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両手に大きなスポーツバッグを2つ提げて、俺は列車を降りた。その後から、みらいを抱いたあさひが続いて降りてくる。
To be continued...
「あれから、1年以上か……」
「うん」
ちょっと感無量って感じだった。
あさひと2人で、身の回りのものだけ持って、慌ただしくこの駅を後にしてから、もうそんなにたつんだな……。
「行こうか?」
「うん。……あ、きゃっ!」
歩き出そうとして、あさひは何かにつまずいてよろけた。俺はとっさにバッグを放り出して、その体を支えた。
「おっと。大丈夫?」
「ご、ごめんなさい」
謝るあさひ。ま、無理もない。あさひには、マスコミ対策として濃いめのサングラスをかけさせてるから、よく見えないんだろうなぁ。
「あっ、あのっ、もう、大丈夫です」
「あ、うん」
俺はあさひを抱いていた手を、名残惜しく思いながら放す。あさひはにこっと笑った。
「行きましょう、和樹さん」
「おう」
俺は放り出したスポーツバッグを拾って歩き出した。
改札を抜けたところで、いきなり声をかけられた。
「和樹っ!」
「え? あれ、瑞希じゃないか」
瑞希が駆け寄ってきた。
「瑞希じゃないか、じゃないわよっ。もうっ」
「なんだよ、泣いてるのか?」
「泣くかっ!!」
瑞希は俺の頭を叩くと、腰に手を当てた。
「まったく、1年以上も連絡一つよこさないで……。そりゃ事情が事情だったけど、それでも手紙くらいよこしなさいよっ」
「へいへい、悪かった悪かった。で、大志が迎えに来るはずなんだが知らないか?」
俺は訊ねた。何しろあいつが来ないと、俺達が今夜泊まるところもないんだぞ。
瑞希は頷いた。
「うん、そのことなんだけど、あいつなんか急用が出来たとかで、あたしに迎えに行ってくれって」
「へっ?」
俺はかくんと顎を落とした。あの野郎、無責任にとんずらしたのかっ!?
「急用っちゅうんは表向きやって。あの旦那、あさひちゃんにかなりお熱やったらしいしぃ、やっぱり憧れの人が、それも親友の人妻になってるのを見るんは耐えられへんのとちゃうやろか?」
「由宇?」
俺が振り返ると、由宇はあさひの腕の中にいるみらいをのぞき込んでいた。
「へぇ〜、こりゃめんこい赤ちゃんやなぁ。女の子やって?」
「は、はい。みらいっていうんです」
「みらいちゃんかぁ。お母さんに似るとええな。お父さんに似ると何かと悲惨やで〜」
言いたい放題だな、由宇。
と、みらいが不意に手を伸ばして、由宇のおさげをぎゅっと握って引っ張った。
「あいたたっ! ちょ、ちょっと、堪忍してぇな!」
「あっ、す、すみませんっ! こらっ、みらい、放しなさいっ!」
いいぞ。さすが我が愛娘。
「……和樹、顔がにやけてるぞ」
後ろから瑞希に言われて、俺は自分の顔を撫でた。
「そ、そうかな?」
「しかし、和樹がパパねぇ。ほんとに世紀末だわ」
「あのな……」
文句を言おうと思ったが、瑞希はあさひの所に駆け寄ってみらいをのぞき込んでいた。
「へぇ〜、この娘が和樹の子供なんだぁ」
「痛いっちゅうにっ!」
「みらいっ、駄目だってばっ!」
「あ、笑ってる笑ってる〜。和樹の血を引いてるとは思えないくらい可愛い〜」
「ええかげんにせぇっ!」
「ごめんなさい、ごめんなさいっ!」
……女が三人よると姦しい、か。
俺は苦笑した。
「とりあえず、夏こみまでの生活にはここを使ってくれって大志は言ってたわよ」
ドアの前で瑞希は言った。
唖然としていた俺は、瑞希に尋ねた。
「あのさ、瑞希。一つ聞いて良いかな?」
「何?」
「ここって、もしかして元の俺の部屋じゃないか?」
「そうよ」
何を今更、という感じで平然と答える瑞希。それから訊ねた。
「あ、もしかして大志に聞いてなかったの?」
「何をだ?」
「この部屋の借り主って、まだ和樹なのよ」
「なんだってーっ!?」
俺は今度こそ口をあんぐりと開けた。
「だって、和樹ったら、その辺りのことちゃんとしないで行っちゃったじゃない。大学には休学届け出したみたいだけどさ。それでね、みんなで相談した結果、この部屋はそのまま借りておこうってことになったの。あ、家賃はちゃんとあたし達で払ってるから心配しなくてもいいわよ。はい、鍵」
一方的に言うと、瑞希は鍵を渡した。
「そのまま借りておこうって、なんでだ?」
「物置、兼、作業部屋や」
由宇が笑って言った。
「ウチもホテル代わりに使わせてもろたし、重宝しとったんやで。あ、今回は、ウチはここは使っとらへんけどな」
「そ、そうなのか」
ドアを開けると、俺は振り返った。
「それに関しては礼を言うけど……、でも、せめて掃除くらいしといてくれ……」
「あはは〜」
後頭部に大きな汗を浮かべて笑う瑞希。
部屋の中はごみだらけだった。
「あっ、あたし掃除しますから」
あさひがそう言って部屋に上がる。
「よし、手伝うか。瑞希、由宇、お前らも……」
「あ、悪いな。ウチ、原稿の続きやらな。ほなまたな〜」
そう言うが早いか、由宇はダッシュして逃げていった。くそう、逃げ足の早い奴だ。
「あ、あたしもちょっと用事が……」
「待てい!」
俺はくるっと振り向こうとした瑞希の肩をがしっと掴んだ。
「手伝ってくれるよなぁ、大志の代理さん」
「あのねっ!」
瑞希は、既にいそいそとジャケットを脱いでいるあさひにちらっと視線を走らせて、小声で俺に言った。
「あさひちゃんがいるでしょうが。なんであたしが……」
「……ま、5分も見ていればわかる」
俺は言った。
5分後。
「あっ……」
ガシャーン
「ごっ、ごめんなさ、あっ」
ベシャ
「ど、どうしよう。えっと、あ……」
ドドドッ
「きゃぁっ! か、和樹さぁん(泣)」
「……判りました」
瑞希は俺の肩を軽く叩くと、深々と頷いた。
「あんたも苦労しているのね」
「ま、そういうことだ」
俺は答えると、積み上げられた本が崩れそうなのを必死に支えているあさひを助けに行った。
「かっ、和樹さんっ、あたしもう……」
「おっと」
危ないところで本を支えると、あさひは力つきたようにその場にうずくまる。
「ううっ、やっぱりあたしって……」
「泣くなよ〜」
「そうよ。最初からうまくいくわけないんだし……」
瑞希も慰めにやってきた。あさひは顔を上げた。
「でも、もう1年以上やってるんですよ。それなのにあたしって……」
「あう……。えっと、でも、ほらそれはいろいろと経験して覚えていくものだし、ねっ」
なんだかよく判らない事を言う瑞希。
要するに、あさひは「ハプニング」に、てきめんに弱いのである。ところが、声優アイドル時代と違って、普通の生活、特に子育てなんてシナリオ通りにはいかずにハプニングばかりで、あさひは色々と苦労しているのだ。
「もう、しょうがないなぁ」
瑞希はそう言うと、腕まくりをした。
「あさひちゃんはみらいちゃんの面倒見てて。ほら和樹、あんたの部屋なんだから手伝いなさいっ!」
「ふぅ、なんとかなったわね」
瑞希は肩をすくめて言うと、立ち上がった。
「あれ? もう帰るのか?」
俺が訊ねると、瑞希は呆れたように俺を見下ろした。
「あのね、そんなに追い出したいの?」
「いや、用が済んだから」
「か〜ず〜き〜」
「冗談だ冗談。で、どこに行くんだ?」
「コンビニよ、コンビニ。食料品が何一つ無いでしょうが!」
そう言うと、瑞希はそのまま出ていった。ドアがぱたんと閉まる。
俺は肩をすくめて振り返った。
「ごめんな、あさひ。瑞希は昔っからああいう奴だから」
「瑞希さんってすごいです。あたし、尊敬しちゃいます」
あさひは綺麗になった部屋をくるくると見回して、ほとほと感心した様子だった。
と。
「ふぎゃ、ふぎゃ、ふぎゃっ」
とりあえず俺のベッドに寝かせておいたみらいが泣き出した。
「あらあら、なんですかぁ〜」
あさひはみらいを抱き起こすと、訊ねた。
「あ、お腹が空いたんですねぇ〜」
……しかし、よく判るもんだ。俺にはとりあえずおむつが濡れた時とそれ以外しか判別付かないっていうのに。
「和樹さん、そっちのバッグ取って下さい」
「おう」
俺はスポーツバッグをあさひに渡した。あさひはそのバッグを開けて、そのまま凍り付いた。
「あっ……」
「ん? どうした、あさひ」
「あのっ、えっと、そのっ、みらいちゃんの、あうっ……」
なんだなんだ?
あ、もしかして……。
「ほ乳瓶忘れた、とか……?」
「……」
こくりと頷くあさひ。
「ほ、ほ乳瓶だけじゃなくて、粉ミルクも……」
「あー、どうすっかな……」
こんな事なら、さっき瑞希についでに買ってきてもらうように頼めばよかったか。
「ふぎゃっ、ふぎゃっ、ふぎゃっ」
「あ、みらいちゃん、どうしよう……」
しょうがない。俺がひとっ走りして買ってくるか。
俺がそう思って腰を浮かせたとき、あさひは顔を上げた。
「あのっ、ちょ、ちょっと後ろ向いてて……」
「え?」
「その、あたし、少しなら出ると思うから、そのっ……」
あ、そういうことね。
「大丈夫だ。俺がしっかりと見守っててやろう」
「ふみぃ〜ん」
うっ、あさひが涙目になって俺を睨んでる。
夫婦なんだし、今更恥ずかしがるもんでもないと思うが、気分の問題ってやつなんだろうな、多分。
俺は大人しく背中を向けた。
後ろで、微かな衣擦れの音が聞こえる。
うぉっ、音だけ聞こえるっていうのも煩悩を刺激するもんだな。
って、いかんいかん。何を考えてるんだ、俺はっ!
これは母親としてのつとめ、いわば神聖なる儀式。煩悩の入り込むような余地はないのだっ。
「あっ、やだ、みらいちゃんっ。ちょ、ちょっと……あん、やだっ……」
うきゃぁっ!
俺はあさひの吐息混じりの声に振り向きそうになって、慌てて自制した。
「……終わりましたよ、和樹さん」
「あ、おう」
あさひに声を掛けられて、俺は振り返った。
あさひはみらいの背中をトントンと叩いてげっぷをさせているところだった。
「ありがとう、和樹さん。ちゃんと後ろを向いててくれて」
「う、うむ。しかしなんだな、早いところほ乳瓶を買ってこないとな」
俺は明後日の方を見ながら言った。
と、ノックの音がして瑞希が顔を出した。
「ただいまぁ〜。食料品調達してきたわよ。……あ、あれ?」
きょときょとと俺とあさひを見比べる瑞希。
「な、なんだよ?」
「べ、べつに。それより、これからどうするんだ?」
「帰ろうかと思ってたけど……、もし良かったら、夕ご飯くらい作っていってあげようか?」
あさひの方をちらっと見て、遠慮がちに言う瑞希。
俺は苦笑した。
「助かる。なぁ、あさひ」
「ごめんなさい」
小さくなるあさひ。ちなみに2人暮らしをしていた間、食事を作る回数は俺の方が多かった。台所に立つ回数はあさひの方が多かったのだが……。これ以上は何も言うまい。
瑞希はにこっと笑った。
「あさひちゃん、手伝ってくれるかな?」
「あっ、はい。お、お手伝いしますっ」
あさひは嬉しそうに頷くと、満腹して眠ってしまったみらいをベッドに寝かしつけた。
「よし、それじゃ俺はほ乳瓶買ってくるよ」
「すみません、和樹さん」
「いいって。瑞希、あさひのことよろしく頼むぞ」
「うん」
瑞希は笑顔で頷いた。
マンションの玄関を出て、俺は大きく伸びをした。
「ふわぁ〜」
ついでにあくびなんぞしていると、不意に横から声を掛けられた。
「あくびとは、いいご身分だな。まいぶらざぁ」
「大志!?」
そこにいたのは、間違いなく大志だった。
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あとがき
電気ポットが壊れてしまったので、新しいポットを買いました。今までの倍の量が入ります。ちょっと嬉しいかも(笑)
あさひのようにさわやかに その2 99/7/9 Up