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こみっくパーティー Short Story #3
あさひのようにさわやかに その16

「……ん、和樹さん」
 揺さぶられる感触で、目が覚めた。
「……ん?」
「もう朝ですよ。起きてください」
 目を開けると、あさひが俺の体を揺すっていた。俺が目を開けたのを見て、にこっと笑う。
「おはようございます、和樹さん」
「ん、おはよう……」
 そうか。いよいよか。
 時計を見る。午前5時。
 俺は毛布をどけて体を起こしながら、あさひに訊ねる。
「で、あさひはどうするんだ?」
「事務所から車が迎えに来るはずなんです」
 “事務所”という言葉に怪訝そうな顔をする俺に、あさひは今回だけという条件で、前にいた事務所と再契約したことを教えてくれた。
「ほら、歌を歌ったりすると著作権とかいろいろありますから、そうした方がいいからって澤田さんが手配してくれたんです」
「なるほどな。で、いつ頃迎えに来るって?」
「来る前に電話するって……」
 あさひがそう言いかけたとき、電話のベルが鳴り出した。
 トルルルル、トルルルル、トルルルル
「あ、私、出ます」
 手を伸ばそうとした俺を制して、あさひが受話器を取る。
「はい、千堂です。……あ、はい。おはようございます。ええ、今起きたばっかりで、……はい。大丈夫です」
 どうやら、迎えが来たらしいな。
 俺は、あさひが電話をしているのを横目で見ながら、自分の荷物の確認を始める。といっても、筆記用具と釣り銭があれば基本的には事足りるのだが。
 おっと、一応コピックも持っていくかな。
「はい、それじゃ用意して待っていればいいんですね? はい。それでは失礼します」
 あさひが電話を切ると、こっちを見て目を丸くした。
「もう用意出来たんですか? 早いんですね」
「Tシャツにジーンズだからな。それより、そっちは?」
「ええ、事務所の方がここに迎えに来て下さるそうです」
「そっか。俺は電車で行くから、そろそろ出るけど……」
「和樹さん……」
 あさひは、そっと俺の手を握った。
 俺は一つ頷いて、あさひを抱き寄せた。
「がんばれ、あさひ」
「……はい」
 大きく頷くと、あさひは不意にぽんと手を打った。
「いけない。忘れるところでした」
「え?」
 すっと身を離すと、あさひは鏡台のところに置いてあるポーチを取って、中から封筒を取り出した。
「はい、これ。今日のチケットです。もしよければ、見に来て下さい」
 封筒の中からは、5枚のチケットが出てきた。
「あ、でも、無理しないでくださいね。同人誌の方が忙しかったら来なくてもいいですから」
 俺はあさひの頭にぽんと手を乗せた。
「見に行くって。俺の嫁さんの晴れ舞台だからな」
「あっ……」
 ぽっと赤くなるあさひ。ううっ、可愛いなぁ……。
「そんな、もう、和樹さんったら……」
「あさひ……」
 俺はそんなあさひをもう一度抱き寄せた。大人しく抱き寄せられると、顔を上げて目を閉じるあさひ。
「和樹さん……。んっ……」
 そっとあさひの唇から離れる。
「あとは、こみパが終わってから、だな」
「……はいっ」
 あさひは笑顔で頷いた。それから、ふと心配そうな顔になる。
「みらい、大丈夫かしら……」
 夕べから、みらいは瑞希の両親のところに預けられている。一応、明日受け取りに行くことで了解は取ってあるが。
「何かあったら連絡がくると思うから。瑞希の両親なら俺も知ってるし、信用出来る人だよ」
「はい、それはそうなんですけど……」
「大丈夫」
 俺はもう一度、あさひをきゅっと抱きしめた。
「今日一日だけ、俺達は普通の父親や母親ではいられないんだ。俺には読者が待ってるし、みらいにはファンが待ってる……」
「……はい」
 あさひはこくりと頷き、俺の目をじっと見つめた。
 その瞳には、もう迷いはなかった。
「よし」
 俺も頷き、そして鞄を肩に掛けて立ち上がった。
「それじゃ、行って来る!」
「はい。私も後から行きますから」
 あさひはそう言って、玄関のドアを開けた。
「行ってらっしゃい」
 その言葉を背に、俺は再び戦場に向かった。

「遅いぞ同志! こみパにおいては、『行動は迅速に、迷ったら全部買え』が基本なのを忘れたか?」
 駅前に着いた俺を待っていた大志が、出会い頭に言った。
 ここまで走ってきた俺は、荒い息を付きながら言い返した。
「うる、さいぞ。しかた、ないだろっ」
「まぁ、どうして遅れたかについては不問に付してやらんでもない」
「偉そうに何言ってるんだか」
 腕組みしてふんぞり返る大志の後ろで、瑞希がぶつぶつ言っている。
 ……おや?
「瑞希、一つ聞いてもいいか?」
「え? 何?」
「その大きなバッグ、瑞希のか?」
 何気なく訊ねたのだが、瑞希は慌てふためいて、そのバッグを背中に隠した。
「あああのあのこれは、その関係ないのよっ。衣装じゃないから……じゃなくて、えっと……。あっ、由宇じゃない!」
 ……あからさまに怪しいが、とりあえず瑞希の指した方を見ると、由宇がこれまた瑞希のと同じくらいの大きなバッグを引きずるようにやって来る。
「おー、みんなおはようさん。絶好のこみパ日和やな」
 ちなみに天気は薄曇りだ。外に並ぶこともあるこみパでは、天気がいいよりも曇りの方がまだましなのである。
「由宇、なんだよ、その大きなバッグは?」
「あ、これか? 決まっとるやないか。あれから近所のコンビニで刷ったコピー誌や」
 あれからコピー誌作ってたのか……。いつもながらすごいバイタリティだなぁ。
 と、由宇が瑞希に視線を向ける。
「あら? 瑞希はん、その大きなバッグ、どない……」
「あーっ、大志、もうこんな時間じゃない! そろそろ行かないとやばいわよっ!」
 瑞希が腕時計をのぞき込んで、大志に声をかけた。大志は駅ビルの大きな時計を見上げて頷いた。
「そうだな、同志瑞希。パワグラの新刊を手に入れるならば、サークル入場と言えども、そろそろ行かねばなるまい」
「そうよそうよ。さ、行きましょうっ!」
 そう言って、先頭を切って歩いていく瑞希。
「……なんや、えらい張り切りようやな、瑞希はん」
「それにしても、あのバッグは何なんだ?」
 俺と由宇は視線を交わし、それから大志にその視線を向けた。
「ん、どうした、同志諸君?」
「大志、お前知ってるんだろ? 瑞希のあのバッグは何なんだ?」
「ん? ああ、あれか。吾輩の推測ではおそらくあの中にはカード……」
 バッコーン
「あら、ごめんね大志〜」
 いきなりすっ飛んできたバッグになすすべなく飛ばされる大志。と、瑞希がたたっと駆け戻ってきて、バッグを拾い上げる。
「嬉しくて振り回してたらすっぽ抜けちゃった。あはは〜」
 ……あからさまに怪しい。
 俺は屈み込んだ。
「大志、おい大志、生きてるか?」
「ふ。吾輩がこの程度で死ぬわけがない」
 振り返ると、大志がいつものように腕組みして立っている。
 あれ? それじゃこの下にいるのは……。うぉ、マネキンだ。
「お、お前な……」
「何をうろたえている、同志和樹。この程度の変わり身は初歩の初歩だぞ。これくらいの技が使えぬようでは、壁サークルの新刊をゲットするなど夢のまた夢というもの」
「……たまに、お前を尊敬していいのか悩む事があるぜ」
「ま、普通の人間やないのは確かやけど、こないなとこで漫才しとる暇はあらへんのとちゃうか?」
 由宇が珍しく冷静なツッコミを入れて、俺達ははたと時計を見上げた。
「いかん! 5分もロスしてしまった。同志和樹、このツケは重いぞ」
 俺か!? 俺のせいなのかっ!?
「ほら、切符買っといたからっ!」
「お、おう」
 瑞希から切符を受け取って、俺達は改札に急いだ。

 プルルルルルル
「東船橋行き電車、間もなく発車いたします。駆け込み乗車はおやめ下さい」
 アナウンスと発車のベルの響く中、俺達は階段を駆け上がるとそのまま電車に飛び乗った。
 ドン
「あ」
 プシューッ
 間一髪のタイミングで、ドアが閉まった。俺はほっと一息ついた。
「ちょ、ちょっと和樹っ! 大志が……」
「え?」
 言われて見回すと、瑞希と由宇はいるが、大志がいない。慌てて振り返ると、大志は駅のホームでこっちにカメラを向けていた。しかも、片手ではVサインをしている。
「……何を考えてるんだ、あいつは?」
「さ、さぁ……」
 思わず顔を見合わせる俺達の横で、由宇が腕組みしてうんうんと頷いていた。
「うちらの乗った列車の出発を撮るとは、あの旦那も、なかなかやるな。あとは自転車で追いついてきたら完璧やなぁ」
 ……何の話だ?
「とりあえず電話してみる」
 そう言って携帯を取り出す瑞希。
「待て、瑞希」
「何よ?」
「車内での携帯の使用は厳禁だ」
「そりゃそうだけど、でも緊急事態でしょっ」
「大丈夫。あいつならどんなことをしてもこみパ会場にやって来る。そういう漢だ」
「……ま、和樹がそう言うならいいんだけどね」
 そう言って、瑞希はバッグを網棚に乗せた。それから由宇に尋ねる。
「そのバッグも乗せる?」
「いや、うちはええよ。中身は本やさかい、重いから上げ下げするのは厄介やねん」
「それもそうだね」
 頷いて、吊革に掴まる瑞希。
 ということは、瑞希のバッグは見た目ほど重くはないってことなのか? そういえばさっきは大志に向けてぶん投げてたし……。
 俺は改めて、網棚の上のバッグを見上げた。
「なぁ、瑞希。あれ、いったい……」
「あ、そうそう。和樹、ちゃんとお釣りは用意してる?」
「ま、一応は……。それより……」
「えっと、新刊何部刷ったんだっけ? 確か2000部だったよね?」
「ああ、そうだけど。あの……」
「千紗ちゃん、ちゃんと配送してくれてるかな〜? ねぇ、和樹?」
 ……どうやっても説明する気はないらしい。
 ま、こっちも瑞希とは長い付き合いだ。無理強いすると余計に意固地になるのは良く知ってる。
「ま、いいか。それより、みらいのことでは世話になったな」
「あ、うん。それは大丈夫。母さんなんて喜んでたし」
「ならいいんだけど。後であさひと一緒にお礼に行くよ」
「う、うん……」
 あれ? 由宇が静かだな。
 ふと不思議になって由宇の方を見ると、吊革を持ったまま寝ていた。
「……器用な奴だなぁ」
「大丈夫なの?」
 由宇の顔をのぞき込む瑞希。
「まぁ、由宇のことだから大丈夫だろ」
 と、不意に後ろからジャケットの裾がくいくいと引っ張られた。
「ん?」
 振り返ると、思った通り彩だった。
「おはようございます」
「よ、おはよう」
「彩さん、おはよう」
 俺と瑞希がてんでに挨拶すると、彩は由宇の顔をのぞき込んだ。
「あ、ほっといても大丈夫。こいつ、あれからコピー誌作ってたって言ってたから、多分寝てないはずだ。寝かせといてやれよ」
「そうなんですか……。すごいです」
 彩は感心したように、ぼけーっと吊革にぶら下がったまま寝ている由宇の顔を見ていた。
 と、いきなりその由宇が目を開けて怒鳴った。
「あかんっ、トーンが足りへんっ!!」
「ひゃっ!」
 びっくりして床に尻餅を着く彩。
 由宇はきょろきょろと左右を見回して、ほうっとため息をついた。
「なんや、夢かぁ」
「……心臓に悪い夢みてるな、お前も」
 彩を引っ張り起こしながら、俺は苦笑した。
「大丈夫か、彩?」
「あ、はい……」
「ありゃ、脅かしてしもたか? すんまへんなぁ、彩はん」
「いいえ……」
 そこで、俺は、自分たちが車内の注目を浴びているのに気付いた。まぁ、あれだけ大声で叫べば無理もないか。
 彩はかぁっと赤くなって俯いたが、由宇は「なんや? 文句あるんやったら一歩前に出ぇ!」って感じで車内を見回している。
 幸い、由宇に喧嘩を売るような無謀な奴もいなかったので、俺はほっと一息ついてから、さりげなく他人のふりをして窓の外を眺めていた瑞希の肩をがしっと掴んだ。
「み〜ず〜き〜」
「な、何よ?」
「こんな時だけ他人のふりするなよなぁ〜」
「た、他人よ、他人っ!」
 と、由宇が床に置いていたバッグを肩に担いで言った。
「そろそろ着くで。乗り換えの用意しぃや」
「へ?」
「あ、ほんとだ」
 瑞希が外の風景を見て声を上げた。
 電車は駅に滑り込んでいった。ここで乗り換えれば、あとは直通なのだが……。

 乗り換えた電車は殺人的に混んでいた。

「……か、和樹……あたしもうダメ……」
「なんや、瑞希はんは元気ないなぁ。ほれ、会場は目の前や!」
 人で埋まった駅のコンコースから何とか出てくると、前の方に特徴的な逆三角形の建物が見えてくる。今日の夏こみの会場だ。
 既にかなりへろへろになっている瑞希をよそに、由宇は水を得た魚のごとく生き生きしてきた。
「なんやこう、夏こみやなーって感じせぇへん? なぁ?」
「はい……」
 こちらも心なしか明るく、彩が頷いた。
 うーん、同人少女だからなぁ、2人とも。同人界最大のお祭りを前にしてテンションが上がってくるのは判る。
「よっしゃ! ほな、乗り込もか!」
 そう高らかに宣言して、由宇が歩き出す。
 俺達もその後に続いて、会場に向かって歩き出した。ちなみに駅から会場までは、かなり歩くのだ。

To be continued...

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あとがき
 しばらくのご無沙汰をしておりました。
 いや、色々と忙しくて(笑)

 さて、次こそ夏こみが始まるの……かな?(笑)
 瑞希の隠し事は何なのでしょう?
 以下、次号!(笑)

 あさひのようにさわやかに その16 99/10/26 Up