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ときめきファンタジー
外伝2 勇者王誕生!

その3 魔力! 気力! 超力! ガッツ!

 翌朝。
 サキは、朝のお勤めをするために、大聖堂に入った。そして、思わずそこで足を止めた。
「何、これ?」
 普段なら、同じように朝のお勤めをする人でごった返している大聖堂には、人の姿がなかった。
 祭壇の前にいる、男女の他には。
 その姿を見て、サキは息をのんだ。
「コウくん……」
「“鍵の担い手”の一人、サキ・ニジノね」
 女の方が言った。そして、祭壇の前の階段を、ゆっくりと降りてくる。
「悪いけど、死んでくれる?」
「あ、あなたが、みんなを……?」
「私じゃないわよ。やったのは、勇者。ね、コウ?」
 振り返って話しかける女に、コウは静かに頷く。
「おっしゃるとおりです」
「やめてっ!」
 サキは、両手で耳をふさいで叫んだ。それから、女の方をにらみつけた。
「許さないっ! ミオちゃんやみんなを……。絶対に、許さないからっ!!」
 カァッ
 サキの胸につけられている聖印が、輝きを放った。サキの持つメモリアルスポットが、彼女の心に反応しているのだ。
 ミスズは、その閃光を、目の前に手をかざして遮りながら、命令した。
「やっちゃって!」
「はい」
 頷いて、コウは腰から魔剣を抜いた。そして、そのまま一直線にサキに向かって駆け寄っていく。
「コウくん、やめてぇっ!!」
 サキが叫んだ。しかし、コウの足は止まらない。
「コウくん……。ええいっ!!」
 サキは、大きく両手を振り上げた。次の瞬間、七色の光の壁が、コウの前に立ちふさがる。
 “レインボー・プロティクティブ・カーテン”、七色の守護幕と名付けられた防御壁である。
 しかし、コウはあっさりと魔剣でその壁を切り裂いた。
「きゃぁっ」
 その衝撃で、尻餅をつくサキ。
 チャキッ
 コウは、剣をサキの目の前で止めた。
「……コウくん……」
 小さく呟いて、サキはコウをその青い瞳で見つめた。
「お願い、もうやめて……。元に戻って、コウくん……」
「……くっ」
 不意に、今まで無表情だったコウに、苦悶の表情が浮かんだ。
「ちっ」
 舌打ちすると、ミスズはコウに駆け寄った。そして、話しかける。
「ほら、さっさと斬りなさい」
「は……い」
 コウは、剣を振り下ろした。
 サキは目を閉じた。
 ガギィッ
 そのサキを両断するはずの一撃が、別の剣でくい止められていた。火花が散る。
「はぁはぁはぁ、間に合って、助かったぜ」
「ノゾミさん!?」
 目を開けて、サキは思わず叫んだ。
「そりゃぁぁっ!!」  ノゾミは、気合いを入れてコウの剣を振り払った。コウは飛びすさって間合いを取る。
 彼女の手にしている剣は、メモリアルスポットの一つ、“スターク”である。この剣なればこそ、コウの魔剣“FKS”の一撃をくい止めることができたのだ。
「コウ……」
 ノゾミは、小さく呟くと、技の構えを取った。それを見て、サキが叫ぶ。
「ノゾミさんっ! やめて!! コウくんは……」
「わかってる。でもっ、これしかないんだよっ!! くらえっ、大海嘯っ!!」
 ゴォォォッ
 衝撃波が大聖堂を走り、祈りのために用意されていた大きな椅子が、次々とバラバラに吹き飛ぶ。そして、その津波のような衝撃波は、コウにまともにぶつかった。
 壁や天井から落ちてきた漆喰や土埃がもうもうと舞い上がり、そして最後に、天井からぶら下がっていた大きな燭台が、鎖が切れて落ちてくる。
 ガッシャァァン
 大きな音が響き、燭台はバラバラになった。
「……嘘だろ、おい」
 ノゾミは、呟いた。
 もうもうと土埃が舞い上がるなか、コウは何事もなかったかのように立っていたのだ。
 と、不意にコウが走った。ノゾミに向かって突っ込んで来るや、その勢いのまま剣を振り下ろす。
 とっさに自分の剣で防いだものの、重い斬撃に、ノゾミはそのまま弾き飛ばされた。椅子の残骸のなかに受け身もとれずに突っ込む。
 さらに攻撃を加えるべく、そこに駆け寄ろうとしたコウは、いきなり後ろに飛んだ。同時に、元気のいいかけ声が聞こえる。
「ユミ・ボンバーっ!!」
 バリバリバリッ
 床が裂け、さっきまでコウがいた場所が陥没する。
 サキは、声がした大聖堂の入り口に視線を向けた。そこには、重そうな手甲をはめたユミと、目を丸くして大聖堂の惨状を見回しているミノリがいた。
「ユミちゃん、ミノリちゃん!」
「あっ、サキ先輩っ!」
 ミノリが駆け寄ってくる。
 ユミは、コウにむかってぴっと指を突きつけた。
「いくらコウさんでも、こんな無茶するなんて許せませんっ!」
「気を……つけろ」
 瓦礫の中から、ノゾミが立ち上がった。左肩を押さえ、絞り出すように言う。
「あれは……、コウじゃない……」
「えっ?」
 ユミは、ノゾミとコウをきょろきょろと見比べた。
「よくわかんない……。でも……」
 コウは、床を蹴った。そのままユミに向かって突っ込んでいく。
「でも、コウさんは、やっつけないと、だめなんだよね! ユミボンバー!!」
 ドォン
 床が再び裂ける。が、その時にはもう、コウは空に舞っていた。高いところから一気に、技を繰り出した直後の、無防備なユミに、剣を振り下ろす。
「やめてぇっ!!」
 ギィン
 七色の帯が、二人の間を遮った。コウはそれに弾かれ、くるっと一回転して床に降り立つ。
 サキが、立ち上がった。その瞳から涙を流しながら、言う。
「もう、やめて、コウくん……」
「……さすがに、“鍵の担い手”3人を相手は、分が悪いか……」
 ミスズは呟いた。そして、コウに声をかける。
「仕方ない。この場は引くわよ、コウ!」
「行かせない……」
 静かな声がした。皆が一斉に、その声の方をみる。
 大聖堂の入り口に、シオリ姫が立っていた。
「貴様、シオリ姫!?」
 ミスズが叫ぶ。しかし、シオリはミスズには目もくれなかった。
「コウくん。この目で見るまで、信じたくなかった……」
 コウは、無言のままシオリを見つめていた。しかし、その瞳には、かつてシオリが共に遊んだ鍛冶屋の少年の暖かさは微塵もなかった。
 シオリにも、それは判った。その頬を、緋色の瞳からあふれた涙が、つぅっと流れ落ちる。
「私、私ね、あなたを止めないといけない。だから、私……力を使うわ」
 そう言うと、シオリは大きく息を吐いた。
 ドクン
 シオリの心臓が、大きく鳴った。
(な、何?)
 そう思った瞬間、シオリの意識は失われた……。

 しんと静まり返った大聖堂で、最初に動いたのはミスズだった。
「こけおどし、かぁ。ま、いいや。コウ、行くわよ!」
 しかし、コウは動かなかった。
「コウ?」
 そのとき、不意にシオリは右手を高く挙げた。
 キィン
 その右手に白い光が集まり、そして武器の形を取る。
 ノゾミが息をのんだ。
「あれは、大鎌(サイス)……?」
 シオリが手にしていたのは、巨大な鎌だった。自分の身長ほどもあるその鎌を、シオリは軽々と一振りした。
 コウは、シオリに向けて魔剣を構える。
「……くっくっくっく」
 シオリが、不意に笑い出した。皆、ミスズさえも、怪訝な表情を浮かべる。
「何だっていうの? ええいっ、うっとおしいっ! コウ、やりなさいっ!」
「無駄だ」
 その言葉が聞こえたかと思うと、いきなり衝撃が走った。
 ビシィッ
 シオリを中心にして、渦を巻くように風が吹き荒れ、床が裂ける。
「……!!」
 メグミが、不意に顔を上げた。そしてミハルに訊ねる。
「ミハルちゃん、今の……」
「うん。私も、感じた。それに、これ……」
 ミハルは、指輪を見せた。その指輪は、緑色を明滅させている。
「ムクも……」
 メグミは、抱いていたムクを見つめた。魔法生物のムクの身体全体が、茶色の光を明滅させていた。
「何が……」
「やっぱり、生きていたのね、ミハル……」
 その声に、二人は顔を上げた。
 二人の頭上に張り出した木の枝の上に少女が立ち、こちらを見下ろしている。
 ミハルは呟いた。
「チハル……」
「聞きたいことがあるの」
 チハルは、そう言うと、二人の前に飛び降りてきた。その肩には、あいかわらずミハルのと同じ様な動物がしがみついている。
「聞きたいこと?」
「ええ。姉さん、そしてメグミ。どうして、あなた達は人間を信じるの?」
「……」
 エルフ族であるメグミは、少し考えて、答えた。
「信じる、信じない、じゃないと思います。人間も、自然のうちのひとつなんです。そこに在るもの、ですよ」
「何が言いたいのよ?」
「えっと……。つまり、あの……、ごめんなさい、うまく説明できないんですけど……」
「つまり、人間って十羽一絡げで悪いものだっていうのが、そもそもの間違いなのよっ」
 ぴっと指を立てて、ミハルは言った。
「人間だって、いろんな人がいるんだよ。そりゃ悪い人だっていっぱいいるのかもしれないけど、でもいい人だっていっぱいいるんだよ。チハルも、人間と付き合ってみれば、きっとわかるよ」
「……」
「それに、昨日チハルが言ってたクレンスって人。その人も、人間じゃないの?」
「!」
 チハルは、はっと顔を上げた。
「それは、そうだけど……」
「でしょ? それなのに、その人は人間を滅ぼすっていうミスズやチハルに手を貸してる。矛盾してるよ。つまり、その人は嘘つきなんだよ」
「……」
「ねっ?」
 ミハルは、にこっと笑った。そして、手を差し出した。
「チハル。一緒に行こうよ」
「……ミハル姉さん……」
 チハルは、おずおずと、その手に自分の手を重ねようとした。
 カァッ
 不意に、稲妻が落ちた。そして、声が響き渡った。
「チハル・ホワイト。裏切り者には、制裁を加えねばならぬ」
「ク、クレンス様!? ち、違い……」
「語るに落ちたわねっ! そうよ、チハルはあたし達の仲間になったのよ。悔しかったらおとといおいでーっだ。あっかんべー」
 慌てて弁解しかけるチハルよりも早く、ミハルは胸を張って言うと、あまつさえ舌まで出してみせた。慌てるチハル。
「ちょ、ちょっとミハルっ! 待ちなさいよっ、あたしはまだ何も言ってないでしょっ!!」
「来ます」
 メグミが言うと同時に、3人の前の空間が裂けた。
「愚か者めらが。後悔と絶望の中で悶え苦しみながら死ぬがよい」
「冗談」
 ミハルはそう言うと、右手を掲げた。
「コウさんを助けるまでは、絶対死なないわよっ!」
「うんっ」
 メグミも頷き、身構える。
 と、裂けた空間から異形の姿の者達が吐き出されてきた。ゴブリンと呼ばれる小鬼だ。
 ミハルは、ふっと肩をすくめた。
「随分と甘く見られちゃったね、メグミちゃん」
「えっ? そ、そんなことないと思うけど……」
「まぁ、十三鬼を倒した私達に、十三鬼にもなれなかった奴が勝てるわけないよ。うんうん」
 腕組みして頷くと、ミハルはもう一度右手を掲げた。
「出でよっ! ……えっと、メグミちゃん、何がいいかな?」
「えっ? き、急に聞かれても……」
 いきなり話を降られてメグミがうろたえる間にも、ゴブリンの群れが迫る。
 と、チハルが前に進み出た。
「もう、じれったい。いいわ、あたしがやる。どっちにしろあたしがやらないと……」
「じゃあ、出でよ、こあらちゃんっ!!」
 不意に、どどどどと地響きが起こった。かと思うと、ミハルやチハルの肩に乗っているのと同じ変な動物が突進してきた。
「な、なにっ!? わきゃぁぁぁぁっ!」
 いきなりの出現に、その群れのなかに飲み込まれるチハル。そして、変な動物の群れは、そのままゴブリンの群れとぶつかり合った。
「がんばれー、こあらちゃん達〜」
 のんびりと声援を送るミハルに、ちゃっかり木の上に避難していたメグミが飛び降りてきて訊ねる。
「ね、ミハルちゃん。チハルちゃんは?」
「え? あれっ?」
 きょろきょろすると、ミハルはてへっと可愛らしく舌を出した。
「どこかに行っちゃったぁ」
 やがて、ゴブリンの群れがこあらちゃんの群れに追い散らされた後には、ぼろぼろになったチハルが転がっていた。
「きゃぁ、チハルちゃん、大丈夫?」
「……やっぱり、ミハル、殺す……(がくっ)」
 そのまま意識を失うチハルであった。
 ミハルはそのチハルを膝に抱き上げて、空を振り仰いだ。
「おのれぇ、クレンス。よくもチハルをこんな目に……。許せないわっ!」
「あの、ミハルちゃん……」
 言いかけて、メグミはやめた。
(放って置いた方がよさそうです……)
 と、不意に空間がゆがみ、一人の男が現れた。
 ミハルは、ぴっと指さす。
「あなたがクレンスなのねっ!!」
「いかにも。さて、君たちにも死んでもらおう。死んで、魔王様の復活の贄となるがよいっ」
「やっぱり、チハルやミスズに言ったことは嘘だったのね! あなたは、自分の野望のために、チハルやミスズを利用した。そうでしょっ!!」
「それが、どうした?」
 クレンスは笑った。そして、無造作に右手を振った。
「えっ、きゃぁっ!!」
 次の瞬間、ミハルは弾き飛ばされ、背後の大木に叩き付けられた。間髪入れずに、目に見えない魔力のロープが、ミハルの身体をその木に縛り付ける。
「う、動けない……」
「ミハルちゃんっ!!」
 叫ぶと、メグミは彼女を助けるために精霊を召還しようとした。しかし……。
「精霊さんが……」
 メグミは、目を見開いた。クレンスが、笑みを浮かべる。
「ああ。君たちがゴブリン相手に遊んでいる間に、結界を張らせてもらったよ。精霊はすべて封じさせてもらった。これで、君はただのか弱いエルフの小娘さ」
 そう言いながら、クレンスはゆっくりとメグミに近寄っていった。メグミは後ずさる。
「こ、来ないでください……」
「こらぁっ! メグミちゃんに手を出すなっ!! エッチ、変態っ!」
「うるさいぞ」
 そう言うと、クレンスは右手を木に縛り付けられているミハルに向けた。その手の平が輝いた。
 バシュッ
「きゃうっ」
 衝撃を受けて、ミハルはかくんと項垂れた。髪をまとめていた髪飾りが砕け、長い髪が解ける。
「ミハルちゃんっ! ……許せない」
 メグミは、クレンスをにらみつけた。しかし、クレンスは余裕綽々の表情を浮かべている。
「どうするつもりかな? 言っておくが、私の張った結界だ。たとえ精霊王でさえも、ここには呼べないぞ」
「……」
 昔のメグミなら、それで怖じ気づいてしまったところだろう。だが、メグミはクレンスをにらみつけたままだった。
 クレンスは、そのメグミにゆっくりと近づいていった。
 と。
「まったく……。この私が芝居までうってあげたっていうのに、出てきたのがこの程度の小物だったとはね。がっかりだわ」
 静かな声がした。
「何っ? ここには結界が張ってあるのだぞ! 誰もここには入れないはずっ」
 クレンスはうろたえて、周囲を見回した。
 ザッ
 木の陰から、濃紺のローブに身を包んだ人影が現れた。その姿を見て、クレンスは唖然とする。
「そんな馬鹿な! 貴様は、コウに殺されたはず……」
 すっと掲げた右手には、漆黒の水晶があった。
『ユイナ・ヒモオの名において命ず。至源の炎よ、我が敵を焼き尽くせ!』
 ゴォッ
「ぎゃぁぁっ!」
 クレンスは、青白い炎に包まれ、悲鳴を上げた。
「ユイナさんっ!?」
 メグミが声を上げた。それから、とまどうように呟く。
「で、でも、コウさんに殺されたって、ミオさんが……」
 パサリ、とフードを外すと、ユイナは肩をすくめた。
「この私がコウにおとなしく殺されるとでも思っていたの?」
「でっ、でも……。それじゃ、どうして……」
「こういうのが好きな娘がいるでしょう?」
 そう言うと、ユイナはじろっと、ミハルが張り付けになっている大木の方を見た。
「あなたも、休んでないでちょっとは手伝いなさい」
「ちぇー。ばれてたかぁ」
 ミハルは、ぺろっと舌を出した。それから顔を上げ、叫ぶ。
「こあらっ!!」
 カァッ
 一瞬、辺りが光に包まれ、そして変な動物がすたっと地面に降り立った。
「くっくっくっ、しかし、もう遅いわっ」
 炎の中から、クレンスの声が聞こえてくる。
 変な動物が聞き返した。
「どういうことなのよっ!」
「既に、魔王は再臨されたのだっ。貴様らは、もはやそれを止めることは出来んっ! 世界はこれで滅ぶのだっ!! あっはっはっはっは……」
「うるさい」
 ユイナがぼそっと呟くと同時に、炎がゴォッと燃え上がり、そして消えた。
「倒しちゃった?」
 訊ねる変な動物に、ユイナは面倒くさそうに答えた。
「あの程度のやつ、私が手を下すのも面倒だわ」
「逃げたんだ。オッケー」
 変な動物は、にやりと笑った。
「私の妹達にしてくれたこと、ちゃんとお礼しなくちゃね……」
「それより、ユイナさん。魔王が再臨したって……」
 メグミが訊ねた。ユイナはそれには答えずに、木の枝を拾うと地面に何か描き始めた。
「ユイナさんっ!」
 思わず声を大きくするメグミに、ユイナは手を止めずに言い返した。
「うるさいわね。転移の準備をしてるんだから、おとなしく見てなさい」
「メグミちゃん」
 ユイナが描いているのが、転移呪文の為の魔法陣であることに気づいた変な動物が、メグミの腕を引いた。メグミは頷いて、ユイナの手元を見守っていた。
「ううっ」
 サキは、うめき声を上げて、顔を上げた。自分の上に積もっていた埃がぱらぱらと落ちる。
 ぼんやりしていた焦点が合うにつれて、周囲の様子が見えてくる。
「せん……ぱい」
 微かな声に、サキの意識がはっきりした。
「ミノリちゃん!?」
 頭を振ってはっきりさせると、サキは隣で倒れていたミノリににじりよった。
「は……い。先輩……」
 ミノリは、目を開けた。サキはほっとすると、改めて周囲を見回し、口を覆った。
 大聖堂が半分崩壊していた。そして、その中央に、二人の人影があった。
 一人は、黒い魔剣を構えるコウ。そして、もう一人は……。
「シオリ……姫さま……?」
 サキは、思わず疑問形で訊ねていた。
 黒いドレスを身にまとい、その脇にはこれまた漆黒の大鎌を携えたその姿。
「くくっ。とうとう、私にかけられていた封印は解かれた。私は自由を手に入れたぞ」
 シオリは、にやりと笑った。
 サキは、口に手を当てた。
「ま、まさかっ!」
「その、まさかの、ようですねぇ」
 のんびりした声に、サキは振り返った。
「ユカリさんっ!?」
「あ、サキさん。おはようございます」
 丁寧に一礼すると、ユカリは向き直った。
「どうやら、シオリ姫様は、魔王の力を使おうとして、逆に、魔王に取り込まれてしまったみたいですねぇ」
「……うん」
 サキは、コウの方に視線を向けて、呟いた。
「『魔王を倒せるのは、勇者のみ』って、昔ミオちゃんが言ってた。……でも、今のコウくんは……」
「……ててっ。何がどうしたのよ」
 ミスズが身体を起こした。そして、シオリ姫を見て目を丸くした。
「この波動、まさか魔王様!?」
「……」
 シオリは、ミスズに視線を向けた。
 ミスズはシオリに駆け寄りながら叫んだ。
「お待ちしておりましたっ! さぁ、人間達に天罰を下してやってくださいっ!」
「……ふん」
 興味を無くしたように鼻を鳴らして、シオリは無造作に鎌を振った。
「……えっ?」
 衝撃波が、床を砕きながら、一直線にミスズに向かって突き進んだ。思わず呆然と、それを見つめるミスズ。
「水竜破っ!!」
「ユミボンバーっ!!」
 左右から、水の龍と光の弾が、その衝撃波に襲いかかり、同時に弾けた。
「えっ?」
 一瞬、キョトンとするミスズ。
「ぼけぼけしてんじゃないよっ」
「そうだよっ!」
 右からノゾミが、左からユミが叫んだ。
「……そうか、“鍵の担い手”か……」
 シオリはにやりと笑った。
「肩慣らしには、ちょうどよいわ」
 誰もが沈黙した聖堂に、凛とした声が響き渡った。

「肩慣らし、程度では済ませませんよ」

 思いがけない声に、サキは振り返った。
「……ミオ……ちゃん?」
 ミオは、にこっと微笑んだ。サキは唖然として、呟いた。
「そんな……。あのとき、ミオちゃん死んじゃったんじゃ……」
「話は後です。サキさん、コウさんを!」
「え、あ。うんっ!」
 サキはうなずくと、シオリを睨むようにしているコウに駆け寄った。そして、後ろからコウを抱きしめる。
「コウくん……」
「あーーっ!」
 後ろで、やっと顔を上げたミノリが叫んでいるが、サキは無視して(というよりも気づいてない)、さらにコウを抱きしめた。
「お願い、元のコウくんにもどって……」
「……」
 彼に命令を下していたミスズが混乱しているためか、コウは何の反応も示さない。
 サキは、こくりとうなずくと、一歩下がった。そして、胸の聖印を握りしめて、目を閉じる。
 ポウッ
 聖印が白い光を放つ。
「我が父、全能なる神よ。その敬虔な僕たるサキ・ニジノが祈ります。我に暗黒神の呪いを打ち破る、聖なる力をお貸しください……」
 サキの祈りの声に従って、聖印の放つ光が、白から様々な色に移り輝いた。
 シュン
 微かな音と共に、ユイナ、メグミ、元の姿に戻ったミハル、そして意識を取り戻したチハルの4人は、薄暗い部屋の中に現れた。
「ここ……、ユイナさんの研究室?」
「そうよ」
 ユイナが答えると同時に、別の声がした。
「あなたにしては、時間がかかったのね。もう、始まっていましてよ」
「ミラさんっ!?」
 思わず声を上げるメグミ。
 ポウッ
 ユイナの掲げた杖が光を放ち、壁によりかかっていたミラの姿を照らし出した。
「どこで?」
「大聖堂、と言ったかしら?」
 ミラは、ユイナの問いに答えた。ユイナはうなずいた。
「大聖堂ということは、ミスズとコウは、サキを狙ってきたわけね」
「姉さんが来てるの!?」
 チハルが訊ねる。それには答えず、ユイナはさっさと歩き出した。
「行くわよ」
「あ、はい」
 皆、その後に続いた。
 七色の光に包まれ、祈り続けるサキ。
 シオリは、その光をうっとおしげに見ると、大鎌を一振りした。衝撃波がサキに向かって走る。
 だが。
「大海嘯っ!!」
「ユミボンバーっ!!」
 再び、その衝撃波は途中で砕け散る。
 シオリは、二人の方に向き直った。
「邪魔をするのね? ……なら」
 その瞬間、シオリはユミの懐に飛び込んでいた。そのまま、軽々と身長ほどもある大鎌を振る。
 ヴン
「ひゃぁっ!」
 とっさに両腕を交差させて、それを受けるユミ。だが、そのまま弾き飛ばされて、壁に叩き付けられる。
「ユミっ!」
「よそ見してる暇は、ないわよ」
 思わず叫んだノゾミの耳元で囁く声。
 反射的に“スターク”を振ったノゾミ。だが、その一撃は、大鎌の柄で受け止められていた。
「なっ!?」
 次の瞬間、ユミと同じように弾き飛ばされ、壁に叩き付けられるノゾミ。
「がっ!」
 シオリは、すたすたと無造作にノゾミのところに歩み寄ると、大鎌を振り上げた。そして、振り下ろそうとする。
 ゴォッ
 その目の前を、黒い光がかすめすぎた。シオリが顔を上げると、長い金髪の少女が、左手にレイピアを携えて、そこに立っていた。ゆっくりと右手を降ろすと、言い放つ。
「シオリ姫、いえ、魔王の半身よ。そこまでです」
 その少女こそ、かつて「魔王の孫」と呼ばれた、レイ・イジュウインだった。
「そ、そんな……。どうして!?」
 レイの姿を見て、ミスズは叫んだ。
「確かにあのとき、殺したはずよっ!! そう、あんたもっ!」
 振り返りざまに、ミオに指を突きつける。
 ミオは、涼しい顔で答えた。
「“鍵の担い手”が、そう簡単に殺されるわけがありませんよ」
「……くっ」
「でも、あなた方が不勉強で助かりました」
 微笑むミオ。
「えっ? どういうことよ!?」
「メモリアルスポットは、破壊されることはないんですよ。絶対に、ね」
 ミオは、そう言うと、ロケットを片手にとった。
「あっ!」
 ミスズは、はっとした。
「それじゃ、最初から……!?」
「……」
 コウは、ゆっくりと目を開けた。それから、驚いて周りを見回す。
 彼の周りは、七色の光に包まれていたのだ。
「こ、これはっ!?」
「コウくんっ!」
 聞き慣れた声に振り返ると、サキが微笑んでいた。
「サキ……? 俺、一体……」
「戻って……くれたんだね」
 サキの頬を、涙が流れ落ちた。そして、サキはそのままコウに抱きついた。
「えっ!?」
「コウくん……」
 戸惑いながらも、サキの背中に手を回して抱きしめようとするコウ。その手がぎゅっとつねられた。
「痛てぇぇっ!」
「はい、離れて離れて。まったく、油断も隙もあったもんじゃないんだからっ!」
 コウの手をつねったのはミノリだった。そのままさりげなく二人の間に割り込むと、大声で言う。
「それどころじゃないんですからねっ! シオリ姫様がおかしくなっちゃったんですからっ!」
「何だって!?」
 驚いて振り返るコウ。その目に、大鎌を持ってレイと対峙するシオリの姿が映る。
「シオリっ!?」
「今のシオリ姫は、シオリ姫ではありません」
 静かな声に、コウは振り返った。
「ミオさん!? 説明してくれ、何があったんだ!?」
 その声に気づいたのか、シオリが振り返った。そして、戸惑うコウの姿に、すっと目を細めた。
「勇者が目覚めたのね。それじゃ……、死になさい」
 言い捨てざまに無造作に大鎌を振ると、その軌跡に沿って衝撃波が床を砕きながら、一直線にコウに向かって走る。
「えっ!?」
「コウっ!!」
 がきぃぃぃん
 鈍い音がしたかと思うと、衝撃波がコウの前で左右に分かれて、床を砕きながら逸れていった。
「ったくぅ、ぼけーっとしてちゃダメだぞっ!」
「えっ?」
 コウの前から身体を起こした赤毛の少女は、ユウコ・アサヒナその人だった。衝撃波をも左右に切り分けた一対の小刀、“桜花”と“菊花”をブンと振ると、シオリに向かって身構える。
「それにしても、超危なかったねっ
「ユウコちゃんも! 生きて……、よく……」
 思わず涙ぐむサキにユウコはからかうように言った。
「ほらほら、泣いてる暇ないよっ」
「えっ、あ、うん」
 と、大聖堂に数人の少女が駆け込んでくる。
 彼女たちの姿を見て、ミオがほっと胸を撫で下ろした。
「無事に合流できたようですね。よかった」
「あなた、私を誰だと思っているの?」
 ちょっとむっとしたように、ユイナは腕を組んだ。それから、シオリの方を見る。
「ま、この程度の相手なら、私だけでも充分だと思うけどね」
「ダメですよ、ユイナさん。倒すのが目的じゃないんですから」
 ミオが苦笑気味に言う。
「姉さんっ!」
 チハルが、ミスズに駆け寄った。
「チハル!? どうしてあなたが、あいつらと一緒に!?」
「それは後っ! 姉さん、私の話を聞いて! 私達、クレンスに騙されてたのよ!」
「えっ!?」
 戸惑うミスズに、チハルはこれまでの話を聞かせた。ミハルとの会話で感じたこと、そして問答無用で襲いかかってきたクレンス。
「嘘……。そんなの嘘よっ!」
 ミスズは叫んだ。チハルは姉を押さえようと手を伸ばしたが、ミスズはその手を振り払い、怒鳴った。
「チハル、あなた敵に騙されてるのよっ!」
 パァン
 乾いた音が鳴った。ミスズは、自分の頬を押さえた。
「ミハル……」
「私も、まだよくわからないんだ」
 ミハルは、ひっぱたいたミスズの頬を、今度は優しくなでた。
「何が起こってるのか、何が正しいのか、何が間違ってるのか。でも、これだけは言える。人って、そんなに捨てたもんじゃないわ」
「……」
 ミスズは俯いた。ミハルは、その顔をぐいっと曲げて、シオリの方を見せた。
「あれが、クレンスがあなたを利用して復活させようとした魔王なのよっ、……多分。と、とにかく、あれはあなたの味方じゃないわ」
「それは……」
 あれは、ミスズの事をなんとも思っていない。それは、無造作に彼女を殺そうとしたことから、ミスズにも判っていた。
「でも、そんな一朝一夕に、はいそうですかって変われるわけがないじゃないっ!」
 ミスズは首を振った。しかし、ミハルはあっさりと言った。
「ま、そうだと思うけど」
「え?」
「でも、これだけは信じて。魔王は人間もホワイト族も関係なく滅ぼす。だから、私は戦うの」
 ミハルはそう言うと、えへっと笑った。
「なんて、かっこいいでしょ?」
「……ばか」
 ミスズは呆れたように呟くと、コウがその場に落としていた魔剣を、無造作に拾い上げた。そして、鞘に収めて、ミハルに差し出す。
「とりあえず、好きなようにすれば。私は、見届けさせてもらうわ」
「うん」
 ミハルはにこっと笑って、魔剣を受け取った。
 チハルは、姉に尋ねた。 「それでいいの? ミスズ姉さん」 「……ええ」
 ミスズは、静かにうなずいた。チハルはそれ以上何も言わず、二人は目の前の情景に視線を向けた。
 姉妹がそんなことをしている間にも、ミオは早口で状況をコウに説明していた。
 その説明を聞き、自分なりに理解してから、コウは思わずシオリを指しながら、ミオに聞き返した。
「それじゃ、シオリの中の魔王の血のせいで、シオリがああなったっていうのか?」
「ええ。コウさん、シオリ姫を助けられるのは、勇者であるあなただけです」
「でも、どうやって!? 魔王を倒すには聖剣“フラッター”が必要なんだろ!?」
「無駄だ、勇者よ」
 シオリはにやっと笑った。
「もはや、聖剣はない。私を止められるものなど、存在しないのだ」
「いいえ」
 ミオが、静かに首を振った。
「聖剣と聖なる鎧は、今もあるのです」
「なんだと?」
 眉をひそめるシオリに、ミオは静かに言った。
「私達のメモリアルスポットこそ、聖剣であり、聖なる鎧なのです」
「イエース、その通りっ!」
 その声に、皆は一斉に祭壇の方に視線を向けた。
 いつの間にか、祭壇の前には、一人の少女がリュートを構えて立っていた。
 サキが思わず叫ぶ。
「アヤちゃん!?」
「リッスン・トゥ・ザ・ミュージック! あたしの曲を聴きなさ〜いっ!!」
 そう叫ぶと、アヤコはリュートをかき鳴らした。
「くっ」
 シオリは苦悶の表情を浮かべ、あとずさった。
「なんだ、この音は……。頭が……がぁっ!」
 アヤコが叫ぶ。
「ヘイ、ミオ! 今よっ!」
「ええ」
 ミオはうなずくと、右手を振った。魔法のように、その手に符が現れる。
「式神たちよ、お願いっ!」
 そう言ってミオがばらまく符が、次々と膨れ上がり、白い狼の姿となった。そして、一斉にシオリに襲いかかっていく。
「くっ!」
 片手で頭を押さえながら、もう片手で大鎌を振るシオリ。白い狼は、次々と斬られて、元の紙片に戻っていく。
 ミオはその様子も見ないでコウに駆け寄った。
「これで、少し時間が稼げます。今のうちに……」
「でも、何をどうすれば……」
「願ってください。魔王を倒して、シオリ姫を救いたい、と……」
「シオリを……?」
 うなずくミオ。
 コウもうなずくと、目を閉じた。
(シオリ……)
 ミオは、今度はレイに視線を向けた。メモリアルスポットを通して、レイに声が聞こえる。
『レイさん、私の声を皆に伝えてください』
 レイはうなずいた。ミオはそれを確認してから、言った。
『皆さん! コウさんに力を集めます。協力してください!』
 メモリアルスポットを通して、少女達の意志が一つにまとまる。
 その瞬間。
 皆のメモリアルスポットが、一斉に輝いた。そして、持ち主の手を離れ、空に舞い上がる。
 次の瞬間、それらのメモリアルスポットは光に変わり、そして一斉にコウに向かって飛んだ。
 コウの姿は光に包まれる。
 そして、その光が消えたかと思うと、そこには黄金の鎧を身にまとい、白銀の剣を右手に持つコウの姿があった。
 だが、その鎧も剣も、あの魔王との戦いでコウが身につけていた“聖剣”と、“勇者の鎧”とは、少し違うように見える。
「こ、これは……?」
「私達のメモリアルスポットが、形を変えた姿です。名付けて、勇者王の剣と勇者王の鎧」
 ミオが微笑んだ。
「で、でも……、どうやればいいんだ? まさか、シオリを斬るわけにもいかないだろっ!」
「それは……」
 戸惑うコウの目に、最後の式神を切り捨てたシオリの姿が映った。
 彼女は、すっとコウの前まで、滑るように突っ込んで来ながら、大鎌を振り上げた。そのままの勢いで振り下ろす。
「くっ!!」
 とっさに、コウは白銀の剣でそれを受けた。
 ガキィッ
 火花が散る。
「死ねっ、勇者っ!」
 ぐいっと、力をかけるシオリ。
 コウは叫んだ。
「う、うるさいっ! お前こそ、シオリから出て行けっ!!」
「愚かな。私はシオリそのものだ」
 そう言うと、シオリはその姿勢から大きく鎌を振った。あおりを食らって吹き飛ばされるコウ。
「うわぁっ」
「コウさんっ!」
「コウっ」
 ドォン
 そのままコウは壁に叩き付けられた。次の瞬間、壁が崩れ落ち、コウはその中に埋もれる。
 ミオが叫んだ。
「コウさんっ! 魔王からシオリ姫を解放してあげてくださいっ!」
「無駄だ。そのようなこと、誰にも出来るはずがない。なぜなら、私がシオリそのものだからだ」
 シオリは哄笑した。
「……違う」
 バラバラバラッ
 瓦礫の中から、コウはゆっくりと立ち上がった。そして、剣を一振りすると叫ぶ。
「シオリを返せっ!!」
 叫ぶと同時に、コウは地を蹴った。そのまま、シオリに向かって突っ込む。
「なっ!?」
 うろたえながらも、シオリは大鎌を振った。しかし、その衝撃波が届く直前、コウは床を蹴って飛んだ。そのまま、大上段から剣を振り下ろす。
「やったぁ!」
「いや、違うっ!」
 ユミの歓声を、ノゾミが止めた。
「この程度か」
 シオリは、コウの一撃を大鎌の柄で受け止めていた。そして、そのまま振り払う。
 ドォン
「ぐわぁっ!」
 またしても、壁に叩き付けられるコウ。
 ノゾミが、片膝をついたまま、悔しそうに呟いた。
「ダメだ……。力の差がありすぎる。あのままじゃ、コウは勝てないよ……」
 シオリは、にやりと笑うと、大鎌を斜めに振り上げた。そして振り下ろす。
 衝撃波が、コウに向かって飛んでいく。
「くぅっ、気翔斬っ!!」
 コウもとっさに自分で衝撃波を打ち出した。お互いの発した衝撃波が、聖堂の真ん中でぶつかり合う。
 ガッシャァン
 聖堂のステンドグラスが、内側から破裂したように砕け散った。
 衝撃波の余波が、大聖堂を揺らし、まだ耐えていたシャンデリアが次々と落下してくる。
 皮肉にも、衝撃波で皆、壁ぎわまで吹き飛ばされていたので、その下敷きになることは免れていた。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
 荒い息を付きながら、コウは立ち上がった。
「シオ……リ……」
 そう呟く。目の前で、シオリが笑っている姿が、二重、三重にだぶって見える。
「くっくっくっくっ。終わりだ、勇者。これが、終わりの始まりだ」
(コウくん……)
 目の前の黒いドレスのシオリに重なって、白いドレスのシオリが見えた。
(コウくん、ごめんなさい。私……、結局コウくんを苦しめて……)
「シオリの……せいじゃ……」
 ない、と言おうとしたコウ。しかし、白いドレスのシオリは、悲しそうに首を振った。それから、言う。
(コウくん。私を斬って)
「!?」
(私、一瞬なら、自分の身体を押さえられると思う。だから、その隙に、斬って!)
「出来るわけないだろうっ!!」
 コウは叫んだ。黒いドレスのシオリが、怪訝そうな顔をする。
「誰と話している? ……まぁ、よい。すぐにあの世に行くがいい」
(お願い、コウくん! みんなを守って!!)
「シオリ……。ああ、わかった……」
 コウは、白銀の剣を杖のようにして、立ち上がった。そして、剣を構える。
 その顔に、微笑みが浮かんだ。
「シオリ、行くぜ。俺は、守ってみせる。みんなも、そして、シオリもっ!」
 白いドレスのシオリも、微笑んだ。
(うん、コウくん。……信じてる)
 黒いドレスのシオリは、哄笑しながら、大鎌を振り上げた。
「死ねっ、勇者!!」
「コウくんっ!」
「コウっ!!」
「コウさんっ!!」
 皆が悲鳴を上げる。
 コウには、その瞬間、白いドレスのシオリが、ふわりと黒いドレスのシオリを抱きしめるのが見えた。そして、振り下ろされるかに見えた大鎌の動きが、ピタリと止まる。
「なっ!? か、身体が……動かんっ!」
 黒いドレスのシオリは、悲鳴を上げた。
「シオリぃぃぃっっっ!!」
 コウは叫びながら、剣を腰だめに構え、突進した。そして、思い切り突き出す。
 ドスッ
 鈍い音と共に、白銀の剣はシオリの胸を貫いていた。
「……グハァッ」
 シオリは、唇から血を吐いた。そして、コウが剣を引き抜くと、数歩よろめき、崩れ落ちるように床に倒れた。胸の傷から鮮血が噴き出す。
「はぁはぁはぁ……、シ、シオリ……」
 コウはその場に膝を突いた。
 床に、赤い血が広がっていく。
「バカな……。貴様、何をしたのか、わかっているのか……」
 シオリは、切れ切れに言った。
「これで、シオリは死ぬんだぞ……」
「死なせはしないっ!」
 コウはゆっくりと立ち上がった。そして、剣を天に向けて掲げた。
「シオリを、二度と失うもんかっ!!」
 カァッ
 白銀の剣が光を放った。
 コウが身にまとっていた黄金の鎧が、それに合わせるかのように、光り輝いた。そして、次の瞬間、粉々に弾ける。
「ああっ! 鎧が!」
 思わず悲鳴を上げるサキに、ミオが言った。
「心配は、いりません」
「ミオちゃん!? で、でも……」
「見てください」
 ミオは、コウとシオリを指した。
 一旦砕け散ってコウから離れた光の粒子が、一斉に弧を描いて飛んだ。そして、そのまま、ぐるぐるとシオリの上を回り始める。
 それは、あたかもシオリの上に光の環ができたようだった。
「な、何が起こってるのっ!?」
「アイドンノー、わからないわよっ!」
 ユウコの声に、アヤコは首を振った。
「あっ!」
 ミハルが叫んだ。
 光の環に照らされ、シオリの身体がぼうっと光り始めていた。そして、その身体から、そして床に広がった血から、黒い染みのようなものが浮かび上がり始める。
「な、なんなの?」
「……“魔王の血”」
 思わず訊ねるミラに、レイは答えた。驚いてレイに視線を移すミラ。
「何ですって?」
「間違いないわね」
 ユイナが腕組みしてうなずく。
 その間にも、黒い染みのようなものは、その量を増していく。そして、やがて光の環の中に、黒い球として固まっていく。その黒さは、環の放つ光すらも吸い込んでいるようだった。
「あれが、シオリ姫の、キラメキ王家の中に受け継がれてきた、“魔王の血”の具現化した姿です」
 ミオが言った。
 と、剣を掲げ続けていたコウが、その剣をすっと降ろした。しかし、その剣に宿った光は薄れるでもなく、むしろ輝きを増していた。それはあたかも、その剣自身が光でできているかのように見えた。
 コウは、その剣の切っ先を黒い球に向け、構えた。
「でやぁぁぁっっっっ!!!!」
 気合い一閃。
 振り下ろされた光の剣は、黒い球を真っ二つに絶ち割っていた。
 その瞬間、何者かの悲鳴が響き渡り、衝撃が皆を床に打ちのめす。そしてその衝撃は、度重なる衝撃にもかろうじて耐えてきた大神殿を、一気に崩壊させた……。
 キラメキ王国大神官シナモン・マクシスは、大音響と共に大神殿が崩れるのを見つめていた。
 彼の背後には、大勢の僧侶や修道女達が、そして異変を知って城から駆けつけてきた騎士や兵士たち、さらに一般市民達も驚きと嘆きの声を上げていた。
 シナモンは、前日に受けた神託に従って、この日の朝から他の者を全員大神殿から遠ざけてさせていたのだ。
 だが、ただ一人、サキにはその神託を知らせなかった。
 “鍵の担い手”達が大神殿に入っていくのも、止めなかった。
 それは、神託がそうするように告げていたからだった。
「大神官様! 我らの神殿が……」
「なんということだ……」
 嘆く僧達に、大神官は静かに告げた。
「お主達、何を嘆く?」
「は?」
「建物など、いつかは崩れるもの。崩れれば、また建て直すのみ。しかし、人の命はそうはいかぬ。儂は……」
 その皺を、涙がつぅっと流れた。
「儂は、儂の娘といってもよい者達を、あの中に送り込んだのじゃ……。神よ、なぜこのような残酷なことを……」
「大神官様……」
 大神官は、振り返り、瓦礫の山と化した大神殿を見つめた。
 と。
「大神官さまっ! あれをっ!」
 一人の僧が叫んで指さす。
 ガラガラッ
 瓦礫が崩れ、その中から人影が立ち上がる。
 長い緋色の髪の少女を抱いた、黒髪の少年。
「あれは、シオリ姫と勇者コウ!」
「姫様っ!!」
 数人が駆け寄ろうとした。
 と、さらに瓦礫が揺れて、数人が立ち上がる。
「ふぅ、ひどい目にあったぜ」
「ホント。ユミ、お目々くりくりだったぁ」
 ノゾミとユミが、顔を見合わせる。
 キィン
 微かな音がして、瓦礫が崩れ、中からミオ、サキ、ミノリ、そしてユウコとユカリが顔を出す。
「ありがとう、ユウコちゃん」
「こんなの、ちょちょいのちょいよ。アサヒナ流忍法微塵隠れってね」
 例を言うサキに、ユウコは笑って答えた。
 バァン
 大きな音と共に、瓦礫が吹き飛び、魔力の結界が姿を現した。そしてそれが消えた後には、ユイナとミラ、そしてレイがいた。
「一応、礼を言っておくわね」
「それには及ばないわよ。私は自分のために結界を張っただけだし、そこにたまたまあなたがいただけでしょう」
 ミラにユイナは素っ気なく答えた。だが、レイは微笑んで、二人を見つめていた。彼女には、ユイナがとっさに2人を範囲に入れるために結界を必要以上に大きく作ったことを気づいていたのだ。
「……風の精霊さん」
 微かな声に答えるように、向こうでも瓦礫が弾け、そしてその中からメグミ、ミハル、そしてチハルとミスズも無事な姿を見せた。こちらは、メグミが召還した精霊が彼女たちを守っていたのだ。
 ミオはコウとシオリの姿に気付くと、サキに声をかけた。
「サキさん、シオリ姫の治癒を!」
「えっ? で、でもシオリ姫には、私の術は……」
 口ごもるサキ。だが……。
「大丈夫です。シオリ姫は、もう普通の人なんですから」
 自信たっぷりのミオの言葉に、サキはうなずいてコウに駆け寄った。
「コウくん!」
「サキ!」
 その声に我に返ったように、コウは振り返った。そして、抱いていたシオリを地面に降ろす。
 サキはその傍らにしゃがむと、手を合わせた。祈りの言葉がその唇から漏れる。
「全能の神よ。敬けんなる使徒、サキ・ニジノの名において願う。我が身命を賭け、命を賭して願う。これなる者の傷を癒し給え……」
 ふわっと、サキの右手が輝いた。サキはその手をすっとシオリの胸に当てた。
 と、見る間に、紙のように白かったシオリの身体に、血の気が戻ってきた。胸の傷口も見る間にふさがっていく。
「えっ?」
 サキの方が、驚いて目を丸くした。
「効いてる……」
 と、
「わぁーーーーっ!!」
 周囲から歓声が上がり、そして大勢の人々が駆け寄ってくる。
 ミオは、ひとつ息をついた。
「どうやら、終わりましたね……」
 森の奥深くにある、クレンスの館。
 その一室で、不意に空間が裂け、そこからクレンスが転がり出た。そのまま床に崩れ落ちる。
「お、おのれ……」
 彼は、呪いの言葉を吐きながら、身を起こした。
 ユイナの放った炎に灼かれ、身体のあちこちが炭化している。もっとも、闇僧侶である彼にとって肉体の傷など大したことはない。むしろ精神的な傷の方が痛手だった。
 と。
「あらあら、随分ひどい格好ね」
 いきなり後ろから声をかけられ、クレンスは振り返った。
 そこには、深い緑色のロングヘアが印象的な女性が、壁にもたれて立っていた。
「バカな……。ここは結界を張ってあるんだぞ。どうやってここに来た!?」
「これ」
 彼女は、身体をかがめると、床から何かを摘みあげた。
 それは、一本の髪の毛だった。彼女のものよりもやや明るい緑色の髪の毛。
 クレンスは、はっとした。
「まさか、それは……」
「そ。ミスズの髪の毛。ここに落ちてたわよ。目標になるものさえあれば、結界なんてあって無きがごとしってね」
 くすっと笑うと、彼女はその一筋の髪の毛を放り捨てた。
「掃除は、ちゃんとしとくべきだったわね、クレンス」
「私の名を……知ってるというのか?」
「ええ。妹たちが世話になってる人ですからね」
 彼女の答えを聞いて、クレンスの瞳が見開かれた。
「妹、だと!? ばかな、それじゃお前はまさか……」
「さて、と」
 彼女は、壁から身体を起こした。そして、暗緑色の瞳をクレンスに向けた。
「ホワイト族の族長として、けじめはつけさせてもらうわね」
「バカなっ! ホワイト族は、あいつら以外は全員殺したんだっ!!」
「そう思った? 甘い甘い」
 彼女は、チッチッと指を振った。それから、遠くを見るようにして、言った。
「12年前、になるのね。あたし達ホワイト族の隠れ里が、あなたとその兄、ベネディクトに襲われたのは。そして、当時幼かったミスズとチハルは連れ去られ、ホワイト族は皆殺しにされた。もっとも、ずっと後になって、ただ一人、ミハルが友達のコアラに助けられていたことが判るんだけど……。それがあなた達魔族の知る、ホワイト一族の末路ってわけよね」
 そう言ってから、彼女はイタズラっぽく笑った。
「お生憎様。あなた達なんかにあっさりやられちゃうほど、あたし達はひ弱じゃないわよ。それとも、あなた達に簡単に滅ぼされる程度の力しか持ってないような一族のことを、魔王が恐れるとでも思ってたの?」
「それじゃ、どうして……」
「身を隠したかって? 魔王との戦いに巻き込まれるのが面倒くさかったからよ。ミスズやチハルに変なコトしたら即座にぶっとばそうとは思ってたけどね。まぁ、二人も割とまともに育ったみたいだし」
 腕組みしてうんうんとうなずくと、彼女は笑った。
「あたし達って、割と気が長いの。だから、あなたのことも今までずっと見つめてきたわ。ミスズやチハルをどうするつもりなのか、ってね。この先もちゃんと育ててくれるんなら、それはそれでいいと思ってた。でも、やっぱりあなたは二人のことを、ただの道具としか見てなかった」
「……それが……どうしたっ!!」
 彼が短く叫ぶと同時に、彼女の腕が裂けた。血が噴き出す。
 クレンスの暗黒呪文である。闇僧侶は、サキのような僧侶が使う治癒の呪文を逆転させて、相手を傷つけることができるのだ。
 しかし、彼女は眉一つ動かさずにクレンスを見つめた。
「ミスズ達にとっておいてあげようと思ったけど、気が変わったわ。ホワイト族の族長最大の奥義で葬ってあげる。魔王すら恐れたという奥義でね」
「なにぃっ!」
 彼女は、クレンスに向き直り、大きく手を挙げ、叫んだ。
「ファイナル・フュージョン!!」
 カァッ
 閃光が辺りを満たした。次の瞬間、館は粉々に吹き飛んだ。
 とっさに防御の術を使ったクレンスは、目を疑った。
 そこには巨大な“変な動物”が立っていたのだ。その身の丈は、城にも匹敵しようかという巨大な動物が。
「な……」
 さしものクレンスも、絶句した。
「これが、魔王様ですら恐れたという……、プラチナドラゴンをも越える究極の戦闘力をもつ、最大の生物……“アルティメット・コアラ”だというのか……」
 巨大な“変な動物”が、クレンスを見下ろし、にやりと笑った。そして、大きく腕を振り上げた。
「う、うわ、うわぁぁぁぁっっっ!!」
 とっさに転移しようとし、不思議な力場によってそれが出来ないことに気付いたクレンスが、恐怖の叫びを上げる。そしてその叫びは出し抜けに断ち切られた。
 そして、何かが潰れる鈍い音がし、静寂が戻った。
「あ〜あ、やっちゃった。ばれないうちに逃げようっと」
 元の姿に戻った女性は、周囲を見回すと、肩をすくめた。そして右手あげて、指をぱちんと鳴らす。
「かもーん、たてばー号!」
 その声に従って、どこからともなく大きな馬が駆けてきた。彼女はひらりとその馬に飛び乗ると、はるか彼方、キラメキ城の方に視線を向けた。
「ミハル、ミスズ、チハル。姉さんを許してね……。なんちゃって」
 最後にぺろっと舌を出すと、彼女は手綱を打った。大きな馬は嘶くと、矢のように走り出した。
 ミハル達が、彼女――ホワイト族の族長であり、ミハル達の姉である、ハルミ・ホワイトと出会うのは、ずっと後のことになる……。
 数日後。
 数人の少女達が、キラメキ市を望む丘の上に集まっていた。
「超遅っそぉい! あたしがせっかく早く来たってのにぃ」
 ふくれるユウコに、ユカリがまぁまぁと声をかけた。
「そんなにお急ぎにならなくても。そうだ。出汁巻きを持ってきましたから、どうぞ」
「あに言ってんのよっ! もらうけどさぁ」
 そう言って、黄色い出汁巻きをユカリの差し出す重箱から取って口に放り込みながら、ユウコは周囲を見回した。
 ユカリは、重箱をサキにも勧めた。
「サキさんも、いかがですか?」
「あ、ありがとう。……うわぁ、美味しい。こんど作り方教えてくれないかな?」
「はい、よろしいですよ」
 にっこり笑うユカリに、サキも微笑んだ。
「ありがとう、ユカリさん」
「いえいえ」
「にしても、サキ。大神殿はデストロィド、崩れちゃったけど、これからどうするの?」
 アヤコが、リュートの調弦をしながら訊ねる。
「うん。あたしはよく知らないんだけど、一応再建する目処は立ってるみたい。もともと、必要以上に大きな建物だったから、今度はもっと小さなものにするんだって」
 ユカリに出汁巻きのレシピを聞きながら、サキは答えた。
 その向こうでは、ミハル、ミスズ、チハルの三人が並んで座っていた。その向こうでは、彼女達のパートナーである変な動物が3匹、野原をじゃれ合うように駆け回っている。
「こうしてのんびりするのも、悪くはないでしょ?」
 ミハルの言葉に、チハルは肩をすくめた。
「こういうのは、『たまに』やるからいいのよ。ミハル姉さんみたいにいつものんびりしてたら、ありがたみもないんじゃない?」
「わぁ、ひどぉい。私、いつものんびりなんてして……」
「る」
 ミスズが絶妙のタイミングで口を挟む。そして、チハルと顔を見合わせて笑った。
 ミハルはぶ然として空を見上げた。
「こんな妹たちだったなんて……。私って不幸だわぁ……」
 一方、その丘の一番上に立っている若木のところには、ユイナがいた。
 彼女は、その樹を見上げて、笑みを浮かべた。
「成長が早いわね。興味深いわ」
 その若木こそ、皆が魔王の島から持ち帰った“伝説の樹”だった。持ち帰ったときは一本の枝にすぎなかったのが、ここに植えて半年あまりで、既に10メートルはありそうな樹に成長していた。
「だからって、持ち帰ってサンプルにはしないでくださいね」
 ミオの声に、ユイナはいかにも残念そうに肩をすくめた。
「ま、ミオに免じてそれはやめておくわ」
「ありがとうございます」
 ミオは笑顔で頭を下げた。それから、振り返った。
「ミラさんは、まだ戻らなくてもよろしかったんですか?」
「ええ。うちの弟たちは道場に預けているから、心配いらないわ。それに、事の次第がどうなったのか判らないんじゃ、安心できなくてよ」
 ミラは肩をすくめて答えた。その隣にいたレイもうなずく。
「私も、ある程度は知ってるとは言っても、全貌は知りませんから」
 ミオはくすっと笑った。
「皆さん、好奇心旺盛ですね」
「あなたが陰謀好きなのと同じくらいはね」
 思い切り辛辣なユイナだった。
 と。
「ヤッホー! みんなぁ、ごめぇん。ユミ遅れちゃったぁ」
「すみませぇん」
 ユミとミノリが丘を駆け上がってきた。もっとも、ミノリは途中で息切れして立ち止まってしまったが。
 それに気づいて、ユミが駆け戻ってくるとミノリの背中を押した。
「ほらぁ、ミノリちゃん、遅れてるんだからぁ」
「もうっ、あんたほど体力余ってるんじゃないんだからっ! だいたい、ユミのお兄ちゃんが悪いんでしょうがっ! 私達の着替え覗いたりしてなかったら、もっと早く来られたのにっ!」
「うん、あとでユミが技かけとくね」
 笑って答えるユミ。もっとも、既にこの時点で、ヨシオはユミとミノリにぼこぼこにされ、全治一ヶ月の重傷を負って、神殿に担ぎ込まれていたのだった。合掌。
 閑話休題。
 一同のところにやってきて、ユミはぐるっと見回した。
「あれぇ? コウさんまだ?」
「ええ、そうよ。ユミちゃん、ユカリさんが出汁巻き作ってきてくれたの。食べる?」
 サキが答えると、ユミよりも早くミノリがちょこんとサキの隣に座った。
「はいっ、頂きますっ! もぐもぐ。あ〜、サキ先輩と並んで食べる卵焼き……。幸せ
 と、アヤコがポロンとリュートを鳴らして言った。
「イッツカミング、来たみたいね」
 一同が視線を向けると、コウとシオリ、そしてその後ろからノゾミとメグミが丘を上がってくるのが見えた。
 全員が思い思いに座ったところで、コウが口火を切った。
「ミオさん、全てを説明してくれるって? 俺には、未だに何がどうなったのか、さっぱり判らないんだけどさ」
 皆、うんうんとうなずいた。
 それから、アヤコが付け足す。
「それから、あたし達のメモリアルスポットがホェア、どこに行っちゃったのかも、ティーチ・ミー、教えて欲しいわね」
 その腕に抱かれているリュートは、彼女がいつも使っていた“ファイヤーボンバー”ではなく、ごく普通のリュートだった。
「判りました」
 ミオは静かに一同を見回し、言った。
「全てを、お話ししましょう」
「まず、私がおかしいな、と思ったことがありました。それが、魔王を倒しても、メモリアルスポットが消えなかったことです」
 そう言うと、ミオは一同の顔を見回した。
「メモリアルスポットは、ご存じの通り、魔王を倒す事が出来る聖剣“フラッター”が置かれていた、異世界コウテイへ通じる扉です。そしてもう一つの役割は、私達“鍵の担い手”の力を集めて、聖剣へ、そして勇者へと送るシステムの端末です。しかし、魔王を倒してもメモリアルスポットは消えなかった。それはとりもなおさず、その役目が終わっていなかったということを意味しているのではないでしょうか?」
「つまり、まだ私の中に魔王の血が残っていたから、メモリアルスポットもその役割を終えてなかった、っていうことになるの?」
 シオリが自分の胸に手を当てて、訊ねた。ミオはこくりとうなずいた。
「そう思っていた折でした。メグミさんが、シオリ姫が毎夜悪夢にうなされていると教えてくださいましたのは」
「ごめんなさい、シオリちゃん」
 メグミは、頭を下げた。
「私、心配で、それでミオさんに相談したんです」
「ううん。ありがとう、メグ。私もみんなに相談すればよかったのにね」
 シオリは首を振ると、メグミをきゅっと抱きしめた。
 ミオは微笑してそれを見ると、それからレイと、そのことについて話し合ったことを説明した。
「レイさんは、かつて魔王の近くにいたことがありました。それに、メモリアルスポットを統括する立場にありますから、相談に乗っていただいたんです」
「でも、どうしてその時にみんなに話してくれなかったの?」
 サキが訊ねた。ミオは頭を下げる。
「すみません。ですが、その時点ではまだ、証拠も何もない状態でしたから。私の気のせい、で済んでしまう話なら、みんなに広めることは無意味ですし、噂が広まれば、巡り巡って、シオリ姫を傷つけてしまうことにもなりかねないでしょう?」
「……うん」
 不承不承うなずくサキ。
 レイが言った。
「ミオさんに言われて、私はシオリ姫を影から見張っていたのです。そして、確かに外部から、魔の波動がシオリ姫にむけて発せられており、その波動がシオリ姫の中に眠る“魔王の血”を活性化させ、その結果としてシオリ姫が悪夢を見ていた。そこまで突き止めたのです。ですが、既に遅かった。事態は次の段階に移ろうとしていたのです……」
「どういうことなの?」
 シオリが訊ねた。ミオが代わって答える。
「魔の波動を送っていた者は、あの“十三鬼”の一人、ベネディクトの弟、クレンスという闇僧侶(ダークプリースト)でした。ですが、かなりの力を持つ闇僧侶の彼でさえ、シオリ姫の封印を解くことは、結局出来なかった」
「封印? 私の?」
 訊ねるシオリに、ミオは微笑した。
「シオリ姫自身は気付いていらっしゃらないでしょうけれども。シオリ姫は無意識のうちに、自分の中にある“魔王の血”が、その力を出さないように、封印をかけていたのです」
「封印を……」
「“魔王の血”とは、終末の神“ブルーザー”の力そのもの。人間が制御できるようなものではありません。ですが、その力を使わない限りは問題はありません。つまり、シオリ姫は無意識のうちにそれを知っていて、その力を絶対に使わないよう、心の奥底に封印していた……」
 ミオはそう言うと、苦笑した。
「ただ、その封印のせいで、“魔王の血”をシオリ姫から取り除くことも出来なかったんですけれど」
「……」
「さて、クレンスは、魔の波動を送るだけでは封印の解除はとうてい出来ないと、知ったのです。そこで、次の手段に出た。それが、勇者を殺すこと」
「俺を!?」
 思わず自分を指すコウ。ミオはうなずいた。
「ええ。皆さんには説明しましたけれど、コウさんを殺せば間違いなく、混沌としている魔物の世界で頂点に立つことが出来ます。それは間違いのないことですが……、あのときは言いませんでしたけれど、コウさんを殺すもう一つの理由があります」
「もう一つの、理由?」
 思わず聞き返したコウに、ミオはうなずいた。
「シオリ姫に心理的な動揺を与えることです。そうすることで、シオリ姫の心の封印が乱れるのを狙ったんです」
 思わず、シオリとコウは見つめ合っていた。それから、皆の視線に気付いて、慌てて目をそらす。
「で、でも俺が死んだってシオリがそこまで……、そりゃ何も感じないってのは悲しいけど、でも……」
 おろおろしながら言うコウに、ミオはほんの半瞬だけ、複雑な表情を見せたが、すぐに元の微笑を浮かべた。
「いずれにしても、結局クレンスの狙い通りになりましたよ、コウさん。シオリ姫は、“魔王の血”の封印を解き、そして魔王に支配されてしまった……」
「そういえば!」
 今まで神妙に話を聞いていたミスズが、不意に声を上げた。
「あたしは確かに“鍵の担い手”を倒したと思ったのに、なんでみんな生きてたのよっ!」
「……」
 ミオは、シオリに深々と頭を下げた。
「すみませんでした、シオリ姫。全てはあなたを追いつめて、“魔王の血”の封印を解かせるための、芝居だったんです」
「私を……?」
 思わず自分を指すシオリに、ミオはうなずいた。
「クレンスを倒すことは、はっきり言って簡単です。ですが、シオリ姫に“魔王の血”がある限り、第二、第三のクレンスが次々とシオリ姫を狙ってくるでしょう。勇者を殺す以上に簡単に魔界で権力を握る方法が、魔王を復活させることであり、そしてその鍵となる“魔王の血”を持つのがシオリ姫しかいない以上は……。それを避けるには、シオリ姫から“魔王の血”を抜き取るしかありません。そしてそのためには、シオリ姫自身がその“魔王の血”にかけた封印を解くしかなかった……」
「そのために、みんなが次々とコウに殺されたお芝居をしたっていうの?」
 シオリは、静かな声で訊ねた。しかし、その手が震えているのにメグミは気付いていた。
(シオリちゃん……)
「いかなる罰を受けようとも、私は構いません。シオリ姫を騙したのは事実なのですから。ですが、あくまでも私の計画です。他の人には罪はありません」
 ミオは頭を下げたまま言った。
 張りつめたその場の雰囲気を和らげるように、サキが慌てて口を挟んだ。
「でも、みんなはその計画のこと知ってたの? もしかして知らなかったの、あたしだけ?」
「いいえ」
 ミオは顔を上げ、首を振った。
「サキさん、ノゾミさん、ユミさん、メグミさん、ミハルさん、そしてユカリさんは、まったく知らないはず。他の人にも、コウさんにやられた真似をしてください、としか言ってませんでしたし」
「ちなみに、ミーは呪歌で誤魔化したのよ」
 ポロンとリュートを奏でて、アヤコは微笑んだ。
「あたしは、アサヒナ流忍法変わり身の術ってね」
 にっと笑うユウコ。
「私にとっちゃ、ああいう逃げのようなやり方は不本意なんだけどね。幻影の術で誤魔化すくらいはわけないわよ」
 不機嫌そうに腕を組んで言うユイナ。
 ミラは優雅に髪を掻き上げた。
「そこの小娘に出来ることくらい、わたくしにとってはどうってことなくてよ。ふふっ」
「あ〜、なんかむかつくぅ」
 膨れるユウコ。
 思いがけない事実の暴露に、赤くなったり青くなったりしていたミスズは、にこにこしていたユカリをびしっと指した。
「あんたもなのっ!?」
「はぁ?」
 きょとんとして首を傾げるユカリに、ミオが苦笑して言った。
「ユカリさんの場合は、式神です」
「しき?」
「私が紙で作った身代わりなんですよ、ミスズさんが倒したユカリさんは」
「くぅーっ」
 地団駄踏んだミスズは、ミオとレイを指した。
「それじゃ、あんた達もっ!?」
「紙です」
 平然と言うミオ。ミスズはがっくりと肩を落とした。
「あ〜あ。結局あたしってバカみたい……」
 その頭を、肩に乗った変な動物がぽんぽんと叩いていた。
 コウは、シオリの肩を軽く叩いた。振り返るシオリに微笑んでうなずくと、ミオに訊ねる。
「大体の事情は判ったけど、最後のあれは何だったんだ?」
「そうそう。ユミ達のメモリアルスポットが光の環になったんだよね」
 ユミがこくこくとうなずいて言った。
「シオリ姫が“魔王の血”にかけられていた封印を解けば、間違いなくシオリ姫は魔王そのものと化します。ですが、シオリ姫の身体は魔王がその魔力をふるうには小さすぎます。ですから、遅かれ早かれ、“魔王の血”はシオリ姫からは離れます。ただ、それを悠長に待っているわけにもいきませんから、もう一つの方法を採らざるを得ませんでした」
「もう一つの方法?」
「ええ、宿主、つまりこの場合はシオリ姫に取り憑いている以上、……不敬な言い方ですが、姫が死ねば魔王も死にます。ですから……」
「それで、俺にシオリを斬れって言ったのか」
「……ごめんなさい」
 コウの呟きに、ミオは再度頭を下げた。
「それで、分離した“魔王の血”ってのが、あの黒い球だったのか」
 ノゾミが、あの情景を思い出すように呟いた。
「ええ」
 ミオは首肯すると、言った。
「メモリアルスポット自身には、確かに魔王を倒すことは出来ません。魔王を倒せるのは、聖剣“フラッター”のみですから。そして“魔王の血”も魔王の一部分である以上、同じ事。ですが、もう一つの手段はあるのです」
「もう一つ?」
「なんだよ、それ?」
 聞き返す一同。
 ユイナが、腕組みをしたまま、不意に口を挟んだ。
「異次元コウテイね」
「ええ」
 ミオはうなずいた。顔を見合わせる一同。
 アヤコが訊ねた。
「確か、コウテイって聖剣があったプレイス、場所でしょ?」
「そうです。そして、その異世界コウテイに続く道は、メモリアルスポットのみが開けられる……」
 レイが、はっと気付いた。
「それじゃ、“魔王の血”をメモリアルスポットは異世界コウテイに封じた……?」
「ええ、その通りです」
 ミオはうなずいた。
「そして、役目を終えて、メモリアルスポットは消滅したのです。あの世界に通じる唯一の扉が消滅し、異世界コウテイへ行き来する手段は完全に絶たれました」
「つまり、“魔王の血”は異世界コウテイに封じられて、二度とは出てこられない、と」
「そういうことです」
 レイの言葉にうなずくと、ミオはまた頭を下げた。
「本当に申し訳ありませんでした。言い訳して済むようなことじゃないのは判ってます」
「……ううん」
 シオリは首を振った。そして、自分の肩に置かれているコウの手をきゅっと握った。
「ありがとう、ミオさん」
「ミオちゃんが苦しんでたの、あたし知ってるから。だから責めないよ」
 サキは微笑んだ。
 ノゾミが肩をすくめる。
「ま、そういうことならしょうがないか。どうせあたしにゃ頭を使うのは似合わないしね」
「あたしは、超楽しかったからいいよっ」
「あらま、お子さまねぇ」
「むぅ〜〜っ、さっきから超むかつくおばさんねっ!」
「まぁまぁ、お二人とも。出汁巻きはいかがですか?」
「いらんわっ!」
「それじゃ、解決記念にミーが一曲! ヘイ、ミオ! お礼代わりにぃ、あたしの歌を聴きなさぁいっ!」
「ああっ、めまいがっ……」
「きゃぁっ! ミオちゃん大丈夫っ!?」
「やっぱ、アヤコ、根に持ってるんだ」
「あ、あの、あの……」
 なし崩しに、大騒ぎが始まっていた。
 コウは、一人騒ぎから離れて、草の上に寝ころんで、青空を見上げた。
「……コウくん。隣、いい?」
 後ろから声が聞こえた。そして、コウがうなずくと、隣にシオリが腰を下ろし、同じように空を見上げた。
「久しぶりだね。こうしてコウくんと一緒に空を見上げるなんて」
「ああ……」
 しばらく、沈黙が流れた。
「……コウくん」
「え?」
 不意に、コウの視界にシオリの顔が飛び込んできた。彼女が上からコウの顔をのぞき込んでいたのだ。
「どうしたの?」
「……ありがとう」
 シオリは目を閉じて、そっとコウに唇を重ねた。
 後に、この物語は、「勇者コウと十二人の乙女達」の詩の終章として語られるようになったという。
 故に、私もここでペンを止めることとする。
 しかし、何時の日か彼女たちについて再びペンを執ることもあるだろう。
 その日まで、メモリアル大陸に、しばしの別れを告げるとしよう……。

《終わり》

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