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こみっくパーティー Short Story #3
あさひのようにさわやかに その7

「和樹さ〜ん」
 詠美の家からの帰り道、駅前を歩いていると、ふと呼び止められた。
 振り返ると、南さんが笑顔で手を振っていた。
「こんにちわ〜」
「あっ、その節はどうも〜」
「いえいえ、そんな」
 南さんは軽く首を振ると、俺に尋ねた。
「同人誌の方はどうですか?」
「一応順調ですよ。今、詠美にも手伝ってもらってるんです」
「まぁ、詠美ちゃんが?」
 南さんは、「そうですか」と頷いた。それにしても、あれだけブイブイ言わせてる奴が他人の原稿を大人しく手伝うなんて、俺だったら即座に疑ってかかるぞ。やっぱり、南さんって純粋でいいな。
 しかし、立ち話もなんだな……。よし、ここは「お茶に誘う」だ。
「南さん、時間がよければ、どっか寄っていきませんか?」
「え? 私は構いませんけど、和樹さんの方は……?」
「俺ならいいですよ。それじゃ、そうだなぁ……。久しぶりに千紗ちゃんの顔でも拝みに行きませんか?」
 俺が言うと、南さんはくすっと笑った。
「女の子を誘うのに、他の女の子の名前を出すものじゃありませんよ」
「あ……」
 し、しまったぁっ!
「あらあら、冗談ですよ」
 もうひとしきり笑ってから、南さんは頷いた。
「それじゃ、行きましょうか」

 カランカラン
「あっ、和樹お兄さんに南お姉さん。いらっしゃいませですぅ」
 喫茶店のドアを開けると、めざとく俺達を見つけた千紗ちゃんが、とててっと駆け寄ってくる。
 あ。
「わきゃぁっ!」
 入り口のマットにつまずいて転び掛けるところを、俺がとっさに支える。
 相変わらず軽いなぁ。
「あっ、すみませんですぅ」
「いやぁ、気にするなって。それより、気を付けないとダメだぞ」
 軽くぽんと千紗ちゃんの頭に手を置くと、俺は言った。
「それより、2名様で頼むよ」
「あれ? 今日は、大志さんは、一緒じゃないんですか?」
 キョロキョロと左右を見回す千紗ちゃん。俺は肩をすくめた。
「よしてくれ。あいつと四六時中一緒じゃ気が休まるときがないじゃないか」
「そうですか。千紗残念ですぅ」
「……は?」
「あっ! え、えっと、こここちらへどうぞっ!」
 かぁっと赤くなると、千紗ちゃんはあたふたと奧に入っていった。……あ、転んだ。
「和樹さん、千紗ちゃんをからかっちゃいけませんよ」
 南さんにたしなめられてしまった。俺はそんなつもりはなかったんだが……。

「ええっ? 大志がそんなことしてたんですか?」
 南さんの話を聞いて、俺は思わず腰を浮かせていた。
「ええ」
 南さんは、ブレンドの入ったコーヒーカップを口に運びながら、こくりと頷いた。
「千紗ちゃんの印刷所が経営危機に陥ってたとき、彼が色々と手を打ってくれたの」
「……知らなかった」
 ちなみに千紗ちゃんの実家は『塚本印刷』という印刷所を経営している。俺もさんざんお世話になったもんだ。
 そう言えば、最後の春こみの入稿するとき、千紗ちゃんが妙に寂しそうだったような覚えがあるが、今にして思えば、印刷所を畳まないといけないかもしれない、つまりこれでお別れになるかもしれないから、あんな顔してたのか。
 結果的に言えば、そのまま俺はあさひとほとんど夜逃げ同然に消えたから、千紗ちゃんともそれっきりだったんだが。
「はい。大志さんは千紗の恩人です」
 嬉しそうに言う千紗ちゃん。
 俺はアイスコーヒーを飲みながら呟いた。
「しかし、信じられん。大志がそんなことするなんて……。あいつは義理も人情もない奴だと思ってた……」
「和樹さん、ひどいですぅ。大志さん、そんな人じゃないですよぉ」
 千紗ちゃんが、ぎゅっと両拳を握って、涙目になって俺に言う。俺は慌てて手を振った。
「いや、そういう意味じゃなくて……」
「千紗は、大志さんにはとってもお世話になっちゃいましたから、いつかこのご恩を返そうと思ってるんですぅ」
 上の方を見上げながら、そう言う千紗ちゃん、お目目キラキラモードに入っている。
 ……大志、お前も罪なことをするな。どんな野望の一環か知らんが、こんな純な女の子を巻き込むとは……。
 まぁ、南さんが温かい目で見守っているようだし、俺も生暖かい目で見守るとしよう。
 あ、そうだ。
「それより南さん、ちょっと聞きたいことがあるんですけど」
「はい、なんですか?」
「詠美の事なんですけど……」
 俺は、詠美の家で見かけたコピー誌のことを話した。
「ちらっとしか見てないんですけど、奧付を見たら、発行日は去年の9月になってました。あいつ、夏こみ落としたって由宇が言ってたから、その後最初に出した本なんじゃないかって思うんですけど……」
 南さんは、微笑んだ。
「読みました? あの本」
「途中で詠美にひったくられたから、途中までしか。でも……、なんていうか、すごいとしか言えませんでした」
 俺は、あの時の感触を思い出すように、視線を落とした。それから、その視線を南さんに向け直す。
「南さんは何か知ってるんですか?」
「詠美ちゃんは、少しずつ変わってるわ。私たちから見れば、良い方に、ね。ゆっくりだけど……」
 南さんは、静かに答えた。
「変わってる?」
「ええ。和樹さんが見たそのコピー誌。あれを描いたのが、本当の大庭詠美と言っていいと思うわ」
「本当の……大庭詠美?」
「ええ。去年までの、流行りの大手同人作家じゃなくて、本当の創作者(クリエイター)。由宇ちゃんが、自分には絶対に追いつけないと言い切るくらい絶賛している、大庭詠美の真の実力が、あれなのよ」
「あれが……」
 俺は、自分の手が震えているのを感じた。
 底知れない深淵をのぞき込んだような気がしていた。
 あれが詠美の本当の力だとしたら、俺は彼女を見誤っていたことになる。
 でも、なんで最初から詠美はあれで勝負しなかったんだろう?
 俺の表情に浮かんだ疑問に気付いたのか、南さんは顔を伏せた。
「詠美ちゃんには、二つの天才的な技量があるの。一つは、物語を作り出し、その物語で他人を感動させる事が出来る力。そしてもう一つは、その物語を伝えるためのテクニック。でも、詠美ちゃん自身も私たちも、そこで間違ってしまったの」
「間違い……?」
「ええ。詠美ちゃんの二つの力は車の両輪よ。でも、詠美ちゃんはその片方だけ、つまりテクニックだけで同人を続けていった。バランスを崩した車は、暴走するしかなかった……」
「……そういうことですか」
「でも、詠美ちゃんは、今は大丈夫だと思うわ」
 南さんは、顔を上げて微笑んだ。
「去年、詠美ちゃんは色々と苦しんだの。そして、自分でも気付いた。片方の車輪が外れていたことに。その結果が、あのコピー誌なのよ」
 俺は頷いた。
「なるほど。確かに、あのコピー誌は、両輪ががっちりとはめ込まれてましたよ」
 車の両輪か。さすが南さん、いい言い回しをするなぁ。
 と、南さんが腕時計を見た。
「あら、もうこんな時間だわ。そろそろ事務所に戻らないと……」
「あ、はい。お引き留めしちゃって済みませんでした。千紗ちゃん、おかんじょ……」
 立ち上がりながら振り返った俺の目に入ったのは、お盆を抱えて幸せそうに漂っている千紗ちゃんだった。
 ……まさか、俺達が話をしている間ずっとトリップしてたんだろうか?
 大志の奴、罪なことを……。

 そして……。

「和樹っ、どこで油売ってたのよっ!」
「和樹さん、私お腹空きました……」
「ふぎゃ、ふぎゃ、ふぎゃっ」
「……ごめん、忘れてた……」

 翌日。
 あさひに行って来ますのキスをして、マンションの外に出ると、まぶしい日差しが照りつけていた。
 だんだんと夏本番が近づいてくるのが実感できるな。
 と。
「あっ、和樹……」
「あれ?」
 詠美が、マンションのすぐ前の道にいた。
「なにしてんだ、詠美?」
「な、なんでもないわよっ!」
 慌てたようにぷいっとそっぽを向く詠美。
「それより、今日もうちに来るんでしょっ?」
「そりゃ、詠美がよけりゃ……」
「それじゃ行くわよっ!」
 そう言って、ずんずんと前に立って歩き出す詠美。って、もしかして俺を迎えに来たのか?
 まさか、なぁ……。
 と、不意に詠美が振り返ると、立ち止まったままの俺を見て地団駄踏み始めた。
「なにようっ、さっさと来なさいよっ!」
「へいへい」
 俺は肩をすくめて歩き出した。と、詠美がこっちに駆け戻ってくると、俺の腕を掴む。
「もうっ、早く来なさいって!」
 そのままぐいっと俺の腕を引っ張る詠美。
「ちょ、ちょっと待てっ!」
「待たないっ!」
 その時の詠美の声は、なぜだか、嬉しそうに聞こえた。

「……詠美、お前さんの家に行くんじゃなかったのか?」
「えっと、たまには息抜きも必要よっ!」
 詠美が俺を引っ張って来たのは、どう見ても公園だった。
「コンテも完成したんでしょ? なら、ちょうどいい区切りじゃない」
「まぁ、それはそうだが……」
 頭の中でスケジュールを確かめてみる。確かに、この調子なら余裕で入稿に間に合うはずだ。
「あっ、ほら、あそこにアイスクリーム売りがいるわよ!」
 詠美が俺の腕を引っ張って指さす。
「ねぇ、和樹。暑いわよねぇ」
「へいへい。チョコミントでいいのか?」
 確か、詠美の好みがそれだったはず。
「え? ……和樹、覚えててくれたの?」
 詠美は一瞬きょとんとして、それから嬉しそうに笑った。
「ありがと」
 ……いつもがいつもだけに、ちょっと不気味だ。由宇だったら、「暑さに頭がやられたんとちゃうか」とおちょくりそうだな。
 俺はそんなことを考えながら、アイスクリーム売りの所に歩み寄った。

 アイスクリームを舐めながら、俺と詠美は並んで公園を歩いていた。
「……考えてみたら、こうして静かに歩く事なんてなかったわよね〜」
 詠美はそう言って笑う。
「ま、誰かさんがいつも偉そうに俺のことを下僕扱いしてたからなぁ。並んで歩くなんて出来ねぇだろ」
「やん。もう、そんな昔のことは言わないでよ〜」
 恥ずかしそうに首をすくめる詠美。
 うわ。今、一瞬こいつのこと、可愛いって思ってしまったぞ。
 俺がとまどっていると、詠美は数歩先に歩いてから、振り返った。
「和樹……」
「なんだよ?」
「由宇や南さんから聞いてるでしょ? あたしの去年のこと……」
「去年? 夏こみで新刊落としたってことなら、昨日由宇も言ってたよな」
「うん……」
 頷くと、詠美は俺に背を向けた。
「なんだか、春こみで和樹がいなくなって、あたしすっかり気が抜けたっていうのかな、なんだか漫画を描く気がしなくなっちゃったの。なぜだか全然わかんなかった。だけど、描けなかった……」
「……」
「今にして思えば、あれがスランプってやつだったのかな。ファンの人とも色々あったりして、あたし、すっかり嫌になってたんだ。漫画描くのも、こみパに出るのも」
「そうだったのか……」
「うん。それでね……」
 詠美はもう一度振り返ると、左手を俺に差し出した。
 その手は震えていた。
「こんなことまでしちゃったんだ……」
 その手首に、うっすらと微かに残る傷跡。
「詠美っ、これ……!?」
「うん。リストカットの痕」
 詠美は微笑んだ。
 それが自嘲めいた笑いだったら、俺は詠美を殴ってたかもしれない。でも、詠美の浮かべた笑みは、優しい笑みだった。愚かな娘を見守る、慈母のような微笑み。
「病院に由宇が来たよ。由宇、本気で怒ってた」
「そりゃそうだろ……」
 あいつは、他人のために本気になれる奴だからな。
「あたしのために、由宇、本気で怒って、本気で泣いてくれた。あたしも、泣いて謝ったんだ。そしたらね、由宇ったら、「謝らんでええ。その代わり、すこしでもすまんと思うんやったら、漫画で返しっ!」って……」
「由宇らしいな……」
「うん。で、作ったのが、これ。左手が使えない時だったから、変なものになっちゃったんだけどね」
 詠美は、バッグから昨日のコピー誌を出して、俺に渡した。
「……いいのか? だって、昨日は……」
「一晩考えて、決めたの」
 一歩下がると、詠美は俯いた。
「これ、あたしの気持ちだから……」
「……え?」
 もう一度、読み返す。
 何の変哲もない、恋愛もの。
 主人公の少女と、その憧れの男。
 その男はある日、少女の手の届かない遠くに行ってしまう。
 少女は、その男のことは諦めようと思う。
 でも、それは自分の心を偽ること。

  「あたし、決めた」
  「どんなに遠くに行っても、あたし、あの人が好きなんだもの」
  「この好きって気持ちが、ダイヤモンドみたいに輝いてる限り」
  「あたし、あの人を好きでいる」

「あたしの……、気持ちだから」
 詠美は、俺の目を見つめて、言った。
「あたし……、あなたが……、好き」

To be continued...

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あとがき

 あさひのようにさわやかに その7 99/8/3 Up