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それはそよ風のごとく 第27話
綾香対坂下
「それまでっ!」
審判の声に、坂下は構えを解いて一礼する。
「やっぱり、坂下さん強いよね、浩之ちゃん」
「ああ」
これで、相手の副将まで倒して、坂下の連勝記録は16、と。
「すごいですね〜」
俺の足下にちょこんと座ったマルチが、感心したように、一旦試合場からさがる坂下を見送っていた。
「あれ? マルチって坂下を知ってたっけ?」
「ええと、綾香さんから話には聞いたことありますよ」
振り返って答えるマルチ。
「そっか。さて、このまま大将戦も勝ってしまうと、いよいよ次は綾香と、だな」
審判に呼ばれて、試合場に入る坂下。その反対側に、向こうの大将が進み出てくる。
俺は、坂下の後ろに控える葵ちゃんに視線を向けた。
多分、自分の出番はないだろうに、それでも緊張した面もちで坂下の背中を見つめている。
ま、緊張って言っても、あのガチガチになって実力の片鱗も見せられないまま終わるような悪い緊張じゃないようだ。いわゆる、自分のテンションを高める、いい緊張ってやつにみえたのは、その表情に自信のようなものが透けて見えたからだ。
「あ、始まるよ、浩之ちゃん」
あかりの声に、俺は試合場に視線を移した。
「始めっ!」
主審のかけ声と共に、坂下と相手は同時に飛び出した。
準決勝が終わり、決勝戦が始まるまでしばらく休憩時間が入った。
ちなみに、準決勝の結果は、やっぱり坂下の勝ちだった。
もしかしたら、あれでわざと負けて、綾香戦に備えて体力の温存を図ると同時に、葵ちゃんに試合慣れさせるかな、とも思ったんだが。
まぁ、そういう融通の利かないあたりが坂下らしいって言えば坂下らしいのかもしれないな。
「よし」
俺は立ち上がった。
「あかり、マルチ、俺はうちの学校の控え室に行ってみるけど、どうする?」
「あ、私も行くよ」
「えっと、私は、そのぉ」
マルチは俺と芹香先輩をきょろきょろと見比べて、困った顔をした。
そういえば、マルチって今は芹香先輩のメイドロボなんだよな。主人のそばを勝手に離れるわけにはいかないってことか。
俺は苦笑して、芹香先輩に尋ねた。
「芹香先輩、ちょっとマルチを借りていっていいか? え? かまいませんって? サンキュ。そうだ、先輩も来るか?」
それに先輩が答えるよりも先に、後ろにいたセバスチャンが大声を出した。
「かーーーーっっ!!!」
「うわっ、びっくりしたなぁ。なんだよ?」
「藤田殿、確かにご学友を激励しに行くのは止めませぬが、彼女らが戦う相手が綾香様であることをお忘れなきよう」
セバスチャンはそう言うと、芹香先輩に視線を向けた。
そっか。自分の妹と戦う相手のところに行くっていうのも変だよなぁ。
「そうだな。悪い、先輩」
俺が謝ると、先輩はふるふると首を振って、「ごめんなさい」と付け加えた。ううっ、やっぱり可愛いなぁ。
「浩之ちゃん、ほら行くよっ!」
「うわっ、あかり引っ張るなっ!」
トントン
「ちわーっす」
ノックをして控え室に入ると、張りつめた緊張感が溢れていた。
坂下は、ベンチに腰掛けて目を閉じている。どうやら精神集中をしてるようだ。
そして、葵ちゃんはというと、俺の姿を見て駆け寄ってきた。
「先輩、来てくださったんですか?」
「ああ、トレーナーとしちゃ、試合直前のチェックも欠かせないってとこだ」
「はいっ」
笑顔で頷く葵ちゃん。俺はその二の腕をぎゅっと掴んでみた。
「よし。余計な力も入ってないようだな」
「大丈夫です」
こくりと頷くと、葵ちゃんは俺の目をじっと見つめた。
「先輩が教えてくれた、いろんなこと。それを全部、綾香さんにぶつけるつもりで行きます!」
「おう」
心配無用、か。たくましくなったな、葵ちゃんも。
俺は、なんかほっとしたような寂しいような妙な気分で、葵ちゃんから離れた。
「じゃ、俺は行くけど、ずっと試合、見てるからさ」
「はいっ。悔いが残らないようにします!」
「よしっ!」
俺はちょっと乱暴に葵ちゃんの髪をくしゃっとかき回して、背中をパンと叩いた。
「頑張れよっ」
「はいっ」
葵ちゃんは笑顔で頷いた。
俺達がアリーナ席に戻ったのは、ちょうど決勝戦が始まろうとしている頃だった。
「ったく、あかりが道に迷うからだぞ」
「ううっ、ごめん。お昼はちゃんと戻れたんだけど……」
「す、すみませーん。私にGPS機能が付いていれば……」
……というわけで、だ。
「ま、試合には間に合ったからいいか」
俺は席に腰を下ろして、腕組みした。
予想通り、先鋒戦は綾香がうちの先鋒を秒殺して、連勝記録を21に伸ばした。そして、いよいよ綾香と坂下の因縁の対決が実現した。
試合場に進み出る2人。
綾香は自然体。笑みさえ浮かべているように見える。一方の坂下は、唇を引き結んで、全身から闘気を発散させているかのようだ。
これまで全勝同士の対決とあって、場内も固唾を飲んで2人を見守っている。
2人は互いに一礼して、身構えた。
審判が手を振り下ろす。
「始めッ!!」
その瞬間、綾香が踏み込んで、鋭い正拳突きを放つ。だが、坂下はそれに合わせてカウンターの蹴りを放った。
いや、綾香のはフェイントだ。坂下がカウンターの蹴りでくると読んでいて、伸ばした手をそのまま肘打ちに変えてその足に落とす。が、坂下もそれを悟って、軸足を滑らせてそれをかわし、身体を反転させながら裏拳を放つ。
綾香はそれを身をかがめて避けると、すっと下がって間合いを取った。
……この間、わずか1秒足らず。
さすが、ハイレベルだぜ。
2人は間合いを取って、じりじりと円を描くように回りつつ、互いに相手の隙をうかがっていた。
やがて、今度は坂下が出る。身をかがめてのローキックを綾香が軽くジャンプしてよけ、そのまま上から拳を繰り出す。
ガッ
それを右腕で受けた坂下が、今度はハイキックを放つ。が、綾香はスウェイしてかわす。っていうか、あれをかわすか、普通?
かわされた坂下は、さらに間合いを詰めて左右のコンビネーション。だが、綾香に届かない。坂下が前に出る以上のスピードで綾香が下がってるんだ。
と、不意に綾香がダッキングで右に飛んだ。一瞬、坂下の視線もそちらに流れる。
スパーン
右に飛んだ綾香が身体を捻って、大きく左からの回し蹴りを放っていた。右に注意が逸れた瞬間に、死角になった左から蹴りが飛んでくるわけだ。
だが、坂下はそれをとっさに右腕でブロックしていた。それでもバランスをわずかに崩す。
その隙を見逃す綾香じゃない。すすっと間合いに滑り込むように入ると、襟を掴んで投げ飛ばす。
いや、投げ飛ばそうとしたのだが、坂下はそれをこらえていた。そして後ろから綾香の足を払う。
今度は綾香がバランスを崩しかけ、大きく足を広げて踏ん張った。振り向きざまに裏拳を放つが、坂下も両腕でそれをブロックし、下がる。
そこで2人は申し合わせたように、一瞬だけ力を抜いてから、気合いを入れ直し身構えた。
「なんか、すごいね……」
あかりが、呟く。
俺は頷いた。
「確かに……」
それ以上、言葉を続ける暇がなかった。今度は坂下が綾香に攻め込んでいた。
フェイントから入る左右のコンビネーションに、ローキックが混じる。だが、綾香はどれも完全にブロックし、かわしていた。
坂下の攻撃が、一瞬止まった間隙を突いて、今度は綾香が反撃に出る。ほぼ坂下のと同じパターンの攻撃だが、スピードが明らかに違う。早かったり遅かったり、……多分、綾香が意図的にリズムを崩してるんだ。
何発かが入るが、でもどれもそれほどダメージにはなっていないように見える。坂下もタフだからなぁ。
めまぐるしく位置を入れ換えて、2人の打ち合いは続いた。
「……妙ですな」
不意にセバスチャンが呟いた。
俺は試合を見つめたまま、言った。
「やっぱり、じじいもそう思うか?」
「ほぉ。藤田殿でも気付いたとなると、やはりそうなのですな」
「うるせぇ」
俺は小声で毒づいた。
そう、あきらかに妙だった。綾香が。
「綾香お嬢様の攻撃の速度が、落ちておりますな」
「ああ」
頷くと、俺は答えた。
「疲れが出てきたか?」
「そうですな。朝から連戦ですからな」
確かに、午前中の試合に比べると、その速度が鈍っているように見えた。
コンビネーションも、本当は10発続くところを8発で止めたりしている。
今も、途中でコンビネーションを中断して、後退している。
と、坂下がその隙をついて前に出た。反射的にパンチを出す綾香。
その腕を、坂下が掴んで、そのまま蹴る。
俺とセバスチャンは同時に呟いた。
「入った?」
「入りましたな」
綾香の表情が一瞬歪んだように見えた。
そのまま、坂下がラッシュに入る。このまま一気にKOまで持っていく気だ。
だが。
「……さすが、綾香お嬢様ですな」
「ああ」
ふらっとよろめくように、坂下が後退する。
その瞬間だった。綾香が坂下の懐に飛び込み、そして綺麗なハイキックを放つ。
むしろあっけないほどに、坂下はそのまま倒れた。
「ひ、浩之ちゃん? 何があったの?」
「私もわからないです〜」
首を捻るマルチとあかりに、俺は説明した。
「ダウンを喰らう前に、坂下が綾香にラッシュを仕掛けただろ?」
「らっしゅ?」
「えーと、要するに一方的に殴る蹴るしたことだ」
「あ、うん。でもその後坂下さんがよろめいてたよ」
「そこだな、ポイントは。綾香の奴、ラッシュを受ける振りをして、それに全部カウンターを当ててたんだ」
「綾香さん、すごいですーー」
マルチが感心したように言って、それから俺に尋ねた。
「それで、浩之さん。かうんたーってなんですか?」
……やれやれ。
「セバスチャン、説明は任せる」
「承知いたしました。よろしいですかな、マルチ殿。そもそもカウンターと申しますのはですな……」
俺はセバスチャンの言葉に真剣に聞き入るマルチから、視線を試合場に移した。
試合場では、綾香が坂下を引っ張り起こしているところだった。
綾香が笑顔で何か言い、坂下は妙にサッパリした顔で、肩をすくめると、自分の席に戻っていく。
そして、その途中で葵ちゃんとすれ違い、肩をぽんと叩いた。葵ちゃんはこくりと頷き、前を睨んだ。
そう。その瞳には綾香の姿が写っている。
いよいよ、この時が来たんだ。
試合場に進み出る、綾香と葵ちゃん。
あかりが俺に囁く。
「いよいよだね」
「……ああ」
俺の声はしわがれていた。ごくりと唾を呑み込んで、答える。
「いよいよだ」
一礼する両者。
緊張が、目に見えて高まる。
そして、審判が叫んだ。
「始めっ!」
《続く》
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あとがき
それはそよ風のごとく 第27話 00/3/2 Up