喫茶店『Mute』へ 目次に戻る 前回に戻る 末尾へ 次回へ続く
鳴瀬真奈美ちゃん……。
お兄ちゃんや菜織ちゃんと同じ歳で、小さな頃、近所に住んでいた、簡単に言えば幼なじみです。でも、もう何年も前に引っ越してしまって、それからずっと連絡しあうようなこともなかったんです。
その真奈美ちゃんが、どうしてここに?
「ああ、さっきのシャトル、“ヤンジーケイン”から脱出してきたんだよ、真奈美ちゃんは」
私の表情を読み取ったお兄ちゃんが答えてくれました。
菜織ちゃんが、手にした箒でパシンとお兄ちゃんを叩きます。
「ほら、正樹も真奈美も外に出た出た。診察の邪魔よっ」
「あ、うん。ごめんね、菜織ちゃん。乃絵美ちゃん、また後でね。行こ、正樹くん」
「ああ。菜織、乃絵美に変なことするなよ。乃絵美、何かされたら大声上げろよ。すぐに行くからな」
お兄ちゃんが優しく私に言ってくれました。でも……。あ、菜織ちゃんが……。
「くぉのエロエロ唐変木っ!! さっさとでてけぇっ!!」
お兄ちゃん、菜織ちゃんに追い出されちゃいました。
ピピッ
私の胸に当てていた装置の表示を見て、菜織ちゃんは頷きました。
「うん、体温血圧ともに正常、と。胸部に軽い打撲、ってところかしら。今治療するからね」
さっき、挟まれちゃったときのことでしょう。
「……菜織ちゃん」
「うん、どうしたの?」
医療用トリコーダーをしまって、代わりに治療器を取り出しながら、菜織ちゃんが聞き返します。
私はちょっと躊躇ってから、それでも聞かずにはいられませんでした。
「どうして、真奈美ちゃんがあのシャトルに乗ってたのか、菜織ちゃんは知ってるの?」
「さぁ。あたしもまだ詳しい話は聞いてないからね。だけど……」
菜織ちゃんは戸棚を開けながら呟きました。
「偶然、とは思えない……」
「菜織ちゃん……」
「ま、そこんとこは真奈美に聞けばすぐに判ることだしね」
いつもの明るい口調で言うと、菜織ちゃんは手にした機械をひっくり返して、舌打ちします。
「うう、これ最新型じゃないの。使い方よくわかんないわ。しょうがない……」
菜織ちゃんはそれを棚にしまい込むと、赤い十字の印のついた箱を出しました。そして私の方に向き直ります。
「湿布張ってあげるから、脱いで」
「……えっ?」
とりあえず私の治療が終わって、私と菜織ちゃんはブリッジに戻りました。
シュン
ドアが開くと、私はブリッジを見回しました。あら、お兄ちゃんがいない……。
菜織ちゃんも首を傾げました。
「あら? 正樹も真奈美もいないわね……」
と、冴子さんが私たちに気付いて振り返ると、私に声を掛けてくれました。
「お、乃絵美。大丈夫だったのか?」
「あ、はい。御心配おかけしました」
ぺこりと頭を下げると、冴子さんは笑って言いました。
「ま、乃絵美はあたしらみたいに、対G訓練受けてるわけじゃねぇんだから、無理すんなよ」
ぶっきらぼうだけど、ちゃんと私のこと心配してくれてるんだな、と判ります。
「はい、ありがとうございます」
もう一度頭を下げると、冴子さんはため息を付きます。
「……ったく、この素直さの120分の1でもミャーコにあればなぁ」
あら、そういえばミャーコさんもいません。
菜織ちゃんは冴子さんに訊ねました。
「サエ、正樹達は?」
「ああ、正樹ならさっきの女……鳴瀬っていったっけ? あいつに艦内を一通り案内するって一緒に出て行ったぞ。ミャーコのやつなら、多分その鳴瀬に取り憑いてんじゃねぇの?」
「と、取り憑いてるんですか?」
穏やかじゃない言葉なので、思わずびっくりして聞き返してしまいました。
菜織ちゃんが笑いながら説明してくれます。
「あ、そういう意味じゃないのよ。ほら、ミャーコって新しもの好きでしょ? だから、誰か新しい人が来たら、すぐにその人に引っ付いていろいろと話を聞きたがるのよね」
「ったく、なんであんなのが士官学校に来たんだか……」
肩をすくめる冴子さん。確かに、ミャーコさんって軍人さんよりジャーナリストの方が似合いそうです。
と、背後のドアが開いて、お兄ちゃんと真奈美ちゃん、ミャーコさんが入ってきました。
「なんだ、乃絵美もこっちに来てたのか。捜したぞ」
「あっ、ごめんなさい、お兄ちゃん」
「いや、悪いのは菜織だからいいんだ」
「なんであたしなのよっ! ったく、もう」
膨れる菜織ちゃんを見て、真奈美ちゃんがくすっと笑います。
「あ〜、真奈美まであたしを笑うのね〜」
「あ、ごめんなさい。でも、なんか変わらないなぁって思って」
微笑むと、真奈美ちゃんは冴子さんにぺこりと頭を下げました。
「田中さん、でしたね。改めまして。鳴瀬真奈美です」
「お、おう。あ、あたいは……」
冴子さんが自己紹介仕返そうとしたときでした。不意にアラームが鳴ったかと思うと、正面にスクリーンが開きました。
艦長登録完了
いらっしゃいませ。ようこそセント・エルシアへ
「……は?」
全員が目を丸くしました。
いち早く我に返ったミャーコさんが、通信士の席に滑り込んでキーボードを叩きました。そして、奇声を上げます。
「うひょぉ」
「なんだ、どうしたんだよっ、ミャーコ!」
冴子さんの声に、ミャーコさんは目を丸くしたまま振り返りました。
「真奈美ちゃんが、艦長に登録されたぴょん」
「なんだとーっ!!」
「サエちゃんも見てみる?」
そう言って、ミャーコさんが目の前に開いているスクリーンを指でぴん、と弾きました。思わずのけぞる冴子さん。
「わわっ! ミャーコ、それやめろって言ってるだろっ!」
「にゃはは」
ミャーコさんの笑顔に、冴子さん、それ以上文句を言う気を無くしたらしく、目の前のスクリーンに映っている乗員名簿を見ます。
「……ホントだ」
「えっ? えっ?」
まだ事態を理解できないみたいで、真奈美ちゃんはきょろきょろしています。
「ま、正樹くん、何があったの?」
「……どうやら、この艦の艦長は真奈美ちゃんになっちまったらしい」
お兄ちゃんも、まだ半信半疑ながらそう言いました。
「ええっ? わ、私が? どうして?」
「ま、まぁまぁ。別にコンピュータに勝手に艦長にされたからって、なにも本当に真奈美が艦長しなくてもいいんじゃない?」
菜織ちゃんが言いました。冴子さんも大きく頷きます。
「そ、そうだよな。あんだよ、焦らせんなよ」
と、その時でした。
不意に警報が鳴り響きます。
「な、なに?」
「敵か? 乃絵美っ!」
「あ、はいっ」
お兄ちゃんが躊躇い無く私の名前を呼んでくれた。私を頼りにしてくれてるんだ。
私はオペレータ席に滑り込むと、レーダーサイトを開きました。
「前方に大型船の船影を捉えました」
「もしもーし、こちらは連合宇宙軍所属、戦艦“セント・エルシア”だよーん。お返事無いと敵だって決めちゃうからね〜」
ミャーコさんがインカムを付けて話しています。……いつもながら、本当にああいうしゃべり方でいいんでしょうか?
「菜織、エンジン出力は?」
訊ねながら艦長席に座ろうとしたお兄ちゃん。と、いきなりビーッと警報が鳴ります。
「な、なんだ?」
キョロキョロ見回すお兄ちゃん。もう一度座ろうとすると、また警報が鳴りました。
「正樹、うるさいわよ」
「俺だって好きで鳴らしてるんじゃねぇぞ、菜織! ったく、どうなってんだ?」
あ、これは……。
「……お兄ちゃん、そこ、真奈美ちゃんしか座れなくなっちゃってるみたい」
「ええっ? わ、私?」
自分を指す真奈美ちゃん。私は頷きました。
「今調べたの。艦長がブリッジにいるときは、艦長以外はそこに座れないっていう風になってるの」
「で、でも、私は……」
「もう、ゴチャゴチャ言ってる場合じゃないでしょ! 真奈美、とりあえずそこに座ってなさいっ!」
菜織ちゃんにぴっと言われて、真奈美ちゃんは慌てて頷きました。
「う、うん」
「で、俺は?」
「そこらに適当に座ってなさい」
「そりゃねぇだろ、おい」
ぶつぶつ言うお兄ちゃんに、私は思いきって声をかけました。
「お、お兄ちゃん、私の隣の席なら開いてるよ」
「ありがとう、乃絵美。やっぱり優しいな」
「そ、そんな……」
かぁっとほっぺたが熱くなって、私は慌ててそれを手で抑えました。
お兄ちゃんはその間に私の隣の席に滑り込みます。
「よし、で、菜織!」
「はいはい。出力は74%。今はこれで限界よ」
「バリア出力は40%、こちらもこれで最大です」
「装甲はダメージ率42%。あんまり保ちそうにないぴょん」
さっきの戦闘で、やっぱり“セント・エルシア”は結構ダメージを受けてるみたいです。
と、ミャーコさんがインカムを耳に押しつけました。
「あにょ?」
「どした、ミャーコ?」
冴子さんが訊ねると、ミャーコさんは唇に人差し指を当てて「しぃっ」というゼスチャーをして見せながら、しばらくじっとしていました。そして、言いました。
「敵艦からの通信……ってより通告だぴょん」
「通告?」
「映像なし、音声のみだよ」
「……聞かせて」
その声にみんなが振り返りました。
艦長席に座った真奈美ちゃんが、静かに繰り返しました。
「ミャーコさん、聞かせてくれる?」
「う、うん」
戸惑った顔で、ミャーコさんがキーボードを叩くと、ブリッジにノイズ混じりの声が響きました。
『スミヤカニ、テイセン、シ、ジョウインハ、ダッシュツ、セヨ。テイコウハ、ムイミダ。ソレハ、ムヨウノモノダ。ハカイ、スル。スミヤカニ……』
まるで感情の籠もっていない声です。最近のコンピューター合成音声だって、もう少し人間らしい言葉でしゃべってくれます。
私は、なんだか背中を冷たい手で撫でられたような気がして、胸に手を当てました。
「どういうことだよ、それ?」
冴子さんも、うそ寒い顔をしています。ううん、冴子さんだけじゃなくて、みんなそうです。
ただ一人を除いて。
「向こうの言うとおりに脱出する?」
真奈美ちゃんの声に、菜織ちゃんが自分の頬を両手でパシンと叩いてから、言い返します。
「冗談!」
「みんなも?」
「あったりめぇだ」
「うんうん」
冴子さんとミャーコさんが言いました。
お兄ちゃんは……?
「俺は……降伏したって、助かるって決まったわけじゃない。戦う方が助かる確率が高いなら、戦う」
お兄ちゃんはそう答えました。
真奈美ちゃんは私に尋ねました。
「乃絵美ちゃんは?」
「私は……」
答えは決まってます。
「私は、お兄ちゃんと一緒です」
「うん」
真奈美ちゃんは頷くと、ミャーコさんに言いました。
「艦内放送チャンネルオープン」
「あっ、うん」
頷いてキーボードを叩くと、ミャーコさんは振り返って頷きました。真奈美ちゃんはコツン、と艦長席の肘掛けを指で叩いてから、言いました。
「“セント・エルシア”に乗艦しているみなさん。私は“艦長”の鳴瀬真奈美です。当艦はこれより、正体不明の敵と交戦状態に入ろうとしています。敵からの降伏勧告を受けましたが、艦長権限においてその勧告は拒絶します。これについて異議のある者は申し出てください。連邦軍規約第28条にのっとり、その異議を公式記録に残しておきます」
そこで一呼吸置いて、真奈美ちゃんは前方のスクリーンを見つめて言いました。
「でも、……“セント・エルシア”は、勝ちます」
それは淡々とした、だけどそれだけに信じてもいいと思える一言でした。
ミャーコさんがインカムを耳に当てて真奈美ちゃんに声を掛けます。
「現在のところ、正式な作戦行動に対する異議はなし。ただし、真奈美ちゃんの艦長資格に対して疑問があるために異議を保留っていうのが24件ってとこ」
すごく早い、と思ったんですけど、あとで聞いた話だと、こういうときはすぐに反応しないと認めてくれないんだそうです。だから反射的に返事をするのが癖みたいになってるんだとか。軍人さんは一瞬の判断の遅れが死を招くからってお兄ちゃんも良く言ってるし。……やっぱり、ちょっと怖い世界です。
「ま、それはそれとして、真奈美ちゃん、本当に大丈夫?」
お兄ちゃんが心配そうに振り返ります。真奈美ちゃんは頷きました。
「やってみる。乃絵美ちゃん」
「は、はいっ」
急に名前を呼ばれて、私はびっくりして返事をしました。
「コンピュータに敵戦力の分析はさせているかしら?」
「あ、はい。……スクリーンに出します」
やっておいてよかった、と安心しながら、私は分析結果をスクリーンに映し出しました。
冴子さんが息をのむ音が聞こえました。
「なっ……、なんだよ、これ……」
私には、実は出ている数値の意味があまりよく判りません。でも、みんなの表情を見ると、すごく良くないってことは判りました。
「……お兄ちゃん」
「大丈夫だよ」
お兄ちゃんはいつもの笑顔を見せてくれました。それで私は安心して、振り返ります。
真奈美ちゃんも表情を変えてません。真面目な顔でじっとスクリーンを見ています。
と、ミャーコさんが声を上げました。
「あにゃにゃぁ。向こうさん、キレたみたいだよ〜!」
私は慌ててレーダーを見ました。
「接近してきます!」
「菜織ちゃん、回避パターン、シグマ38」
「り、了解。シグマ38」
ちょっと意外そうに真奈美ちゃんを見てから、菜織ちゃんは前に向き直りました。
“セント・エルシア”は方向を変えました。
「乃絵美ちゃん、このままで最接近までの時間と距離を計算して」
「あ、はい。……最接近まで64秒、距離は28キロです」
「そう……。“セント・エルシア”の船体構造図と現状の被害図をこっちに回してくれるかしら?」
「わかりました」
私はデータを艦長席に回しました。あっ!
「敵の照準波を確認。撃ってきます!」
「敵の方向にバリアを集中。ミサイルはファランクスレーザーで撃破」
「ふぁ……なんだって?」
冴子さんが聞き返しました。お兄ちゃんが拳をぱしんと打ち合わせました。
「そっちは俺がやるから、サエちゃんは主砲管制に集中しててくれ」
「お、おう」
頷く冴子さん。続いてお兄ちゃんは私に声を掛けました。
「乃絵美、そのなんとかレーザーのメニューをこっちに回してくれ」
「うん、わかったよ、お兄ちゃん」
私は頷きました。そして、右手でキーボードを叩こうとしたとき、アラームが鳴りました。
「あっ、敵がミサイルを!」
今からお兄ちゃんにレーザー管制を回してたら間に合いません。
お兄ちゃんやみんなを守らなくちゃ!
「ファランクスレーザー、発射します!」
“セント・エルシア”の左右の装甲板の内側に格納されていた球面レーザー砲が、私の指先と共に外に顔を出して、レーザーを放ちました。
扇状に広がったレーザーは、“セント・エルシア”に向かって飛んできたミサイルを全てなで切りにして、途中で爆発させていきます。
「……すげぇ。こんな武器あったのかよ」
冴子さんが、スクリーンの上で次々と開く光の華に、口をあんぐりと開けていました。
「ミサイル全弾消滅を確認……」
私はほっとひとつ息を付きました。と、私の頭に何かがぽんと乗せられました。
「偉いぞ、乃絵美」
お兄ちゃんが頭を撫でてくれました。
「あ、ありがと……」
かぁっとほっぺたが熱くなるのを覚えて、私は思わず俯いてしまいました。
お兄ちゃんは振り返ります。
「それにしても……、なんで真奈美ちゃんはこの武器のこと、知ってたんだ?」
「……さぁ……」
と、また“セント・エルシア”が揺れました。私は慌てて自分の前のスクリーンを見ました。
「敵の長距離からの架電粒子砲の攻撃です。バリア出力、22%に低下」
「あちゃ、ごめん、よけきれなかったわ」
菜織ちゃんが唇を噛みながら、コンソールの上に手を走らせます。
次の一撃は、右にそれていきました。
「……冴子さん」
その時でした。黙っていた真奈美ちゃんが、不意に冴子さんに声を掛けました。
「主砲の発射準備は?」
「いつでもこい、だぜ」
頷く冴子さんに、真奈美ちゃんは言いました。
「私が言ったら、出力最大で、このポイントに向けて撃ってください」
「え? ……なんだかよくわかんねぇけど、了解したぜ!」
続いて、真奈美ちゃんは菜織ちゃんに視線を向けて、大きくないけどよく通る声で言いました。
「菜織ちゃん、コース005マーク24、回避パターンオメガ33、速度は220。……発進!」
あとがき
最近で宇宙戦艦ものといえば、「起動戦艦ナデシコ」「ロスト・ユニバース」「宇宙戦艦ヤマモトヨーコ」という感じでしょうか?
でもやっぱりスタートレックな私です(笑) ここんとこはCSで週に4本見られてかなり幸せ(笑)
PS
最後に真奈美ちゃんが言った「コース005、マーク24」はSTAR TREK方式です。
最初の「コース」が、艦から見て水平方向の角度を示します。自分の進行方向から右回りに360度ですね。日本流に言えば「面舵一杯5度」ですね。
で、「マーク」っていうのが、艦から見て垂直方向の角度を示します。自分の進行方向から上回りに360度です。つまりマーク24だと上に24度方向ってことです。
宇宙戦艦セント・エルシア その6 00/7/27 Up