それは、ある金曜日の放課後のことであった……。
《続く》
「さて、今日の成果はこんなもんかな」
メモをポケットにしまい込み、好雄は下駄箱で靴をはきかえていた。
「……ん?」
彼はふと、顔を上げて、のたのたと靴をはきかえている見慣れたポニーテールを見つけた。
「よ、優美。クラブじゃなかったのか?」
「……お兄ちゃん……」
見るからにしょんぼりした優美に、好雄は慌てて妹のそばに駆け寄った。
「どうしたんだ?」
「あのね、お兄ちゃん……」
優美はうなだれたまま呟いた。
「……なんでもないよ」
「……そっか」
好雄はその肩を優しく叩いた。
「帰ろう」
「……うん」
兄妹が校門にさしかかった時、手持ちぶさたにキョロキョロしていた少女が彼らを見つけて快活に手を振った。
「やっほー! ヨッシー、優美っぺ!」
「朝日奈、どうした?」
好雄が聞き返すと、夕子は駆け寄ってきた。
「あのね、公くん見なかった?」
「公のやつなら、もうとっくに帰ったぜ」
「あっちゃぁー、やられたぁ」
夕子はオーバーアクションで額をぺちっと叩いた。それから優美の様子に気付いて、小声で好雄に尋ねる。
「優美っぺ、どーしたん?」
「さぁ」
好雄は肩をすくめて、俯いてる優美にちらっと視線をやった。
「んー。ま、いっかぁ。時間も空いちゃったし」
夕子は呟くと、優美に駆け寄った。そして、その肩をポンと叩く。
「優美ちゃん、今から時間あるっしょ?」
こくんと頷く優美。
夕子はにこっと笑った。
「んじゃ、ちょっとお茶して帰ろ!」
「お待たせぇ!」
ファーストフード店の2階席。トレイにハンバーガーやらチキンナゲットやらフライドポテトやらを大量に乗せて、夕子は階段を駆け上がってきた。
好雄が呆れ顔で呟く。
「よくもまぁ、そんなに食えるなぁ」
「ほっとけ」
「ぎゃ」
好雄の爪先を思いきり踏みつけながら、夕子は優美の隣に腰を下ろした。それからその肩に手を回して訊ねる。
「んで、どーしたん? お姉さんに言ってみそ」
「でも……」
「この朝日奈夕子さんにどーんと任せなさい!」
「余計に任せ……!!」
何事か言いかけた好雄は、すらりと伸びた爪先に弁慶の泣き所を蹴り飛ばされて、二人の反対側の長椅子の上でのたうっていた。
それを無視して、夕子はにこにこしながら優美に迫った。
「さ、言ってみそ。悪いよーにはしないからぁ」
「実はね……」
優美はまだしょんぼりしながら話し始めた。
「優美ね、主人先輩にお弁当作って行ったんです。でも……」
「何!? 主人のやつ、優美の弁当受け取らなかったのか!?」
いきなり好雄が復活して、テーブルをドンと叩いた。弾みでフライドポテトがバラバラとテーブルにこぼれる。
優美は首を振った。
「ううん。先輩、ちゃんと食べてくれたんれす。でも、後で優美がね、味見てみたら……」
優美はひくっとすすり上げた。
「とってもまずかったの……」
「だから、あれほど、味見しなくてもいいのかって、昨日言ったろうに……」
好雄は小声で呟いた。
「先輩、きっともう優美なんて嫌いになっちゃったんだ。うわぁーん!!」
優美は机に突っ伏して泣き出した。
「わわぁっ!」
そのために落ちかけたトレイを慌ててキャッチすると、夕子はそれを好雄に渡した。
「ヨッシー、これ」
「おい、でも……」
「まぁまぁ、任せとき」
そう言うと、夕子は優美のポニーテールをちょんちょんと引っ張った。
「泣くな泣くな。あの沙希だって最初から上手かったわけじゃないし」
「だってだってぇ」
優美は突っ伏したまま頭をぶんぶん振った。
「先輩だって絶対料理が上手い娘の方がいいに決まってるもん!」
「そりゃそう……ぎゃ!」
また爪先を踏んずけられて泡を吹く好雄を後目に、夕子は言った。
「んなことないって」
「そんなことあるもん! 朝日奈先輩はお料理できないからそんな事言えるんだぁ!」
「あ、莫迦にしたなぁ! この朝日奈夕子にお料理ができないだと?」
「じゃあ!」
不意に優美ががばっと顔を上げた。
「朝日奈先輩は料理が上手いんれすね」
「え? あ、そ、それはぁ……」
はっと気付いた夕子は、後ずさりする。
「それじゃ、優美とどっちが上手いか、勝負れすっ!」
優美は、フライドポテトを飛ばしながら、ぴっと夕子を指さした。
「な、なにかなー、優美ちゃん」
冷や汗をかきながら聞き返す夕子。
「来週の月曜日、主人先輩にお弁当食べてもらって、どっちが美味しいのか決めるんれす!」
「あ、そーだ。あたし、来週の月曜日は頭が痛くなるのよぉー」
「ばっくれてもだめれすからねっ!」
そう言うと、優美は手元にあったハンバーガーの紙を破って、中の照り焼きハンバーガーをむしゃむしゃと食べ始めた。
「あ、あの、もしもし?」
「やふふぉふへふはらへ(約束ですからねっ)」
「……あ、やっぱし」
がっくりと肩を落とすと、夕子は頭の中で呟いた。
(ぶっちしちゃおう)
と。
「夕子、頼むぜ」
今までの復讐とばかりに、満面笑みの好雄がそこにいた。
「あーん、もう。わかったわよぉ」
夕子は半泣きになりながら頷くしかなかった。そうしないとそこから帰れそうになかったからだ。
翌日、土曜日の放課後。
「……と、ゆーわけなのだ。頼む。教えてちょーだい」
夕子は沙希の前で手を合わせて頭を下げていた。
沙希はにこにこしていた。
「そっかぁ。ひなちゃんもやっとお料理に目覚めたのね」
「違うわい! 何を聞いてたのよ、あんたはっ!」
「ま、いいけどね。それじゃあ……」
まるでゆかりのように目を細めた沙希に、夕子はただならぬ気配を感じて後ずさりしようとした。
その手首ががしっと掴まれる。
「さ、沙希?」
「特訓よ! 特訓!!」
沙希は立ち上がると、叫んだ。
ドッパァァン 彼女の背後で荒波が砕けるのが、夕子には見えた。
「は、はぁ……。お手柔らかに……」
そう言いながらも、内心「これはミスったかなぁ」と思う夕子だった。
「そう決まったら、早速タイヤを引いてグラウンド30周よ!」
「料理と何の関係があるんじゃぁ!!」
さて一方、優美はバスケ部の部室で奈津江を掴まえた。
「鞠川せんぱーい! お料理教えてくらさい」
「へ?」
思わずスポーツドリンクのボトルを取り落とす奈津江。
「ゆ、優美ちゃん?」
「奈津江先輩、いつも勝馬に愛の手料理をぶっ!」
「やっだぁー! 何を言ってるのよ、優美ちゃんはっ!」
そう言ってから、奈津江は慌てて床に倒れている優美を抱き起こした。
「ちょっと、優美ちゃん! 大丈夫?」
「だ、大丈夫れす」
いきなり頭をダンクシュートされた優美は、床にぶつけた鼻を押さえながら起き上がった。
「とにかく、教えてくらはい」
「それはいいけど……、なにかあったの?」
「うん、実はね……」
優美は、夕子との話を奈津江にした。
「でも、優美やっぱり料理下手だからね、誰かに教えてもらおうと思ったの。ほら、奈津江先輩はいつも勝馬に愛の手料理ぶっ」
「違うって……言ってるでしょう!!」
どべしぃっ 派手な音がした。
ちょうど部室に入ってきた詩織が思わず手を叩いていた。
「鞠川さん、見事なUFOダンクシュートね。もう私の教えることはなにもないわ」
「ひー、お腹が苦しいよぉぉ」
「恵ったら、そんなに笑うこと無いじゃないの」
赤くなって奈津江が恵を睨んだ。
「ごっ、御免なさい。くくく」
恵は体をくの字に曲げて笑い続けた。
「ま、とにかく……」
詩織はこほんと咳払いした。その詩織にしても、目の端に涙が溜まっているところを見ると、相当笑っていたようだ。
「優美ちゃんはお料理を習いたいのね?」
「はい、そうれす」
こちらは、鼻に大きな絆創膏を張った優美。
「だから、毎日勝馬に愛の手料理……」
言いかけて、咄嗟に奈津江の手をかわす優美。
詩織が拍手する。
「綺麗なダッキングね、優美ちゃんも上達したわ」
「詩織、何を見てるのよ」
呆れたように奈津江は呟くと、腰を下ろした。
「とにかく、私は構わないわよ、優美ちゃん」
「わーいわーい。これで優美は勝ったも同然れすね!!」
優美はぴょんぴょん跳ねて喜んだ。
恵が詩織に耳打ちする。
「噂だとね、朝日奈さんは虹野さんをコーチにつけたみたいよぉ」
「どっちが勝つか、興味あるわね」
囁き返す詩織。
優美はその二人に言った。
「それじゃ、優美は今日は帰りますね」
「え? ええ、いいけど……」
「じゃ、鞠川先輩、行こうよぉ!」
優美は奈津江の袖を引っ張って部室から出ていった。
さて、この夕子と優美のお料理対決、如何なります事やら。
続きは次回の講釈で。