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ゆかりちゃんSS ゆかりちゃんのささやき

 トゥルルル、トゥルルル
 電話のベルが鳴る音がドア越しに聞こえた。
 誰だろ? もしかして、女の子か?
 メモにアップデートをかましていた俺は反射的に立ち上がると、壁に掛かっている子機に手を伸ばしかけた。
 トゥルル、プツッ
 子機を取る寸前、電話の鳴る音が切れた。そして、1階からあいかわらずのキンキンした声が響いてくる。
「はぁい、早乙女れす」
 妹の優美だ。今年は受験だってのに相変わらずの調子で、プロレスだ、アニメだって騒いでるしなぁ。
 しかし、あいつ、今まで電話なんて取りゃしなかったってのに(だから、俺の部屋に子機を引いたんだが)、最近はどういう訳かかかってくる電話はよく取るようになったんだよなぁ。
「あ、お兄ちゃんれすね。ちょっと待っててくらさい」
 まぁ、中学3年になって、やっと見た目は女の子っぽくなってきてるし、少しは成長してるってことか。……中身は全然成長してないけどな。
 ピルルル、ピルルル
 子機が呼び出し音をあげた。俺は一度引っ込めた手をもう一度伸ばした。
「なんだ?」
「おにいちゃん、電話よぉ」
「サンキュ。代わってくれ」
「うん」
 ピッ
 電子音がして、外線に切り替えられる。俺は声の調子を変えて尋ねた。
「はい、好雄ですけれど」
「あ、早乙女か? 俺だ、公」
「何だ、公か」
 電話は主人からだった。偶然、学校で隣の席になった野郎だけど、そんなに悪い奴じゃないし、なんといっても、あの藤崎詩織の幼なじみっていうのはポイント高いよな。
 もっとも、男から電話をもらって喜ぶような趣味は俺にはない。自然と声にもそれが出たらしく、公は電話の向こうで不満げに言った。
「何だ、その残念そうな声は。俺からじゃ不満か?」
「当たり前のこと聞くなよ。それより、何かあったのか?」
「お前の情報を見込んで、聞きたいことがあるんだけどさ……」
 俺は反射的にテーブルの上に広げたままだったメモを引っ張り寄せた。
「誰のことだ?」
「お、反応が早いな。実はさ、古式ゆかりさんについて知りたいんだが」
 ……なぬ?
 一瞬、息が詰まった。

「おい、早乙女! 好雄! どうした?」
 受話器から聞こえる公の声で、俺は我に返った。
「あ、なんだ?」
「なんだって、こっちが聞きたいぜ。どうしたんだ?」
「い、いや。古式さんだな? 古式、古式っと。……あったあった」
 俺は嘘をついた。彼女のページは捜す必要なんて無かったからだ……。

「……ってとこだな」
「サンキュー。いやぁ、さすが「愛の伝道師」。よく知ってるよなぁ」
「まぁな。じゃ」
 俺は電話を切った。そのままベッドにひっくり返る。
 ……まさか、公が古式さんの事を聞いてくるとは……。なんかあったのかな、公と古式さん……。
 まさか。
 俺は、机の横のフォトスタンドを見た。
 我知らず、独り言を呟いていた。
「……また、やられたかな?」

「おにーちゃん!!」
「だわぁ!?」
 不意に耳元で甲高い声が炸裂した。俺は思わずのけぞった。
「ゆ、優美!?」
「もー。何だか知らないけどぼーっとしちゃってさぁ!」
「なんでお前が俺の部屋にいるんだよ!」
 俺はさりげなくフォトスタンドを倒しながら聞いた。
「だって、何度呼んでも返事無かったんだもん!」
 優美は口をとがらせた。
「あ、そうか? ワリィな。それで、何のようだ?」
「……え、えっとね〜」
 がらにもなく、優美がもじもじしてる……。なんだよ、今日は変なことばかり起きるじゃないか。
「あの、さっきの電話の人だけどぉ……」
「ああ、公か。あ、さては、優美」
「やだぁ、もう、おにーちゃんってばぁ!」
 ガヅン
 一瞬、目の前が真っ暗になった。
「あ、ごっめぇーん」
「お、おまえなぁ……」
 俺はこめかみを押さえながら優美を睨み付けた。
 訂正。こいつは全然女らしくなんてなってねぇ!

 優美を部屋から追いだし、俺はもう一度ベッドに寝ころんだ。
 それにしても……。
 俺は公の顔を思い浮かべていた。
 その隣に古式さんを置いてみる。
 ……悔しいけど、似合ってるよな。よし!
 俺は倒しておいたフォトスタンドの裏を開いて、写真を取り出した。
 古ぼけて、セピア色に変色した写真。
 俺は、少しの間それを見つめ、そしてゆっくりと引き裂いた。

 翌日の放課後。
「よ、昨日はサンキュー」
「公?」
 公が後ろから来て、俺の肩を叩いた。
 俺は公の方に向き直った。
「古式さんのこと、昨日聞いてきたけど、何かあったのか?」
「ちょっと、ボールをぶつけられてな。でも、可愛い娘だよな。ちょっとのんびりしてるけどさ」
 そこが可愛いんじゃないか!
 と言いかけたけど、やめた。代わりに声を潜める。
「昨日は言わなかったけどな、彼女の家は不動産やっててね、彼女の親父さんってのがどうやらあっち方面の人らしいんだ」
「あっちって……やくざ?」
「そうそう」
 俺はうなずいた。
「彼女と仲良くなるのは至難だと思うな」
 俺の賭。これで公があきらめるなら……。
 だが、公はにやりと笑った。
「そっか。障害は大きいほど男は燃える、ってか?」
 冗談に紛らわしているが、俺は直感した。
 こいつ、マジだな。
 ……そうだな。こいつなら、任せても良さそうな気がする。
 俺は公の背中をバシンと叩いた。
「いってぇ!」
「よぉし、公。俺さまの取って置きの情報を教えてやろう。実はな、きらめき中央公園っていう公園があってな、これがまた、結構雰囲気いいんだぜ……」

「そっか。サンキュ、好雄。この礼はいつかするぜ」
 そう言いながら公は歩いていった。
 俺は、その後ろ姿に向かって言った。
「あんまり彼女を悲しませるなよ、この色男!」
 冗談めかした、でもそれは俺の本音だった。

《続く》

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