おかえりなさい、椿」
鈴音は呟く。全身に魔力が滾る。髪の毛は鈴で結ばれていた。鈴音の周りには炎がゆらめていていた。彼女はかっと目を見開いた。しっかりとゴーレムを見据える。
「デルフリンガー」
鈴音は呟く。剣を抜き、魔力を通す。まるで手の一部。どう使えばいいかがわかる。
「いけるぜ! 存分にやってくれ!」
デルフリンガーの刃に線が通る。カッターナイフのように刻まれた線だ。デルフリンガーの錆が落ちていく。手に馴染むその武器に、鈴音のアドレナリンは一層加速。
「『炎舞』」
その模様の中心あたりが赤熱する。いつのまにか、揺らめいていた炎は噴出するように天に伸びていた。それらが無数の炎剣に変化する。
───チリンと、どこからか、鈴の音がした。
鈴音がデルフリンガーを振ると、無数の剣は飛翔し───ゴーレムをぐちゃぐちゃにした。土の塊になって地面に崩れていく。その元で尻餅をついて目をまんまるに見開いていたルイズが叫んだ。
「やった、やったわ! 勝ったのよ私たち! スズネ!」
タバサとキュルケが駆け寄ってくる。
「あなた、炎の魔法も使えるの!? あんな魔法見たことないわよ!」
キュルケだ。タバサは窺うように無表情でスズネを見つめてくる。
「まだ終わってないわ」
鈴音が振り向くと、そこには、『破壊の杖』を持ったミス・ロングビル───フーケが立っていた。
「じゃあ、終わりにしましょう」
「ミス・ロングビル……なんのつもりですか!」
キュルケが叫んだ。
「彼女がフーケ」
タバサが呟く。フーケが杖を振る。
「『陽炎』」
鈴音の姿が消える。刹那、彼女はフーケの隣にいた。腹を蹴りつけ、地面に引き倒す。鈴音は見下ろすように立っていた。フーケの首にデルフリンガーの切っ先を当てる。
「やっぱ敵わないねぇ。天性の『暗殺者』には」
「なに?」
「あんた、殺したんだろ」
圧倒的に不利な状況にいながら、文字通り命さえ握られている状況にいながら、フーケは笑ってみせた。
「黙れ」
「また、殺すのかい? 昔みたいに」
「黙れ!」
鈴音は堪らず、フーケの頭を剣の腹で殴りつけた。
「さてと、君たちはよくぞフーケを捕まえ、『破壊の杖』を取り返してきた」
学院長室で、誇らしげに、鈴音を除いた三人が礼をした。
「フーケは、城の衛士に引き渡した。『破壊の杖』も無事に宝物庫に収まった。君たちの、『シュヴァリエ』の爵位申請を、宮廷に出しておいた。追って沙汰があるじゃろう。といっても、ミス・タバサはすでに『シュヴァリエ』の爵位を持っているから、精霊勲章の授与を申請しておいた」
三人の顔が、ぱあっと輝く。
「本当ですか?」
キュルケの目がキラキラと輝く。
「君たちは、そのぐらいのことをしたのじゃからな」
ルイズは、フーケを気絶させてから一言も発さなくなってしまった鈴音を心配げに見た。
「……オールド・オスマン。スズネには、何もないんですか?」
「残念ながら、彼女は貴族ではない」
「何もいらないわ」
オスマンは、ぽんぽんと手を打ち、
「さてと、今日の夜は『フリッグの舞踏会』じゃ。『破壊の杖』も戻ってきたので、予定どおり執り行う」
キュルケの顔がぱっと輝いた。
「そうでしたわ! フーケの騒ぎで忘れておりました!」
「今日の舞踏会の主役は君たちじゃ。用意をしてきたまえ。せいぜい、着飾るのじゃぞ」
三人は、礼をするとドアに向かった。ルイズは、鈴音をちらっと見て、そして、立ち止まる。
「先に行ってて」
ルイズはしばらく見つめていたが、やがて頷いて部屋を出て行った。オスマンは鈴音に向き直った。
「なにか、わしに聞きたいことがおありのようじゃな」
鈴音は頷いた。
「言ってごらんなさい。できるだけ力になろう。君に爵位を授けることはできんが、せめてものお礼じゃ」
それからオスマンは、コルベールに退室を促した。鈴音の話を待っていたコルベールは、不承不承といった感じで部屋を出て行った。コルベールが退室するのを見届けて、鈴音は口を開いた。
「『破壊の杖』は、私の世界の武器よ」
オスマンから話を聞いた鈴音は、しばらく考えこむと、目を伏せて部屋を出た。