喫茶店『Mute』へ
目次に戻る
前回に戻る
末尾へ
次回に続く
その 殉愛
ドサッ
《続く》
光に弾かれるように、コウが仰向けに倒れる。
見る見るうちに、その背中から流れ出した血が、辺りを赤く染めてゆく。
「コウさ……」
「しっ」
ヨシオはミオの口を手でふさいだ。
野盗達の気配を敏感に察知したヨシオは、たまたま近くにいたミオと共に、いち早く茂みの中に身を潜めていたのだ。
ミオが小声で言う。
「ヨシオさん、コウさんを助けないと……」
「しかし、俺達が出ていってもどうにもならないぜ、これは……」
「でも!」
「……魔力を感じたから来てみれば、まぁ、ケチな盗賊風情ね」
突然後ろから声が聞こえ、2人はびっくりして振り向いた。
そこには、漆黒のマントに身を包んだ人影があった。
マントと同じ漆黒のフードのせいで顔は見えないが、声からして、間違いなく女。それも若いとヨシオは予測した。いつもなら、ここでメモ帳片手に突進しているところだが、今はさすがにそうもできなかった。
彼女はそのまま、つかつかと茂みから出ていく。
野盗達は、気を失ったサキ、ユミ、ノゾミを抱えて撤収しようとしていたところだった。
「てめぇ、何者だ!?」
「見られたからにゃ、死んでもらうぜ!」
手すきの野盗が飛びかかろうとする。
その女はすっと右手を挙げた。その指に光が集まる。
それはさっき、黒いローブの男がやったのと同じ術。しかし、彼女は男とは違って呪文を唱えた様子はない。
バシュッ
いきなり光が炸烈し、男達を次々と貫いた。その場に次々と倒れる男達。
彼らが抱えていたサキ達も地面に放り出されるが、目を覚ます様子はない。
野盗達は死んではいないようで、うめき声があちこちからあがった。
彼女は冷たく言い放った。
「急所はわざと外したわ。これは警告よ。死にたくないなら、私が寛大なうちに逃げることね」
一人が半身を起こしと黒いローブの男に言った。
「せ、先生、お願いします……」
女はその男に視線を移した。
「あなた、私にたてつくと、死ぬわよ」
「うるさい!」
男は呪文を唱え始める。
それに呼応して、彼女が小声で何か呟き始める。魔術師のみが唱えることが出来る“魔法言語”だと、ミオには判った。
(あの人も、魔法使いなのですね……)
『我が意に従いて、雷撃よ我が敵を討て!』
呪文の詠唱に従って、ゆっくりと右手を挙げる。そして、詠唱が終わると同時にその手を振り下ろした。
バリバリバリッ
まばゆいばかりの光が黒いローブの男に向かって殺到した。男が放とうとした光は虚しくその中に飲み込まれる。
その輝きに思わず目を閉じていたヨシオ達が再び目を開けたとき、ローブの男はその場にいなかった。ただ、彼のいたと思われる辺りの地面が黒く焦げているだけ。
「だから忠告したのに。まったく、これだから愚民は……」
彼女は呟くと、野盗達に視線を移した。
「あなた達も、死にたい?」
「ひええーっ!」
盗賊達は、慌てふためいて、這うように逃げ出した。
「ふん」
彼女はそれを見送って、軽蔑したように鼻を鳴らすと、ヨシオ達の方には見向きもせずに歩き去っていった。
一方、ミオは倒れたコウに駆け寄っていた。
「コウさん!!」
「コウ!」
少し遅れて駆け寄るヨシオ。
ミオは、コウの姿を見るなり、そのまま気を失って倒れる。
ヨシオも思わず「うっ」と口に手を当てた。
コウの倒れた辺りは血で真っ赤に染まり、そして光の一撃を受けたコウの左胸は黒く炭化していたのだ。
「こ、これは……」
とりあえずミオを汚れない場所に移してから、ヨシオはコウの手首を探り、脈を診てみた。
微かに、鼓動は感じられた。しかし、ひどく弱い。身体もどんどんと冷たくなっていくのがわかる。しかも、背中の深い傷からは、まだ血がどくどくと流れ出している。
ヨシオは慌てて助けを求めて辺りを見回した。通常の手当では間に合わないが、サキの治癒術なら、まだ間に合うかも……。
サキは、ユミ達と同じく地面に横たわったまま、動かない。野盗達が慌てて逃げるときに彼女たちを放置していったのだ。
ヨシオはサキに駆け寄って揺さぶったり叩いたりしたが、全く目覚めようとはしなかった。ただ、顔色もいいし、息もしっかりしているのがコウとは違う。
「サキちゃん! コウが死んじまうよ! おい、目を覚ましてくれ!」
いくら呼んでも、彼女はすーすーと穏やかな寝息をたてているだけだった。
「そ、そんな……」
ヨシオは膝をがっくりとついた。そして、ゆっくりと視線をコウに向ける。
「コウ、シオリ姫を助けるんじゃなかったのか? こんなところで死んじまっていいのかよ! おい、コウ!!」
と……。
一陣の風が吹いた。
ヨシオは気配を感じて振り向いた。
「誰だ!? ……メグミちゃん……」
そこにはメグミが立っていた。真っ青な顔をしてコウを見ている。
「コウさん……」
「どうして、ここに?」
ヨシオの質問を無視して、メグミはふらふらとコウに近寄った。そして、その手を取ると、何か呟き始めた。
「お願い。コウさんを死なせないで……」
ポウッ
不意に、小さな光の玉が地面から浮き上がった。見る間に、いくつもいくつも浮かび上がってくる。
「こ、これは……」
思わず後ろに下がって見守るヨシオ。
「お願い!」
メグミが叫ぶ。
光の玉達が一瞬揺らめき、そして次々とコウの身体に吸い込まれて行く。
ヨシオは目を見張った。
炭化していたコウの胸が、見る間に健康な肌に変わってゆくのだ。
そして、白かったコウの顔色が、次第に普通に戻っていく。
シュン
最後の光の玉が吸い込まれ、辺りはまた暗さを取り戻した。
コウの胸が、大きく動いた。息をし始めたのだ。
それを確認して、メグミはにこっと笑った。
「……よかった……」
「今のは……」
「生命の精霊ですね」
いつの間にか意識を取り戻していたミオが、言った。
「精霊?」
「ええ。この世の自然には総て精霊が宿っています。そして、その精霊と話をすることが出来る人がいるんです」
ミオは、大きく肩で息をしながらも幸せそうな表情をしているメグミに視線を向けた。
「精霊使い。そう呼ばれる人々です。そして、自然と共に生きるエルフの一族は、ほぼ全員がその精霊使いです」
「メグミちゃんも、その精霊使いなのか?」
「そうだと思います。……でも……」
「でも?」
ミオは眼鏡をそっと指で押し上げながら呟いた。
「生命の精霊を制御するのは、かなり高度な技のはず……。メグミさんがそれだけの腕を持つ精霊使いなら、どうして野盗に簡単に捕まったのでしょうか?」
「ん……」
微かにうめき声を上げ、コウは目を開いた。
その瞳に、長い髪の少女が映る。
「シ……オリ?」
「え?」
幸せそうだったメグミの表情が曇った。
一方、コウはエルフの少女を認めて、驚いた。
「メグミちゃん? どうしてここに? あ、俺は……」
コウは慌てて起きあがって、自分の胸を見た。
光が命中したところは、確かに服が焼けこげているが、その下の自分の身体にはなんの傷もない。背中も血がべっとりと付いているのに、刺された怪我がなくなっている。
「俺……」
「良かったです……。あ、あの……」
メグミは少し躊躇った後、寂しげに俯いた。
「ごめんなさい。さよなら……」
「え?」
スタタタッ
メグミは走り去っていった。あっという間にその姿は森の中にまぎれ、見えなくなる。
思わず2、3歩追いかけかけ、コウは立ち止まった。
「メグミちゃん?」
「お前、メグミちゃんを傷つけたんだよ」
不意に後ろから声をかけられて、コウは思わず飛び上がった。
「ヨ、ヨシオ!? それに、ミオさんも……。無事でよかった」
「俺様がついてて、女の子を危険にあわせるわけはないだろう?」
ヨシオは得意げに言うと、振り向いた。
「ミオさん、サキちゃんやユミを見てやってくれないか? 魔法によるものだから、俺達よりもミオさんの方がいいと思う」
「判りました」
ミオは頷くと、本を持って倒れている彼女たちの方に駆け寄った。
ヨシオはそれを確かめると、コウに言った。
「メグミちゃんがお前の命を助けたんだよ」
「メグミちゃんが?」
鸚鵡返しに聞き返すコウ。
「ああ。それなのに、お前は『シオリ』だもんなぁ。メグミちゃんでなくても傷つくぜ」
「それは……。でも……」
「メグミちゃん、俺達の後をずっとついてきてたんだぜ」
ヨシオは言った。コウははっとした。
「もしかして、昨日の朝お前が言ってた、誰かが見ているって……」
「ああ。メグミちゃんだ。エルフは森に潜んだら、さすがの俺でも見つけられないからなぁ。でも、気配でわかったぜ。あれからもずっと付いてきていたんだ」
「……」
「多分、メグミちゃんはお前に惚れちまったんだろうな。エルフって、普通自分の生まれたところからは離れないって聞いてる。それがこんな所まで追いかけてきたんだ。なまじな決心じゃないはずだぜ」
コウは、ヨシオに訊ねた。
「俺、どうすればいいんだろう?」
「知るか」
ヨシオはあっさり言った。
コウは、呆然とメグミの消えた森を見つめていた。