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ときめきファンタジー
外伝2 勇者王誕生!

その2 夢幻! 不思議! 究極! 愛!

「……そんな……」
 レイは力無く呟くと、うなだれた。
「どうしたの?」
「アヤコさんが……」
 訊ねるシオリに、レイは答えた。
「コウさんと戦って……」
「アヤちゃんが!?」
 悲鳴のような声を上げたのは、アヤコの親友でもあるサキだった。彼女はレイに駆け寄った。
「それで、どうなったの!? アヤちゃんは?」
「……“プラタリム”の反応は、消えました」
 それだけ告げ、レイは顔をそむけた。耳慣れぬ言葉に、きょとんとするサキ。
「“プラタリム”って……?」
「アヤコのメモリアルスポットのことよ」
 そう言うと、ユイナは初めて寄り掛かっていた壁から体を起こした。
「どうやら、やっかいなことになりそうね」

「まず、一人……と」
 ミスズは耳栓を外すと、笑みをもらした。それから足元にかしこまる黒い鎧の青年に声をかける。
「フフッ。よくやったわ。さすが勇者ってところね」
「お褒めをいただき、恐悦至極」
 さらに深く頭を下げるコウ。その手にした抜き身の剣からは、赤い血が滴り落ちていた。
「それにしても、“鍵の担い手”も、思ったより歯応えないわね」
 嘲笑するように、彼女は視線を上げた。
 そこには朱に染まって倒れているアヤコがいた。その脇に、真っ二つに裂けたリュートが、まるで彼女の墓標のように転がっている。
「さて、と。このままほっといて復活でもされたら大変だしね」
「そうですね」
 まるっきり感情を感じさせない声で同意するコウ。
「それじゃ、ハイエナの餌にしましょうか?」
「あなたがそうおっしゃるなら」
「うん、そうしよ」
 こくんとうなずくと、ミスズはさっと右手を上げた。と、どこからともなくハイエナの群が現れたかと思うと、アヤコの死体に群がって食いちぎり始めた。
「さて、それじゃ次に行くわよ。あと11人いるんだから」
「は」
 そのまま、二人は姿を消した。
「どうする?」
「ともかく、一刻も早くユウコさんとミハルさんに合流してもらわないと」
 ノゾミの質問に、レイは唇を噛んだ。
 と、侍女がおそるおそる声をかけてきた。
「あ、あの、シオリ姫様。そろそろ、お食事の時間でございますが、如何いたしましょうか?」
「もうそんな時間?」
 聞き返すと、シオリは窓の外を見た。確かに、そろそろ暗くなり始めている。
「判ったわ。みんなの分も用意してくれるかな?」
「かしこまりました。それでは、早速ここにお運びします」
 侍女は一礼すると、静かに部屋を出ていった。それを見送ってから、シオリは明るい声で言った。
「とにかく、お腹が空いてたら、いい知恵も出ないわよ。ここはまず、食事にしましょう。ね?」
「……シオリちゃん」
 メグミには、判っていた。シオリがあえて明るく振舞っていることが。
 すっかり辺りが暗くなっても、ユウコは手綱を緩めようとはしなかった。
 もともと忍者であるユウコは、長い時間休みなく行動する訓練も受けているし、夜目もきく。それに、彼女が乗っている馬は疲れを知らない魔法でできた馬である。だからこそ、普通では出来ない強行軍も可能になるのだが……。
 不意に彼女は手綱をしぼった。
「どうどう!」
 彼女の目に、道のまん中にうずくまっている人影が写ったのだ。このままでは馬の蹄にかけてしまう。
 と、不意にユウコは背筋がぞくっとするのを感じた。
(……!!)
 ユウコに従って止まろうとする馬。その背から、ユウコは翔んだ。
 次の瞬間。
 ザシュッ
 一撃で、馬の首が落とされていた。そのままどぉっと倒れた馬の姿が、みるみるうちに一片の紙切れに戻っていく。
 くるっと空中で一回転して、ユウコは地面に降り立った。既に腰から一対の小剣……メモリアルスポットの“桜花・菊花”である……を引き抜き、構えている。
 その唇から、呟きがもれた。
「レイから話は、聞いてたけど……。実際に見ると、きっついなぁ……」
 うずくまっていた人影が、ゆっくりと身を起こした。漆黒の鎧と、その手にした剣。その一撃で、馬の首を切りとばしたのだ。
 ユウコは身構えた。
「コウ、なの?」
「そうよ」
 違う方向から、女の声が聞こえた。ユウコは、コウから目をそらさずに聞き返した。
「あんたが、コウをさらった魔の者ってわけ?」
「だったら?」
「あんたを倒せば、コウは元に戻るってわけよねっ!」
 そう言いながら、ユウコは右手の“桜花”をぽいっと放り上げた。
 同時に、銀色の光が手元から翔ぶ。
 ユウコが得意とするトリックプレイである。強力な武器である“桜花”を放り投げて相手の目を引きつけさせたその隙に、声の主に向けて手裏剣を放ったのだ。
 キィン
 金属音が響いた。
 ユウコは舌打ちしながら、落ちてきた“桜花”を掴み直した。
「そう上手くはいかないってことね」
「狙いは悪くないけどね。アヤコよりは、出来そうじゃない。ねぇ、コウ?」
「はい」
 コウはうつろな声で答えたが、ユウコはそんなコウよりも、声の方に注意を向けていた。
(手裏剣を弾いたってことは、盾かな? 魔法じゃないみたいだけど……)
「さて、それじゃそろそろ始めましょうか? コウ!」
 その声に従って、コウが突っ込んでくる。
「わわっと!」
 とっさに大きくとんぼ返りを打って、ユウコはその場を離れた。剣の届かない間合いを取ると、一息つく。
「!」
 その瞬間、呻りを上げて、剣が振り上げられた。ユウコは反射的に両手の小剣を交差させた。
 剣から放たれた衝撃波が、そのユウコに襲いかかる。
 ガキィッ
「キャァッ!!」
 ユウコは悲鳴を上げて飛ばされた。
 ガシャーン
「!」
 キラメキ城では、ちょうど夕食が始まったところだった。
 レイは、スプーンをスープ皿に取り落とした。派手な音が響く。
 正面に座っていたシオリが、怪訝そうにたずねる。
「どうしたんですか?」
「……まさか!」
 その隣に座っていたミオが、小さく叫んだ。
「ユウコさんか、ミハルさんの身に、何か?」
「……ユウコさんです」
 レイは呟いた。
 ガタァン
 サキは思わず椅子を蹴って立ちあがっていた。
「ユウコちゃんが!?」
 サキとユウコはなぜか仲が良いのである。もっとも、サキと仲が悪い者の方が珍しいといえば珍しいのだが。
「ねぇ、レイさん! ユウコちゃんはどうなったの? ねぇ! お願いだから、教えて!」
 レイに駆け寄ると、サキは訊ねた。レイは静かに首を振った。
「そ、そんな……。ユウコちゃんまで……」
 蒼白になって口に手を当てるサキ。
 ガキィッ
 コウの振り下ろした一撃で、それを受け止めようとした“菊花”の刃が砕けた。
「そ、そんな!」
 叫びながら、ジャンプして後退して間合いを取ると、ユウコは“菊花”の柄を捨て、残った“桜花”を両手で構えた。
「どうかしら? 魔剣“FKS”の斬れ味は」
 コウの後ろで笑うと、ミスズはコウに命令した。
「そろそろ、止めをさしなさい」
「はい、ミスズ様」
 感情のこもらない声で答えると、コウは剣を構える。その刀身は、ほのかな赤い光をまとっていた。
「……魔剣“FKS”、かぁ。とんでも無いもの、持ちだしてくるねぇ」
 ユウコは呟いた。そして、地を蹴った。
「でも、まだぁっ! 曙光昇陽げ……」
 ユウコの必殺の一撃は、コウの寸前で止まっていた。そのまま、がくっと膝をつくユウコ。
「出来ないよ……。あたしには……」
「美しいじゃない。んじゃ、死になさい」
 笑い声をあげて、ミスズはコウに命じた。コウは軽く頷き、無造作に剣を振った。
 ザクッ
 赤い血飛沫が、コウの頬にかかり、流れ落ちた。それは、あたかも無表情なコウが血の涙を流しているようにも見えた。
 ドサッ
 切り飛ばされたユウコの首が、地面に落ちて転がった。ミスズは、足元まで転がってきたその首を見下ろしてクスクス笑った。
「なぁんだ。“鍵の担い手”なんて、全然大したこと無いんじゃない。ねぇ、コウ?」
「おっしゃる通りでございます」
 片膝をつくコウ。
 ミスズは指を折り始めた。
「さってと。あの裏切り者は、まぁチハルにとっといてあげるとして……。あとの残りはキラメキ城に固まってると。9人かぁ。いくらあたしでも、ちぃっと辛いなぁ」
「……“桜花”と“菊花”の反応が消えました」
 レイが告げると、広間に沈黙が降りた。
 不意にミオが立ちあがる。
「みなさん、このまま手をこまねいていても、どうにもなりません」
「ミオちゃん……何か考えがあるの?」
 サキが、涙に潤んだ瞳を上げた。
「危険ですが……。向こうはおそらく、私達がここに固まっているのは知っているでしょう。固まっているとなると、そう簡単に手は出して来ないと思います」
「まさか……」
 シオリが、はっと気づいたようにミオを見る。
「囮?」
「……ええ。危険ですが、このままではこちらも何の手も打てません。何しろ、敵が何者か、すらつかめないんですから」
「つまり、囮を使って、敵の尻尾を捕まえると、そういうわけね」
 ユイナが立ち上がる。
「わかったわ。つまらない役だけど、私が行きましょう」
「ユイナさんが……?」
「誤解しないで欲しいわ。私は、将来私の世界征服の障害になりそうなものは、早めに排除する必要があるから、行くだけよ」
 そう言うと、ユイナはミオに視線を向けて、微かに、ほんの微かに笑った。
「相変わらず、策士ね」
「……え?」
 思わずミオが聞き返したとき、ユイナは呪文を詠唱していた。
“我が名の元に集いし魔力(マナ)よ、我を我が意のままに、空間を越えよ!”
 シュン
 かすかなきらめきを残して、ユイナの姿はそこからかき消えた。
「……ユイナさん、……すみません」
 ミオは、その光の残滓を見つめながら、呟いた。
 その頃。
「どうしよう、コアラちゃん」
 ミハルは大きな木の根元にしゃがみこんで、肩に乗った変な動物に話しかけていた。
「早くみんなに会わなくちゃいけないのに……」
「その必要はないわ」
 不意に頭上から声が降ってきた。
「え?」
 ミハルが見上げると、ちょうど彼女の頭上の枝の上に、少女が立っていた。
「あなた、チハル……だっけ?」
「そうよ。姉さん、こんどこそ、殺してあげるわ」
 そう言うと、チハルはすっと枝から飛び降りてきた。ミハルの前に降り立つと、ぴっと指を突き付ける。
「今度こそ勝負よ、ミハル・ホワイト!」
「だからぁ、そのホワイトって何なの!? 私はミハル・タテバヤシ。恋する乙女よ!」
「……はぁ。ま、いいけど」
 呆れたようにため息をつくと、チハルはさっと右手を上げて叫んだ。
「ふゅーじょん!!」
 カァッ
 閃光が走り、それが納まった後には“変な動物”が立っていた。その動物は、再びぴっとミハルに指を突き付けた。
「さぁ、あなたもふゅーじょんしなさいっ!!」
「……」
 ミハルは、静かに訊ねた。
「……あの、恥ずかしくないですか?」
「う、うるさいわねっ!」
 真っ赤になって怒鳴る変な動物。どうやら図星だったようである。
 その瞬間、ミハルはすっと左手を上げた。
「出でよ、水っ!!」
 その指にはまっている指輪がきらめいたかと思うと、いきなり変な動物の真下から水が吹き出した。
 ゴゴォォォ
「うひゃぁぁっ!!」
 そのまま水ごと吹き上げられる変な動物。
 ミハルは、ぐっと右拳を握りしめた。
「……勝った」
「まだよっ!!」
 その声に、驚いて振りかえるミハル。
 変な動物は、噴水のように吹き出す水の上に平然と腕を組んで立っていた。
「な、なによそれぇ!!」
 良く見ると、水の上に立っているのではなく、水の上に浮かべたカラフルなボールの上に立っているのがわかる。それを見て、ミハルは顔色を変えた。
「まさか、あなた“ときめき玉”まで使えるの!?」
「さぁ、勝負!!」
 変な動物は叫ぶと、さっと右手を上げて振り下ろした。
 ドッドッドッ
 その手に合わせて、カラフルな玉がミハルめがけて降り注ぐ。
 ミハルは左手をその玉に向けて叫んだ。
「出でよ、えーっと……」
 思いつかなかったのか、一瞬口ごもるミハル。そのミハルに迫る玉。
 変な動物はにやりと笑った。
「勝った」
「きゃぁきゃぁ! 出でよ、チハル!!」
 慌てて叫ぶミハル。
「へ? ちょ、ちょっと待てぇ!!」
 ゴォン
 そのまま頭を抱えてしゃがみ込んだミハルに、悲鳴と異様な音が聞こえた。
 おそるおそる顔を上げるミハルの前に、頭に大きなこぶを作った変な動物が、どうっと倒れ込む。
「ありゃりゃ」
 思わずぽかんとして、気を失ってしまったらしく動かない変な動物を見下ろすミハルであった。
 シュン
 かすかな音を立てて、ユイナは湖の畔に姿を現した。
 湖は、彼女の通り名の元にもなっているチュオウ湖である。
 彼女は、自分のものとなっている砦をチラッと見て、それから周囲を見回した。
 もう村は寝静まっているようで、時折森のほうから聞こえてくる狼の遠吠え以外は何も聞こえない。
「……いい夜ね」
「ええ。“チュオウの魔女”の最後の夜には相応しいわ」
 その声は、湖の方から聞こえて来た。
 ユイナはさして驚いた様子も見せずに、声の方に向き直った。
「聞きたいことがあるんだけど、いい?」
「何かしら?」
 湖を渡る風に乗って、声だけが聞こえてくる。
 ユイナは、すっと右手を上げた。その手に光が産まれる。
 その光に、周囲は明るく照らし出された。
「どうして、私がここにいると判ったのかしら?」
「残った9人の中で最初に飛び出してくるのが誰か、そしてその場合どこに来るか。少し考えれば判るでしょ?」
 光の照らし出す範囲の中にはいないのか、相変わらず声だけが聞こえてくる。
 ユイナは微かに笑った。
「この私に喧嘩を売って、勝てると思ってる?」
「まぁね。戦うのはあたしじゃないし」
 その言葉と同時に、バシャンという水音がした。そして、湖の中から黒い鎧の青年が身体を起こす。
 ユイナは、彼に向かって言った。
「コウ。私の邪魔をするなら、殺すわよ」
「……」
 無言で、ゆっくりと近づくコウ。
 ユイナは、サッと右手を振り上げた。その手に紫電が集まる。
「これでも、くらいなさい!!」
 叫ぶと同時に、右手を振り下ろす。その手から放たれた稲妻が、コウに直撃した。
 バシュゥゥッ
 湖の水が泡立ち、蒸発する。しかし、その中でコウは平然としていた。
 ユイナは、その手に握られている剣を見つめてつぶやいた。
「魔法剣……?」
 彼女の放った稲妻は、その剣に吸い込まれるように消えたのだ。
 声が楽しそうに告げる。
「そうよ。魔剣“FKS”。名前くらいは知ってるでしょう? チュオウの魔女さん」
 ユイナは肩をすくめた。
「はるか昔、古代魔法王国で作られた12本の魔剣。それらを“FKS”と呼んだ。ただ、そのうち8本は既に失われている」
「さすが、よく御存じね。そう、これが残り四振りの“FKS”のうちの一振り」
 コウは、剣を振り上げた。赤い光が孤を描く。
 ユイナは、呪文を唱えた。
“我が魔力よ、我が翼となれ!”
 次の瞬間、ユイナは空に飛んだ。アッという間に上昇すると、右手を上げた。
「遠距離から攻撃すれば、コウといえど手の出しようがないわ。さよなら」
「甘いわね」
 すぐ耳元で声がした。
「え?」
 一瞬気を取られたユイナを、衝撃波が貫いた。
 キュッ
「さぁて、と」
 ミハルは、チハルを後ろ手に縛り上げると、そのほっぺたをぺちぺちと叩いた。
「こら、起きなさい。あっさですよぉ〜」
「ん……」
 チハルはゆっくりと目を開けた。そして、ミハルに気付くと、表情を歪めた。
「ミハル……」
「ごめんね、縛ったりして。でも、私どうしても聞きたいの。ホワイト一族って何なの?」
「……」
 口を結んだままのチハルに、ミハルはかすかに微笑んだ。
「私、自分が何処で産まれたか、お父さんが誰でお母さんが誰かも知らないの。気が付いたときには、もうこあらちゃんと二人だけだった……」
「え?」
 チハルは、黙っていた口を開いて、思わず聞き返した。
「姉さん……本当に……?」
「……」
 無言でうなずくミハル。
 チハルは、慌ててそっぽを向いた。
「そ、そんな嘘ついても無駄なんだから!」
「嘘じゃないわ。私、知りたいの。私が誰なのかを!」
 ミハルは、チハルの前に屈み込んだ。
「お願い、教えて……」
「……」
 チハルは、少し俯いて考えてから、うなずいた。
「わかったわ。でも、姉さんの言うことを全て信じた訳じゃないからね」
「それでもいいよ」
 ミハルは、変な動物を抱きしめて、チハルに告げた。
 バッシャァン
 派手な水音が立った。
「……くっ」
 ユイナは、水の中から体を起こした。
 彼女の周囲の水が、赤く染まっていく。
「ここまでやるとはね……。甘く見たわ」
「そうね。あなたは自分の力を過信し過ぎなのよ」
 その声に、ユイナは周囲を見回した。
「いい加減に姿を見せたらどう!?」
「ほらほら、よそ見をしてると危ないわよ」
「え?」
 ザシュッ
 その瞬間、コウが魔剣を振るっていた。
 ユイナの体が真っ二つに斬られ、支えを失った上半身が湖に落ちる。
「さて、片づいた」
 ふっと姿を現すと、ミスズは浅瀬に二つになって倒れているユイナを見下ろした。
「最強の魔法使いって聞いてたけど、所詮は長生きしてるだけだったみたいね。さ、次に行きましょう」
「次、ですか?」
「ええ。多分、次はノゾミ・キヨカワが出てくるわね」
「誰であろうと問題はない」
「そうね」
 ミスズは、コウの胸につつっと指を滑らせた。
「あなたは無敵の勇者様ですものね。うふふっ」
「ええーーっ!?」
 ミハルは大声を上げて仰け反った。
「そ、そんなことがあったなんてぇ!」
「まだ何も言ってないでしょ!」
 チハルは怒鳴り返す。
「だって、やっぱりほら、お約束ってやつで……」
「ったく、あたしの姉ってこんなのばっかり……ぶつぶつぶつ」
 ぷぅっと膨れて拗ねるチハルの肩を馴れ馴れしくポンポンと叩いて、ミハルは訊ねた。
「最初に聞きたいのは、ホワイト族についてなんだけどね」
「私達ホワイト族は……人間とは違う一族よ」
「ガガーン」
 また仰け反るミハルであった。
「……呼びました?」
 不意にきょろきょろと辺りを見回してから、ミオは隣に座っていたミラに訊ねた。彼女は首を振った。
「別に呼んでないわよ」
「そうですか。それじゃ気のせいですね。それより、ちょっといいですか?」
 そう言って、ミオはミラに耳打ちを始めた。
「ともかく」
 ノゾミが立ち上がった。
「次は、あたしが行く」
「ノゾミさん!」
「止めても無駄だぜ。ユイナまでやられたとなっちゃ、黙ってるわけにもいかないだろ?」
 腰の剣に手をかけて言うノゾミ。
「……お待ちなさいな」
 ミラが立ち上がった。
「ミラ、止めても……」
「私が行きますわ」
 ノゾミの言葉を遮って、ミラはきっぱりと言った。
「ミラが?」
「ノゾミ、あなたには他にやることがあるでしょう?」
「それは……」
 唇を噛むノゾミ。彼女はキラメキ騎士団の騎士で、シオリ姫を護る義務があるのだ。
「でも、ミラ……」
「それでは、御機嫌よう」
 ミラは艶やかに一礼すると、部屋を出ていった。
 シオリはミオに視線を向けた。
「もし、ミラさんまで……。そうなったら、どうするの?」
「……」
 ミオは黙って静かに首を振った。それから口を開く。
「相手が誰なのか判るまでは、まったく手が打てないんです」
「だからって、一人ずつ倒れていくのを黙って見てる、なんてことはないでしょ!」
 そう言うと、シオリは踵を返した。
「姫?」
「私も行く。行って、コウくんを止めるの!」
「シオリ姫が行かれても、コウさんは出てきませんよ」
「そんなことは判ってる! でも、何もできないなんて……。もう待ってなんていられないわ!」
「あ、シオリちゃん!」
 部屋を出ていくシオリをメグミが追っていった。
 レイは二人の後ろ姿を見てから、ミオに視線を向けた。
「いいんですか?」
「私の予想が正しければ、敵は、まずはミラさんの方を襲うでしょう」
 ミオは静かに言った。
 その後ろを、サキが歩いていく。ミオは振り返った。
「サキさん?」
「……おつとめの時間なの。お祈りしたら、戻ってくるね」
 サキは微笑んだ。
「でも、今は……」
「アヤちゃんやユウコちゃん、ユイナさんの為に。そして……コウくんの為に、お祈りしなくちゃ」
 その頬を、涙が一筋流れ落ちた。
「……気をつけて、くださいね」
「うん、ありがとう」
 ミオは、そう答えて出ていくサキを見送った。それから、レイの方に視線を向けた。
「早めますか? サキさんには……無理でしょうから」
「まだ、早いと思います」
 レイの答えにうなずくと、ミオは立ち上がった。
「ノゾミさん、ユカリさん、それからユミさんも。サキさんをお願いします」
「判った」
「はい」
「うん」
 三人はうなずくと、サキを追って部屋を出ていった。
 パタンとドアが閉まると、レイは、テーブルに肘をついて呟いた。
「魔剣“FKS”ですか……。厄介なものを……」
「ええ」
 ミオは、レイの正面の席に座ると、訊ねた。
「レイさん。魔剣“FKS”は、前から魔王のもとにあったのですか?」
「いえ、それはなかったと思います。あったら、あの戦いで魔王が使ったはず」
 そう答えてから、レイは、はっとして顔を起こした。
「魔剣の出どころが判れば、敵の正体も判る、と?」
「そういうことになりますね。……少々おつき合い頂けます?」
「どちらへ?」
 立ち上がったミオに訊ねるレイ。ミオは微笑んだ。
「書庫で、少し調べてみます」
「わかりました。わたくしもお手伝いします」
 うなずいて、レイも立ち上がった。二人は話をしながら部屋を出ていく。
「正体が判れば……?」
「ええ、その時はこちらから……」
 パタパタパタ
 足音が遠ざかっていった。
 そして、部屋には誰もいなくなった……。
 ズズーッ
「とっても美味しいお茶ですねぇ」
 もとい。ユカリ以外は誰もいなくなった。
「……あらぁ? 皆さま、どちらに行かれてしまったのでしょう? 困りましたねぇ」
「まぁ、あなた一人? それは好都合だわ」
 不意に声がした。
「はぁ?」
 ユカリが振り返ると、そこには2人の姿があった。
 変な動物を肩に乗せた少女と、漆黒の鎧をまとった青年の姿が。
 その青年の方を見て、ユカリは顔をほころばせた。
「まぁ、コウさんではありませんか。御久しぶりでございます」
「“鍵の守り手”の一人、ユカリ・コシキね。その命頂くわ」
「はやあれから半年あまり。大変ご無沙汰しておりました。お加減如何でしょうか?」
「命乞いしても無駄よ。既に3人は倒したわ。あなたが4人目というわけね」
「わたくしのほうはその後変わりなく過ごしておりましたよ」
「ふっふっふ。今さら何を言っても無駄よ。既に勇者は私のものだもの」
「でも、やはりあなたがいないのは寂しゅうございました」
「……って、聞きなさいよっ!」
 思わず叫ぶミスズに、ユカリは初めて気付いたというように視線を向けた。
「まぁ、どちら様でしょう?」
「……そうくるわけね」
 ミスズは額を押さえると、軽く手を振った。
「コウ、もういいわ。やっちゃって」
「はっ」
 軽くうなずくと、コウはすっと剣を抜いた。その刀身に赤い光が灯る。
「まぁ……」
 ユカリは、驚いたように目を見開いた。
「コウさん、いったいどうなさったというのでしょうか?」
 無言で、コウは間合いを詰めた。
「……わかりました」
 そう呟くと、ユカリは懐に手を入れた。思わず身構えるミスズ。
「メモリアルスポットを使うつもり? でも、無駄よ!」
「……いいえ」
 ユカリは懐から黄金のはにわを出すと、脇のテーブルに置いた。そして、さらに小刀“黒南風”も、鞘ごとその隣に置くと、微笑む。
「わたくしは、コウさんに向ける刃など、持っておりませんもの」
「いい覚悟と、誉めてあげるわ。コウ、やりなさい」
「……」
 コウは、赤く染まった刀身を振り上げた。ユカリは、穏やかな表情のまま目を閉じた。
 彼は、剣を振り下ろした。
 ザシュッ
 赤い鮮血が迸り、ユカリはその場に倒れて、動かなくなった。
 ミスズは微笑んだ。
「……これで、あと7人ね」
「!」
 書庫で本をめくっていたミオの手が、不意に止まった。
 ちょうどそこに、数冊の本を抱えてレイが戻ってくる。
「ありましたよ、ミオさん。……ミオさん?」
「レイさん……」
 ミオは、顔を上げてレイを見た。
「ユカリさんが……」
 バサバサッ
 レイの抱えていた本が、床に落ちた。彼女はそのまま身を翻す。
「レイさん!」
「でもっ!」
「……もう、間に合いません」
 ミオは、静かに言うと、顔を机の上に広げられた本や巻物に落とした。
「これ以上犠牲を出さないためには……」
「……わかりました」
 レイは、ぎゅっと拳を握りしめた。それから、ふと思い出したように訊ねた。
「ミオさん、どうしてユカリさんのことが判ったのですか? 私にも判らなかったのに……。もしかして、あなた……」
「……これの、おかげです」
 ミオは、黄金のロケットをぎゅっと握りしめた。レイは、一つうなずいて、床に落ちた本を拾い上げた。
「とにかく、今出来ることをやるしかない、ということですね」
「ええ……」
 うなずくミオ。
「それにしても、ミオも厄介なことを押しつけてくれるものだわ」
 キラメキ城の中庭に出ると、ミラは肩をすくめた。そして振り返る。
「殺気は、隠せなくてよ」
「さすがね。ミラ・カガミ」
 中庭を見おろすテラスに、ミスズが立っていた。その脇には、コウの姿もある。
 ミスズは淡々と言った。
「あなたが、5人目ね」
「5人?」
 ミラは、微かに眉根を寄せた。ミスズが指を折って数える。
「アヤコ、ユウコ、ユイナ、ユカリ、そしてあなた。計算、間違ってたかしら?」
「……」
 返事をせずに、ミラは腰に挟んであった鉄扇を抜いて、広げた。笑うミスズ。
「やる気充分のようね。コウ、行きなさい!」
 うなずくと、コウは腰の剣を抜いた。暗闇に、赤い光が弧を描く。
「に、人間じゃないって、それじゃ、私って何なのよ!」
 ミハルは縛られたままのチハルに詰め寄った。チハルは呆れたように姉を見上げる。
「だから、ホワイト族って言ってるでしょ?」
「ホワイト族……?」
「ええ。エルフやドワーフと同じ亜人間で……」
「チハルっ!!」
 いきなり、ミハルはずいっとチハルに顔を寄せた。思わずのけ反りながら聞き返すチハル。
「な、なによっ!?」
「あ、あのね、ホワイト族って、そのね、えっと……」
 いきなり真っ赤になってモジモジし始めるミハル。
「何?」
「その……、人間とぉ……、結婚……できるのかなぁ?」
「……何? 聞こえないわよっ!」
「だからぁ、そのぉ……、結婚……できるのかなぁ、なんて。きゃぁ、やだやだやだ、何言わせるのよぉっ!!」
 バッシィン
 思いっ切りその場にはり倒されるチハル。ミハルは、はっと我に返って、慌ててチハルを抱き起こした。
「きゃあ! ご、ごめんなさいっ! 大丈夫?」
「……ミハル、ぜってー、殺す」
 したたか顔面を地面にぶつけられて、そう呟くチハルであった。
 ザシュッ
 鈍い音と共に、鮮血が宙に舞った。
「みんな……、ごめんなさい……」
 はるか彼方に残してきた6人の弟達にわびながら、ミラはその場に倒れた。みるみる、赤い血がその辺りを赤く染めてゆく。
「これで、5人」
 くすっと微笑むと、ミスズはコウに声を掛けた。
「それじゃ行くわよ」
「行かせません」
 静かな声が、キラメキ城の中庭に響いた。
 二人は振り返った。
 そこには、ミオが立っていた。
「ミオ・キサラギ。“鍵の担い手”の知恵袋、自らの御出陣とはね」
「私だけではありませんよ」
 微笑すると、ミオは振り返った。
 背後の闇の中から、漆黒の鎧に身を包んだ、長い金髪の女騎士が姿を見せる。
「レイ・イジュウイン、か。なるほどね」
 ミスズは身構えた。
 レイは、腰の剣に手を掛けた。が、ミオはそれを制して、ミスズに視線を向けた。
「魔剣FKSを、どこで手に入れました?」
「そんなこと、教える必要があるのかしら?」
 言い返すミスズの言葉に被せるように、ミオは言葉を継いだ。
「現在、この世界には四振りの魔剣FKSがあります。ですが、その4本はいずれも所有者がはっきりしています。確かめたわけではありませんが、そのFKSは4本のうちの1本ではないと思います」
「……」
 沈黙するミスズ。その指示を待つように、微動だにしないコウ。
 その二人をちらっと見て、ミオは自分の考えに確証を持った。
「残る8本のFKSのうち7本は既に破損して失われている。ただ、1本だけ、行方不明になり、失われたと記述されてはいるものの、破損したところは誰も見ていない剣がある。それは、かつて魔王に挑んだ騎士の一人、ジークマイン・アウベンシュタインが使っていた魔剣。彼はその魔剣を失ったと言われていたが、そうではなく、実は魔の者に奪われていた……」
「……ずいぶんとおしゃべりなのね」
 ミスズは肩をすくめ、コウに言った。
「行きなさい!」
「……」
 無言で、コウは血を蹴った。まだミラの血をまとわりつかせた剣を振り上げ、ミオに振り下ろす。
 ガキィッ
 ミオの顔の前10センチというところで、飛び出したレイの剣がそれをくい止めた。ミラの血が、ミオの顔に散り、紅く染める。
「くっ」
 レイは唇を噛んだ。その剣が、ジリジリと押し戻されていく。
「なんて……力……」
「離れて下さい!」
 自分も後ろに下がりながら、ミオが叫んだ。そして、懐に右手を入れ、紙の束を掴み出す。
「そうは、させないわよ」
 笑みを含んだ声に、ミオは思わず振り返った。反射的に符をばらまこうとした右手首が掴まれる。
 いつ移動したのか、そこにミスズがいた。
「邪魔しないで、まずはあの二人の戦いを見ましょうよ」
 彼女は笑ってそう言うと、コウ達の方に視線を向けた。
 すっかりふてくされながらも、縛られていては仕方なく、チハルは説明を続けていた。
「ホワイト族は、特別な力を持っている。それが、『ふゅーじょん』なのよ」
「あの、こあらちゃんになる力のこと?」
 聞き返してから、ミハルははっとして辺りを見回した。
「そういえば、こあらちゃんは?」
 ミハルが『こあらちゃん』と呼ぶ変な動物は、近くの樹にしがみついていたが、ミハルの声に彼女のところに駆け戻ってきた。そしてその肩にしがみつく。
「よかったぁ。迷子になったかと思っちゃったぞ、こら」
 ニヤリと笑うその変な動物の頭を撫でながら、ミハルはチハルに向き直った。
「そもそも、こあらちゃんって何なの? 私、召喚したとき以外こあらちゃん以外のこあらちゃんを見たこと無いんだけど……」
「……ほんっとに何も知らないの?」
 思わず聞き返すチハルに、ミハルはうなずいた。チハルはまだ疑わしげにミハルを見ながらも、説明した。
「コアラはいわゆる霊獣の一種よ」
「霊獣って、この世界と精霊界の両方に存在しているっていうあの霊獣?」
 ミハルは、前にミオに聞いたことを思い出しながら訊ねた。
「ええ、そうよ。ユニコーンやドラゴンやフェニックスと同じ霊獣よ。コアラは霊獣の中でも強大な力を持ち、そしてそれゆえに人間に滅ぼされた……」
「人間に!?」
「ええ。1000年前、魔王様と人間達の戦いのとき、コアラは人間に組みしなかった。かといって、魔王様にも組みせず、あくまでも中立を守っただけだったのに、魔王様との戦いが終わった後、人間達はコアラを、そして私達を滅ぼしたのよ」
「そ、そんな……」
 ミハルは息を飲んだ。
「私達ホワイト族は、遠い昔に交わした契約によって、コアラに認められ、その力を借りることができる。それが『ふゅーじょん』するということなの」
 そこまで言うと、チハルはきっとミハルを睨んだ。
「これでわかったでしょう? 姉さんは私達を、そしてコアラを滅ぼした人間に組みする裏切り者なのよ!」
「ガガーン」
 再度仰け反るミハルであった。
 キィン
 コウのFKSの一撃が、レイの細身の剣を折った。折れた切っ先が、回転しながら空を飛び、ミオの足下に突き刺さる。
「レイさんっ!」
 ミオは思わず叫んで、左手を使って符を投げようとするが、その左手もミスズに掴まれた。
「大人しく見てましょうって言ってるじゃないの」
「……くっ! はっ、離してくださいっ!」
 元々、体力的に劣るミオでは、ミスズの力に対抗する事は出来ない。じたばたともがくが、完全に押さえ込まれていた。
 剣を折られて、飛びすさるレイ。しかしコウの踏み込みがそれよりも早い。
「くぅっ!」
 とっさに、レイは両手を前に突きだした。その手に暗黒の玉が形づくられる。
 彼女は魔皇子として魔王の元に従っていたときに会得していた暗黒魔術を今も使うことが出来る。呪文を用いる事がない分、このようなとっさの対応もできる。
 しかし……。
 ザシュッ
 FKSの一撃は、その暗黒の玉をあっさりと分断し、そしてレイを斬った。
 彼女の身体を覆っていた黒い鎧が左右に割れ飛び、そしてレイは血煙を上げその場に倒れ伏した。
「レイさんっ!!」
 悲鳴を上げるミオ。その背後から、ミスズはコウに命令した。
「とどめを刺しなさい」
「はい」
 コウはうなずくと、FKSを逆手に持ち替え、うつ伏せに倒れているレイの身体に突き刺した。
 ピクンとレイの身体が跳ね、そして動かなくなる。そしてコウがFKSを引き抜くと、赤い血が噴水のように吹き上げた。
「さて、と」
 その様子を言葉もなく震えて見つめていたミオを、ミスズは不意に突き飛ばした。
「っ!」
 たたらを踏んで、体勢を立てなおしたミオの正面に、血刀をひっさげたコウがいた。
「コウさん!」
 コウは、無言でFKSを横殴りに振った。
 ドウッ
 その一撃で、ミオの身体が上下に分かたれた。
 ミスズはくすくす笑った。
「“鍵の担い手”の智将って言っても、大したこと無いわね。ま、肉弾戦に持ち込んだこっちの勝ちってことかしら? ねぇ、コウ?」
「おっしゃるとおりです」
 FKSを一振りして、3人分の血を払い落としてから鞘に納めると、コウは片ひざをついた。
 ミスズは指を折った。
「これで、7人っと。あと残りは、ミハルはチハルに譲るとして、あと5人。楽勝ペースね」
「はい」
「このまま一気にやっちゃってもいいんだけど、あんまり夜遅くまで働いてもお肌に悪いから、明日にしましょうか」
 そう言うと、ミスズは身を翻した。そのまま、闇に溶け込んでいく。
「で、でも、人間だってそんなに悪い人ばっかりじゃないよ」
 ミハルは反論したが、チハルは鼻を鳴らしてそれを一蹴した。
「姉さんは騙されているだけよ。いいように使われて、あとは捨てられるだけだわ」
「そ、そんなことないもん。私、一目ぼれを信じます!」
 手を組んで、瞳をうるうるさせながらあらぬ方を見つめるミハル。チハルはやれやれと嘆息した。
「まぁ、姉さんの気持ちは判ったわ。あくまでも、私達の仲間にはなれないってことね」
「そういうんじゃなくて、みんな仲良く暮らせばいいじゃないの」
「そんなこと、できるわけないでしょう!」
 チハルはそう叫ぶと、フッと笑った。
「ま、茶番はここまでね」
「え?」
 きょとんとするミハル。と、不意にチハルは立ち上がった。
 パサリ
 かすかな音を立てて、彼女を縛っていたはずの縄が地面に落ちる。
「えっ?」
 と、チハルの背後から、“こあらちゃん”そっくりの動物が顔を出してニヤリと笑った。その手の爪が、キラリと光る。
 ミハルは声を上げた。
「その“こあらちゃん”は……」
「ふゅーじょん!!」
 その瞬間、チハルは右手を挙げて叫んだ。光が辺りを包み、そしてチハルのいた場所には変な動物が姿を現す。
「さぁ、三度目の正直、こんどこそ決着付けるわよミハルっ!!」
「……ちょっと待って!」
 ぱっと手のひらを向けてそれを止めるミハル。
「なによっ!?」
「もう一つだけ聞かせて。どうして、今になって私を狙うの?」
 ミハルは、じっとチハルを見つめた。そして、言った。
「あなたの背後にいるのは、誰?」
「そんなの、あなたが知る必要はないわ」
「冥土のみやげに教えなくちゃいけないって決まりがあるのよっ!」
「……まぁ、いいわ。教えてあげる。放浪の旅を続けてきた私とミスズ姉さんを助けてくれたのは、魔王十三鬼にも名を連ねるベネディクトさまだったわ。でも、そのベネディクトさまもあなた達に倒された。それを知って悲嘆にくれていた私達に、憎い敵の正体を教えてくれたのが、ベネディクトさまの弟のクレンスさまだったのよ」
 そこまで一気に言うミスズ。
 ミハルは、魔王の島での激しい戦いを思い出していた。
(ベネディクトって、確かアヤコさんに倒された暗黒神の僧侶……。そっか、その弟が黒幕ってわけなんだ)
「それじゃ、もういいわねっ!」
 高く右手を挙げるチハル。ミハルは言った。
「私からもひとつだけ、いい?」
「何よっ!」
「冥土のみやげを聞かされたときってね、大逆転して勝っちゃうのよ!」
 そう叫ぶと、ミハルは右手の指輪をチハルに向けた。
「遅いっ!」
 チハルは、さっと右手を振り下ろした。たちまち、カラフルな玉がミハルに降り注ぐ。
「あっきゃぁぁぁぁぁぁ」
 情けない悲鳴を上げながら、ミハルはその玉の中に埋もれて見えなくなった。
「……っ!!」
 中庭の惨状に、報せを受けて駆けつけてきたシオリ姫は、口を手で覆った。
「ひ、ひどい……」
「……」
 メグミは言葉を失って、ただムクを抱きしめるだけだった。
 既に騎士団が、惨劇の後を片づけ始めていたが、3人の惨殺された遺体は、そのままに残してあった。
 そこに、サキ達が駆け戻ってきた。
「シオリ姫っ、ミオちゃんたちが……」
 訊ねかけたところで、中庭が視界に入ったサキは、それ以上は何も言わずに3人の死体に駆け寄った。そして顔を上げた。
「復活の祈りを……。まだ間に合うかも知れないわ!」
「うん!」
 ユミもうなずく。もっとも、彼女の場合判ってうなずいたのではなくとりあえずうなずいたという方が正しい。
 ノゾミは顔を上げた。
「よし。あたし、ひとっ走り伝説の樹まで行って来るよ」
 復活の術を使うためには、町外れの丘の上にある“伝説の樹”の枝が必要なのだ。
「お願い!」
「ああ、任せとけ!」
「少々、お待ち下さいませんか?」
 いつものペースで歩いてきたらしく、少し遅れてユカリが中庭に入ってきた。
「ユカリさん、何か?」
 シオリ姫が訊ね返すと、ユカリはいつも細めている目を開いて、中庭を見回してから言った。
「メグミさん。ミオさん達の遺体の精霊を見て下さいませんか?」
「え? あ、はい」
 言われて、メグミは視線をおそるおそる3人の死体に向けた。そして、その目を大きく見開いた。
「精霊が……いない?」
「メグ、どういうこと?」
「……わかんない。でも、普通、そんなことないのに……」
 シオリ姫に聞かれて、メグミは戸惑ったように被りを振った。
 精霊は、自然界にあまねく存在している。例え死体になったとしても、それもまた自然の在りようであり、精霊の支配下にあるわけだから、精霊がいなくなるはずはないのだ。
 確かに死体になってしまえば、生きていた時に較べて遙かに感じられる精霊の数は減少する。並みの精霊使いなら、死体から精霊を感じることはまずない。だが、メグミは精霊王すらも従えるほどの腕であり、たとえ一体でも精霊がいれば見のがすはずはない。
「どういうことなんだい、ユカリ?」
 ノゾミが訊ねると、ユカリは首を振った。
「わたくしにも、判りかねます。ただ、いかにサキさんといえども、復活の祈りをかけても、そのままではお三方は復活しない、ということは言えると思います」
「そんな!」
 サキが、彼女にしては珍しく声を荒くした。
「やりもしないでそんなこと……っ!」
「そうよ。まずやってみて、うまくいかなければ、その時には改めて考えればいいわ」
 シオリ姫が言い、ユカリはうなずいた。
「判りました。ただ、“伝説の樹”には他の方をお使いに行かされたほうがよろしいかと。ノゾミさんがお一人で行かれては、また襲われるかもしれませんし」
「……ああ」
 ノゾミはうなずいた。
「万一、って事もあるよな」
「はい」
 にっこりと微笑んでうなずくと、ユカリはさらに何かを言おうとしたが、その言葉はシオリ姫の悲鳴にかき消された。
「メグ!?」
「え?」
 皆がシオリ姫の方を見て、その隣にいたはずのメグミの姿がないのに気付いた。
「シオリ姫、メグミは?」
 ノゾミが訊ねた。首を振るシオリ姫。
「わからない。今まで確かにいたのに、ふっと消えたの」
「敵の仕業か?」
「……」
 皆は顔を見合わせた。
 シュン
「……?」
 メグミは、いきなり周囲の風景が変わったのに驚いて、ムクをさらに強く抱きしめた。
 強い樹の香りが漂ってくる。だが、その香りは嗅ぎ慣れたキラメキ城の近くの森のものとは明らかに異なっていた。
 そして、周囲は夜の闇に覆われている。
 かつてのメグミなら、それだけでもう恐怖に襲われて身動きが出来なくなっていただろう。しかし、彼女はあの旅を経て強くなっていた。
 大きく深呼吸してから、メグミは目を閉じ、感覚を周囲に飛ばした。場所こそ違っても、そこに存在している精霊には大差はない。
 と、不意に彼女は目を開けて、駆け出した。暗闇だが、もともとエルフは室内のようにまったく光がない状況でなければ、夜でも目が見える。さらに精霊の助けを借りれば、昼と変わりなく行動することが可能だ。
 低く生い茂った木の間をすり抜けて駆ける彼女の目に、やがて奇妙なものが見えてきた。自然界には存在し得ない、原色のカラフルな大きな玉が、無数に転がっている。
「これは、ミハルちゃん?」
 思わず声を上げる彼女。
「誰!?」
 その玉の群の前で、腰に手を当てて玉の方を眺めていた変な動物が、声に気付いて振り返った。
(ミハルちゃん……じゃない!)
 メグミは、抱いていたムクを降ろした。そして、訊ねる。
「ミハルちゃんは、どこ?」
「そっか、あなた、ミハルのお友だちってわけね」
 その変な動物は、ニヤリと笑うと、玉の方を指した。
「遅かったわね。ミハルはあの下よ。もう生きてないわ」
「そ、そんな……」
 絶句するメグミに、その変な動物はゆっくりと近づき始めた。
「まぁ、あなたも運が悪かったと諦めて、あの裏切り者と一緒に死になさい!」
「……」
 メグミは、静かに首を振った。長い栗色の髪が揺れる。
「これ以上、誰も死なせない」
「……ふん」
 その変な動物は、鼻を鳴らして、右手を挙げ、振り下ろす。
 その軌跡に従って、空中にどこからともなくカラフルな玉が現れ、メグミに向かって降り注いだ。
 メグミは、声を上げた。
「風の精霊さん!」
 ビシュビシュッ
 一瞬で、カラフルな玉は粉々に切り裂かれた。風の精霊が巻き起こしたカマイタチによって切断されたのだ。
 破片がメグミに降り注ぐが、彼女の周囲に渦巻く風に散らされる。
 それを見て、変な動物はニヤリと笑った。
「“鍵の担い手”の一人、精霊使いのメグミ・ソーンバウム・フェルドか。姉さんも当てにならないわね、一人で全員やっつけるって言ってたくせに」
「素直に帰ってください。でないと、怪我をしますよ」
 メグミは静かに告げた。変な動物は肩をすくめた。
「ま、いいわ。私の目的は達成したし、あなたは姉さんが殺るって言ってたから、ここは見逃してあげる。じゃあね」
 そう言い残して、変な動物は闇の中に消えていった。
 その気配が完全に消えたのを確認してから、メグミはカラフルな玉の方に向き直った。
「ミハルちゃん、もういいよ」
「……なんだ、ばれてたんだ」
 玉の中から声が聞こえてきた。メグミはにこっと笑った。
「うん。だって、精霊さんが教えてくれたもん。私を呼んだのは、ミハルちゃんだったのね?」
「そうなんだけど……。あの……ね。この玉、どけてくれないかな。重くて動かないのよ」
「うん」
 メグミはうなずくと、しゃがんで地面に手を当てた。そして呟く。
「大地の精霊さん」
「メグミちゃん、お久しぶりぃ! 呼んでくれて嬉しいわぁ」
「きゃぁ!」
 いきなり抱きしめられて、慌ててもがくメグミ。やっとのことで顔を出すと、声を上げる。
「地の精霊王さんっ!?」
 メグミを抱きしめている緑色の髪の女性こそ、大地を司る精霊を統べる精霊王であった。なぜかメグミの事がお気に入りらしい。
「あの、わ、私、精霊王さんじゃなくて、大地の精霊さんを……」
「あーら、大地の精霊は私自身よ。それじゃ、今夜はこのまま……」
「こぉの、すかたぁん!!」
 ぱっこぉん
 いきなり後ろから殴られて、振り返る地の精霊王。
「痛いわねぇ。せっかく人が愛を確かめ合っているっていうのに」
「何が愛よ、何が」
 白い服をまとった少女が、腕を組んでいた。彼女は地の精霊王の腕を引っ張ってメグミから引きはがすと、メグミに頭を下げた。
「いつもすいません」
「い、いえ……」
「ったく、いいところだったのにぃ」
「喧しい」
 ピシャリと言う少女。無論、地の精霊王に対してこんな口を叩けるのは、同格の力を持つ者だけである。
 この白い服をまとった少女こそ、風の精霊王なのである。
 風の精霊王は、メグミに向き直った。
「それで、用事とは何でしょうか?」
「あ、はい。あの、あの玉をどかして欲しいんですけど……」
「お安い御用です」
 少女はにこっと笑うと、片手でくるっと円を描いた。と、いきなり竜巻が起こり、玉を大空高く吹き飛ばしてしまった。
「それでは。ほら、帰るわよ!」
「ひぃーん。メグミちゃん、また今度ねぇ〜」
 二人の精霊王は姿を消した。メグミは大きくため息を付くと、玉が吹き飛ばされた方を見た。
 ……何もない。
「ああっ! ミハルちゃん、どこぉ!?」
「……ここぉ」
 上の方からか細い声が聞こえた。メグミが頭上を見上げると、大きな木の枝に引っかかったミハルの姿が見えた。
「きゃぁ! ミハルちゃん!」
「お願ぁい、降ろしてぇ〜」
 やっとのことで地上に降りたミハルは、そこでメグミから、“鍵の担い手”が次々と殺されたこと、そして殺したのはコウであることを聞いて、がく然とした。
「そ、そんな……。コウさんが……」
「私も、まだ信じられない。でも……」
 メグミは、自分で目の当たりにしたミオ達の死体を思い出して、涙ぐんだ。
 ミハルは、立ち上がった。
「私、コウさんを呼ぶ。呼んで確かめる!」
「ま、待って!」
 そのまま指輪を掲げようとしたミハルの腕を、メグミが抱え込んで止めた。
「メグミちゃん?」
「コウさんは操られてるだけ。操っている人をなんとかしなくちゃ……」
「操ってる……人。もしかしたら……」
 ミハルは腕を降ろして呟いた。
「何か心当たりがあるの?」
「うん……。実はね」
「そのクレンスってやつが黒幕なんじゃないかなって思うんだ。チハルって、ああ見えてそんなに悪い娘には見えなかったし、多分ミスズって方もそうだと思う」
 ミハルは、チハルの話をメグミに伝えて、最後につけ加えた。
 メグミは、ムクを抱きしめて考え込んでいた。そして、顔を上げる。
「でも、今は私とミハルちゃんだけで動いても駄目だと思う。みんなの所に戻らないと……。それで、聞きたいんだけど……」
「うん、何?」
「ここ、どこ?」
「……」
「……」
 ヒュー
 風が、二人の間を吹き抜けていった。
「……これで、残る“鍵の担い手”は5人です」
 ミスズが言うと、声が返ってきた。
「そうか、5人か……」
「いえ、4人よ」
 不意に声がした。かと思うと、チハルがその場に姿を現す。
「ミハルは、死んだわ」
「本当に? まさか、討ち漏らした、なんてことないでしょうね?」
「そんなはず無いわよ」
 チハルは肩をすくめた。
「あれを受けてまだ生きてるなんて、有り得ないわ」
「とすると、残りは、サキ・ニジノ、ノゾミ・キヨカワ、メグミ・ソーンバウム・フェルド、ユミ・サオトメというわけか」
 声は呟いた。ミスズは一礼した。
「すぐに片づけてご覧に入れます」
「うむ。“鍵の担い手”を全て倒せば、その時はお前達が人間に復讐するのを妨げる者は誰もいなくなる。その時こそ、お前達の大願が成就するのだ」
「御協力に感謝します」
 ミスズは、さらに深々と頭を下げた。
 そのミスズの後ろで、チハルはじっと声の主を見つめていた。
「……私が、やるわ」
 キラメキ城の中庭。
 メグミが不意に消え(実はミハルが召還したのだが、そのようなことは知る由もなかった)、悄然としていたシオリ姫が、不意に顔を上げて言った。
「シオリ姫様? ……まさか」
 ノゾミが、小さく叫んだ。
「まさか、ご自分で、コウを!?」
「……」
 無言で、シオリ姫は頷いた。
 サキが息を飲む。
「姫さま!」
「……これ以上、コウくんに罪を重ねて欲しくないの。それぐらいなら、私が……止めるわ」
「でも……」
 ノゾミは口ごもった。確かに、文武両道で近隣諸国にもその名を知られるシオリ姫だが、相手は“勇者”であるコウだ。
 シオリは、静かに拳を握り締めた。
「まさか!」
 ユカリが、不意に目を見開いた。
「あの、力を……?」
「ええ」
 シオリは、月を見上げて、静かに告げた。
「私の力を……。キラメキ王家に伝わる、魔王の血の力を使うわ」
 キラメキ王家に伝わる魔王の血の力。それは、魔王……破壊を司る神の力の半分である。かつて、魔王がシオリ姫を誘拐したのは、その力を取り戻そうとしたからだった。
 そして、魔王が滅んだ後も、残る半分の力はシオリ姫の体の中に残されたままなのだ……。
 その頃……。
 大神殿のもっとも奥、以前は“聖なる樹”があった、聖所と呼ばれる場所で祈っていた大神官シナモン・マクシスは、不意に顔を上げた。
「……今のは、神託なのですか、神よ……」
 彼は、皺だらけの顔の奥で、目を見開いた。
 神託、それはすなわち神からの直接のメッセージ。絶対に外れることのない預言であり、大神官である彼しか神から受け取ることができないものだった。
 かつて、コウを勇者として選んだのも、この神託だったのだ。
 そして、今回の神託は、しかしシナモンにも理解しがたい内容であった。
 しかし、シナモンはそれ以上は何も神に対しては問いかけなかった。その代わりに、立ち上がると手を打った。
「何事でございますか、大神官様」
 すぐに、控えていた高僧が姿を見せた。シナモンは、いつもは柔和な笑みを浮かべている顔を緊張にこわばらせながら、告げた。
「神よりのお言葉を賜った」
 その言葉に、高僧達も緊張する。なにせ、前回の神託は勇者を選び、世界を救ったのだ。今回もそれに匹敵するような大事に違いない、と思ったのだ。
 シナモンは、彼らに何事か指示を下した。そして、最後に付け加える。
「そして、このことを知られてはならぬ者がおる。彼女には、知られぬように、との神のご意志だ」
 一瞬、怪訝そうな表情を浮かべつつも、聖職者達にとってはとどめとも言える“神のご意志”を持ち出され、高僧達は頷き合い、走り去った。
 彼は、一度振り返り、中空を見上げた。
「勇者よ、そしてそを慕いし者達よ。許してくれ。お主らに手を貸すことが出来ぬ、愚かなこの老いぼれを……」
「姉さん」
 回廊を歩いていたミスズは、後ろから駆け寄ってきたチハルの声に、足を止めた。
「どうしたの、チハル?」
「……」
 ミスズの後ろには、影のように、コウが従っていた。
 それをちらっと見てから、チハルは言った。
「姉さん、本当に人間を滅ぼすの?」
「は?」
 一瞬きょとんとし、それからミスズはくすっと笑った。
「何を今更言っているの? それが、私達ホワイト族のさだめなのよ」
「……そうよね。ごめんなさい、変な事言って。私、疲れてるのかもね」
 自分の頭をこつんと叩いて、チハルは苦笑した。
 ミスズは、そんなチハルの頭をくりっとなでた。
「まぁ、あとは私に任せときなさいって」
「……うん」
 チハルは頷いた。

《続く》

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