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こみっくパーティー Short Story #3
あさひのようにさわやかに その8

「あたし……、あなたが……、好き」


 カチャ
 ドアを開けると、あさひがぱたぱたと出てきた。
「瑞希さん、おはようございます……。あら、和樹さん? どうしたんですか、忘れ物ですか?」
 どうやら瑞希と間違えたらしい。ま、出てから15分で戻ってきたんだから無理もないか。
「あ、いや、ちょっと今日は詠美の方が都合悪くてな」
 俺は頭を掻いてそう言うと、鞄を玄関に置いてため息を付いた。
「どうしたんですか、和樹さん?」
 そんな俺の顔を心配そうにのぞき込むあさひ。
「え?」
「なにか、悩み事でもあるんですか?」
 ……鋭い。
 でも、あさひに相談する訳にもいかないよな。
 どうしたらいいんだよ、いったい?
 頭の中が完全にパニックに陥っていた。
 それ以上に、辛かった。
 俺に全幅の信頼を寄せてくれているあさひのそばにいることが。
「……俺、ちょっと出かけてくる」
 俺は立ち上がった。
「えっ? どちらへ?」
「えっと、その、大志と打ち合わせだよ」
 口から出任せを言うと、それでもあさひはそれを信じてくれる。
「そうですか。いってらっしゃい」
「……ああ」
 やりきれなさを胸に抱いて、俺はマンションの外に出た。


「ば、馬鹿なことを……」
「そう言われるのは、わかってる」
 詠美は、手を後ろに組んで、頷いた。それから、顔を上げる。
「でも、あたし自分に嘘をつけない。ついちゃいけないんだって判ったんだもん」
「……俺には、もう……」
「知ってるわよ。奥さんも子供もいるって。でも好きなものは好き」
 そう言って、詠美は笑顔を見せた。
 今まで見た詠美の笑顔の中でも、一番魅力的な笑顔だと思った。
 ……皮肉だよな、世の中ってさ……。
 でも、俺はやっぱり……。

「和樹、どないしたん? こないなところで……」
「え?」
 我に返ると、俺は駅前にいた。そして目の前には、画材店のロゴが入った大きな紙袋を手にした由宇。
「由宇……」
「ふらふら歩きまわっとるとは余裕やな。原稿はもう出来たんか? ……って雰囲気でもなさそやな」
 由宇は俺の顔をのぞき込んだ。
「詠美となんやあったんか?」
「……まぁな」
 そうだな。由宇なら、なんだかんだ言って詠美のことは親身になってるみたいだし、相談しても大丈夫か。
「由宇、詠美のことで相談があるんだけど……」
「ん〜」
 唸りながら腕時計を確かめると、由宇は俺に視線を向けた。
「うち、お腹空いたわぁ〜」
「へいへい。それじゃ喫茶店で軽食でも……」
「阿呆、そんなんで腹が膨れるかい! こういうときは吉牛と相場が決まっとるんやで! 形式不明武装多脚砲台大盛り汁だくお新香味噌汁玉付きやぁ!」
 ちなみに“形式不明武装多脚砲台”とは牛丼のことである。何故かはよく知らないが。  ……吉野屋で恋愛相談したくないぞ、俺は。
「おごる」
「喫茶店でええわ」
 さすが関西人、変わり身が早い。

「いらっしゃいませぇ」
「よ、千紗ちゃん。すっかりここの看板娘だねぇ」
 俺が片手を上げると、千紗ちゃんは嬉しそうに笑った。
 ……っていうか、千紗ちゃん以外のウェイトレスの姿を見ないんですけど。
「よ、千紗坊。元気しとるか?」
「あ、はい。千紗元気ですぅ」
 由宇の言葉にガッツポーズをしてみせる千紗ちゃん。うんうん、可愛いなぁ。
 こんな娘がどうして大志なんかに……。世界は理不尽だ。
 ……なんて言うと大志に「我らが桜井あさひを奪っておいて何を言う。お前の方が理不尽だぞ、セニョール」とか言われそうだが。

 俺の注文したブレンドを運んでくると、千紗は伝票を置いた。
「ご注文のものは以上ですぅ。それじゃ、ごゆっくりですぅ」
「ありがと、千紗ちゃん」
 俺は礼を言うと、ため息を付いた。
「にしても由宇。他人のおごりだと思いやがって」
「ええやん、気にしなさんな」
「するわいっ!」
 由宇の前にはサンドイッチやらハムエッグやらスパゲティやら田舎雑炊やら、とにかくこの喫茶店の軽食のほぼ全てがずらりと並んでいた。
 とほほ〜。
「で、詠美がどないしたん?」
 ずるずるとスパゲティをすすりながら、由宇が訊ねる。
 俺は、事の顛末を説明した。
「……というわけで、告白されちまったよ。あはは……」
「……」
 いつの間にか、由宇の手が止まっていた。そして、俺の話が終わると、ぽつりと呟く。
「……すまんな、和樹」
「由宇?」
「あの阿呆、まさか直接あんたにそんなこと言うとは思わへんかった……。うちの見通しが甘かったんやな」
 由宇はため息をつくと、フォークを置いた。
「由宇は、知ってたのか? 詠美が、その、俺のことを……って」
「ああ、知っとった」
 あっさり答える由宇。
「うちも、牧やんも、多分あの大将も知っとった。知らんやったのはあんたと詠美本人くらいなもんやないんか?」
「ほっとけ。……え? 詠美本人も知らないって、どういうことだ?」
 俺が聞き返すと、由宇は肩をすくめた。
「あの娘は、あの通り漫画しか知らん娘や。だから、自分の気持ちがなんなのか、判っとらへんやったんや。あんたがおらへんようなるまで、な」
「……」
「あんたがおらへんようなって、あの娘は初めて、自分の気持ちに気付いたんや。でも、さすがにもうあきらめた、思うとったんやけど……」
 唇を噛むと、由宇は立ち上がった。
「この話、うちに預けてくれへん?」
「預けるって、どうする気だ?」
「あたりまえやん。うちが詠美を説得したる」
「説得するって……、出来るのか?」
「やらなあかんのや。そうせんと、皆が辛い思いするだけやろ!」
 そう言って、そのまま出ていこうとする由宇。俺は慌ててその腕を掴んだ。
「待てって! お前が詠美と話しても、また喧嘩になるだけだろっ!」
「……あのな、それが判っとんやったら、なんでうちに相談するんや?」
 呆れたように、立ったまま俺を見下ろす由宇。
 俺は苦笑して、テーブルを指した。
「とにかく、せっかく注文したんだから食っていけ」
「……それもそやな」
 頷くと、由宇は座り直した。そして、食べかけていたスパゲティのフォークを手にして、俺に尋ねる。
「念のために聞くけど、和樹の方はどうなん?」
「どうって?」
「もうあさひはんに飽きてもうて、この際やから詠美に乗り換えようとか思っとるんやないやろな?」
「まさか。俺はあさひに満足してるって」
「ま、そうやろな。そうでなかったら、こないな美人ほっとくわけあらへんもんな」
 ずるずるっとスパゲティを呑み込みながら頷く由宇。……こないな美人って誰だ?

「さて、どうするか、やな」
 テーブルの上に乗った料理をあらかた片付けると、由宇は腕組みした。
「ま、確かに和樹の言うとおり、うちがしゃしゃり出ると角が立ちそうやし……。そやなぁ、牧やんに間に立ってもらうんがええんとちゃうか?」
「南さんか……」
「ホントは、こないなしょうもないことで牧やんに迷惑かけとうないんやけど、他に適当な人もおらへんしなぁ」
 由宇は肩をすくめた。それから、身を乗り出す。
「で、そっちの調子はどないや?」
「えっ? いや、ほら、みらいもいることだし、そんなには出来ないだろ?」
「阿呆っ! 誰があんたらの夜の生活のことなんか聞いとるかっ! 同人誌の方に決まっとるやろうが」
 びしっとツッコミを入れる由宇。
「あ、ああ。そっちなら大丈夫だって。コンテの方も上がったし」
「……コンテが上がっただけで、よう大丈夫やなんて抜かせるなぁっ!」
 スパァーーーン
 いきなりハリセンで殴られた。
「なっ、なんだぁっ? 由宇、そのハリセンどこから出したっ!?」
「ハリセンはヒロインの必需品やっ! そんなことはどうでもええ、和樹、あんたしばらく同人離れとるうちにすっかり忘れてしもうたんか? まだ、ペン入れと仕上げが残っとるやないかっ!」
「いや、それは判ってるけど……」
「あんた、まだ詠美にアシを頼めるって思っとるんか!?」
「げ」
 そう言われてみればそうだった。
 由宇は、腕組みした。
「やばいで。あんたのスケジュールも、詠美がアシをしてくれるっちゅう前提で立てとったんやろ?」
「……ああ」
 俺は頷いた。
 よりによって、これからペン入れ、仕上げと、本当に詠美の力が必要になるって時だったんだよなぁ……。
「和樹、あんた一人で何とかなると思うか?」
「……うぐぅ」
「あんたがやっても可愛くも何ともあらへん。ひんしゅく買うのがオチやで。やめときやめとき」
 ひらひらと手を振ると、由宇は考え込んだ。
「相変わらずうちの方も綱渡りやさかい、手伝うわけにもいかへんしなぁ……」
「あうーっ」
「だから、可愛くあらへんっちゅうねん」
 スパーン
 もう一度ハリセンで俺を叩くと、由宇は立ち上がった。
「牧やんにはうちから話しつけとくさかい、あんたはなんとかして新しいアシ捜しぃ」
「そう簡単に見つかるなら苦労しねぇよ」
 詠美ほどの腕を持つ奴なんて、心当たりないぞ。

 喫茶店を出たところで由宇と別れて、俺は悩みながらも画材店に向かった。とりあえずペン入れはしないといけないし、そのためには道具を補充しないといけないからだ。
 昔よく行ってた画材店に入り、とりあえずペン先を選んでいると、不意に服の裾がくいくいっと引っ張られた。
「ん?」
 振り返ると、エプロン姿の店員さんが、俺の服の裾を掴んでいる。
「あ、あの、なんでしょう?」
 訊ねてから、思い出した。
「ああーーっ、彩!? 彩じゃないかっ!」
 間違いない。こみパで時々隣り同士になったこともある同人作家の長谷部彩だ。
 こくこくと頷くと、彩はにこっと微笑んだ。それから小さな声で挨拶してくれた。
「お久しぶりです、和樹さん」
「いやぁ、懐かしいなぁ」
 言いかけて、俺は店内の客達の視線が俺達に集中しているのに気付いて、慌てて声を小さくした。
「ごめんごめん。ところで、彩はまだ同人してる?」
 こくこく、と頷く彩。
「そっか」
 何となく、嬉しくなって俺も頷いていると、彩が小さな声で言った。
「あの、私、もうすぐ終わりますから……」
「え? あ、バイトの時間が?」
 こくこく。
 もう一度頷くと、彩は言葉を続けた。
「あの、あの、えっと……」
 言いかけて、止めてしまう。
 そっか。彩にもちゃんと挨拶しないでいなくなったから、色々と聞きたい事があるんだろうな。
「バイト終わった後、時間ある? もしよかったら、お茶でも飲まない?」
 俺がそう言うと、彩は嬉しそうにこくこくと頷いた。
「オッケイ。んじゃ、外で待ってるよ。……と、その前に、Gペンのペン先1ダースと、証券用インクと……」

To be continued...

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あとがき

 あさひのようにさわやかに その8 99/8/5 Up