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こみっくパーティー Short Story #3
あさひのようにさわやかに その14

 そして、翌日。
 いよいよ、夏こみが始まる。
 ……のだが。

「……ふぅ」
 額の汗を拭って一息つくと、俺は辺りを見回した。
 広い展示場の空間は、いまはまだ眠りについているかのようだった。時々聞こえる大声が、かえって静寂をかきたてているかのよう。
 そう、今は夏こみ前夜、時刻は午後8時。
「あっ、和樹さん」
 後ろから声を掛けられて振り返ると、インカム付きバイザーにスーツ姿という、いつもの即売会ルックに身を包んだ南さんが笑顔で立っていた。
「ご苦労様です、南さん」
「いいえ。今回は特にたくさんの人が手伝ってくれるから、助かります」
 南さんは笑顔で展示場を見回した。
 つい1時間前には何もなかったここに、トラックで折り畳み机と椅子が運び込まれ、そして今、次々と机が組み立てられている。
 前日設営。
 何の変哲もない空間を、こみパ会場に仕上げる作業は、伝統的に業者の手は使わずに、参加者有志によって行われる。
 俺は、俺の並べた机の位置を、手にしたクリップボードに挟んである配置図と照らし合わせてチェックしている南さんの後ろ姿に声を掛けた。
「南さんは、知ってたんですか? あさひが明日……」
「ええ」
 スタッフである南さんが知らないはずがない。
 クリップボードをなぞっていた指が、一瞬止まった。
「私たち一般人が作り上げてきたこみっくパーティーが商業ベースに乗ってしまうのは、寂しいけど。でもそれでこみっくパーティーが続けられるなら……」
「うちは納得いかん!」
 横合いから大声が聞こえた。そっちを見ると、由宇が腕組みして立っていた。
「よぉ。よくも昨日はさっさと逃げたな?」
「逃げたんやない、カタログチェックせなあかんかっただけや。そしたら、なんや? あの桜井あさひコンサートっちゅうんは!?」
 じろっと俺を見て吐き捨てるように言うと、由宇は南さんにつかつかと近寄った。
「それは……」
「こみパを存続させるため、か。立派なお題目やな」
「由宇さん……」
「そやけど、うちは納得いかへん。あさひはんが客を集められる、それはわかるで。そやけど、それやったら、うちらは何なん?」
「……」
「これやったら、うちらはあさひはんのおまけや。コンサート会場の隅で同人誌売ってんのとかわらへん。ここはうちらが主役の場所やなかったんか!」
 由宇は大きく手を振って、展示場を指した。
「出版社がバックに付いて、こみパは続けられる。そりゃ結構なこっちゃ。そやけど、そのこみパに、うちらの居場所があるんか!?」
「落ち着け、由宇!」
 俺は南さんと由宇との間に割って入った。由宇は俺に突き刺すような視線を向けた。
「和樹、あんたもこれでええんか!?」
「……ベストとは思わない。だけど、この場所が無くなるのに比べれば、まだマシだろ?」
「そやけど……」
 由宇は顔を伏せた。拳を握りしめて、呟く。
「この場所が残ったかて、そこはうちの場所やない。企業の場所や……」
「……由宇」
「……ふぅ」
 由宇はため息を一つ付くと、顔を上げてにまっと笑った。
「ま、牧やんに当たってもしゃぁないしな。とりあえず、今はうちも手伝うわ」
「由宇さん……」
「少なくとも、今はまだ、ここはうちらの場所やさかいな」
 そう言って、由宇はまだ並べていない机に手を掛けた。
「これはこっちなん?」
「あ、それは向こうのBブロックですから……」
「ほれ、和樹。何ぼけーっと突っ立っとるんや? さっさとそっち持たんかい!」
「お、おう」
 俺達は、机を両側から持って運んでいった。
「……和樹はん」
「ん?」
 由宇は、呟くような声で訊ねた。
「うちの言うたこと、間違っとるんやろうか?」
「……いや、合ってる」
 俺が答えると、由宇は大きくため息をついた。
「ほんまは、うちかて判ってる。他に方法がないっちゅうんは、な。そやけど、なんかこう、納得いかへんのや」
「俺だってそうだけど。でも……」
「ま、これからのことは後で考えよ。今は、明日のことだけ考えりゃええって」
 そう言うと、由宇は机を降ろした。それから辺りを見回す。
「おっ、あれ詠美やないか」
「えっ!?」
 振り返ると、壁際のサークルには、もう本が運び込まれていた。いわゆる前日搬入というやつだ。
 そして、その本の山の前に、詠美がちょこんとしゃがんで何かを調べていた。
「ほなら、うちちょっと行って来るわ」
「えっ? お、おい、由宇。前の日から喧嘩するのは……」
「アホ。陣中見舞いや。あ、心配せんでも、和樹が来とるっちゅうんは言わへんって」
 軽く手を振って、由宇は詠美の方に駆け寄っていった。
 俺は腰を伸ばすと、周囲を見回した。
「大体終わりかな?」
 ……こくん。
「それじゃ、本部前に一度戻って……って、あれ?」
 振り返ると、彩が立っていた。
 そういえば、彩は前日設営には必ず来てたんだよな。
「あ、あの、久しぶり……」
「……はい」
 ううっ、なんとも気まずい。
 『修羅場モード』明けで心ならずも彩のヌードを拝んで以来の再会だった。
 とにかく、謝らないと。
「あの時はごめん。それから、ありがと。原稿の入稿やってもらって」
「……いいえ」
 彩は、頬を赤らめながらも首を振った。
 と、
 チリンチリン
 自転車のベルの音が聞こえた。振り返ると、見たくないものが自転車に乗ってやって来た。
 ちなみに、展示場があまりに広いので、スタッフに限り構内での自転車の使用が認められているのだ。……って、大志はスタッフじゃないはずだが。ま、いいか。大志だし。
「同志和樹よ! やはり来ていたか」
「大志、お前こそどこにいた!?」
 キィッ
 俺の前で自転車を止めると、大志は胸を張った。
「吾輩か? 今まで、西館の設営に携わっていたところだよ、まいぶらざぁ」
 西館といえば、企業ブース。そして、明日あさひが歌うステージがある所。
「設営って、あさひのコンサート会場の設営か?」
「その通り。さすがマイエンジェル桜井あさひ。既に徹夜組が西館の周りを一周するくらい出ているようだ」
「……前の二の舞になるんじゃないのか?」
 俺は心配になって訊ねた。大志も眉を曇らせた。
「うむ。その点は吾輩も憂慮するところだ。万一桜井あさひのコンサートで混乱が起こったら、今度こそ我々は再起不能となるだろうしな。そういう意味で、今回のコンサートは諸刃の剣と言えよう」
 と、
 ♪〜
 大志のジャケットの胸ポケットに入っていた携帯が着メロを鳴らした。む、この曲はたしか『カードマスターピーチ』のオープニングじゃないか? さすがだ、大志。
 大志は携帯を取り出すと、耳に当てた。
「吾輩だ。……おお、まいしすたぁか。どうしたのかね? ……ちょうどよかったな。まいぶらざぁならここにいるぞ。……ふむ、今代わってやろう」
 そう言って、大志は携帯を俺に差し出した。
「同志瑞希からだ」
「瑞希?」
 俺は携帯を耳に当てた。
「どうした、瑞希?」
「明日はどうするの?」
「明日って? 俺はサークル入場だが……」
「そんな分かり切ったこと聞いてないわよ、馬鹿ね。あんたが同人誌売って、あさひさんがコンサートに出るなら、その間みらいちゃんはどうするのか、ちゃんと決めてる?」
「……あ」
 迂闊だった。
 携帯の向こうで、瑞希がため息をついた。
「はぁぁぁ。みらいちゃんもこんな父親持って不幸よねぇ〜」
「大きなお世話だ。しかし、どうしたもんかな……」
 俺は考え込んだ。知り合いの誰かに預かってもらうか……。知り合い……。
 げ。
 南さんも玲子も詠美も由宇も彩もみんなこみパに出るじゃないか! って、みんな、こみパ関係の知り合いだから当たり前だけど。
 まさか千紗ちゃんに預けるわけにもいかないし……。
「そうだ、瑞希! お前明日……」
「あたしだってあたしの用事があるのよっ!」
 あっさりと断られた。
 それじゃ、うちの両親やあさひの両親に……って言っても、二人して駆け落ちして以来ほとんど勘当されてる状態だし、第一、今からじゃ、預けに行ってる時間もないよなぁ。他に頼れる親戚もいないし……。
 と、携帯の向こうで瑞希がもう一度ため息を付いた。
「ま、和樹のことだから、どうせあてもないと思ったわ」
「くそ、こうなったら会場に連れて行くか……」
 俺が呟くと、携帯の向こうで瑞希がわめいた。
「あんた馬鹿っ!? みらいちゃん死ぬわよ、冗談抜きに!!」
 確かに、夏こみ会場に1歳にもならないみらいを連れて行ったらとんでもないことになるのは間違いない。
 瑞希がため息を付く。
「ま、そんなことだろうと思って、あたしの親に話はつけといたわよ。明日1日なら預かってもいいって」
「マジか? 助かったぜ、瑞希。この礼は必ずするから」
「はいはい。んじゃ、今からあんたの家に行ってみらいちゃん受け取ってくるから」
「今から行くのか?」
「ええ。明日の朝じゃもう遅いでしょ?」
 考えてみると、それもそうだ。俺もあさひも明日は早くから出かけることになるだろうし。
「オッケイ。んじゃあさひに……」
「あさひさんにはもう話は通してあるわよ」
 相変わらずの手際の良さである。
「サンキュ。お前にも随分世話になったな……」
「何よ、いきなりしんみりして。お礼なら全部終わったあとでたっぷりとしてもらうから気にしないでね。それじゃ」
 ピッ
 電話が切れた。俺は携帯を大志に返す。
「サンキュ」
「いやなに。それでは吾輩は行かねばならんところがあるので、これにて失礼する。さらばだ、まいぶらざぁ」
 大志は自転車にまたがって、颯爽と漕ぎ去っていった。
 それを見るともなく見送っていると、後ろからくいくいと服の裾を引っ張られた。
「あ、ごめん、彩」
「……いえ。あ、あの、それよりも、私たちも、そろそろ行かないと……」
 彩に言われて辺りを見回すと、周りで設営をしていた人の数もかなり少なくなり始めていた。
 そういえば、あいつらはどうしたかな、と思って詠美のサークルの方を見たが、既に詠美も由宇も、そしてその周りで手伝っていた人達も撤収したらしくいなくなっていた。
「そうだな。それじゃ行こうか」
「あ、はい」
 こくりと頷くと、彩は俺の後から着いてきた。

 本部前に着くと、ちょうど南さんが、集まった前日設営参加者にお礼を言っているところだった。
「今日はご協力頂いてありがとうございました。それでは、明日の本番に備えて今日はゆっくりと休んでください」
 パチパチパチ
 集まっていた皆が拍手して、前日設営はお開きとなった。
 三々五々、外に向かって流れていく人達。
 南さん達スタッフは、まだ仕事があるらしく、さっとあちこちに散っていった。
 俺は振り返った。
「それじゃ、俺達は帰ろうか?」
「あ、はい……」
 彩はこくりと頷くと、顔を上げて微笑んだ。
「帰りましょう」
「そうだ。夕飯はもう済ませた?」
「……いえ、まだです」
「よし。それじゃ帰りにどこかに寄っていかないか? 原稿手伝ってもらったお礼もかねて、何かご馳走するぜ」
「なんや、悪いなぁ、和樹はん。そないに気ぃ使ってもろて」
「気にするなって」
 軽く答えてから、俺ははたと立ち止まった。
 どう考えても、彩が関西弁で返事をするはずなし。ということは……。
「猪名川由宇っ!?」
 ぐるっと振り返ると、案の定、困ったような顔をしている彩の隣りでにこにこしていたのは由宇だった。
 そして、もう一人。
 俺と視線が合うと、困ったような嬉しいような、何とも言えない複雑な表情をしているのは、大場詠美だった……。

To be continued...

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あとがき
 最近Kanonばっかり書いていたんで、久しぶりに他の作品を書くと、なんだか調子が掴めなくて(苦笑)
 ま、リハビリ代わりと思ってください。

 久しぶりに日本に帰ってくると、その途端雨が降りまくったりしてて、旅先でひいた風邪がすっかり悪化。
 っていうか、首都圏は空気が悪いんだな、これが。

 あさひのようにさわやかに その14 99/10/15 Up